著者/成田良悟の作品 「RAIN ON THE RAINBOW。あるいは、【スクープ! 電子の秘境の奥に伝説のバーチャルYouTuberアメノセイを見た! その時、探究者に襲いかかる衝撃の真実とは!】」(試し読み)

まえがき
※注意! 注意! 単品でもかろうじて楽しめるように努力はしておりますが、『アメノセイ~ if stories ~1』、並びに『きみがVtuberになるまで』を[御{ご}][覧{らん}]になった上で、[尚{なお}]かつアメノセイの今までの動画を見返しながらお読み頂くとより一層お楽しみ頂けるかもしれません。また、各章タイトルに使われている楽曲名は、曲名などから想起されるイメージや歌詞に登場する単語を[拝{はい}][借{しゃく}]しているだけで、実際の歌の内容と小説のストーリーとは何一つ関係ない事をあらかじめ明記させて頂きます。多分。おそらく。

1『アメノセイは自己紹介ができない。あるいは、Clock』

 「記憶を見つめて……」  「心の中に自分の手の平を思い浮かべて下さい」

    「その指に触れて……」  「イメージして下さい」

 「時よりも深く……深い底に……」  「あなたの心は沈んでいきます」

  「[瞬{まばた}]くにつれて……」    「止まっていたあなたの心は過去に遡ります」

 「また時を止めて……」   「あなたの旅路の始まりを、ゆっくりと思い出して下さい」

            ∞

 遠い過去を見つめる私の中に、一つの記憶が[蘇{よみがえ}]った。
 そう、これは、私がアメノセイの姿を追い始めた時の記憶だ。

 彼、あるいは彼女を初めて見かけたのは、[何{い}][時{つ}]の事だったろうか。
 数年前のようにも思えるし、つい昨日の事のようにも感じられる。

 ただ、何をしようとした時か――というのだけは、ハッキリと思い出せる。
 あれは、私がいつものように駅に向かい、いつものようにホームに立った時の事だ。

(――あ、行けそうだ)

 そう思ってしまった。
 どこに行くか?
 ここで、普段仕事に行くのとは反対方向行きの車両に乗って、海にでも逃避行……というのであれば少しは[浪漫{ロマン}]チックな青春小説になったのかもしれないが、残念ながら、もっと近くて面白みの無い場所だ。
 特急電車が通り過ぎる15秒前。
 ホームとホームの間に広がる、段差の底の線路へと。
 勘違いして欲しくないのは、私はその時、世の中に絶望していたわけではないという事だ。
 将来設計もあったし、まだ読みたい小説の続きもあった。昼休み中に社員食堂の中に流れているテレビドラマの続きも普通に気に掛かるし、旅行に行きたい場所もある。
 だが、私は知らなかった。
 自分の命を絶つという事は一大事だが、時にはこんな、『なんとなく』という感覚で([破{は}][滅{めつ}]の歩が進む事もあるのだと。
 死ぬと決意したわけではなく、自分の命の重さを考えるわけでもなく、ただ、『今電車に[轢{ひ}]かれたらゆっくりと休めそうだ』と、『遅刻覚悟で二度寝するか』程度の考えで、私はホームの最前列から脚を動かし始めたのだ。
 [強{し}]いていうなら、私は大分疲れていたのかもしれない。
 仕事が忙しかったのか私生活の問題か、あるいはその両方かは[既{すで}]に思い出せないし、今となってはどうでも良いのだが――確かに、その時の私は寝不足も相まって、相当にくたびれていたという事は否定しきれない。
 普段の私は命がひとつしかなく大事なものであり、電車に飛び込んだりしたらどれだけ多くの人に迷惑が掛かるかも解っている。だが、本当に疲れている時は、そんな事は頭の中から抜け落ちる。インフルエンザの熱に浮かされて、[朦朧{もうろう}]とした中で観る悪夢。そこから苦しみだけを抜いたような[曖昧{あいまい}]な状態……というのが一番近いだろうか。
 つまり、私は起きたまま夢の中に居たようなものなのだ。
 だから、死のうとした事についての説教や同情はとりあえず横に置いて頂きたい。
 どちらにせよ、私はこうして生きているし、列車が止まって通勤が[滞{とどこお}]った人々の怒りを買う事も無かったのだから。

 特急電車の影が見えた。

 時は満ちた。
 後は踏み出すだけ。

 周囲の群衆の[溜息{ためいき}]や[咳払{せきばら}]いが風となって背中を押す。
 そうら、3、2、1――――

 だが、ゼロの瞬間が来る事はなかった。
 ホームの縁、白線の外側に向かう私の歩みを止めたのは――
 すぐ斜め後ろから響いて来た、不思議な調子の声だった。

『これを観てる皆さんは、僕と友達になってくれますか?』

 若い女の子の声のようにも聞こえるし、少年の声のようにも思える引き締まった高音。
 突然響いてきた声に驚いて振り返ると、そこでは高校生と[思{おぼ}]しき同じ制服の男女が会話をしているのが見えた。
「危ない危ない。イヤホン外れちゃったよ」
「[YouTube{つべ}]見てたの?」
「そうそう、新しい子。アメノセイって名前で――――」
 私を[挽{ひ}]き[潰{つぶ}]す[筈{はず}]だった特急電車が通り過ぎ、[轟{ごう}][音{おん}]が高校生達の会話を[掻{か}]き消していく。
 呆然としていた私は、そこで正気を取り戻した。
 きっかけは、恐怖。
 自分が今死のうとしていた事に、やはり『なんとなく』気付き――恐怖が疲れと眠気を吹き飛ばした事で、一気に頭が[覚醒{かくせい}]したのだ。
 覚醒すればする[程{ほど}]に、自分が死の一歩手前だったという事実をより深く[噛{か}]みしめる結果となり、[喉{のど}]の奥から胃液と心臓が飛び出しそうな[衝{しょう}][撃{げき}]が私の[脳{のう}][味{み}][噌{そ}]を更に強く覚醒させる。
 恐怖のデフレスパイラルだ。
 何をやっているんだ私は、脳味噌がゆらりゆれている気分だ。
 自殺しかけるとか何を考えているんだ、死ねよ私、いや死にたくない! 絶対に!
 そうだ、死にたくない。
 私はまだ生きていたい、実際に死にかけてそれを強く実感した。
 実感が深まる度に、「それなのに、[何{な}][故{ぜ}]あんな事をしようとしたのだろうか?」と焦り、呼吸が段々と荒くなる。
 胸が苦しく、[暫{しばら}]くは何もできなかった。
 何気ない駅のホームを見ている筈なのに、どこまでも遠く景色が揺れる。
 鈍行電車が止まり、横に居た高校生達は動かない私に首を[傾{かし}]げながら列車の中へと消え、そのまま発車の合図と共に私の元から去って行った。
 ああ、ああ。
 この時にあの子達を追いかけて電車に乗り込み、動画の詳細さえ聞いておけば!
 私はここまで苦しむ事は無かったのに!

 これが、私とアメノセイの出会いだった。

 もっとも、アメノセイは私の事など知る筈も無いのだが。

            ∞

2『メッセージってどうやって送ればいいんだろう? あるいは、砂の惑星』

 不思議な事に――
 アメノセイという固有名詞はハッキリと頭に残っていたのだが、ネットで検索をかけてみても、それらしき人物に[辿{たど}]り着く事はなかった。

 あの高校生達の身内が上げたクローズドサークルの動画だったのだろうか?
 いや、それにしては他人行儀な話し方であり、アイドルの新人について語るような言い草だったように思える。
 しかし、解らないとなると[尚更{なおさら}]に気になってくる。
 届かないと解るからこそ、更に手を伸ばしたくなるのだ。
 とはいえ、実際何も解らず、私は完全に[詰{つ}]んでいた。
 ただ一言、メッセージを送りたいだけなのに、どうやって送れば良いのか解らない。
 大した望みじゃない、気持ちを一つ伝えたいだけなのに。
 私の命をこちら側に引き留めてくれてありがとう、と。

 先頃大手出版社と合併したエンターテイメント企業と縁があり、その立場を利用して色々と調べてみてもアメノセイの情報は全く入ってこない。
 そこで[知{ち}][己{き}]となった研究者は人工知能か何かの開発をしており、大量に生産したAIを[潰{つぶ}]し合わせるシミュレートをしているそうだ。潰し合いの結果、いつも最もゲスな性格のAIが残ると嘆いていた。
 [酷{ひど}]い時代だ。
 AIすら足の引っ張り合いとは。
 東京砂漠とは良く言ったものだが、インターネットで世界が[繋{つな}]がる今、砂漠は世界中に広がっているようなものだ。言うなれば自分は砂の惑星を[彷徨{さまよ}]う旅人といったところだが、[渇{かわ}]きに[囚{とら}]われたままならば、せめてアメノセイの声をもう一度聞いて[癒{いや}]されたい。
 たった一声聞いただけだが、二度と聞けないかもしれないと思うと、無性にもう一度聞きたくなる。男とも女とも取れる声だという事は覚えているが、何しろ聞こえたのはただの一言だけだ。
 だが、その一言は正に恵みの雨のようなものだったのだろう。
 最初から渇き続けていたのなら、何も気付かぬまま砂と化して終わりだったのかもしれない。
 けれども、私は一粒の雨を浴びてしまった。
 一度その味を覚えてしまえば、[潤{うるお}]いを求めて歩き続けるしかないのだ。

 財布の中身を見る。
 預金も合わせれば、お金にはまだ余裕がある筈だ、と考えた。
 この時の私は、電車に飛び込もうとした時とは別の形でどうかしていたのだろう。
 どんな手を使ってでも、アメノセイを探し出すという決意をしていた。
 今思えば、当時の私は新興宗教に入れ込み、浄財と称して金を浪費する信者にも見える。
 信者と書いて[儲{もう}]かると読むとは良く言うが、金を払う事で解決するなら全財産だって惜しくはない。
 運命とやらに導かれる事があるのなら、天空の城にだって行ってやろうじゃないか。
 そう決意していたが、決意と手持ちの財産があるだけで、全くのノープランだった。

 まるで、先の見えない砂嵐の中を歩いているかのようだ。
 それでも私は、前に進むしかなかったのである。
 心残りを、消す[為{ため}]に。

            ∞

3、『アメノセイ占い上半期。あるいは、シャルル』

「シャルルの法則、という物を御存知ですか?」

 目の前の占い師が、口を開くなりそんな事を言った。
 最初に私がお金を使ったものは、街で評判の占い師。
 いきなりオカルト頼りか、と笑われそうだが、金を惜しまぬと決意した直後に目に飛び込んできたのだから仕方が無い。
 どこか東洋の国の民族衣装のようなものを着た占い師は、山神の生まれ変わりという触れ込みであったが、確かに何かオーラのような物を感じさせる……気がした。
 だが、その口から出て来たのは、その雰囲気とはまるで違う、一つの科学法則の名前だった。
「気体の体積は高温になるにつれ[膨{ぼう}][張{ちょう}]するというあれです」
 確かに学校で習ったような記憶がある。
 話を聞くところによると、アメノセイから、五つの[魂{たましい}]を感じるとの事だ。
 [傭兵{ようへい}]や王子、科学者など様々な魂が熱の低下と共に収縮し、一つの新たな魂となってこの世界に根付いた物に違いないと。
「本体は、角のように見えるハネた髪の部分です」
 なるほど、アメノセイには少なくとも髪の毛はあるらしい……と[頷{うなず}]きはしたが、私が求めていたのはアメノセイの居場所であって成り立ちや本体が[何{ど}][処{こ}]かという話ではない。
 どこにいけばその角、いやさアメノセイと会えるのかと[尋{たず}]ねて見ると、占い師はそこで再びシャルルの法則を持ち出し、抽象的な事を言いだした。
「あなたがアメノセイという幻想に熱を抱けば抱く[程{ほど}]、その想いと、追い求める影は膨張していく。気を付けて下さいね。心は世界です。膨張を続ければやがて常識の壁を打ち破り、異なる世界と混ざり合う事となるでしょう。世界は[膨{ふく}]らんだアメノセイという概念に満たされるかもしれませんが、膨らんだ分だけ希薄となったその姿を目に[捕{と}]らえる事は困難になります」
 どういう事なのか良く解らなかったが、『探すなら冷静になれ』という事だろうと私は勝手に納得していた。
 とはいえ、冷静に探しても見つからなかったのだから仕方がない。
 そう思った私を[窘{なだ}]めるように、占い師が続けた。
「愛を[謳{うた}]って雲の上に昇るのは構いませんが、ゆめゆめお忘れ無きように。あなたが想いを[馳{は}]せる人が地上にいたままならば、互いの距離が開いてしまうだけなのですから」
 なんだか[煙{けむ}]に巻かれたような気がしたが、不思議と満足感はあった。

 アメノセイが雨の精という意味ならば、いずれまた、雲の上であえるのだろうから。
 そんな言葉遊びを思い浮かべるだけで、不思議と距離が近づけた気がしたのだ。

            ∞

4、『怪談。あるいは、ハイドアンド・シーク』

 まあ、それは[錯覚{さっかく}]だったのだが。

 実際のところ、占いではアメノセイの概念的な意味を感じ取る事はできても、その正体やどこに行けば会えるのかを探る事はできなかった。
 更に金を[叩{たた}]いて探偵を雇ってみた結果、『海辺の街でそんな[噂{うわさ}]を聞いた』という情報を聞き、追加調査の報告を待たずに私は家を飛び出した。

 噂を求め続けて辿り着いたのは、海辺の大きな水族館。
 突然『アメノセイという名前に心当たりはないか』と尋ねて回る私に水族館の職員達は[怪{け}][訝{げん}]な顔をして首を振ったが、休憩中のイルカ調教師が、[穏{おだ}]やかに[微笑{ほほえ}]みながら話をしてくれた。
 聞く所によると、アメノセイは確かに雨に[纏{まつ}]わる者なのだと言う。
 雨が大地を洗い流した後、最後は海に辿り着く。
 そこに、彼、あるいは彼女は存在しているのだという。
 空に戻れず、[囚{とら}]われ続けているのだと。
 地獄にも行けず天国にも行けず、その海の中で永遠に彷徨い続ける魂。
 その魂を[捕{と}]らえたモノが火の精霊を怖れる為、火の気の無い海の[檻{おり}]に閉じ込めているのだと。

 占いよりも遥かにオカルティックな話になってきた。
 そう思った私に、イルカ調教師が微笑む。
 いいえ、オカルトではなくメルヒェンですよ、と。
 調教師と[戯{たわむ}]れているイルカ達も微笑んでいた気がした。
 しかし、その囚われた魂がアメノセイだと言うのだろうか。
 だとすれば、あの高校生達の動画はどういう事なのだろう?
 というか、そもそも何故あなたがそんな事を知っているのか、と尋ねると、イルカ調教師はやはり微笑みながら答えた。
 イルカ達が教えてくれた。
                   あるいは、深き深き住民達が、と。

 

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