「さて、エリアス君のテントを張ろうか」
「はい、お願いします!」
茶子先生がエリアス用にと借りたテントは、〝二人用〟と書いてある小型のものでした。
設置場所は、茶子先生のテントの隣にすることにしました。
「では、一度中身を出してみよう」
「了解です」
エリアスが、草地の上に出して並べました。ナイロン製の布とか、折りたたまれたポールなどです。
一目見て、
「なるほど。これも張るのは簡単だよ。それこそ、月明かりでできるくらい」
静が言いました。商品名は言いませんでしたが、分かる人にはもう分かるはず。〝モンベル〟社の〝ムーンライト2型〟という有名なもの。
「まず、グラウンドシートを敷こう。これはテントの下に敷くシートで、なくてもいいが、あった方が、テント本体の汚れが少なくてすむんだ」
ふむふむ。エリアスは一番小さくて軽いシートを広げて、テントを配置したい場所に置きました。縦で二メートル強、横幅が一・五メートルほどの布です。
「この上にテントが建つのだけど、まずはいったん横になってみよう。[斜面{けいしゃ}]はきつくないかい? 下は激しくゴツゴツしていないかい? 多少の[凹凸{でこぼこ}]は、マットで解消できるから気にしないでいいよ」
エリアスはごろん。ごろごろ。
「大丈夫です!」
そして笑顔で起き上がってきました。
「よし。ちなみに、傾斜がある場合は、頭を上にしないといけない。その場合は、テントの形状によっては、どうしても頭の位置が、そして出入り口の向きが決まってしまう。これは仕方がない」
「なるほど」
メモメモ。細長いテントで、横向きで寝るわけにはいきませんもんね。
「次だ。骨組みとなるポールを組み立てるんだ。ポールの中央がゴムで繋がっているから、バラバラにならないはずだよ」
エリアスが、折りたたまれて束になっていたポールを広げて、サクサクと差し込んで組み立てていきます。
すると、五本のポールが、白いプラスチックのジョイントで組み合わされました。差し込むところを間違えようのない、よくできたシステムです。
「じゃあ、ポールをシートの四角にある銀色の棒に差し込もう」
静が言いました。
グラウンドシートの四角にある、八センチほどの長さの棒に、ポールの端を差し込み終わると――、
なんということでしょう。
さっきまで何もなかった空間に、銀色の骨組みが浮かび上がったではありませんか。[匠{たくみ}]の技です。空間の魔術師です。
「次はテントだ。吊していこう」
エリアス、一番大きな[布{ぬの}][袋{ぶくろ}]を広げました。
前後左右だけは静に教えてもらって、ゴムやフックを使って、ポールにぶら下げていきます。
「吊れました!」
この段階で、もう中に入れるテントになりました。
ちなみにこういった〝テントだけで立つ〟タイプを〝自立式〟と呼びます。まあ、読んで字のごとく、そのままですね。対義語は〝非自立式〟。
三角形の筒状の物体ができあがって、静が、
「もう少しで完成だ。その上に屋根をつけよう。フライシートだ」
フライシート、あるいは省略されてフライは、一枚の大きな布です。
エリアスは言われたとおり、ポールの骨組みの上にフライをバサバサと引っかけて、引っ張ったり引っ張りすぎたりして、場所を調整しました。
フックなどを使って、テントに固定していきました。横に延びているロープは、静の指示に従ってペグダウン。
「ロープの固定、終わりました。次は?」
「完成だよ」
「え? もう?」
作ったエリアスが一番驚いていました。教えてもらいながらでも、五分くらいしかかかっていません。
しかし、彼の目の前にあるテントは確かに立派にテントしていて、これ以上はもうテントする必要はない気がします。
「うわあ……」
人生初の設営を終えたエリアスが、笑顔で訊ねます。
「中、入っていいですか?」
「もちろん。君が作った君の〝部屋〟だよ」
「わはっ!」
エリアスは三角形のドアをファスナーで開いて、さらに蚊帳になっているネットも開いて、靴を脱いで中に。
長方形の室内は、ダブルベッドほどの広さ。ただ、側面には内側に向けての傾斜があるので、上に行くほどグッと狭くなりますね。立ち上がるのは無理です。
エリアスは寝っ転がって、少しだけゴロゴロして、仰向けのままで、
「中は温かいんですね!」
そんな感想。
「そうだね。風を防いで、空気が閉じ込められるからね。もし暑くなったら、少しドアを開けて換気すればいい」
「広さも、僕一人なら十分です! ここで寝るのが楽しみです!」
「良かった。最後に一つ豆知識を。これはカタログ上は〝二人用〟のテントだけど、実際には大人二人ではキツキツだ。テントの人数表記は、〝その人数がどうにか収まる。快適に使うにはマイナス一名〟と考えないといけない」
「分かりました!」
そこへ現れたのは、さっきからエリアスの奮闘をスマートフォンでバシバシと撮っていた沙羅です。
「こんこんこん! これはノック! ――エリアス! 入っていい?」
「いいよー!」
そう言って、入れ替わりでテントから出ようとしたエリアスの脇を、スルリと沙羅は通り抜けて、
「え?」
「入った!」
狭いテントに二人がイン。
「えへへ。お邪魔します」
「……あはは」
そして並んでごろりと横になれば、かつてない密着度。
もうここは二人の愛の巣。イエス・ラブ・ネスト。
「おい静……、オマエ、邪魔だから、ちょっくら遠慮してくれないか?」
そう、テントが語りかけています。
「ごゆるりと……」
静はそっと、めくられていたフライシートを閉じました。
「静先輩のテントはどんなですか?」
「僕も、張るところを見てみたいです」
さすがに中学生カップル、そのまま朝まで出てこないなんてことはありませんでした。
沙羅とエリアスは、バギーからダッフルバッグを取り出した静へと駆け寄ります。
「いいよ。これだ」
静が取り出したのは、エリアスのよりさらに小さな袋でした。太さで十五センチ。長さで三十センチ。それ以外に、もう少し長く細い袋も。〝モンベル〟の〝マイティドーム1型〟という商品。
「袋が小さいですね。これでテントなんですか?」
「そう。見ていてごらん」
静は、袋を空けて中身を取り出しました。
鮮やかな黄色の、袋状のテント本体と、折りたたまれたポールが二本。ペグが数本。それが全て。
静は伸ばしたポールを、テントの端から、小さな袋状になっているところに差し込んでいきました。
なんということでしょう。
二本のポールをクロスさせて押し込むようにして持ち上げ、手前の穴にはめて固定するだけで、テントが丸く立ち上がりました。匠の(以下略)。
こういった組み立て方式の自立式テントを、スリーブ式と呼びます。
風で飛ばされないように隅をペグタウンして、
「はい、完成」
「本当に、あっという間ですね……。これはどんなテントなんですか?」
エリアスが質問。
「登山などに使われる、とにかく軽く小さくすることを目的に設計されたテントだよ。フライがないから、シングルウォールと呼ばれているタイプだ」
ちなみにエリアスのテントなどは、二枚なのでダブルウォール。はいここ、テストに出ます。
「ただし、ご覧の通り小さいし狭い」
エリアスのよりさらに小さい、シングルベッドほどのサイズです。完全に一人用ですね。
「ちょこんとしていて、黄色いのも、かわいいです」
沙羅がそんな感想。
「黄色い目立つ色なのは、[遭難{そうなん}]したときに見つけてもらいやすいためだ。外側はもちろん防水生地なんだけど、フライがないから出入り口を開けると雨が入るし、内側の[結{けつ}][露{ろ}]もしやすい。軽量コンパクトを追求して、多少の不便は割り切って使うためのものだね。あと、お値段もかなりする。エリアス君のテントの、ざっと倍くらいかな」
「なるほどなるほど……。用途に応じて、いろいろなテントがあるんですねえ……。実際に見るコトができて、とても勉強になります」
「エリアスは、いつか自分でキャンプに行きたい?」
沙羅が何気なく訊ねて、エリアスは素直に答えます。
「そうだね、やってみたいね。すぐは無理でも……、いつかは」
「じゃあ、そのときは私も一緒に行くね! だから、少し大きなテントを買ってね!」
沙羅が何気なく言って、
「…………」
エリアス、素直に両耳が真っ赤です。
沙羅に深い狙いがあるのか、からかい上手なだけなのか、それとも天然なのか――、
それは静にだって分からない。
沙羅と茶子先生のは、最新のエアフレーム式ドームテントでした。
エリアスのは、オーソドックスな吊り下げ式ダブルウォールテント。
静のは、軽量コンパクトなスリーブ式シングルウォールテント。
ここまで全てタイプが違うと、木乃の使うテントがどうなるか、沙羅とエリアスには気になります。
いろいろと強く[逞{たくま}]しい木乃のこと、愛用のテントはなんでしょう? 絶対に参考になるに違いありません。
二人は仲良く、
「木乃先輩! どんなテントなんですか?」
やや離れた場所で作業をしていた木乃の元へと足を運びました。
そして、見ました。
木乃が乗ってきた、赤い小さいバイクと、その上にかぶせられている迷彩柄の大きなシートを。
シートの片方の端がバイクのフレームやキャリアに結わかれて、ハンドルやシートの上を通って、反対側はペグダウン。
そして、その下の実に狭い直角三角形の空間で、木乃が試しに寝ているのです。ブーツが見えています。
「は?」
「は?」
そりゃあ二人ともポカンとしますよ。
なんですかこれ。テントですらありませんよ。風は前後の穴や、バイクの下を吹き抜けです。
例えは猛烈にアレですが、大都市に住まうホームレスだって、もっとしっかり段ボールでお家を作ります。
「ん?」
木乃が、下からもぞもぞと出てきました。エリアスが訊ねます。
「木乃先輩、ここで寝るんですか……?」
「うん」
即答。
「でもこれ、テントじゃないですよね……?」
「うん、そうだね。でも、気温だって寒すぎもしないし、虫もいないから、これで十分だよ。雨は降らないって予報だから屋根も要らないけど、まあ一応ね」
どうやら、野営に対する基本的な考え方が違うようです。
エリアスは驚きつつ、さらに質問。
「すると、土の上で寝るんですか……?」
「ん? いや、さすがに今回は楽をさせてもらうよ。おばあちゃん、見てないし」
もし見ていたら、問答無用で土の上なのか……。
エリアスは心の中でツッコミました。
木乃はしゃがむと、さっきまで自分が上に寝ていたものを、ズルズルと引っ張り出しました。
それは、一人分ほどの長方形の布の左右に棒を通して、下に高さ数センチの台を付けたもの。〝担架に足がある〟という表現が一番近いでしょうか。
「それは〝コット〟だね。簡単な寝台のことを言う」
二人の後ろから、静が言いました。
木乃が頷いて、
「これなら、土の上で寝るよりずっと快適。濡れなくて済むし、冷たい地面に温度を奪われずに済むし」
コットには利点がたくさんありますが、下が濡れていても外で寝られるというのは、その一つでしょう。
もちろんデメリットもあります。当然なのですが、それなりにかさばりますし、重くなります。最近のは、そして木乃が使っている製品は、分解するとかなり軽量でコンパクトですが、そうなるとお値段が高くなります。
「だとしても……、テントの中じゃないですから、ずっと外と同じ気温ですよね。寒くないですか?」
エリアスが当然の疑問。
さっき体験して分かったとおり、テントは閉じられた部屋ですので温かいです。風からも守られます。
今でこそお日様の光があって、なおかつ動いているのでそれほど寒くはありませんが、これから夜、そして明け方になるとどうなるのでしょう。
エリアスの心配を汲んで、
「まあ、そこは寝袋が分厚いからね。たぶん大丈夫でしょ。もっと寒いところで寝たこともあるし」
北海道の冬に野営訓練をしたことがある木乃には、プラス気温など余裕なのでしょう。
まだバッグの中ですが、寝袋もかなり分厚いヤツを持ってきています。バッグの中身を半分以上占めるほどに。
「それに、どうしても夜に寒くて眠れなかったら――」
「眠れなかったら?」
「朝まで体を動かしながら起きていて、日が昇ってから昼寝をすればいい」
「はあ……」
「木乃先輩、逞しいです……」
エリアスと沙羅が、呆れているのか感動しているのかよく分からない顔をしました。たぶん前者でしょう。
うん、木乃先輩はあんまり参考にならなかった。というか、全然ならなかった。
なお、これらのワイルドな野営方法は、あのおばあちゃんの元で厳しく訓練された木乃だからできるのです。簡単に真似をしようとしてはいけません。
いやマジで。
この話の真似をして、冬キャンでテントなしの野営をして凍死とか報われない。