著者/築地俊彦の作品 「アメノセイ 史上最悪の決戦」(試し読み)

 [瞼{まぶた}]が重く、目を開けるまでいささかの時間がかかった。
 ぼんやりとした視界の向こうには、やはりぼんやりと輝く壁があり、周囲をうっすらと照らしていた。空気は重く、じっとりした湿気を感じさせる。「その人物」は二、三度まばたきすると、自らが床に横たわっていることに気がつく。そこではじめて、発光しているのが壁ではなく天井であることが分かった。
 身体を起こして左右を見渡す。大きくて天井の高い、倉庫のようなところにいた。その人物はしばらく倉庫の中を[眺{なが}]めると、はっとして目を見開いた。
 大勢の人がいた。ただの人ではない。皆、自分と同じであった。
 背丈も顔もまったく同じ。髪の毛の一部は角みたいに[尖{とが}]っており、服まで同じものを着ていた。そして倉庫内にぎっしりと詰め込まれている。クローン工場の倉庫と称しても[過{か}][言{ごん}]ではなかった。
 全員が一斉に目覚めたらしく、半身を起こしたまま[驚{きょう}][愕{がく}]の目つきをしている。皆言葉を発していない。状況の把握もできず、ただ[茫然{ぼうぜん}]としているだけだ。
 すると突然、倉庫内の照明が落とされた。代わりに壁の一部が激しく光った。
「おはよう、アメノセイの諸君」
 真っ白になった壁が音声を発し、倉庫内がざわついた。このときはじめて、皆は自らが「アメノセイ」であることを思い出したのだ。
「君たちがどういう存在でどういう目的で生を受けたのか。そんなことはどうでもいい。あえて言えば担当者の発注ミスなのだが、聞かなかったことにしてもらいたい。わりとよくある話だ」
 壁の光は声に合わせるように強弱をつけていた。音声は男のようでもあり、女のようでもあった。
「重要なのは、諸君はこの場に集められたということだ。そして君たちアメノセイはたった一人に絞られることになる」
 また倉庫内がざわついたが、すぐに静まった。
「見ての通り君たちの数は多い。担当者がケタを間違えたのだ。だが我々が必要としているアメノセイはたった一人。予算の関係上そんなにたくさんのアメノセイを[抱{かか}]えられないからだ。理不尽に思うものは会社を経営すれば分かる。ともかく自分こそがアメノセイであると証明してもらいたい」
 耳を傾けているアメノセイたちの心中に疑問が浮かぶ。先回りするかのように、声は続けた。
「どうやって証明すればいいか。それは相手を敗北させることだ。敗北を[悟{さと}]った瞬間、そのアメノセイはこの世から[消{しょう}][滅{めつ}]する。敗北させるにはどんな方法でもいい。ただし我が会社はオタク業界に属している。よって、なるべくオタクなパワーを発揮して欲しい」
 アメノセイが[拳{けん}][銃{じゅう}]で相手の頭を[撃{う}]ち[抜{ぬ}]くみたいな反社会的な行動は好まないのだ。昨今のコンプライアンス事情が見て取れた。
「敗北せず最後まで残った者。それこそが勝者であり、真のアメノセイだ。期限は[設{もう}]けない。この手のふわっとした発注は我が業界の得意のするところだ。そしてこの倉庫は借りているだけでも高いため、たった今から開始とする。健闘を祈る」
 壁の光が消える。倉庫の明かりがつき、大きな扉が開け放たれた。
 [否{いや}]も[応{おう}]もない。数百人のアメノセイたちはたった一つの座を賭けて、街へと走って行った。

 アメノセイたちは各所で戦いを繰り広げた。
 オタクなパワーと言っても範囲は広い。まるで発注元から来た「もっとキラキラした要素を入れてください」みたいなメールのようだ。それでもアメノセイたちは最大限の解釈をし、生き残りを[図{はか}]っていった。
 アメノセイたちにはそれぞれスマートフォンが与えられていた。プリインストールされているアプリによって、どんなアメノセイがどんなことをしているのか、一目で分かるようになっている。さらに敗北し消滅したアメノセイの状況も表示されていた。
 冒頭で目覚めたアメノセイも、スマホを片手に[秋{あき}][葉{は}][原{ばら}]をさまよっていた。
 オタク的なパワーなら秋葉原だろう、といういささか安易な考えによるものだったが、そんな思考のアメノセイはたくさん居るようで、路上や店に同じ顔がごろごろしているという状況になっていた。
 アニメ新番組の広告よりたくさんのアメノセイが存在している中、生き残るには他と同じことをしてはいけない。だが敗北感を感じない、すなわち失敗しないためにはどうすればよいのか、このアメノセイはまだ方法を思いついていなかった。
「アメノセイです。よろしくお願いしまーす」
 見ると、路上でビラを配っているアメノセイがいる。ビラにはアメノセイの名前と顔が大きく印刷されていた。手当たり次第に配布して知名度を上げようとする戦略だろう。とにかく名と顔を売ることに特化していた。
 一見よさそうな方法だが、敗北感は感じなかった。なぜなら。
「なっ、なにをするんですか。僕はなにもしていません! ビラを配っていただけです! 本当です!」
 さきほどのアメノセイが制服警官に取り囲まれている。しばらく抵抗していたものの、やがて[万世橋{まんせいばし}]警察署まで連れて行かれた。
 馬鹿なことを、と思った。秋葉原は路上でのビラ配りに厳しい。あそこは配布禁止区域である。あの様子だとそもそも道路使用許可を取ろうともしなかったのだろう。スマホのアプリを見ると、「アメノセイ ビラ配り」の文字が赤くなっており、隣に「消滅」と書いてあった。警察署に連れて行かれて観念したのだ。
「僕はアメノセイです! 一曲歌います!」
 また別のアメノセイが路上で叫び出す。歌い出す前に警官が飛んできた。路上パフォーマンスにも厳しいと知らなかったようだ。
 屋外でおこなうには限界がある。アメノセイはインターネットカフェに入った。
 彼らの敗北の原因は明らかだ。とっくにネット上のプロモーションに移行しているのに、あえて古いやり方をおこなったのがよくない。今の時代、知名度を上げたかったらネットでバズらせるのだ。
 この考えにたどり着いたアメノセイも少なくない。店内にはちらほら同じ顔、服装のアメノセイが着席していた。
 だとすると、できる限り素早く活動しなければならない。パソコンを起動するや、即座にSNSのアカウントを作成した。テキストベースのSNSだけではなく、写真、動画問わず片っ端から登録する。
 [肝心{かんじん}]なことはフォロワー数の増加である。バズるからフォロワー数が増えるのか、フォロワー数が多いからバズるのか。卵が先かニワトリが先かみたいな関係だが、どっちにせよ多いのはいいことだ。目に付いた有名人を次々にフォローして、「フォローしました。よろしくお願いします」の[挨拶{あいさつ}]を送る。
 その合間にスマホで他人をチェックした。アメノセイの名の隣に、SNSの文字がずらりと並ぶ。やはり方向性は同じだ。どうでもいいが個人名が全てアメノセイなので、区別がつかないことこの上なかった。UIの設計者は酔っ払っていたのだろうか。
「ん……?」
 一見、目を引く活動内容がある。SNSは同じだが、フォロワー数増加中の文字が。
 自分のアカウントを見ると、フォロー数に比してフォロワー数がゼロ。開設されたばかりのアカウントなので仕方ないが、さっきのアメノセイはどうやっているのか。
 そのアカウントを見に行く。するとタイムラインには、[美{び}][麗{れい}]なイラストがずらりと並んでいた。
「まさか……⁉」
 イラストはどれも現在放映されているアニメか、人気のあるマンガやゲームの二次創作だった。背景やメカすら描きこまれ、[百{ゆ}][合{り}]っぽいカップリングもばっちりという抜け目なさだ。
 即座に理解できた。イラストでフォロワーを稼いでいるのである。
「これは……確かに上手なイラストだけど、そんな……」
 インターネットカフェのブースで頭を抱えるアメノセイ。イラストで有名になるのは誰でも考えつくが、まさか実行してしまうとは。いつの間にこんなテクニックを会得したのだろう。
 こうしているあいだにも、タイムラインには新作イラストが続々とアップされている。SNSのトレンドには「#アメノセイ」と取り上げられ、フォロワー数はうなぎ登りとなっていた。
 店内のあちこちから、「ぎゃー」「負けたー」との声が上がる。敗北を悟ったアメノセイたちが消滅しているのだ。画面を眺めるアメノセイの首筋にも、じっとりと汗がにじみ出る。
 アメノセイは必死に気を[奮{ふる}]い立たせた。どこかに[瑕{か}][疵{し}]はないか、精神的に優位になれる要素はないかと探し回る。
 だがそこで[遭遇{そうぐう}]したのは、さらなる絶望感であった。
「うっ……あの声優までフォローを!」
 最近人気急上昇中の女性声優までが、あのアメノセイをフォローしたのだ。
 この女性声優は「自分はぼっちで友達がいません。百合好き。年上趣味で何歳でもオーケー。あと巨乳」を売りにアニメ業界を[席巻{せっけん}]しつつある。ゲームやミリタリーにも[造{ぞう}][詣{し}]が深いということで、いい年した業界のおっさんたちがころっと参っているのだ。
 今度発売されるCDや写真集もきっと売れるだろう。これから伸びると目されている声優なのだ。その彼女がフォロー、しかも相互フォローだった。
 [繋{つな}]がっておけば利益になると女性声優が判断したのだろう。大きなアドバンテージであった。
「じゃ……じゃあ僕は……!」
 画面を眺めているアメノセイも、当然フォローリクエストを送っていた。自分をフォローしているのかどうか。焦りながら確認をする。
「う……」
 なかった。フォローなし。返事もなし。女性声優にリクエストだけではなく、挨拶まで送ったのに無視である。
「やっぱり……やっぱり絵を描かなきゃ駄目だった……!」
 挨拶文が「オッパイ見せてください」と「新興宗教を立ち上げたので宣伝してください」の間に[挟{はさ}]まれたのもよくなかったが、どのみちフォローされなかっただろう。ブロックされなかっただけマシというものだ。
「チキショウ、どうせ……どうせマネージャーが書いているんだ!」
 襲い来る敗北感に必死に[抗{あらが}]う。ここで負けを認めたら消滅してしまう。周囲ではさらなる悲鳴が起こり、アメノセイたちがこの世から消え去ろうとしていた。
 自分は生き残るんだ。必死になって自らのフォロワーを増やそうとする。だが数字はぴくりともしなかった。
「もう駄目……ん?」
 視線がある一点に吸い込まれる。
 いまや神絵師となったアメノセイ。だがそのフォロワー数に変化があった。増えているのではない。減っているのだ。しかも急速に。
「これは、ひょっとしたら……」

 

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