著者/多宇部貞人の作品 ガールズ ラジオ デイズ(試し読み)

 

 

  プロローグ

 

 

 某月某日、都内某所。

 近未来を感じさせる、円筒状の部屋。カーテンが閉め切られ、ライトの落とされた、薄暗い室内。中心の四面モニターが青白い光を放ち、周囲をぐるりと囲む円卓に座す人影たちを照らし上げている。

 席数は十二。うち半数が埋まっていた。最も奥まった席、卓上に組んだ両手を乗せた初老の男が口を開いた。

「さて……ほどなく、情報開示が行われる」

 それほど大柄というわけではないが、切れ長の瞳が並々ならぬ気迫を感じさせる。

「いよいよ、計画は実行段階に移る。失われた黄金の時代を再び取り戻し、停滞した世界を変革する時だ。彼女たちの活動には、この国の未来が掛かっていると言っても[過{か}][言{ごん}]ではない」

 中央のモニターには、履歴書然とした年若い女の子たちのバストアップが、数名分映し出されていた。画像にはパーソナルなデータも書き込まれている。下は小学生から上はOLまで、年齢層は幅広い。

 居並ぶ影たちは、たくらみの気配を漂わせていた。いったいどういう集団なのか? 何をする組織なのか? 全ては薄闇の中にたゆたっている。 

「[岡崎{おかざき}]は[丸石{まるいし}]君。[富{ふ}][士{じ}][川{かわ}]は[根{ね}][上{がみ}]君。[甲{か}][斐{い}]が[養老{ようろう}]さん。[白山{はくさん}]は[吉{よし}][田{だ}]さん。[四{よっ}][日{か}][市{いち}]は[大{おお}][田{た}]さん……これで中部地方の主な拠点は、[制{せい}][覇{は}]できたというわけだ。ここからは、エージェント諸君の裁量にゆだねられるところも大きい。諸君の尽力に期待する」

「……リーダー、よろしいですか」

 影のうちひとつが、控え目に声を上げた。生まれてこの方、笑ったことがないというような、常に何かに苦悩しているような眉間のしわ。不器用さがスーツを着ているような印象の中年男である。

「なにかな? 丸石君」

 リーダーと呼ばれた初老の男が返す。

「計画の成功のため力を尽くすことは、やぶさかではありません。とても意義深い仕事だと思っています。しかし……」

 男はそこで言葉を濁した。思慮深さから、黙りがちになるたちのようだ。

「しかし?」

 リーダーが先を[促{うなが}]す。

「……やはり私は、プロジェクトから外していただいた方がよろしいかと」

 リーダーは片方の眉毛を持ち上げ、

「なぜかね?」

「他の皆さんとは違って、私はこういった業界には明るくありません。彼女たちの担当には、もっと[相応{ふさわ}]しい者がいるのでは?」

「アハハハッ!」

 ほっそりとした影が、[朗{ほが}]らかな笑い声を上げた。薄暗い中でも鮮やかに光る金髪の女性だ。口調も声音も、場にそぐわない感があるが、当人は気にする風もない。

「そんなの、アタシや根上もそーですって。面白そうだからやるってだけで、いいんじゃないスか?」

 その隣に座る、胃腸の弱そうな気弱げな青年が、ぽつりとこぼす。

「ええっ? うーん……吉田さんと同レベルかぁ……」

 女は青年を[睨{にら}]み付けた。

「何か文句でもあんの?」

「い、いやいや、そんなまさか! ちょっとは勉強しなきゃなって思っただけで……」

「アンタさー、アタシをナメてんでしょ? 言っとくけど、アンタのチームには負けねーよ。地元でラジオやるってのは、アタシの夢だから!」

「え……吉田さんに夢なんかあったんですか? 意外……」

「アタシを何だと思ってんだよ……やっぱナメてんでしょ!」

 ふたりの掛け合いを受けて、別の影が口を開く。

「はっはっは! 元気があっていいね。丸石君もふたりを見習って、もう少し肩の力を抜いたらどうだい? こういうのは、知らない方がいい仕事をするもんだよ」

 リーダーと同年代の初老の男だが、胸板も厚く腕も太い。声も快活そのものだ。スーツ姿ではあるが、とても[堅{かた}][気{ぎ}]の者とは思えない迫力がある。

「そうそう。わしらはただの補佐役だ。そう気負うこたあない……主役は、あの子たちなんだから」

 ズズズ……小柄な老人がそう言うと、湯飲みから茶を[啜{すす}]った。眉毛が長く瞳を隠しており、今しがた山から下りてきた仙人のような、底知れない雰囲気を[纏{まと}]っている。

 老人へと、初老の男が言う。

「大田さんはやっぱり、補佐に徹する感じで?」

「そうですね、わしは表には出ません。ま、ノンビリやらせてもらいますよ」

「楽しみですな、はっはっは!」

 にわかに騒がしくなった一同に[気{け}][圧{お}]されるように、口をつぐんでいた丸石へと、リーダーが言った。

「丸石君。ここまでの君の働きぶりは、信頼に足るものだった。養老さんの言ったとおり、我々の仕事は、[下{へ}][手{た}]な知識がない方がいいときもある」

 そう語る瞳は、自信にあふれている。

「敢えて専門ではない者を多く選ばせてもらったのは、そのためだ。新しいことを始めるときは、常識を打ち破らなければならない……丸石君。ラジオの黄金期を取り戻すために、君の力を借りたいんだ。我々の手で、ラジオの未来を描きたいんだ」

 リーダーの演説めいた声には、人に夢を見させる力があるようだった。

「それにあの子たちだって、今から担当が変わったら、混乱してしまうだろう」

「それは……そうかもしれませんが」

「君以上の適任はいないと思っている。是非、引き続き担当をお願いしたい……ダメかね?」

 中年男は目を伏せ、観念したように息を吐いた。

「……わかりました。精一杯、務めさせていただきます」

「うむ! よろしく頼むよ」

 リーダーは一息つくと、闇の中に未来を[見{み}][据{す}]えるように、瞳を輝かせた。

「それでは……ガールズラジオ・プロジェクト、始動する!」

 

 

 ガールズラジオ・プロジェクト。

 それは、各地域ごとに集められた女の子たちに、ミニFMのラジオ放送を行ってもらうという企画。

 初動グループは五つ、開催期間は一年。

 それぞれ再生数、評価点数、コメントなどを総合したポイントが、ワンクールごとに集計される。最も高い成績を収めたグループは、正式な広域ラジオ放送に格上げされるが、逆にデッドラインを下回った組は解体され、新しい組が編成される……

 この新企画を受けて集められた少女たちは、視聴者数やチームの評価に思い悩みながら、手を取り合って困難に立ち向かい、またはライバルたちと競い合う。

 これは、ラジオに青春をかけた女の子たちの物語である!

 

 

 

  チーム岡崎1 ラジオしよまい!

 

 

 ついに来た……来てしまった。このときが。

 金曜日、午後七時二〇分過ぎ。

 大多数の人にとっては、何の変哲もない日のはずだった。冬の寒さが厳しくなるにつれ、町をゆく人も車も、どこか忙しなくなり始めているが。

 [愛{あい}][知{ち}]県岡崎市の北端に位置するサービスエリア、『[NEOPASA{ネオパーサ}]岡崎』には、そんなうわついた気配が漂っていた。[新東名{しんとうめい}]高速を利用する旅行者や長距離ドライバーだけでなく、一般道からは地元民も多く訪れ、この時間でも結構なにぎわいを見せている。

 そうした週末の[喧騒{けんそう}]の中心、吹き抜けになった小広場の片隅。二階のルーフガーデンへと続く回り階段の下に小さな特設ブースがあって、[二{に}][兎{と}][春{はる}][花{か}]はそこにいた。マイクスタンドが置かれたテーブルの前に腰を下ろして、小さくなっていた。

(ど、どっ……どどど、どうしよ ⁉ まーかん、どらやばい……!)

 内心、焦りまくっている。

 もうすぐ七時三〇分になる。そうしたら、いよいよ始まってしまう。[乾坤一擲{けんこんいってき}]、[天王山{てんのうざん}]、[関{せき}][ヶ{が}][原{はら}]の戦い……自分がメインパーソナリティを務めるラジオ放送の、第一回が。

 春花は十七歳、地元の高校に通う、ごく普通の放送部員だ、校内放送の経験くらいはあるが、ラジオのパーソナリティはもちろん初めてのこと。電波放送としてはNEOPASA岡崎内限定のミニFM局に過ぎないとはいえ、ネットラジオも兼ねており、そちらは当然、全国に配信される。

 いきなり全国デビューということで、心臓も痛いし、手汗がすごいのだった。

「……はるかっち。もしかして、緊張しとる?」

 そう声をかけてきたのは、ブースの隅でもくもくとPA機器をいじっていた、メガネの小柄な少女だった。

 [萬{ばん}][歳{ざい}][智{ち}][加{か}]。放送部の技術担当で、春花のクラスメイトでもある。

「しとるっ! しとるよぉ! どうしよかねぇっ、ちーちゃん……!」

 ワラにもすがる思いで身を乗り出してみれば、

「うぅん……まぁ、[頑{がん}][張{ば}]りん」

 数秒間、春花に向けられていたメガネ越しの視線は、次の瞬間には機器類へと戻されてしまった。

「え……えぇ、そんだけっ⁉」

 もう返事はない。やっぱりワラはワラだった。

 機械いじり以外にはあまり興味を示そうとしない、智加のストイックな性格は、春花もわかっていたつもりだったが、珍しくタイミングがよかったから期待してしまった。悪気がないこともわかっている。

 そのとき、智加の隣に腰を下ろし、手元の構成台本に目を落としていた少女が顔を上げた。

「春花、落ち着いて。大丈夫だから」

「まいちゃん……!」

 穏やかな口調で[諭{さと}]されると、それだけで緊張が和らぐ気がした。

 [桜{おお}][泉{いずみ}][真{ま}][維{い}]。放送部では台本の執筆を担当している。学年は春花や智加と同じだが大人びた雰囲気をまとっていて、とても同い年とは思えない。クラスメイトからもさん付けで呼ばれることが多く、本人は密かに悩んでいるとか。

 機器類に囲まれ、秘密基地然としたブース内にいるのは、この三人だけ。ちなみに三人とも制服姿である。

「今さらジタバタしても無駄よ、もう覚悟を決めるしかないの。あと五分もないんだから」

「正確には、あと二分」

 智加が淡々と口を挟む。

「それ全然落ち着けないよぉ!」

 うろたえる春花へと、真維は冷静に続けた。

「いつも通りやればいいだけよ。お昼の放送と同じ。ね?」

「うぅ、そうだけど、でもぉ~……」

「春花、入部したばかりのとき言ったじゃない? 自分の言葉で、誰かが楽しんでくれるのが[嬉{うれ}]しい、いつかもっと、たくさんの人に聴いてもらいたいって……」

 真維は[凛{りん}]とした眼差しで春花を見つめ、

「その『いつか』が、今なのよ」

「はうぅっ⁉」

 春花は、稲妻に打たれたかのようにのけぞった。

 そうだ……たくさんの人を、楽しませる放送をすること。それは自分のみならず、三人にとってのかけがえのない夢だ。そして今日は、その夢の第一歩にすぎない。こんなところで[怖{おじ}][気{け}]づくわけにはいかない。だって、まだ始まってすらいないのだから……

 夢の途中で、夢を疑いたくはない。

「う……うん、わかったよ、まいちゃん、ちーちゃん! 私……やるよっ!」

 春花の両目が燃え上がった。勇気がりんりん[湧{わ}]いて出て、緊張を塗りつぶしていく。こういう春花のノセられやすい性格は、クラスメイトや友だちにはよく「チョロい」と形容されていた。

 真維は満足げに[頷{うなず}]くと、手元の時計に目を落とした。

「その調子、その調子。ノッてきたところで、一分前よ。スタンバイ」

「ひえぇっ⁉」

「オッケー」

 春花と智加は口々に返すと、互いのマイクに集中する。

 今やブースの周囲には、かなりの数の見物客が集まっていた。ウェブでの告知を見てやってきた人たちに加えて、何かイベントをやっているようだからと、好奇心で立ち止まっている利用客も多い様子だ。

 永遠のような一分が[瞬{またた}]く間に過ぎ去って、三〇分になった。

 智加が自作のジングルを流し始め、真維が三本指を立てた。3、2、1……三人、一斉に息を吸い込む。

 タイトルコールは三人そろってやると、決めてあった。

「「「ガールズラジオ、チーム岡崎っ‼ こちら、オカジョ放送部っ!」」」

 重なり合う三つの声。

 いざマイクに乗ってみれば、智加と真維の声にも緊張の色があって、一番目立つのは春花の声だった。本番となれば、それまでの弱気がウソのように、誰よりも楽しく[喋{しゃべ}]り出す。それが二兎春花の特性だ。

 ジングルが流れ、フェードアウトしていく途中に、春花は再び息を吸い込む。

「改めましてこんばんは! いやー、とうとう始まっちゃいましたね、ガルラジ岡崎! メインパーソナリティの、二兎春花と申します。今日のところは是非、顔と名前だけでも覚えてってくださいね……あっ、ラジオだから顔は無理か……じゃあ声! 声だけでも! 是非!」

 でたらめに朗らかで、底抜けに楽しそうで、異様なまでに明るい春花の声が、ささやかな電波を震わせ、広大なネットの海へと放たれていった。

 

 

 ──ガールズラジオ・プロジェクト。

 それは地方創生、地域振興を題目に[掲{かか}]げ、幾つかの企業と自治体が協力のもとに立ち上げた、ラジオ放送企画。

 [中{なか}][日{に}][本{ほん}]に位置する高速道路上のサービスエリア、パーキングエリアの中から五か所を選んでラジオ局とし、地域情報や様々な番組を発信していく、というものだ。そのうちの目玉企画こそが、各地域ごとに募集をかけ、合格した地元の[素人{しろうと}]女子たちに番組を作らせてみようという番組、ガールズラジオである。

 [有{あ}]り[体{てい}]に言ってしまえば「手伝いもしたるし、ケツも持ったるで、まー自由にやってみりゃええが」ということだ。

 金曜午後七時三〇分からのゴールデンタイム、それぞれ別の場所で五組の素人女子たちが番組を放送し、ポイントを競い合う。一位になれば広域ラジオの放送権が与えられるが、デッドラインを下回った組は解体され、メンバー入れ替えとなる……

 しかし、そんな[諸々{もろもろ}]の事情は、春花にはあまり関係がない様子だった。

「──あー、疲れたー……でも、めちゃんこ楽しかったーっ!」

 開始直前の緊張した様子など、もう忘れた顔で大きく伸びをする。思いっきりパーソナリティをやりきってご満悦、といったところだ。

 NEOPASA岡崎の、一般道から出入りできる駐車場にて、三人は迎えを待っていた。時刻はじきに夜一〇時にもなろうかという頃合い。この辺りは山深いとまではいかないが緑が多く、夜ともなれば暗い。健全な女子高生を出歩かせるのはよくないということで、事務局側が送迎してくれることになっている。

 [煌々{こうこう}]と灯るNEOPASA岡崎の灯りや、新東名高速道路の電灯が、闇の海に浮かぶ浮島のように見える。暑かった今年の夏がウソのような冷たい風が、制服のスカートを揺らしていく。冬の夜は寒いが、春花の身体はまだ[火{ほ}][照{て}]っている。

「はるかっち、かなり暴走しとったねぇ」

「うん?」

 責めるふうでもなく言う智加に、春花は目を向けた。

「段取り、スッとんどったよ。十回くらい」

「えっ⁉ ほんとぉ?」

「ほんとだよ。ねえ、真維さん?」

 話を振られて、真維は苦笑しながら返す。

「私と智加ちゃん、結構慌ててたんだけど。気付いてなかった?」

 真維と智加は部活動では裏方だが、ガルラジではパーソナリティとして、たまに春花と掛け合いもする。だからこそ、春花の喋りの無軌道ぶりを、いつもより間近で味わう羽目になったわけだ。

「えーっ、ごめん、ふたりとも! 私、夢中だったから……!」

 眉毛を下げる春花に、真維は片手を振って見せ、

「別にいいよ。いつものことだし」

 智加が軽く肩を[竦{すく}]める。

「真維さん、はるかっちに甘いよねぇ。台本無視されとるのに」

「それを言うなら智加ちゃんだって、用意したトラック使えなかったでしょ。つまらなくなってたら、怒ってたかもしれないけど……春花ならまあ、別にいいかなって思う」

「まあねぇ」

 生ぬるい[微笑{ほほえ}]みを浮かべて、軽く[頷{うなず}]き合うふたり。

「うーっ、ほんと、ごめんねぇ……!」

 春花が平謝りしているうちに、ヘッドライトを振りまきながら、一台の車が駐車場に滑り込んできた。三人の前で停車する。

 運転席に座っているのは、スーツ姿の男だった。年齢は、春花たちの父親と同じくらいか、もう少し下くらいの印象。名前は丸石といって、プロジェクトに参画する企業の社員とのこと。春花たちのマネージャーのようなことをしてくれている。

「お待たせしました、どうぞ」

 運転席のウインドウが開き、渋めの声が三人を[促{うなが}]した。

「お疲れさまです、丸石さん!」

 後部座席へと乗り込みながら、春花が明るく言うのに、バックミラー越しの視線が返る。

「お疲れさまです、盛り上がってましたね。みなさんは、やってみてどうでしたか?」

 春花は満面の笑みで、

「バッチリだがね!」

「来てくれたお客さんたち、楽しんでくれてたみたいで……ホッとしました」

 言葉を受けて、真維が言う。

 智加が乗り込んでドアを閉めると、車は走り出した。駐車場を出て、市街地へと向かう坂道を下っていく。

「手応えがあったようで、よかったです」

 丸石が返すのに、智加が口を開く。

「丸石さんは、聴いてみてどうでした?」

「え、私……ですか?」

 その質問が、さも意外なことであったかのように、丸石は眉根を寄せた。

「そうそう! 丸石さんの意見も聞かせてください! 楽しんでくれましたか?」

 春花が、助手席と運転席の間から顔を[覗{のぞ}]かせて言う。

 丸石は言葉を選ぶように、数秒沈黙してから、

「そうですね……楽しかったと思います。でも……」

「でも?」

 真維が[相槌{あいづち}]を打つのに、丸石は申し訳なさそうに続けた。

「何と言いますか、私はあまり面白味のない人間みたいでね。そういうセンスがないんです。仕事ばっかりで……あまり参考になるような意見は……」

「そんなコトないですよぉ!」

 春花はあっけらかんと言った。[脊髄反射{せきずいはんしゃ}]的な会話スキルは、丸石とは対照的だ。

「えーっ、丸石さん、すっごく楽しい人だと思うけどなぁ……アルパカみたいで!」

「アルパカ……?」

「感想をもらえると、次もがんばろうって気持ちになるんです! だから、アドバイスもらえたら嬉しいです!」

「はあ、そういうものですか」

 丸石は戸惑った様子だったが、やがてかすかに微笑み、

「そう、ですね……うまく言えませんが、楽しかったと思います。次回もよろしくお願いします」

 

 

 記念すべき初回の生放送から、一夜明けた土曜日。春花はまだ夢を見ているような気分で学校に向かった。県内の進学校には土曜が休みのところもあるようだが、あいにく春花たちの学校はそうではない。

(私たちのこと、評判になってたらどうしよう? えへへ……!)

 と、内心ソワソワしていた春花だったが、クラスの様子はいつも通りだった。

「──ねぇ、ちーちゃん……私たちの放送、ダメだったんかねぇ? やっぱり私が暴れすぎたのが、よくなかったのかなぁ……」

 朝のHR前。智加の席までどんより曇った顔を見せに行くと、智加はいぶかしげだった。

「えっ、何? いきなり……」

「だって、私たちの放送、全然話題になってないよ~?」

「当たり前でしょ。まだ一日も経っとらんが」

「そうだけどさ~」

「それに、再生数はそんなに悪くないよ。落ち込む理由ないがね」

 春花は目を丸くした。

「え、そうなの⁉」

「はるかっち、見てないの?」

「え、あっ、うん。昨日は帰ってすぐ寝ちゃって……そうだったんだ? よかった~、えへへっ!」

「立ち直りはやっ」

「そうだ、ちょっと真維ちゃんのクラスに行こうよ! 感想聞きたいし!」

「放課後でいいがね。どうせ部室で会うんだし……」

 今日の部活では、三人で他のチームの放送を聴いて、対策を立てようという話になっていた。

 [呆{あき}]れ顔の智加を残して座席に戻った春花は、ひたすらソワソワしながら放課後を待った。半日の授業はほとんど記憶に残らないまま過ぎていき、あまりに上の空だったので途中先生に注意されたりしつつ、放課後になると放送部へと急いだ。

 放送部は、防音壁に囲まれた放送室と、細長い部室に分かれており、放送がないときは大体三人は部室にいる。

「──あれ? ふたりとも早いわね」

 やってきた真維が言うのに、智加は肩を竦めた。

「はるかっちが走るんだもん」

「まいちゃん、早く聴こまい! 早く早く~!」

「うん、まずは下校の放送やってからね」

 放送部員としての仕事はしなければいけない。

「はーい……」

 春花はしぶしぶ放送室に入ると、

「下校時刻になりました~、早く帰ってね~!」

「アナウンス軽っ!」

 智加が思わずツッコむ。

 そうして春花が急いで部室に戻ってくると、三人で真維の机に集まった。真維の私物のタブレットで、ガルラジのアプリにアクセス、番組を再生する……

『──ガールズラジオ、チーム岡崎っ‼』

「わぁ……!」

 何を喋ったかよく覚えていないので、スピーカーから流れてくる声は自分じゃないみたいだったが、それでもすごく興奮した。

「おっ、アーカイブの再生数、伸びてきたね」

 智加が冷静に言う。

「いち、じゅう、ひゃく……えっ⁉ す、すごい!」

 こんなにたくさんの人が聞いてくれている、その事実が一番の興奮で、春花はプルプルと水浴びした後の子犬のように震えた。

(あーっ、興奮しすぎて、今夜は絶対眠れんよぉ~!)

 

 

 ──ハッと気が付けば、翌日。日曜の昼過ぎだった。完全に寝坊だ。思えばこの週末は、緊張してたり興奮してたりであまり寝られていなかったので、考えてみれば当然である。

「おかーさん、なんで起こしてくれんかったの⁉」

 ドタドタドタッ! けたたましい足音と共に階段を駆け下り、台所の母親に[恨{うら}]み[節{ぶし}]。アウターに袖を通しながら洗面所へと向かい、せわしなく[身{み}][支{じ}][度{たく}]を整え始める。

 智加と真維と、引き続き反省会と次回の放送の企画会議を兼ねた打ち合わせをしようと約束していたのに、完全に遅刻だった。

「起こしたがね。あんたが二度寝したんだらー」

 昼食の準備をしているらしい母親の、悪びれない声が返ってきた。

「それじゃ、起こしたうちに入らんて!」

 春花がなおも言い[募{つの}]ると、リビングのソファーに座ってテレビを見ていた父親が口を開いた。パジャマ姿で、いかにも休日のお父さんといった風情である。

「お母さんに責任転嫁したらいかんでしょ。もう高校生なんだから、自分で起きなさい」

「お父さん、すぐそうやってお母さんの味方するもんな~」

 春花は文句たらたらで洗面所を出ると、玄関に向かった。靴を履いているとき、母親が声を掛けてきた。

「あんた、お昼は?」

「いらんー」

「ホットドッグなのに?」

「えぇーっ⁉」

 ホットドッグは春花の好物だ。一番好きなのは豆腐だが、ホットドックはその豆腐の玉座を[脅{おびや}]かすほどに好きだ。というか、食べ物で嫌いなものはないと言っていい。

「帰ってきたら食べるから、とっといて!」

「冷めたらまずくなってまうがね」

「いいからとっといてっ!」

「はいはい。行ってらっしゃい」

 父の声が重なる。

「あんま遅くならんうちに帰りゃーよ」

「わかっとるよ、行ってきます!」

 適当に返して家を飛び出し、父の愛車が幅を利かせている駐車場の隅、控え目に置かれている自転車にまたがった。

 走り始めてすぐ、じんわりと汗がにじんできた。中部地方は湿気が多いので、冬ともなれば[凍{し}]みこむような寒さだが、健康優良元気印の春花には、この程度はなんでもない。

 白い息を吐き吐き、市街地を一〇分ほど走り、目的地へと到着した。

『カフェテリアばんざい』──正気の[沙{さ}][汰{た}]とは思えないほど安くてボリュームのあるモーニングを出す喫茶店。地元民から[憩{いこ}]いの場として愛されており、智加の父が経営している。

 路地の隅に自転車を停め、短い石段を駆け上がってドアを開くと、ドアベルがカランカランと牧歌的な音を立てた。

 シックな装いの調度品や観葉植物が並ぶ店内には、落ち着いた空気が漂っている。毎朝、モーニングの時間帯はサラリーマンたちで満席になるが、今は客の影もまばらだ。

「おじさん、こんにちは!」

 カウンターの向こうに立つエプロン姿の中年男へと[挨拶{あいさつ}]をした。智加の父だ。

「いらっしゃい。真維ちゃん、もう来とーよ」

 おじさんが言うが早いか、奥まった四人掛けの席から、智加の声が飛んできた。

「はるかっち、おそーい」

「ごめんごめん!」

 [慌{あわ}]ててそちらに向かおうとしたとき、

「春花ちゃん、放送聴いたよ」

 おじさんの言葉を[音{おん}][頭{ど}]にして、客たちが口々に言った。

「ああ、面白かったよ。なんていうか、華やかでよかった」「そうそう、若いセンスを感じたよな」「応援しとるでねー」

 みんな近所のおじさんたちで、春花とも顔見知りだ。

「あはは、ありがとうございまーす!」

 ちょっといい気分になって、スキップしながら奥の席へと向かう。

「おはよう春花。よく寝てたみたいね」

 智加の対面に座り、タブレットを見ていた真維が、微笑んで言う。その柔和な雰囲気につられて、春花も自然と笑顔になる。

「そりゃもう、グッスリ!」

「グッスリじゃないが、たわけ」

 智加はピリ辛な口調でツッコミを入れると、今まで片手でゲームをプレイしていたスマホをポケットにしまった。メガネの奥からの視線が、ぐさりと春花を刺す。

「はるかっち、最近遅刻多いよ。悪いと思っとらんでしょー?」

「そ、そんなことないって! 目覚ましもかけてたし……起きられなかったけど、い、一応、がんばっとったよ!」

「ほんとぉ? まぁ、いいけど」

 オロオロしている春花に、智加はため息をついて席を立った。そのままカウンターに向かい、父親の背後を通り過ぎて冷蔵庫を開くと、ラップのかかった皿を取り出して戻ってきた。春花の目の前に置く。山盛りのサンドイッチだ。タマゴ、野菜、ハム……

「はい。わたしが作ったから、味は保証せんよ」

「えっ、食べていいの?」

 春花は最早、よだれを垂らしそうだ。

「何も食べとらんのでしょ? 食べやええが」

「わーい! ちーちゃんありがとう、大好き!」

 抱き着こうとしてくる春花を両手で押し返しながら、智加は真維へと言う。

「真維さんも、よかったらどうぞ。もともとお昼ごはんのつもりだったし」

「ありがと。それじゃあ、食べながら始めましょう」

 春花は智加の隣に陣取ると、至福の表情でサンドイッチを食べ始めた。いや、食べるというより、詰め込むといった方が正確かもしれない。

 真維は気にする風もなく、タブレットをテーブルに置き、ふたりにも画面が見えるようにした。映し出されているのは、ガルラジ公式サイトのランキングページだった。

 ちなみにカフェテリアばんざいは、智加の熱烈な要望により、全席電源&無線LAN完備の、理想的なネット環境を実現している。常連たちの評判もいい。

「もう結果出てる。ランキングの」

「むぐっ⁉ もぐもぐっ、もがが!」

「食べてから喋りん……」

 リスのように、[頰{ほお}]にサンドイッチを溜め込んだ春花に、智加は呆れ顔。

 真維は言葉を続ける。

「五組とも、滑り出しはなかなか順調みたい。まあ、プロモにはかなり力を入れてるみたいだから、妥当と言えば妥当ね。その中で私たちは、三位」

「んぐっ……三位⁉ じゃ、安心だね!」

 はしゃぐ春花に、真維は真剣な表情で首を振った。

「最下位じゃないのはよかったけど、全然、安心できる順位じゃないわ。[僅{きん}][差{さ}]だから、いつ追い抜かれてもおかしくない。それに、もっと問題なこともあってね……」

 智加が言葉を継ぐ。

「富士川のこと?」

「そう」

 ふたりのツーカーな会話に入れずに、春花は首を[傾{かし}]げた。

「ふじかわさん? 誰?」

「人の名前じゃないって。ガルラジのチーム。今、ぶっちぎりで一位なんだ」

 智加の説明に、真維が補足を入れる。

「[静岡{しずおか}]県の、富士川にあるサービスエリアを拠点にする三人でね。番組聴いてみたんだけど、メインパーソナリティの子がとにかく[上{う}][手{ま}]いのよ。素人離れしてる、っていうのかな」

「ほえ~?」

 智加は眉間にしわを寄せ、

「わたしも聴いたよ。音がよかった……あれは相当いい機材使ってるな。番組のセンスも、まあ悪くなかったと思う」

「ほえ~」

「台本は、それほど特別なものじゃなかったと思う。けど……とっても聴きやすいラジオだったわ。シンプルで、メインの子の上手さが目立ってたわ」

「ほえ~……」

 自分だけ聴いていないので、間の抜けた相槌を打つしかない春花だったが、どうにか話についていこうと思って口を開いた。

「でもそれって、何が問題なの?」

 智加と真維が顔を見合わせた。

「はるかっちって、たまに大物っぽいよね」

「わかる」

「え? どうしたの急に……ほめても何も出んよ~、うふふっ」

 戸惑いながらも、まんざらでもない様子の春花に、智加が真顔で返す。

「いや、どっちかというと皮肉」

「ええっ⁉」

 真維は悩ましげに息を吐いた。

「強力なライバル出現、ってことよ。まあ、あんまり意識してもいけないとは思うけど」

「わたしは機材がいじれたら、それでいーわ」

「そう言わないで、智加ちゃんも気合い入れてね。ハードルが上がっちゃったから、これまで以上に攻めていかないと」

「はいはい」

 ふたりの会話に、春花はうんうんと頷いた。

「なるほど~、わかった! 私、もっとみんなに楽しんでもらえるようにがんばるね!」

 胸の前、両手をぎゅっと握り締め、フンフンと鼻息荒く言う。普段はおっとり下がった眉毛も、珍しくキリッと[吊{つ}]り上げられている。

 顔に『やる気!』とわかりやすく書いてありそうなその様子に、真維は笑った。怖気づいたり、[物{もの}][怖{お}]じしたりしないのが、春花のいいところだ。

「その意気よ、春花。私も頑張って台本書くわ」

 春花と真維が話している間に、智加はタブレットの画面に指を滑らせ、ランキングからくだんの動画をクリックした。

「ほら、はるかっちも。富士川の番組、聴きやあ」

「あ、うん、聴く聴く!」

 再生ボタンが押され、番組が始まった。タブレットの画面には、パーソナリティ紹介の静止画が映し出されている。

 メインパーソナリティであろう女の子が[椅{い}][子{す}]に腰かけ、テーブルの上で両手を組んでいる。ガーリーな服をかっちりと着こなし、よく言えば真面目、悪く言えば[融通{ゆうずう}]の利かなそうな印象がある。異様な姿勢のよさと、整った顔立ちが余計にそう感じさせるようだ。その左右に、気の弱そうな小柄な少女と、逆に気の強そうなOL風の女性が立っている。

 テーブルにはマイクスタンドが置いてあり、背後は一面のガラス張りになっていて、オープンカフェテラスらしき風景が見えた。

 春花たちのものとは違う、どこか都会的なジングルが流れ始め、やがて三つの声が重なって、タイトルコールを紡ぐ。

『ガールズラジオ、チーム富士川! ラジオ・フジカワ・ステーション!』

 すぐに、メインパーソナリティのものとおぼしき女の子の声が続く。

『初めまして。私はガールズラジオ、チーム富士川の、アユチスズって言います。最初に宣言します。私たちチーム富士川は、このガルラジプロジェクトで、ナンバーワンチームになります……てへ』

 わざとなのか、それとも素なのか……生真面目ながら、どこか冗談っぽい口調で語られる言葉には、独特の面白みがあった。

『突然の挨拶で、みなさんをびっくりさせてしまったかもしれませんね? ごめんなさい。でも、私……今日はこのラジオを聴いてる皆さんを、もっとびっくりさせちゃうぞって、 企んでます。最後までお付き合いください』

 春花は静止画に見入っていた。内容が楽しいからとか、何かを学び取ろうとしているとか、そういう表情ではない。口をぽかんと開けて、[啞{あ}][然{ぜん}]とした様子だ。

 智加が気づかわし気に声を掛けた。

「……はるかっち? どうしたん?」

 春花は固まったままの顔を智加へと向けて[呟{つぶや}]いた。

「すずちゃんだ……」

「え?」

 タブレットに映っている、中央の女の子を指差して言葉を続けた。段々と興奮してきて、頰に赤みが差し、目は[潤{うる}]んでキラキラしている。

「この子、すずちゃんだよ! 私の中学の同級生の、[年{あ}][魚{ゆ}][市{ち}]すずちゃん! 静岡に引っ越しちゃったんだけど……うわ~っ、どら懐かしい!」

 

 

 今をときめくチーム富士川のメインパーソナリティが、春花の中学校のクラスメイトだったという事実は、確かに劇的な偶然ではあった。そういえば放送前、丸石からホームページのアドレスが送られてきてはいたのだが、春花は自分たちの放送が楽しみすぎて、それほど他チームを意識する余裕がなかった。

 しかし、年魚市すずがライバルチームだったとしても、それでやることが変わるわけではない。いつかコラボでもすることになったら、面白いことになるかもしれないが。

 春花の中学時代の話題でしばらく盛り上がった後、三人で頭をひねって、台本のネタ出しをした。とはいっても、春花は思い付いたことを言うだけで台本にするのは真維だし、演出を考えるのは智加だ。学校のお昼の放送を考えるときと同じ。

「……うん、まあこんなところね」

 テーブルに置かれた大皿が空になって随分経ってから、真維がそう言った。ほとんど春花が食べてしまった。

 真維の前に広げられたアナログなメモ帳には、今日話したネタがびっしりと書き込まれている。よくこれをまとめられるものだと、春花はいつも感心する。

「えーっ、もうおしまい?」

 春花は[名{な}][残{ごり}][惜{お}]しげに言った。話し足りない。

「ようけ話しとったが。もう夕方だし」

 智加が窓の外を見ながら言うのに、春花はあっと口に手を当てた。

「いか~ん! お父さんに、早く帰れって言われとった……ごめん、私帰るね!」

 慌てて立ち上がる春花に、真維が声を掛ける。

「明日原稿書くけど、ネタが足りなかったら連絡するかも」

「うん、わかった」

「はるかっち」

 智加が真面目な顔で言った。

「そのすずって子が昔の友達だからって、富士川に負けてもいいとか考えてない?」

 春花は両手を振った。

「ないない! すずちゃんとは、そういうんじゃないから」

「ほんとぉ?」

「ホントだって! じゃあね、ちーちゃん!」

 カフェテリアばんざいを出て、自転車をとばして家に帰った。

 ただいまを言って廊下に上がったとき、風呂から出たばかりでバスタオル姿の父親にばったり出くわした。台所からは、母親が夕食を作っている雰囲気が漂ってきている。

「お、春花おかえり」

 父親がフラットなテンションで言うのに、春花は顔をしかめる。

「もうっ、バスタオルで歩き回らんでよ」

「別に歩き回っとらんが。春花、今帰りか? ちょっと遅かったんじゃないか? 女の子なんだから気~つけなかんよ」

「はいはい」

 適当にあしらって、二階の自室へと向かった。

 休日、顔を合わせると小言の多い父親のことを、うっとうしいと思わないでもなかった。智加の父親は理解があって、ちょっと[羨{うらや}]ましくなるときもある。

『──というワケでまずは最初のコーナー、白黒ハッキリつけましょう! このコーナーは、日常でよく接する何気ない選択から、人生観を揺るがすような究極の選択まで、ありとあらゆる二択問題に、ピシッと回答してもらおうというコーナーです……』

 部屋着に着替え、ベッドに寝ころびながら、スマホでチーム富士川の放送を聴き直し始める。

 年魚市すず。

 クラスメイト? 友達? それとも……親友? それは言い過ぎ。彼女との関係はどうにも不思議なもので、なんと呼ぶべきかわからない。

 智加や真維は友達だ。気が合うし、休日もよく一緒だし。

 長い時間一緒に居ることが友達の定義だとすれば、春花とすずは友達じゃなかった。クラスで顔を合わせ、たまに言葉を交わすだけで、放課後に遊んだりもしなかった。

 ただ、奇妙に深いところで、わかり合っていたように思う。少なくとも春花はそう感じたことがあった。すずは真面目すぎて、春花は能天気すぎて、どちらもクラスから少しだけ浮いていたから。

『──私、ラジオパーソナリティになりたいんです』

 春花の記憶の中。現在よりもっと幼い顔立ちのすずが、はにかみながらそう言った。あれはいつだったか。クラス委員の用事で、居残りをしていたとき。

『誰にも言ったこと、ないですけど。ずっと……夢なんです』

『すごいがね! 私、応援するよ!』

 春花が食い気味にそう返したとき、すずが意外そうな顔をしたのが印象的だった。

『応援? なぜですか?』

『え? だって、そんなにしっかり夢を持ってるなんて、すごいが! 将来のこと、ちゃんと考えてるってことだもん!』

『……そうなんですかね』

 それはすずのための言葉ではなくて、ただ[憧{あこが}]れを口にしただけだった。まだ中学生なのに、ちゃんとした夢を持っていることを、[凄{すご}]いと思った。何も考えずに生きていた春花には、真っすぐ夢を語るすずが、ただ[眩{まぶ}]しく見えたから。今なら何か、もっと違うことが言える気がする……

(……いや、あんまり変わらないかな!)

 高校生になった今でも、能天気なのは変わらない。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。ほんのちょっと、自分を客観的に見られるようにはなってきたと思うけど。

『──すずのポエミーワールド! さてこのコーナーは、私が自作の詩を朗読するコーナーなのですが……ただ聴くというのは退屈でしょう? ですので、みなさまには、この詩のタイトルを推理しつつ聴いてもらえればと思います……』

 イキイキとしたすずの声を聴きながら、春花は自然と微笑んでいた。

(ほんとよかったねぇ……すずちゃん)

 すずが誰にも言えなかった夢を、堂々と言えるようになったのは、自分のことのようにうれしかった。

 ──ブイーッ! ブイーッ!

「んきゃっ⁉」

 しんみりしていたところに、スマホが突然ブルったので、春花はびくっとした。

 番号通知は……『丸石さん』。

 仕事の連絡だろうか? 慌てて出た。

「もしもしっ! どうしました⁉」

『あ……どうも、こんばんは。その……すごいテンションですね』

 春花の勢いに、電波の向こうで[若{じゃっ}][干{かん}]引いたような[気{け}][配{はい}]があった。

「すみません、いつもこんなもんです!」

『そうなんですか? はは……それで、ええと。今、大丈夫ですか?』

「はい! 今ガルラジ聴いてて! チーム富士川の」

『ああ、そうでしたか……だったら丁度よかったかな』

「丁度いいって?」

『その富士川の担当から、連絡があったんです。パーソナリティの年魚市すずさんが、二兎さんの連絡先を知りたいそうで』

 春花の胸が高鳴った。

「ほんとですか⁉」

『ええ、中学校のお知り合いだとか……この番号をお教えしてもいいですか? 個人情報関連はなにかとデリケートなので、一応お聞きしてからと思いまして』

 今しがた思い返していた過去の中の出来事が、いきなり現実のものとなったのだ。過去が今に追いついた、不思議なときめきだった。そして、すずが自分を覚えていてくれたことも、胸に温かいものを生んでくれる。

「もちろん、いいです! バンバン教えちゃってください!」

『いえ、バンバンは……まあ、わかりました。お伝えしておきます。では』

「あっ! 丸石さん、待ったって!」

 要件が済んで、すぐにも通話を切りそうな空気を察して、春花は慌てて呼び止めた。

『はい?』

「あの、ちょっと[訊{き}]きたくて……昨日の放送後の続きっていうか。丸石さん、私たちの放送、本当は面白くなかったですか?」

『え? それは……』

「丸石さん昨日、自分にはセンスが無いって言ってたけど。ラジオを聴くのに、センスって要らないと思うんです」

『そうでしょうか? 私はエンターテインメントには、センスが必要だと思うんですが』

 真剣な返答に嬉しくなる。春花が年下だからって、適当な返事をしない。

「でも私は、センスなんて言って誰かを切り捨てたりしたら、楽しい内容にならないと思うんです。少しでも楽しくするために、丸石さんが楽しくないと思った部分があるなら、教えて欲しいんです」

『……』

「それが多分、今の私たちに足りないものだと思うから」

 長い沈黙があった。

 春花が[辛抱{しんぽう}]強く待ち続けていると、やがて小さな[吐{と}][息{いき}]が聞こえた。

『……面白かったです。それは本当に、そう思いました』

 春花は黙って続きを促す。

『でも……これはごく個人的な話なので、お話しするか昨日も迷ったんですが』

「言ってください! ぜひ聞きたいです!」

『……娘がね、いるんですよ。東京に、[貴女{あなた}]たちと同じくらいの』

「へえぇ! どんな子なんですか?」

 楽しくなってきた。お喋りは楽しい。東京の女子高生って、どんな感じだろう? 食べ物が違う? 何が[流{は}][行{や}]ってるんだろう?

『それがね……よくわからないんですよ』

「え、わからない?」

『ええ。貴女たちくらいの年頃の女の子は、私にはよくわかりません。反抗期の頃は、まだわかりやすかったと思うんですが。今は……わからないことが多いです』

「そうなんですか……」

『私が出張で家を空けてばかりで、どう思ってるのかな? 皆さんの放送を聴いていると、あの子のことを思い出してしまって、複雑な気持ちになるんです。家族とはいっても、血のつながりが何もかも教えてくれるわけじゃない』

 それは[真{しん}][摯{し}]な告白だった。まるで、本当の娘に語り掛けているような。

『思えば私は、変に遠慮をしていた気がします。しっかりあの子と話せていたら、もっと違ったのかもしれません』

 春花は目の前に丸石がいるかのように、笑顔を浮かべた。

「なるほど……そうだったんですね!」

『……おっと、すみません。ラジオの面白さの話でしたね。とにかく私は、若い子のことはどうもわからなくて』

「いえ、ありがとうございます! とても参考になりました」

『は、はあ……』

「丸石さん、次の放送、きっと聴いてくださいね?」

 またしばらく沈黙があってから、再び落ち着いた声がした。

『……ええ。わかりました。ではまた次回に』

 丸石との通話が切れた。春花はすぐに、真維にコールした。

「あ、もしもし? まいちゃん、もう台本書いちゃった?」

『今、丁度始めようとしてたとこ。どうしたの?』

 不思議そうな真維へと、春花は興奮気味に言った。

「あのね、次の放送、やりたいネタがあるんだ!」

 何ができるかはわからない。でも、やりたいことがある。丸石が伝えられなかった気持ちを、ちゃんと伝えたい。それが、ラジオの力だと思うから。

 

 

 月曜日の昼休み、部室でお弁当を広げているとき、真維が真剣な表情で切り出した。

「ねえ春花、昨日言ってた、ネタの話だけど……」

 放送部員はお昼の放送があるので、昼食は大体部室で食べるのだ。

「うんうん! あ、まさかもう台本書けちゃったとか? さすがまいちゃん!」

 春花が身を乗り出してくるのに、真維はひとつ息を吐き、

「いえ、まだ手をつけてないの。昨日一晩考えたんだけど、やっぱりネタとしてはちょっと地味すぎると思うわ」

「えーっ、そうかなあ……」

 ふたりの会話に、購買で買ってきた[惣菜{そうざい}]パンのビニールを開けながら、智加が口を挟んでくる。

「何の話?」

「春花がね、今週の放送は『家族』をテーマにしてみようって言うのよ。私も一度は、やってみるって返事したんだけど」

 真維の返答に、智加は[合{が}][点{てん}]のいった顔で、

「なるほどね、そりゃ難しいよ」

「えーっ、なんでなんで?」

 口を挟んでくる春花に、智加は淡々と言った。

「家族なんて、パッとしないから。ネタぎれ感があるし、お説教くさいし……それに、明るくて楽しい話にはならないんじゃないかな」

 智加の口調に、かすかな熱がこもった。

「世の中、フツーの家族ばっかじゃないんだよ。色々、複雑な事情の人もいる。聴いてて嫌な気持ちになる人もいるかも」

「それは……そうかもしんないけど」

 春花はしゅんとした。面白くなると思っていたのに、理論立ててそう言われると、全然ダメなアイディアだと思えてきた。

「ふたりが反対なら、やっぱやめよっか……」

「……いいえ。反対とは言ってないわ。私も、智加ちゃんもね」

 真維が言った。

「え?」

「もしかしたら、つまらないかもしれない。春花は、それでもやる覚悟がある?」

「か、覚悟……⁉」

 ごくり、と[喉{のど}]を鳴らす春花に、智加が惣菜パンをかじりながら言った。

「そんなに堅苦しい話じゃないって。はるかっちが、本当にやりたいのかどうかってこと。ただの思い付きなら、やめた方がいいと思うけど」

 春花はぎゅっと[拳{こぶし}]を握り、しばらく考えた。リスナーのことを、まるで考えていないわけではない。ただ、きっと一緒に楽しんでもらえると思ったから、提案したのだ。

 やがて、うつむかせていた顔を上げた。

「……私、やっぱりやりたい。家族って、楽しいばっかりじゃないのはわかるよ。でもみんな家族はいるんだから、きっと共感してもらえると思う。私、話してみたいの……まいちゃん、ちーちゃん、やらせてくれる?」

 真維は苦笑し、智加は肩を竦めた。

「春花がそういうなら、やるしかないわね。面白い台本にしてみせるから、もう少し時間ちょうだい」

「演出も練り直さないとね」

「ご、ごめんね、ふたりとも……!」

 への字眉毛の春花に、ふたりは笑って言った。

「「いつものこと!」」

 本当に、頼もしい仲間だ。真維も智加も。春花が[懸命{けんめい}]な気持ちを、つたない言葉にすると、それを形にしてくれる。ふたりは友達と言うより、戦友なのかもしれない。

 三人にとって、慌ただしい準備期間になった。春花にとっても、いつもより短い時間で段取りを覚えなければいけなかったし。時間は瞬く間に過ぎていった。

 結局のところ、年魚市すずから連絡は来なかった。

 

 

 そして金曜日の夜、ラジオブースに響くのは、三人のタイトルコール……ではない。

 ズズッ、ずずず、ズー……

「はるかっち、もう始まってるって!」

「ふぇっ⁉ ごほっ! ウォホッ、エホッ……!」

 智加の慌てた声に、炭酸飲料を飲んでいた春花は、思いっきりムセてしまった。

「春花、大丈夫? 落ち着いて……よし、始めるよ? せーのっ」

 真維が音頭を取って、三人は息を吸い込む。

「「「ガールズラジオ、チーム岡崎っ! こちら、オカジョ放送部!」」」

 重なり合う三つの声。少しだけ緊張した、でも前回よりはこなれた声。この年頃の女の子の順応力をナメてはいけない。

 三人のドナリに応じて、まだ耳に[馴{な}][染{じ}]まないジングルが流れ始める。

 NEOPASA岡崎、金曜の午後七時三〇分。心なしか前回より人が多い気がする。気のせいじゃないといいな、と思う。

 ジングルに合わせて、春花だけが再び息を吸い込む。

「あっはは、あーっ、ごめんなさい~ごめんなさい、みんなゴメンなさい~! ちょっとジュースでムセちゃって!」

 でたらめに朗らかで、底抜けに楽しそうで、ひたすら明るい春花の声が、番組をグイグイと引っ張っていく……

「──聞かせて、みんなのイイ話! トモ自慢、オレ自慢、岡崎じま~ん!」

 やがて、春花が待ちに待ったコーナーがやってきた。

「ほいっ、続いてはリスナーのみんなから、いろんな自慢話を募集する、私の大好きなコーナーでーすっ!」

「イキイキしてんなー」

 慣れているはずの智加が呆れるほどに、春花の声は弾んでいた。やりたいことを見付けたら、誰よりも熱く語り出す、それが二兎春花の特性だ。

「今日は、家族をメインテーマに、お届けしたいと思いますっ!」

「家族自慢をピックアップしたい! っというのは、春花の希望なのよね」

 真維の言葉に、春花は満面の笑みで両手を振りかぶり、ダブルピースを突き出した。

「そのとぅーりっ!」

 家族──年齢も世代も違うのに、毎日会って話をする、身近な存在。色々な問題を抱えながらも、物理的に、あるいは精神的に、影響を受け合う人たちについて。

 教訓を与えたいわけではなく、[啓蒙{けいもう}]したいわけでもない。そんな高尚な話じゃない。春花はただ、お喋りがしたいだけだ。

 

 

 ……放送時間はあっという間に終わってしまって、まるでタイムマシンで、少しだけ未来に来たみたいだった。何を喋ったか、よく覚えていない。まあ春花にとって、それはいつものことだが。

 今、前の放送と同じように駐車場で三人、迎えを待っている。冬の冷たい夜風が火照った身体には心地いい。

「──は~……」

 春花は満足げに、白い息を吐いた。興奮しすぎて、もっと喋りたくてしょうがない。一回の放送じゃ短すぎる。オールナイトでやりたい。

「はるかっち、また暴走しとったねえ」

 智加がやれやれと言った。

「うそっ⁉ また段取りトバしちゃった? ごめ~ん!」

 春花が真剣に両手を合わせれば、智加は片手を振った。

「いいよ。あんなに楽しそうに喋ってたら、邪魔できん……それに、全体的に前よりよかったと思う」

「え、ほんと⁉」

「うん。なんかよかったよ。なんてゆーか……身近な感じだった」

「やったー! ありがとねぇ、ちーちゃん!」

「もうっ、いちいち抱きつかんでよ」

 じゃれ合うふたりを横目に、真維は微笑んでいる。姉とか母親が、妹か娘を見るような表情。こういう大人びたところが、彼女が同級生に見られないところなのだろう。

「私もよかったと思う。テーマを聞いたときは、再生数伸びないだろうなーって、正直思ったけどね」

「ええっ⁉」

「でも、これならいけるかもね。みんなにわかりやすい放送になってたと思う。春花のやりたかったこと、少しわかったわ」

「ううっ……ありがとおぉ、まいちゃーん!」

「うぷっ! ちょっと、春花……!」

 春花の抱きつき攻撃が、真維へと標的を変えた。

 そうこうするうちに、ヘッドライトがまばゆく照射された。今夜はまるで、スポットライトのようにも思える。

「……お待たせしました」

 丸石は車から降りてくると、春花の前に立った。草食動物を思わせる、穏やかな瞳を受けとめて、春花は前のめりになって言った。

「お疲れさまです、丸石さん どうでしたかっ⁉」

 おもちゃを見せられた家犬のような勢いに、丸石はやや気圧された様子で。

「ええと……楽しかったです。前より楽しかったと、私は思いました」

 三人は顔を見合わせて笑う。秘密基地でいたずらの成果を話し合う、子供たちのような無邪気さで。

「でも二兎さん、なぜあの内容にしたのか、お尋ねしてもいいですか? 途中で台本を変えられたと、桜泉さんからお聞きしました」

 丸石が続けてそう言えば、春花は満足げな笑みを浮かべた。

「あ、それは、えっと~、丸石さんから電話で、娘さんのお話を聞いたじゃないですか? それで、丸石さんを応援したいなって思ったんです!」

「私を応援?」

「はい! それで、私にできることって、なにかな~って考えて……」

 春花はあまり、こういう説明は得意ではない。それでも、色々考えながら口にする。

「えっと、それで……もし娘さんが私たちの放送を聴いてくれてたら、お父さんのことを思い出して、電話とかしたくなっちゃうような、そんな内容にしたかったんです!」

 上手く言葉にはできないが、春花は無条件に信じている。ラジオの力、遠い人の心まで届いていく、そのパワーを。

「なぜ、そんな……私のためになんか」

「だって、丸石さん言ったじゃないですか、娘さんともっと話がしたいって!」

 山間の闇を震わせる、春花の声。

「……それでも娘は、多分電話をくれないでしょう。私が何の仕事をしているか、興味もないと思いますから。きっとラジオも聴いていないんじゃないかな」

「えっ……」

 丸石は顔を上げた。そこには……晴れやかな表情があった。

「でも、私から電話します。今日の放送を聴いて、あなたの声を聴いて、ちゃんと伝えたいと思ったので」

 春花は目を丸くして、それから満面の笑顔になった。

「それがいいですよ! 絶対、それがいいです! お父さんが電話くれたら、娘さんも喜ぶと思いますし!」

「……あのさ、はるかっち」

 と、春花とは明らかにテンションの差がある声に目を向ければ、智加と真維がそろって真顔になっていた。

「丸石さんの娘さんの話って、どういうこと?」

 真維が言うのに、春花はギクッとした。

「えっ、あれ? は、話してなかったっけ?」

「わたし、聞いてないよ」

「私も聞いてないわ。そういうのは先に言ってって、いつも言ってるのに……」

「ごっ、ごご、ごめ~~~~んっ!」

 そうして、春花のけたたましい声が[轟{とどろ}]くのだった。

 

 

 

  チーム岡崎2 悩みもあるでね

 

 

 冬休みが終わり、三学期が始まった。休みの間に春花が何をしていたかといえば、カフェテリアばんざいに入り浸って、智加や真維とガルラジの話ばっかりしていた。

 休み明け、月曜日。多くの人にとって憂うつな日。

 春花にとっても、それは長らく同じだった。クラスメイトからは「いつも楽しそうだよね」とか、「悩みなんかなさそう」とか、ほめられているようなそうでもないような評価をもらっているが、人並みの感性は持ち合わせている。

 しかし、ガルラジの活動が始まってからは、待ち遠しいとさえ思うようになっていた。真維が書き上げた台本を読み合わせ、三人であれこれ意見を出す時間が、楽しくてしょうがなかったからだ。仲間と一緒に、ひとつのものを作りあげる喜び。学園祭の前夜が、ずっと続いているみたいな感覚。

 変わらない教室、いつものクラス。でも、特別な毎日。

(ん~……次の放送、どうなるんだろ~?)

 うわの空のまま始業式が過ぎていき、昼休みになった。チャイムが鳴りやまないうちに席を立ち、智加の席へと殺到した。

「ちーちゃん、はよ部室いこまい!」

「はいはい」

 ふたりで教室を出ようとしたとき、

「あ……ねえねえ、春花ちゃん、萬歳さん!」

 不意に、女子のグループに呼び止められた。

「うん?」

 女子たちは何か大切な秘密でも打ち明けるときみたいに顔を寄せてくると、声のトーンを落として続けた。

「ほら、あの……ガルラジってやつ? 聴いたよ」

 春花は目を輝かせた。

「えっ、ほんと⁉ どうだった?」

 女子たちは口々に、

「面白かったよ。ねえ?」「うん、よーわからんけど、面白かった」「再生数、結構いっとったねえ」「春花ちゃん、芸能人みたいだったが」

 春花は頰を上気させ、完全に舞い上がってしまった。

「わぁ~、ありがとうっ! これからもがんばるでねっ!」

「うん、ありがとね」

 みんなに礼を述べてから、ふたりは廊下に出た。

 聴いてくれただけでもありがたいのに、あんなことを言われたらたまらない。春花はふわふわと、そのまま天に昇っていきそうな足取りで、部室への廊下を歩いた。

 途中、隣を歩く智加へと声を掛ける。

「ちーちゃん、どうしたの? むすっとしちゃって」

「別にわたしは、普通だけど」

「うれしくないのぉ? クラスのみんなが、私たちのラジオ知っとったんだよ? しかもほめてくれたし、ちょーうれしいが~! えへへ~」

「うーん。どう面白かったかを知りたいのに、具体性がない。なんかミーハーな感じで、わたしはあんまり」

 春花は歩きながら上半身を傾け、ぐるんと回り込むように智加を見上げた。

「ダメだよちーちゃん、素直な気持ちって大事だよ」

 じーっと見られて、智加は視線を反らす。

「……ま、そりゃ、聴いてくれたのは嬉しいけどさ」

「うんうん! その調子、その調子! もっともっと喜んでこー!」

「なに、そのテンション」

 そんな会話を交わしながら放送部室に到着すると、真維は先に来ていた。窓際のパイプ椅子に座り、机に縦置きにされたタブレットを眺めている。

「まいちゃん! うちのクラスの子たちが、放送聞いてくれたんだって!」

 開口一番に春花が言えば、真維は顔を上げた。

「へえ、やったじゃない。なんだって?」

「面白かったってさ」

 春花と智加は、タブレットを囲むように陣取る。

「それならよかったわ。若い子たちの評判、ちょっと気になってたのよね」

 真維の言葉に、春花は笑う。

「若い子って、まいちゃんも若い子だがね~!」

「そうだけど、客観的に見てってことよ」

 こういう達観したところが、真維を大人びて見せている要因のひとつなのだろう。

「順位はどう?」

 智加が画面を覗き込みながら尋ねた。そこにはガルラジの公式アプリ画面が開かれている。

 真維は悩ましげに言った。

「[御{ご}][在{ざい}][所{しょ}]に抜かれて、四位になっちゃった。再生数も登録者数もどんどん落ちてるし、このままだとちょっとまずいかも」

「落ちちゃったか……うーん、一度でも上に行ければなあ……」

「ええ。何か手を打たないと」

 智加と真維の会話に、それまでのハイテンションも一気にしぼんで、春花はしゅんとしてしまった。

「うぅ……私のせいでごめんね……」

 ネタを強行した責任を感じている春花へと、智加はきっぱりと首を振った。

「別にはるかっちが悪いわけじゃないが。わたしも納得してやったんだし、番組の出来はよかったと思うよ。ね、真維さん?」

「うん。私も智加ちゃんも、春花を責めたいわけじゃないわ。ただ、これからどうすればいいかを考えているだけ」

「ちーちゃん、まいちゃん……うぅっ、持つべきものは仲間だよ~!」

「はいはい、抱きつかない」

 智加が春花の抱きつき攻撃を[牽制{けんせい}]している間に、真維はスクールバックをたぐり寄せると、プリントアウトした構成台本を二部取り出した。それぞれ春花と智加に差し出す。

「これ、今週の台本。とりあえず読んでみて」

「あ、うん、しっかり読むね!」

 春花はキリッとした表情で読み始めたが、読み終わる頃にはニコニコと笑顔になっていた。

「これ面白いよ、まいちゃんっ!」

「そう? あんまり自信がないのよね」

「ええっ? どこが?」

 春花はきょとんとした。こんなに面白いのに?

 真維の台本は、リスナーと一緒に楽しむ参加型のコーナーや、なんでもない日常をベースにしたトークなど、スタンダードな構成の裏に、彼女なりの地元愛やセンスがきらりと光る、高水準なまとまりを見せていた。いつも読むたびに、この内容で喋ったら楽しいだろうなと思わせてくれる。

 真維は腕組みをして、ため息をついた。。

「私の台本ってなんか、教科書どおりっていうか……部活動の延長線、って感じなのよね」

 智加が台本から顔を上げた。下を向いてずれたメガネを直しながら、

「つまり、バランスはいいけど、普通すぎるってこと?」

 真維は冷静に頷く。

「そうね。富士川はトークがうまいし、[双{ふた}][葉{ば}]は家族ならではの息の合い方で、やっぱり明確なウリがあるのよ。二組に比べると、うちはコンセプトが弱いなって思ったの。ポイントが伸びないのは、多分そのせい……最新の[徳{とく}][光{みつ}]は聞いた?」

「聴いた聴いた! 面白かった~」

「あれはズルいよ」

 春花と智加が、口々に返す。

 不思議ちゃんキャラで売っていた徳光のメインパーソナリティ、ミルミルこと[手{て}][取{どり}][川{がわ}][海瑠{みるう}]が、二回目にして突然痛々しいキャラをかなぐり捨てて、ぶっちゃけトークを始めたのだ。[狙{ねら}]ってやったことなのかはわからないが、面白がったリスナーを巻き込んで、今や台風の目となりつつある。

 真維はため息をつき、

「ああいう勢いがね、私の台本にはないのよ」

 春花は再び台本に目を落とし、むーっと顔面のパーツを真ん中に寄せた。

「う~ん……でも、私はまいちゃんの台本、すごく好きなんだけどな~」

 智加が言葉を[継{つ}]ぐ。

「確かに、明確なウリって言われると、わからないけど……わたしも、真維さんの[台本{ホン}]はキライじゃないよ? なんだか、読んでて安心するの」

「そうそう! さすがちーちゃん、私もそれが言いたかった!」

 智加は肩を竦めた。

「はるかっち、またそうやって適当なことを……」

「ホントだもん!」

「はいはい……まあとにかく、うちの順位がふるわないのは、真維さんの[台本{ホン}]のせいじゃないと思うな」

「うん、そうそう! ホントにそう!」

 ふたりの小気味よい言葉に、真維の眉間に寄っていたシワがゆるんだ。

「ありがとう。ふたりがそう言ってくれるのは、本当に嬉しい……でも、改善点は何か考えないとね」

「ええ~? ホントに面白いのに!」

 納得できない春花が尚も言い募れば、真維は母性を感じさせる微笑みを浮かべた。

「ふふ、ありがと。台本の話ってだけじゃなくて、チームとしてってことね。何か新しいことをしなきゃいけないと思うの。ふたりも、考えてみてくれる?」

 智加は頷いた。

「わたしは音まわりを見直してみる。どれだけ効果があるかはわからないけど」

「えっ……えっと、じゃあ私は……えっと、えっと……!」

 春花はうろたえた。自分も何か、しっかりしたことを言わなきゃいけない流れだ。でも、今のままでも楽しくてしょうがなかった春花には、何も思い付かなかった。

 真維がやんわりと言った。

「無理に考えたりはしなくていいから。気付いたことがあったら教えて。メインパーソナリティとして」

「う、うんっ、わかった!」

 メインパーソナリティとして……その言葉の重みを感じて、春花は[背{せ}][筋{すじ}]を伸ばした。

 春花だって、このままでいいと思っているわけではない。順位は全然気にならないけど、チーム解散だけは絶対にイヤだ。夢を[叶{かな}]えるためとか、なりたい自分になるためにとか、前向きなだけが努力じゃない。大切な場所を守るためにも、努力が必要なのだ。

 やっと春花の心に、危機感らしきものが芽生え始めていた。

「ねえねえ、ちーちゃん! 音まわりを見直すって、どんなコトするの?」

 なにか発想のきっかけが欲しくて、なんとなく尋ねてみる。

「え? いや、そんな大したコトじゃないけど。データ持って帰って、ウチで触ってみようかなって。使い慣れたソフトのが、やりやすいし……やっぱ、はるかっちの声、ちゃんと届けたいしさ」

 春花は目を丸くする。

「す……すごーい、ちーちゃん! 何言ってるか全然わからないけど、すごーい!」

「そこはわかっとけ、放送部員」

「そっちは完全に智加ちゃん任せだし、頼りにしてるわね」

 ふたりに称賛されると、智加はメガネの奥で目を泳がせた。

「ま、ただの思い付きだし、ちゃんとできるかはわかんないけどさ」

 春花はニヤニヤ笑いながら、智加の上腕部を人差し指でつついた。

「あっ、ちーちゃん、照れとる~」

「やめやーて!」

 ふたりのやり取りを微笑ましく眺めていた真維が、そのとき不意に、あっと大きな声を上げた。真維にしては珍しいことだ。

「ちょっ、ふたりとも放送! お昼の放送しなきゃ!」

 春花と智加も、さっと青くなった。

「忘れとった!」

「やばいやばい、はよせんと~!」

 ドタバタと、部室はにわかに慌ただしくなった。それぞれぶつかりそうになりながら、配置につく。

 真維が素早くキューを出し、智加が放送機器のスイッチを入れた。校舎各所のスピーカーから、年代物の設備独特の、キーンというノイズが放たれていく。

 ガルラジが始まってからも、毎日の放送は欠かしたことがなかった。ガルラジの準備が忙しいのは確かだが、放送部の活動は大切なベースだ。出来る限り続けたいという意志は、三人で一致していた。

 放送席に座り、春花はペットボトルの炭酸で喉を[湿{しめ}]らせた。

 息を吸い込む。そして……

「……んげっぷ!」

 

 

(ああ~……あああぁぁ~!)

 やらかした。全校生徒のみならず全職員にまで、げっぷの音を聞かれてしまった……年頃の女の子なら、不登校になってもおかしくない大事件だ。

 さすがの春花も死ぬほど恥ずかしくて、もう不登校になろうかと思い詰めていたが、「今さら気にすることないが。いつも授業中にいびきかいて寝とるくせに」「むしろ[可愛{かわい}]かったわよ? 春花らしくて」と、智加と真維が慰めてくれたおかげで、下校する頃にはすっかり平常心に戻っていた。

 そんなことより、考えなければいけないことがあるのだ。

(メインパーソナリティとして、私にできること……チームのために、再生数や登録者数を増やすために……それって、なんだろう? クラスで宣伝するとか? SNSとか……あ、駅前でチラシ配りをするとか? 商店街でもいいかも?)

 あれこれと案じながら、ほとんど無意識のうちに通学路を[辿{たど}]り、無事に家へと帰り着いた。春花の帰巣本能は野生動物なみだ。

「──あら、おかえり?」

 ダイニングテーブルで雑誌を読んでいた母が、顔を上げて言う。

「うん……」

 言葉少なに返して、二階の自室へ。ベッドに腰を下ろし、学生カバンを床に置くと、本格的に思案し始めた。

(宣伝するのはいいかもだけど、メインパーソナリティとは関係ないよね……やっぱりトークの内容なのかな? おたよりのコーナーとか、曲紹介とか……)

 思い出すのは、すずのことだ。

 知的でありながらイヤミではなく、可愛くてユーモアがある。自分もあんな風に喋れたら、もっと人気が出たのかもしれない。

(でも私って、すずちゃんとは全然違うしなぁ。どう違うのかは、ハッキリわからんけど……うーん)

 このままひとりで悩んでいても、答えは出そうになかった。

 春花はカバンからスマホを取り出し、SNSのアプリを立ち上げると、智加と真維がいる放送部のグループチャットにメッセージを書き込んだ。

『モトム、すずちゃんになる方法!』

 ややあってレスポンスがきた。智加からだ。

『なにそれ?』

『改善点、考えてるの』

『無駄』

「ええーっ⁉」

 思わず声が出てしまった。表情が見えないせいか、智加の言葉は耳で聞くより、字で見る方が切れ味鋭く感じられる。

 [凹{へこ}]みかけていたところ、続いてメッセージが届いた。

『はるかっちは、はるかっちだから』

 ……どういう意味だろう? 春花は戸惑った。そのままの君でいいんだよ的な優しさなのか、身の程を知れという[叱{しっ}][咤{た}]なのか、いまいちわからない。

 レスできずにいると、真維のメッセージが割り込んできた。

『真似してもあんまり意味ないと思うよ。春花のいいところは、春花にしかないから。智加ちゃんが言いたいのって、そういうことだと思うわ』

『ま、そうかな』

 少し悩んでから、レスを打ち込んだ。

『私のいいとこって、どこ?』

 ……。

 いきなりレスが[途{と}][絶{だ}]えた。そんなに答えにくい質問だっただろうか?

(まさか、いっこも無いとか⁉ そんな~……)

 心配になってきたとき、ふたりから同時にレスが飛んできた──『うまく言えない』『言葉にできない』……

「なにそれぇ⁉」

 また声が出てしまった。これじゃ全然わからない。サッサッサ、フリック入力で素早く文字を打ち込む。

『トークをよくしたいの、改善案、おねがい!』

 やや間があって、智加、真維とメッセージが続いた。

『内輪ネタを少なくしてみるとか?』

『それはあるかも』

 二人のメッセージに首を[傾{かし}]げる。

『内輪ネタ?』

『はるかっち、学校の話題とか地元の話とか、トーク盛っちゃうところあるから』

『全国のリスナーさんにもわかりやすくしてみたらってこと』

「お~、なるほど……」

 目からウロコだった。春花はただ、身近な人たちが喜んでくれればいいと思っていた。でもそれでは、ガルラジでは通用しないのかもしれない。WEB配信と、学校のお昼の放送とでは、何もかも違うのだから。

 今にして思えば、すずのトークは、一般のリスナーにも楽しめる内容になっていた。プロ意識の違いと言われれば、ぐうの音も出ない。

『ありがとー! ちょっと考えてみる』

 返答を打ち込んで、スマホを脇に置いた。

 そのまましばらく、ああでもない、こうでもない、と考えていたが、やがて白旗を上げるように両手を突き上げた。

「んん~……!」

 大きく伸びをしつつ、そのままドサッと斜め後ろに倒れる。

「……なーんも思い付かんがね」

 問題点はわかった。でも、解決方法がわからなかった。[内{うち}][輪{わ}]ネタをやらないようにするとして、代わりに何を話せばいいのか? 頭の中はカラッポだった。好きという気持ちだけで突っ走ってきた春花は、他のやり方を知らない。

 もっと、たくさんの人たちに楽しんでもらいたい。その気持ちはあるのに。

(私の、いいところ。すずちゃんとは違う、いいところ……)

 しばらくベッドでぐったりしながら考えていたが、やがて、ぽつりと呟いた。

「……お色気?」

 冗談のつもりはない。春花は真剣そのものだった。少なくとも、すずは絶対に選ばない方向性のはずだ。

 勢いを付けてベッドから立ち上がると、姿見の前に立った。

「えーっと……こう、かな?」

 右手を頭の後ろに、左手を腰に当てておしりを突き出す……どこかのグラビアで見たようなセクシーポーズ。ただし、動きはぎこちない。

「う、うっふ~ん! 春花でぇ~す! えっと……ら、ラジオ聞いてくれて、うれしいわ~! 今日はいっぱい、サービス、し・ちゃ・う……」

「……何やっとるんだ?」

「ひゃんっ⁉」

 突然後ろから声を掛けられて、春花は飛び上がった。赤面して振り向く。

「お父さん! なにーもー、信じれん~! ノックぐらいしてよっ!」

 入り口に立つ父は、スーツ姿だった。帰ってきたばかりのようだ。そういえば、夕ご飯のいい匂いが、階下から漂ってきている。いつの間にか、かなり時間が経っていたらしい。

「ドア開いとったが」

「なら閉めてノックしてっ!」

「わけわからん」

 ぷりぷりと怒る一人娘に取り合わず、父は言葉を続けた。

「それより春花、ちょっとお願いがあるんだけど、ええか?」

「も~……なに?」

 春花はむすっとして返す。思春期の娘の部屋に勝手に入ってくるなんて、非常識にもほどがある。[遺{い}][憾{かん}]の意を表明しなければいけない。

「お父さんの同僚の娘さんがさ、春花のラジオのファンなんだって」

「へっ……へえー?」

 頰が[緩{ゆる}]みそうになったが、どうにか不機嫌な顔を維持した。

「来年高校受験で、すごく勉強、頑張っとるらしくてさ。春花、その子のことラジオで応援してあげてくれんか? きっと励みになると思うんだわ」

「う……」

 反射的に頷きかけて、春花は固まってしまった。それは、今しがたやめてみようと決めたばかりの、内輪ネタに他ならなかったから。

 応援してあげたい。でもそれは、チームのためにならない。

「……やっぱり、ダメか? 台本で喋ること、決まってたりするのか」

 遠慮がちな父の言葉に、春花は[曖昧{あいまい}]に頷いた。

「う、うん」

 そうするとにわかに、苦い気持ちが湧いてきた。ファンだと言ってくれる人のために、せめてもの応援さえできないのは、正しいのだろうか?

 父はひとつ息をついた。

「そうか、わかった。無理にとは言わんで」

 父はあっさりと言うと、[踵{きびす}]を返した。ややくたびれたスーツの背中を、春花はぼんやりと見つめる。

「……あ、それと。春花」

「う、うん?」

 出て行きかけて、父は足を止めた。振り向いて半身になり、にやっと笑った。

「ウッフーンはやめときゃーよ? 春花にはまだ早いで」

 春花は目を[剝{む}]いた。

「お、おとーさんっ!」

 父は笑って続ける。

「春花のいいところは、そんなトコじゃないで。間違えたらいかんよ」

「えー、またそれー⁉」

「また?」

「ちーちゃんと真維ちゃんにも、それ言われた」

「お、そうか。春花はいい友達に恵まれとるな……ま、がんばり」

 なにもわからない春花を残して、父はさっさと歩き去ってしまうのだった。

 

 

 そして迎えた金曜日、午後七時三〇分。

 真維は台本を、智加は選曲リストを、春花はトーク内容をそれぞれ見直し、起死回生をかけて挑む第三回放送。

「「「──ガールズラジオ、チーム岡崎! こちら、オカジョ放送部!」」」

 三人のコールがジングルに乗れば、特設ブースの周囲で拍手が起きた。初回から比べると、立ち見の人の数もずいぶんと増えてきたように思う。この公録を目当てに、『NEOPASA岡崎』を訪れる人もいるみたいだと、丸石は言っていた。

(絶対に、ぜ~ったいに……楽しんでもらわんと!)

 春花の気合いは十分だ。

「それじゃ、今夜もハリキっていっくよー! 女子高生かつ放送部員の私たちが、ここNEOPASA岡崎からお届けする、元気おすそわけ系仲良しラジオ! 今日も元気になるまで、帰さないからねっ!」

 飛び跳ねるような、春花の声。聞く者の手を取って、でたらめに踊り出すような声。浮世の[哀{かな}]しみを笑い飛ばすような。

「えっと……まず、皆さんに訊きたいことがあります! オカザ●もんって、すっごいカワイイですよね~?」

「いやはるかっち、オカザ●もんのこと、知らない人の方が多いと思うけど……」

「えっ、なんで⁉ 有名だよ、オカザえもん!」

 智加が戸惑いながら返す。

「はい。ご存じでない方のために言いますと、オカザ●もんは、岡崎市の非公式ご当地ゆるキャラです……私もカワイイとは思わないわね」

「えーっ、カワイイよ、絶対カワイイよ!」

 舌が熱を[帯{お}]び、唇が[滑{すべ}]り始めていた。こうなったら、誰にも止められない。真維にも、智加にも……春花自身にさえも。

 

 

 公録が終わり、ブース内で、春花はひとり頭を抱えていた。

(やっちゃった~! またやっちゃった~!)

 内輪ネタ全開で、突っ走ってしまった。せっかくのふたりのアドバイスを、完全に無視してしまった。

 平謝りする春花に、真維は「春花らしいわ」と笑ってくれたけど、智加は目も合わせてくれなかった。

「別に謝らんでえーよ。はるかっちが改善したいって言うから、答えただけ」

 その口調には、やんわりと拒絶するような冷ややかさがあった。帰りの車中でも、いつにも増して言葉少なで、グループチャットにもずっと書き込みがなかった。

(どうしよう! これは怒っとるよ! かなり怒っとる!)

 弁解も釈明もできないまま、翌日の土曜日。掛ける言葉が見付からないうちに、放課後になってしまった。

(──このままじゃ、いかん!)

 意を決して、智加の席へと足を向けた。

「や、やあ、ちーちゃん! 一緒に部室いこまいっ!」

「……」

 智加は一顧だにせず、教科書類を机にしまうと席を立った。そのまま春花に背を向け、出入り口へと歩いて行ってしまう……

「ちーちゃん……」

 ドアを開けたところで、智加はふと足を止めた。大きくため息を吐くと、捨てられた犬のような顔をしている春花を振り向き、

「……行かんの?」

「いっ……行く行く~!」

 もし春花に尻尾があったら、パタパタと振っていただろう。智加の後に続いて教室を出た。

 部室へと向かう廊下を歩きながら、春花は恐る恐る尋ねる。

「あの……ちーちゃん? 怒っとるよね?」

 智加は淡々と、

「怒ってないよ」

「え~、でも、せっかくアドバイスしてくれたのに……」

「そんなの、いつものことだが」

「でも今度は、怒っとるでしょ?」

「怒っとらんって」

「でも、本当の本当は……?」

「あんまりしつこいと、怒るよ?」

「は、はいっ!」

 まだ少しぎこちなさを抱えたまま、放送部室に到着する。

「ふたりとも、お疲れさま」

 真維だけは変わらない調子で、穏やかにふたりを迎えてくれた。

 忘れないうちに昼食を[摂{と}]り、お昼の放送に取り掛かった。智加も真維も、春花でさえも、ガルラジの話題は出さなかった。今日の順位を見てしまったら、何かが変わってしまうという予感があったから。

 しかし、目を[背{そむ}]け続けるわけにはいかない。放送が終わると、真維は[粛{しゅく}][々{しゅく}]とタブレットを取り出し、ガルラジのアプリを表示させた。春花と智加が左右から覗き込む。

「──順位、上がってる」

 ぎゅっと目を閉じ、祈るように両手を組んで、合格発表のときの受験生のような様子を見せていた春花は、真維の言葉にハッと顔を上げた。

「え、ホントに⁉ 何位?」

「三位」

 智加の言葉に、春花は[比{ひ}][喩{ゆ}]じゃなく飛び上がった。

「えーっ、やったがね! めちゃんこスゴイ!」

 しかし、智加と真維の表情は固い。

「でも、これは……」

「うん。事態はひとつも好転してないわ。再生数も登録者数も減り続けてるし、四位とほとんど差がないのよ」

 智加がメガネの奥で目を細めた。

「徳光、やばいな。反響もコメントも凄いし、上がってきてる」

「この勢いだと、抜かれるのも近いかもね……やってくれるじゃない、ミルミル」

 春花は両手を広げて、明るく[訴{うった}]えた。

「で、でもさ! 順位は上がったんだし、ちょっとくらい喜んだって……!」

「はるかっち、それは前向きなんじゃなくて、現実逃避」

 その言葉を[遮{さえぎ}]って、智加が冷たく言い放った。

「喜んでる余裕なんかないっての。どうやったらポイントを稼げるかを考えないと。チームが解散されちゃうんだよ?」

 そこまで語ると、智加はふとシニカルに笑った。

「……ま、はるかっちは解散になっても、気にしないんだろうけど」

「えっ⁉ なんで! そんなことないよ!」

 春花が否定すると、智加の全身から、にわかに険悪なオーラが立ち昇った。春花を呑み込もうとするかのような。

「そうかな? 悪いけど、わたしはそうは思えんよ。はるかっちはチームなんて、どうでもいいんでしょ? だってはるかっちは……!」

「智加ちゃん、言い過ぎ」

 真維がすかさず、危険試合を止めるレフェリーのような鮮やかさで口を挟んできた。智加はハッと息を呑む。

「……ごめん、はるかっち」

 片手で頭を押さえ、深く息を吐いて、

「う、ううん! 気にしないで!」

 春花は明るく言ったが、ちょっと無理矢理感が出てしまう。

「わたし、最低だな……はるかっちはさ、いつも明るいから。わたしみたいに、色々気にしないんだなって。そんなわけないのにね。ごめん、ほんとゴメン」

 春花はぶんぶんと首を振った。

「ううん、私こそごめん! ちーちゃんが、私たちのチームを大切にしてくれてるの、わかっとるよ!」

 えへへと笑い、

「私も大切にしたくて、色々考えてみたんだけど、うまくいかなくてさ……」

「……違うんだわ、はるかっち。そうじゃなくて」

 智加は目を伏せて言った。

「チームのことが大切なのは、ホント。ガルラジは楽しいし、ふたりはわたしの友達だから。でも、わたしがイライラしてたのは、そんな理由じゃない……」

「……え?」

 智加は苦しげに告白を続けた。

 

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