選考委員奨励賞 著者/浜矢スバル 翡翠の姫は夢を見る

 昨年、前の天皇陛下は御皇位を退かれ、皇太子殿下がその後を継がれました。
 御皇位の継承には古代から[連綿{れんめん}]と受け継がれる、[勾{まが}][玉{たま}]、鏡、剣の三種の神器が用いられ、年号も令和と改められました。
 そして――国の慶事と並べて書くのは[僭越{せんえつ}]なのですが――私の家族にとっても、今回の皇位の継承に伴って新しい生活が始まる事になりそうなのです。

「私とゲームをして下さい」
 淡い色彩のティカップに、華奢なスプーンで砂糖を落としながら姉が言いました。対面に座っている男性とは目を合わせずに。
それは「お見合い」の席での事――いえ、[仲人{なこうど}]を立てて、お互いの釣書を交換して、という正式なものではありませんので、厳密にはお見合いとは違うのかもしれませんが、とにかく姉に男性が紹介される場。
 長い黒髪にほんの僅かの化粧。[萌{もえ}][葱{ぎ}][色{いろ}]が基調のチェック柄のチュニックのワンピース。身内を褒めるのもなんですが、姉がこういう服を着ると、とても綺麗で気品というものすら感じます。
「亡くなった祖父によると、うちの蔵の中にとても貴重な宝物があるのだそうです。貴方にその宝物を探し出して欲しいんです」
 [上{じょう}][越{えつ}]市の小さな洋食のレストラン。クリーム色の机と椅子。統一感のある食器に、並べられたワインボトル。姉の希望で、そこにいるのは姉――[衿角{えりすみ}][翠{みどり}]と妹の私――[翡那{ひな}]、相手の男性、それに、その男性の紹介者になる姉の上司だけ。
 相手の人は姉の職場の取引先の男性。姉を一目見て気に入ったとかで、姉の上司に頼みこんでこの席を用意してもらったのだといいます。お互いの挨拶が済み、コース料理を食べ終え、デザートに口をつけ――普通なら「後はお若い二人で」とでもなる頃合い。
「それは[糸{いと}][魚{い}][川{がわ}]の歴史に深くかかわり、この国の[礎{いしずえ}]になるような品だといいます」
「姉さん、それはちょっと」
 いくらなんでも[大{おお}][袈{げ}][裟{さ}]――そう言おうとした私の言葉を遮り、姉が続けます。 
「祖父は、様々な歴史に研究をしている人でした。その品は祖父の研究対象でもあったんです。ただ、それが何なのかは私達も知りません。知っているのは父だけなんです」
 こんなことを言って大丈夫なのでしょうか?
うちは確かに旧家ですが、名家などとは言えない家系。そんな家に、国の礎になるような宝物がある訳がないと思うのですが。
「次の皇位継承の際、自分の研究を発表して欲しい。それが祖父の生前の希望でした」
 姉が紅茶をかき回すたびにカップにスプーンの当たる音がします。
「婿を迎えるなら、モノの価値が分かる男にしろ。男と付き合うならば、蔵の中から、一番の宝を見つけ出せるような者ではなくてはダメだ――それが、祖父の口癖でした」
 姉が一瞬視線をあげ、男性にぎこちなく微笑みました。
「もし、貴方がうちの蔵の中にある品の中から、一番の宝――祖父の研究していた品を選び出すことが出来たなら、私は貴方と結婚を前提としたお付き合いをさせて頂きます」
 姉は、大きく息をつき、何度もかき回した紅茶に口をつけます。
 傲慢な言い草。ただ、仕方がないとも思います。平静を装っていますが、姉はかなりの対人恐怖症。これだけの事を言うのにも、相当な緊張を強いられている筈です。
 ゲームという形にすれば相手と紹介した方の顔を潰さず交際を断ることができる――姉にしては、まあ上出来ではないか。
 この時は、そう思いました。でも、後から考えると、この時、姉は勿論、私も男の人の心理というものを良く理解していなかったと言わざるを得ません。この『宝探し』は、その後、何年も続く我が家の騒ぎの原因になるものだったのです。

 昔々、糸魚川の地に、見目麗しく、しかも賢い女神様がお住まいだったといいます。名前は[奴奈{ぬな}][川{がわ}]姫。
彼女の噂を聞きつけた、建国の神、大国主命が遠い国からこの地を訪れ、女神の住まいの外から情熱的な愛の歌を詠み、女神もまた[嫋{たお}]やかな歌で応じ、二柱の神は結ばれた。物心つく頃から何度も聞かされた、美しき[古{いにしえ}]の物語。幼かった私も、胸を[昂{たか}]ぶらせて時の彼方の情景に思いを[馳{は}]せたものです。
 でも、この物語に続きがある事は小さな頃は教えてもらえませんでした。成長して、歌の意味とその後の二柱の神の話を聞き、私の中の物語への憧憬は失われました。

[八千{やち}][矛{ほこ}]の神の[命{みこと}]は[八{や}][島{しま}]の国 [妻{つま}][枕{ま}]きかねて [遠遠{とおとお}]し [高志{こし}]の国に [賢{さか}]し[女{め}]を ありと聞かして [麗{くわ}]し女を ありと聞こして さ[婚{よば}]いに あり立たし 婚いに あり通わせ 太刀が緒も いまだ解かねば [嬢{おと}][子{め}]の [寝{な}]すや板戸を 押そぶらい 我が立たせれば 引こずらい 我が立たせれば 青山に[鵺{ぬえ}]は鳴きぬ さ野つ鳥 [雉{きざし}]はとよむ 庭つどり [鶏{かげ}]は鳴く [心痛{うれた}]くも 鳴くなる鳥か この鳥も 打ち止めこせね いしとうや [天馳使{あまはせづか}]ひ 事の[語{こたり}][事{こと}]も [是{こ}]をば

 八千矛の神とは、大国主命の事。これは、大国主命が奴奈川姫に贈った歌。
 遠い国から麗しい女性がいるという噂を聞いた大国主命がやってきて、旅装も解かないまま、乙女の家の板戸をゆさぶっても相手にされず立ちつくす。乙女から何の返事もないまま、朝を告げる鳥が鳴くのが腹が立つ。打ちたたいてやろうか。
情熱的というよりは、短気で強引で粗暴。そう感じる私はおかしいのでしょうか。噂で聞いた美しい女性の家をやってきて家の戸を揺さぶるなど、まるでストーカーだと思うのですが。

[八千{やち}][矛{ほこ}]の 神の[命{みこと}]は ぬえ草の[女{め}]にしあれば 我が心 [浦{うら}][渚{す}]の鳥ぞ 今こそは [我{わ}][鳥{どり}]にあらめ 後は [汝{な}][鳥{どり}]にあらむを [命{いのち}]は な[殺{し}]せたまひそ いしたふや [天馳使{あまはせづか}]ひ 事の [語{かたり}][言{ごと}]も[是{こ}]をば
青山に 日が隠らば ぬばたまの 夜は出でなむ 朝日の [笑{え}]み栄え来て [綱{たくずの}]の 白き[腕{ただむき}] 淡雪の 若やる胸を そだたき たたきまながり [真{ま}][玉{たま}][手{て}] 玉手さし[枕{ま}]き [百長{ももなが}]に [寝{い}]は[寝{な}]さむを あやに な恋い聞こし 八千矛の 神の命 事の [語言{かたりごと}]も [是{こ}]をば

 こちらは奴奈川姫が大国主命に返した歌。
 自分を風になびく草や水辺の鳥に例え、打ち叩いたりしないで。夜には貴方様をお迎えします。どうぞ笑いかけて下さい、と訴えています。楮のように白い腕、淡雪のような胸。私の手を枕にして、脚を伸ばしてお休みください。そんなに強く恋い慕ってくださらないで。
わがままな男の求めに抗うことが出来ず、へりくだり自分の可憐さをアピールして、少しでも被害を受けないようにしているか弱き女性。私には、この歌がそう受け取れます。
 神話には女神のその後も伝えられています。
 大国主命は、大変に女性にモテる神様。他にも多くの女神を口説き落としているのです。
 大国主の元に嫁いだ奴奈川姫は、本妻の[須勢理毘売{すせりひめ}]に[苛{いじめ}]められ、故郷に逃げ帰ってきたのだとか。
 どの時代にも、我儘な男に振り回され、傷つけられる女性はいる。
 私はそう思うのです。

「ねえ、ゴミ、もっていくよ」
 屋内に向かって声を張りあげ、靴を履き、ゴミ袋を掴むと外に出ました。今日は、週一回のプラスチックゴミの収集日。八時までに集積場にゴミを出さなければなりません。
 現在、父と姉が暮らす私の実家は、戦前に建てられた築八十年ほどの木造家屋。
 鎧張りという作りで、外壁には腰くらいの高さまで横に長く板が張られています。そこから上は[漆喰{しっくい}]の壁。[瓦{かわら}][葺{ぶき}]の屋根。黒い柱と鎧壁の板とのコントラストが映えています。敷地内には、母屋に納屋、今は使われていない井戸。それに先祖伝来の品が納められた蔵。庭にはアオダモやナツツバキ、それに私が名前も知らぬ[灌木{かんぼく}]。
 友人を連れてくると驚かれます。『古民家みたいだ』と喜ぶ人もいます。ええ、そうです。見た目だけなら、しっとりと落ち着いた雰囲気で確かに悪くないのです。
 でも、実際に住むとなると、それはもう大変。
 ここ糸魚川市は日本海に面した町。夏はフェーン現象で極端に暑くなり、冬は寒くて積雪も相当なもの。この古い家屋は、夏場は温室の中ように蒸し暑くなり、冬は水道管が凍結するほど冷え込みます。
 他にも瓦が落ちたり、雪に圧迫されて窓が割れたり、壁にひびが入ったり、年に何度かはどこかしらが壊れ補修が必要になります。
 壁を塗る職人さんも、古い瓦を扱う業者さんも少なくなり、庭木の手入れも面倒。『手間も金もかかる』と父を嘆かせる家なのです。
 生垣の向こうで、お隣の小母さんがこちらに手を振ります。母が幼い頃に亡くなった為、私は祖父と父、姉、親戚と、この隣の小母さんの手を[煩{わずら}]わせて育ってきました。
「おはようございます」
「翡那ちゃん。夏休みはいつまで家にいるの」
「お盆過ぎ位までは」
 私の家系――衿角家は、元は越後国糸魚川藩の商家。
 藩政時代には、刀剣や槍などの武器を扱い、藩の武士に納める商いをしていたと言います。往時には藩内のみならず、近隣の藩や富山方面にも刀剣を売り[捌{さば}]いていたといいます。
 ただ、江戸時代も半ばを過ぎると、刀剣の需要は少なくなり、先祖の主な収入は[専{もっぱ}]ら刀を砥ぐ事だったそう。
 明治の廃刀令の後は、糸魚川の街中で商店を営む傍ら、近辺の農家を廻り包丁などの刃物や、鎌や[鉈{なた}]、[鍬{くわ}]などの農具の手入れをして収入を得ていたといいます。
 勿論、歴史の本に載るような家ではありませんが、それでも、生前の祖父はこの家系をとても誇りにしていたのです。
 私達の祖父、衿角[福一郎{ふくいちろう}]は元は中学校の校長。そして郷土史家でもありました。
 退職する以前から、地元の郷土史の研究会に所属して、地元の新聞や歴史関連の出版物に寄稿し、退職した後は図書館で歴史や自然、文化などの資料を漁ったり、地域の子供会の父兄と協力して、小学生を集めて史跡を巡ったり博物館を訪ねたり、地域に自生している樹木を調べたり――そんな活動をしていました。
 祖父がこだわっていた分野は二つ。
 一つは江戸時代の糸魚川藩。もう一つは朝廷や天皇家の成立、特に古来より皇位が継承される際に用いられてきた勾玉、鏡、剣という三つの秘宝――三種の神器について。
 ただ、祖父は自分の研究の詳しい内容は、私達にも明かしてくれませんでした。
 その内容を知ってるのはうちの父一人。
 私が知っているのは、それが蔵の中の「一番の宝物」についての研究であるという事と、父が祖父の希望に沿って、今回の皇位の継承にあわせて、もうすぐ、祖父の論文を郷土史の研究会の機関誌へ掲載することを依頼している事。それだけなのです。

「翡那。久しぶり」
 ゴミを出し終えて家に戻る途中で、後ろから声をかけられました。振り返ると、そこに懐かしい顔がありました。
「[陸{りく}]。帰って来てたんだ」
 眼鏡をかけた柔和な顔。少しクセのある髪。薄い柄のシャツが似合っています。
 陸。[児{こ}][島{じま}]陸。遠縁の子で私達の幼馴染。私より二つ年上なので来年には首都圏の大学を卒業する筈です。直接会うのは今年のお正月以来でしょうか。
「どう翡那。少しは女らしくなったかな」
「なったかなじゃなくてさぁ、そういう時は、お世辞でも[綺{き}][麗{れい}]になったねとか、大人ぽくなったねって言うもんじゃないの」
 いつも[微笑{ほほえ}]みを含んでいる陸の口元が、さらに[綻{ほころ}]びました。
「お土産があるけど」
私の目の高さに銘菓の紙袋が掲げられました。
「姉さんなら家にいるよ」
「いや、翠さんだけではなくて、翡那にも、おじさんにもね」
「でも、一番の目的は姉さんでしょ」
「そりゃ、まあ、翠さんにも会いたいけど」
 陸が、視線を逸らし、眼鏡を指先で押し上げます。横を向いたその頬に赤みが差しています。相変らず感情の読みやすい奴じゃ。
「陸の方こそどうなの。少しは[逞{たくま}]しくなった?」
 子供の頃の陸はいつも小脇に本を抱え、暇さえあれば、それを読んでいたよう記憶しています。勉強好きな大人しい子――祖父のお気に入りで、我が家に来ては様々な事を教わっていました。
「さあ、どうだろう。でもまあ、合気道は続けているよ」
「良い事を教えてあげようか――」
 逸らされていた視線が、こちらに向きます。
「姉さんね。翡翠の小石をまだ大事に持っているんだよ。陸が、ずっと前に姉さんにあげたやつ。紙に包んで、机の引き出しの一番上に入れていて、時々出して眺めて――」
「チガーーウ。チガウダロオーーー」
 私達の久しぶりの会話は、場違いな大声で途切れました。
「チガウ。違う。オイ。全然違うじゃねえか」
 初めて見る男がこちらを睨んでいました。
 二十代の後半でしょうか。長い茶髪に荒れた肌。色褪せたダメージジーンズ。[皺{しわ}]だらけのシャツに化繊の大きなショルダーバッグ。どこかトカゲを連想させる顔。
 何よりも目つき。この男の目は「大国主の目」です。
「彼氏がいるのかよ。それによぉ。髪が短い。切ったのかよ。これじゃ姫じゃねぇよ」
 トカゲ男が無遠慮に歩み寄ってきます。陸が私の前に立ちました。
「姫っていうけどよぉ。話と全然違うだろぉ。姫じゃねえよ。だまされたよ」
「あなた、色々と間違っていますよ」
 陸の背後から、私が口を開きます。
「間違ってねえよ。表札に[衿角{えりすみ}]って出てっじゃねえか」
 トカゲ男がうちの表札に向けて顎をしゃくります。
「間違っています。私は、あなた方の言う『姫』ではありません。それに、この人は、私とも姉とも恋愛関係にはありません」
「姉?」
 一瞬の間をおいて「しまった」と思いました。
 失言です。勘違いさせ、幻滅させたままの方が良かった。私は、本当に間が抜けています。感情的になるといつもこうなんです。
「なんだ。あんたは姫の妹かよ。それを早く言えよ」
 トカゲ男の口角が上げて笑いました。不揃いの歯が剥き出しになります。
「じゃあまず、姫に会わせてよ」
「お断りします」
「あぁん、何だよ。『宝探し』の方が先だってのか。なら、蔵を見せてもらおうか。俺がお宝を当ててみせるよ」
「お断りします」
 トカゲ顔の眉間と鼻に皺が寄りました。
「一番高いお宝を当てれば、姫と付き合えるってゲームをしてんだろ。それを俺もやるっていってんだよ」
「蔵の中の品は、うちの家宝です。見ず知らずの人に見せられる訳ないでしょう」
 祖父が亡くなって後、父は、蔵の中の品のリストを作り、蔵の扉に施錠し厳重に管理しています。私達も容易には入れません。
「それに、うちでは姉の交際相手を公募しているわけではないんです。人の紹介もなしにいきなり来て、姉と合わせろ、家宝を見せろというのは、いくらなんでも無礼でしょう」
「紹介なんかなくてもいいじゃんか、俺は、信頼できる人間だよ」
 私に近寄ろうと回り込むトカゲ男を、陸が、右腕を伸ばして押し止めました。
「無理を言うもんじゃないですよ」
「じゃあ、俺に、どうやって宝を見つけ出せっていうのよ。姫とつきあえねえじゃんよ」
 トカゲ男が、陸を間に挟んで私を睨みつけました。私も負けずに睨み返します。 
「だから、貴方はそもそも『宝探し』に参加できないんです」
「ネットでは、この家の蔵で『宝探し』に挑戦した奴もいるって書かれていたぞ。なんで、そいつは良くて俺はダメなんだよ」
「デタラメです。ネットに載せられている姉の写真も、盗み撮りされたものです。そんなものを信じないで下さい」
「じゃあ俺に、このまま帰れってか。姫の家を突き止めて、わざわざ来たってのに」
「お気の毒ですけれど、そういう事になりますね」
「ふざけんじゃねえ」
 低い声の直後、腕が引っ張られました。
 私の視界が陸の背中でふさがり、鈍い音がしました。陸が倒れ、その眼鏡が私の足元に落ちました。
 トカゲ男が持っていたバッグを私に向けて振りかざし、陸が、咄嗟に私を庇ってバッグに当たった――状況を把握するのに、しばらくの時間がかかりました。
「人を舐めやがってよ」
 トカゲ男が倒れた陸の背中を踏みつけます。キャーという甲高い悲鳴が上がりました。
「ちょっと、あんた何してんの」
 隣の小母さんが駆け寄ってきました。
「ケ、ケーサツよ。翡那ちゃん、警察を呼んで」
「こいつらが俺をバカにしたんだ。俺は悪くねえよ」
 そう言い残すと、トカゲ男は踵を返し速足で去っていきます。
「警察。警察。翡那ちゃん、携帯持ってる」
「待ってください――」
 そういうと地面の眼鏡を拾いながら、陸が立ち上がりました。上着が土埃で汚れ、口元から血が流れています。
「[大事{おおごと}]にしないほうが――大丈夫ですよ。僕なら」

 今までの姉のお見合い相手は三人。蔵の中から最も貴重な宝を見つけ出す『宝探し』は四回行われ、その全てが失敗に終わっています。
 蔵の中にある品物は、まず様々な長さの七振りの日本刀、槍が三本。勿論、全て県から登録証を得ています。二十個ほどの[砥{と}][石{いし}]。これらは、先祖から受け継いだもの。[唐{とう}][箕{み}]や[千{せん}][歯{ば}][扱{こ}]き、足踏み式の脱穀機、石臼など明治頃の農具。
 それに砥石とは違う自然石が三十個ほど。白、赤、黄、緑、多彩な色の石に面白い形の石。大半は、祖父が近辺の山や海辺を歩いて見つけてきたものと思います。大きさはバラバラで小石から、ちょっとした岩程度ものまで。目を引くのは緑色の石。私の片手に収まる程度なのに、見た目よりも重く持ちあげるのに苦労します。
一番大きなものは灰褐色の石。私と姉は、これを「ガタ石」と呼んでいます。
 あるじゃないですか。ボーリング場のレーンの横にガターと呼ばれる溝が。この石の上には、それと似たような半円形の溝が一直線に入っているのです。
 だからガタ石。
 林檎くらいの大きさの球が、うまく収まってコロコロと転がりそうな溝。一体、どうして石にこんな溝が出来たのでしょう。
 蔵の二階には祖父の膨大な蔵書があります。この地方の自然、日本刀に関するものに、古代史や大和朝廷と天皇家の成立に関わる本が多数。三種の神器と、古代の勾玉、鏡、剣についての専門書もあります。
 姉の最初のお見合い相手、[上{じょう}][越{えつ}]市で食事を共にした男性をAさんとしましょうか。
 Aさんは、蔵の中に招き入れられ、全ての品をじっくりと見回した後、七本の刀の内の一本を選びました。一番長くて綺麗な刃紋のある刀です。でも、この刀を示された父は、首を横に振りました。その刀は、一番の宝ではありませんでした。
 二人目の男性をBさんとします。Bさんは、父の仕事の関係の男性。やはり姉に合わせて欲しいと頼み込んで『宝探し』に挑み、そして古い砥石の一つを選びました。かつては刃物を研ぐことを仕事にしていたのだから、これこそが衿角家の一番のお宝だろうという理屈でした。でも、これも外れ。父は「違う」といいました。
 三人目の男性、Cさんは親戚に紹介された人。この人は、蔵そのものがお宝であると主張しました。面白い発想ですがこれも外れ。うちの祖父が、そういう奇をてらった考え方をする訳がないのです。
 四人目――再びAさん。一回目に失敗したAさんが、再チャレンジを要求。仕事の関係上、姉も[無碍{むげ}]にはできず、次がない事を念押しした上で受け入れたのです。
 彼は前回とは違う短めの刀、脇差を選び出しました。自信満々でしたが――これまた外れ。父は、これにも首を振りました。Aさんは怒り「正解を見つけたのに認められなかった」と言い出しました。
 その後、BさんとCさんからも「Aは宝探しを二回したのに、自分たちは一度しかできないのは不公平だ」という猛烈な抗議を受けて――いえ、試験とかスポーツなどではないのですから、公平でないのも仕方がないと思うのですが。でも、私達もこのあたりでやっと気が付きました。交際を断る口実だった筈の『宝探し』が、むしろ男の人たちの執着心を煽る結果になっているということに。
 Aさんのズルい手口が分かったのは、しばらく後、うちに何人かの[骨董{こっとう}]屋さんが訪ねてきた為。彼らの持つタブレットやスマホには、蔵の中の品の画像がありました。骨董屋さんはそれらを示して「蔵の中を見せてくれ、この品を売ってくれ」というのです。
 何故、うち品の写真が、この方々の間で出回っているのか。
 どうもAさんは蔵に入った際、目ぼしい品を秘かにスマホで撮影し、その画像を骨董や刀剣の専門家に送り、そこから一番高価な品物として、脇差を選んでもらったようなのです。だからこそ自信満々だったのですね。
 これに対して、すぐに対処しておけば良かったのかもしれません。私達は、この状況でも事態を甘く見ていて――その甘さが、さらなる面倒事を引きよせました。
 誰がやったのか分からないのですが、蔵の中の品の写真と共に、姉の写真と名前、うちの周辺の様子や近辺の建物の情報、それに郷土史家としての祖父の活動を過去に地方紙が取材した記事が、インターネット上に記載され「これらの中から、一番価値のあるものを見つけ出すことが出来たなら、この女性と交際できる」との文が載せられたのです。
 ネットの事情に[疎{うと}]く「個人情報の流出」などは他人事と思っていた私達にとって、それは[青天{せいてん}]の[霹靂{へきれき}]でした。
 警察に届けを出し、掲載元に連絡をして抗議をしたのですが、時すでに遅し――掲載元が消し去る前に、その情報はネット上で「拡散」してしまったのです。
 この話題は、多くネットユーザーの興味を煽るものだったのでしょう。
 姉は、ネット上で「姫」との[綽名{あだな}]がつけられ、顔写真や、蔵の中の品々は沢山の人々の目に晒されることになりました。「どれが一番の宝であるか」という課題も好奇心を掻き立てるようで、何が正解かネットで議論の応酬になっています。中には「自分は『宝探し』に挑戦した」という嘘を、堂々とサイト上に書き込む人まで現れる始末。
 ネットセキュリティの専門家に相談もしたのですが、情報が出回りすぎている為、その全てを削除するのは難しい、出来たとしても相当な時間がかかると言われています。
 私や姉は、暇があると姉の写真やうちの品の掲載されているサイトを探し出し、掲示を止めるようにメールを送っています。
 でも、ネット上の全てには目が行き届きませんし、止めるように言われも、すぐに対処する人ばかりではありません。姉の写真と「交際できる」という情報は、未だにネット上のそこかしこにあるようで、たまに今朝のような自信過剰の勘違い男が現れてきては、トラブルを引き起こしていきます。この手の男は大抵、図々しく、声が大きく粗暴。それに粘りつくような視線で人を凝視する独特の目つきをしています。
 私は、内心でこういう男の目つきを「大国主の目」と呼んでいます。ええ、大国主命も、きっと、こんな目つきの男だったに違いないのです。
 父は、極力、姉を家の外に出さないようにしています。所用がある場合は私が代わり、姉の外出の際は父の車で送り迎えする。ここ数年、そういう生活が続いています。
姉の仕事は洋裁師、いわゆる縫い子さん。
 オーダーメイドの服などを作る仕事。所属する会社から仕事を割り振られ、基本的に、自宅にいたままで作業をすることが出来ます。元々引きこもりの傾向のある姉は、さほど苦にしていないようですが――私は二年前に高校を卒業し、実家を離れ富山の大学に通いだしました。もう、以前のような手助けはできません。これ以上、状況が悪化しない事を祈るばかりです。

「ボクサーがさ、試合中、歯の上にカバーをつけてるよね。マウスピースっての」
「いきなり何よ」
 私は陸に、水を満たしたコップを手渡しました。ここは我が家の洗面所。十年ほど前に改装したので、洗面台などの水周りだけは使い勝手の良いものになっています。
「あれって意味があるんだね。今日はそれを実感したよ」
 陸は受け取ったグラスを傾けて口に水を含み、遠慮がちに洗面台に吐き出しました。
「顔を殴られると頬の内側が歯で切れる。マウスピースが無いとこうなるんだな」
 指差して見せるところを見ると、白い陶器の洗面台の一部が赤く染まっています。口をゆすいだ水に血が混じっていたのです。
「ちょっと、大丈夫なの」
「しばらくカレーも食べられないし、グレープフルーツジュースも飲めないよ」
 陸が洗面台についた血を水で流します。口元にいつもの微笑が浮かんでいます。
「一応、病院に行って診てもらうよ。大した怪我ではないけど」
「合気道って役に立たないのね」
「酷い事いうなあ。合気道が役に立たないんじゃなくて、僕が鈍いだけだよ」
 トタトタと足音がしました。姉が廊下を歩いてきます。
 化粧はしておらず、髪は無造作に束ね、卒業した高校のジャージを着て、履いている毛玉だらけの靴下は、柄が左右で違っています。姉は、洋裁師なのに自宅では身なりに一切気を遣わないのです。
「翠さん。久しぶりです」
 姉は陸の挨拶を無視し、その背後に廻りこむとシャツの両脇を掴みます。そして水面に顔を出した蛙のように、陸の肩の上から顔を覗かせました。
「翠さん?」
「こら、陸のバカ。喧嘩して怪我をしたの。ダメでしょ」
「姉さん。陸は、喧嘩したわけじゃなくて――」
「危ない事をして怪我をしたんでしょ。バカよ」
 洗面台の鏡を――正確には鏡に映った彼の顔を――上目使いで見ながら姉が呟きます。
「その――翠さん、お元気そうですね」
「――バカ」
「お仕事はどうです。順調ですか」
「――バカ」
「お土産を買ってきていますから――」
「――バカ」
 陸が苦笑いをしています。
 男性との交際を断わりたいならば『宝探し』より、姉の普段のこの姿を見せた方が、よほど効果的ではなかろうか? 
「ごめんなさい。翠さん。もう危ないことはしません」
 姉が微笑みました。
「よろしい。私、素直な子って好きだな」
 背後から、姉に頭を撫でつけられて、陸の顔がたちまち赤くなります。
「じゃあ、挨拶もできたし、二人の顔も見られたし、バカは退散するとします」
「もう帰るの」
「病院にいかなきゃね」
 陸が歩みだすと、姉が私の洋服の袖を引き、顔を寄せ小さな声で話します。
「翡那。もしかして、今、私変だった?」
「うん。確実に、完璧に、完全に変だった」
「しっかりしたお姉さんっぽいオーラ、出せてなかった」
「全くもって、これっぽっちも出せてないよ。大体、なんでその服なのよ」
「だって、陸がいきなり来るから」
 泣きそうな顔で姉が言います。後から気にするくらいなら、何故、ああいう態度をとるのでしょう。相手にしていられません。
「私、陸を見送ってくるから」
 私は姉の手を振りほどき、陸の後を追いました。

 糸魚川市の特産は[翡翠{ひすい}]。これは、私達姉妹の名前の由来でもあります。
 翡翠という文字には、渓流に[棲{す}]む美しい鳥、カワセミという意味もあり、私の名に使われている「翡」という文字は雄を、姉の名の「翠」という文字は雌を意味するそう。
 そのせいなのか、どうなのか、姉は小さな子供の頃から周囲の目を気にせずノンビリおっとり。休みの日には、一日中家の中で手芸や料理をしているような性格。一方、妹の私は近所の男の子たちと戸外を走り回る事が多く、お[転{てん}][婆{ば}]――いえ、そんな言葉では片づけられません。白状しますが、私はかなりの悪ガキでした。
 小さな頃、夏の間は、父に「日に焼けないため」と言われて、つばの広い帽子をかぶらされていました。「女の子らしくするため」スカートもはかされていました。
 でも、その格好のまま、橋の上から下の小川に飛び降り、漁業倉庫に無断で入り込み、毛ばりでカエルを吊り上げ、アリの巣に爆竹を突っ込んで破裂させて――思い返すと頭の痛くなるような、悪業の限りを尽くしておりました。
 誕生日に買ってもらったエアガンで、庭の家庭菜園のトマトを狙撃したこともありました。ヘビの抜け殻を拾ってきて、姉を泣かせたことも――一応言っておきますが、あくまで子供の頃の話ですよ。今の私は、清く正しく生きる花も恥じらう女子大生ですから。ホントですよ。ホントにホントです。疑わないように。
 ええと、それでですね――私が、小学生の夏に情熱を傾けたものが、カブトムシやクワガタの捕獲と飼育でした。普通は男子がやるものなのですが、私もこの趣味に没頭したのです。カブトムシもいいのですが、やはりクワガタ。特に、私を魅了したのはノコギリクワガタでした。
 知っていますか? ノコギリクワガタの雄は、大型になると、その大顎が野牛の角のような独特の形に湾曲します。これがもうカッコいいのなんのって。
 私達悪ガキは、それを「バッファロー」と呼んで珍重しておりました。うちの周辺の山には、ノコギリクワガタが少なくて、バッファローを保持していた者は、それだけで仲間内で威張れたのです。
 陸は、私が小学校に入る頃から長期の休みになると我が家に来ていました。
 どこかズレている長女の人付き合いの為、それに[悪戯{いたずら}]で暴走する次女のお目付け役として――今思うと、祖父と父のそういう配慮もあったのではないかと思うのです。そのために近所に住む親戚の少年、陸がうちに来るように言われていたのではないかと。
 理由が何であれ、それは、私にとって嬉しいことでした。
 陸は、近所の山の中のこれらの虫が集まるポイントを熟知していて、虫を捕まえるトラップや木に塗る蜜にも詳しかったのです。当てずっぽうに山に入るよりも、よほど効率的にクワガタを捕らえられます。陸の協力のお陰で、毎年、何匹かのバッファローを手にしていた私は、悪ガキの仲間内で一目置かれていたものです。
 毎朝五時に起き、陸の家まで行って無断で彼の部屋まで上がりこみます。寝ている陸を叩き起こし、彼の自転車に二人乗りして広葉樹の林まで行き、前日に仕掛けた虫の罠を見に行きます。
その後、ラジオ体操に朝食。それを済ますと、私は学校のプールへ直行。午後には、陸を従えて色々と注意されながらも、近所を駆け巡っての悪戯三昧。夕方からは虫の罠を仕掛けに行きます。これが、小学生の私の夏休みの基本的な生活でした。
 祖父は、よく私達を近辺の史跡めぐりや海釣りに連れて行ってくれました。翡翠拾いにも行きました。
 糸魚川から富山にかけての海辺、通称『翡翠海岸』には翡翠の原石が落ちていることがあります。拾った石は、地元の鉱物の博物館『フォッサマグナミュージアム』に持って行き、専門家に鑑定してもらうのです。私は見つけることが出来ませんでしたが、陸の拾った小石の中に翡翠が一つありました。
 地元のお祭りの大名行列も見に行きました。七夕踊りにも参加しました。花火大会もありました。
 私にとっては本当に充実した毎日でしたが、事実上、私の子守だった陸は、これらの遊びや悪戯に付き合わされていたわけで――優等生タイプの陸にとっては、相当なストレスだったかと思います。
 でも、陸にはちゃんと報酬があったんですよ。
「ありがとう。いつも翡那と遊んでくれて」
 姉のこの言葉です。陸が、我が家に来て、玄関で腰かけて靴を履いていると、姉がやってきて、その背中を後ろから抱きかかえて、必ずこう言うのです。陸の方も心待ちにしている様子で――それは、ほんの何秒かの接触でしかありません。でも、陸にとっては私と一日を過ごしている以上に価値のある数秒のようなのです。
 不愉快でしたよ。クワガタやカブトムシの採集は遊びじゃない。私はそう思っていました。私の生き甲斐を、姉が「遊び」としてしまい、私の同志であるはずの陸が、それを認めてしまうのですから。
 当時の私にとって、恋愛というものは、テレビドラマやアニメなど架空の世界の存在で、自分の幼馴染と姉の内面に、そんな感情が潜んでいるとは思いもよらない事でした。

 陸が、翡翠の小石を姉に渡したのは、祖父が倒れる数日前。
 高校生になり髪を長く伸ばした姉は、周囲の目を引く容姿となりました。交際を求める男子も結構いたようですが、姉の方は、学校の男子に特別な感情は持つ事はなかったと思います。
 でもね、嘘をつく人はどこにでもいます。出まかせで自慢話をする人も。
 ある日を境に、姉は同級生の女子の一人から嫌がらせをするようになりました。姉の上履きを汚したり、教科書に落書きをしたり、体育の授業中に故意にぶつかったり。
 後になって分かったのですが、上級生の男子が「衿角は自分の恋人だ」と嘘を[吹{ふい}][聴{ちょう}]していたのが原因でした。嫌がらせをした女子生徒は、その上級生のカノジョでしたが、姉と付き合う為という口実で別れを告げられたらしいのです。
 何を説明しようと、その子は聞く耳を持たず、嫌がらせは次第にエスカレートし、姉が何人もの男性と交際しているとか、社会人の男性から高価なプレゼントを受け取ったなどという噂まで流されました。
 そのため、姉は学校に行くことが出来なくなったのです。
 祖父や父が、登校させようと様々な話をしましたがうまくいかず――姉の不登校が二週間にもなり、父が姉の担任教師と連絡を取り合っていた頃――その日、帰宅すると、うちの庭から出ていく陸の姿を見かけました。声をかける間もなく自転車で走り去ります。
 玄関先には姉が立っていました。私に気が付くと、姉が[掌{てのひら}]を開いて持っていたものを示します。緑白色の小石――見覚えがあります。何年か前に陸が海岸で拾った翡翠です。
「陸がくれたの。お守りだって」
 姉が久しぶりに笑顔を見せました。
「私ね。明日から学校に行くよ。お爺ちゃんにも父さんにも、もう心配をかけられない」
「陸に何か言われたの」
「何も言われてないよ。でも、私は陸にとってもお姉さんだもの、しっかりしなきゃ」
 そう言って、姉は掌の石を姉が握りしめました。
 事件が起こったのは、皮肉な事に、姉が勇気を[奮{ふる}]って登校してすぐ。姉の恋人だと自称していた例の上級生が、うちの祖父に怪我をさせ警察に捕まったのです。
 どうも、この嘘つき男は、以前から私達の家の周辺を[徘徊{はいかい}]していたようなのです。その日の夕刻、嘘つき男は、暗がりに潜んでいたところを、祖父に見つかり、[誰{すい}][何{か}]され、これを突きとばして逃亡。警察に通報がなされ男は逮捕。
 これは姉の通っていた学校内でも問題になり、結局、この男は停学。姉に嫌がらせしていた女子も厳重注意となりました。
 祖父は突きとばされた際に腰を痛め、病院に通うようになり――勿論、姉が悪い訳ではありません。でも、姉は罪悪感を持ったのだと思います。
 祖父の部屋の掃除、衣類の洗濯、風呂、それに薬の分類。この日から、体が利かなくなった祖父の世話を、出来る限り自分の手で行うようになりました。
 そういえば陸が、合気道の道場に通い始めたのもこの時期だったと思います。なにか思うところがあったのかもしれません。
 元気だった老人が歩けなくなると、それだけで体調を崩すと聞いた事があります。
 元々、腎臓が弱かった祖父は、この事件後、腎不全と診断され人工透析を受けるようになりました。一年後には、自宅で介護が無理なほど体調が悪化して施設に入所。
 姉は、時間があるときは祖父の入所した施設に出向き、陸からもらった翡翠の小石を祖父の脇腹に当てがっていました。翡翠は、英語で「ジェイド」(jade) というそうです。語源はスペイン語の「腰の石」(piedra de hijada)。腎臓の悪い人の腰に翡翠を当てると治療効果があるとされた事からの名といいます。
 勿論、迷信ですし、それは姉も分かっていたと思います。ただ、祖父のために何かせずにはいられなかったのです。
 お見舞いに行くたびに謝る姉に、祖父はいつも「お前が悪いわけではない。すぐに治る」という言葉を繰り返しました。でも、祖父の病状はさらに悪化し、私たちの願いも、姉の介護も空しく、その二年後の冬に肺炎を併発し他界しました。

「大学で単位は取れているの」
「うん。今のところ、どれも落としていないよ。講義に真面目に出ているから」
 うちの近くの道路からは海が見えます。空の青と日本海の蒼。その狭間に船が小さく動いている光景。空がいつもよりも高く感じられます。
「陸は、卒論にはいっているの」
「まだ。でも、もうすぐ。休み明けからかな」
 言葉が途切れました。朝なのに、もうセミの鳴き声が聞こえてきます。今日も暑くなりそうです。神妙な顔をして陸はこちらを見ました。
「さっきみたいな男、よく来るの」
 トカゲ男の事でしょう。私は頷きました。
「あそこまで、図々しいのは珍しいけどね」
「病院で診断書を貰ってくるから」
「診断書?」
「ああ。診断書のコピーを渡すよ。また、あの男が来たら警察に通報して提出すればいい。隣の方も証言してくれるだろうし」
 道路横に五本の[朴{ほお}]の木、そして、木に[紛{まぎ}]れるように立っているカーブミラー。小学生の時から、私達姉妹が陸を送る時、ここまでと決まっている場所です。
「ありがとう。ここまででいいよ」
「ねえ。陸はさ、うちの爺ちゃんの言っていた、蔵の中の一番の宝って何だと思う」
「さあ。自分なりに色々と調べてはいるんだけどね。翡那は何だと思ってるの」
「私も考えてはいるけど――あのさ、陸は『宝探し』に興味はないの」
 微笑みが消えます。
「このままだと、誰かが一番の宝物を当てちゃうかもよ。そうして、姉ちゃんがその人と付き合いようになって――いいの。陸は何もしないで。後悔しない?」
「僕は、蔵の中に入ったこともあるし、福一郎先生の蔵書も見ている。それで『宝探し』に挑むのって、何かズルくないかな」
「お爺ちゃんに研究について、何か教えてもらっていたの」
「教えてもらってはいないけど。それでも僕が挑んだら公平ではない気がするよ」 
 陸がカーブミラーの鏡に手を触れました。
「このミラーにはアクリルが使われているみたいだね。[真空{しんくう}][蒸着{じょうちゃく}]という方法で、アクリルの片面にアルミの膜を作る」
 陸が、こちらに目を向けます。
「翡那の家にあった鏡はガラスが使われていた。ガラスの裏に銀の膜――銀箔が張り付いている。[銀{ぎん}][鏡{きょう}]反応ってので作る。ガラスを使った鏡は、十五世紀にイタリアで発明されたもので、水銀を使ってガラスの裏に[錫箔{すずはく}]を張り付けたものだったってさ」 
 ミラーに触れている手が、その表面を撫でます。
「それ以前に使われていたのは金属鏡。歴史の教科書によく出てくる奴。ガラスやアクリルで覆われていないから、金属鏡はすぐ曇る。だから、定期的に鏡面を磨いていたんだ」 
「何言っているのよ」
「磨くことが大事って話。金属鏡も宝石も、それに刃物もね」
 陸が、その顔にいつもと違う不自然な笑みを浮かべました。

「衿角さんですね。私が[国重{くにしげ}]です。今日は、よろしくお願いします」
 待ち合わせていた時間に少し遅れて、一人の若い男性が我が家の前にやってきました。
 青いシャツに麻のジャケット。折り目のついたスラックス。染めているらしい茶色の髪が整えられています。
 歴史に興味のある大学院生と聞いていたので、生真面目な固い感じの人物を想像していたのですが、現代的なお洒落な若者という印象。服装は少し派手な気もしますが、清潔感もあり好感がもてました。
 うちの蔵の品物について取材したい。出来るならば、家の方に郷土史と蔵の品についてご教授を願いたい。二日前の夜、祖父の所属していた郷土史研究の団体を通して、メールが届けられ、歴史学科の大学院生だという青年を紹介されました。
 自分の研究に関しては秘密主義を貫いていた祖父でしたが、郷土史を研究する同好の士に対しては別。お互いに情報交換し、蔵の中にも積極的に招き入れていました。
 地方史に興味のある人に、蔵の品について説明するのは祖父の遺志に[適{かな}]う事。父は、その要望を受け入れることにしました.ただ、父には仕事があります。
 今は、夏休み中ということで、私と陸とで蔵の品の説明をすることになったのです。
「早速、蔵の中を見せてもらってよろしいですか」
 型通りの自己紹介を交わした後、国重さんはメモ帳とデジカメ、ICレコーダー、それにを何枚かの紙を取り出しました。
「できれば、この写真に写っている品物、一つ一つに解説をお願いしたいのですが」
 国重さんが示す紙には、私の家の蔵の品々の写真が印刷されています。Aさんによって流出した画像です。
「それは、どこから手に入れたものですか」
「ああ、ネットからプリントアウトしたものです」
「そのサイトの写真、うちの蔵で無断撮影されたものなんですよ」
「そうなんですか。でも、そのお陰で、私がここに来ることができたわけですから」
 私の口調に[咎{とが}]めるような響きがあったのか、国重さんが的外れな言い訳をします。
「ここに入るのは、何年ぶりかな」
 陸は、父から託された鍵を持ち、扉にかけられた南京錠に鍵を差し込みました。微かな金属音がして錠が外れます。[閂{かんぬき}]を抜き取る、その掌に[赤錆{あかさび}]が付きました。
 分厚い扉が開きます。密閉されていた空気が動く感触。子供の頃によく嗅いだ独特の臭いが周辺をすり抜けていきます。
 暗闇の中、手探りで分電盤のブレーカーを上げ、壁のスイッチを入れると古い蛍光灯が鈍く光りました。
 木材でできた刀掛けに載せられた何本かの日本刀と、壁に掛けられた槍、棚に並べられた沢山の砥石が薄闇の中に浮かび上がります。奥の棚には自然石が並べられ、蔵の二階には祖父の蔵書があるはずです。
「変わらないね」
「うん。子供の頃と全然昔と変わっていない」
 入口の傍に、小さな神棚が設けられています。
 二礼二拍手一礼――その後、神棚の御社の扉を開けると、私の掌で隠せるほどの、可愛らしい白銀の鏡が顔を出しました。生米、お酒、塩を神前の小皿に盛り付け、[蝋燭{ろうそく}]に火をつけました。陸が火打石を打ち合わせ、四方へ向けて火花を散らします。
 国重さんが、板材を組み合わせて作った大きな農具の前に立ちました。
「それは、唐箕といわれる農具です。江戸時代の中期以降に普及したもので、ここのハンドルを回して、風を送り、脱穀した穀物をより分けるのに使うんです」
「見たことがあります。こういうものでもコレクターがいて、ネットオークションでは結構な値がつくんですよね」
「順番に説明してゆきましょう」
 私は、蔵の品のリストを用意してきました。祖父が亡くなった際に、遺品整理のため作られたものです。陸もこの地方の歴史についての、幾つかの資料を持ってきています。 
「刀身には、触れないで下さい。それに刀を顔の前にして喋らないようにして下さいね。唾が飛んで、そこから錆びる場合があるそうなので」
 そう確認をした後に、陸が、ゆっくりと[鞘{さや}]から刀を抜きます。蛍光灯の光の中で刀が鈍く光りました。私が、リストに書かれた内容を説明します。
「この刀は、[加{か}][州{しゅう}][清光{きよみつ}]というそうです。清光は加賀の刀工。北陸地方では名を知られていたといいます。新選組の[沖{おき}][田{た}][総{そう}][司{じ}]の愛刀として有名になりました」
 国重さんは、その刃紋を眺めます。
「きれいなモノですね」
「父が手入れをしているんですよ」
「それで、この刀の価格はいかほどになるのでしょう」
 意外な質問でした。言葉に詰まります。
「すいません。金額は分かりません」
「そうですか。それなら、後でネットで検索してみます」
「こっちの刀は[古宇田{こうだ}]の[国房{くにふさ}]作と伝えられています。古宇田は鎌倉末期の[古{ふる}][入{にゅう}][道{どう}][国光{くにみつ}]を祖として、南北朝時代に国房・国宗・[国次{くにつぐ}]等の刀工を輩出している流派です」
 薄暗い中、陸が刀を引き出し、私がリストと国重さんの持っているプリントと照らし合わせながら、蔵の中の品の一つ一つに説明を続けていきます。
「こちらの素槍は無銘なんですが、刀と作風が似ているので、おそらくは古宇田で同時代に作られたと考えています」
「刀とセットで高く売れるかもしれませんね」
 説明は刀から農具に移ります。国重さんは、ICレコーダーをこちらに向け、時折、メモを取りながら聞いています。熱心なのは嬉しいのですが、どの品にも価格を聞いてくるのは困りました。歴史学専攻でも、資料価値よりも売値の方が気になるのでしょうか。
「千歯こきというのは、脱穀に使うための道具で――」
「江戸時代の糸魚川藩の[石高{こくだか}]は――」
「この石臼は[羽{は}][黒{ぐろ}][青{あお}][糠{ぬか}][目{め}]石という[花{か}][崗{こう}]岩でできていると――」
「ダメだ」
 この一言で和やかだった空気が変わりました。陸が珍しく大声を出したのです。
 説明の中途で国重さんが、ガタ石――例の溝がある石――の上に鞄を置いた為でした。
「その石に、荷物を置いちゃダメだ」
 国重さんが驚いた顔をしています。陸が、石の上に置かれた鞄を掴みあげ、それを国重さんに押し付けました。
「この蔵のものは、全て衿角家の宝。その石もです。乱雑に扱わないでください」
 鞄を押しつけられた国重さんは明らかに不満気でした。陸も珍しく仏頂面をしています。良い雰囲気ではありません。私は提案しました。
「少し休憩しませんか」
  
 薄暗い蔵から出ると、日の光が眩しい。トイレを借りたいという国重さんに場所を伝え、私は台所に行き冷えた麦茶を持ってきます。
「さっき、どうしたの。暑いからイラついたかな? あんなに怒ることないんじゃない」
 縁側に座っている陸に、麦茶を手渡しながら聞いてみました。
「あの人、なんかおかしい気がする。見てみなよ」
 トイレの前の廊下の窓は模様入りのガラス窓。中の様子が分かります。
 陸が指差す先を見ると、トイレから出てきた国重さんが立ち止まり首を動かし――それはまるで家の中を探っている様に見えました。
「きっと戸惑って方向を取り違えたんだよ。初めて入った家だから」
「さあ、どうかな」
 休憩を終えて、再び蔵の中に入っても陸の不機嫌は治まりません。そのため、自然と私が一人が国重さんの相手をすることになりました。
「この本は、戦前に発行された全国の刀剣の研究の本。刀工が番付されていて――」
「こちらの研究書は、たたらの製鉄についてのもので――」
「この砥石は、京都の東物と呼ばれるもので――」
 全部で三時間ほどかけて、刀と農具、祖父の残した蔵書、砥石への解説が終わりました。
「では、翡那さん。あなたの目から見て、蔵の中の品で最も貴重なのはどれでしょうか」
「もっとも貴重――ですか」
「お爺様が独自に研究をなされていた品、それはこの中のどれなんでしょうね」
 国重さんが、蔵の中の品がプリントアウトされた紙を見ながら言います。
「その中には、無いと思います」
 この人は、一番の宝について聞きたいのでしょう。
 言わない方がいいかな。少し迷いました。
 実は、私も国重さんに、どこか違和感を感じていたのです。特に目つき――この人もあのトカゲ男と同じ「大国主の目」をしているように思えるのは、私の気のせいでしょうか。
 陸が、尖った視線で私を見ています。でも――郷土の歴史を多くの人に知ってほしい。それが地域の誇りにつながる――生前の祖父は、常々そう言っていたのです。
「私が思う、我が家の一番の宝は――」
 私は、棚に歩み寄り、拳大の一つの緑白色の石を取り出しました。
「この石です。これ、多分、翡翠の原石なんです」

 翡翠は日本の国石と認定されている宝石です。
 硬玉、軟玉の二種があり、見た目にはそう違わないこの二つは、実は全く別の鉱物といいます。中国では宝石全般を[玉{ぎょく}]と呼び、中でも翡翠が、その代表とされ古くから腕輪などの装飾品や器、精細な彫刻をほどこした置物などに加工され利用されています。
 ただし、それらは軟玉。柔らかいからこそ[精{せい}][緻{ち}]な加工が可能なのです。現在、中国以外の国では軟玉は宝石とみなされてはいません。
 糸魚川の翡翠は硬玉。軟玉に比べ硬く光沢があり、こちらは宝石として扱われます。
 世界最古の翡翠の加工は、縄文時代中期、約五千年前から、ここ糸魚川において始まったといわれています。弥生時代・古墳時代も翡翠は装身具や勾玉などに加工され、交易を通して日本各地、さらには朝鮮半島にまで運ばれました。糸魚川にある国の史跡、[長{ちょう}][者{じゃ}][ケ{が}][原{はら}]遺跡では、沢山の翡翠が加工された形跡が見つかっています。私たちの郷土は、翡翠を始めとする石器の加工工場であり、その交易拠点だったのです。
 奴奈川姫は、この地の翡翠の加工や交易を支配し、[祭{さい}][祀{し}]を司る女王だったという説があるそうです。この女神が、大国主命と夫婦になるというのは、この地域にあった政権が、出雲の政権に組み入れられたという歴史の反映。姫と大国主の歌のやり取りは、出雲と越という古代の国が結びつく過程を示していると解釈できます。
 [須勢理毘売{すせりひめ}]、[多紀理毘売{たきりひめ}]、[神{かむ}][屋{や}][楯{たて}][比売{ひめ}]、[高照{たかでる}][光姫{ひめ}]、[八{や}][上{かみ}][比売{ひめ}]、[鳥取神{ととりのかみ}]、[綾{あや}][戸{と}][日女{ひめ}]、[真{ま}][玉著玉{たまつくたま}][之{の}][邑{むら}][日女{ひめ}]、[八野{やの}][若{わか}][日女{ひめ}]――これらは、全て大国主命の妻とされる女神達。大国主命は多くの妻を持ち、また多くの名を持つ神様です。
 他の多くの地域の女神達を妻にしたという事は、様々な地域と出雲地方での親交があり、その地域が出雲の政権に統合されていったという事。糸魚川にあった翡翠の交易を生業とするクニも、出雲政権の一角をなしていたのでしょう。
 この出雲の連合政権は、後に現在の天皇家に通じる大和政権に取って代わられます。
 国譲りの神話――天皇家の祖、天津神である[瓊瓊{にに}][杵命{ぎのみこと}]が、大国主命ら国津神が治めていた[葦原{あしはら}][中{ちゅう}][国{ごく}]の政権を譲るように迫る神話です。お話の中では天津神が国津神を説得したとされていますが、実際は綺麗事ではなく軍事力で脅したのでしょう。
 滅びゆく出雲に義理立てして戦ったのが、[建{たけ}][御名{みな}][方{かたの}][神{かみ}]。奴奈川姫と大国主命との間に出来たともされる男神です。建御名方神は、孤軍奮闘するものの、最後は[信濃{しなの}]の[諏訪湖{すわこ}]にまで追いつめられて降伏したと伝えられます。
 これは、多分、糸魚川にあったクニが大和政権に抵抗した歴史の暗示。この地にあったクニの人々は諏訪湖の傍まで追われたのです。
 建御名方神の敗北と共に、出雲の衰退は決定付けられ、糸魚川の地もその権威を失い、沈んでいった――そして、翡翠もまた日本人の意識の中から消えていきます。
 日本に翡翠の産地がある事すらも忘れられ、国内の遺跡で見つかる翡翠の勾玉等も、国外から持ち込まれたと考えられるようになったのです。
 古代、翡翠というのは、通貨のようなもので、発行元のクニが[凋{ちょう}][落{らく}]した事で、その価値が保障されなくなったのかもしれません。日本の――糸魚川の翡翠が再発見されるのは、昭和十三年になってから――それ以前、目の前に翡翠の原石が転がっていても誰もその価値に気づかなかった――それは「緑色の硬く重い石」でしかなかったのです。
 戦前、この地方の民家は板葺屋根の家が多く、屋根板が風で飛ばないように乗せる[重石{おもし}]として、また漬物石としても、その「緑色の重たい石」が重宝されたといいます。
 
「大きな翡翠の原石は姫川と青海川の川辺にあるのですが、昭和三十年代に、周辺一帯が天然記念物に指定されているため、その周辺から小石一つ持ち出すことはできません」
 私は持っていた翡翠の原石を国重さんに手渡しました。 
「この原石は、多分、うちの先祖が、どこかの家の屋根の置石とか漬物石だったものを、保管していたものだと思うんです」
 国重さんは、石を手に持ち様々に動かしながら眺めました。
「なるほど。あなたの考えでは、この石が一番の価値があると」
「ええ、そう思います」
 国重さんが笑いました。口の中に、いやに鋭い八重歯が見えました。
「いや、勉強になりました。よろしければ、ご家族にもご挨拶させてください」
「そうですね。父はもうすぐ帰ると思いますけれど」
 そういえば、今日は、姉が仕事の打ち合わせで外に出る日でした。
 父の車で帰ってくるはず――姉を見知らぬ男性とは会わせられません。父の紹介は後日にして欲しい――そう言おうとした矢先、国重さんが意外な言葉を吐きました。 
「出来れば、お姉さんにもご挨拶したい。今日はご在宅ですか」
 何秒かの沈黙がありました。
「それはどういう意味ですか」
 私より先に、陸が、国重さんを睨みながら声を発しました。
「君には聞いていない。翡那さんに聞いている」
「父はともかく、姉を紹介するのは無理です。姉は、元々人に会うのが苦手で、その上ネット上に個人情報を晒されて神経質になっていますので」
「一目見るだけでもいいんですよ。それくらい良いでしょう」
 国重さんが食い下がります。陸が吐き捨てるように言いました。
「あんた、いくら何でも、図々しいだろう」
「では、私は、この家の前で、姫が出てくるのをずっと待っていますよ」
「ダメだ」
「家の前の道路は公共の土地だろ。そこで待つのにまで文句を言われる筋合いはない」
 言い争いをしている最中、間の悪いことに、庭にセダンが乗り入れてきました。父の車です。今日は、姉が仕事の打ち合わせで外に出る日。父の車には姉が同乗しています。
「姫だ」
 国重さんが、後部座席に座っている姉を[目{め}][敏{ざと}]く見つけ出しました。
 制止する間もなく、車に駆け寄ります。危ない――車が急停止しました。国重さんは、すかさず後部座席のサイドガラスをノックします。
「こんにちは。私は、国重と言います」
 ガラスの向こうで、姉の表情が強張りました。姉は、国重さんがいるのとは反対の右のドアの方に車内を移動して――陸と私はその後部座席の右ドアの側に立ちました。
「参ったなあ」
 国重さん手でわざとらしく顔を覆い。体を反らしました。
「参ったなあ。一目惚れですよぉ。姫が、こんなに綺麗な人とは思わなかった」
 車から降りた父が、こちら側に歩みよってきました。
「君、危ないだろう。スピードが出ていなくても、動いている車に近寄るなよ」
「お父様ですか」
「それと、うちの長女は人見知りなんだ。こういう行為はやめてもらいたい」
「人見知りなら直すべきですよ。私が協力しますから」
 父がわずかに目を見開きます。 
「お父さん。私は娘さんに一目惚れしました。『宝探し』に参加します。いいでしょう」
「何言っているのよ。いいわけない。いくら何でも卑怯です」
 私は声を張り上げました。
「国重さん、貴方は私に答えを聞いているでしょ。それじゃ『宝探し』にならない」
「誰から教えてもらった知識でも、試験の前日の一夜漬けの勉強でも、テストで正解を出せばマルが付くのでしょう」
「ふざけないでください」
「お父さん、いいでしょう」
「いや――私から、どうとは言えないが、しかしな――」  
「いいですよ」
 意外な声が響きました。姉です。私たちの後ろで、いつの間にか半分ほど開けた車の窓から顔を覗かせています。
「私は卑怯とは思いません。『宝探し』をして下さい」
 私も、父も陸も、一斉に姉の方を向きました。
「ちょっと、姉さん。何言っているのよ」
 国重さんが笑いました。[卑{いや}]しい笑いです。鳥肌が立ちました。
「聞きましたね。当の姫がいいと言っている。私が参加しても問題ないですよね」
「国重さんとおっしゃいましたね。お時間は大丈夫ですか」
「ええ」
「では、今から蔵の中に入って、一番の宝を探して下さい。もし、蔵の中から祖父の言う一番の宝を選び出すことが出来たなら、私は貴方とお付き合いをさせてもらいます」
 姉が、セダンの中から話を続けます。
「ただ『宝探し』は今日で終わり。もうすぐ祖父の研究も公になりますから」
「すると、私が『宝探し』の最後の挑戦者になるのですね」
 国重さんが、腰に手を当て、腰を突き出しました。
「蔵の中にどうぞ。三十分後、私と父との前で、貴方の考える一番の宝を教えて下さい」
 国重さんが、卑しい笑顔を浮かべたまま蔵の方に向かいました。
「父さん、車のキーを貸して」
 国重さんが[豹{ひょう}][変{へん}]し、『宝探し』を要請し、それに姉が許可を出す。この数分で意外な事が続きました。納得いきません。特に姉の行為が。
私は、父から車のカギをひったくると車の後部座席のドアを開けました。
「姉さん。何考えてんの? あてつけ? 陸の前であの男と交際を始める気? ついさっきだって、あの男が怖くて、車の中で逃げていたじゃない」
「翡那」
「何よ」
「今まで迷惑をかけてごめんね。今日が最後。『宝探し』は、本当に最後だから」
 姉が、座席の上に正座して頭を下げます。その様子に、私は何も言えなくなりました。
    
「知っていますか? 中国では宝石全般を[玉{ぎょく}]と呼び、中でも翡翠が――」
 時折、大袈裟な身振りを交え国重さんが話し続けています。壁際には姉。その前に陸。私は父と蔵の入り口の前で、その話を聞いています。うんざりしながら。
 国重さんが偉そうに話している話は、三十分ほど前に私が話した事、そのままなのです。
「――奴奈川姫は、この地の翡翠の加工や交易を支配していた女王という説が――」
 父と姉に交互に目を配りながら、国重さんは続けます。首を絞めてやりたい。
「――漬物石としても、その石は使われたと――」
 話を終えた国重さんに、父が落ち着きた声で質問をします。
「では、あなたが選ぶ、うちの一番の宝とは何ですか」
 国重さんは、翡翠の原石を手に取りました。
「これです。翡翠の原石。おそらくは衿角家のご先祖が保管していたものでしょう」
「あなたはそれを一番の宝だと思う。それでいいんですね」
「はい。勿論」
 胸を張り、翡翠の原石を持った右手を突き出して国重さんが答えました。
 父は、その手から翡翠の原石をもぎ取りました。
 国重さんの目つきが険しくなりました。
「私の答え、正解ですか」
「いや。その答えは誤り、不正解です」
 [抑揚{よくよう}]のない口調で父が答えます。プッと陸が吹き出しました。
 国重さんの口が大きく開きます。
「いや、だって、そんなことない。間違っている訳がないよ」
「間違いです。それは、この蔵の中の一番の宝でもないし、私の父、福一郎の研究対象でもありません」
「父さん、この石、違うの。一番の宝じゃないの」
 父がこちらを見て頷きます。意外でした。私はこれが正解と思っていたのに。
「でも、これは翡翠の原石でしょ。高価なんじゃないですか」
「我が家の家宝は価格で決まるものではない」
「いや、でも――」
「あなたは失格です」
 姉が、陸の後ろから、硬い表情で声を上げました。
「――姫」
「あなたは宝を探せなかった。これで終わり。失格です」
 国重さんが、私を睨みつけました。
「お前。俺を騙したのか」
「騙したのはあなたです。それに、私は本当にそれが一番の宝だと思って――」
 国重さんが大股に歩み寄ってきます。その上着を、後ろから陸が掴みました。
「離せよ。恥をかかせやがって、あの女、殴ってやる」
 後ろを振り向いた国重さんが、陸に拳を振るい、陸がその拳を――。
 私は目を疑いました。あの陸が、大人しい優等生の陸が、相手を腕に触れるやいなや、あっという間にうつ伏せに倒し、腕を後ろ手に極めてしまったのです。
「ほらね。合気道も役に立つだろ」
 言葉を失っている私に向けて、陸が片目をつぶって見せました。
「離せ。離せよ」
「このまま帰るというなら離します。でも、そうでないのなら――折りますよ」
 後ろ手に[極{き}]められている腕が、素人目にも危険な角度にまで吊りあげられました。

「父さん、この石って、本当に違うの。お爺ちゃんの研究してた宝じゃないの」
 国重さんが、肩を押さえながら去っていった後、私は父に聞きました。
「確かにこの石は翡翠の原石だ。だがね、親父の言う一番の宝ではない」
 陸が、父の言葉を継いで話しました。
「翡翠はね。石を削ってみないと、その質が分からないものなんだって。だから、原石のままでは価格はつかない。それでも、あえて価格をつけるなら、この石は二十万円程度だと思うよ。福一郎先生が言うような、国の礎となるほどの宝ではないよね」
「じゃあ、陸は何が一番の宝だっていうのよ」
 陸が目を伏せます。姉が、唇をかんで陸の傍に歩み寄りました。
「ねえ陸。『宝探し』は今日が最後。私がそう決めたの。私のいう意味が分かるかな」
 姉が陸の背後に回ります。例によって両手でそのシャツの両脇を掴みます。
「私、あの人がゲームに参加したやり方も、卑怯とは思わないよ。だから貴方が『宝探し』に参加しても、まったく問題ないよ。ズルくないの」
 陸が深呼吸して、両手を広げ――自分の頬を叩きます。パンという音が響きました。
「おじさん、いいですか」
 陸は父の前まで歩み寄りました。姉は陸のシャツを放さず、その後ろについて行きます。
「その――僕も翠さんが好きなんです。子供の頃から、ずっと――翠さんとお付き合いをしたい。今、ここで僕も『宝探し』に参加させて下さい」
 父が姉を見ます。姉は陸の背中に顔を埋めました。その表情が見えませんが、その横顔が耳のあたりまで赤く染まっています。  
「そうか。では陸。蔵の中から一番の宝を探してほしい」
「探さなくても――」
 陸が蔵の中を見回し、それからゆっくりと視線を落としました。
「この石です。この溝のある石。これがこの蔵の中の一番の宝です」
 視線の先には、ガタ石があります。
「ちょ、ちょっと、陸、何言っているのよ。そんなわけないじゃん」
 思わず声を出した私を父が睨みました。陸が続けます。
「この石は砥石――玉砥石なんです」
「タマトイシ?」
 姉が、陸の背中から紅潮した顔をずらして口を開きます。 
「玉砥石とは、縄文・弥生時代に用いられた勾玉を研磨するのに用いられた砥石の事。この石の半円の溝は、翡翠の[大珠{たいじゅ}]を磨いた跡でしょう」
 父が一つ咳払いをしました。
「よろしい。では、どうしてこの石が、国の礎と言えるのか説明してくれ」
「話せば長くなるんですが――」
「長くても構わないよ。私、聞きたい」
 姉が陸の背中にしがみついたまま言います。
「その――何から話せばいいんでしょうか。まず理解してほしいのは、近代以前の日本という国は、極めて地下資源に恵まれていたということです」
「まさか」
 また口を挟んでしまいました。父と姉とが、非難がましい目で私を見ます。
 でも「日本は資源に恵まれていない」というのが、学校で習ってきた事。陸の言い分は、私の知っている常識とあまりにかけ離れています。陸が私に顔を向けました。
「翡那は、奴奈川姫が――出雲に行った奴奈川姫が、ひどい目にあったと思っているみたいだよね」
「そう伝えられているでしょ」
「その言い伝えは、きっと、大和政権が出雲を支配下に置いた後に作り替えられたものだと思う。大国主命という神は複数の人物の業績を一つにまとめたもの――だから[幾{いく}]つもの名前があって、何人もの妻がいる」
「でも――」
「僕はね、姫は出雲で大切にされたと思う。だからこそ、姫の息子の建御名方神は、出雲のために必死で戦ったんだよ」

 確かに今の日本では、大規模な金属鉱山は操業していませんし、国内消費量の1%の石油さえ国内自給できない――翡那のいう通り。残念ながら、現在の我国は資源に恵まれているとは言えません。しかし、それは石油などの化石燃料がエネルギーの主体となり、採算面から機械を使った大規模な採掘がおこなわれるようになった近代以降の事。
 それ以前の日本は、むしろ地下資源に非常に恵まれた国でした。
 日本列島は環太平洋造山帯に位置し、四つの大陸・海洋プレートがぶつかる境界線上に位置します。地震が多く、本来、地中深くにあるはずの地層が[隆{りゅう}][起{き}]し地表に露出している場所や、地下の熱水に溶けた金属元素が地表近くで冷やされ結晶化している場所も珍しくありません。
 これらのおかげで日本人は、古来より多彩な金属文化を築いてきたのです。
 [奥{おう}][州{しゅう}][藤原{ふじわら}]氏の黄金文化。最盛期には世界の銀の三分の一を産出していたという岩見銀山。近代以前は世界最大のブロンズ像だった奈良の大仏――金、銀、銅、それぞれで私達の先祖は、この全てで世界的な文化を生み出してきています。歴史の中で、これらの文化が発展したのは、わが国の多様な地下資源の[賜物{たまもの}]なんです。
 そして――現在、その恩恵を忘れ去られている日本の地下資源が――砥石です。
 日本は古来より多彩で多様な天然砥石が産出されてきた国。砥石が、我が国の文化の発展に大きく寄与してきたとは、あまり語る人がいません。
 僕は、武道を――合気道をしていますから、日本を象徴する金属文化と言えば、何よりも日本刀だと思っています。
 日本刀が我国の歴史や文化に与えた影響は計り知れません。
 剣道や居合道、合気道などの武道は言うまでもありませんし、料理――切れ味の鋭い包丁なくして、和食はあり得ません。建築もそうですよね。[鑿{のみ}]、[手斧{ちょうな}]、[鋸{のこぎり}]。千分の一ミリ単位で木材の表面を削る[鉋{かんな}]。農具にも鎌、鍬、[鋤{すき}]、鉈。日常使うハサミや爪切りなど。これらの刃物は日本刀の技術が応用されたものです。
 我が国の文化の質を高めたのは、間違いなく日本刀とそれに関連する技術です。でもね、日本に天然砥石が豊富に存在しなければ、刀の進化はあり得なかったし、これらの文化も洗練されたものにはならなかったでしょう。
 海外で日本に[匹敵{ひってき}]する質の砥石が採掘できるのは、ベルギー、中国の[江{こう}][蘇{そ}][省{しょう}]、それに北米大陸のアーカソソー州くらい。ただ、これらの地で産出される砥石の粒度は限定的。日本ほど多様な天然砥石に恵まれている地域は、おそらく他にはないでしょう。
 その他の砥石の採取できない地域では、砥石の代替品として赤レンガや馬のなめし革、それに砂――研磨剤として有名なのは北アフリカのトリポリ地方の砂――砂を固い脂・ロウ・ピッチなどで練り固められ木片に塗ったもの、近代以降は細かいヤスリやサンドペーパーなども砥石の代わり使っていた。とにかく、刃物を研磨するため涙ぐましい努力がなされていたのですね。
 十九世紀の終盤に、アメリカで人造砥石が発明されて以降――それ以降は、天然砥石の恩恵は、ここ日本ですら忘れ去られていきました。
 福一郎先生は、生前、三種の神器を詳しく調べておられました。自分の研究は皇位継承の時期に発表してほしいという希望があったそうですから、その研究と宝というのは、三種の神器に関わるというのは考えられる事ですよね。
 三種の神器――皇室の正当性を示す[天{あま}][津{つ}][瑞{しるし}]――それぞれの正式な名称は、[八尺瓊勾玉{やさかにのまがたま}]、[八咫鏡{やたのかがみ}]、[草薙剣{くさなぎのつるぎ}]。
 八尺瓊勾玉は、大きな玉で作った勾玉。日本神話では、[天照大神{あまてらすおおみかみ}]が天の岩戸に隠れた際、[榊{さかき}]の木に掛けられたとされています。八咫鏡は、やはり岩戸隠れの際に使われ、天孫降臨の際、天照大神から天皇家の祖である[瓊瓊{にに}][杵尊{ぎのみこと}]に授けられた鏡。草薙剣は、別名、[天叢雲剣{あまのむらくものつるぎ}]。[素戔嗚{すさのおの}][命{みこと}]が[八{や}][岐{またの}][大{おろ}][蛇{ち}]を退治した際、その尾から見つかった剣。
 これら神器は、いつ頃からか白木の宝櫃に封入され、さらに布で[幾重{いくえ}]にも巻かれ、千数百年、歴代の天皇陛下でさえも見ることはできない――。
 三種の神器の素材は何でしょう。
 勾玉の素材で多いのは翡翠。ただ八尺瓊勾玉の「[瓊{に}]」の文字は赤色の玉という意味がある為、八尺瓊勾玉は赤い宝石、[瑪瑙{めのう}]ではないかとの解釈がされています。
 古代の鏡は普通は青銅製。しかし古事記には八咫鏡を「川上の[堅石{かたしは}]を金敷にして、金山の鉄を用いて作らせた」との記述があり、鉄の可能性もある。
 八岐大蛇は、出雲地方の[斐伊{ひい}][川{かわ}]流域の古代の製鉄を生業としていた民の事を指していたという説があります。それを倒して手にいれたという草薙剣は、普通に考えれば鉄。しかし江戸時代に一度、封印が解かれ、剣が見られたと言われ、その記録からすると銅と解釈するのが妥当とも思えます。
 そうは言っても神器は「象徴」です。
 実際の神器が何で出来ているものであれ、通常、勾玉、鏡、剣は、石、青銅、鉄ですから、神器もそれらの象徴と考えるべきでしょう。
 考古学では、先史時代は石器時代、青銅器時代、鉄器時代に分けられます。僕は、三種の神器は、この三つの文化の象徴だと思うのです。
 そこにある神棚を見てください。鏡がありますね。金属鏡です。神道で鏡が御神体として祀られるのは、当時から現在にまで続いている文化なんです。
 歴史の教科書で紹介されている青銅鏡は、大抵、くすんだ地味な緑色をしています。青銅というくらいですから、長い年月が経つ間に表面に緑色の錆ができているんですね。でも、作りたての青銅鏡は、金色の輝きをしているんですよ。
 現在では、金属も「光り輝くもの」も珍しくはありません。しかし、我が国が成立した当時、人々の大半は、そんなものを見たこともなかったでしょう。
 [日本{やまと}][武尊{たけるのみこと}]が、海路で上総国から陸奥に向かった際、大きな鏡を船に掛けていたところ、敵が降伏してきたというエピソードが日本書紀に載せられています。また、天皇家の初代、神武天皇が東征した際、金色に光り輝くトビ――[金{きん}][鵄{し}]が天皇の持っていた弓の上にとまり、敵の戦意を[削{そ}]いだという神話もがあります。
 古代の人々が「光り輝く物」に[畏{い}][敬{けい}]の念を持っていたことが伺えますよね。
 大和政権は、その感情を利用して――おそらく金色の鏡を使い、文化力の違いを見せつけて他の地域を制圧していたのです。剣は、軍事力の象徴。そして、勾玉は――出雲政権から引き継いだ勾玉こそが、この国の正当な政権のあかしだったのではないでしょうか。
 越後国風土記に「[八{や}][坂{さか}][丹{に}]は玉の名なり、[謂{い}]ふ、玉の色青し、故、青八坂丹の玉という也」という記述があります。ここで「[丹{に}]」という玉を色青しと記述しているわけですから、八尺瓊勾玉の「[瓊{に}]」も赤い玉とは限らない――つまり必ずしも[瑪{め}][瑙{のう}]ではない。
 長者ケ原遺跡が、遺跡として認知されたのは明治三十年頃といいます。その考古学的な価値が判明する前の人々にとっては、そこはただの石の多い林でしかなかった。
 江戸時代、糸魚川の住人は、あの林に行っては砥石や「重い緑色の石」を拾ってきて利用したそうです――おそらくこの玉砥石は、これは衿角家のご先祖様が長者ケ原遺跡に行って、見つけてきた砥石で――珍しい形の溝があるので、取っておいたんでしょう。
「子供の頭くらいの丸いものが入っているのを感じた」これは昭和天皇が崩御された際の大喪の礼の際、八尺瓊勾玉の入った箱を持った方の証言です。
 この砥石の――翡那はガタ石と呼んでいるようですが――溝を見てください。この半円の溝――これで翡翠の大珠を磨いたとすると、直径で十五センチほどでしょうか。
 近年、出雲大社の本殿の裏にある遺跡から、翡翠の勾玉が見つかっています。かつての糸魚川で大きな球形の翡翠が作られていたという事になれば、三種の神器の一つ、八尺瓊勾玉が糸魚川産の翡翠である可能性もでてくるでしょう。
 三種の神器には、共通点があります。
 それは「磨かれる」という事。三種とも砥石に磨かれることで作られる道具なのです。
 磨製石器――学校で習いましたよね。石器時代は二つに分けられ、打製石器を使っていたのが旧石器時代、磨製石器を用いるようになったのが新石器時代。
 日本では、三万年ほど前から磨製石器が作られていて、これはオーストラリアと並んで世界最古級。この磨製石器を磨いていたのも砥石――かつてこの地で翡翠を磨いていた人々が用いていたのは、この新石器時代の直系の技術でしょう。
 勾玉は、我が国独自の文化ですが、鏡も剣も元は大陸から渡ってきたもの。
 三種の神器は、日本における皇室の統治の象徴なのですから、海外由来の物を使うのでは日本人のアイデンティティにはならない。
 でも「磨く」という視点で、それらを見ると――鏡は、勾玉と同様に砥石で磨くことで輝きを増し、剣も砥石で研磨することで。より鋭利になる。
 当時の日本人はどう思ったでしょう。
 古代から続く石器を研磨する技術、翡翠を輝やかせる技術、我が国に豊富にある砥石で、外来の文化、青銅器も鉄器もより優れた物に出来る。
 それは、とても強い自己肯定感だったでしょう。砥石で磨く技術、これこそがその時代の日本人のアイデンティティだった。だからこそ、三種の神器は勾玉、鏡、剣が選ばれた。
 古代の日本で培われた、石器を研磨する技術で、翡翠などの宝石が磨かれ、鏡が磨かれ、刀が砥がれ、鏡は神道の象徴となり、古代の刀は日本刀に進化して、様々な文化の発展につながった。
 僕は、ここに現在に通じる日本人の「ものづくり」の原点があると思います。
 人の持つ技術への畏敬と信頼。それに外来文化を受け入れる寛容さと、それを自分たちで改良していく柔軟性。古代から現代まで続く日本人の気質も、三種の神器が象徴しているのです。

「福一郎先生の言う『国の礎となる宝』とは、こういう意味なのだと思います」
 父が咳払いをしました。
「ああ――陸。来年大学を卒業予定だったと思うが、就職の方はどうなっているのかね」
 姉が、陸の肩越しに父に視線を向けました。
「父さん。陸の話は、正解なの」
「陸、君には、刀の[砥{と}]ぎ方も覚えて欲しい。明日からでも私が教えるから――」
「だから、父さん。陸の話は――」
 姉が声を荒げます。父が姉の方へ視線を向きました。
「大したものだよ。親父の論文の内容に沿って――より詳しく検証されている。正解だよ。確かに親父のいう一番の宝物はこの石だ。江戸時代の、慶安年間に、衿角家の三代目が、長者ヶ原遺跡で見つけて運んできたものだそうだ」
 陸は大きく息を吐きます。姉が歓声を上げて、陸の背中に抱き付きました。
「翠さん――」
 陸が、背後の姉に語りかけました。
「僕はまだ学生ですが、来年には大学を卒業する予定です。就職先も内定しています。お願いします。僕との――結婚を考えて、お付き合いをして下さい」
 姉が、陸の背から体を離し、顔を伏せました。その目から大粒の涙が[零{こぼ}]れて――でも、笑顔で陸に向けて手を伸ばし、口を開きます。
「[渟名{ぬな}][河{かは}]の 底なる玉 求めて 得まし玉かも 拾ひて 得まし玉かも――」
 これは、確か『万葉集』の中の一つ。翡翠についての歌。古語の「ぬ」にも「宝玉」の意味があり「ぬなかわ」とは「玉の川」という意味になるといいます。
 姉の手を取りながら、陸が答えます。
「――[惜{あたら}]しき君が 老ゆらく[惜{を}]しも」
  
 昨年、前の天皇陛下は御皇位を退かれ、皇太子殿下がその後を継がれました。
 御皇位の継承には古代から連綿と受け継がれる、勾玉、鏡、剣の三種の神器が用いられ、年号も令和と改められました。
 そして――国の慶事と並べて書くのは僭越なのですが――私の家族にとっても、今回の皇位の継承に伴って新しい生活が始まる事になりそうなのです。
                                    (了)