SNS ―ステップアップ・ノ・ススメ― 前篇

「えーと……住所住所」
 賑わうカフェの中。[荒城駿太{あらき しゅんた}]はおデコがくっつきそうなほどスマホに顔を近づけて、入力フォームを[埋{う}]めるのに四苦八苦していた。
 自分の個人情報なのだから何を迷う余地がという声がどこからともなく聞こえてきそうだが、そこはそれ。まだるっこしい作業が苦手な駿太にとって小さな画面越しに長々と文字を打ち込むというのは人並み以上に苦行なのだ。
 しかも最近引っ越したばかりなので番地があやふやだ。
「おい、何をモタモタしてんだボケ。小学校からやり直すか?」
 そんな駿太をドスの利いた声で[恫喝{どうかつ}]するのは、同期のボートレーサーである[糺ノ森凛{ただすのもり りん}]。ファンを前にしている時の[物腰{ものごし}][柔{やわ}]らかな雰囲気など見る影もない[粗雑{そざつ}]さは、知らぬ者からすれば多大なショックを受ける[豹変{ひょうへん}]ぷりだろう。
 もっとも、この凛の『二面性』を知らぬ者など、少なくともボートレースを愛する人間の中にはもはや残っていないだろうが。
「家の番地が思い出せないんだって。[焦{じ}]らすなよ」
「ハァ? 番地? そんなもん入れるところないだろ?」
「え、ここにアドレスって書いてあるぞ?」
「……おいおい、お留守ですか~? メアドのことに決まってんだろ」
 ため息を[浴{あ}]びせかけながら、駿太の頭をコンコンとノックする凛。お留守って何がだよ、と疑問に思う駿太だったが、とりあえず盛大にバカにされたということは理解できたのでスルーしておく。
「なんだ、メールか。それならこれでよし……かな」
 フォームを埋めきったのでスクロールして『登録』ボタンをタッチ。
「よし、できたぞ!」
 切り替わった画面を凛に見せ、[嬉々{きき}]と胸を張る。苦戦したが、これで凛も喜んでくれることだろう。
 なぜかはわからないが、このSNSサービスでアカウントを作って欲しいとの理由で凛から呼び出しを受けたのが今朝のことだった。喫茶店で集合してからはや三十分。長く辛い戦いが、ようやく終演を迎えたのだ。
「よしよしサンキュー、じゃああと九個な。とりあえず十[垢{アカ}]で勘弁してやる」
 と思いきやさらに途方もない要求。さすがに我慢できず駿太は立ち上がって抗議した。
「いやなんでだよ! そもそも俺は自分でSNSやる気なんてないぞ! 六人共用のヤツだけで充分じゃん!」
「お前の話はしていない。全部できたらどら焼き買ってやるから早くしろ」
「マジかよ。約束だぞ!」
 一瞬で笑顔を輝かせて駿太は再び狭い画面と向き合い始めた。
「…………お前、いつでも幸せそうだよな。ある意味[羨{うらや}]ましいぜ、ある意味」
 凛の言葉を右から左に聞き流し新しいアカウント作りに励む駿太。二回目となればだいぶ楽になっている、と思いきや。
「あれ? おい、なんか同じアドレス使うなって出てくるぞ?」
「そりゃそーだ。なりすまし対策ってヤツだ」
「どうすんだよ?」
「メアドから新しく作るに決まってんだろ。そんなこともいちいち聞かなきゃわかんねーのか? アメーバからやり直すか?」
 何十億年戻す気だ。精一杯の抗議を込めて駿太は凛を[睨{にら}]む。
「せめて恐竜とかカッコいいのにしてくれ……」
「黙って手を動かせ。作業が早い男はカッコいいぞ」
「なるほど! それは確かに!」
 一瞬で笑顔を輝かせて駿太は再び狭い画面と向き合い始めた。
「…………だんだん本気で羨ましくなってきたぞ、お前の生き様」
 またしても凛のため息は駿太に届かず、十五分ほどが経過した。
「よし、今度こそできたぜ! んでこれ、どうすんだよ?」
 駿太が達成感を勢いに乗せて顔を上げる。凛は[椅子{いす}]に寄りかかって気持ちよさそうに[寝息{ねいき}]を立てていた。
「ん、おお。終わったか。よし、そんじゃまずその垢全部で俺のオンスタフォローしろ」
 オンスタとは、今さっき駿太がアカウントを量産していたSNSの略称。文字よりも写真投稿に重きを置かれる、女子ウケの良いサービスらしい。
「えーと、フォロー。こうか?」
「うむ。それから手始めに、この投稿に『いいね』しろ。十垢全部でな」
 そう言って凛が駿太に見せたのは、公園でウインクする凛の自撮り写真。
「…………………………」
 沈黙して、冷めた目を向ける駿太。さすがにそろそろ凛の[魂胆{こんたん}]がわかってきた。
「どうした、早くしろよ」
「あのさぁ。……ズルじゃん、思いっきり」
 仲間を使って人気投稿を[装{よそお}]おうとするとは。なんとも、セコい。
「はぁ? ズルくねーし。お前よく考えてみろ。俺たちボートレーサーが負っている、とてつもないハンデを」
「ハンデ?」
「レース開催中はスマホ使えねーんだぞ。しかもイッチャン見せ場のレース写真も自力で投稿できねえ。こんな[理不尽{りふじん}]があるかよ! 少し票を『盛って』やっと一般人と対等くらいだろうが!」
 その発言が世に[漏{も}]れたら一気にフォロワーが激減しそうだなと思いつつ、駿太は十アカウント分の徒労感を込めて凛を[諭{さと}]す。
「いや、なら無理してやらなきゃいーじゃん。オンスタ」
「お前本当にわかってねえな! 俺には使命があるんだよ!」
 出た、いつもの大上段。
「……一応、聞くけど。なんだよ使命って」
「また説明しろってのか。今度こそ二度と忘れないよう記憶に刻み込め。俺には[天賦{てんぷ}]の才が二つ[備{そな}]わっている。まずはこの[美貌{びぼう}]。そして世代トップを独走するボートの腕前だ」
「おい。異議あり」
 前半はどうでも良いが後半は聞き流せない駿太だった。
「つまり、俺にしかできないボートレースに対する[貢献{こうけん}]があるってこった。それは、[未{いま}]だかつてボートに興味を持ったことがない不届き者たちをレース場に引き込んで、俺の魅力で[虜{とりこ}]にすること」
 スルーされた。駿太は今日イチでイラッときた。
「で、そのためにはボートレーサーの認知度が低い[大海原{おおうなばら}]に飛び出していく必要があるんだよ。そのひとつがオンスタだ。こいつで俺に興味を持ってもらえれば、ボートレース場に新規ファンを呼び込めるってわけだ」
 凛はもう一度画面を[掲{かか}]げ、駿太に見せる。
「うーん」
 理屈としては間違ってない。イラッとくる発言さえあえて聞き流せば、素晴らしい[志{こころざし}]だ。駿太としてもそれは認めるのだが。
「でも、上手くいってないんだろ? 俺をつかってセコい不正やろうとしてるくらいだし」
「セコくねえ! だからそれはレーサー故のハンデがだな!」
 いけない、このままだと話がループする。危機を察して駿太は別方向から[素朴{そぼく}]な疑問をぶつけてみることにした。
「わかったわかった。ハンデはわかったけど。……でも、じゃあ。俺が十個ニセ『いいね』をつけると、凛のアカウントは大人気になるのか? さっき話聞いてるときヒマだったから試しに『いいね』したけど、どうよ? 少しでもフォロワー増えた?」
「………………………………」
 ムッとして、凛は黙りこくる。どうやら全然増えてないらしい。そりゃそうだろう。ようやく反撃に成功して駿太は心の中で小さくガッツポーズを繰り出した。
「……認知度の問題なんだ。気付いてさえもらえれば……くそ」
 [眉間{みけん}]に[皺{しわ}]を寄せ、親指の爪を[噛{か}]む凛。駿太は率直に思った。またメンタル崩しかけてるな、と。
 止めさせるべきだろうか。しかし、思うようにいかなくて悔しい気持ちなら駿太にもわかる。
 しばらくいっしょに考え込んでから、駿太は腕組みして凛をまっすぐ見た。
「ズルじゃなくて、もっと根っこの部分から見直した方が良いんじゃね?」
「根っこ? どういう意味だよ?」
「いや、俺たちが共有でやってるSNSも、あげる内容によって『いいね』の数とか全然違うじゃん」
「当然だ。俺が写ってる画像だと爆上げになる」
「………………」
 そうだったか? という疑問を駿太は鋼の意志力で呑み込んだ。いちいちツッコんでいたら話が終わりそうもない。
 余談だが、駿太たち六人の東京支部同期メンバーは『SIX SICKS共用アカウント』としてボートレース普及のためSNS活動に[勤{いそ}]しんでいる。当初は面倒くさがるメンバーの方が多かったのだが、過去に犯した問題行動の数々を不問に付してもらうための交換条件として偉い人から提案されたので、断ることができなかった。
 さらに付け加えれば、反応が面白くなってきたのか最近では全員がわりとノリノリだ。
「えーと。つまり、だ。良い画像をあげればそれだけ注目されるってことだよな」
「そうだな。俺が映ってる画像だと爆上げになるからな」
 絶対にツッコまない。駿太は血が[滲{にじ}]みそうになるほど唇を噛んだ。
「だから、オンスタの方も[小細工{こざいく}]しないで良い写真を撮ることに集中した方がいいんじゃないのかって話だよ」
「………………」
 ようやく本題を伝えると、凛はしばし無言で[顎{あご}]を触り続ける。納得しているような、していないような、微妙な反応だった。
「もちろん、そんなこたぁ俺だってわかってる。わかってるからやってるつもりだ。それでも最近フォロワーが伸びないから悩んでるんだよ」
「そうなのか? どれどれ……」
 とりあえず、駿太は凛の投稿を過去に向かって[遡{さかのぼ}]ってみることに。
 なるほど、凛の写りはどの画像もすこぶる良い。計算され尽くした角度で収まっていることが、[一瞥{いちべつ}]しただけで伝わってくる。
 だがそれだけに、逆に気になる要素も。
「なんかさ、全部同じで飽きるっつーか」
「バカを言え。俺の顔を見て飽きるヤツがどこにいる」
 ここに居る。
「だって背景も普通だし、見ておおっ! って来る感じがないぞ」
「む。確かに背景はな……。ここ最近地元の斡旋続いて、遠出する余裕もなかったから」
 続けて意見を伝えると、今度は心当たりがあったようで凛は悩むそぶりを見せた。
「じゃあやっぱもっと人気の観光スポットとか行ってさ、そういうところで写真撮れば注目してもらえるんじゃね? 東京にも名所はいっぱいあるし!」
「東京の名所……? どこだよ」
「うーん。たとえば浅草とか、スカイツリーとか」
「ハッ! ざけんな、俺がそんなミーハー丸だしのところで写真撮れるかよ。美の自殺行為ってやつだぜ」
 こいつ少し前、[通天閣{つうてんかく}]で嬉しそうに写真撮ってたくせに。駿太はそろそろ言葉を呑み込むのも限界に達しつつあった。
「じゃー、美味そうな食べものといっしょに撮ればー?」
 もはや投げやりである。[是非{ぜひ}]もなし。
「そんなん何度も試した。でもダメだな、俺に撮れ高が負けてて役に立たない」
「どういう意味だよ」
 何が言いたいかわからなかったので駿太はスマホをスクロールさせて過去の投稿を漁る。ほどなく、パスタ料理店で撮ったと[思{おぼ}]しき一枚が表示された。
 凛はいつものキメ顔キメ角度。
 そして、パスタの方は完全にピンボケで何のメニューかさっぱり判別できなかった。
「だめだこりゃ」
「だろ」
 同意する凛。もはや駿太には否定する気力もない。ただただ、早く帰りたかった。
「てなわけで、だ。俺だっていろいろ努力はしたんだよ。斬新な写真って言うなら、もっと斬新なアイデアをよこせ」
「うーん、心霊写真とか投稿すれば?」
 少しも脳みそを使わず告げる駿太。たまたま昨晩その手のバラエティ放送を一瞬見てしまったせいだった。まったくもって本気のアイデアではない。
「………………心霊、写真? それは[盲点{もうてん}]だったな」
 しかし、凛は意外にも食いついたような反応を見せる。そこでハッとして駿太は我に返る。
「いや凛、一応言っておくけど、冗談だぞ?」
「冗談なもんか。いい作戦だ。要はなんだろうと一度バズらせちまえばいいんだ。後は俺の美貌が勝手にファンを[捕{つか}]まえてくれる。そのとっかかりとして、ホラー要素ってのはアリだろ。いわゆる吊り橋効果ってやつも期待できるかもしれない」
 不敵な[笑{え}]みを浮かべ、舌なめずりをする凛。これは[伊達{だて}]や[酔狂{すいきょう}]で言っているムードではない。
「そ、そうか。役に立てるアイデアが出せて良かった。そんじゃ、がんばれよ」
「待て」
 立ち上がった駿太の手首を凛は対面から力強く握りしめる。
「言いだしっぺなんだから、協力してもらうぜ。チャチな[贋物{にせもの}]写真じゃ大して騒ぎにもならねえだろ。撮るなら本物が必要だ。本物の心霊写真が、な」
 駿太の身体を引き寄せ、凛は至近距離で目を細める。
「勘弁してくれマジで……」
 駿太はホラーが大の苦手だった。

    *

「どうしてこんなことに……」
 迎えたオフの日、駿太と凛はとある人物と落ち合うため、東京の西にある山あいの駅に降り立った。抵抗[虚{むな}]しく強制的に連れてこられた駿太のため息がひとけのない駅舎に響き渡る。
「ここで本当にあってんのか? 家一軒見当たらねーぞ?」
 地図を片手に眉をひそめる凛。普通であれば絶対に降りることはないであろう寂れた駅だ。駿太も同調して心細さが[膨{ふく}]らんだ。終点まで行ってしまえば名の知れた観光地にたどり着けるはずなのだが、わざわざこんなところに降りるというだけで、既に緊張はピークに達しつつあった。
「な、なあ。やっぱ普通に観光してその写真アップしないか? その方がきっと『ばえる』って! マジオンスタばえ! てゆーか[肝試{きもだめ}]しなんてもう季節外れだし!」
「んー? あいつ、ほんとに居るのか? 先に来てるって言ってたのに」
 駿太の切実な希望というか願いは虚しくもスルーされた。やはり岩にしがみついてでも同行を拒否すべきだったかもしれない。
「もし」
「うわぁ⁉」
 肩を落とした瞬間、耳元に[囁{ささや}]き声と吐息が浴びせられ駿太は体感3mほど跳ね上がった。
「お、いたか……ってうわ⁉ おい[夕一{ゆういち}]、なんだよその格好……?」
 振り返った凛も、少し驚いたような仕草。駿太の背後に音もなく現れたのは[安部{あべ}]夕一。ボートレース界の『生きたミステリースポット』という[異名{いみょう}]を持ついろいろ謎多き選手だが、今日においてはその不可思議さによりいっそう磨きがかかっていた。
「すまぬ。どうしても必要だったのだ」
 夕一は、足先から頭のてっぺんまで全身黒ずくめの[出{い}]で[立{た}]ちだった。[目深{まぶか}]に被った頭巾の隙間から覗く視線の他、全てが和装の布で覆われていた。その姿はさながら、
「ニンジャだ。かっけー」
 闇に生きる[隠密{おんみつ}]。いつもとはだいぶ方向性の違う謎を[携{たずさ}]えている。
「お前、それスズメバチとか来たらヤバいだろ」
 凛が[呆{あき}]れ加減に指摘する。そういえば、スズメバチは黒いものを攻撃する習性があるのだったか。駿太も養成所時代にそう聞いた気がした。
「うむ。下見で大変な目にあった」
「おい勘弁しろ。脱げ」
「そうもいかないのだ。ハチよりも恐れるべきモノのために必要でな」
 聞いて、顔を見合わせる駿太と凛。つまり、夕一に『案内』を頼んだ目的地に対する備えというわけか。
 こうして夕一と落ち合った理由はもちろん、心霊写真を手に入れるため。普段から妙なモノが見えていると主張する夕一ならば、打って付けのスポットを紹介してくれるのではと、凛がコンタクトを取ったのだ。
「……さいですか。ま、服くらいは大目に見てやる。わざわざ貴重な休みを使って俺たちに付き合わせている手前もあるしな」
「それは気にするな。どのみち、そろそろ[潮時{しおどき}]だった。こちらの霊脈を[塞{ふさ}]いでおかねば、[溢{あふ}]れる頃合いだ」
 なにが溢れるというのか。気になったが聞くのも怖いので駿太はごくりと喉を鳴らして言葉を呑み込んだ。
「よくわかんねーが、遠慮しなくていいならホントに遠慮しないからな。おし、こんなとこに[長居{ながい}]してもしょうがねーしさっさと行こうぜ」
 夕一の発言を流して肩を回す凛。確かめる機会があまりなかったが、凛は霊的なモノに対する恐怖心があまりないのだろうか。
「ふむ、構わないが。その顔のまま行くのはおすすめしない」
「あ?」
「ハンカチでもなんでもいい。ほっかむりして顔をできるだけ隠すべきだ。……悪いことはいわない」
 [意味深{いみしん}]に告げる夕一。駿太は慌ててタオルを取り出し、頭の上から鼻にかけてすっぽりと[覆{おお}]い隠した。泥棒スタイルだ。
「こ、これでいいか⁉」
「すばらしい。それならきっと平気だろう」
 [お墨付{すみつ}]きを得て駿太はほっと息を[漏{も}]らす。片や凛は冷淡な目で二人のやり取りを見つめるばかりだった。
「クソだせぇ。絶対やらねーぞ俺は」
「しかし……」
「帰りの終電も早いんだしモタモタすんな。行き先はどっちだよ?」
「…………やむを[得{え}]まい。こっちだ。ついてこい」
 [渋々{しぶしぶ}][頷{うなず}]き、夕一が先導を始めた。それに続き、凛、駿太の順番で細い山道へと踏み込んでいく。

    *

「おいおい、どこまで行っても草しかねーぞ。ほんとにこんな所でクソヤバな写真が撮れるのか?」
 歩き始めてから三十分ほどが経過したが、景色は変わり映えのしない山道が続く。それなりにハードではあるものの、恐怖感を[煽{あお}]られるような要素は今のところ何もなかった。
「写真で[捉{とら}]えられるかどうかは保証しないが、向かう先は今のこの国で最も『[圧{あつ}]』が高まっている。それは確実に保証しよう」
「な、なにがあるんだ。こんな山奥に」
「[集落{しゅうらく}]の分校……だったらしい。今はもう完全に廃墟だが」
 気を[紛{まぎ}]らわせようと尋ねたことを駿太は[後悔{こうかい}]した。あまりにもキーワードが『それ』っぽすぎて忘れかけていた恐怖が[蘇{よみがえ}]ってくる。
「へー。おあつらえ向きって感じだな。じゃあやっぱ出てくんのは子どもの幽霊か?」
「[否{いな}]。元は軍の秘密研究所だった場所で――」
「もうやめてくれよお!」
 嫌なキーワードの重ね塗りに駿太はたまらず悲鳴をあげる。
「……なんか詰め込みすぎで逆に冷めてきたぞ。どっちかで良かったんじゃないのか、煽り要素は」
「別に煽っているわけではない。さらにルーツを辿れば平安期の忌まわしき逸話にまで遡る。要は、引き付けやすい場所なのだ、人の狂気を」
「な、なんで?」
「接しているからだろう」
 ……なにと? と、質問を重ねるつもりだったが駿太の声は既にかすれていて音にならなかった。
「見えてきたぞ」
 夕一の声に顔をあげる。下り坂の先に小さく平地が開けていた。木々の合間から数軒の建物も目視できるが、そのどれもがボロボロに[朽{く}]ち[果{は}]てている。
「なるほど、良いムードじゃん」
 ひゅう、と口笛を吹いて先頭で踏み出す凛。
 途端、バサバサバサ! と[鴉{からす}]が数羽、一斉に飛び立った。
「う、うわああああ!」
 悲鳴を上げ、駿太は夕一に抱きつく。頭をなでなでしてもらった。
「どうやら、早くも気付かれてしまったようだ。気をつけろ、明確に狙われている」
 夕一が[縁起{えんぎ}]でもないことを呟く。嫌だ。もう無理だ。帰りたい。駿太は夕一の黒装束の裾で鼻をかんだ。
「そいつは願ってもないな」
 しかし凛はまったく[堪{こた}]えた様子もなくグングンと廃村に向けて進んでいく。おかしい。メンタルに難アリなのだから内心もっとビクついていて当然だと思うのだが。
 これはブラフか、それとも。
 [幽{かす}]かに残った好奇心、もしくは同期に対する負けん気が、駿太の[及{およ}]び腰をギリギリで前進に向かわせた。
「ここだ」
 しばし歩き、夕一が立ち止まる。それはあまりにも典型的すぎる、コンクリート造りの廃墟だった。窓はおおよそ全て割れ、その奥に[瓦礫{がれき}]が[雑然{ざつぜん}]と積み上がっている。
「へへ、ようやく俺もヒリついてきたぜ。さーて、なにがおいでなさいますか」
 踏み込んでいく凛。ぱりん、と硬いモノを踏み割る音ががらんどうの昇降口にこだました。
 後に続くと、いきなり体感温度が二度も三度も下がったような感覚。ぶるりと肌が震えて駿太は自らの腕を抱いた。
「さ、寒いな。日が落ちてきたせいかな」
「外より五度、気温が低い。さすがにこれほどロコツなのも珍しいな」
 温度計を取り出した夕一の目元に皺が寄る。あきらかにおかしい。冷房も何もないのに外気温とそれだけ差があるのはあからさまな超常現象。学校の勉強が苦手だった駿太でもそこはさすがに気付かざるを得ない。
「おい夕一、どこか目的地はあるのか?」
「霊脈に近付きたいのであれば、地下だ。しかし今日はあまりおすすめできない」
「……ふん。上等だよ。地下だな、了解っと」
 凛は[啖呵{たんか}]を切って先頭を進み続ける。
 瓦礫だらけの廊下をしばらく進むと、階段が見つかった。下方向には[粘度{ねんど}]の高い闇が待ち受けている。
「どっちだ?」
「…………左の、理科実験室。いやしかし、待て。今日はやはりよくない。一度様子を見よう」
「んな時間あるか。明日にゃ[宮島{みやじま}]遠征に出発しなきゃいけないんだぞ俺は」
 ぐいぐい進んでいく凛を、ため息交じりで夕一が追いかける。駿太もしかたなくそれに続いた。進みたくはないが、孤立するよりはマシだ。
「おし、ここだな。頼むぜ、撮れ高!」
 [煤{すす}]けたプレートを確認して、凛が中へ入っていく。続いて夕一。最後に駿太も恐る恐る室内へ踏み込んだ。
 ――バチン!
「うわあああああ⁉」
 途端、どこからともなく枝が折れるような音が鋭く響き渡った。
「な、なんだ⁉ 夕一、今のなんだ⁉」
「霊圧に建物が負けつつある。[倒壊{とうかい}]するかもしれないな」
「サラッとヤバいこと言うなよ! 死ぬじゃんそれ! 逃げなきゃ!」
「待て。急に動くと余計に刺激してしまう」
 [踵{きびす}]を返して走り出そうとした駿太を[羽交{はが}]い[締{じ}]めにして制止する夕一。[穏和{おんわ}]な夕一らしからぬ強硬手段が、状況の深刻さを物語っていた。
「凛、ダメだ! 逃げよう! 諦めよう!」
「う、うるせえビビんな。ここまで来たら手ぶらで帰れるかよ」
 駿太の[訴{うった}]えを[退{しりぞ}]け、凛はポケットからスマホを取り出す。さすがに危機感を覚えているのか、その手つきはかなりぎこちなかった。
「夕一、どの辺を撮れば良い? ……暗すぎて何も写らねー気もするが」
「…………写真を撮るまで引き返す気はなさそうだな。やむを得まい。撮るならば、あちらの教壇の方だ。光量に左右されるということはないだろう。[顕現{けんげん}]する気が向こうにあれば、どんな条件下でも変わらないはず」
「あ、あっちだな。よし」
 凛がスマホを構えた。顔認証でロック解除をするタイプの機種なので、まずはその画面をじっと覗き込んでいる。
「…………ん?」
 [怪訝{けげん}]そうな凛。しきりに画面を顔に近づけたり離したり、同じ動作を繰り返している。
「ど、どうしたんだ? 早くしてくれよ~」
「いや、なんかロック解除できないんだよ。暗すぎて認証しないのか?」
「早くしろって! 頼むよ!」
「ほんと怖がりだなお前……。ならちょっと協力しろ。スマホのライトで俺の顔を照らしてくれ。そうすりゃ認証するだろ」
 そう言われて駿太もしぶしぶスマホを取り出した。モメるより早く終わらせるべきだ。そう決めておっかなびっくり凛のすぐ[傍{そば}]へ向かう。
「ど、どうだ? これでいけるか?」
 駿太は凛の肩に後ろから手を置き、顔認証の正否を確かめた。
「いやお前、逆だろ。スマホを照らしてどうする。じゃなくて、俺の顔に光を当てろよ」
「……………………」
 凛のダメ出し。しかし、駿太は反応できぬまま固まっていた。
 [金縛{かなしば}]りにあったように、凛のスマホ画面から目を離すことができないせいで。
「あ……あ……」
「ん、おい? どうした駿太」
 異常に気付き、振り返る凛。震え続ける駿太。何事かとその視線の先を追うように、凛も再び自分のスマホへと目を向ける。
 そして、ようやく気付いた。
「……っ⁉ ⁉ ⁉」
 画面の中から、目玉の抜け落ちた黒髪の女が、口元を[歪{ゆが}]め凛と向き合っていることに。
「う、うわあああああああ!」
「ぬのおおおおおおおおお!」
 [堰{せき}]を切ったように二人から悲鳴が溢れ出る。凛は腰を抜かし、スマホを落としてへたり込んでしまった。
「む、やはり『顔を奪われた』か……! だから隠しておけと言ったのだが……!」
「や、やややや、ヤバ、ヤバ……ヤバいだろ! ヤバすぎんだろボケェ!」
 ガクガクと震えながら、[這{は}]うように夕一の方へと手を伸ばす凛。ここに入った当初の[余裕綽々{よゆうしゃくしゃく}]な雰囲気は、完全に吹き飛んでしまっていた。
「ににに逃げるぞ! 今度こそ!」
「うむ。もはや[一刻{いっこく}]の[猶予{ゆうよ}]もない。多少刺激してしまってでも[拙速{せっそく}]を[尊{たっと}]ぶべきだ」
 [頷{うなず}]き立って走り出す駿太と夕一。
「ま、待て……待てコラ! 頼むから待て!」
 そんな二人の背中に、凛が叫びかける。
「おい凛! お前まだ[懲{こ}]りてないのかよ⁉」
「違う! そうじゃない!」
「じゃあなんだよ!」
「……………………立て、ない」
 [絞{しぼ}]り出すように、弱々しく凛が[呟{つぶや}]いた。
「え」
「腰が抜けて、立てない。……………………たすけて」

 人生の終わりを迎えたかのような壊れた半笑いで、凛は駿太に手を伸ばした。

    *

「うむ。ここまで来ればもう大丈夫だろう」
 [這々{ほうほう}]の[体{てい}]で廃校から抜けだし、汗を[拭{ぬぐ}]う夕一と駿太。凛を抱えながらの逃走劇だったので心臓が破裂しそうなほどハードな道筋となった。
「大丈夫か、凛」
 道ばたにうずくまっている凛に駿太が呼びかけるが、反応なし。顔を伏せたまま黙りこくっている。
「……………………」
「お」
 が、しばらくすると凛はゆっくり立ち上がった。ようやく腰に力が入るようになったようだ。
「取り[憑{つ}]かれたりはしてないみたいだな、よかったよかった。……いやーそれにしてもビビったよな~アレは」
 駿太が気さくにぽんぽんと凛の肩を叩く。
 その手を、凛はガッシリと握りしめた。
「ん? どした?」
「…………誰にも、言うな」
「え、さっきの話か? いやいや、せっかくこんなヤバい体験したんだからネタにしないと勿体なさ過ぎだろ!」
「うるさい! 絶対に何も言うんじゃねー! 特に俺のことは、何も!」
 [血眼{ちまなこ}]になって訴えかける凛。それでようやく、駿太は気付いた。要するに凛は[面目{めんもく}]を[保{たも}]ちたいのだということに。
「うーん、どーしよっかなー?」
 ニヤリと歯を[剥{む}]き、わざとらしく迷ってみせる。今まで散々バカにされてきたのだから、せっかく握った弱みは最大限活用したい。
「いやお前、マジで頼むって! ……飯でもなんでもおごってやるから!」
「ほほう? おごるって何をかね? まさかラーメンくらいで口止め料になるとは思ってないよねー?」
「寿司でも和牛でも! なんでも好きにしろ! だから、頼む! 俺のことは黙っててくれ!」
 今まで見せたことのないような切実な瞳。まるで[溺{おぼ}]れるチワワのようだ。駿太はさすがにちょっとかわいそうになってきた。
「寿司か! やったぜ! それなら手を打ってあげても良いかな!」
 武士の情けで商談成立にしてやろう。そう決めた直後、夕一がふと思い出した様子で凛に問いかけた。
「そういえば、凛。電話を出せ。念のためだが、除霊しておいた方が良いだろう」
 右手を掲げる夕一を見て、凛はハッと目を見開く。スマホに何かが取り憑いている可能性に気付いて恐怖がぶり返した……わけではなさそうだ。
「……………………やっべ。スマホ、落とした」
「…………………………」
「…………………………」
 三人の間に、長い沈黙が[漂{ただよ}]う。
「念のため聞くけど。取りに、行くか?」
 駿太が問いかけると、凛はゆっくり、しかし何度も何度も首を横に振り続けた。
 バズる写真をゲットするはずが、スマホ本体の損失とは。凛にとって実に高い取材費になってしまった。
 まさしく[触{さわ}]らぬ神に[祟{たた}]りなしと言ったところか。