著者/三雲岳斗の作品 「saury fishの夜」(試し読み)

 かすかな歌声が聞こえた気がした。
 聞き覚えのある心地よいフレーズ。昔よく流れていた懐かしい曲だ。
 ソファにもたれてまどろんでいた私は、その声に誘われてゆっくりと目を開ける。
 ぼやけた視界に映ったのは、私に背中を向けている人影だった。お姉ちゃん――と思わず声をかけようとして、私は、その背中が姉とは違うことに気づく。
「……誰?」
 [咎{とが}]めるような私の声に気づいて、あ、と歌声の主が振り返る。
 [幾{き}][何{か}][学{がく}]模様めいた不思議な柄の服を着た、小柄な子だった。
 少年っぽい[華奢{きゃしゃ}]な体つき。中性的な髪型。額のあたりに頑固そうな[寝{ね}][癖{ぐせ}]が、ツノのようにぴょこんと[撥{は}]ねている。
「あ、ごめんなさい。起こしちゃいましたよね」
 ぱっと見、彼だか彼女だかよくわからないその子は、[人懐{ひとなつ}]っこく[微笑{ほほえ}]みながら、少し[慌{あわ}]てたようにそう言った。見慣れたうちのマンションのリビングだ。眠っていた私に気を[遣{つか}]ってくれたのか、その子は部屋の隅っこでクッションを抱えて座っている。
「……セイ? あなた、まだいたんだ」
 まだ半分寝ぼけた意識の中で、私は彼、あるいは彼女、に呼びかけた。アメノセイ。それがその子の名前だ。少なくとも今はそういうことになっている。
「さっきの曲、どうして知ってたの?」
 私はセイを半眼で見つめて、ぶっきらぼうな口調で[訊{き}]いた。セイは少し困ったように目を細め、手に持っていた箱を私に見せてくる。それは小さなオルゴールだった。そこらの雑貨屋でよく見かける、アクリルケース入りのありふれた品だ。
「勝手に聴かせてもらいました。もしかして、まずかったですか?」
「いいよ、べつに……あたしのじゃないし」
 私は[素{そ}]っ[気{け}]なく首を振る。そして次の瞬間、わっ、と勢いよく立ち上がった。のんびりうたた寝している場合ではないと思い出したのだ。
「あれ? どこかに出かけるんですか?」
 慌ただしく[身{み}][支{じ}][度{たく}]を始めた私を見て、セイが不思議そうに[尋{たず}]ねてくる。
「学校!」
 どうして起こしてくれなかったのか、と八つ当たり気味の口調で私は叫んだ。普段より少しだけ早く起きたのが裏目に出た。シリアルだけの簡単な朝食を済ませて制服に着替えたあと、うっかり二度寝してしまったのだ。
「あなたはいいの? 学校とか、行かなくて?」
 スマホと財布を通学用のリュックに突っこみながら、私はふと顔を上げてセイに訊く。
「うーん、どうなんでしょう?」
 セイは頼りなく小首を傾げて、[他{ひ}][人{と}][事{ごと}]のように[呟{つぶや}]いた。
「わかるわけないか。記憶喪失だもんね」
 私は意地悪な口調で言った。セイの[無{む}][頓{とん}][着{ちゃく}]な態度が、少しだけ気に[障{さわ}]ったのだ。
 しかしセイは気にした[素{そ}][振{ぶ}]りも見せず、玄関に向かう私を呼び止める。
「あ、[結{ゆい}][花{か}]さん。待ってください」
「え?」
「今日はニワトリの鳴き真似を試してみるといいと思いますよ」
「……なに、それ? 占い?」
「ラッキーアイテムはイワシの頭です」
「いや、それアイテムって言わないから」
 どういう理屈でそうなったんだよ、と心の中でツッコミながら、私は玄関を飛び出した。

    ☆

 アメノセイと出会ったのは、一昨日の夕方。学校帰りに立ち寄ったスーパーからの帰り道だった。線路の[高{こう}][架{か}][下{した}]のトンネルの中で、セイは突然、私に話しかけてきたのだ。
「ボクのことを、呼びましたか?」
 それが私に対するセイの第一声だった。
「え?」
 そのときの私は、思いきり無愛想な目つきをしてたんじゃないかと思う。ナニイッテンダコイツ、というのが、いきなり声をかけられた私の正直な感想だった。
 しかしセイは、なにかを期待したようなキラキラとした[眼{まな}][差{ざ}]しを私に向けていた。
「今、名前を呼ばれたような気がしたんです。とても大切な、[懐{なつ}]かしい名前を」
「べつにあなたのことなんて呼んでないけど。雨のせいで迷惑だな……って言っただけで」
 私は立ち止まって、目の前の大きな水たまりを指さす。
 無視して通り過ぎようと思わなかったのは、セイがいかにも[人畜{じんちく}][無{む][害{がい}]な、人懐こい雰囲気を[漂{ただよ}]わせていたせいだった。なにか困っているようにも見えたし、ナンパ目的の男たちのような、がっついた気配も感じない。
「雨のせい……あめの……せい……」
 セイは真面目な表情で、私の言葉をぶつぶつと繰り返す。
「もしかしてそれがあなたの名前? アメノセイっていうの?」
 私はなんとなく興味を覚えて訊いてみた。
 不思議な響きだが、変わっているというほどでもない。アメノという苗字もセイという名前も、ごく普通にありそうだ。雨野誠……聖、星、いや、晴だろうか。
「うーん……そう、なんですかね。聞き覚えがある気はしますけど」
 私の言葉を[反芻{はんすう}]するように、セイは真顔で考えこむ。
「は? どういうこと? 自分の名前でしょ?」
「アメノ……セイ……ボクの名前……」
「覚えてないの?」
 [呆{あき}]れたように訊き返す私に、セイはあっさりとうなずいた。
「はい。なにも」
「なにも……って、全部忘れてるってこと?」
「そうみたいです」
「自分がどこの誰かもわからないわけ?」
「ええ、まあ」
「[記{き}][憶{おく}][喪失{そうしつ}]?」
「ああ……!」
 それです、それ、とセイが納得したように手を[叩{たた}]く。私は軽く[苛{いら}][立{だ}]って溜息をついた。
「ああ、じゃなくてさ」
「なんとなく、なにかやらなきゃいけないことがあるのは覚えてるんですけど」
「いや、そんなの覚えてるうちに入らないし」
「ですよね……」
 私に強い口調で否定されて、セイはしゅんと肩を落とす。
「大丈夫なの、それ? 頭とか打ってない?」
 さすがに少し心配になって、私はセイの頭に手を伸ばす。外傷性の記憶喪失だとしたら、脳がダメージを受けてるということだ。最悪、命に関わるかもしれない。
「ここ……[腫{は}]れてるよね。こぶ……っていうか、ツノみたいな」
「あ、本当だ……ちょっとカッコイイですよね、これ」
 ツンと[尖{とが}]った前髪の部分に触れて、セイはなぜか得意げな顔をする。
「そんな[呑気{のんき}]なこと言ってる場合じゃないから。痛くないの?」
「はい。全然」
「本当に……?」
 平然としているセイのツノに、私は[怖{お}]ず怖ずと触れてみた。柔らかくも硬くもない不思議な手触りだ。中学時代の修学旅行で訪れた、[奈{な}][良{ら}]公園の鹿の角をなんとなく思い出す。
「熱は……ないみたいだね。病院、行く?」
 病院という言葉が出た途端に、セイはぶるぶると首を振った。私は[頬{ほお}]に手を当てて考えこむ。
 セイのツノは昨日今日に出来たという感じでもないし、ひとまず放っておいてもいいのかもしれない。だいたい本当に記憶喪失だとして、いったいどこの病院に行けばいいのか。
「まあ、なんにしても、早めに家に帰ったほうがよくない?」
「家……ですか?」
 セイがなぜか意外そうに目を[瞬{まばた}]いた。
「自分の家も思い出せないの?」
 私は鈍い頭痛を感じた。考えてみれば当然のことだ。自分の名前すら忘れているのに、住所を覚えているはずもない。
「うち来る?」
 私はほとんど[溜息{ためいき}]のような口調で訊いた。え、とセイが不思議そうに眉を上げる。
「自分ん[家{ち}]がどこにあるかもわからないんでしょ。とりあえず今夜はうちに泊まってけば、って言ってるの。もう、暗いし」
「いいんですか?」
「いいけど、おもてなしとか、そういうのは期待しないでよね。食事だってこんなんだし」
 私は、手に持っていた買い物袋をセイに突きつける。中身はスーパーで買った半額セールのお弁当とお[惣菜{そうざい}]だ。
「――ねえ、あなたって、男の子? 女の子?」
 私はふと大事なことを思い出して、セイに訊く。自分から誘っておいて今更だが、さすがに見知らぬ男子を家に入れるのは問題ではないかと思ったのだ。
 しかしセイはその質問に、本気で困惑したように考えこむ。
「どっち……なんでしょう?」
「はあ?」
 真顔で訊き返してくるセイを[睨{にら}]んで、私は腹の底から深々と[嘆息{たんそく}]した。
「もういいよ。どっちでも」

    ☆

「[高{たか}][津{つ}]ぅ……高津[真{ま}][帆{ほ}]は、今日も欠席かぁ?」
 クラス担任の[中原{なかはら}]が、間延びした口調で生徒の出欠を確認する。その中原の目を盗んで、後ろの席の[麻生{あさお}]ユキが私の背中をつついてきた。
「ねえ、結花」
「んー?」
「高津真帆、なにやってるの? 一週間くらい見てない気がするけど」
「わかんない」
 私は、さりげなく振り返って小声で言った。幸いにも教室内がざわついているので、私たちの会話には誰も気づいていない。
「あんたも知らないの? [喧{けん}][嘩{か}]した?」
「違うけど、しばらく会えないって言われてて」
「えー……なになに? どういうこと?」
「真帆、家にこもって勉強するんだって。模試の対策」
 しつこく追及してくるユキに、私は[渋々{しぶしぶ}]と説明する。
「なんだよー。うちらみたいなのと一緒にレベルの低い授業なんか受けてられないって?」
「そうは言ってなかったけど」
 歯切れの悪い口調で私が言うと、ユキは皮肉っぽく唇を曲げた。
「でも同じことじゃん。さすがはお嬢様ですなあ」
「だから、そういうんじゃなくて。ほら、真帆、留学しろって親に言われてるらしいし」
「あー……高津のお母さん、厳しいもんね。中原はそれ知ってるの?」
 ユキの声に同情するような響きが混じった。私は小さく首を振る。
「知らないと思う。学校には言えないよ、授業さぼって留学の準備とか」
「でも、とりあえず生きてはいるんだ」
「そりゃ生きてるでしょ」
「いやいや、わかんないよ。最近、[物騒{ぶっそう}]な事件が多いし。[引{ひ}]き[籠{こ}]もりの子どもを親が刺したり刺されたりとかさー」
「やめてやめて。怖い怖い」
 冗談めかしたユキの言葉に、私はわざとらしく[怯{おび}]えてみせた。ユキはひとしきり満足そうに笑って、それから[気{け}][怠{だる}]げに頬杖を突く。
「でも、そっか。残念だな。例の大学生の話、聞きたかったんだけどな」
「大学生?」
「ほら、高津んとこの家庭教師」
「ああ……」
 親に無理やり家庭教師をつけられたのだと、真帆が[愚{ぐ}][痴{ち}]っていたことを私は思い出す。ちょうど先月あたりから授業が始まっていたはずだ。
「けっこうイケメンなんだって。ちょっと会ってみたくない?」
「どうかな……写真見せてもらったけど、あたしは好きじゃないな、ああいうの」
 私は正直に思ったことを口にする。たしかに顔立ちは整っていたし、きっと頭もいいのだろうが、なんとなく[嫌{いや}]な感じがしたのだ。
「おー、[嫉{しっ}][妬{と}]か? 高津を取られちゃうかもしれないから?」
 ユキがニヤニヤと笑って私をからかう。
「なんだよ、それ」
 ユキの言葉を[鬱陶{うっとう}]しげにあしらいながら、心のどこかで、そうなのかもな、と私は思った。

    ☆

 放課後。学校から帰ってきた私を、セイはマンションの門の前で待っていた。
「ああ、結花さん。お帰りなさい」
「ん、ただいま……って、なにやってんの?」
 [所在{しょざい}]なげに膝を[抱{かか}]えているセイを、私は[怪{け}][訝{げん}]な顔で見下ろして訊く。セイはマンションの自動ドアを、どこか[恨{うら}]めしげに振り返って[睨{にら}]み、
「外に出たら、入れなくなってしまって」
「この建物、オートロックだって言わなかったっけ?」
 私はやれやれと肩をすくめて、マンションのカードキーを取り出した。ドアを開けて建物に入る私に、セイは当然のようについてくる。手のかかる野良猫を拾った気分だ。
「なんで外に出ようと思ったわけ?」
 エレベーターの到着を待ちながら、私は責めるような視線をセイに向けた。セイは、なぜだろう、と自分でも不思議そうな表情を浮かべて、
「ちょっと、探しものに」
「……記憶、戻ったの?」
 私は驚いて目を見張る。しかしセイはあっけらかんと首を振った。
「いえ。それは全然」
「でもなにを探すのかはわかってるんでしょ?」
「うーん……」
「わかってないのに探しに行ったのかよ……見つかるわけないじゃん」
 私は[殊更{ことさら}]にうんざりした表情を浮かべた。
「そうですよね……でも、早く見つけなきゃって思ったんです。とても大切なことだから」
 セイは普段どおりに淡々とした――だが、どこか思い詰めたような口調で呟いた。
 私はそっと溜息をついて、自宅のドアを開ける。
「……入れば?」
「お邪魔します」
「はい、これ」
 無遠慮に部屋に上がってきたセイに、私は持っていた買い物袋を押しつけた。セイは[戸{と}][惑{まど}]いながらそれを受け取って、
「なんですか?」
「あなたの夕飯。イワシ、食べたいんじゃなかったの?」
「ボク、そんなこと言いましたっけ?」
「言った」
 今朝、セイが語った占いめいた言葉を、私は夕飯のリクエストだと解釈したのだ。
「でもこれ、イワシじゃなくてサンマですよ」
「似たようなものでしょ」
 私は強引にそう主張する。スーパーのお惣菜コーナーに、イワシが売ってなかったのだから仕方ない。
「結花さんは食べないんですか? 一匹だけしかないですけど……」
 そのまま制服を着替えに行く私に、セイがわざわざ訊いてくる。
「あたしはいいや。魚食べるの[下{へ}][手{た}]だから」
「美味しいですよ。健康にもいいですし。イワシに含まれているオメガ3脂肪酸には、認知症の予防や、記憶力を高める効果があるらしいですよ」
「記憶喪失の人にそんなこと言われても……てか、ついてくんな!」
 私はセイを追い出して、自室のドアを乱暴に閉めた。
 自分以外の人間が家の中にいるという状況にまだ慣れていないので、どっと疲れる。だが、不思議と悪い気はしなかった。
 部屋着に着替えてリビングに戻ると、セイは食事の支度をしながら、ご機嫌で鼻歌を歌っていた。今朝、オルゴールで流れていたあの曲だ。
「その歌、気に入ったの?」
 私は特に意味もなく訊いてみる。セイは迷いなくうなずいて、
「[綺{き}][麗{れい}]な曲ですよね。誰が歌ってるんですか?」
「誰でもないよ。それってボカロ曲だから」
「ぼか……ろ?」
「ヴァーチャルシンガーってやつ。本当の人間じゃなくて、そういうプログラムが歌ってるの」
 私はスマホを操作して、動画配信サイトのアプリを立ち上げた。ヴァーチャルシンガーの女の子が歌っているMVを検索して、セイに渡す。
「これってプログラムの声なんですか」
 初めて耳にする電子の歌声を、セイは興味深げに聴いていた。記憶喪失のくせにプログラムはわかるのか、と私は変なところで感心する。が、
「それで、そのヴァーチャルシンガーの人はどこにいるんです?」
「どこ……って、インターネットの中でしょ」
 やっぱりコイツなにもわかってないな、と私はすぐに認識を改めた。
 セイはきょとんと目を丸くして私を見る。
「インターネット?」
「この画面の中。電子の海ってやつ」
「へえ……こんにちは、ボク、アメノセイっていいます」
 ヴァーチャルシンガーの女の子に向かって、セイが愛想よく呼びかけた。
 いやそうじゃない、と私は言いかけて、まあいいか、と途中で思い直す。本人が満足しているのだから、無理に訂正する必要もないだろう。
 それからしばらくの間、セイは[喰{く}]い入るように少女のMVを見つめていた。だがその少女の歌声は、唐突なニワトリの鳴き声で中断される。スピーカーから流れ出した[謎{なぞ}]の異音に、セイは硬直して動きを止めていた。
「い、今の音はなんですか?」
「スマホの通知。たぶん、ママから」
 私は画面を確認もせずに、買い物袋から取り出した炭酸水を[啜{すす}]った。
 セイの占いとやらを本気で信じたわけではなかったが、なんとなく気分で、スマホの着信音をニワトリの鳴き声に変えておいたのだ。慌てふためくセイの姿が見られて、たしかに少しだけ得した気分になる。
「えーと、返事しなくていいんですか?」
「どうせいつもと一緒だから。今日も帰らないって連絡だけ」
「それってちょっと[寂{さみ}]しいですね」
「べつにいい。慣れてるし。お姉ちゃんが死んでからずっとこんな感じ」
 平坦な口調でそう言いながら、私はテーブルに置かれたオルゴールを見た。それはあの人が好きだった曲だ。
「お姉さん、亡くなったんですか?」
「交通事故。べつによくある話だよ。できのいい姉が死んで、どうでもいい妹が生き残って、そのせいで両親が喧嘩して別居状態。この家に帰りたくないんでしょ」
 寒々しいリビングを見回して私は笑う。最後にここに家族全員が揃ったのがいつだったのか、私にはもう思い出せない。
「仕方ないよね。あの[両{ヒ}][親{ト}]たちの気持ちもわかるもん。お姉ちゃんは美人で賢い自慢の娘だったから。あたしにもいつも優しかったし」
「結花さんも優しいですよ」
「いや、そういうのいいから」
「サンマも買ってきてくれましたし」
「そんな雑な理由かよ」
 私は顔をしかめて苦笑した。
「まあいいや。セイもあたしが嫌になったら出て行っていいからね。身近な人が、突然いなくなるのは慣れてるから。真帆だって……」
「引き止めなかったんですか」
 セイが私の言葉を[遮{さえぎ}]って訊き返してくる。
「……え?」
「ご両親が出て行くのを、どうして引き止めなかったんですか?」
「そんなこと……できるわけないじゃん。ガキじゃないんだし」
 私はセイから目を[逸{そ}]らして、半ば自分に言い聞かせるように吐き捨てた。セイはそんな私を、気遣うようにジッと見つめて、
「言いたいことはちゃんと言葉にしないと伝わりませんよ」
「生意気……記憶喪失のくせに」
 私は思わずムッとしてセイの頭をぐりぐりと[小{こ}][突{づ}]いた。セイが情けない悲鳴を上げる。
「あ……ちょっと、ツノはやめてくださいよ。そんなとこ握っちゃダメですってば」
「はー……バカバカしい」
 セイの髪から手を離し、私は、はあ、と天井を[仰{あお}]いだ。自分の性別すらわかってないような子にお説教されて、なにも言い返せない私が馬鹿みたいに思えてくる。
 MVの再生は、いつの間にか終わっていた。テーブルに置かれたスマホを回収しようとして、私は何気なくその画面に目を留める。
 動画の再生画面に重なるようにして、メッセージの着信が通知されている。その差出人の名前に気づいた瞬間、私の心臓が大きく撥ねた。
「結花さん?」
 表情を[強{こわ}][張{ば}]らせた私を見て、セイが心配そうに呼びかけてくる。しかし私はなにも答えない。ただ[独{ひと}]り[言{ごと}]のように[呆然{ぼうぜん}]と呟くだけだ。
「このメッセージ……どうして……?」
「お母さんからじゃなかったんですか?」
「うん、違う……違うけど……」
「なにかあったんですか?」
 セイの口元から微笑みが消えた。私は[曖昧{あいまい}]に首を振って立ち上がり、もう一度制服に着替えるために自室に戻る。このまま食事を続ける気にはなれなかった。胸の奥がざわついて、いてもたってもいられない。
 メッセージの差出人は真帆だったのだ。ただし送られてきた本文は空だ。その無言のメッセージが、私には彼女の悲鳴のように感じられた。
「出かけてくる」
 着替えを終えて出てきた私は、セイに一方的にそう宣言した。
「もうわりと遅い時間ですよ」
 セイが妙に常識的な態度で言ってくる。
「それでも真帆と話がしたいの。友達だから」
「友達……」
 セイはなにかに気づいたように、不意に真顔になって私を見た。

 

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