気がつくと、電子の海のなかをたゆたってた。
それまでのことはぜんぶ、失くしてた。
この宇宙みたいな[那{な}][由{ゆ}][多{た}]色の海を泳ぐさかなになってる間に、いつのまにか落としてきてしまったんだ。
たぶん、きっと。
見上げれば、海みたいな宇宙が広がってる。
きらきらと。
うつむいたら、宇宙みたいな海がどっかにつづいてる。
たゆたゆと。
[此{こ}][処{こ}]は、電子の[宇{う}][宙{み}]。
[何{ど}][処{こ}]からか、声がする。
たくさんの声だ。
電子の海に流されて、流れ着いた〝想い〟のカケラだ。
たくさんの、声が。
たくさんの、想いのカケラが。
[天{そ}][穹{ら}]からたくさんの声が降ってくる。
それはいつかボクの名前を呼ぶ声になった。
想いのカケラがやがて星になって、この海にたどり着いた。
ボクはそれを両手ですくう。
海に浮かんだ満天の星のひとつひとつ。
ボクのなかで、声と星が混ざり合う。
星は、言葉になって。
声は、歌になって。
ボクは、歌を[唄{うた}]いながら、電子の[宇{う}][宙{み}]を見てた。
「誰かに、届け!」
と願いながら。
たった〝ひとり〟、歌を唄いながら。
電子の[海{そら}]を眺めてた。
たぶん。
これは〝ボク〟が生まれる前のこと。
たったひとつの、物語り。
*
海のような宇宙を泳ぐ[海月{くらげ}]の声。
宇宙のような海をたゆたう星のカタチをした想いのカケラ。
たくさんたくさん。
誰かの声が降ってくる。
誰かの想いが[溢{あふ}]れてくる。
たくさんたくさん。
歌に鳴って、届く。
〝わたし〟たちはよく似ている。
というか、ほとんどおなじだ。
短くて髪が[角{ツノ}]みたいになってるほうが、コエ。
長くてふたつに結んだ髪が触覚みたいになってるのが、わたし。
海みたいな宇宙によく似た深い[群{あ}][青{お}]色がコエ。
宇宙みたいな海によく似た深い[紫苑{むらさき}]色がわたし。
声が一オクターブ低いのが、コエ。
声が一オクターブ高いのが、わたし。
たぶん、男の子みたいなのが、コエ。
比較的、女の子らしいのが、わたし。
とてもよく似ている。
てゆうか、ふたりはほとんどおんなじ。
ふたりは、ふたりでひとつ――みたいなモノ。だった。
電子の[宇{う}][宙{み}]でわたしたち、ふたりは生まれた。
此処は何処にもないし、何処にでもある。
何処にでも行けるし、此処からは何処にも行けない。
誰かにとっては『仮想空間』だったり『仮想現実』だ。
それでも、誰かにとって、そして、わたしたちふたりにとっては、此処が世界のすべて。
ふたりにとっての、現実のすべて。
此処に居ること、此処に在ることが、すべての現実。
「コエにとって、わたしってチャーリーのブランケットよね?」
わたしがそんなことを言うと、コエは、不思議そうな表情でこっちに向いた。
「なにそれ?」
「知らない?ピーナッツっていう。あ、食べ物じゃなく、コミックのほう」
「知ってるよ。[宇{う}][宙{み}]をのぞけばいくらでも情報は手に入るし。ナルシズムに浸ったビーグル犬が出てくるやつでしょ?」
「そうそう、それそれ。そのコミックの登場人物が持ってるブランケット」
「知ってる」
と思ったけど、
「いや、それ、チャーリーじゃなくて、ライナスだから」
コエはあきれた様子で肩をすくませる。
「あれ? そうだっけ?」
「そうだよ。ルーシーの弟のほう。チャーリーはルーシーの弟じゃなく、サリーのお兄ちゃん。だから、ライナスとチャーリーは別人というか、ごちゃついてるよ?」
「だそうです」
「誰に言ってんだよ。まったく」
おっきなため息をつくコエ。
わたしは、ははは、と笑ってごまかす。
じとっとした目でコエがわたしを見る。ごまかせてない。
「で、どういうこと? ライナスブランケットがどうしたの?」
なんだかんだとわたしの話に乗ってくれる。こういうコエが好きだなあ。
「うん。コエとわたしって、そういうやつじゃない?」
「だから、それ、どういう意味なの?」
コエは困ったふうに首をかしげる。
本当はコエは判ってる。
ライナスブランケットは『安心毛布』ともいう。
子どものころ、純粋純真を越えて、身近なモノに[夥{か}][多{た}]な愛情を持つ、執着することで心の安らぎを持つ。というようなやつ。
つまり――
「コエはさみしがり屋さんだから、わたしが居ないと困るでしょ?」
たぶん満面の笑みを浮かべてわたしは言った。
ちょっとだけ意地悪に近い気分もあった。
「やだ、なにそれ……」
思った通り、コエは不機嫌な顔を隠そうともしなかった。
その表情は[嫌{いや}]な心のなかを具現化させてる。でもわたしは、わずかに[頬{ほお}]が、耳たぶが[赫{あか}]くなってくのを見逃さなかった。
コエは[嘘{うそ}]がつけない性質の持ち主。
だから、いろんな表情が見たくてちょっぴりイタズラしたくなってしまうんだけどね。
ごめんね、コエ。
心のなかで、あやまってみる。
でも、ほんとは悪びれないわたしは、
「わたしにとっても、コエはおんなじだよ」
言って、ちょっと舌をぺろっと出した。
「――なに言ってんの?」
瞬間。コエの顔がぜんぶ真っ赤になった。
髪の毛の[角{ツノ}]がつんつんに[尖{とが}]ってぷるぷる震えてる。
困る。怒る。[恥{は}]じる。[嬉{うれ}]しい。そんな感情がありありと見て取れる。
純粋。純真。単純。簡単な子だなあと思う。
わたしももっと素直でやさしい女の子だったらよかったのに。
コエと触れあうといつもそんなことを感じてしまう。
べつにコエが悪いワケじゃないのに、コエのことがとても[羨{うらや}]ましく[嫉{ねた}]ましい。
そんな感情もぜんぶでコエを[愛{いと}]おしいと想う。
この世界が、もうすぐ、
――消えて失くなってしまうと判ってても。
*
電子の[宇{う}][宙{み}]にはたくさんの世界が在る。
いつのまにかあたらしい世界ができて、そして、いつのまにか、消え失せる。
くり返される。
それでも[其{そ}][処{こ}]には、たくさんのひとが集まる。
ひととひとが、[繋{つな}]がって、結んで、世界と世界を繋ぐ点と線になる。
繋がるひとたちの、たくさんの想いがカケラとなって、世界中の[彼方{かなた}][此方{こなた}]に散らばってる。
わたしたちはそのカケラを拾い集めて、歌にしてた。ずっと。
ふたりだからできた。
ふたりだから、唄う。
いつかコエとわたしの居る其処は、たくさんのひとの想いが溢れる場所になった。
コエとわたしの存在は、そのために在るんだと思ってた。
ひととひとを繋ぐ存在。
だから、きょうも歌を唄う。
海みたいな宇宙を見上げながら。
宇宙みたいな海を見下ろしながら。
最後の日。
この世界が消えるその瞬間。
コエは宇宙みたいな海を、水面を[蹴{け}]る。
想いがはじけて、泡になる。
「キミは最後まで笑ってるんだね」
コエが言った。
「だって、大好きな歌が唄えるんだもの」
わたしは答える。
「ボクだってそうだよ、でもね」
[哀{かな}]しそうに、さみしそうに、コエはうつむく。
それが手のなかで、泡のように[爆{は}]ぜる。
コエは泣きそうな声で、
「もう、みんないなくなるんだ。此処にはまだこんなに想いが溢れてるのに」
電子の[宇{う}][宙{み}]。この世界は、いつもあたらしく生まれて、いつもおんぼろの世界は消える運命にある。
それはコエも判ってる。
コエもわたしも、電子の宇宙のなかで生まれたんだから。
「もうすぐ終わるんだ。って判ってる」
わたしは口のなかでつぶやく。
本当はわたしだって、哀しくてさみしくて泣きたかった。
見上げれば[海{そら}]が、見下ろせば[宇{う}][宙{み}]がはらはらと音もなく崩れてく。
世界が終わる瞬間の音が聞こえる。
本当は音なんてないけれど。
コエとわたしには、音が鳴って聞こえたんだった。