第二章 「木乃の旅」 第二章 – 3

 さらに坂道を進むことしばし、

「おお、富士山が近い!」

 どーん、というサウンドエフェクトが似合うほど、木乃のゴーグル越しの視界の中に、立派に富士山がそびえていました。

 バランス良く[裾{すそ}]を広げた優雅なスタイル。頂上にはほんの少しだけ雪化粧。昨日の雨が、頂上付近では雪だったんでしょうね。

 ここは、山梨県に入って間もなくの場所。

 さっきまで走っていた道が、山梨県道320号へとそのまま繋がるのですが(正確には、一度神奈川県に入ってから山梨県に入る)、そこにある〝[三{み}][国{くに}][峠{とうげ}]〟を越えた先に見えてくるのが、山中湖と富士山です。

 木乃が、見晴らしのいい場所でクロスカブを止めました。

「下に見える、尾びれを元気よく立てたクジラみたいな形をしている湖が山中湖ね。知ってる? 木乃」

「むろん知ってる。謎の巨大生物、〝ヤマナカッシー〟がいるって噂の」

「そうそれ」

 エルメス、ちゃんとツッコんで。そんな話ないから。

「山中湖は、〝富士五湖〟と呼ばれる、富士山の周囲にある、選ばれし五つの勇者的な湖の一つだよ。五湖の中で最大で、そして最高地にある」

 エルメスが、真面目な説明モードに入りました。

 この道は、山中湖へ向かって下るだけ。周囲は枯れたススキ野原。おかげで[遮{さえぎ}]るものがなく、素晴らしい景色が堪能できます。

「いやー、絶景だねえ! 目が良くなりそうな場所だねえ! あの頂上に雪を被った山、まるで富士山みたい!」

 木乃が声を上げて、

「富士山だからね」

 エルメスはボケ殺し。そして、

「このへんから見える富士山は超お勧めだって地図に書いてあったから、通ってみた」

「やるじゃないエルメス! で、ここは何が美味いの?」

 花より団子ですね。

 それでも木乃はしばし足を止めて、山中湖と富士山が魅せる景色を、しばらく眺めていました。

 峠なので空気は凜と冷えていますが、風が弱いのでそれほど寒くは感じません(注・寒さに強い、そしてさっきまでバイクで走っていた木乃の個人的な感想です)。

「うーん。快適」

 個人的な感想です。

 

 

 走り出して山中湖へと下った木乃は、湖を一周する道を、湖面を左手に見ながら進みました。

 湖面越しにどんとそびえる富士山が、実に見事です。絵になります。インスタ映えです。

「うん、いい道だ。いい景色だ」

「よそ見運転注意だよ、木乃」

「なあに、ぶつかりそうになったらエルメスが警告を発して、それでも危なかったら自動ブレーキをかけてくれる。先進の運転支援システム。やっちゃえ、エルメス」

「無理言わないでねー」

 木乃は一度クロスカブを止めて富士山を眺めて、それから再び出発。安全運転で進みました。

 そして山中湖を終えて、さらに進みます。やっぱり左手に富士山を常に見ながら、つまりは反時計回りぐるりルート。

 スワンボートがたくさん浮いている湖面脇を通っているとき、

「木乃、次の交差点を右。そして、しばらく国道138号線を走るよ。で、〝[富士{ふじ}][吉{よし}][田{だ}]市〟へ出る」

 エルメスナビから言われました。

「了解。で、その……、〝ナントカ市〟には、どんな食べ物があるというんだね?」

「強力なコシで、麺がガッツリ固いことで有名な、名物郷土料理〝吉田のうどん〟がある。トッピングが甘辛く煮付けた馬肉と茹でキャベツなのが面白い。〝すりだね〟って名前の唐辛子ベースの薬味も特徴だよ」

「富士吉田市。木乃、覚えた! もう忘れない!」

「大小たくさんお店があって、どこも特色があるけど、どうしよう?」

「え? 時間が許す限り全部回る」

「言うと思った。店、近い順にリストアップしておいたよ」

「パーフェクトだエルメス!」

 

 

 こうして木乃は、

「うめー!」

 これから二時間以上にわたって、

「このコシぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

 クロスカブで富士吉田市を縦横無尽に走り回り、

「ゴボウ! いいね!」

 ひたすら連続で吉田のうどんを食いまくりますが、

「馬肉美味ーっ!」

 これは訓練された木乃だからできる、コンボ行為です。

「たまんねーっ!」

 読者の皆さんは、軽い気持ちで真似をしてはいけません。

 お腹の調子を見つつ、無理のない範囲で、うどん屋さんのハシゴをしましょう。

 

 

「食ったー!」

 二十人前のうどんを二時間で食べれば、それは木乃も満足するというものです。

 外見上の変化はまったくありませんが、止めておいたクロスカブに戻って跨がったとき、サスペンションがさっきよりずっと沈み込んだ気がします。謎は全て解けた。

 鍵を捻ってハンドルのロックを外し、そしてオンの位置へ。右手親指の位置にあるセルスターターでエンジンをかけて、さあツーリング再開です。

 木乃は国道138号線を、富士吉田市の町中を、再び走り出しました。

 右側に大きな遊園地が見えています。〝富士急ハイランド〟ですね。空に突き出しているジェットコースターからの、楽しそうな悲鳴が聞こえてきます。

 この辺りで左に曲がると、富士山の五合目まで自家用車で行ける、山梨県側の有料道路、〝富士スバルライン〟の入口があります。登ると景色が綺麗ですが、今日はそんな余裕がないので、残念ですがスルー。

 木乃はここで、

「わたしだけでなく、コイツにもエネルギーを入れてくかー」

 クロスカブのガソリンを補給することにしました。

 燃費がいいのが、スーパーカブシリーズの美点です。

 スピードメーターの下についている燃料計によると、まだ半分以上の余裕はありますが、入れられるときに入れておくのが鉄則。ちなみにスーパーカブシリーズの燃料タンクは、シートの下です。

 木乃は、見つけたセルフのスタンドでサクッと給油を開始しましたが、

「あれ? 木乃、やったことがあるの?」

「うん。北海道では、おばあちゃんの車で何度もやったよ。寒い中、おばあちゃんを外に出したくなくてね」

「なあんだ」

 [懇切丁寧{こんせつていねい}]に給油の仕方をレクチャーしようと思っていたエルメス、ちょっと残念そう。

 

 

 さて、満タンまで給油を終えてお金を払って、木乃は再び走り出しました。

 この時点でもう十四時です。集合のタイムリミットは十六時ですので、

「間に合う?」

 ルーティングを全てお任せの木乃が、エルメスに訊ねました。

 運転手は自分のくせに、思いっきり投げっぱなしの任せっぱなしです。目的地まで残りがどれくらいの距離か、たぶん知りませんよこの人は。

「全然余裕。ここからならノンビリ行っても三十分くらいかな。この先に大きなスーパーがあるけど、何か買ってく?」

「そうだなあ。食材は昨日連絡しておいたけど、好みのおやつが欲しいかもね。積める量は限られているけどさ。足の間に載せて縛ればいいかな?」

「じゃあ、次の信号を右、そしてすぐに左で駐車場」

 木乃は言われたとおり、やたらに駐車場が広い、スーパーやスポーツ用品店やホームセンターやラーメン屋が並ぶショッピングモールに入りました。

 スーパーの入口近くの駐輪場にクロスカブをとめて、ヘルメットをホルダー(注・バイクについている、ヘルメットの紐の金属冠を引っかけておける簡易ロックのこと。空は飛ばない)に装着し終えたときでした。

「木乃せんぱーい!」

 聞こえてきたのは、よく通る可愛い声。ライブブルーレイで聞いたことのある声。

「おや?」

 木乃が顔を上げると、見慣れた車であるホンダ・オデッセイが、今まさに目の前に駐車されたところでした。そこから下りてくるのは、もちろん沙羅。

 今日の彼女は、バッチリ私服です。

 綿製の長ズボンにスニーカー、シャツの上に温かそうなフリースジャケットを羽織っています。

 頭には、ストライプ柄の毛糸の帽子という、ちょっと可愛いアウトドアスタイル。

「沙羅ちゃーん! こんなところで偶然だねえ! ひょっとしてひょっとして、今日はひょっとして――」

「はい」

「キャンプに行くんじゃなーい?」

「なっ、なんで分かったんですかあっ!」

 コテコテのボケにつきあってくれる沙羅、優しい。超優しい。

 オデッセイからは、

「こんにちは! いい天気ですね!」

 続いてエリアスも下りてきました。

 こちらも沙羅と似たような格好、というかほとんど同じですね。組み合わせている色が違うだけです。おいおいペアルックかよ。

 たぶん、二人で揃って買いに行ったんでしょうねえ。ヒューヒュー、デートかよ。

「ほいよー、エリアス君。今日も金髪が太陽に輝いてるねえ」

 そして最後に、オデッセイの運転手が下りてきました。

「あら奇遇ね木乃さん。ひょっとして――」

「はい先生、キャンプです」

 木乃の七必殺技の一つ、ボケ殺しが炸裂しました。

 今日の茶子先生、さすがにスーツ姿でもジャージ姿でもなく、かなり山ガールです。

 黒い厚手のストッキングに膝上までのスカート、足元は高そうなショートブーツ。チェック柄のシャツに、ダウンベストという出で立ち。

 やはり標高が高い場所に来ていますので、三人とも、地元横浜での真冬のような格好でした。

 実際、この時点でかなり寒いです。横浜と比べれば摂氏で五度は低く、真冬の気温です。出発時の格好で平然としている木乃が、とても鈍いのですよ。

「あんだって?」

 凄いのですよ。

「ならよし。――先生達も、今到着ですか?」

 木乃が訊ねると、茶子先生がニヤリと笑いました。絵に描いたようなニヤリでした。ニヤリの見本になりそうなニヤリでした。

「ふふふ……。横浜からずっと、木乃さんの跡をコッソリつけていたのだけど、気付かなかった?」

「いや、それはないです」

 木乃やエルメスが、追跡者の存在に気付かないわけがない。

「ふっ、やるわね……。実は昨日からここに泊まっていて――」

「それもないです」

「バレたか。実は私達は立体映像で、本当はキャンプ場からネット回線を使って――」

 話が進まないのを心配して、エリアスが教えてくれます。

「僕達、朝の六時に出発したんですけれど、高速道路がとても空いていて、十一時前にはキャンプ場に着いていたんです。チェックインとか場所取りとかを済ませて、富士山にドライブに来たんです」

「なるほどー。出発、ずいぶん早かったんだね」

 木乃の素直な感想が炸裂しました。六時は、どう考えても早すぎでは?

「いやー、どうせドキドキで朝早く起きちゃうって分かっていたからさっ!」

 遠足に望む小学生みたいな理由ですね。言ったのは茶子先生です。

 沙羅が、言葉を弾ませながら続けます。

「キャンプ場、とってもとっても広くて感動しました! 目の前に富士山もドーンです! チェックインして、場所も決めて、テントを置いて、まだまだ時間があったんで、富士山の五合目まで車でグイグイ登ってきたんです! すっごく景色が綺麗でした! 湖と、紅葉した麓と、上に綺麗に雪を被った遠くの山が見えました! 双眼鏡でも見ました! 楽しかったです!」

 なるほど。富士スバルラインをドライブしてきたんですね。

 今日なんて、近くの富士五湖のみならず、遠くの南アルプスや八ヶ岳もよく見えたことでしょう。

 茶子先生、なかなか粋な計らいです。まさかこれをしたくて朝早く出発――、は多分ないですね結果論。

「そっかー。よかったねー」

「はい! この木乃先輩のバイク、赤くて可愛いですね!」

「ありがとー。レンタルなんだけどね」

「ここまでずっと一人で走ってきたんですよね? 凄いですね!」

「まあねー」

 ちゃんとナビをしてくれたエルメスのおかげもありますが。

 いや、エルメスがいなければ、今頃は茨城県の[大{おお}][洗{あらい}]であんこう鍋でも食べていた可能性が高いですが。

「私達は、富士宮市ってところで、〝富士宮やきそば〟を食べました! 普通のとちょっと違っていて、とーっても美味しかったです! 木乃先輩は、途中で何か食べましたか?」

 ほう、富士宮やきそばか。帰りに寄るか。

 木乃は思いながら答えます。

「そうねー、うどんとか、うどんとか、うどんとか、うどんとか、うどんとか、うどんとかを食べたかなー」

 嘘は言ってない。というかむしろ控えめに言っている。今の木乃、体はうどんでできている。

「すごいっ! うどん好きなんですね!」

「うん」

 というか、木乃に嫌いな食べ物はない。

 茶子先生が、

「さてー、買い物しましょう! 木乃さんも、何かおやつでも手に入れるつもりだったんでしょうから、一緒に買いましょうか! もちろん払いは部費から」

「先生! 一生付いていきます! あ、嘘です数日くらい」

 

 

 こうして四人は、大きなスーパーでカートをゴロゴロしました。

 車に積めるのなら、どんだけ大量に買っても問題ありませんね。お金も出さなくていいのなら、なおさらです。こうなった木乃に、慈悲とか容赦とか遠慮とか常識とかいう言葉はない。

「食材は用意したから、それぞれが好きな、いっちばん食べたいおやつをねー!」

 茶子先生、言いながらかの有名な〝カロリーメイト〟をバシバシとカートに乗せたカゴに放り込んでいきます。

 え? カロリーメイトが一番食べたいおやつなのでしょうか。茶子先生の謎。

「木乃先輩……。本当は、おやつもたくさんあったのに……、これまでの道中で、僕が全部食べてしまったんです……」

 小さい体をもっと小さくしてそう言ったのはエリアス。なるほど彼なら有り得る。 

「はっはっは! 細かいことを気にするなよ、少年!」

 木乃が、懐を大きいところを見せました。

「木乃先輩……」

「こうして買い直せるからいいじゃないか! 買い直せてなければ……、お主の命……、今頃どうなっていたか分からぬが……」

 全然大きくなかった。

 

 

 店の人が呆れるほどのお菓子を買い込んだあとは、

「オッケー! レッツゴー! 私についてきなさい!」

「茶子先生、バイクと車を止めたのは向こうです」

 車一台とバイク一台で、キャンプ場へと向かいます。

 オデッセイを先頭に、国道139号線を西にしばらく進んで――、〝ひばりが丘〟の交差点を左折。県道71号線へ。

 この道は、かの有名な〝青木ヶ原樹海〟を貫く森の中のルート。

 青木ヶ原樹海とは、富士山の噴火で流れ出た溶岩の大地に、千二百年の時をかけて緑が生い茂った〝若い森〟です。大自然の営みの中では、一千二百年など一瞬なのです。

 この道を走っていると、見えるのは樹海だけ。

 右も樹海、左も樹海。どっちを向いても樹海。昼間は緑のトンネルでとても綺麗ですが、夜は真っ暗でかなり怖いです。シカも飛び出してくるし。

 安全速度で走るオデッセイの後ろを、木乃は適度な車間距離を開けて、クロスカブでついていきました。

 樹海を抜けると、また左手にドーンと富士山が見えてきます。しばらく景色のいい道を進んでから右に曲がり、朝霧高原の牧草地帯を抜けていきます。

 時間は十五時ちょっと前。

「城壁が――、じゃなくてキャンプ場が遠くにかすかに見えてきた。間もなく到着だよ、木乃」

「ほいほい。わたしの長い旅も、終わりを迎えるときが来たか……」

「帰りも残ってるけどね」

 百数十キロメートルに渡る原付二種の移動は、

「ま、ちょっとした運動にはなったかな」

 木乃にはへっちゃらでした。

 若いっていいな。

 

 次回に続く(3月17日配信予定)

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