選考委員奨励賞 著者/紫藤龍弥 陰陽師と妖怪の仲が悪いわけ

 

第一話

 

 湧き上がる悲鳴。飛び散る鮮血。[轟々{ごうごう}]と燃え盛る町。
 地獄を思わせる[凄惨{せいさん}]な光景の中、俺は[蹲{うずくま}]っていた。
 全身あちこちの骨が折れ、腹からも内臓が飛び出している。
 これは――――あの日の記憶だ。十年前、父さんが殺されたあの日の。

「――――様![峡{きょう}][哉{や}]様!もう朝ですよ!」
 どこからか馴染みのある声が聞こえる。
 俺はコールタールのようにベットリ[纏{まと}]わりつく悪夢の余韻を振り払えず、声の主から顔を背け布団に包まった。
「分かった。もうすぐ起きるからちょっと待ってくれ……」
 春先とはいえ、朝はまだ冷える。悪いがもう少し寝させてもらうことにしよう。
「あと十秒で起きてくれないのでしたら、おはようのディープキスをします」
「さあ、そろそろ起きようかな!」
 俺が危険を察知し勢いをつけて跳び起きようとすると、上からもの凄い力で抑えつけられた。こいつ、何て力してやがる……!
「駄目です!まだ寝ててください!天井の染みを数えている内に終わりますから……」
「お前は一体何をするつもりなんだ⁉」
 俺が無理矢理ベッドから抜け出すと、そこには白々しく[微笑{ほほえ}]む白髪の少女がいた。
 彼女の名前は[凪{なぎ}]。人の姿をしているが、正体は[鎌{かま}][鼬{いたち}]の妖怪だ。
 その証拠に、彼女の頭部には獣を思わせるふさふさとした可愛らしい耳が付いている。
 呆れている俺を見て何を思ったのか、凪はずいっと顔を覗きこんできた。――――今度は触れるか触れないかの距離で。
「お詫びといってはなんですが……峡哉様の子を産ませてもらいます」
「全くと言って良いほどお詫びになってない!」
「そこまで言われると[流石{さすが}]の私でも傷付きます……。毎日私を抱いて、子供が出来たら責任を取ってもらうだけで良いんですよ?」
「迷惑以外のなにものでもないじゃねぇか!」
 これ以上こいつの悪ふざけには付き合ってられん。俺はしなだれかかってくる凪を強引に振り払うと、リビングに足を向けた。
「ふふ、今日の朝食は和食ですよ」
 後ろからトテトテ着いてくる凪。言われてみれば確かにリビングの方から良い香りがした。
「たっぷりの愛情と媚薬入りです!」
「おい」
「じょ、冗談ですよ……。百パーセント無添加です!」
「本当だろうな……」
 [訝{いぶか}]しみながら席に着く。するとそこで不意に着信音がなった。
 スマホを取り出し画面を見た俺は眉を[顰{ひそ}]める。
「……残念だが、ゆっくり朝食を取ってる暇はなさそうだ」

 古来より、人類は数多の[魑魅{ちみ}][魍{もう}][魎{りょう}]と戦ってきた。
 西の吸血鬼から東の九尾まで世界中に化物が現れ、それと同時に怪物に対抗する力を持つ者たちも生まれた。
 彼らは西ではエクソシスト、東では[陰{おん}][陽{みょう}][師{じ}]と呼ばれた。
 怪異に対抗する技術を持つ彼らは人々を守ることで崇められ、いつしか特権階級になった。
 そしてそれは今も続いている。
 かく言う俺も、陰陽師――――最近の言い方では[祓{ふつ}] [魔{ま}] [師{し}]として今朝も妖怪退治の仕事に駆り出されていた。

 現場に到着すると、そこは閑静な住宅街だった。
 だが今は見るも無残な姿になっている。
 家屋の塀はあちこち重機で壊されたように損壊し、まだ新しい血痕も多く残されていた。
 俺と凪の姿を見て、数人の陰陽師が駆け寄ってくる。
「お疲れ様です! [九鬼{くき}]一級!」
「状況は?」
「三級二名、二級一名軽傷。民間人への被害はありません。対象は逃走後、倉橋二級が捜索中です」
『倉橋』という名を聞いて嫌な予感がした俺は顔を顰めた。
「おはようございます峡哉くん。……どうかしましたか? 苦虫のような顔をして」
 嫌な予感というのは当たるもので、現れた少女は正に俺が予想していた人物だった。
 この冷ややかな目線で俺を見つめてくる少女は[倉橋{くらはし}][飛鳥{あすか}]。幼馴染の陰陽師だ。
 一見するとまるで害のなさそうな美少女だが、俺をからかうことが趣味の毒舌悪魔である。
「それを言うなら苦虫を噛み潰したような顔だ。疲れてるんだよ色々と。お前に絡まれて余計疲れた」
 凪とセットで相手をしていたら、本当に過労死してしまう。
「なるほど。昨晩私と裸で絡みあったせいで疲れたと。若いのに情けないですね」
 飛鳥の言葉に周りの陰陽師が盛大に吹く。人様に迷惑をかけるな。
「そんな卑猥な絡み方をした覚えはねぇよ!」
「峡哉くんは認知してくれないんですね。もう良いです。お腹の子は私が一人で育てます」
「腹をさすりながら意味深なことを言うのはやめろ! ……お前といると本当に疲れるな」
「疲れるとはご挨拶ですね。朝からこんな美少女に会えて嬉しいとは思わないんですか?」
 自分で美少女というのもどうかと思うが、異論はないので今はツッコまないでおこう。
「俺はお前と一緒にいる時間が長過ぎて、なんでも分かっちゃうから嫌なんだよ」
 特にその人をからかう性格とかな。
「すみません、警察ですか?」
「なに通報してんだてめぇ!」
 スマホをふところから取り出し、突然警察に通報を始める飛鳥。俺は即座に飛鳥のスマホを奪い取った。
「いえ……さきほど峡哉くんが何でも分かると仰っていたので。私のスリーサイズや下着の柄、果ては性的嗜好までご存知なのかと思いまして」
「ご存知ねぇよ! 勝手に拡大解釈すんな!」
 俺が飛鳥の馬鹿な妄言に反論していると、後ろから冷ややかな殺気を感じた。誰の視線かなんてことは振り向かなくても分かる。
 死刑を宣告された被告のような面持ちで恐る恐る振り向くと、そこには案の定凪がいた。
「……今飛鳥が言っていたことは本当ですか、峡哉様?」
 笑みを浮かべながら尋ねてくる凪だが、全く目が笑ってない。
 その瞳は例えるならブラックホール。光でさえも逃れることは出来ない完全なる闇である。
「全部いつもの飛鳥の大嘘に決まってるだろ! こいつが本当のことを言った試しがあるか?」
 ジリジリと後退しながら弁明しつつ、俺は凪の顔色を窺う。
「そうですよね! 峡哉様はそんなことしませんよね!」
 表情を一変させ、満面の笑みを浮かべる凪。良かった。今回はギリギリセーフだったみたいだ。俺は胸を撫で下ろしつつ、隣でニヤついている飛鳥を睨む。
「というかこんなアホなことやってる場合か。早く対象を見つけろ」
「ご心配なく。雑談中も捜索は進行しています。私、口だけではなく手も動かすタイプなので。あ、今の下ネタじゃないですよ」
「お前が言わなきゃ想像しなかったよ」
 飛鳥はしばらく集中するように目を閉じ、そしてゆっくりと目を開いた。
「……対象を補足しました。急ぎましょう」

 市街地に敵性の妖怪が現れたとき、陰陽師が最初にやるのは結界の設置だ。
 対象の周辺数キロを結界で覆い、中を異界化する。現実の空間に被害を出さないためだ。
 今日は他の陰陽師によって既に結界が張られているため、後は結界内をゆっくり探せば良い。
 俺たちは霊力で足場を生成すると、誰もいない住宅街の上空を駆けた。
「見つけました」
 飛鳥がそう言い急停止する。視線の先を見ると、そこにいたのは三メートルほどの[体{たい}][躯{く}]を持つ化物だった。
 一応人型ではあるが、異常に[肥{ひ}][大{だい}]した筋肉と上等な陶器を思わせる純白でツルツルとした体表が、人ならざるものであることを嫌というほど物語っている。
 ぐりんっ。
 俺たちの霊力に感付いたのか、そいつは首が捩じ切れそうな勢いで振り返った。
 その顔を見て一瞬息を呑む。
 そいつの顔にはなにもなかったのだ。
 目も、鼻も、耳も。
 凹凸すらない。
「のっぺらぼうか……」
 パカッ。ご名答、とばかりにのっぺらぼうの顔に真っ赤な三日月が現れた。
 どうやら口だけはあると主張したいようだ。
「凪、行くぞ」
「はい!」
 出ようとする俺たちを飛鳥が手で制した。
「ここは私が行きましょう。峡哉くんは下がっていてください」
「一人で大丈夫か?」
「ええ。この程度なら一級の出る幕はありません」
 飛鳥はふところから一枚の紙を取り出し、それに万年筆で深紅の一本線を引く。
「――――急急如律令」
 そう唱えた瞬間、紙は火と共に燃え、そこから熊より巨大な獣が出現した。
 狛犬。高位の式神だ。式神の陰陽術を得意とする倉橋家らしい。先程のっぺらぼうを捜索したのも式神の力を使ったものだ。
 式神は通常式札という紙に術者の血を刻んで召喚するものだが、これには二つ弱点がある。
 一つは自分の肉体を傷付けないと呼び出せないこと。二つ目は呼び出すまでに時間がかかることだ。
 だが飛鳥は自分の血液をあらかじめ万年筆に入れておくことでその二つの弱点をカバーし、今のような素早い呼び出しを可能にしている。
「狛犬」
 飛鳥が静かにそう言うと、狛犬は町中に[轟{とどろ}]くかと思うような[咆哮{ほうこう}]を上げ、のっぺらぼうに向かっていった。
 丸太のように大きな足は、途中にあるコンクリートの道路を砂糖菓子のように粉砕していく。
 のっぺらぼうは体を大きく捻ってかわそうとするがもう遅い。悲鳴をあげる間もなく上半身を狛犬に噛み千切られた。
 のっぺらぼうから溢れ出す大量の血で口元を朱に染め、満足気に低く唸る狛犬。だが式神の表情とは裏腹に、主の飛鳥は一層表情を険しくして叫んだ。
「油断しないでください!」
 直後、狛犬は下から脇腹を殴られて吹っ飛び、隣の家の塀にぶつかった。
 よく見るとのっぺらぼうが再生しかけている。それも、下半身だけになった状態から。
「厄介そうだな。……手を貸そうか?」
「いえ、私一人で大丈夫です」
「――――急急如律令」
 完全に再生しきる前に、飛鳥はもう一度式札に紅く一文字を刻む。
 途端、彼女の周りに激しい[紫{し}][電{でん}]が[迸{ほとばし}]った。
 獣を[象{かたど}]ったような紫電は次第に弓へと形を変えていく。
 飛鳥は未だ帯電する弓を掴むと、のっぺらぼうに向けて[番{つが}]え、放った。
 紫電で形作られた矢が光速で飛来する。
 のっぺらぼうは避けようとするが、あっという間に射貫かれてしまった。
 狐のような形をした電撃が幾度ものっぺらぼうの体を駆け巡る。
 それによって体表が[朱{あか}]く焼けるが、驚異的な回復力によってすぐに元通りになった。
 止む気配のない電撃。のっぺらぼうは燃焼と再生を何度も繰り返す。
「好きなだけ再生してください。どこまでもお付き合いしますよ」
 しばらくすると、辺りには肉を焼く嫌な臭いが立ち込め始めた。
 のっぺらぼうの再生力も限界を迎え、醜く焦げた状態で地面に倒れる。
「――――狛犬」
 飛鳥は殴り飛ばされていた狛犬を呼び出し、のっぺらぼうを指差した。
「今日の朝ご飯はあれです。――――血一滴残さず食べてください」
 飛鳥にそう言われた狛犬は、喜び勇んで喰いついた。みるみる内に狛犬の胃袋の中に消えていくのっぺらぼう。
 モザイクがかかりそうなショッキングな光景に、俺は目を[逸{そ}]らし飛鳥に話しかけた。
「お疲れ様。悪かったな。お前一人に任せて」
「良いですよ。峡哉くんが出るほどの妖怪ではありませんでしたし」
 すると、今まで俺の後ろで手持無沙汰に眺めていた凪が[堰{せき}]を切ったように話し始める。
「その通りですよ峡哉様! 妖怪退治なんかは飛鳥に任せとけば良いんです! 私たちはその間イチャイチャしましょう!」
 おいおい。そんなに煽るとまた……。
「そうですね。……任されたついでに、まずは鎌鼬という妖怪を退治しましょうか」
 弓を片手に凪の方へと歩いていく飛鳥。それを見た凪は顔を真っ青にして弁明し始めた。
「冗談ですよ冗談! 飛鳥も一緒にイチャイチャしましょう!」
「いや、イチャイチャ自体取り消せよ……」
 俺のツッコミに飛鳥も頷く。珍しく意見が合うな。
「ええ。グチャグチャするなら賛成ですが」
「お前はお前でなにをする気だ!」
「色のイメージで言うと、赤とかピンクのふんわりした感じのことですが?」
「お前の言う赤とかピンクは血肉の色だろうが! ふんわり感ゼロ過ぎるわ!」
「大丈夫。初めは痛いですが、すぐに昇天させてあげますよ」
「リアルな昇天の方だろ⁉ お断りだよ!」
 俺が望まぬ方向でテンションを上げていると、後ろから狛犬が俺に鼻を押し付けてきた。おい止めろ。血が付くだろうが。
「美味しかったですか?」
 飛鳥の質問に狛犬はグルルと低く喉を鳴らす。どうやら満足したらしい。
「……働かず食べる朝食は」
「やめろよ! こいつだって精一杯頑張っただろ!」
 俺は狛犬を抱きしめて飛鳥から[庇{かば}]う。そのせいでまたベットリと血が付いた。
「私は油断しないように言ったんですがね……」
 飛鳥にギロリと睨まれた狛犬は、可哀想にすっかり委縮してしまった。仮にも上位の式神が、こんな小娘相手に情けないぞ。
「……さて」
 意味深に矢を番える飛鳥。それを見た狛犬は怯えて旋風のように消えていった。飛鳥が主だったばっかりに……。式神にも労働基準法が適用されていれば良かったのにな。
「体験してみますか? ……私の僕になった気分を」
 狛犬を思い[黄昏{たそがれ}]ていると、飛鳥がにっこりと俺に問いかけてきた。俺は呆れて溜息を吐く。
「勝手に人の心を読むな。お前の僕になったら三日で過労死しそうだから嫌だよ」
「失礼な。私を見くびってもらっては困ります。初日で仕留めてみせますよ」
「さぁ任務も終わったしそろそろ学園に行こうか!」
 不吉なことを言い出す飛鳥を無視し、俺は足早にその場を去った。

 

第二話

 

 都内の中心部に存在する陰陽師の総本山、陰陽寮。
 東京ドーム三十個分の広さを誇るそこには、俺たちが通う陰陽師の学園も存在している。
 のっぺらぼうを倒した後、俺はそこに一人で登校していた。
 飛鳥は汚れた服を着替えるため、凪は食べ損ねた朝食を片付けるために一時帰宅したからだ。
 ちなみに俺は少々返り血が付いたくらいじゃわざわざ帰らない。日に何度も返り血を浴びることもざらだ。一々気にしていられない。
 登校後報告書を提出し、教室に向かう頃にはもう昼休みになっていた。
 教室に入り自分の席に行くと、二人の男子生徒が声をかけてくる。
「ふん。重役出勤だな、峡哉」
「峡哉は実際に重役だからその皮肉は微妙じゃね?」
 先に声をかけてきたいかにもプライドの高そうなこいつは[土{つち}][御{み}][門{かど}][晴臣{はるおみ}]、後に声をかけてきたいかにも頭の軽そうなこいつは[蘆{あし}][屋{や}][道長{みちなが}]だ。
 こいつらはこう見えて陰陽寮の誇る四大貴族「土御門」「倉橋」「[加茂{かも}]」「蘆屋」の一員であり、所謂エリートというやつである。
 飛鳥と同様、俺にとっては腐れ縁のような存在だ。
「言っとくが寝坊したんじゃねぇぞ。朝っぱらから妖怪退治に駆り出されたんだよ。重役はもっと丁寧に扱って欲しいぜ」
「言われなくとも、その服に付いた血を見れば分かる。着替えくらいしてこい馬鹿」
 偉そうに腕を組みこちらを睨め付ける晴臣。だが横で道長が異を唱えた。
「いや分かんねーよ? 昨日から着替えてないだけかもしれねーじゃん」
「そんな晴臣みたいなことするかよ」
「おい! まるで僕が不潔な人間みたいに言うのはやめろ! 毎日着替えているに決まっているだろ!」
「そんなことより、今日の標的はなんだったん?」
 [激昂{げきこう}]する晴臣を華麗に無視し、道長が聞いてくる。
「のっぺらぼうだよ」
「のっぺらぼう⁉ そんな雑魚相手に一級のお前を駆り出したわけ?」
「三流のお前にはお似合いの三流妖怪だな」
 晴臣は無視することにした。
「仕方ないだろ、例の件でみんなピリピリしてんだよ」
「例の件って吸血鬼のことか?」
「そうだ」
 実はここ数か月、陰陽師が全身の血を吸われて殺される事件が何件も起きていた。
 二級の高等祓魔師も既に二人やられており、陰陽寮には緊迫した空気が流れている。
「下らん噂だ。この日本に吸血鬼などいるはずがない。他の吸血種を勘違いしているだけに過ぎん」
 晴臣が小馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「断言できるか?」
 俺の挑発に晴臣が口角を上げる。
「ああ。無学のお前は知らんだろうが、吸血鬼は西洋の化物だ」
 誰が無学だ誰が。
「一度の噂なら確かに[信{しん}][憑{ぴょう}]性は薄いだろうな。だが吸血鬼の噂は俺が知ってる限りこれで二度目だ」
「マジかよ。聞いたことねーんだけどオレ」
 興味を持った道長が身を乗り出してくる。
「先週気になって過去の記録を調べてみたら、ちょうど今回のように吸血鬼の噂が立ってた頃があった。……十年前の大災害のときだ」
「「……」」
 十年前の大災害。そのワードに二人が黙り込む。
「……俺が言いたいのは、まだ何も確実なことは言えないってことだ。この件は今倉橋が受け持ってる。近い内に事実がはっきりするさ」
 吸血鬼の話を一段落させ、俺はあることに気がつく。
 前方の一つの席の周りに大量の生徒が集まっているのだ。
 [怪{け}][訝{げん}]な顔をしていると、察した晴臣が呆れて溜息を吐いた。
「今頃気付いたのか。彼女は[久{く}][遠{おん}][寺{じ}][灯{あかり}]。今日来た転校生だ」
「転校生? そりゃここの連中からすれば珍しいだろうな」
 陰陽師という特性上、転校生なんてものは滅多にいない。たまに地方の支部から事情があって転校してくるくらいのもんだ。
「なんか知らねーけど任務で来たらしいぜ。バチカンから」
「バチカン……ね」
 バチカンと言えば西の祓魔師、エクソシストの総本山。そんなところからわざわざご苦労なことだ。
 改めて人だかりの方を見ると、生徒たちの隙間から件の転校生の姿が見えた。
「バチカンっていうから外国の人間を想像していたが、日本人っぽいな」
「寝惚けたことを言うな。彼女は純日本人だ。久遠寺と言ったろう」
 久遠寺、と聞いて俺は一人得心する。
 久遠寺家は代々火を操る一族だが、数十年前に陰陽術と魔術の融合を求めてバチカンに本家を移したと聞いたことがある。
「まあ、人気なのはあのルックスが理由だろーけど」
 道長の言葉に俺は改めて久遠寺を観察した。
 はっきりした目鼻立ちに、凛とした表情、ピンと張った背筋。[艶{つや}]やかな長い黒髪。
 確かに、アイドルや女優でも中々見ないレベルの容姿だ。
「飛鳥とか凪ちゃんを見慣れてるお前にはピンと来ないかもな」
 俺の反応をどう受け取ったのか、道長は白けたように肩を[竦{すく}]める。
「なんでそこであいつらが出てくるんだ……」
「いずれにしても、転校生など取り立てて騒ぎ立てるようなことじゃない。祓魔師ともあろうものがみっともない」
 晴臣が[澄{す}]ました顔で話をまとめた。だがそれに道長が異を唱える。
「んなこと言って、お前最初久遠寺さんのことガン見してたじゃん」
「晴臣は巨乳好きだからな」
「く、下らない勘ぐりはよせ! 僕はお前たち[下{げ}][賤{せん}]な輩と違って、女性を胸で判断したりはしない」
「でも胸ばっか見てたぜ」
 証人、道長から追加の証言が飛び出した。
「だそうだが?」
「道長の馬鹿な妄想だ! 大体……」
 顔を真っ赤にして弁明し始める晴臣。俺はそこで時間に気付き、慌てて立ち上がる。
「ん? いきなり慌ててどうしたんだよ」
「メシ食うんだよ。タラタラしてたら昼休み終わっちまう。ドタバタしてて朝も食ってないからな」
「ちょっと待て峡哉! まだ話は終わってないぞ……」
 引き留めようとしてくる晴臣をかわし、食堂へ向かう。その時、背中に刺すような視線を感じたが、気付かないフリをして先を急いだ。

「峡哉様ー!」
 俺が廊下を歩いていると、後ろから突然タックルを受けた。凪が家から戻ってきたらしい。
「危ねぇよ」
「す、すみません。テンション上がっちゃって……。お昼食べるんですよね? 一緒に行きましょう!」
「ああ」
 俺は凪を連れて目的地に向かって歩き始める。
「あれ? 峡哉様? そっちからは食堂、遠回りになっちゃいますよ?」
「いいんだ。メシを食う前に、やっとかないといけないことがある」

 学園の敷地は広大なため、常に無人のスポットがいくつか存在する。
 俺はその内の一つである中庭にやってきて立ち止まった。
「そろそろ出てきたらどうだ?」
 さっきからこそこそと後をつけてきている人間に俺はそう告げる。
 すると、陰から一人の少女が出てきた。先程の転校生だ。名前は……確か久遠寺灯。
「転校生か。一体何の用だ?」
 久遠寺の顔には明らかに敵意が浮かんでいる。少なくとも一目惚れからの告白などではないようだ。
「クラスの子に聞いたわ。あなたが九鬼峡哉ね」
 俺の一メートルほど前で立ち止まった久遠寺は、その形の良い眉を歪ませ俺を睨みつけてきた。
「それがどうかしたか?」
 平静を装いながらも、俺は内心『またか』と毒吐く。このパターンは何度も経験してる。どうせ次にくる言葉は――――
「汚らわしい。妖怪を使って妖怪を退治しているなんて。あなたも私たちと同じ祓魔師なんて信じられない」
 ……ほらな。
『汚らわしい』、『信じられない』、『どうかしている』、『おかしい』、『狂っている』、『正気とは思えない』、『恐ろしい』。この手のやつはみな九鬼一族のことをそう罵る。
 まあ今となっては慣れたものだが、それでもやはり言われて良い気持ちはしない。
「私たち祓魔師は妖怪を滅するのが仕事。力を借りるなんてもっての他だわ」
 妖怪の力を借りる。俺たち九鬼一族は、代々そうやって妖怪を退治してきた。
 妖怪を使い、妖怪を倒す。九鬼一族の戦闘能力は陰陽師の中でも飛び抜けていたが、その方法から元々他の一族には忌み嫌われてきた。
 先代の努力もあり、最近は比較的良好な関係を築けているが、こいつのように嫌悪感を[露{あら}]わにする同業者はまだいる。
 さてどうするか。無視して立ち去ることもできるが……。
 俺が思案に暮れていると、それまで怖いほど静かに久遠寺の話を聞いていた凪が動いた。
 一瞬で久遠寺の目の前に迫り、その首筋に手刀を突きつける。良く見ると手に妖力を混ぜた風を纏わせていた。――――本気で殺る気だ。
「妖怪への侮辱は許しても、峡哉様の侮辱は許しませんよ。撤回してください。そうすれば殺しはしません」
 突然の凪からの攻撃に冷や汗を流す久遠寺。だが一瞬で余裕を取り戻すと、小声で何か唱え始める。
 次の瞬間、久遠寺と凪の間に小さな魔法円が出現したかと思うと、そこから真っ赤な炎が勢いよく立ち昇った。
「ッ⁉」
 凪は[咄{とっ}][嗟{さ}]に後ろに飛びのくが、制服の一部は既に焼け焦げている。
「妖怪のしつけもしっかり済ませてるみたいね。大した従順さだわ」
 凪から距離を取ることに成功した久遠寺は、今度は腰のホルダーから二丁のリボルバー式の拳銃を取り出した。
 その拳銃の銃身は真紅に輝いており、全体に高価そうな金の装飾まで[施{ほどこ}]してあった。武器に使うのは勿体ないほどの逸品だ。
「……少し舐めていたようですね」
 凪が今度は体中に風を纏わせ始めた。久遠寺もそれに合わせて銃口を向ける。……今度はどっちとも全力ってわけか。
 そろそろ止めないと不味い。俺は凪と久遠寺の間に割って入った。
「止めろ、凪。あと久遠寺も銃を下ろしてくれ」
 緊迫した空気の中、俺が間に割り込むと凪が泣きそうな顔で俺に訴えてきた。
「でも峡哉様! こいつは峡哉様のことを何にも知らない癖にあんなこと言って……!」
「でもじゃない。身内同士での私闘は禁じられてるだろ」
 凪はまだなにか言いたそうな顔をしていたが、やがて全身に纏っていた風をかき消した。
 俺がひとまず安心していると、後ろから久遠寺の不満そうな声がしてくる。
「私を無視して妖怪とイチャつくなんていい度胸ね。その妖怪が戦意をなくそうと、私はやめる気はないわ」
 今度はこっちか……。
「俺や妖怪が嫌いなのは分かる。だがここで戦うのは止めろ。他の人間に迷惑がかかる。それに、俺たちにもう戦う意思はない。一方的な殺しがしたいと言うなら止めはしないが」
「な、なによそれ……」
 俺の『一方的な殺し』という言葉が効いたのか、久遠寺はしぶしぶ銃を下ろした。
 これで一安心……と思ったが、久遠寺はまだ俺を睨み続けている。
「私のママはね、妖怪に殺されたの。十年前に、ここ日本で」
 なるほど。こいつも大災害で親を亡くしたのか。九遠寺の言葉を聞いて、俺は心の中で一人納得した。
 祓魔師という仕事柄、妖怪に家族を殺されるなんてことはざらである。だが多いからと言って、気持ちに区切りを付けられるかは別の話だ。妖怪には無害なものもいるが、家族を殺されて妖怪自体を憎むようになる祓魔師は少なくない。
 だが一口に妖怪といっても千差万別だ。それは俺たち人間と同じ。ある人間が悪いやつだったからといって、そいつと同じ人種、同じ性別のやつがまた悪いやつとは限らない。
 まあ、そんな話をしても彼らは納得しないだろう。俺だって凪みたいな妖怪に会っていなければ、さっきのような考えは持たなかったはずだ。
 だから俺は何を言われても言い返さないし、反対に自分の考えを変えることもない。
 この議論に正解なんてない。どこまでいっても平行線のままなのだから。『人間と妖怪が仲良く』。そんなことが出来れば世話ないが、所詮絵空事だ。
 善良な妖怪のことは分かるやつだけ分かっていれば良いし、そんな俺の考えを他人に無理に理解してもらおうとは思わない。
 ましてやこいつみたいに母親を殺されているならなおさらだ。
「お前の事情は理解した。だが俺にはどうすることもできない。悪いな」
 俺は一人で勝手に話を打ち切ると、背を向けてその場を離れようとした。
 話が平行線なら、関わらない方がお互いの為だ。
 だがそこで、思わぬアナウンスが入る。
『九鬼峡哉一級、倉橋飛鳥二級、久遠寺灯二級、至急理事長室まで来てください。繰り返します――――』
 ……? 理事長が俺たち三人に一体何の用だ?
「九鬼峡哉一級……」
 俺があれこれ理由を考えていると、久遠寺が鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして俺のフルネームをご丁寧に役職付きで呟いた。
「なんだ?」
「あなた……一級祓魔師なの?」
 どうやら俺が一級なのが信じられないらしい。
「一応な」
「そんな、ありえない! 十代の一級なんて、世界でも片手で数えられるほどしか……」
「その片手で数えられる内の一人が俺なんだよ」
「……」
「悪いが先に行くぞ」
 まだ納得がいっていない様子の久遠寺を置いて、俺は理事長室に向かおうとする。すると目の前に久遠寺が立ち塞がった。
「私はあなたを認めない。借り物の力で調子に乗らないで」
 言いたいことだけを言い、足早に立ち去る久遠寺。それを見て俺は声をかける。
「理事長室はそっちじゃないぞ」
 立ち止まった久遠寺はまた俺を一睨みすると、今度こそ理事長室に向かっていった。

 凪を先に帰し理事長室に入ると、そこには飛鳥と、無事に辿り着いたらしい久遠寺がいた。
「良く来てくれた、九鬼一級。座りたまえ」
 着席を勧めてきたこの中年の男性は倉橋[宋厳{そうげん}]。この学園の理事長だ。
 倉橋家の頭領で、飛鳥の父親でもある。
 名は体を表すとはよく言ったもので、厳格さが服を着て歩いているような人間だ。
「いえ、自分は立ったままで結構です」
 ソファに腰かけている飛鳥と久遠寺を横目に俺はそう答える。
 あのやり取りの後、平気な顔をして久遠寺の隣に座れる気がしない。
「話とはなんですか? 理事長」
「突然だが、君たちには例の吸血鬼を討伐してもらいたい」
 薄い資料を一部手渡される。俺は眉を顰めた。
「この件は倉橋預かりのはずでは?」
「そうだ。だが、事情が変わった」
 事情、ね。だが納得いかないこともある。
「……何故このメンバーなんですか?」
 久遠寺が仏頂面で[訊{たず}]ねる。俺の[台詞{せりふ}]取りやがって。
 まあ聞きたいことは同じだからここは黙っといてやるが。
「まず久遠寺二級、君に関しては言うまでもないだろうが本人たっての希望だからだ」
「本人たっての希望?」
 俺の疑問を受け、理事長は久遠寺を見つめた。すると、しばらくの沈黙の後久遠寺は溜息と共に話し始める。
「十年前、私のママはここ日本で吸血鬼に殺された。ママを殺した吸血鬼はそれ以降ずっと現れなかったけど、最近になってまた活動を始めた。だからわざわざバチカンから日本まで来たの。復讐するためにね」
 先週読んだ資料に載ってたのは、こいつの母親の話だったのか。
「……お前の母親を殺した吸血鬼と今回の吸血鬼が同じ個体だと断定する証拠はあるのか?」
「ない。だけど確率は高いわ。吸血鬼が日本にいること自体珍しいんだから」
 確かにな。
 俺は納得した……がこの任務を引き受けるかどうかは別の話だ。
「理事長。申し訳ありませんが、この任務は他の一級を当たってください」
「何か問題でも?」
 俺は久遠寺を目で示す。
「こいつが九鬼家を嫌ってるからです。さっきも喧嘩売られましたし」
「そ、そうです。彼の力を借りるくらいなら、私一人でやります」
 久遠寺も利害が一致しているため援護射撃をしてくる。流石にさっきあれだけ[罵{ば}][倒{とう}]した人間の協力を受けるのはキツいだろう。
 ある程度事情を把握できたのか、理事長は少し困ったような顔をした。
「君たちの事情は分かった。だが、残念ながらメンバーを変更することはできない。これは命令だ」
 個人的な感情なんてどうでもいいから文句言わずに仕事しろってことか。
 まあ、問題は俺よりこいつの方だが……。
 俺は横目で久遠寺の様子を確認する。
「もう一度言いますが、私一人で十分です。それでは」
 勝手に話を終わらせて理事長室から退室してしまった久遠寺。
「……彼女はああ言っているが、二級一人で吸血鬼に挑むなど死にに行くようなものだ。悪いが、彼女を頼んだ」
 俺は大きな溜息を吐き、仕方なく受け取った資料に目を落とす。何故か不自然に薄く、数枚しかない。疑問に思ったが取りあえず読んでみることにした。
「……理事長。これはどういうことですか?」
「これ、とは?」
「今の時点で吸血鬼の拠点すら分かってないのはどういうことですか? あなたたち倉橋家が調べれば一瞬でしょう?」
 倉橋家は遺物を触媒にして、式神を使い妖怪の位置を調べることが出来る。あまり詳しくないが、吸血鬼みたいなメジャーな妖怪の遺物は日本にもいくつかあるはずだ。
「それについては私が説明しましょう」
 そこで飛鳥が口を挟んでくる。
「我々倉橋家は二人目の犠牲者が出た時点で吸血鬼の捜索を開始しました。……ですが何故か、吸血鬼の反応がないんです」
「反応がないだと? つまり……今回の下手人は吸血鬼じゃないってことか?」
「それはない。吸血鬼以外の吸血種で、二級を殺せるような妖怪はいない。それに、目撃情報のどれもが吸血鬼の特徴と一致している」
 俺の意見を一刀両断する理事長。
「……どちらにしろ、倉橋家にも居場所が分からないなら俺にもどうしようもありませんよ。知っての通り、俺は戦闘特化型の陰陽師ですし」
「お前は今まで、他の陰陽師が解決できなかった任務をいくつも解決してきた。今回もお前ならこの任務を解決に導いてくれる。私はそう確信している」
 期待してもらうのは嬉しいがそれは過大評価だ。だが理事長は一度決断したことを絶対に曲げない。俺は観念すると、ほとんど役に立つ情報が載ってない資料を机に置いた。
「分かりました。やるだけ頑張ってみますよ」
「ありがとう。引き受けてくれると信じていた」
 全く嬉しくない信頼を受け、俺は逃げるように理事長室を後にした。……今回は色々と厄介な任務になりそうだ。

「それで? どうするつもりですか? 峡哉くん」
 理事長室を一緒に出てしばらくすると、そう飛鳥が訊ねてきた。
「久遠寺より先に吸血鬼を見つけて殺す。二級が単独で挑んでも結果は見えてる」
「あなたを嫌っている彼女のこと、随分と心配しているんですね。お優しいことで。まさか惚れたとか?」
「ちげーよ。勝手に死なれたら寝覚めが悪いだろ」
「……峡哉くんは巨乳好き、と」
 スマホを取り出し書き込みを始める飛鳥。
「メモるなメモるな」
「いえ。メモってませんが」
「じゃあ何してるんだよ」
「陰陽寮公式サイトにある峡哉君のプロフィールを更新しただけです」
「アホか!」
 飛鳥からスマホを強奪すると、画面はホームのままだった。良かった。流石に冗談か……。
「……まあ、私や凪という超絶美少女が近くにいながら全く反応を示さない峡哉くんに限って、惚れた腫れたはありえない話ですね」
「ついに超絶を付け始めたな」
「事実ですから。それで? 具体的にこれからどうするつもりですか?」
「取りあえずあいつのところに行ってくる」

 陰陽寮の敷地には数多くの施設が存在するが、その内の一つが陰陽寮技術情報院だ。
 陰陽寮のありとあらゆる資料の保管や、新しい陰陽術の開発をしている。
 飛鳥と別れた後、寄り道をしてからそこを訪ねた俺は、広大な技術情報院の奥へ奥へと進んで行った。
 セキュリティが厳しく途中いくつもドアロックシステムがあったが、一級のライセンスをかざし進んで行く。
 十分ほど歩き辿り着いたのは、比較的小さめの資料室だった。古い紙の匂いと共に、紅茶の良い香りが[漂{ただよ}]ってくる。
 俺はそれに釣られるがまま、資料室の一角に歩を進めた。
「よお」
 資料室の片隅にある小部屋にいたのは、黒髪の小柄な少女だった。少女は俺の姿を認めると、その猫のような目をいたずらっぽく細める。
「やあ峡哉。そろそろ来る頃だと思っていたよ」
 彼女の名前は[白沢{しらさわ}][知{ち}][識{おり}]。ここ技術情報院の特別顧問だ。
 俺たちと同い年だが陰陽師ではない。知識は[常{じょう}][軌{き}]を[逸{いっ}]した記憶力を買われ、技術情報院で働いている。
「そろそろ来る頃だと思ってた? どういうことだ?」
「例の吸血鬼の件。担当の倉橋家はどうやら随分苦戦しているようだ。だから、そろそろ峡哉に回って来る頃だと思ってね。なんせキミは、厄介な事件の解決に定評がある。どうだい? 図星かい?」
「ご名答。なら土産に買ってきたこれは何か分かるか? 名探偵?」
 俺は手に下げた袋を持ち上げてみせる。
「そんなの推理するまでもないよ。この[芳{ほう}][醇{じゅん}]なクリームの香りはアンリのショートケーキだ。ボクの好物のね」
「正解だ」
 ケーキが入った箱を手渡すと、知識はいそいそとそれを皿に移し始めた。ちゃんと俺の分も用意してくれているようだ。
「今回の吸血鬼、倉橋家が未だに居所を突き止めてないのは知ってるな」
 知識が早速ケーキを食べだしたので、俺も食べながら話を始める。
「勿論。正直、居場所すら分からないというのはかなり珍しいケースだね。キミはこの事実をどう解釈する?」
 アドバイスをもらいに来たのに、逆に質問をされてしまう。
「可能性としては二つ考えられる。一つは仲間の妖怪が吸血鬼を妖術で隠している可能性だ。倉橋家の目を[欺{あざむ}]ける妖怪も少なからずいるからな」
「そうだね。ボクも今のところその可能性が高いと思っているよ」
「そうか? 俺はこの仮説に関してはどうも腑に落ちない」
「腑に落ちない? 何故?」
「吸血鬼は基本的に異常なまでにプライドが高いやつばかりだ。人間から逃げ隠れするやつなんて聞いたことがない」
「それは確かに……。でも、臆病者の吸血鬼がいたっていいだろう?」
 正直それに関しては否定できない。変わり者の吸血鬼がいたということで片付けられる話だ。
「それじゃあ、もう一つの可能性は?」
「そもそも今回のターゲットが吸血鬼ではない、という可能性だ」
 俺の言葉に、知識は理事長と同じく微妙な反応を見せる。
「それも少し無理があるんじゃないかな。吸血鬼以外の吸血種の妖怪が二級を殺せるとは思えない」
「そうだな。だが……他の吸血種の妖怪が二級を殺せるレベルまで強くなったと考えればどうだ?」
「強くなった……ね」
 形の良い顎に指を置き、何やら思案に暮れる知識。
「今日はお前に妖怪が突然強くなることはあるのかどうか聞きに来た」
「結論から言うと、突然強くなるなんてことはほとんどないよ。大幅に力を増すんだったら、基本的に十年単位で時間がかかると思ってくれていい」
「十年か……ちなみにその条件は?」
「主に三種類ある。多くの人に恐れられること。多くの人に[崇{あが}]められること。そして最後に――――格上を食べることだ」
 ……格上を食べる、か。
「真相が何であれ、今は結論を出すには情報が足りない。また何か分かったら来てよ」
「了解」
 丁度ケーキを食べ終えたので俺は席を立つ。だがそこで、知識が何故か俺の腕を掴んで引き留めた。
「分かっていると思うけど、吸血鬼は手強い。くれぐれも気を付けてね」
「はっ。お前こそ分かってるだろ? 俺は吸血鬼より強い」
「君の実力を疑っているわけじゃないさ。ただ……」
 知識が言わんとしていることを十分理解していた俺は、安心させるように頭にポンと手を置く。
「自分の体のことは自分が一番分かってる。じゃあまたな」

 

第三話

 

 理事長室を出て先程の中庭に戻った私は、大きな木の下にあるベンチに腰を下ろした。
 九鬼峡哉。まさか一級の祓魔師だなんて。私が今年二級になるまでにどれだけ努力をしたと思っているの。それに、まるで友達みたいに妖怪と仲良くして。妖怪は全て滅ぼすべき対象のはず……。
『九鬼一族』。 妖怪の力を使って妖怪退治をする特異な一族で、世界中の[数多{あまた}]ある名門の中でも最強と[謳{うた}]われているが、その裏で妖怪を道具のように扱っている。
 それが噂に聞いていた九鬼家だった。だけど彼は違う。朝話を聞いた限り、クラスの人間にも[慕{した}]われているようだった。
「想像していた九鬼一族とは違いましたか?」
 後ろからの声に振り向くと、さっき理事長室で会った少女がいた。……確か倉橋家の陰陽師だ。私を追ってきたようだが、仲間を侮辱された恨みでも晴らそうというのだろうか。
「……まるで私が今考えていたことが分かるような口ぶりじゃない」
 一言も話していないのに、丁度今考えていたことを聞いてきた倉橋さんに対して、私はある種の恐怖を覚えた。
「いいえ。あなたの表情を見ていたら、なんとなく分かっただけです」
 胡散臭いことこの上ない。だがそれを考えても無駄なので、観念して質問に答えることにした。
「妖怪の力を使うだけでもおぞましいのに、その上仲良くするなんて考えられないわ。噂では、九鬼一族は妖怪を道具のように使うって聞いていたけど」
「昔はそうでした。今よりずっと前の代では。峡哉くんは妖怪も人間と同様に扱っています」
「それが不愉快なのよ。妖怪は悪なの。絶対的悪」
「……では、あの妖怪も絶対的悪に見えましたか?」
 あの妖怪? 九鬼と一緒にいた鎌鼬のこと?
「悪に決まってるじゃない。人間の皮を被って、ここの陰陽師たちにも受け入れられて!」
「別に彼女は人間の皮なんて被っていませんよ」
 人間の皮を被っていない? じゃあなんで――――
「なんであんなに人間みたいに振る舞ってるのよ!」
「人間も妖怪も、なにも違わないからですよ。人間にも自分を犠牲にして他人を助ける人がいれば、自分の利益のために他人を蹴落とす人もいる。妖怪でも同じです」
「平行線ね。……何を言われても、私が妖怪を許すことはない。だから九鬼家も嫌い」
「そうですか。まあ、人間の好き嫌いなんてそれこそ十人十色ですから。それに、あなたの気持ちも分かります」
 全く敵意のない表情で言ってくる倉橋さんだったが、私は今の言葉は聞き捨てならなかった。
「分かる? あなたに私のなにが分かるって言うのよ」
 家族を妖怪に殺された痛み。それを今日あったばかりのこの子に理解されてたまるものか。
 私は自分でも制御出来ないほど興奮し、倉橋さんに詰め寄った。だが、彼女は眉一つ動かさない。
「分かりますよ。あなたのような目をした人間を、今まで沢山見てきましたから。――――憎しみを、どこにぶつければ良いか分からないのでしょう?」
 私は図星を突かれたことを悟られまいと、平静を装おうとした。この子と話していると、なにもかも見透かされているようで気持ちが悪い。
「見てきたって……」
「峡哉くんの傍にいれば、嫌でも目にします。……妖怪を憎む人たちを」
「どういう意味?」
「どういう意味もなにも……昔から九鬼家を良く思わない人たちが、峡哉くんに八つ当たりしに来ていましたからね。陰陽師だけでなく一般人もです。流石にあなたはそれを目的にきたわけではなさそうですが」
「あ、当たり前よ! 私はママの仇を……」
 八つ当たりのためにわざわざ九鬼に会いにくる奴がいるなんて。……[俄{にわ}]かには信じられないがあり得ない話ではない。
「その人たちは、幼い峡哉くんに[頻繁{ひんぱん}]に会いにくると、思いつく限りの罵倒を投げかけ帰っていきました。あるときは殴る蹴るの直接的な暴力さえも。陰陽寮は峡哉くんを守ろうとしましたが、陰でやられる分には対処出来ず、峡哉くんも自分から言おうとはしなかったので暴行の発覚も遅れました」
「そんなことをされて、なんで周りに相談しなかったのよ」
「相談できる人がいなかったんですよ。当時は私たち幼馴染も子どもでしたから」
「でもご両親とかは……」
「お父上もお母上もそのときには亡くなっていました」
 九鬼の家族が……死んでいた? いや、祓魔師が命を落とすことは多々ある。だが九鬼一族となれば話は別だ。
 九鬼一族の戦闘能力を考えると、他の祓魔師と違い戦いで命を落とすとは思えない。
「ご病気でも[患{わずら}]ってたの?」
 考えられるとすれば病気くらいか。だが倉橋さんは首を振る。
「お母上はご病気でしたが……お父上は戦いの中でお亡くなりになりました」
「戦いで? 九鬼家の当主を倒す妖怪って一体……?」
 私の質問に、倉橋さんは寂しげに目を細めた。
「日本三大妖怪の一角、酒?童子。峡哉くんのお父上はそれと相打ちになり、亡くなりました。あなたも知る――――十年前のあの大災害で」
 私は一気に鳥肌が立っていくのを感じた。九鬼も私がママを亡くしたのと同じ事件で、父親を亡くしていたなんて。全くそんな素振りは見せなかったのに。
「でも、九鬼はここの陰陽師にも一般人にも慕われているみたいじゃない。まだ日本に来て数日だけどそれくらいは分かるわ」
「それは先代と峡哉くんの努力によるものです。彼は中等部の頃から精力的に多くの事件を解決し、そのときにここにいるほとんどの陰陽師の命を救いました。結果、今は大半の陰陽師が彼を一級祓魔師として信頼しています」
 私は倉橋さんから九鬼の話を聞いて、今まで九鬼のことを誤解していたことに気付いた。だけど……
「それでも私は妖怪が嫌い。そして妖怪と仲良くする九鬼も信じられない」
 私のその言葉に、倉橋さんは怒ることもなく笑いかけた。
「分かってます。別に峡哉くんを好きになれとは言ってませんよ。ただ……」
「ただなによ?」
「峡哉くんのことを九鬼家の当主としてではなく、九鬼峡哉として見てあげてください。それだけが私からのお願いです」
 倉橋さんのその言葉を聞いて、私はさっきの自分の行動を振り返った。
 家柄だけを見て、九鬼の内面を見ようとしなかった 考え方が自分と違うだけで、九鬼を悪と決め付けた。……彼も私と同じ経験をした人間なのに。
 私は今でも全ての妖怪を憎んでいる。そして九鬼の考え方にも賛同出来ない。だがそれとこれとは話が別だ。
 私は九鬼を暴行していた人たちと同じだ。復讐ですらない、ただの幼稚な当てつけをしていたにすぎない。……本当に最低だ。
「……考えておくわ」
 考えがまとまらない私は、倉橋さんに背を向けその場を去った。……今、私はどんな顔をしているんだろう。

 私がトボトボ歩いていると、スマホに一件のメッセージが届いた。妖怪討伐の要請だ。私はバチカン所属だが、こちらに来ている以上手伝わなければならない。
 自分の位置情報を送り返すと、数秒後目の前に光の輪が出現する。輪の向こう側にはこことは別の空間が顔を覗かせていた。
 この空間移動術は[芦{あし}][屋{や}]一族の結界術の一種らしいが、いつ見ても驚かされる。日本が妖怪の多さの割に死者が少ないのは彼らの力によるところが大きいだろう。
 光の輪を潜るとそこはなんの変哲もない住宅街だった。私は四方を見回して敵を探す。
 いた。
 ざっと見るだけでも数十匹の[餓鬼{がき}]が、屋根の方から大量に見える。
 三級と見られる祓魔師が何人か確認できるが、数に押されている。私はホルダーに手を掛けると、そのまま愛銃を二丁抜いた。
 続けざまに二発。封魔弾が放たれる。弾丸は銃口で一筋の熱線となり、餓鬼たちを襲った。
 悲鳴を上げる間もなく蒸発する餓鬼たち。それを見て他の祓魔師たちは歓喜の声を上げる。
「二級が来たぞ! あと少しだ! 気合を入れろ!」
 私をアシストしようと他の祓魔師が前に出てくるが、私はそれを制した。
「下がってて。焼け死ぬわよ」
 忠告しながらシリンダーに残っていた左右十発も吐き出す。弾は全て命中し、餓鬼たちを[忽{たちま}]ちの内に消滅させた。
「凄い……これが久遠寺家の陰陽術か……」
 後方から聞こえる[感嘆{かんたん}]の声。
 ……別に、これくらい凄い内には入らない。久遠寺家の陰陽術は、ママの陰陽術はこんなものじゃない。
 考えている内にも餓鬼の数はどんどん減っていく。全部滅し終えるのも時間の問題だ。私は少し肩の力を抜いた。
「お、おい! 見ろ! あれ……」
 そのとき、一人の祓魔師が呆然と空を見上げ、何かを指差した。私もつられてそちらを見る。
「なに、あれ……」
 私たちの目の前に現れたのは、空を覆い尽くすほどの妖怪の大群だった。
 百体はくだらない大量の妖怪がひしめき合い、漆黒の塊になってこっちに向かってくる。
「増援を呼んで!」
 私は叫び、空の[薬{やっ}][莢{きょう}]を空中にばら撒く。今この場にいる二級以上は私だけ。できるだけ時間を稼がなくてはいけない。
 ……残りの霊力で、どれだけ戦えるだろうか。
 そんな後ろ向きな考えが[脳{のう}][裏{り}]をよぎるが、私はそれをすぐに追い払った。

 あれから何分経っただろうか。
 恐らく、まだ五分も経ってない。二分も経ってないかもしれない。だけど私にとっては一時間にも二時間にも感じた。
 妖怪の大群はあれからもっと増えている気がする。対してこちらで戦えるのは私一人。
 その私でさえ、霊力も精神力も底を突きかけ、封魔弾も残りわずかだ。
 何かがおかしい。
 一体何故これほど大量の妖怪が一か所に。
 こんなこと、バチカンですらなかったのに。
 頭に浮かんだ疑問は疲労ですぐに消えて行く。
 だが、私があと一撃で倒れるというところで、妖怪たちに変化が訪れた。
『何か』の通り道を開けるかのように、妖怪の群れが真っ二つに割れたのだ。
 [朦朧{もうろう}]とする意識の中、近づいてくる『何か』を睨みつける。
 それは顔も体もすっかり隠れてしまう様な、長くて黒いローブを身に着けていた。シルエットは人型。身長はそう高くないが、男か女かは分からない。
 私はふらつく体でなんとか銃を構え、『何か』を撃った。だが力を振り絞ったその一閃は、こともなげに避けられる。
『何か』は私の攻撃を避けながらどんどん近づき、そしてついに私の目の前に来た。
「やっと見つけた」
 女性の声。
 いや、それより……『やっと見つけた』?
「……どういう意味?」
「ずっとあなたをさがしていたのよ。『母親と同じ血』を持つあなたを」
 その言葉を聞いた瞬間、私は全てを理解した。
 靄がかかった意識が一気にはっきりしてくる。
 それと同時に怒りで目の前が真っ赤になった。
「お前が……ママを……!」
 最後にシリンダーに残っていた一発を眼前の吸血鬼に放つ。
 普段よりも遥かに巨大な熱線。
 避けるのは不可能――――
 ――――そのはずだった。
 だがおかしなことに熱線は吸血鬼の手前で急に逸れ、代わりに後方の建物を貫いた。吸血鬼は一瞬呆気に取られたようだがすぐに気を取り直す。
「……今のは少し驚いたけど、これでもう打ち止めでしょう? さあ、早くあなたの美味しい血を頂戴」
 ローブの向こうに鋭い牙が見えた。もう抵抗する気力もない。私は復讐を果たせなかった悔しさで、歯を食いしばる。
「――――急急如律令」
 死を覚悟した瞬間、そう頭上から彼の声がした。

 

第四話

 

『門』を抜けると、俺はちょうど現場の上空に飛ばされていた。
 俺は空中から眼下を見おろし、大体の状況を察する。
 ……一%くらいか。
「――――急急如律令」
 呪文を唱える。すると、体中の血がグツグツと煮えたぎってきた。
 それと同時に右腕に紅い文様が浮き出し、やがてそれは右手に握る刀に集まっていく。
 凄まじい力が刀身に集まったのを確認した俺は、それを下の妖怪たちに向かって振るった。
 [轟音{ごうおん}]と共に紅い力の[奔{ほん}][流{りゅう}]が妖怪たちに襲い掛かる。紅雷に触れた妖怪たちは悲鳴を上げる間もなく消失していった。
 久遠寺と吸血鬼だけを残し、全ての妖怪を[薙{な}]ぎ払った俺は、トンと久遠寺の横に降り立った。
 さっきまで血を吸おうとしていた吸血鬼も思わず距離を取る。
「大丈夫かよ、お嬢様」
 隣で唖然としている久遠寺に一応声を掛けてみる。
「今の力は……一体……」
 体力も霊力も尽きかけているが、目立った外傷はないようだ。俺はひとまず安心して今度は吸血鬼に視線を向けた。
「ようやく会えたな吸血鬼。短い間に陰陽師を何人も殺しやがって」
 刀の切先を向けながら愚痴をこぼす俺に対し、吸血鬼は多少面食らった様子を見せたものの、すぐに冷静さを取り戻す。
「……想定外だわ。もう一級が来るなんて。残念だけど、あなたを殺すには準備が足りない。今日はもう退散させてもらおうかしら」
 [踵{きびす}]を返す吸血鬼。
「逃がすか!」
 俺は再び刀身に力を込める。だが目の前の吸血鬼の姿は、また大量に現れた妖怪によって覆い尽くされた。
「ごきげんよう。また近いうちに会いましょう」
「邪魔だ!」
 叫びながら刀を横薙ぎに振るう。先程と同様妖怪たちは砂糖菓子のように[容易{たやす}]く壊れて行く。だが妖怪たちが消えた後、肝心の吸血鬼は消えていた。
 完全に逃げられてしまった後、それまで[呆気{あっけ}]に取られていた久遠寺が突然我に返る。
「……あいつを追わなきゃ」
 体力も霊力も使い果たしている久遠寺はフラフラと心もとない足取りで吸血鬼が消えた方向へ歩き出す。見かねた俺は久遠寺の腕を掴んだ。
「離して! 私は行かなきゃいけないの! ママを殺した、あいつを殺す!」
 興奮し、俺を睨みつける久遠寺。
「落ち着け。仮に見つけられたとしても、その身体じゃ返り討ちにあうだけだぞ」
 俺の言葉に一瞬たじろいだ久遠寺だったが、またすぐに俺を振り解こうとしてきた。
「それでも……例え死んだとしても私はやらないといけないの!」
 そんな自暴自棄な久遠寺の言葉に、流石にイラッときた俺は声を荒げる。
「復讐するのは構わない。だがな……復讐ってのはやり遂げなきゃ意味がないんだよ」
 俺の言葉に一瞬ビクッとした久遠寺は、振り払うのをやめてその場に座り込んだ。全く……やっと落ち着いたか。
 俺が[安{あん}][堵{ど}]していると、座り込んだ久遠寺の方からなにやらくぐもった声が聞こえてきた。まさか……泣いてんのかこいつ?
「お、おい。泣くことはねぇだろ……」
 周りにあまり泣く女がいないため、どうすれば良いか分からない俺はおろおろする。
「こ、これは違う! 泣いてなんかない!」
 顔を上げ、こちらをキッと睨んでくる久遠寺。その目はこれ以上ないというくらい真っ赤だ。泣いてんじゃねぇか……
「なにか気に障ったこと言ったか? 言っておくが、『追うな』って言ったことは撤回しないぞ。客人をみすみす死なせるわけにはいかないからな」
「ち、違うの……」
 なにが違うんだ……?
「あなたが……初めてだったから」
 おい。言葉のチョイスに気を付けろ。一瞬ドキッとしただろうが。その上目遣いと相俟ってなんか変な感じがするだろ。
「最後まで言え。分からないだろうが」
「復讐を否定しなかったのが……」
 ……まぁ、確かに復讐っていうのはあまり聞こえが良いものじゃないな。泣くほどのこととは思えないが。
「俺は復讐を否定しない。親を殺されたら、そいつを殺したいって考えるのは極自然な考えだ」
「じゃあ……止めないの? 私のこと」
「止めるわけないだろ。逆に俺に手伝えることがあったら何でも手伝ってやるよ」
 俺たちにとっても、吸血鬼は早めに退治しないといけないからな。
「……」
 すると久遠寺は、何故か納得いっていないような表情をする。
「なんで……」
「?」
「なんで私にそんなに優しくしてくれるの? さっきあなたをあれだけ侮辱したのに」
 単なる利害関係の一致だよ。俺がそう答えようとすると、久遠寺の体がゆらりと揺れた。
「おい」
 咄嗟に抱き留める。どうやら気絶してしまったらしい。体力の限界が来ていたみたいだから無理もないか。
 気絶している久遠寺の顔を見て、何故か突然謎の既視感に襲われた。こいつは俺が知っている誰かによく似ている。顔ではなく、もっと根本的な何かが。……もっとも、誰とどこが似ているのかはまだ分からない。
 我に戻り改めて周りを見回してみると、そこは酷い惨状だった。三級祓魔師がそこかしこで倒れ、周りの建物もズタズタに切り裂かれている。
 ……建物の傷に関してはほとんど俺の所為だが。
「……死人が出なかっただけマシか」
 俺は気を失った久遠寺を支えながら、応援が来るまでその場に立ち尽くした。

 吸血鬼に逃げられた翌日。朝から女子寮に来ていた俺は、ある部屋の前で立ち止まりインターホンを鳴らした。
 一昨日現場にいた陰陽師から吸血鬼が何故か久遠寺を狙っているらしいと聞いた俺は、今日から久遠寺を使った囮捜査をしようと思い立ったのだ。
 しばらくすると、ドアの向こうでなにやらガサゴソと音が聞こえてくる。
「こんな朝から一体誰よ……」
 出てきたのはパジャマ姿の久遠寺だった。[寝惚{ねぼ}]け[眼{まなこ}]で目を擦っている。
「おはよう、久遠寺」
 俺が声をかけて初めて訪問者の姿を認めた久遠寺は、驚きのあまり派手に飛び退く。
「え⁉ く、九鬼! なんで私の部屋に!」
「今から町に出るぞ、準備しろ」
 久遠寺は未だに状況が理解出来ないようで、わたわたしている。
「町に? ……私たちってそういう関係じゃないでしょ」
「今からそういう関係になるんだよ」
「えっ⁉」
 ジトッと俺を睨んでいた久遠寺の顔が見る見る内に赤くなる。そこで説明が不足していたことに気が付いた俺は補足しておく。
「何故だか知らんが吸血鬼はお前を狙っている。だからこっちはそれを利用させてもらう。お前を餌にヤツを誘き出すぞ」
 陰陽師がワラワラいる学園にいたんじゃターゲットは釣れないからな。どこか他の場所に行く必要がある。
 だが俺の説明に対し、久遠寺はどこか心ここにあらずといった感じだ。心配した俺は一応確認しておく。
「おい、今の説明聞いてたか?」
「……え? う、うん。聞いてた。大丈夫」
「それなら早く準備してきてくれ」
「わ、分かった。ちょっと待ってて……」
『優しくしてくれたのってそういうこと……』『あんなに強引なこと言うなんてちょっと意外かも……』
 久遠寺はなにやらよく分からないことをブツブツ言いながら部屋に戻っていった。
 ……。
 …………。
 ……………………。
 長い。
 長すぎる。
 一体何時間待たせる気なんだ。
 流石に痺れを切らした俺は再度インターホンを押そうとする。
「お待たせ……」
 だが丁度そのとき久遠寺が部屋から出てきた。何故か私服で出てきた彼女に俺は一瞬言葉を失う。
「なんか言いなさいよ」
 [俯{うつむ}]き加減に俺を睨む久遠寺。……一体何を言えというのか。だがそれを聞いてはいけない雰囲気だ。
「……似合ってるぞ」
 頭をフル回転させ、どうにか俺はそう言葉を[紡{つむ}]ぐが、言った後でどう考えてもこれが正解ではないと気が付く。
 ドラマや漫画の流れでは自然だがあれはデートをするときの話だ。
「……ありがとう」
 だが俺の心配を[余所{よそ}]に、何故か久遠寺はまんざらでもなさそうだった。
「じゃあ……いくか」
 何か話が噛み合っていないような気がするがまあいいか。俺は久遠寺が部屋の鍵をかけるのを確認すると、気を取り直して先に廊下を歩き出した。
 「で? 今日はどこに連れて行ってくれるの?」
 心なしかいつもよりも弾んだ声で聞いてくる久遠寺。……なんか、普通に可愛いというか、昨日までとのギャップが激しくて混乱するな。
「別に決めてない。ここの外ならどこでもいい」
「はぁ。無計画ってわけ……」
 一転シラーっとした視線を向けてくる久遠寺。
「お前さえいればいいからな」
 餌の久遠寺自体が重要なのであって、場所はそこまで重要ではない。そんなこと、こいつも分かっているはずだろうに。
「えっ?」
 また久遠寺が頬を[紅{こう}][潮{ちょう}]させる。今日だけで何度目だろうか。忙しい奴だな。 「あなたってそういうキャラだったの? 恥ずかしいから、そういう不意打ちしないで……」
 キャラ? 恥ずかしい? 不意打ち?
 久遠寺が何を言っているのか本気で分からない。
「じゃあ……私の行きたいところに着いてきてくれる?」

 久遠寺に連れられて来たのは、表参道にある小洒落たカフェだった。えらく人気があるらしく、店内に入るまで三十分以上待たされた。
 周りの客がほとんど女子高生ばかりということもあり、俺はなんともいえない居心地の悪さを感じていた。
 そもそも一人は帯刀、一人は帯銃だ。目立つに決まっている。
 だがそんな俺をよそに久遠寺は生き生きとした表情でメニューを見ていた。
「うーん、迷うわね。やっぱりチョコが美味しそうだけどこっちの季節限定のメロンも捨てがたいし……。あなたはどれにするの?」
「俺は……アイスコーヒーでいいよ」
「ちょっと、せっかく来てるんだからなにか食べなさいよ」
 俺としても飲食店で最低限のマナーは守りたいところだが……。
「……あのな久遠寺。もうここが七店舗目だぞ? 流石にこれ以上甘いもの食ったら俺は血糖値の上昇で死ぬ」
 そう。久遠寺はまるでここが一店舗目のようなテンションだが、実際はここの前に六店舗似たような店に行っているのだ。
「死ぬって大げさね……」
「大げさじゃない。むしろお前はなんでそんなに食えるんだよ……」
「甘いものは別腹だから」
「別腹っていっても限度があるだろ……」
 注文してしばらく後に出てきた割と大き目のパンケーキを、久遠寺は苦も無く食べ進めて行く。
 俺はそんな彼女の様子を信じられないものを見る目で観察した。
「……ねぇ九鬼」
 食べている途中で突然久遠寺がナイフとフォークを置く。表情もどことなく暗い。
「なんだ?」
「昨日助けてくれたお礼と一昨日の謝罪をさせて。……ありがとう。そして、本当にごめんなさい」
 なんだ、そんなことか。
「気にしなくて良い。これでもお前の気持ちは少しは分かってるつもりだ」
「私が良くないのよ!」
 なんで謝られる側の俺が怒られるんだ?
「あのな。お前がどう思ってるかは知らないが、俺はお前に言われたことなんてもう気にしてない。……慣れてるしな」
 俺の言葉に久遠寺が何故か苦しそうな声を出した。
「飛鳥から聞いたわ。あなたが今までどんな思いをしてきたか」
 飛鳥のやつ、余計なこと言いやがって。俺は久遠寺の[憐憫{れんびん}]がこもった声に耐えられず反論した。
「九鬼の血が理由で困ったことも確かにあった。だがその代わり、俺は九鬼の力を受け継いでる。それがなかったら一昨日お前を助けることも出来なかった。恩恵には弊害がつきものだ。不幸と思ったこともない」
「強いのね。……私と違って」
 自虐的な久遠寺の言葉に、俺は少し驚いた。こいつはもっと自分の信じた道を愚直に進むタイプの人間だと思っていた。
「お前だって強いさ。復讐っていうのは相当の覚悟をしないとできない。それだけお前の母親に対する気持ちが大きかったんだろ」
「ありがとう。でも私は弱い。あなたに暴力を振るっていた人間と同じ。罪のないあなたに憎しみをぶつけて、気を紛らわせて」
「罪はなくても関係はあるだろ。お前らの憎む妖怪と、俺たちは行動するんだから」
「関係あるものを憎むなら、私はこの世界全てを憎まないといけなくなるわ。ママが大好きだったこの世界を。だから関係があるからってあなたを責めるのは完全に間違いだった」
 俺は肯定も否定もできず黙り込む。
「私はね。あいつをずっと殺したかった。だけど中々見付けられない。それで苛立っていたの」
 俺は何も言わず聞いていた。久遠寺は今、自分と向き合おうとしているのだ。一番難しい、一番苦しい。自分との対話を。
「私はママを殺された憎しみを誰にもぶつけることが出来ずに、ずっと苦しかった。心の底に、真っ黒な何かが常に渦巻いてるみたいで」
 久遠寺は途切れ途切れに、だがしっかりとした声で言葉を紡いでいく。
「こんな思いをするのなら、憎しみを他のものに向ければ良い。私は無意識の内にそう思ったんでしょうね。他のものっていうのは、私の場合全ての妖怪だった。でも……本当は理解してるの。妖怪も人と同じで一括りにするのは間違ってるって。実際、バチカンでも人と共生している魔物はいるし」
「……なら、改めて協力してくれるってことでいいんだな?」
「ええ。九鬼が許してくれるなら、だけど」
「言ったろ? 元々怒ってないって」
 久遠寺は少し気が楽になったのか、安堵の溜息を漏らす。そして、何を思ったのかパンケーキを一口サイズに切り分け、それをフォークで刺してこちらに差し出してきた。
「……協力のお礼の先払いよ」
「絶対いらない」
 俺は恥ずかしがる久遠寺の表情と差し出されたメロンとクリームがたっぷりと乗ったパンケーキを交互に見ると、一言そう言った。

「これで原宿の人気スイーツは大体制覇したわね」
 帰り道、スマホを触りながら久遠寺がそんなことを呟いた。
「お前は日本に滞在している内に都内のスイーツ全部制覇しそうだな」
「それもいいかもね」
「今はいいが年を取ったら太りだすぞ」
「お生憎様。ママは私よりももっと甘いもの好きだったけど、ずっとスタイルよかったから心配ないわ」
 特殊体質一家かよ。
「そう言えば……お前の母親ってどんな能力を持ってたんだ?」
 久遠寺家は別名『虹の貴族』と呼ばれ、一族特有の炎を操る。炎の種類によって直接戦闘に向いてるものから戦闘向きでないものまで様々という噂だ。
「ママは『不死鳥の藍炎』の持ち主よ」
「不死鳥の藍炎?」
「簡単に言えば、見た妖怪の精神に干渉して操る炎よ。不死鳥の藍炎を使う頭首は今までにもいたけど、ママは歴代でも最高の使い手だって言われてた」
 美しい思い出に浸るようにはにかむ久遠寺。だが俺はそれを聞いて、全く別のことを考えていた。
「妖怪の精神に干渉……操る……」
「私も早く久遠寺家の炎を会得して一人前の……って聞いてるの九鬼?」
「あ、ああ……」
「聞いてないじゃない」
 生返事をする俺を呆れたような目で見て、久遠寺はまた先に歩き出す。
「九鬼、今日はありがとう。デートに誘ってくれて。結構楽しかったわ」
 久遠寺のその言葉に俺は思考を一旦止める。
「デート? デートってなんのことだ?」
「え? 今日は私をデートに誘ってくれたんでしょう?」
 灯が驚いた様子で振り向く。
「違う。外に出てお前を狙ってる吸血鬼を誘き出そうとしたんだ。朝にちゃんと説明しただろ」
「……」
 俺のその言葉を聞いて、久遠寺の表情が無になる。しばらくポカンと口を開けていたかと思えば、いきなり今日一番の赤面を見せた。
「……帰る」
「お、おい……」
 踵を返す久遠寺を追おうとする。
「今日はもう放っておいて!」
 そう言い、久遠寺は耳まで赤くしながらその場を去ってしまった。
「……」
 一人取り残される俺。
 仕方がないので駅に向かうが、その前に一つやっておくことがある。
「……そろそろ出てこい、凪」
 少し後ろのショップの柱に向かって話しかける。すると、その陰から制服の凪が出てきた。
「ぐ、偶然ですね、峡哉様。こんなところでお会いするなんて」
 緊張で汗だくになりながら目線を泳がせている凪。
「下手な三文芝居はやめろ。三店舗目からずっとつけてきてただろ」
「気付いてたんですか⁉」
「当たり前だ。あれだけ[怨{えん}][嗟{さ}]を込められればな。お前こそなんで俺たちがここにいることが分かったんだよ」
「朝峡哉様の部屋に行ったら誰もいなかったので、飛鳥に聞いてみたらここにいると……」
「その飛鳥はなんで知ってるんだ……」
 いや、怖いから考えるのはよそう。
「でも峡哉様も悪いんですよ? あんな泥棒猫とデートして!」
「デートじゃねぇよ。話聞いてなかったのか?」
「あの女がデートと認識していたならそれはデートです!」
 そんな無茶苦茶な。
「峡哉様、明日以降もこんなこと続ける気ですか?」
「あいつ次第だな。吸血鬼に俺たちから近づく手段がない以上、これしか方法がないんだから」
「嫌です! 明日からは私とデートしましょう!」
「なんの意味があるんだそれ」
「主に私がハッピーになります」
「……今はお前のハッピーより優先することがあるんだ。ほら、さっさと帰るぞ」
「いえ! 私、峡哉様が金輪際あの女と会わないって約束してくれるまで帰りませんよ!」
 がしっと柱にしがみつき、どうやら徹底抗戦の態度の凪。
「そうか。じゃあ俺は先に帰るから」
「え? ええ⁉」
 俺の行動が予想外だったのか、凪はダッシュでこちらに駆け寄ってくる。
「なんか最近峡哉様冷たくないですか? 一昨日だって私のこと呼んでくれなかったし!」
「緊急だったんだ。それに、お前の力を借りるまでもなかった」
「でも『あの力』を使ったんでしょう? 私、峡哉様のお身体が心配です……」
 本気で心配しているらしい凪の表情に俺は一度立ち止まる。
「お前らはみんな心配しすぎなんだよ。ほら、もういい加減帰るぞ」
 凪は迷った挙句、今度は素直に後をついてきた。
「じゃあじゃあ! 帰ったらすぐにお風呂に入りましょうね! お背中お流しします」
「……どっちにしろ背中は流させないが、帰ったら少し寄るところがある」
「どこにですか? お供します!」
「知識のところだ」
「え、知識さんですか?」
 凪があからさまに引いた表情を見せる。
「一緒に行くか?」
「いえ……遠慮しておきます」
「お前あんまり知識に会いたがらないよな。もしかして苦手なのか?」
 その問いに凪は泣きそうな顔になる。
「だってぇ、知識さん良い人ですけど私に向ける視線が怖いんですもん。まるで実験動物を見るような目をするんですよぉ!」
 あー。九鬼の人間と長く過ごす妖怪は色々な意味で特別だからな。あいつにとって凪は気になる存在かもしれない。
「なら一人で行ってくる」
 俺はそう言いつつスマホを手に取り知識にメッセージを入れ、ある資料を取り寄せて欲しいと頼んだ。
「うぅ……でも女の子のところに峡哉様を一人で行かせるのは嫌です……」
 諦めの悪い凪を連れ、俺は一旦学園に戻った。

 

第五話

 

 陰陽寮に帰ると、俺はまた技術情報院に足を運んでいた。例の場所に行くと、知識はソファにだらりと寝転がっていたが、俺の姿を認めるとのそりと身体を起こす。
「全く。相変わらず人使いが荒いね、キミは。この短時間で当該の資料を集めるのに苦労したよ」
「いきなりで悪かったな」
 差し出されたファイルを受け取ると、俺も知識の隣に腰かけ資料を読み始めた。
「今度は一体全体何を調べているんだい? そんなものを取り寄せて」
 知識が俺の肩に顎を乗せ資料を覗き見する。俺が彼女に取り寄せてもらった資料、それは例の吸血鬼に殺された陰陽師の死体検案書だった。
「例の妖怪が吸血鬼じゃない可能性があるっていう話を覚えてるか?」
「忘れるわけないだろう? ボクの記憶力を知っているキミの台詞とは思えないね。もっとも、一昨日のことだから一般人でも忘れないと思うけど」
 不満そうに口を尖らせる知識。
「だけど今となっては、ボクは[懐{かい}][疑{ぎ}]的だね。一昨日キミと久遠寺二級が遭遇した妖怪。あれは吸血鬼の特徴に合致している点が多い」
 知識は俺から離れると正面に座り、その綺麗な左手の人差し指をピンと立てる。
「まず一つ。多数の他の妖怪を従えていた点。これは吸血鬼の能力の一つの魅了に当てはまる」
 二つ目。今度は中指を立てる。
「二つ。キミたちの目の前から突如消えた点。これは吸血鬼の霧に変身する能力で説明できる」
 出来たピースを可愛らしく動かす知識。
「ボクの知っている限り吸血鬼以外でこんな芸当ができる妖怪はいない。やっぱり結界に引っかからなかったのは他の妖怪の力を借りてるんじゃないかな? プライドより安全を優先する吸血鬼がいたっていいだろう?」
 今知識が言ったことは理解できる。だがそれでも、俺にはやはり気になる点があった。そしてその疑惑は、この死体検案書を見て確信に変わった。
「お前が言ってることは良く分かる。状況証拠だけを見れば九割方吸血鬼だろう。だが俺にはまだ気になることがあるんだ」
「気になること?」
「今回のあいつは周りの妖怪に頼りすぎている。久遠寺を襲うとき、結局あいつは最後まで他の妖怪に頼って直接手を出そうとしなかった」
 俺は読み終わったファイルをどさりと机の上に置く。
「前の被害者も同様だ。体にある全ての傷が他の妖怪によるものだった」
「……」
 俺の言いたいことを察した知識が考え込む。俺は話を続けた。
「吸血鬼は多くの能力を持つが、奴らにとって最も強力な能力はその圧倒的な[膂{りょ}][力{りょく}]だ。鬼の字が付いてるだけあって、こっちの鬼同様身体能力が並外れてる」
「そんな吸血鬼にとって、魅了や変身能力というのは単なるおまけに過ぎない。プライドより安全を優先する吸血鬼がいるのは納得できても、自分で戦わない吸血鬼がいるとは思えない」
「……キミが言いたいことは分かったよ。だが、あの妖怪が持つ吸血鬼に類似した能力はどう説明する?」
「あの妖怪は……血を吸った人間の能力をコピーしたんじゃないか?」
 知識は息を飲む。
「コピー? それじゃまるで……」
「ああ。俺と同じだ」
「なんでその結論に行きついたのか聞きたいな」
「きっかけは久遠寺に聞いた話だ。久遠寺の母親は妖怪の精神を支配し、操る陰陽術を使っていた。これをコピーすれば魅了の能力は説明できる」
 俺は次にテーブルの上に置いた資料を見やる。
「突然消えたのも誰かの陰陽術のコピーの可能性があると思って調べたらビンゴだった。二件前の被害者は――――芦屋一族だ」
「なるほど。芦屋流結界術の空間移動か」
「そういうことだ。知識、率直に聞く。吸血種の中で血を吸った相手の能力をコピーできる妖怪はいるか?」
「いない」
 即答だった。
「厳密には、そういった能力があると定義されている妖怪はいない。要するに、その妖怪のコピー能力はまだ公式に認められてないってことさ」
 知識はソファから立ち上がると、俺に背を向ける。
「だけどこれまでの報告書を見れば、なにか見つかるかもしれない」
 彼女が何をやろうとしているのか気付いた俺は驚いて立ち上がる。
「報告書って、どれだけあるか分かってるのか?」
「もちろん。でもキミの推理に賭ける価値は十分にあると思うよ。ボクもこれ以上陰陽師が殺されるのは嫌だからね」
「悪いな……恩に着る」
「何か見つけたらボクもご褒美にどこか連れて行ってね。約束だよ」
 いそいそと報告書を読みに行ってしまう知識。
「……ボクも?」
「飛鳥のやつ、知識にも話したのか……」
 女子のコミュニティの恐ろしさを実感しながら、俺も技術情報院を出た。

 知識にプランBを進めてもらっている間、俺は同時進行でプランAを進めなければならない。
 あれから数日間、俺と久遠寺は例の妖怪を誘き出すために町に繰り出していた。……やっていることは相変わらず都内のスイーツ巡りをすることだが。
 久遠寺の中で初日にデートだと勘違いしていたことはなかったことになっているらしく、全くその話題に触れてこない。
 俺としてもわざわざ掘り返すつもりはない。一番恐れていたのは久遠寺の協力が得られなくなることだったが、どうやら恥ずかしさより彼女の義務感が勝ったらしい。
 だが囮捜査も今日で五日目。そろそろ俺の血糖値が限界を迎えそうだ。
「今日でもう五日目だけど、全く姿を見せる気配がないわね。私たちを見つけられてないのかしら」
 帰り道、久遠寺がそう疑問を口にする。
「それはない。二日目以降ずっとあいつの視線を感じているからな」
「そうなの? じゃあ何で襲ってこないのよ」
「警戒してるんだろ」
 恐らく、主に俺を。
 やはりプランAであいつに接触するのは難しいか。
「もうそろそろ終わっちゃうのね……」
 突然、久遠寺がそう小さく呟いた。
「終わる? なんの話だ?」
「私の復讐が済んだら、こうやってあなたと遊びに行くこともなくなるんだなって思って」
「おいおい。遊びでやってるわけじゃねぇぞ」
「分かってる。ただ、私は今までずっと修行ばっかりしてきて友達なんていなかったから、こうやって同年代の子と街に出るなんて初めてだったから……」
「最後かどうかなんて分からないだろ」
「え?」
 寂しそうに俯いていた久遠寺が、ここでやっと顔を上げる。
「……お前がここを気に入ったなら、復讐が終わった後もしばらくいればいい」
「……良いの?」
「良いもなにも、俺なんかの許可は必要ないだろ」
「ふふっ。それもそうね」
 やっとそこで久遠寺は笑みを見せる。……怒ったり泣いたりする表情しか見たことなかったが、やはり笑顔が一番が一番似合う。
 そう考えていると、俺と久遠寺のスマホに同時にメッセージがきた。
「……九鬼」
「ああ」
 メッセージを見た俺たちはすぐに移動を始めた。

 俺と久遠寺は都内の民家から少し離れたところにある林にいた。そして、俺たちの目の前で遺体収納袋が閉められる。
「ヤツか?」
 俺の問いに現場にいた三級祓魔師が首を縦に振る。
「ええ。間違いありません。首元の咬みつき跡に加え、全身の血が抜かれた状態で発見されました」
「他に外傷は?」
「詳しくはこれからですが、体中多数の傷が……うっ」
 思い出したからか、その場で吐き気を催してしまう三級祓魔師。俺は彼の背中をさすってやる。
「……申し訳ありません、九鬼一級」
「いい。君は向こうで少し休め」
 フラフラと歩き適当な段差に腰を掛ける三級祓魔師。それを見届けると、久遠寺は顔を顰めた。
「……考え得る限り最悪の結末になったわね。あの吸血鬼、私たちを無視して今まで通り活動するつもりみたい」
「そのようだな」
「……」
 久遠寺はまた黙り込んでしまう。
 そのとき、俺のスマホの着信がなった。知識からだ。俺は反射的に出る。
「何か分かったのか?」
 食い気味に尋ねる俺と対照的に知識は努めて冷静に話し始める。
「うん。三十年以上前の報告書に少し気になる記述を見つけたんだ。それによると、報告者はある妖怪を退治するときに油断して少し血を吸われたらしい。そしてその後、その妖怪が報告者の陰陽術とよく似た能力を使ってきたんだって。当時、能力のコピーは一回だけだったってこともあって、この件は報告者の気のせいで片付けられたんだけど……」
 知識の話は俺が探していた報告書そのものだった。俺はスマホを持った右手が震えるのを左手で押さえる。
「それで、その妖怪の名前は――――」

 

第六話

 

 知識の電話からしばらく後、俺と凪、久遠寺は都心から遠く離れた森に来ていた。
 全てをここで終わらせるためだ。
『始めてくれ』
 インカム越しに他の陰陽師に合図を送ると、数秒の後、俺たちを中心に半球状の結界が張られていく。
 結界が完成したことを確認した俺は、地面に深々と刀身を突き立てた。
「――――急急如律令」
 しばらくすると、地面が音を立てて揺れ始めた。揺れはどんどん大きくなり、凪と久遠寺は近くの木に寄り掛からなければ立つことすらままならなくなる。
 振動が最高潮に達すると、次は地面にいくつもの亀裂が生まれた。裂け目からは溶岩を想起させる赤黒いものが見え、次の瞬間空高く噴出する。
 同様の深紅の柱が森のあちこちで次々と突き立てられた。[蠢{うごめ}]く破壊のエネルギーは柱から地面に降り注ぎ、木々や岩を破壊していく。
「ちょっと九鬼これどういうつもり⁉」
 なにがなんだか分からない、といった様子で久遠寺が叫ぶ。
「見てろ」
 すると、森が破壊し尽されたところから妖怪がうじゃうじゃと湧き上がってくるのが見えた。そしてその中から、見覚えのあるローブを着た影がこちらに近づいてくる。
「随分な挨拶じゃない? 若い一級祓魔師さん?」
 待ちに待った妖怪の登場に俺はつい口角を上げる。
「そっちが中々誘いに乗ってくれないからな。少々熱烈にいかせてもらった」
「……どうしてここが分かったの?」
 表情はフードに隠れていて[窺{うかが}]い知ることはできなかったが、ヤツは以前と違い明らかに動揺していた。
「簡単な話だ。お前の[痕跡{こんせき}]を辿らせてもらった――――[飛縁魔{ひのえんま}]」
 俺の言葉に飛縁魔が息を飲む。
「気付いたのね、私が飛縁魔だって。てっきりあなたたちは、私のことを吸血鬼だと認識しているのだと思ってたわ」
「まぁな。中々気付けるものじゃない。元々雑魚妖怪の代表格みたいなお前が二級以上の祓魔師を何人も殺した張本人なんてな」
「……私はもう雑魚妖怪なんかじゃない。二級だけじゃないわ。一級も、いつの日か特級ですら殺してみせる」
 俺の煽りがよほどこたえたのか、飛縁魔はあからさまに苛立ちを見せた。俺は冷めた目でそれを見つめる。
「無理だよ。お前みたいな卑怯者は、特級はおろか俺たち一級の足元にも及ばない」
「卑怯者ですって?」
「考えたんだ。お前がどうやって今の力を得たか。そして一つの仮説を思いついた。十年前のあの日、お前は久遠寺の母親に会った。だが当時のお前は逆立ちしても彼女に勝てるわけがない。じゃあどうやって彼女の血を吸うに至ったか……」
 俺はそこで隣の久遠寺を見た。だが彼女の表情を窺い知ることは出来ない。
「お前が会ったとき、久遠寺の母親は他の妖怪との戦いで既に死にかけていたんじゃないか? お前はそれを好機と捉え、ハイエナのように彼女を襲い、そして吸血した」
 飛縁魔は黙っている。俺は話を続けた。
「それから最近になるまでお前が活動を停止していたのは格上の能力に身体を[馴{な}]らすのに時間がかかったからだ。……十年という長い時間が。お前は恐らく……対象が生きている間に吸血するとその能力を使えるんだろう。能力の使用時間は飲む量に比例する。少量の吸血だといいところ数回。そして全身の血を吸えば、ある程度永続的に使える」
「だが」と俺は付け足す。
「妖怪を操る久遠寺の母親の能力は完全には使いこなせなかった。元のレベルが違い過ぎたからだ。だから同じ血が流れる久遠寺を求めた。力を完全なものにするために」
「……正解よ。何もかもね。でも一つだけ教えて。何故そこまで分かったの?」
「俺がお前と同族だからだ」
「同族……? どういうこと?」
「さあな。もうくだらない問答はいいだろう。さっさと死んでくれ」
 俺は一方的に自分の疑問だけ解消させると、改めて切先を飛縁魔に向けた。
「残念だけど死ぬのはそっちよ。不意を突いて強襲したつもりだろうけど少し遅かったわね。あなたを殺す手筈は既に整ってるの」
 飛縁魔が手を[翳{かざ}]し、そこから藍色の炎が吹き上がる。すると、その背後から何かがボコボコと膨れ上がるのが見えた。
「だいだらぼっち……」
 軽く高層マンションくらいにまで膨張したその妖怪を見て、俺はそこで初めて飛縁魔の奥の手を知った。
 人間の形をしてはいるが、その体は俺たちとは違い雪のように真っ白だ。顔はどの獣とも似ておらず、形容しがたい。鋭く尖った爪はそれだけで成人男性より遥かに大きかった。
「……まずこいつを倒せばいいのね」
 だいだらぼっちを見上げながらそう漏らした久遠寺は、あまりの大きさに圧倒されたのか額に一筋の冷や汗を流す。
「いや、俺一人でやる。だいだらぼっちは正直飛縁魔よりも格段に強い。お前がいても足手まといになるだけだ」
 何のオブラートにも包まない俺の言葉に一瞬怒った表情を浮かべる久遠寺だったが、だいだらぼっちをもう一度見直して下唇を強く噛んだ。
「確かにそうかもしれないけど……あんな相手、あなた一人じゃ勝てないわ。せめて二人でかかった方が……」
「勝てるんだよ。俺は」
 そう言った瞬間、久遠寺の後ろに白い影が映った。あれはだいだらぼっちの――――
「伏せろ久遠寺!」
 だいだらぼっちがビルのように太い腕で殴りかかってきたと分かった俺はすぐに叫ぶが、死角からの攻撃のため、久遠寺は攻撃されようとしていることすら気付いていない。
「間にあえ……!」
 このままでは久遠寺が死ぬと思った俺は、久遠寺を庇い無理矢理こちらに引っ張った。彼女はその勢いで地面に倒れる。
 そして――――だいだらぼっちの巨大な[杭{くい}]のような白い爪が、俺の脇腹を吹き飛ばした。
 自分の体より遥かに大きいだいだらぼっちの爪。そんな恐ろしいものを高速で体に受け、俺は木々を粉砕しながら飛ばされていった。
「……」
 ふりかかった細かい木の枝や土埃を払いながら、俺は自分の腹を見る。白い骨がところどころ見え、傷付いた臓器からは大量の血が流れ出ている。これはほとんどの臓器をやられたな。正直息をするのもしんどい。
「九鬼!」
 俺がそう怪我の状況を冷静に確認していると、事態を把握したらしい久遠寺が涙目で駆け寄ってくる。なんだ。そんな表情も出来るんじゃねぇか。
「なんで! なんで私なんか庇ったのよ⁉」
 なんでって……変なことを聞くやつだな。
「目の前で死のうとしてるやつがいるのに放っておく人間がいるかよ」
 俺の言葉に一瞬目を見開く久遠寺。だがすぐにさっきまでのように大粒の涙を[溢{こぼ}]し始めた。
「だけど……それで自分が死んだら意味がないじゃない!」
 そう言っておれに思い切り抱きついてくる久遠寺。そういえばこいつはまだ俺の体のことを知らなかったな。……というか今抱きつかれると傷口が開いてかなり痛い。
「勝手に殺すな。あと数秒もしたら治る」
「治るってなに馬鹿なこと言って……」
 そう言って俺の腹部を見直した久遠寺が絶句する。[抉{えぐ}]れたところの肉が信じられないスピードで治癒していっているのだ。
「なんなのよこれ……?」
「俺は特別でな。頭を一発で吹き飛ばさない限り、滅多なことでは死ねないんだよ」
 数秒もしない内に失った肉は再構築され、吹き飛ばされた脇腹の傷が[塞{ふさ}]がった。俺はまだ少し残る傷の痛みを無視し、おもむろに立ち上がる。
「駄目よ! まだ安静にしておかないと……!」
 未だに傷が回復した事実を受け入れられないらしい久遠寺が服の[裾{すそ}]を引っ張ってくるが、俺はそれを少し強引に引き剥がした。
「心配するなって言っただろ。こいつは俺が相手するからお前は早く飛縁魔を仕留めてこい」
 広大な森をまるで草むらを掻き分けるかのように薙ぎ倒し、俺たちを探すだいだらぼっち。こちらを見付けると、大きな音を立てて向かってきた。
「危ない!」
 久遠寺が二丁拳銃を地面に向かって放ち、その推進力で後方へ避ける。なるほど。炎を拡散すればあんなことも出来るのか。
 俺は一人感心する。すると久遠寺は避ける様子を見せない俺に対して叫んできた。
「なにやってるの⁉ 早く避けなさい!」
 その声が届くより前にだいだらぼっちの剛爪が俺目掛けて飛んでくる。だが俺は、それを避けることなく、左手を前に突き出した。……今度は油断しない。
 空気を振るわせ真っ白な杭のような爪が俺を貫こうと迫る。
「……5%」
 次の瞬間、俺はだいだらぼっちの爪を片手で受け止めた。
「なっ⁉」
 俺の[矮{わい}][小{しょう}]な肉体はその圧倒的な物量に押され、地面を抉りながら後退する。
 進行方向にあった木が、俺の背中にぶつかり折れていく。それをうざったく感じた俺は、止めていただいだらぼっちの爪を地面に無理矢理押しつけた。
 大きな[土{つち}][埃{ぼこり}]を立て地面に突き刺さるだいだらぼっちの腕。やっと防御から解放された俺はその大地にそびえる大木のような腕に飛び乗り、頭部の方へ駆ける。
「凪!」
「はい! 峡哉様!」
 待機していた凪の名前を呼ぶと、凪は一筋の風となって俺の元へ来た。それを纏い、俺は更に加速する。
 ものの数秒でだいだらぼっちの肩まで辿りついた俺は、刀を引き抜き刀身の何倍もあるその腕に刃を当てる。
「――――急々如律令」
 呪文を唱えると、刀身から大量の気流が発生した。これはただの風じゃない。万物を切り裂く風の刃。凪から借りた鎌鼬だ。
 これは切り裂く対称の大きさなんて関係ない。どんなに巨大なものだろうが、等しく塵に帰す。
 刀身から溢れ出した風は豆腐でも切るかのようにだいだらぼっちの腕を鮮やかに切り落とした。
 一寸遅れて響く轟音。それに続いて衝撃波が巻き起こり、また地形が変わっていく。
 俺は風に乗りふわりと近くの大木の上に着地すると、だいだらぼっちを注視しながら飛縁魔の妖力の痕跡を探した。
 ――――あった。ここから北西の方向。近い。
 僅かに残る妖力の香りを嗅ぎつけ、飛縁魔の位置を察知した俺は、さっきのだいだらぼっちの腕が落ちたときの衝撃に巻き込まれ埃を被った久遠寺を見付け叫ぶ。
 「今ので分かっただろ! お前がここにいても邪魔になるだけだ! 飛縁魔の場所は特定したから早くいけ!」
 久遠寺の周りに風を起こし、埃を払ってやる。だがそんな俺の好意に、久遠寺はスカートを抑えこちらを睨んできた。
「ちょっと! スカート捲らないで!」
「そんなこと言ってる場合か! それに見えねぇよここからじゃ!」
 ムカっとして風を操作し強引に飛縁魔の方向へ飛ばす。久遠寺は台風の日の凧のように悲鳴を上げながら高速で飛んでいった。
「ちょっと! いやあああぁぁぁぁぁぁ!」
 久遠寺の飛んで行く方向を見ていると、突然視界の端に白い影が写った。俺は後ろに飛びそれをかわす。
 空気を歪ませ高速で迫る『何か』。それはさっき切ったはずのだいだらぼっちの左腕だった。
「もうくっつけたのか。とんだ治癒能力だな」
 ……まあ、俺も人のこと言えないが。
 だがその直後、俺は信じられないものを目にする。だいだらぼっちの隣に、半身だけのだいだらぼっちがもう一体いたのだ。
「なんだこいつは……⁉」
 こんなやつ、さっきまでいなかった。この巨体だ。今来て気付かなかったなんてことはありえない。
 俺が焦っていると、全身ある方のだいだらぼっちが右腕を振り被り追撃をかけてきた。
「チッ」
 それを避け、だいだたぼっちの頭部にまた圧縮した風の刃をぶつける。だがそれは、僅かに皮膚を抉っただけで、切断には至らなかった。
「さっきより硬くなってやがる……!」
 流石は山の神と呼ばれるだけのことはある。一筋縄じゃいかないってことか。
 今ので切れないなら、霊力をもっと込めるだけだ。
「――――急々如律令」
 もう一度[詠{えい}][唱{しょう}]をし、刀へ風を集める。俺の霊力が混ざり、限界まで研ぎ澄まされた風は、どこか悲鳴のようにも聞こえる高い音を奏でた。
「まずはお前からだ!」
 横薙ぎに風の刃を放ち、だいだらぼっちの首を狩り取る。さっきよりも数段強い霊力がこもった鎌鼬に、だいだらぼっちの首は破裂したように散った。
「残り一匹――――」
 そこまで言いかけて、俺は驚愕で言葉を詰まらせる。だいだらぼっちの首が、気色の悪い水音を立て再生し始めたのだ。
 それを見て、俺の頭に一つの恐ろしい仮説が浮かんだ。
 まさか、こいつの左腕もくっつけたんじゃなくて生えてきただけなのか?
 もしそうだとしたら……切り落とされた左腕はどこにいった?
 そして恐る恐るさっきのだいだらぼっちの半身を見る。すると、半身しかなかっただいだらぼっちが右腕を残して全て復活していた。
 これは再生能力じゃない。分裂能力だ。
 こいつを何度切り刻んでも、数が増えるだけでなんの解決にもならない。
 むしろ今のように切っていったら――――
 切り落とした頭部を見下ろすと、案の定、それも肩くらいまで再生しつつあった。
 なんて失態だ。あんな速度で再生していたのに気付かなかったなんて。
 そう思っている内にも頭が生えてきただいだらぼっちと右腕がないだいだらぼっちの二体が同時に俺に襲いかかってくる。
 それを紙一重のところで避けながら、俺は心の中で舌打ちをした。
 こうなったら直接核を破壊するしかない。
 全ての妖怪には核が存在する。それを壊されるとどんな妖怪も治癒力に関係なく消滅してしまう。
 問題はその核がどこにあるかだが……。大体の妖怪は心臓近く、または心臓の中に存在する。
 ……といっても、こいつに心臓なんてあるのか?
 真っ白な怪物を見て、思わずそんな感想を抱く。だがどちらにせよやってみるしか方法はない。
 俺はだいだらぼっちたちのビルのように大きな腕をすんでのところで避け、その内の一匹に狙いを絞り特攻する。
 空気抵抗をなくし、限界まで加速していく。だいだらぼっちが俺を叩き落とすため右腕を振りかぶる。だがそれを放つ前に、俺はその胸へ飛び込んだ。
 一瞬目の前が真っ白になったあと、真っ赤な血が俺を呑み込むが、それを気にせずだいだらぼっちの胸を貫く。
 胸部に大きな風穴が空き、大量の血が傷口から溢れ出した。……こいつも血は赤いんだな。
 俺は風で顔や衣服に付いた血液を払う。
 ゆっくりと倒れ込むだいだらぼっちを見て、俺は一息吐いた。
 あと二匹……。
 だがそんな風に安心している場合ではなかった。倒れただいだらぼっちがまた立ち上がってきたのだ。
 核を破壊されたら一瞬で消滅するはず。ってことは……。
 俺はまだあいつの核を破壊出来てないのか。
 つまりだいだらぼっちの核は胸ではなく他のところにあるということだ。最悪、体の中を絶えず動き回っているなんてこともあるかもしれない。
 俺がもたついている間についに三体になってしまっただいだらぼっちが、俺を囲み時間差で攻撃してくる。
 一匹でも大変なのに、これじゃ埒が明かない……!
 例えるなら銃弾の速度で迫るビル。いくら俺でもこの複雑で素早い攻撃をずっと避け続けるのは無理だ。
 久遠寺の方も心配だ。こいつらといつまでも遊んでるわけにはいかない。
 俺は意を決すると、久遠寺を飛ばした方向と逆の方向に飛んだ。だいだらぼっちもそれに着いてくる。
 三体ものだいだらぼっちが移動するのだ。森はなお一層悲惨なことになった。生えていた木はことごとく倒され、山肌は荒れに荒れた。
 山の神だってのに自分の[住{すみ}][処{か}]を壊し過ぎだろ。
 だがそんな文句を言っていても仕方がない。俺は一つの危険な賭けをしてみることにした。……上手くいかなかったら大変なことになるが、今はそれしか方法がない。
 善は急げ。俺は追ってくるだいだらぼっちを誘導しながら、久遠寺の方から離れた。恐ろしいことに、あの巨体で獣のように俊敏に追ってくる。
 ……ここらへんで良いか。
 ある程度のところまでくると、俺は踵を返し、一体のだいだらぼっちの方へ向かっていった。
 いきなり飛び出してきた俺に驚くこともなく、機械的に攻撃を仕掛けてくる。
 大気を震わせ、右腕を突き出してくるだいだらぼっち。俺はそれを刀でいなしながら、懐に飛び込んだ。
「――――一本目」
 刀を当て、鎌鼬を発生させる。するとだいだらぼっちの右腕は無音で切り落とされ落下していった。
 だがその腕が地に落ちる前に、俺は次の目標、左腕に向かっていって飛んでいく。そして、同様に左腕も切り落とす。
 俺は[蝶{ちょう}]のように舞いながら、手足の付け根から[四肢{しし}]を切り落としていった。首と胴体だけになっただいだらぼっちを見て額の汗を拭う。
 「あと二体」
 だがその俺を[嘲笑{あざわら}]うかのように、手足の無いだいだらぼっちは口を大きく開け笑った。その様はかなりグロく、また恐ろしい。裂けてしまうかと思うほど大きく開いた口からは、真っ赤な大きな舌と、爪と同様に鋭く尖った牙が覗いている。
 俺がドン引きしていると、それは突然跳躍し、こっちに喰らいついてきた。
 足もないのに跳ぶことに気味悪さを感じながら、俺は回避し首も切り落とす。
 操られているとはいえ、ここまで執念深いとは。
 早くしないとこの頭や手足がまた完全体になって増殖してしまう。俺はバラバラになっただいだらぼっちを放置すると、他の個体に狙いを定めた。
 だいだらぼっちの攻撃をかわしつつ、懐に飛び込み、四肢を切断する。俺はその作業をひたすら繰り返す。
 血だらけになりながら最後の一匹の首を狩り取る。……これで再生されたら合計十八体か。流石にもう相手出来ないぞ。
 俺は冷や汗を流しながらも刀を構えなおし、呪文を詠唱し始める。
「四縦五横、禹為除道、蚩尤避兵、令吾周遍天下、帰還故郷、吾者死留吾者亡」
 長ったらしい呪文を唱え終わると、[竜巻{たつまき}]のように巨大な風がいくつも俺の周りを旋回し始めた。しばらくすると、勢いが[衰{おとろ}]えないまま刀に収束していく。
「――――急急如律令」
 俺が竜巻を封じた刀を振り下ろすと、信じられないほどの暴風が生み出した風の刃がだいだらぼっちに襲いかかった。
 破竹の勢いで流れだした風は、一瞬の内にだいだらぼっちをを飲み込む。それは最早風と言えるものではなく、嵐という言葉で表すことも難しいほどの激しい空気の奔流だった。
「核がどこにあるのか分からないなら、全て切り刻めば良いだけだ」
 巨大なだいだらぼっちの肉体はものの数秒で細切れになり、ついにはペースト状になった。 それでも風がうねり狂うのが止むことはなく、真っ赤な風が辺りに吹き荒れる。
 核など確かめる間もなく残ってはいないだろう。……久遠寺のところに向かうとするか。
 だいだらぼっちを倒して気が抜けると、纏っていた風がパッと消えた。
 凪からもらった力が切れたのだ。……時間的にはギリギリだったな。凪も力を使い果たしたため、しばらくは話すこともできないだろう。
 俺がそう一人反省しながら刀を鞘に収めようとすると、切先から細かく砕けてしまった。……どうやら技に耐えられなかったようだ。
「毎度毎度新しく買いなおすの面倒なんだが……」
 俺は泣く泣く柄だけになった刀を鞘に収め、久遠寺の元へ急ぐのであった。

 

第七話

 

 俺が鎌鼬に切り刻まれた森を抜けて久遠寺の様子を見に行ってみると、そこにあったのは凄惨な光景だった。
 溶岩のように赤く焼け焦げた地面。炭と化した木々。まるで地獄だ。
「それにしても暑い……」
 パチパチと未だに[燻{くすぶ}]っている焼けた木を眺め、俺は額を伝う一筋の汗を拭った。
 汗で湿った肌に灰がくっつき、気持ちが悪い。
 炎を操って戦うやつらは毎回こんなに熱くてよくやってられるな。
 久遠寺を探しながら焼けている森を歩いていると、向こう側から一筋の熱線がこちらに向かってきた。――――封魔弾の流れ弾だ。
「向こうか……」

「このっ!」
 生えていた木はほとんど燃え尽きていたため、久遠寺と飛縁魔はすぐに見つかった。
 俺は出来るだけ復讐を一人で果たさせてやりたいという思いから、少し離れた木の影からその様子を見守る。
 形勢は圧倒的に久遠寺が不利だ。傍から見ると久遠寺が熱線を放ちながら飛縁魔を追い詰めているように見えるが、やはり以前と同様、大量に湧き出る他の妖怪の妨害に苦戦している。
「本当に弱いわね、あなた」
 飛縁魔ががっかりしたような顔で迫りくる熱線に手を翳す。するとその橙色の炎は飛縁魔を逸れていった。
 他人が生み出した炎まである程度操れるのか。元が久遠寺の母親の能力だけあって厄介だな。
「あなたの母親は良かったわよ。綺麗で強い意志を秘めたあの炎。今でも忘れられない」
「ママを勝手に語らないで!」
 また続けざまに3発の熱線を放つ久遠寺。だがそれも飛縁魔はするりするりとかわしていく。
「だからこそ残念よね。こんな遠く離れた国の戦いに駆り出されて死んだんだから。正に犬死にって感じだわ」
 飛縁魔の言葉に激昂した久遠寺が、再び熱線を放つ。
「犬死になんかじゃない! ママは沢山の人を救ったのよ!」
 それを避けた飛縁魔が口元を[歪{ゆが}]め、笑いだす。
「それが犬死にだって言うのよ。全く関係のない人間どもを救って、自分は無様に死んで」
「それ以上ママを侮辱するな!」
 立て続けに六発。久遠寺が封魔弾を放つ。だが怒りのためか、さっきより狙いがぶれている。こんな攻撃では飛縁魔は仕留められない。
「愉快だったわよ。沢山の妖怪を相手にして霊力が尽きかけたあなたの母親が、私みたいな格下の妖怪の前に這いつくばっていたのがね」
 また的外れな熱線がいくつか放たれ、周りの森を焼き払っていく。久遠寺のやつ、飛縁魔の策に完全に[嵌{はま}]っている。冷静さがかけらも残ってない。
 しかもあんなに連発して打ったら、飛縁魔に攻撃を当てる前に霊力が尽きてしまう。
 俺が久遠寺を助けにいくか悩んでいる間も、飛縁魔は熱線を避けながら話し続ける。
「あなたの母親が私に血を吸われ意識が朦朧としている中、なにしてたか知ってる? ――――ずっとあなたの名前を呼んでいたのよ」
「えっ……」
 死の直前の自分の母の様子を聞き、久遠寺の攻撃の手が一瞬止まる。飛縁魔はそれを見逃さず、大量の妖怪を久遠寺の元へ放った。
「笑えるわよね! 今から自分が死ぬってのに! 娘のことなんて心配してるの!」
 久遠寺に迫る妖怪たち。だが久遠寺は怯むことなく、それに対し銃口を向けた。
「あああああっ!」
 今度は十二発の封魔弾を連続で妖怪の群れに撃ち込む。妖怪たちはいくつもの風穴を空けられ[霧{む}][散{さん}]して消えた。
 妖怪たちが消滅したのを確認すると、久遠寺は空中に封魔弾をばら撒き、同時に空の薬莢を捨てる。そして――――リボルバーを振り、散らばった封魔弾を全て空中で[装{そう}][填{てん}]した。
 見惚れるほどの華麗な絶技。そのまま封魔弾を撃ち込もうと飛縁魔に銃を向けた久遠寺は何故かピタッと止まってしまった。
 目を見開きジッと一点を見つめる久遠寺。その視線を辿るってみると、飛縁魔のフードが脱げていた。
 フードの下にあった顔を見て俺は全てを察する。久遠寺によく似た綺麗な女性。目元以外はそっくりだ。……あれが母親か。
 まさか容姿までコピーできるとは。
「灯……」
 飛縁魔がそう久遠寺を呼び、一歩近づいてくる。どうやら、飛縁魔が久遠寺の母親を演じているらしい。
「ママ……?」
 飛縁魔の中にかつての母親の面影を見て動揺しているのか、久遠寺が銃を降ろし立ち止まった。その間にも飛縁魔は一歩、また一歩と近づいてくる。
「灯……もういいの」
 その言葉に、久遠寺の体がピクンッと動く。
「私は……灯に復讐なんて望んでないわ」
 その言葉でついに、久遠寺がガタガタと震えだした。
「私も、パパも、他の一族も、あなたに復讐なんて望んでないわ」
 [盗人{ぬすっと}][猛々{たけだけ}]しいとはこのことだな。自分で殺しといてなにを言ってる。
 呆れる俺とは裏腹に、久遠寺は膝をつき崩れ落ちてしまう。一体どうしたっていうんだ。
「復讐なんて、本当に無駄なこと。――――そんなことをやっても私は帰ってこないのよ、灯」
 さっきまでの悪魔のような顔に戻り、手を上に掲げる飛縁魔。すると、後方からまた大勢の妖怪が集まり始めた。
 だが肝心の久遠寺はまだ下を向き、戦意喪失している。不味い。このままじゃあいつは死ぬ。
 群れを成し、一つの生き物のように久遠寺の元へ迫る妖怪たち。それを避ける素振りすら見せない久遠寺を見て、俺は急いで飛び出した。
「久遠寺!」
 間一髪。俺はギリギリのところで久遠寺の腕を掴み妖怪の群れを避ける。
「あら、一級の男の子じゃない。助けにきたの? 無駄なことよ。この子はもう心が死んでる」
 飛縁魔が手首をクイッと曲げると、避けた妖怪たちが旋回し、再びこちらに飛んできた。
「私は……私は……」
 俺はさっきからなにかうわごとのように呟いている久遠寺の肩を掴むと、前後に激しく揺らす。
「おい! どうしたんだ馬鹿、さっさと構えろ!」
 いくら揺らしても下を向いてうんともすんとも言わない久遠寺。目の光を失い、生気がない。まさかこいつ、本当にこんなところで死ぬ気なのか?
「どうやらその子と心中するつもりみたいね。良いわ。お望みならあなたも一緒に殺してあげる」
 誰が心中なんてするかよ。俺はもちろん、久遠寺もこんなところで死なせない……!
 俺は久遠寺を庇うように手を前に伸ばすと、妖怪の群れを片手で受け止めた。
 凪の鎌鼬の力が残ってたら風で吹き飛ばせるが、今は残念ながらこうして受け止める意外方法がない。
 目の前の妖怪たちを押さえながら、俺は久遠寺に声をかける。
「久遠寺! 目を覚ませ! お前の仇を取るチャンスだぞ!」
 俺の言葉が届いたのか、久遠寺がこちらを見上げる。その顔は滝のような涙で濡れていた。
「九鬼……私は、間違ってるのかな?」
「はぁ?」
 今更なにを言ってるんだこいつは。まさかここにきて復讐はやっぱりやりませんとか言うんじゃないだろうな。
「今までだって……ずっと反対されてきた。パパにも、他の人にも。復讐になんか取り憑かれないでって……」
 話しながらも止めどなく溢れてくる久遠寺の涙。俺はその涙を見て……分かった。分かってしまった。久遠寺の心が。
「私の復讐はわがままで、ひとりぼっちで、ただの自己満足だったんだ……」
 崩れ落ちる久遠寺を見て俺は小さく歯ぎしりをし、拳を握り締める。
 こいつはずっと怖かったんだ。自分の復讐が本当は間違っているんじゃないかと。母親も、他の誰も自分の復讐なんて望んでいないんじゃないかと。
 父親たちに復讐を否定され、最後の砦だった母親にも否定されたとき、久遠寺の中の大切ななにかが壊れてしまったんだ。
 確かに親の立場からしたら、自分の娘が復讐に取り憑かれるのを手放しに喜ぶことは出来ないだろう。飛縁魔が言ってることも案外間違ってないかもしれない。
 だけどな。違うぞ久遠寺。
「復讐なんてもんはな。最初から自己満足なんだ」
 俺の言葉に久遠寺が顔を上げる。俺は続けた。
「お前の母親が望んでないかもしれない? お前の周りが否定するかもしれない? そんなの関係あるか! お前はどうしたい? それを考えろ!」
「私が……どうしたいか……」
「死んだ人間がどう思ってるかなんて、分かるはずがない。お前に復讐を望んでいるかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
 お前が言う、みんなが望む復讐ってのは、最初から存在しないんだよ……!
「そんな不確かなものより、もっと確かで、強いものがあるだろ! お前はなんのために復讐がしたいんだ?」
「私は……ママのために……」
 この後に及んでそんなことを言っている久遠寺を引っ叩いてやりたくなる衝動を抑え、俺は叫んだ。
「違う! 母親を殺されて悲しい気持ちも、飛縁魔を憎む気持ちも、他でもない、お前の気持ちだろうが!」
「私の……気持ち……?」
「お前の気持ちを突き通すのに、周りに遠慮する必要なんてない! もう一度聞くぞ。お前は、なにをしたいんだ? あそこにいる飛縁魔をどうしたい?」
 久遠寺の瞳にだんだんと光が戻っていく。
「私は……飛縁魔を殺したい。ママを殺したあいつを、私は絶対許せない……!」
 そうだ。それでいい。久遠寺は決意したのだ。今度は前のような[曖昧{あいまい}]な動機ではない。飛縁魔、お前の小細工じゃもうこれは壊せない。
「他の誰が、例え世界中の人が否定しようが関係ない。この復讐は私がやりたいことなんだから。それに……九鬼は私を肯定してくれた。それで十分」
「目は覚めたかよ、お嬢様?」
 俺が目配せすると、久遠寺も笑った。
「ええ。お陰さまで。……色々世話かけたわね」
 その自信に満ちた笑顔を見て、俺は安心する。
「ごめんねママ。私のわがまま、押し通させてもらうわ」
 妖怪たちを抑える俺の後ろで、二丁の銃を構える久遠寺。その表情は晴れやかで、久遠寺の覚悟が窺えた。
「四縦五横、禹為除道、蚩尤避兵、令吾周遍天下、帰還故郷、吾者死留吾者亡。蠢く千蛇の髭、尾を持つ双頭の魔犬。速さを名に冠すものよ。我が血、我が肉に其の破壊の赤炎を宿せ」
 二重詠唱……西洋魔術の詠唱を重ね合わせてきたのか。
「――――双頭犬の赤炎」
 瞬間、真っ赤な炎が久遠寺の周りに集まり始める。それは今まで見たどんな炎よりも、紅く、鮮やかに輝いていた。
 これが久遠寺の炎か。綺麗だ。見ているとあいつの強い意志が伝わってくる。
「久遠寺、俺がこいつらを押さえてるうちに早く終わらせろ」
「ええ!」
 真紅の炎が銃身に集まり、光を発し始める。……これはもう、炎というよりエネルギーの塊だな。
「九鬼――――ありがとう」
 久遠寺がなにか呟くが、直後の爆音に掻き消される。二つの銃口から発射された封魔弾は双頭の犬の形を象り、飛縁魔に襲いかかっていく。
「ッ!」
 自分では対処出来ないと悟ったのか、飛縁魔が後ろを向き逃げ始める。
「逃がさないっ!」
 敵の喉元に喰いつこうと迫る双頭犬。だが隠れていた飛縁魔に操られた妖怪たちがわらわらとどこからともなく現れる。
「こんなところで死んでたまるか! 私は、もっとたくさんの祓魔師の血を吸って最強の存在になる!」
 飛縁魔を守る盾になるように炎との間に立ちはだかる妖怪たち。だが圧倒的な火力の前で、それらは一瞬で燃え散った。
「言ったでしょ――――逃がさないって」
 ついに双頭犬に後ろから肩に喰いつかれる飛縁魔。あまりの痛みに叫び声をあげる。
「があああッ!」
 もう一つの頭にも腹から咬みつかれ、体を焼かれていく飛縁魔。こちらに振り向き、懇願するように久遠寺を見つめる。
「灯! なんでお母さんにこんな酷いことするの⁉」
「……私のママはもう死んだわ。ママの顔でそんな無様な姿晒さないで」
 久遠寺の怒りに呼応するように炎が爆発する。膨れ上がった爆炎は飛縁魔の全体を包み込んだ。
「アアアァァァァァァッ!」
 断末魔を上げ焼けていく飛縁魔。二匹の双頭犬は獲物が焼け散った後も明るく燃え続ける。
 無様だな。結局飛縁魔は久遠寺の母親の力と容姿を手に入れようと、その醜い魂は変わらないままだってことか。
 ふと久遠寺を見てみると、一筋の涙を流していた。さっきのものとは違う、復讐との、決別の涙。
 もう久遠寺を縛っていたものはなにもない。彼女の表情を見るとそれは簡単に推測できた。
「おめでとう、久遠寺」
 俺の言葉に振り向いた久遠寺は手で涙を拭う。そして涙声で初めて会ったときには予想も出来なかった最高の笑顔で答えた。
「ええ。――――ありがとう」

 

第八話

 

 陰陽寮の一級祓魔師には、二級までの祓魔師とは比べ物にならないほどの特典が用意されている。その内の一つが、今俺が来ている天然温泉の露天風呂だ。
 大浴場自体は敷地内にいくつか存在するが、ここは一級専用。数十人が収容出来る広さを数少ない一級で独占できる。
 加えて、その数少ない一級はこの露天風呂に興味がないと来ている。結果的に、ここは俺専用となっているのだ。
 無駄に広い洗い場で戦いの汚れを落とした俺は、疲れを癒すため温泉に浸かっていた。
「今日死んだあいつは、俺がもっと上手くやれば助けられたかもしれない……」
 任務が終わると、いつもこうして鬱々とした気分になる。
 だがいつまでもくよくよしてはいられない。次の任務のために気持ちを切り替えなければ。
 俺がそう思い温泉を満喫していると、後ろにある脱衣所から誰かが入ってくる音がした。
 誰だ? ここで人と出くわすなんて初めての経験だが……
 岩陰から入口の方を覗く。すると、そこにいたのはなんと久遠寺だった。
「なんであいつが……!」
 こっちで俺が頭を抱えているのも知らず、久遠寺はのんきにシャワーを浴び始めた。シャワーの水音がここまで残酷に聞こえたのは初めてだ。
 俺が固まっていると、非情にもキュッとシャワーが止まる音が聞こえた。終わった。明日のニュースには、少年が入浴中焼死体で発見されたという前代未聞の事件が流れるだろう。
 久遠寺がこちらに歩いてくる。不味い、このままでは見付かってしまう! 俺は岩の陰に隠れながら勇気を出して久遠寺に声をかけることにした。
「止まれ久遠寺!」
「は? ってえ⁉ その声は九鬼なの?」
「ああ、そうだ。というか、なんで入ってきた? ここは一級専用だぞ」
「え⁉ 嘘! だって、倉橋さんが入って良いって……」
 また飛鳥か……
 まあでも、顔合わせる前に誤解が解けて良かった。
「……まぁいいわ。お邪魔します」
 久遠寺は何故か岩を[隔{へだ}]てた俺の後ろにチャプンと浸かる。
「おい! 話聞いてたか⁉ ここは一級専用なんだって!」
「聞いてたわよ。でも寒いし、少しくらい浸かってもいいでしょ?」
 久遠寺のやつ、恥ずかしくないのか……
 俺は一人だけ意識していたのが馬鹿らしくなってまた肩までお湯に浸かる。
「ねぇ九鬼……」
「なんだ?」
 しばらくすると、また久遠寺が岩の向こうから話しかけてきた。
「今日は……本当にありがとう。私、この短い間に二回も命を救われちゃった」
 久遠寺のやつ。案外義理固いな。
「例なんてしなくていい。当然のことをやったまでだ」
「それと、もし良かったら……あなたの力の話を聞かせてくれる?」
「俺の力? 九鬼家の力のことか? お前も知っている通り、妖怪から力を借りて戦うだけだ。特殊ではあるが、複雑な陰陽術じゃないぞ」
「九鬼一族の力は知ってる。私が聞きたいのは『あなたの力』の方よ。最初私を助けに来てくれたとき、あなたは妖怪も連れずに一人で来た。じゃあ、あのときの力は一体何なの? 今日のことだってそう。あなたは明らかに鎌鼬以外の力を行使してた。言いたくないことなら深くは聞かないけど、やっぱり気になるの」
 あんまり他人に話したことないんだけどな。まあ、こいつの話も聞いてしまったし、言うしかないか。
「俺も記憶が曖昧なんだが……十年前の大災害で、当時の俺は妖怪に襲われ死にかけてた。いや、正確には死ぬはずだった。だがそのとき、父さんが[瀕{ひん}][死{し}]の身で俺に酒呑童子の力を封印したんだ」
 久遠寺が息を呑む。俺は話を続ける。
「当然、普通の人間はそんなことしたって生き永らえはしない。だが俺は普通の人間じゃない。九鬼一族だ。幸か不幸か俺は鬼の力を体に取り入れ、生き残った」
 俺は自分の腕を見つめた。
「それから俺は酒呑童子の力を引き出すことができるようになった。……当然リスクはあるが」
「リスクって?」
「酒呑童子の力を引き出しすぎると、鬼の力に飲まれそうになるんだ。だから俺は、いつも十%くらいまでしか力を引き出さない」
 あまりにも衝撃的な話に久遠寺は黙り込んでしまう。
「仇が自分の体に入ったことで、最初は発狂するほど自分の体を傷付けた。だがこの体は滅多なことでは傷付かないし、例え付けたとしても一瞬で治る」
 今思えば、本当に狂う一歩手前だった。ビルから飛び降りても無事だったときには、逆に笑えてきたくらいだ。
「それから一年ほど経ったあとだった。俺がこの体を認められたのは。今寄こせと言われても、絶対誰にも渡さない。これは……言わば父さんの形見だ」
 九鬼の力も、九鬼の業も、そして……鬼の力も全部が俺だ。一つでも欠けたら、俺は俺でなくなる。
 この内一つでもなかったら今の俺はないし、飛鳥や凪を守ることも出来なかった。
「九鬼は……強いわね。やっぱり、私とは違う」
 こいつはまた…… 俺は溜息を吐きながら再度言っておくことにした。
「何度も言わせんな。お前は強いよ。今日だって、自分の中で答えを見付けたじゃねぇか」
「違うわよ。私は……強くあろうとしてるだけなの」
 そう言い震える久遠寺の表情を見て、俺は気付いた。あのとき久遠寺に感じた、謎の既視感の正体に。
「ママが死んだあと、私は強くあろうと頑張った。心配かけさせないように、弱く見られないために。だけどそれは結局、妖怪への偏見に繋がった」
 そう。こいつは俺に似ているのだ。体を受け入れ、陰陽寮のみんなに心配をかけまいと、強くあろうとしていたあのとき、一人で戦っていたあのときと。
「……泣いても良いんだぞ。思いっきり。一人で抱えてないでな」
「え……?」
 久遠寺の驚きを含んだ声に、俺は昔の自分を重ね合わせた。
「お前が今まで我慢して泣かなかった分を、ここで泣いて良いって言ってるんだよ」
「我慢なんか……」
 そう言いながらも、久遠寺の頬には、一筋の涙が伝っていた。認めまいとしても、心の奥では叫んでいるのだ。泣きたいと。嘘で塗り固められた、鎧を脱ぎ捨てたいと。
「前言撤回させてもらう。お前は弱い。もちろん俺もな。だが自分の弱さを認めない内は、強くなるなんて到底出来ない」
「私、私は……」
「弱くて良いんだ。お前は強くいないで良い。もし倒れそうになったときは、周りが、俺が、お前を支えてやる」
 せきをきったように、久遠寺が泣き崩れる。その様子は、まるで強風に煽られる木のようだった。脆く、いつ折れてしまうか分からない小さな木。誰かが支えてやらないと、こいつは直ぐに折れてしまうだろう。
「私は……本当に嬉しかった。あなたが復讐を否定しなかったことが。あなたが復讐を手伝ってやるって言ってくれたことが……!」
 そう言った久遠寺は感極まったのか、岩から身を乗り出し俺に抱きついてきた。
 当然裸でだ。俺は突然の出来事に混乱する。
「お、おい! 久遠寺! いきなりなにしてるんだ⁉」
 俺は肩を掴み、必死に剥がしにかかる。だが久遠寺は俺の背に腕を回し、離れようとはしなかった。
 スベスベの肌の感触が、ダイレクトに伝わってくる。濡れた髪が、俺の体に張り付いてくる。そして極め付けに、その柔らかな胸が、俺の胸に押し付けられてきた。
 だがそれを楽しんでいる余裕なんてない。飛鳥と凪に見つかったら殺される。
「本当に冗談は止めろ! どうしたんだ一体⁉」
 俺の必死の説得に、久遠寺は顔を上げぬまま呟く。
「倒れそうなときは、支えてくれるって言ったのに……」
「それとこれとは話が違う!」
 やばい。俺の経験上、これからもっと最悪なことが起きる気がするぞ……!
 最初も言ったが、嫌な予感は当たるものだ。俺が最悪のケースを想定した次の瞬間、風呂の入口のところで大きな爆発音が鳴り響いた。
 もう入口を見るまでもない。俺は死人のような顔で振り返った。
「峡哉様? なにをしていらっしゃるんでしょうか?」
 俺が見たのは、髪を逆立て周囲を切り刻みながらこっちにくる凪の姿だった。
「誤解だ凪! 頼むから一旦落ち着け!」
「そうですか。久遠寺の娘と子作りをしていたのですね」
「そんなこと一言も言ってねぇよ!」
 駄目だ。話が通じる状態じゃない。目も完全にイッちまってるし。
「さあ早くその淫売を引き渡してください峡哉様。私がここを全て塵にしてしまう前に」
「ラスボスかお前は」
 凪の発生させた風が強過ぎて、寝ていた陰陽師までもが空に投げ飛ばされていく。実にシュールな光景だが、当人の身になって考えてみると、ご愁傷様では済まない。
 ――――結局この日、俺は久遠寺一人を置いて逃げるわけにもいかず、全裸でこの悪魔を迎え討ったのだった。

 

エピローグ

 

「ちょっと! アホ鎌鼬! どさくさに紛れて私まで攻撃しないでよ!」
「良いんです! 私にとっては妖怪より灯の方が有害な存在なので!」
 結局、あの後灯はバチカンに一週間だけ帰ったあと、すぐこっちに戻ってきた。最初は三日で帰ってくるつもりだったようだが、父親の説得に時間がかかったそうだ。
 それからは基本俺と一緒に任務に当たっているのだが、毎回と言っていいほどこうして凪と喧嘩している。
「あの二人は良く毎回飽きもせずに喧嘩できますね」
 俺が二人を眺めながら水を飲んで休憩していると、隣に来た飛鳥が心底呆れた声で言う。
「本当にな。……にしても、なんであの二人はあんなに仲が悪いんだ?」
 あそこまでくると、逆に仲が良いのかと疑いそうになる。
「分からないんですか? 本当に残念な頭ですね」
 信じられないという顔をする飛鳥に、俺は半ギレで返す。
「分かるっていうなら教えてくれ。場合によっては対策を立てられるかもしれん」
 そんな質問に、笑みを浮かべた飛鳥は俺を指差しこう言うのだった。
「峡哉くんですよ。陰陽師と妖怪の仲が悪いわけ」

<了>