第六章 「鹿撃ち」 第六章 – 3

 そのとき、ワンワン刑事は思っていました。

 後ろ脚の攻撃のタイミングを、同時ではなく、少し早めてやる、と。

 そうなるとどうなるでしょう?

 後ろ脚が先にダメージをくらい、そこにサモエド仮面が斬り込んだら?

 巨体は当然、ぺちゃんこにならずに前へと倒れていきます。

 遠方からのロケット攻撃のキノは巻き込まれませんが、斬撃である以上、サモエド仮面はすぐ近くにいなければいけないわけで、

「ふふ……。ペッチャンコ……」

「何か言った? ワンワン刑事さん?」

「いえ、何も。――準備はできました。カウントどうぞ!」

「よーし。ゼロで攻撃ね。いくよー、五!」

 キノが、パンツァーファウスト3を肩に載せて、安全装置を外しました。

「四!」

 サモエド仮面が、必殺技の構えでしょうか、片手に日本刀を持ったまま、背中に担ぐように後ろへ回しました。

「三!」

 ワンワン刑事が、MGL―140を両手で持ち上げながら、後方へと素早く下がって行きました。

「二!」

 キノの目がスッと細くなって、引き金に指が触れました。

「一!」

 ワンワン刑事が発砲しました。

 ぼぼぼぼぼぼ。

 グレネードが連続で撃ち出されて、

「ゼロっ、って早いっ! 早いよっ!」

 キノは驚きつつも、パンツァーファウスト3をぶちかましました。

 撃ち出された弾頭は、魔物鹿の右前脚に吸い込まれていきます。そして爆発。

 少し前に、十二発のグレネードは右後ろ脚で、連続で炸裂していました。

 そのタイミングで、脚へとジャンプしていたサモエド仮面が斬撃を開始して、

「ぬう!、これは――、いかん!」

 しかし、もう間に合いません。

 斬撃を開始した以上、この必殺技は、しっかりと三十二回、キッチリ斬り込むまでは終えられません。そういうルールだと、通信教育のホームページに書いてあったからです。

「ぐうっ! 二十七、二十八、二十九――」

 サモエド仮面は自分の限界まで斬撃の連続速度を早めたのですが、

「三十一!」

 その瞬間、魔物鹿が倒れてきました。

 空中で剣を振るう自分の方へ。

「三十二!」

 つまり、最後の斬撃を終えた自分へと。

「のわあああああ!」

 もう、避けられません。

 それはまるで、高層ビルが倒れてくるようなものです。

 このまま着地をした瞬間に、そこに襲いかかる何百トンあるか分からない巨体。

 これを支えるのは、もう無理でしょう。ほんの一瞬の隙でもあれば、着地と同時に横っ飛びで避けられるかもしれませんが。

 しかし、謎のキノはロケット弾を撃ったばかり。次の攻撃を用意する時間もなく、

「ふっ、ここが、私の死に場所か……」

 サモエド仮面の口元に、小さな笑みが浮かびました。白い歯が光りました。

「ハトを連れてこなくてよかった……」

 それが、彼の最後の言葉に――、

「あぶなーい!」

 なりませんでした。

 どこからどれほどの速度でやって来たのか、倒れてくる魔物鹿の下に入り込んだのは、

「エリアス君!」

 なんと可愛い寝間着姿のエリアス。

 キノビックリ。超ビックリ。

「なっ!」

 サモエド仮面もかなり驚愕。

「たあああああああああ!」

 エリアスは、丸太を持っていました。

 小さな体の両脇に抱えているのは、直径数十センチ、長さも十メートル近い杉の木の丸太。そう、林業の木材置き場にあったもの。これが伏線回収というやつです。

 エリアスが、倒れてくる魔物鹿の下で二本の丸太を立てると、それがちょうどつっかえ棒のような役目を果たして――、

 ぐぎっ、ばきばきばきっ!

 僅か1.3秒で粉々に砕け散りましたが、その短い時間が、サモエド仮面を救いました。

「はっ!」

 彼は着地と共に美しい横っ飛び。マントが棚引く音が聞こえました。

「ひゃあ」

 エリアスはというと、丸太を置いたらすぐさま逃げていました。

 どっしいん!

 魔物鹿の胸が、大地に激突して揺らして、

 ずどおん!

 首が、そして顔がさらに激突しました。

 このとき発生した地震は、静岡県と山梨県、そして神奈川県に緊急地震速報を発令するほどのもので、

『震源は地表』

 というほとんど聞いたことがない発表をして気象庁の歴史に新たな一ページを刻むことになりました。

 揺れで五メートルくらい空を舞っていたキノへ、

「今だ!」

 エルメスが叫んで、

「簡単に言ってくれなさんなエルメスさん。空中で撃つのは、すっごく難しいんだぞ?」

 キノはビッグカノンを抜いて撃ちました。同じ高さにあった、大きな鹿の眉間めがけて。サラリと。

 そして命中させました。

 

 

 事態が収まってみれば――、

 広いキャンプ場の草原には、魔物鹿の巨大な足跡が幾つか残されて、その脇に、一頭の可愛らしい子鹿が横たわっていました

 キノが追加した照明弾に照らされるのは、生まれて半年ほどのニホンジカ(ホンシュウジカ)のメスの子供です。

 気を失っているようで、草地でごろんと横になっていました。見たところ、どこにも怪我はないようです。

「どうして、こんな子鹿が魔物に?」

 エリアスが言いました。

「分かりません」

 ワンワン刑事が言いました。計画の失敗で内心猛烈に悔しい思いをしていますが、それをおくびにも出さないのが彼です。ちなみに〝[噯{おくび}]〟とはゲップのことです。こんな字を書くんですね。

 ちょっと危なかったサモエド仮面とキノも、

「…………」

「…………」

 黙って見下ろしていました。

 二人は、分かっています。この子鹿が、何かを[渇望{かつぼう}]していたことが。

 そのときです。蹄の音が立て続けに聞こえてきたかと思うと、キャンプ場脇の森の中から、鹿の群れが近づいて来ました。

「っ!」

 思わず構えてしまうキノ達ですが、およそ十頭の普通の鹿の群れは、真っ直ぐ子鹿へと近づいて来ました。

 ゆっくりと身を引いて、止めてあったバギーの後ろに隠れたキノ達の前で、子鹿は母親らしい鹿に舐められて、そして目を覚まし――、

「あ、良かった」

 立ち上がると、群の中で守られるようにして、歩き出しました。

「良かったね。でももう、魔の誘いなんて乗っちゃ駄目だよ」

 キノが優しく、そのお尻に話しかけます。

 その言葉が聞こえたのか、足を止めて振り向いた子鹿に、キノは最後まで優しい言葉をかけ続けました。

「今度森で出会ったら――、狩るか狩られるか、だからね」

 

 

「さあて、私はこの車を、静という人に返しに行かねばならぬ」

 サモエド仮面、ひらりとマントを[翻{ひるがえ}]すとバギーに乗り込みました。そして、

「改めて、助けてくれてありがとう金髪の少年。君の素晴らしい勇気……、しかと受け取った。鹿だけに」

 やかましい。

 キノのテレパシーは届かなかったようです。

「どういたしまして、サモエド仮面さん。お気をつけて」

 人のいいエリアスは、ぺこりとお辞儀までして見送りました。

 バギーが、ライトをビカビカと光らせながら、走り去っていきました。

「さて、僕もこれで。魔物はすぐに察知したのだが、横浜からここまで来るのに時間がかかってしまった。すまない」

 ワンワン刑事が言いました。キノはそんな彼に優しい笑顔を向けて、

「いいよ。ありがとう。惜しかったね」

 サモエド仮面を潰せなかったことを、分かっていたんですねキノも。それはエリアスには言えませんね。酷いヤツらですね。

「では」

 踵を返したワンワン刑事、あっという間に森の中へと走っていって消えました。なんという足の速さ。犬かよ。

「さあて、エリアス君」

 キノは、照明弾の灯りの中で、エリアスと向き合いました。

「はい。謎の美少女ガンファイターライダー・キノさん」

「よくやった! よくやったけど、ちょっと危なかったぞ」

「はい……。すみません……」

「でも、よくやった! うんうん」

「ありがとう、ございます。――へくちっ!」

 エリアス、ここに至ってようやく寒いということを思い出したようで、可愛いクシャミをしました。

 クシャミでつむった目をエリアスが開けたとき、

「あ――」

 そこにはもう、誰もいませんでした。

 照明弾が、最後の輝きを見せながらゆっくりと降ってきます。

「…………」

 エリアスが微動だにせず、誰もいなくなった、そして白く照らされるキャンプ場を眺めていました。

 その背中の後ろで、コッソリとキノが、抜き足差し足で去っていきます。種を明かすとこんなものです。

 

 

 騒ぎが収まった深夜三時のキャンプ場に、逃げた人達が、三々五々戻ってきました。

 彼等は口々に、何が起きたのかと話して、

「ビルのように巨大な子鹿を見た」

「戦争映画に出てくる銃撃のような音を聞いた」

「小柄な人影が巨大な丸太を二本持って猛烈な速度で走っていった」

 などと口から出たので、

「全員で悪い夢を見たのだ」

「昨夜、酒を飲み過ぎた」

 そう思い込むことにしました。

 そして、無事だったそれぞれのテントに戻っていきました。一つだけペッチャンコだったので、その持ち主のカップルだけは、涙目で車の中で寝ることにしました。

 そして、だいぶ遅れて、オデッセイも戻ってきました。茶子先生の運転で。

 戻ってくる途中で、

「心配かけてすみません! 大きい方をしていました!」

 恥ずかしそうに言いながら戻ってきた、エリアスを乗せて。木乃にやり方を教わっていたというのが、伏線として機能しています。

「よかった、テントは無事みたいだねえ」

 オデッセイのヘッドライトで照らされた我が家は、どうやら踏みつぶされずに済んだようです。タープのポールが振動で外れてべっちゃりと潰れていましたが、その程度で済んで良かったです。

 おっとビックリ、焚き火台に火が付いていますよ。

 寝る前に確実に消したので、誰かが再着火したのでしょう。

 そして、その周囲に座っていたのは、木乃と静と犬山ではありませんか。着替えて温かそうな格好です。

「お待ちしていました。火を熾しておきました」

 静が言って、エリアスと沙羅が遠巻きに当たりました。まあ温かい(パジャマは化繊ではありません)。

 茶子先生も、両手を火にかざしながら、

「うんうん気が利く。みんな無事で何より」

 まずはそんなことを言ってから、

「最後にとんでもない騒ぎに巻き込まれたけど、なんとか無事に終われそうね。最後にみんなに質問。キャンプに来て、どうだった? 部員達の結束、強まった?」

 突然、先生みたいなコトを言い出しましたよ。あ、そういえば先生だった。忘れてた。

「はいっ! もちろんです!」

 即答したのは沙羅で、

「僕もです! そしてとてもとても楽しくて、勉強になりました!」

 エリアスが続きました。

「うんうん、よしよし。木乃さんは?」

「え? その……、まあ、それなりに」

 木乃の答えに、

「それでもよし!」

 茶子先生は及第点を出しました。

 犬山と静は、狙ったのかそうでないのか、いえ、きっとタダの偶然なのでしょうけど、

「いつも通りですよ」

 同じ言葉で声を揃えました。

 お互いばつの悪そうな顔をしましたが、それ以上の発言はしませんでした。

 静は、優等生的に、いつも通り絆は深い、と言いたくて――、

 犬山は復讐者として、いつも通り絆などない、と言いたかったのですが――、

「ならよしっ!」

 茶子先生は、とっても爽やかな笑顔を二人に向けたのでした。

「じゃあ、少し温まったら寝直して、明日は早く起きましょう!」

 

 茶子先生がそう言って、しかしみんな焚き火を楽しみすぎて寝袋に戻るのが遅れたので、翌朝は全員で寝坊して昼までグースカしていたので、計画出発時間に遅れましたが、それはまた別の話。

 

「富士宮やきそばーっ!」

「はいはい。レンタルバイク返却時間に間に合わなくなるからね。急いで帰ろうね」

                           

 おしまい

 

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