試し読み ベツ☆バラ!3~観光庁 神霊災害特別対策室 秋葉原支部~(試し読み)

 

 

   序章

 

 フォルメ聖暦三七八五年、[火{ほ}][月{がつ}]の十七日。
 それは、とある異世界を経巡る一年の旅が終わった日。
 [或{ある}]いは強大無比な力を誇った魔王が討伐された日。
 或いは王国議会直下『剣の勇者』護衛団、通称『勇者一行』が勇者を残して全滅した日。
 或いは……

「馬鹿な。我が不死身の肉体が動かぬ。不滅の魂までもが凍結していくだと……ッ⁉」
 名も無き異世界の極北、地の果てにそびえる死火山『ヺルカ=イ=ドラ』の旧火口にて、[二{に}][面三{めんさん}][臂{ぴ}]の怪人がカルデラ雪原に崩れ落ちる姿を[夕{ゆう}][陽{ひ}]が照らし出す。
「やった……のか……?」
 怪人の前で立ち[尽{つ}]くしていた少年は、右手の小指を向けたまましばらく警戒していたが、[骸{むくろ}]が[端{はし}]から白く凍りつくのを[目{ま}]の当たりにして、目を見開いた。
「倒した……ッ! 俺、魔王を倒したんだ! アイゼンフィリア、俺、皆の[仇{かたき}]を……っ!」
 傷だらけの少年『[東{あずま}][風也{かぜなり}]』は背中を預けていた仲間の方を振り返る。
 長く[辛{つら}]い戦いが終わり、ハッピーエンドが確定した瞬間。
 そう思っていた。
「ご苦労だったな、小僧」
「え?」
 空を切り裂く音が、風也の[頬{ほほ}]を浅く裂いた。
「アイゼン……フィリア……?」
 最初の仲間にして最後の生き残り。
 風也が何よりこの世で頼りにしていた存在が、彼に剣を向けていた。
「ククク……」
 赤紫色の炎がアイゼンフィリアを包み込み、銀の髪を赤黒く染め上げていく。
 [後{のち}]に『信仰』という名を知ることになる、精神エネルギー体だ。
 その口元が左右不対称に[歪{ゆが}]む。
「今のはわざと外した。余をここまで追い詰めた貴様の絶望、一撃で終わらせてしまっては[勿体{もったい}]ないからな」
 その口ぶりに、風也は[怖{おぞ}][気{け}]を発して戦闘態勢を取った。
「テメェ……魔王か! どうしてテメェがアイゼンフィリアとすり替わってやがる⁉ 俺の仲間を、アイゼンフィリアをどこにやった!」
「ククク、[否{いな}]、否」
 魔王は[歪{いびつ}]な笑みと共に首を横に振る。
「この肉体こそ、アイゼンフィリア=フォン=ギナイツそのもの。神々の祝福を受けし神造の肉体こそ、我が器に[相応{ふさわ}]しいと目をつけておったのでな。十年前、小娘の故郷を焼いたついでに分身を植えつけておいたのだよ。その芽が、我が本体の死と共に目覚めた。たった今、な」
「テメェ……ッ!」
 戦闘態勢を取る風也に対し、魔王は剣を捨てて[諸{もろ}][手{て}]を広げた。
「そう構えずとも、その『勇者の剣』ならば簡単に余を殺せるぞ。今度こそ、永遠にな。ほうら、役目を果たしてみせろ。ほぉら、出来んのか、小僧⁉」
 魔王は力任せに[拳{こぶし}]を振り下ろす。
 その力は死火山だったヺルカ=イ=ドラの岩盤を砕き、地下深くのマグマ溜まりから灼熱の溶岩を呼び出した。
「ぐっ!」
 高熱と蒸気に巻かれる風也を[眺{なが}]めながら、魔王は溶岩を手で[弄{もてあそ}]ぶ。
「[斬{き}]れまい。斬れまいよなぁ? 『剣』の[担{にな}]い手として異界から呼び出された貴様の、たった一人残された仲間だものなぁ。初めて人を[殺{あや}]めた時も、仲間が死んだ時も、あまりに[脆{もろ}]い貴様の心を誰が支えた? ただの[小童{こわっぱ}]だった貴様を誰が勇者として育て上げた? 小娘の中で余も見ておったぞ、ククク、ハハハハハハ!」
「てめぇ……」
「ククク、余をここまで追い詰めた[褒{ほう}][美{び}]だ。その『剣』に対抗するべく[鍛{きた}]え上げた我が悪意の結晶、『[魔{ま}][王{おう}]の[剣{つるぎ}]』にて[灰{はい}]クズと焼却してくれる」
 魔王は人差し指と中指を立て、宙で竜巻のように[渦{うず}]を巻く溶岩の下端に[浸{ひた}]した。
 瞬間、その手が大地そのものを[摑{つか}]んだかのように、ヺルカ=イ=ドラが鳴動した。
「何だこれ、大地が……世界が……悲鳴を上げている……っ⁉」
 震動し崩落する旧火口にありながら、アイゼンフィリアの[喉{のど}]を借りた魔王の声だけが静かに響く。
「『我が天は[虚{うつ}]ろ、地は[骸{むくろ}]』」
「『枯れた明星に夜を[灯{とも}]し[無{む}][間{げん}]』」
「『[生生{しょうじょう}]一切は[幻炎{まほろお}]の一つ揺らぎに過ぎず』……」
「っ! 術式の詠唱か!」
 風也は魔王に向けて走り出した。
 このまま詠唱を完成させてはならない。
 溶岩に沈みかけた火口を駆け、魔王へと飛び掛かる。
 その手には、『勇者の剣』が宿っている。
 薄く長く、冷たい刃。風也の意思によってのみ現世に干渉する概念の剣。
 或いは極限の虚無。
 それが、『勇者一行』が一年間の旅を[経{へ}]て手に入れた最強剣『[北の極剣{マグナス・ノゥザリア}]』である。
 しかし、
「斬れるのか、貴様に?」
「……ッ!」
 [躊{ちゅう}][躇{ちょ}]した[刹{せつ}][那{な}]、大地から噴き出した溶岩が両者の間を[隔{へだ}]てる。
 揺らぐ大気の向こう側に、詠唱を[紡{つむ}]ぐ口元だけがぼんやりと[覗{のぞ}]く。
「『人の[蠟{ろう}]は[覚{さ}]め[醒{ざ}]めと焼け落ちる』」
 詠唱と共に溶岩が圧縮され、魔王の指に宿って剣を形作る。
「抜剣『[南の{サウザリウス・}]……」
 まさに剣の名と共に詠唱が完成されようとした。
 その時であった。
「なに?」
 アイゼンフィリアの手が動いていた。
 空の左手が自らの[頸{くび}]を摑み、[頸椎{けいつい}]を握り砕かんばかりの勢いで締め上げていた。
 魔王は、目を剥いた。
「貴様、余に抵抗するかッ!」
「カゼ……ナ……リ……」
 魔王の邪気を[纏{まと}]ったまま、アイゼンフィリアは風也を見つめた。
「アイゼンフィリアなのか! 完全に乗っ取られたわけじゃないんだな⁉」
 駆け寄ろうとした風也を、アイゼンフィリアは[睨{にら}]みつける。
「馬鹿者っ! いいから私を斬れ! 魔王にとどめを刺せ……っ」
「でも、アイゼンフィリアが……」
「構うものか! 今の力を見ただろう。魔王を討ち漏らせばこの世に未来は無い! どのみち、私の命運は十年前に尽きていたのだ」
 アイゼンフィリアの手が[痙攣{けいれん}]し、徐々に自らの頸から離れていく。
 魔王による支配が再び及び始めていた。
 アイゼンフィリアは相反する力に全身を痙攣させながらも、確かな目の輝きと共に、風也に向けて言葉を放つ。
「聞け、風也。『剣』を求めて[流離{さすら}]った……私たちの旅は、永遠だ。[賢者{パラケルパラケル}]も[盗賊{ミハエラ}]も死んだが、皆……私も……お前が元の世界に戻っても[傍{そば}]にいる……約束する。だから……」

 ――頼む。

「[失{う}]せろ、残留思念がッ!」
 最後にそう紡いだ口が、醜く歪んだ。
 魔王は怒気を発し、手刀で自らの左手首を切断した。
 ぼとりと、左手首が[粘{ねん}][土{ど}]のように力なく大地に転がる。
「テメェ……アイゼンフィリアの[身体{からだ}]を……ッ!」
「今は余の物だ。精神の残りカス[風{ふ}][情{ぜい}]が、一時とはいえ余から身体の支配権を奪い返すとは腹立たしいにも程がある」
 切断した左手首を踏みつけにしながら、魔王は、右手から伸びた[灼{しゃく}][熱{ねつ}]の剣を構えた。
「抜剣『[南の滅剣{サウザリウス・イグズター}]』。案ずるな、この左手は貴様を始末した後、時間をかけて再生してくれよう」
「ッ! アイゼンフィリア! 返事をしてくれ、アイゼンフィリアッ!」
「ククク、無駄だ。既に小娘の魂は焼却し、灰クズ一つ残っておらぬ。我が剣の術式が完成した以上、泣き落としを使う意味もないのでな」
 一歩一歩、魔王が剣を携え風也へと迫る。
「ククク、それでもこの肉塊が[愛{いと}]おしいか? ならば、このまま何もせずに死んでくれればよいのだがなぁ? ククク、クククククク……」
「――す」
 高笑いする魔王の視界に『ヒビ』が走った。
「ほう?」
 魔王が[咄{とっ}][嗟{さ}]に炎剣で受けると、ヒビと炎が衝突して互いを打ち消し合った。
「俺が、倒さなきゃならないんだ……」
 風也は、頬を伝っていた涙を[拭{ぬぐ}]った。
 その目にはまだ迷いの色が残っている。それでも。
「テメェだけは俺が倒す! テメェだけは、絶対にッ!」
 風也の周囲にヒビが走り、流動していた溶岩が少しずつ熱を失い、停止していく。
 岩盤すら融かす灼熱が衰え、白い[霜{しも}]さえ降り始めた。
「それが『勇者の剣』の本懐ということか。よい、よいぞ小僧!」
 炎と氷。
 ヺルカ=イ=ドラに走る大亀裂を中心に、世界が二つに分かたれていく。
「行くぞ、魔王――――ッ!」
 風也は『勇者の剣』を構え、魔王へと飛び掛かった……

「ッ!」
 風也は目の前の相手を引きずり倒すと、剣があるはずの右手を立てた。
 倒さないと。
 俺が、倒さないと。
 目の前の敵を、俺が!
「……はん! 東はん!」
「え?」
 風也の視界が、突如切り替わった。
「何するんや、突然!」
 風也の目の前にいたのは、魔王でもアイゼンフィリアでもなかった。
 セーラー服を着た少女、[夜{や}][行{ぎょう}][院{いん}][暗{あ}][月{づき}]。
 同居人にして、ベツバラの仲間……
「や、夜行院⁉」
 正気に戻った風也と暗月の間を、アイゼンフィリアの[聖骸{せいがい}][布{ふ}]が隔てた。
 風也が[慌{あわ}]てて飛びのくと、暗月は印を結んでいた手を解き、丸くしていた目をじっとりとしかめ、息を[吐{は}]いた。
「目ぇ覚めはった? それとも、気つけの術でも叩き込んだろうか?」
「ご、ごめんって。でも、何で俺の部屋に?」
「もう七時半や。学校、遅れるで?」
「うわ⁉ やっべ!」
 風也はひっくり返るような勢いで朝の支度を始める。
「あれ、数Aの教科書どこやったっけアイゼンフィリア⁉ あれ、体操着干しっぱなしじゃん! うわー、うわーっ!」
 部屋をひっくり返すような[忙{せわ}]しなさに、風也は[微{かす}]かな予感に気付くことができなかった。
 夢から醒めてからほんの数秒。それも、微かな違和感。
 風也の直感は、暗月に『魔王』の気配を感じ取っていた。
 大事なものを[奪{うば}]い、[攫{さら}]っていく。
 恐るべき魔王の存在を、暗月の背後に……

 

   ◆

 

「おや、ちょっと雲行きが怪しいな」
 [秋{あき}][葉{は}][原{ばら}]駅前、忙しなく行き交う朝の通勤者たちをカフェのオープン席から眺め、[鳥{とり}][居{い}][矜{きょう}][持{じ}][郎{ろう}]は[呟{つぶや}]いた。
「あら、鳥居さんって雨とかで[濡{ぬ}]れちゃう人でしたっけ?」
 向かい側でフラペチーノのストローを弄ぶ少女が、クスリと笑んだ。
「はは、僕を妖怪か何かと勘違いしていないかい、[蕾{らい}][花{か}]くん。電気で雨粒を分解できる君のようにはいかないよ」
「ふふふ、ご[謙遜{けんそん}]を」
 [微笑{ほほえ}]む少女の名は[舞薗{まいぞの}]蕾花。
 [湯{ゆ}][島{しま}]学園の制服を纏った姿はどこにでもいる普通の女子高生にしか見えない。
 しかし、その正体は日本の現代史を半世紀以上に渡り支えてきた魔法少女隊『[山茶花{さざんか}]』のOG、日本有数の実力者の一人である。
「私が東京を留守にしている間に、[桃{もも}][太{た}][郎{ろう}]が現れたそうですね。日本人なら誰もが知ってるレベルの大神霊、倒す算段はもうついているんですか?」
「ああ。半年前の事件にて封印した東くんの『勇者の剣』を、解放することにした」
「あれを、ですか」
「色々ちょっかいも降りてきたが、現場の判断で押し通した」
 今度は、蕾花が[僅{わず}]かに表情を変えた。
「〝降りてきた〟ですか。省庁レベルの話じゃありませんよね?」
「もっと上だよ。この国に歴史が生じた頃から存在する『上』だ。彼らはヤオヨロズに対してはもちろん、東くんと夜行院くん、二人の特異点をも危険視している節がある」
 鳥居はブラックコーヒーに口を付けると、[物{もの}][憂{う}]げな表情でカップを傾ける。
「そんな状況で、よくベツバラなんて組織を作れましたね。その『上』の方々って、[山茶花{ウチ}]の創設時も相当ちょっかいを出してきたって聞いてますけど」
「はっはっは、[流石{さすが}]に『上』も戦時中とはスタンスが違うさ。それに、一枚岩でもない。心配の種は消しておきたい封殺派と、『化け物』にぶつけるための『化け物』として飼っておきたい利用派と、思惑が入り乱れている。そういう意味でも、今回の一件はベツバラ発足以来の大出入りとなるだろうね」
 ゆえに。
 鳥居はスマートフォンに表示された神霊災害対策アプリ『アマノサカホコ』の画面を示した。
「『神霊災害特別対策法』に基づき、特別警報を発令することにした」
「……半年前、東風也[封伐{ふうばつ}]作戦の再来ですね」
「うむ。決戦の日、秋葉原を人的かつ霊的に完全封鎖する。特例措置〇二号、またの名を……」
 鳥居は、その名前を告げた。
「『秋葉原歩行者[煉獄{れんごく}]』」

 

   第三話『秋葉原歩行者煉獄』

 

『[泉{いずみ}][書房{しょぼう}]』。
 秋葉原、[新{しん}][宿{じゅく}]に並ぶ神霊災害特異点『[神保{じんぼう}][町{ちょう}]』に本拠を持つ全国規模の書店にして、神霊災害対策法によって『神性書物取り扱い指定業者』に定められた数少ない企業の一つ。
 秋葉原駅にそびえ立つ八階建ての店舗『秋葉原ブックピラー』は秋葉原と神保町、二つの神霊災害特異点の境界として独特の存在感を放っていた。
「普通の本屋さんにしか見えへんけどなぁ。超常の気も感じられへん」
「〝地上〟はな。『剣』はこの店の地下、一般からは隠された〝裏側〟にある。半年前、俺を捕まえた術師たちの一人に、封印を委託したんだ」
 風也は上りのエスカレーターに乗って暗月に手招きした。
「下に行くんやないの?」
「ああ。でも、〝地下に下りるエスカレーター〟はないんだ」
「?」

 

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