――大きな愛の環を満たして、
――その由縁をきつく結んだ。
未来的なフォルムがやや[夥多{かた}]な自動車が、法定速度で街を駆け抜けてく。
ロードノイズにモーターの音がわずかだが混じって聞こえる。
それから十数秒ほど遅れて、やけに騒がしくペダルを漕ぐ音がやってきた。
タイヤ径のちいさな[自転車{チャリ}]がアホみたいなスピードで走ってく。
[野暮{やぼ}][色{いろ}]のコートをなびかせ、ティアドロップのサングラスを汗ですべらせ中年男が[自転車{チャリ}]を爆走させる。
おっさんは、前を行くクーペを視界に捕らえながら、左折するウィンカーを目にするなり、早々と路地を左折した。
コースアウトして近道を行くためだ。
クーペを追う。
先廻りする。
そうして、おっさんは、その〝三人〟を乗せた車と〝ソレ〟を追いかけた。
ただただ[執拗{しつよう}]に追いかけていた。
おっさんには求めるモノがあった。
三人はそれを持っていた。
三人はそれを知らなかった。
一時間ほど前。
『ニコニコ安全警備保障会社』
とロゴの入った制服を羽織った人物がふたり。
ギンザの一等地の小綺麗なビルの一室。
「ニコニコ安全警備保障[織原{おりはら}]です」
ひとりは名刺を差し出し、勧められソファに腰を下ろす。
テーブルを挟んで向かい側に先に腰をかけたスーツの男は、交換したその名刺をテーブルに置く。
スーツの男は、名刺と目の前に座る利発そうな青年を何度か交互に見やった。
青年が渡した名刺には、
ニコニコ安全警備保障/ニコニコセキュリティー
主任/班長/SVO 織原ツクモ
と書かれてある。
ただ、その肩書きにしては、[黒縁{くろぶち}][眼鏡{めがね}]をかけた青年、織原ツクモはやや若く見えた。
ぱっと見、大学生風の好青年。
警備会社の主任、班長の風情じゃない。
「お若い、ですね」
社交辞令的な調子でスーツの男は言う。
「まあ、そうでもありません。若作りしているだけですから」
黒縁眼鏡の青年は、とてもよく響く低い声で薄く笑って返した。
「ああ、そう、ですか」
若作りというには少々早すぎる年齢に見えるが、スーツの男はそれよりも気になる――ふたりめのほうに目線をチラリ。
一瞬、ふたりめと目が合う。
すると、ふたりめは、満面ではないが極上の微笑を浮かべて[魅{み}]せた。
スーツの男は慌てて目線を外した。年甲斐もなく赤面する。
そのふたりめは、黒縁眼鏡の青年、織原ツクモが座るソファのうしろに控えていた。
大学生風の青年よりももっと若く見える。
ただ、幼さを残す表情は、彫刻のような造形美だった。
背筋をぴんと伸ばし立つ姿は[凛々{りり}]しくもあり、やや不安定にも感じさせる。
それは少女としてはボーイッシュ、少年としては妖艶な雰囲気を持ってるせいだろう。
加えて、少女としても少年としても、身体の線が[花車{きゃしゃ}]で細い。
肌も白よりも蒼白くまるで健康には見えない。
サイズオーバーのニコニコ安全警備保障の制服が、より幼さを増す部分もあった。
――果たして、彼? 彼女? 警備会社の人間なんだろうか? 大丈夫か?
そんなふうに相手に思わせてしまうかもしれない。
けれど、
[伊{い}][集{じゅう}][院{いん}]法律事務所の[葉{は}][米{べい}]さまから直接、依頼の内容をうかがっております」
織原ツクモは警備会社が末端として提携先に名を連ねる大手法律事務所の名前を出して、男を疑心暗鬼の縁から現実に引き戻した。
「あ、ああ、すみません。よろしくお願いします」
男はスーツの[襟{えり}]を正し、あらためてツクモと[対峙{たいじ}]する。
この男もまた、弁護士だった。
弁護士はべつの弁護士に今回の『依頼』の相談を持ちかけた。
自分のところでも手に負えなくはないが、リスクを避けるために。
「急な話で申し訳ありませんが、〝先生〟がこの度、国政に打って出ることになりまして」
「ええ、おめでとうございます」
低い声でツクモが言う。
「それで――うちのほうでは、あまり動かないほうがよい。ということに……」
「はい。ですが、そういったことはお話しくださらなくても大丈夫ですよ」
面倒な事案に困り果てた依頼者が最終的に、ニコニコ安全警備保障にたどり着く。
ってのは、よくある。
むしろ、面倒、厄介、目の前にいる大きな事務所に所属してるようなエリート弁護士の手を煩わせるようなところを代わって対処する。
こういった〝仕事〟は、
「はいよろこんで!」
と対応させていただく。
「じゃあ、そういうことで」
スーツの男はすこし[安{あん}][堵{ど}]したのか、表情を崩す。
見れば、黒縁眼鏡の青年は頼りないどころか、すごく頼りにできる気にさせる。
顔も端整で、眼鏡の奥の瞳も、成人したての半端者のソレとはまったく異なる修羅場をくぐり抜けてきた風格さえ漂わせて。
体つきだってそうだ。
背中や肩、袖に膨らみのあるニコニコ安全警備保障の制服の下は、細身に見えるが着やせるタイプらしく、ツクモはしっかりとした体躯をしている。
駆け引きに長ける弁護士相手に主導権争いで、ツクモはまったく引けを取らない。
うしろでおとなしく控えてる中性的すぎる花車なもうひとりはもちろん、ツクモも自分たちの第一印象が最弱で最悪なことくらいちゃんとわきまえている。
それを踏まえた上の言動を心がけている。
黒縁眼鏡だってそうだ。本当はツクモは視力が悪くない。
むしろ遠くも近くもかなり精細に見える。
それでもそれっぽい眼鏡をかけてるだけで『真面目』に思われるし、そんなことくらいで体感で『一割から二割』近く信頼度が変化する。
名刺に書かれてる役職だってそう。
『主任』『班長』『SVO』と複数ならべてあるのは、肩書きが多いってだけで、
「なんかすごそう」「なんかちゃんとしてそう」
って勝手に思ってくれるからだ。
特に主任や班長は、なんの主任でなんの班長なのかべつに書いてない。
SVOなんかに至っては、『COO』とか『CEO』みたく見えるローマ字をそれっぽく並べただけで意味はまるでない。
「SVOってなんですか?」
そんなことを訊ねられたときにも、
「Service Organizerという意味です」
と答える用意はしてある。
大仰な肩書きだが、べつにたいした意味はない。
しいていうなら『仕事まとめ係』か。
ようするに、主任も班長もSVOもおんなじ。
ただ並べただけ。
仕事で逢うたいていの人間は、こちらの中身に目を向けることはない。
興味がないか、値踏みしてやろうという腹づもりだから。
腕時計や衣服、役職や肩書き、そういった[類{たぐい}]の〝付属品〟ばかり気にする。
ゆえに。今回も、これで支障がないってこと。
「では、今回の依頼内容の確認をさせていただきます」
ツクモは速やかに〝仕事〟を進める。
「――それでは、」
黒縁眼鏡の青年、織原ツクモは深々と頭を下げ、部屋を出た。
そのすぐあとに、背後に控えていたふたりめがつづく。
「よろしくお願いいたします」
スーツの男も深々と、ふたりの背中が部屋の外へ出てもしばらく頭を垂れていた。
エレベーターに乗って、五階から地上一階へ。
ふたりはその間、ずっと無言。
背筋を張ったまま、気を抜かないでビルの外に出た。
駐車スペースに、黒の乗用車が停められている。
このクーペの窓ガラスは全面スモークで覆われているが、鍵を持ったひとが近づくと通電してガラスが透明になる仕様だ。
スモークがクリアになり、車で〝お留守番〟してた三人めの少女がふたりに気づいた。
ツクモが運転席側、もうひとりが助手席側ドアのノブに手をかける。
独特の跳ね上げ式のドアが上方に開いた。
ふたりはほぼ同時に車内に身体を滑りこませ、ほぼ同時にドアが閉められる。
とさらに、それとほぼ同時に、
「――ぷはぁ、肩こるぅ~」
助手席に座った、ふたりめが、大きく息を吐く。
その声は、[囁{ささや}]くようでその花車な体躯に似て、ひどく細かった。
少女にしてはやや低く、少年にしてはすこし高い。どちらにしてもお腹にチカラが入ってないアンニュイな声で言う。
「真面目なフリは疲れるよねえ」
ひとりごちて、もうひとりは、倒れるように全体重を背もたれにあずける。
花車なもうひとりが身体を投げ出したところで、座席はもちろん車体もびくともしない。
そのとなり、運転席のツクモは――後部座席でふたりがビルに行ってる間〝お留守番〟していた少女に、
「ニコ、ただいま」
低くよく響く声で言った。
「ツクモ、おつかれさま」
ニコニコ安全警備保障、三人めの登場だ。――その少女は、[儚{はかな}]げな絶え入るようなウィスパーで声を鳴らし、後部座席からひょっこりと顔をのぞかせた。
大きくて薄色の黒目がちな瞳。
肌は透き通りそうなほど白く、助手席にちょこんと添えた手は、細すぎて心許ない。
まぁるい輪郭に、頰はチークを塗ってないのにほんのり紅く染まっている。
前髪は眉毛の下、[瞼{まぶた}]よりちょっと上で[揃{そろ}]えられていて、両方の耳の上、リボンでふたつに結ってある長い髪は毛先に行くにつれて赤茶から金髪そして白に近づいてく。
頭を揺らすと、ウェーブがかった髪がゆらゆら揺れる。
「ノアもおつかれさまっ」
少女が言う。
「おっつー」
気怠げに返し、助手席の[甘樂{かぬら}][木{ぎ}]ノアは、首すじに手をやってこきこき鳴らす。
「ひとりで待っててもだいじょぶじゃん」
なにげなく、アンニュイにノアはひとりごちるみたくささめいた。
でも、後部座席から顔を寄せている少女の、ちいさな可愛らしい形の耳にも届いた。
「うんっ。ひとりでもだいじょぶなのっ」
少女――ニコはうれしいのとすこし照れくさいので、はにかみながら後部座席の背もたれをぽんぽんと叩いた。
「待ってただけだけどな」
はしゃぐニコに、うっかりホメてしまったノアが照れ隠しにツッコむ。
「そうだけどー」
褒められてすぐハシゴを外されたニコは、ちょっと頰をぷぅと膨らませる。
留守番だけだったが、律義に『ニコニコ安全警備保障/ニコニコセキュリティー』のロゴが入ったブカブカの制服を着ていた。
ふたりが仕事をしているときにニコなりに業務中だと意識してのアピールだった。
ただ待ってただけだけど、待ってただけじゃない。みたいな。
作業着とも呼べる制服を着ててもニコは、可憐でキュートで何処か所在なげな表情と[其処{そこ}]に存在してるのに、まるでアニメやまんがの世界から出てきたような現実感のない天使性で[溢{あふ}]れかえってる。
そんなニコをノアはイジメてるワケでもないし、ふたりは仲が悪いワケじゃない。
むしろ仲がいい。
ノアはノアなりに不器用だけど、ニコに対しては過保護だ。
ニコもそれは判ってる。だから、
「ノア、チョコ食べる?」
傍らに置いたリュックを開く。
「お、食べる食べる」
疲れた顔を輝かせると、背もたれに押しつけてた花車な身体をよじってノアは手を伸ばす。
「はい。どーぞ」
ニコは、リュックからキャンディみたく包まれたキューブ型のチョコをみっつほどつかんで、ノアが差し出した手のひらに乗っけた。
「さんきゅー」
チョコを受け取るやいなや向き直って、包みを開けつぎつぎ口に放りこんでいく。
「うまー、やっぱ仕事のあとの甘味はいいなあ」
棒読みみたいにアンニュイにノアは言う。
助手席のノアをツクモがチラリと見る。