「鹿撃ち」
「木乃、起きて! 木乃!」
耳元で聞こえる鋭い声に、
「カルボナーラが[聳{そび}]え立つ大空……、光る銀河とプリンアラモードは、蕎麦屋で食すミートローフ……」
木乃は意味不明の寝言で答えました。
「いいから起きろ!」
エルメスが叫んだ次の瞬間、
どしんっ!
壮絶な縦揺れが木乃をコットから跳ね上がらせて、
「むぎゃ?」
そしてコットの上に落ちた木乃の上に、クロスカブがゆっくりと倒れてきました。
べしゃ。
「ぐげっ!」
哀れ、クロスカブに押し潰された木乃、
「痛い! ハンドルが腹に刺さった!」
マジで半べそをかきながら、その下から、そして寝袋から這い出てきました。
その瞬間に、
どしんっ!
二度目の大地の揺れ。立ち上がろうとしていた木乃が、また少し宙に浮きました。
「な、な、何が起きたあ!」
寝間着姿で立ち上がった木乃が、深夜の近所迷惑を[顧{かえり}]みずに叫ぶと、
「魔物!」
エルメスが負けじと大声で返して、
「はあ?」
木乃は[怪{け}][訝{げん}]そうに返すと、周囲をぐるりと見渡しました。
星が綺麗な空ですが、それ以外はほぼ真っ暗です。まだ夜、それも夜中です。
「今何時?」
「二時半!」
「まったく、エルメスったら丑三つ時に寝ぼけちゃって。ただの地震を魔物と間違えるだなんて」
木乃がそう言うのも無理はありません。再び周囲をぐるりと見渡しましたが、黒い影以外、何も見えません。
「魔物? どこに? いないじゃん。地面の揺れももう起きないし。黒い影は、来たときからずっとそこにある、西側の山だし……」
「すぐそこっ! ってそうか見えないか――」
エルメスが苦々しく言って、木乃に提案します。
「ちょいとポーチの中から、夜間暗視装置出してみて」
「ん?」
木乃が小さなポーチに手を入れて、だいたいポーチの三倍くらいはある夜間暗視装置を取り出しました。
これはちょっと不思議な形をした双眼鏡のようなもので、スイッチを入れて覗くと、暗闇の世界を緑の濃淡で見せてくれます。軍隊とか変態とかが使っています。
そして木乃が見たのは、まるで船の煙突のような大きな柱。二百メートルくらい向こうにある。
「はて?」
明るいとき、このキャンプ場に、そんな柱はありましたっけ?
首を傾げながら見ていると、その柱がぐわっと上に持ち上がって、少し手前に落ちてきて、
どしんっ!
「ぶぎゃっ!」
木乃は[三{み}][度{たび}]宙を舞いました。
「なんじゃあ?」
木乃が、柱の上へと暗視装置の視界を上げると、そこには眩しく光る目を持つ顔がありました。
「し、鹿っ?」
そう、鹿の顔が。
木乃は理解しました。柱に見えたのは、鹿の前脚だったということに。
キャンプ場のど真ん中に、高さ百メートルくらいの鹿が一頭いることに。
暗闇の中で山だと思っていた黒い影が、まさにそれだったことに。
「なんじゃこりゃあああああああああああああああああ!」
木乃が驚いているとき、さすがに周囲の人達も起きて、テントから飛び出して来ました。とはいえ、まだ地震だと思っているに違いない。
「木乃、照明弾!」
「あいよ!」
暗視装置と交換に、木乃はポーチから、中折れ式の〝[十{じゅう}][年式信号拳{ねんしきしんごうけん}][銃{じゅう}]〟を取り出して、空へと一発。
照明弾が炸裂して、上空に白く眩い光が生まれました。パラシュートで、ふわりふわりと下りてきます。
そしてハッキリと姿を現す、バカでかい鹿。アホみたいにでかい、鹿。形からして元は子鹿だったようですが、これだけデカければ完全にモンスターです。
広い広いこのキャンプ場でなければ、キャンプ場より大きな鹿だったことでしょう。
「なんだありゃあ!」
「どひゃあああ!」
「逃げろっ!」
周囲のテントから、驚いたキャンパー達が慌てて逃げ出していきます。
木乃は彼等の助けになるように、手持ちの照明弾を片っ端から連続して打ち上げて、丑三つどきのキャンプ場を、まるで昼間のように変えました。
ぎゃお。
巨大鹿が、[眩{まぶ}]しくて頭を振っています。
「なっ、なんですかあれ!」
「ひゃあああ……」
エリアスと沙羅の、
「なっ――、なんと! 魔物っ!」
静の、
「んー? もう朝?」
そして茶子先生の声が聞こえました。
「ひとまず全員を逃がすよ!」
木乃はそう言うと、皆のテントの脇へと走り、
「なにー、朝ー? 昼ー? 夜ー?」
右往左往している茶子先生を捕まえると、
「ほげっ? むぎゃん!」
オデッセイの運転席に投げ込みました。
そして、
「魔物だよ! 乗って逃げて!」
沙羅とエリアスも。この二人を乗せるのは、
「さあ! そのままでいいから急いで!」
静が手助けしてくれました。
真夜中の凍えるような空気の中、全員が寝間着姿ですがそれはしょうがない。車で暖房をガンガンつけておくれ。
ぶるるん。オデッセイのエンジンがかかりました。
「木乃さん達は?」
エリアスが、助手席のドアを閉めるのを拒みました。おっと凄い力だ。金属が軋む音がしました。
「わたしは、すばしっこいから大丈夫。借りたバイクで走り出す」
「ご、ご無事で!」
ドアが閉まり、
はいどう!
木乃がオデッセイの車体を叩くと、弾かれたように走り出しました。
巨大な魔物鹿の反対方向へと草原を疾走し、既に逃げて誰もいない他人のテントを一つぶっ潰しながら、場外の道へと走って行きます。
見ると他のキャンパー達も、それぞれの乗り物で慌てて逃げています。そりゃまあ、そうですよね。
「木乃さんも早く逃げるといい。ここは私がなんとかしてみる」
静がそんなことを言いましたが、この巨体相手に何ができるのでしょう。
「分かりました!」
とはいえ木乃、ひとまず人目のないところで変身したいので、お言葉に甘えることにしました。
照明弾がそろそろ燃えつきようとしているなかで、木乃は倒れたクロスカブを起こすとエンジンをかけて、寝間着のままでヘルメットも被らずに走り出しました。
「木乃! 森の中に入り込んで変身だ!」
エルメスの声に、
「バイクが傷んだら修理代が請求されるかも!」
木乃の腹積もりが炸裂しました。
次の瞬間でした。
最後の照明弾がフッと燃えつきて、白く輝いていた空がまた、漆黒の闇へと戻りました。
クロスカブのヘッドライトだけが、世界を切り裂きます。
「今だ!」
「あいよ!」
とりあえずキャンプ場の場外までは出た木乃、クロスカブを急ブレーキさせてエンジンも切ると、
「よいしょっと」
慎重に、車体をセンタースタンドで立たせました。借り物は雑に扱わない。それが木乃のジャスティス。
さっきは木乃の体と寝袋で受け止めましたから無事でしたけど、また倒して破損でもしたら大変ですよ。困ったことになりますよ。
それを終えてから、木乃は暗闇の中で右腿からモデルガンをサッと抜いて、天に向けてハンマーを上げて、
「〝フローム・マーイ・コールド! ――デーッド・ハーンズ!〟」
猛烈にクールでスタイリッシュな(諸説あり)変身の掛け声と共に、引き金をじわり。
ぽふっ。
キャップ火薬が炸裂する小さな音と共に、暗闇に光が生まれました。
青い光の中で木乃の体からパジャマが消え去って、シルエットで描かれる体が光ってクルクル回っていきます。
謎の方法で実体化するコスチュームが、その体にまとわりついていき、そして大地に立つ、制服とほとんど同じように見えるセーラー服に、下だけジャージの戦う女子高生。
「昼でも夜でも働け! 〝謎の美少女ガンファイターライダー・キノ〟!」
エルメスは労働基準法違反。