さて変身を終えた謎の美少女ガンファイターライダー・キノ(以下〝キノ〟)ですが、
「あんなにデカいのをどうしろと? いや、普通に撃てば戻るの?」
右手に握られている魔物封印用の、しかし一度の変身で一発だけしか撃てないスペシャル武器、〝ビッグカノン ~魔射滅鉄~〟の銃口をフリフリさせながら訊ねました。
今は影としてしか見えませんが、暗闇の中で巨体が聳えています。
腰のベルトにぶら下がるエルメスが、キノの問いに答えます。
「それがねえ、今ネットで探ったら――」
どうやって?
「魔物になった鹿って、人みたいにどこを撃ってもいいわけじゃなくて、額の、両目の間をピンポイントで撃ち抜かないと、戻せないみたいなんだよね」
「えー? なんでえ?」
「いろいろ調べたんだけど、〝鹿だから〟としか書いてないんだ。しょうがないからネット質問サイトで質問したけど――」
「返答ついた?」
「うん。でも、〝鹿の魔物化だと、それが一般常識です〟とか、〝一時期、仕事の関係でフランスに住んでいましたが、欧州でもそうです〟とか、〝質問者は失礼ですがお幾つでしょうか? 小学校の算数の時間で、そのあたりのことは習いませんでしたか?〟とか返事されて、どれをベストアンサーにするか本気で三日くらい悩んだ」
「なんてこった……」
キノは言いながら、ビッグカノンは一度ホルスターにしまって、ポーチから出した黒い軍用ヘルメットを被りました。
別に頭を防護したいわけじゃなくて、ヘルメットのおでこの上あたりに、暗視装置のアタッチメントが付いているから。
暗視装置をそこにワンタッチで取り付けて、可動式のアームを下ろしてくると、ちょうど目の前に対物レンズが保持されるという寸法です。
装置一式が重いので、けっこう首が疲れますけれど、これで暗闇でもひとまず両手がフリーになって戦える。
キノがそう思った瞬間に、
「大丈夫か謎のキノ!」
とんでもなく眩しい光がキノを豪快に照らして、暗視装置の安全装置が働いてシャットダウン。
「うおっ! 眩しっ!」
キノから視界を奪っていきました。
新しい魔物の出現かと思ったキノですが、暗視装置を持ち上げながら、そして光から逃げるように回り込むと、そこに停まっていたのは一台のバギー。
静が乗ってきた、アリエル・ノマドです。
ヘッドライトをハイビームにして、さらにルーフの上の追加ライトまで全部点灯して、まるで一人エレクトリカルパレードです。
運転席に乗っているのは、
「まーた……、オマエか……」
白い学ランに白いマント。白い仮面で目をかくし、頭には白い犬耳をつけてその間に赤いリンゴを載せて、腰に日本刀を差した男。
目の前を、ハトがスローモーションで横切るかと思いましたけど夜なので無理でした。鳥目に無理はさせない。それが彼のジャスティス。
そう、彼こそ正義の使者、サモエド仮面!
キラリと光る白い歯。その口から発せられる言葉は、
「どうもー。サモエド仮面です」
軽いな今回は。お尻にアルファベットも付かないのか。さてはネタ切れだな。
キノはとりあえず、ポーチから出した〝Mk46〟と呼ばれる分隊支援火器(注・乱暴に言えば小型のマシンガン。Mk46はミニミという銃の改良バージョン)の装填レバーをガチャンと引いて撃てる状態にしました。とりあえずサモエド仮面を撃ってやろうと思いましたが、
「くっ!」
彼奴が勝手に乗り回している、静先輩の大切なバギーに穴を空けるのは憚られました。
「おいこらサモエド仮面! 人の車を盗むな!」
銃口を下ろしたキノが本気で怒鳴ると、
「だから、私が静だってばさー」
「信じられるかボケ!」
「だって、隠しキルスイッチの場所知っているのは私だけだよ?」
「何度そのクソつまらない冗談を繰り返すつもり? クソっ! 暇がない! 車は無傷で返せよ! あと、あとで撃つ」
そんな抹殺宣言だけしておきました。
どっしん!
魔物鹿が、新しい一歩を踏み出しました。
そうやって表現すると何か凄いポジティブな行動を取っているように読めますが、実際にはキャンプ場をぶち壊しかねず、へたすれば自分達だって踏みつぶされてぺちゃんこになるという恐ろしいアクションです。
キノはまたも宙に舞いましたし、バギーですら少し浮かびました。
「何をしている? 謎のキノ。さっさと撃って封印してしまえ。こんな素敵なキャンプ場を長らく営業停止にするつもりか?」
普段は邪魔ばかりしている男に言われると、
「あ、あんたが言うか……?」
いつも冷静沈着で温厚な(諸説あり)キノでも脳の血管が切れそうになります。
エルメスには脳はないので、冷静でした。サモエド仮面に言います。
「いつもとは違って、高い場所にある額に撃ち込まないとダメなんだよ」
「なんと! よろしい、ならば私が――」
「その刀で、魔物鹿の脚でも切り落としてくれるの?」
キノが、ほんの数ミリの期待を込めて問いました。
「大声で応援しよう」
「帰れ」
キノが正直な気持ちをサモエド仮面に伝えているとき、
「ここまで来れば安心かしらねえ」
国道まで走ったオデッセイの中で、スウェット姿の茶子先生が言いました。
夜中で寒いので、オデッセイは暖房全開です。やっとエンジンも暖まってきて、勢いよく温風が吹き出してきています。
「先輩の皆さん、大丈夫でしょうか?」
沙羅の心配に、
「まあ、逃げ足が速い人達だから大丈夫でしょう。今までもそうだったし」
「そうですね……」
車が、見晴らしのいい場所に来ました。
キャンプ場から国道を走る車の灯りが流れ星のように見えるところがあるのですが、ここがまさにそうでしょう。なぜなら、キャンプ場が眼下に見えるから。以上証明終わり。
空中に、またも照明弾が光りました。
そして、路肩に止まったオデッセイの窓からも見えました。広いキャンプ場のど真ん中に聳える、呆れるほど巨大な鹿が。
それは、完全にスケール感を間違った模型のジオラマのようです。
「大きい……」
沙羅が思わず漏らして、
「ほんと、泊まったのがあのキャンプ場で良かったわー。湖畔の方だったら、みんな潰されていたわね」
茶子先生、どういう意味ですかねそれ?
そして茶子先生は、オデッセイのグローブボックスから小型の双眼鏡を取り出しました。富士山の五合目で使ったやつです。手ぶれ防止機能が付いた、かなり高性能なものです。
そして、キャンプ場を見ました。
「おお、さすが正義の味方」
そしてそんなことを言いながら、沙羅に渡します。沙羅が覗いてみると、
「あっ! 謎の美少女ガンファイターライダー・キノさん!」
そこには、魔物鹿の足元でちょこまかと逃げ回っている、正義の味方の姿がありました。双眼鏡でも小さいですが、見慣れた姿なのでよく分かります。
「さすがに登場が素早い! もう任せて大丈夫でしょう!」
呑気に言った茶子先生ですが、双眼鏡を目から外した沙羅が、とてもとても不安げに言います。
「でも、あんなに大きな魔物、どうなるんでしょう?」
「それは――、どうにかするでしょう。たぶん!」
沙羅、まったく不安が解消されませんでした。
「…………」
ずっと黙っていたエリアスですが、突然オデッセイの後部ドアを開けました。
「えっ?」
驚く沙羅に、
「と、と……、トイレっ!」
そう言い残して、エリアスは飛び出していきました。
「…………」
呆然とする沙羅に、茶子先生が言うのです。
「男の子はいいわよねえ。そのへんでできるし」
「これ、どないせいっていうんじゃああああああ!」
照明弾の光の下で、キノが右往左往していました。
魔物鹿の動きは鈍く、どうしたらいいのか本人(本鹿?)にも分かっていないようで、時々[地{じ}][団{だん}][駄{だ}]を踏むようにその場でドスンドスンと脚を踏みしめるだけですが――、それに巻き込まれたら間違いなくぺちゃんこなので怖いです。
そして、ビッグカノンで狙うべき急所は遙か上空。
ここからでは、まったく見えません。まあ、見えたとしても、拳銃であるビッグカノンでは狙い撃ちがちょっと無理な距離ですが。
ぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱん。
キノは足をMk46でフルオート射撃してみましたが、これだけデカい足が丈夫でないワケがないので、5.56ミリNATO弾など、水飛沫のように弾かれました。痒みすら感じていないでしょう。
サモエド仮面が、
「しょうがないやってやるか。ちぇすとおおおおおお!」
気合いと共に大ジャンプをして、魔物鹿の前脚へと斬り掛かっていきます。
バッサリ!
その脚を、脛の辺りを長く切り裂きました。さすが日本刀。恐るべき切れ味。
そして、
「ぬう……。これはいかん……」
着地したサモエド仮面が、彼にしては珍しく重苦しい口調で言いました。
キノにも見えました。長くバッサリと斬ったはずの傷口が、逆再生のようにスルスルと塞がっていくのを。なんという治癒力。
「自然に生きる動物の[逞{たくま}]しさだね、キノ」
エルメスが、動物番組のナレーターのように言いました。そんな場合か。
キノは次々に照明弾を打ち上げながらも、結局それ以外何もできずにいました。
「謎のキノ。これは各個で攻撃しても無理だ。協力だ! 協力なくては倒せない!」
サモエド仮面が言って、
「んなこた分かってるっ! その心積もりだから、その方法をとっとと考えなさいよ!」
キノ、思わず返事が荒くなります。えっと、協力の心は?
サモエド仮面、考え始めました。
土の上に胡座を組んで、両手の人差し指を舐めて、その指で頭の上でクルクルと二回転指を回してから、手を組みました。
ぽくぽくぽくぽく。どこかから聞こえてくる謎の木魚の音。
チーン。
「閃かない!」
そのサモエド仮面に向けて振り下ろされる、魔物鹿の前脚!
「ちっ!」
キノは、ポーチから出したAA12自動連射式ショットガンを撃ちまくりました。サモエド仮面めがけて。
いつものように、懐から取り出したトマトと刀で、重い十二ゲージのスラッグ弾(注・散弾銃で撃つ一発弾。とても大きくて重い)を受け止めたサモエド仮面、その反動を逃がすことで、まるで吹っ飛ばされるように横に移動することができました。
ずしんっ!
おかげで、サモエド仮面はどうにか踏みつぶされなくて済んで、
「ありがとう謎のキノ! そうか私を愛しているのだな!」
「寝ぼけるな! 一人だと倒すのが厄介だから助けただけだ!」
「あらやだツンデレ? 素直に……、なれよ……」
「ムカ」
どかどかどかぐしゃぐしゃぐしゃ。
キノはサモエド仮面の顔めがけて数発撃ち込みましたが、弾かれるだけでした。トマト農家に謝れ。食べ物を防弾に使うな。
AA12をポーチにしまうと、キノは〝パンツァーファウスト3〟、対戦車兵器を取り出しました。
そう、以前に、イーニッドが来たときの騒ぎの最中にサモエド仮面に向けてぶっ放したアレです。肩に載せて使う、巨大なロケット弾を撃ち出せる、キノの手持ちでは最大威力の火器。
「これなら、脚を一度くじく位は、できるかもしれない……」
「ナイスアイデアだ謎のキノ。それに合わせて、私も今一度斬り込む。今度は連続三十二斬撃だ。前回の山ごもり中に、通信教育で会得したカタナスキルだ」
そいつは凄い。というか山の中でネットで学ぶんだ。
しかし、
「二本の脚だけではダメだ。どこを狙っても、別の二本で支えられてしまえば意味がない」
悔しいですがサモエド仮面の言うとおり。四つ足動物のバランス感覚を舐めてはいけません。前脚二本にダメージを与えても、後ろ脚二本で堪えきる事でしょう。前後逆もまた然り。
最低でも三本、できれば四本同時に、一瞬でもいいから力を奪いたい。
「くう、誰かいないのかっ!」
正義の味方の少女が叫んだとき、
「お待たせしました!」
聞き覚えのある声がしました。
それは、今まで何度も危機を救ってくれた、謎のサングラス男の声。
「ワンワン刑事さん!」
キノが振り向くと、髪の毛と皮膚以外は黒一色の男がいました。夜なのにサングラスを外さない、それがワンワン刑事。
「ふっ!」
ワンワン刑事は黒いコートの裾から、〝MGL―140〟六連発式40ミリ口径グレネードランチャーを滑り落として握りました。でっかい回転式弾倉に、グレネード弾を六発収めた凶悪武器です。
「よし、行ける」
キノは満足げに頷きました。十二発の連続グレネード攻撃なら、脚をくじく威力は十分でしょう。
「僕が、後ろ脚を引き受けましょう! 二人は前脚を! 同時攻撃です! ここで潰すんです! タイミングを間違えないように!」
「了解!」
キノが、
「頼んだぞっ!」
サモエド仮面が言いました。なんという美しい協力体制の確立でしょうか。