試し読み あやかしアンプリファイアー

 

  第一話

 

 [湧{わ}]き上がる悲鳴。飛び散る鮮血。[轟々{ごうごう}]と燃え盛る町。

 地獄を思わせる[凄惨{せいさん}]な光景の中、俺は[蹲{うずくま}]っていた。

 全身あちこちの骨が折れ、腹からも内臓が飛び出している。

 これは―――あの日の記憶だ。十年前、父さんが殺されたあの日の。

 

 

 

「―――様! [峡{きょう}][哉{や}]様! もう朝ですよ!」

 どこからか[馴染{なじ}]みのある声が聞こえる。

 俺はベットリ[纏{まと}]わりつく悪夢の余韻を振り払えず、声の主から顔を背け布団に包まった。

「分かった。もうすぐ起きるからちょっと待ってくれ……」

 春先とはいえ、朝はまだ冷える。悪いがもう少し寝させてもらうことにしよう。

「あと十秒で起きてくれないのでしたら、おはようのディープキスをします」

「さあ、そろそろ起きようかな!」

 危険を察知し勢いをつけて跳び起きようとすると、上からもの[凄{すご}]い力で押さえつけられた。こいつ、何て力してやがる……!

「駄目です! まだ寝ていてください! 天井の染みを数えている内に終わりますから……」

「お前は一体何をするつもりなんだ!?」

 俺が無理矢理ベッドから抜け出すと、そこには白々しく[微笑{ほほえ}]む白髪の少女がいた。

 彼女の名前は[凪{なぎ}]。人の姿をしているが、正体は[鎌{かま}][鼬{いたち}]の[妖怪{ようかい}]だ。

 [呆{あき}]れている俺を見て何を思ったのか、凪はずいっと顔を[覗{のぞ}]き込んできた。―――今度は触れるか触れないかの距離で。

「お[詫{わ}]びといってはなんですが……峡哉様の子を産ませてもらいます」

「全くと言っていいほどお詫びになってない!」

「そこまで言われると[流石{さすが}]の私でも傷つきます……。毎日私を抱いて、子供ができたら責任を取ってもらうだけで良いんですよ?」

「迷惑以外のなにものでもないじゃねぇか!」

 これ以上こいつの悪ふざけには付き合ってられん。俺はしなだれかかってくる凪を強引に振り払うと、リビングに足を向けた。

「ふふ、今日の朝食は和食ですよ」

 後ろからトテトテ着いてくる凪。言われてみれば確かにリビングの方から良い香りがした。

「たっぷりの愛情と[媚{び}][薬{やく}]入りです!」

「おい」

「じょ、冗談ですよ……。百パーセント無添加です!」

「本当だろうな……」

 [訝{いぶか}]しみながら席に着く。するとそこで不意に着信音がなった。

 スマホを取り出し画面を見た俺は眉を[顰{ひそ}]める。

「……残念だが、ゆっくり朝食をとってる暇はなさそうだ」

 

 

 

 古来より、人類は[数多{あまた}]の[魑{ち}][魅{み}][魍{もう}][魎{りょう}]と戦ってきた。

 西の吸血鬼から東の九尾まで、世界中に妖怪や魔物が現れ、人々はそれに対抗する技術を開発した。

 彼らは西ではエクソシスト、東では[陰{おん}][陽{みょう}][師{じ}]と呼ばれた。

 退魔の技術を持つ彼らは人々を守ることで[崇{あが}]められ、いつしか特権階級になった。

 そしてそれは今も続いている。

 かく言う俺も、陰陽師―――最近の言い方では[祓{ふつ}][魔{ま}][師{し}]として今朝も妖怪退治の仕事に駆り出されていた。

 

 

 

 現場の住宅街に到着すると、そこは見るも無残な姿になっていた。

 家屋の[塀{へい}]はあちこち重機で壊されたように損壊し、道路も地割れでも起きたかのように陥没している。

 俺と凪の姿を見て、数人の祓魔師が駆け寄ってきた。年齢は全員、二十代後半といったところだ。

「お疲れ様です! [九鬼{くき}]一級!」

「ああ。状況は?」

 俺のような十六そこらのガキが、明らかに年上の彼らに対して偉そうな態度を取っているのは、[端{はた}]から見ればおかしな光景に見えるだろう。

 だが立場的に俺は彼らの上司に当たるため、ある程度[毅{き}][然{ぜん}]とした態度を取らなければならない。祓魔師は完全実力主義。年齢よりも階級が重要視されているのだ。

「三級二名軽傷。民間人への被害はありません。対象は逃走後、[倉橋{くらはし}]二級が[捜索{そうさく}][中{ちゅう}]です」

『倉橋』という名を聞いて嫌な予感がした俺は表情を[強{こわ}][張{ば}]らせる。するとそこで、一人の少女がこちらに歩いてきた。

「おはようございます峡哉くん。……どうかしましたか? [苦虫{にがむし}]のような顔をして」

 [嫌{いや}]な予感というのは当たるもので、現れた少女は正に俺が予想していた人物だった。

 この冷ややかな目線で俺を見つめてくる少女は倉橋[飛鳥{あすか}]。[幼{おさな}][馴染{なじみ}]の祓魔師だ。

 一見するとまるで害のなさそうな美少女だが、俺をからかうことが趣味の毒舌悪魔である。

「それを言うなら苦虫を[嚙{か}]み[潰{つぶ}]したような顔だ。疲れてるんだよ色々と。お前に絡まれて余計疲れた」

 凪とセットで相手をしていたら、本当に過労死してしまう。

「なるほど。昨晩私と裸で絡みあったせいで疲れたと。若いのに情けないですね」

 飛鳥の言葉に周りの祓魔師が盛大に吹く。人様に迷惑をかけるな。

「そんな[卑{ひ}][猥{わい}]な絡み方をした覚えはねぇよ!」

「峡哉くんは認知してくれないんですね。もう良いです。お腹の子は私が一人で育てます」

「腹をさすりながら意味深なことを言うのはやめろ! ……お前といると本当に疲れるな」

「疲れるとはご挨拶ですね。朝からこんな美少女に会えて[嬉{うれ}]しいとは思わないんですか?」

 自分で美少女というのもどうかと思うが、異論はないので今はツッコまないでおこう。

「俺はお前と一緒にいる時間が長過ぎて、なんでも分かっちゃうから嫌なんだよ」

 特にその人をからかう性格とかな。

「すみません、警察ですか?」

「なに通報してんだてめぇ!」

 スマホをふところから取り出し、突然警察に通報を始める飛鳥。俺は即座に飛鳥のスマホを奪い取った。

「いえ……さきほど峡哉くんが何でも分かると[仰{おっしゃ}]っていたので。私のスリーサイズや下着の柄、果ては性的[嗜{し}][好{こう}]までご存知なのかと思いまして」

「ご存知ねぇよ! 勝手に拡大解釈すんな! ……というかこんなアホなことやってる場合か。早く対象を見つけろ」

「ご心配なく。雑談中も捜索は進行しています。私、口だけではなく手も動かすタイプなので。あ、今の下ネタじゃないですよ」

「お前が言わなきゃ想像しなかったよ」

 飛鳥はしばらく集中するように目を閉じ、そしてゆっくりと目を開いた。

「……対象を補足しました。急ぎましょう」

 

 

 

 俺たちは空中に霊力で足場を生成すると、住宅街の上空を駆ける。

 だが眼下に見下ろす住宅街はいつもと全く違った表情を見せていた。

 人がいないのだ。人だけではない。ネズミ一匹ここには存在しない。

 何故なら、ここは俺たち祓魔師が作った異界の中だからだ。

 祓魔師は通常、市街地に敵性の妖怪が現れた場合、すぐに対象の周辺数キロを結界で[覆{おお}]い、異界化する。そうしなければ、妖怪を[討伐{とうばつ}]する際、町に[甚大{じんだい}]な被害が出てしまうからだ。

 俺たちが生成した異界に存在が許されているのは祓魔師と妖怪のみ。つまり、この中ではいくらでも暴れ放題ということだ。

「見つけました」

 飛鳥がそう言い急停止する。視線の先を見ると、そこにいたのは三メートルほどの巨大な[体{たい}][躯{く}]を持つ妖怪だった。

 一応人型ではあるが、獣のように四足で歩行する姿と異常に肥大した筋肉、上等な陶器を思わせる純白でツルツルとした体表が、人ならざるものであることを嫌というほど物語っている。

 ぐりんっ。

 俺たちの霊力に感付いたのか、そいつは首が[捩{ね}]じ切れそうな勢いで振り返った。

 その顔を見て一瞬息を[呑{の}]む。

 そいつの顔にはなにもなかったのだ。

 目も、鼻も、耳も。

 [凹凸{おうとつ}]すらない。

「のっぺらぼうか……」

 パカッ。ご名答、とばかりにのっぺらぼうの顔に真っ赤な三日月が現れた。

 どうやら口だけはあると主張したいようだ。

 俺たち三人は慎重にのっぺらぼうの近くに降り立つ。

「凪、行くぞ」

「はい!」

 刀を抜き、交戦しようとする俺と凪を飛鳥が手で制した。

「ここは私が行きましょう。峡哉くんは下がっていてください」

「一人で大丈夫か?」

「ええ。この程度なら一級の出る幕はありません」

 飛鳥はふところから一枚の紙を取り出し、それに万年筆で深紅の一本線を引く。

「―――[急急{きゅうきゅう}][如{にょ}][律{りつ}][令{りょう}]」

 そう唱えた瞬間、紙は火と共に燃え、そこから巨大な[獣{けもの}]が出現し、地面に降り立った。

 [狛犬{こまいぬ}]。高位の[式神{しきがみ}]だ。式神の陰陽術を得意とする倉橋家らしい。先程のっぺらぼうを捜索したのも式神の力を使ったものだ。

 式神は通常[式札{しきふだ}]という紙に術者の血を刻んで[召{しょう}][喚{かん}]するものだが、これには自分の肉体を傷つけないと呼び出せないというデメリットがあった。

 だが飛鳥は自分の血液をあらかじめ万年筆に入れておくことでその弱点をカバーしている。

「狛犬」

 飛鳥が静かにそう言うと、狛犬は町中に[轟{とどろ}]くかと思うような[咆哮{ほうこう}]を上げ、のっぺらぼうに向かっていった。

 丸太のように大きな足は、途中にあるコンクリートの道路を砂糖菓子のように粉砕していく。

 のっぺらぼうは体を大きく[捻{ひね}]ってかわそうとするがもう遅い。悲鳴をあげる間もなく上半身を狛犬に嚙み千切られた。

 のっぺらぼうから[溢{あふ}]れ出す大量の血で口元を朱に染め、満足気に低く[唸{うな}]る狛犬。だが式神の表情とは裏腹に、主の飛鳥は一層表情を険しくして叫んだ。

「油断しないでください!」

 直後、狛犬は下から脇腹を[殴{なぐ}]られて吹っ飛び、隣の家の塀にぶつかった。

 よく見るとのっぺらぼうが再生しかけている。それも、下半身だけになった状態から。

「[厄介{やっかい}]そうだな。……手を貸そうか?」

「いえ、私一人で大丈夫です」

「―――急急如律令」

 完全に再生しきる前に、飛鳥はもう一度式札に紅く一文字を刻む。

 途端、彼女の周りに激しい紫電が[迸{ほとばし}]った。

 獣を[象{かたど}]ったような紫電は次第に弓へと形を変えていく。

 飛鳥は未だ帯電する弓を[摑{つか}]むと、のっぺらぼうに向けて矢を[番{つが}]え、放った。

 紫電で形作られた矢が光速で飛来する。

 のっぺらぼうは避けようとするが、あっという間に射貫かれてしまった。

 狐のような形をした電撃が幾度ものっぺらぼうの体を駆け巡る。

 それによって体表が朱く焼けるが、驚異的な回復力によってすぐに元通りになった。

 止む気配のない電撃。のっぺらぼうは燃焼と再生を何度も繰り返す。

「好きなだけ再生してください。どこまでもお付き合いしますよ」

 しばらくすると、辺りには肉を焼く嫌な臭いが立ち込め始めた。

 三十秒ほど耐えたのっぺらぼうの再生力も限界を迎え、醜く焦げた状態で地面に倒れる。

「―――狛犬」

 飛鳥は殴り飛ばされていた狛犬を呼び出し、のっぺらぼうを指差した。

「今日の朝ご飯はあれです。―――血一滴残さず食べてください」

 飛鳥にそう言われた狛犬は、喜び勇んで[喰{く}]いついた。みるみる内に狛犬の胃袋の中に消えていくのっぺらぼう。

 モザイクがかかりそうなショッキングな光景に、俺は目を逸らし飛鳥に話しかけた。

「お疲れ様。悪かったな。お前一人に任せて」

「良いですよ。峡哉くんが出るほどの妖怪ではありませんでしたし」

 すると、今まで俺の後ろで[手持{ても}]ち[無{ぶ}][沙汰{さた}]に眺めていた凪が[堰{せき}]を切ったように話し始める。

「その通りですよ峡哉様! 妖怪退治なんかは飛鳥に任せとけば良いんです! 私たちはその間イチャイチャしましょう!」

 おいおい。そんなに[煽{あお}]るとまた……。

「そうですね。……任されたついでに、まずは鎌鼬という妖怪を退治しましょうか」

 弓を片手に凪の方へと歩いていく飛鳥。それを見た凪は顔を真っ青にして弁明し始めた。

「冗談ですよ冗談! 飛鳥も一緒にイチャイチャしましょう!」

「いや、イチャイチャ自体取り消せよ……」

 俺のツッコミに飛鳥も[頷{うなず}]く。珍しく意見が合うな。

「ええ。グチャグチャするなら賛成ですが」

「お前はお前でなにをする気だ!」

「色のイメージで言うと、赤とかピンクのふんわりした感じのことですが?」

「お前の言う赤とかピンクは血肉の色だろうが! ふんわり感ゼロ過ぎるわ!」

「大丈夫。初めは痛いですが、すぐに昇天させてあげますよ」

「リアルな昇天の方だろ!? お断りだよ!」

 俺が望まぬ方向でテンションを上げていると、後ろから狛犬が俺に鼻を押し付けてきた。おい止めろ。血がつくだろうが。

「[美味{おい}]しかったですか?」

 飛鳥の質問に狛犬はグルルと低く喉を鳴らす。どうやら満足したらしい。

「……働かず食べる朝食は」

「やめろよ! こいつだって精一杯頑張っただろ!」

 俺は狛犬の前に立ち、飛鳥から[庇{かば}]う。

「私は油断しないように言ったんですがね……」

 飛鳥にギロリと[睨{にら}]まれた狛犬は、[可哀想{かわいそう}]にすっかり委縮してしまった。仮にも上位の式神が、こんな小娘相手に情けないぞ。

「……さて」

 意味深に矢を番える飛鳥。それを見た狛犬は[怯{おび}]えて[旋{つむじ}][風{かぜ}]のように消えていった。飛鳥が主だったばっかりに……。式神にも労働基準法が適用されていれば良かったのにな。

「体験してみますか? ……私の[僕{しもべ}]になった気分を」

 狛犬を思い[黄昏{たそがれ}]ていると、飛鳥がにっこりと俺に問いかけてきた。俺は呆れて溜息を[吐{つ}]く。

「勝手に人の心を読むな。お前の僕になったら三日で過労死しそうだから嫌だよ」

「失礼な。私を見くびってもらっては困ります。三日も必要ありません」

「さぁ任務も終わったしそろそろ学園に行こうか!」

 不吉なことを言い出す飛鳥を無視し、俺は足早にその場を去った。

 

 

  第二話

 

 都内の中心部に存在する祓魔師の総本山、陰陽[寮{りょう}]。

 東京ドーム三十個分の広さを誇るそこには、俺たちが通う祓魔師の学園も存在している。

 のっぺらぼうを倒した後、俺はそこに一人で登校していた。

 凪は食べ損ねた朝食を片付けるため、飛鳥は倉橋家の集まりのために一時帰宅したからだ。

 登校後報告書を提出し、教室に向かう頃にはもう昼休みになっていた。

 教室に入り自分の席に行くと、二人の男子生徒が声をかけてくる。

「ふん。重役出勤だな、峡哉」

「峡哉は実際に重役だからその皮肉は微妙じゃね?」

 先に声をかけてきたいかにもプライドの高そうなこいつは[土{つち}][御{み}][門{かど}][晴臣{はるおみ}]、後に声をかけてきたいかにも頭の軽そうなこいつは[蘆{あし}][屋{や}][道長{みちなが}]だ。

 こいつらはこう見えて陰陽寮の誇る四大貴族「土御門」「倉橋」「[加茂{かも}]」「蘆屋」の一員であり、[所謂{いわゆる}]エリートというやつである。

 二人とも、飛鳥と同様十代ではかなり珍しい二級祓魔官で、俺にとっては腐れ縁のような存在だ。

「言っとくが寝坊したんじゃねぇぞ。朝っぱらから妖怪退治に駆り出されたんだよ。重役はもっと丁寧に扱って欲しいぜ」

「甘えたことを言うな、峡哉。ノブレス・オブリージュ。大きな力を持つ僕たち祓魔師には責任と義務がある」

「分かってるようるせーな」

 聞き飽きた晴臣の説教に[辟易{へきえき}]しつつ、俺は[鞄{かばん}]を乱暴に机の上に置いた。

 確かにこいつが言っていることは正しい。学生の身分で毎日命の危機に[晒{さら}]されるのは正直割に合わないが、俺たちが戦わなければ多くの人が死ぬことになる。

「そんな難しいコトはどうでもよくね? それよりさ、今日の標的はなんだったん?」

 道長が俺たちの会話に割り込んでそう聞いてきた。

「のっぺらぼうだよ」

「のっぺらぼう!? そんな[雑魚{ざこ}]相手に一級のお前を駆り出したわけ?」

「三流のお前にはお似合いの三流妖怪だな」

 つっかかってくる晴臣は無視することにする。

「仕方ないだろ、例の件でみんなピリピリしてんだよ」

「例の件って吸血鬼のことか?」

「そうだ」

 実はここ数か月、祓魔師が全身の血を吸われて殺される事件が何件も起きていた。

 二級の高等祓魔師も既に二人やられており、陰陽寮には緊迫した空気が流れている。

「下らん[噂{うわさ}]だ。この日本に吸血鬼などいるはずがない。他の吸血種を勘違いしているだけに過ぎん」

 晴臣が小馬鹿にするように鼻を鳴らした。

「断言できるか?」

 俺の挑発に晴臣が口角を上げる。

「ああ。無学のお前は知らんだろうが、吸血鬼は西洋の魔物だ」

 誰が無学だ誰が。

「知ってるに決まってるだろ。だが吸血鬼が日本に現れたのはこれで二度目だ」

「マジかよ。聞いたことねーんだけどオレ」

 興味を持った道長が身を乗り出してくる。

「先週気になって過去の記録を調べてみたら、ちょうど今回のように吸血鬼と思われる妖怪が目撃されたときがあった。……十年前の[百{ひゃっ}][鬼{き}][夜{や}][行{こう}]のときだ」

「「……」」

 十年前の百鬼夜行。そのワードに二人が黙り込む。

 百鬼夜行は、通常では考えられないほど大量の妖怪が発生することを言う。地震のように時期を特定することが難しい、言わば災害だ。直近では十年前に起こり、そこで多くの祓魔師と一般人が命を落とした。

「……俺が言いたいのは、まだ何も確実なことは言えないってことだ。この件は今倉橋家が受け持ってる。近い内に事実がはっきりするさ」

 吸血鬼の話を一段落させ、俺はあることに気がつく。

 前方の一つの席の周りに大量の生徒が集まっているのだ。

 [怪{け}][訝{げん}]な顔をしていると、察した晴臣が呆れて溜息を吐いた。

「今頃気づいたのか。彼女は今日きた転校生だ」

「転校生? そりゃここの連中からすれば珍しいだろうな」

 祓魔師という特性上、転校生なんてものは滅多にいない。たまに地方の支部から事情があって転校してくるくらいのもんだ。

「なんか知らねーけど任務できたらしいぜ。バチカンから」

「バチカン……ね」

 バチカンと言えば西の祓魔師、エクソシストの総本山。そんなところからわざわざご苦労なことだ。

 改めて人だかりの方を見ると、生徒たちの[隙{すき}][間{ま}]から[件{くだん}]の転校生の姿が見えた。

 はっきりした目鼻立ちに、[凛{りん}]とした表情、ピンと伸びた背筋。[絹{きぬ}]のように[滑{なめ}]らかな長い金髪をツインテールにしている。アイドルや女優でも中々見ないレベルの容姿だ。

 だが……。

「バチカンっていうから外国人を想像していたが、顔立ちは日本人っぽいな。ハーフ……いや、クォーターか」

「阿呆が。ぽいもなにも、彼女は[久{く}][遠{おん}][寺{じ}]家の人間だ」

 久遠寺、と聞いて俺は一人得心する。

 久遠寺家は代々火を操る一族だが、数十年前に陰陽術と魔術の融合を求めてバチカンに本家を移したと聞いたことがある。どこかで血が混ざったのか。

「にしても凄い人気だなー。ま、あの容姿じゃ無理もないか」

「そうだな」

 はしゃぐ道長に、俺は適当に相槌を打った。

「飛鳥とか凪ちゃんを見慣れてるお前にはピンとこないかもしれないけど」

 俺の反応をどう受け取ったのか、道長は白けたように肩を[竦{すく}]める。

「なんでそこであいつらが出てくるんだ……」

「いずれにしても、転校生など取り立てて騒ぐようなことじゃない。祓魔師ともあろうものがみっともない」

 晴臣が澄ました顔で話をまとめた。だがそれに道長が異を唱える。

「んなこと言って、お前最初久遠寺さんのことガン見してたじゃん」

「晴臣は巨乳好きだからな」

「く、下らない勘ぐりはよせ! 僕はお前たち[下{げ}][賤{せん}]な[輩{やから}]と違って、女性を胸で判断したりはしない」

「でも胸ばっか見てたぜ」

 証人、道長から追加の証言が飛び出した。

「だそうだが?」

「道長の馬鹿な[妄想{もうそう}]だ! 大体……」

 顔を真っ赤にして弁明し始める晴臣。俺はそこで時間に気づき、[慌{あわ}]てて立ち上がる。

「ん? いきなり慌ててどうしたんだよ」

「メシ食うんだよ。タラタラしてたら昼休み終わっちまう。ドタバタしてて朝も食ってないからな」

「ちょっと待て峡哉! まだ話は終わってないぞ……」

 引き留めようとしてくる晴臣をかわし、食堂へ向かう。その時、背中に刺すような視線を感じたが、気づかないフリをして先を急いだ。

 

 

 

「峡哉様ー!」

 俺が廊下を歩いていると、後ろから突然タックルを受けた。凪が家から戻ってきたらしい。

「危ねぇよ」

「す、すみません。テンション上がっちゃって……。お昼食べるんですよね? 一緒に行きましょう!」

「ああ」

 俺は凪を連れて目的地に向かって歩き始める。

「あれ? 峡哉様? そっちからは食堂、遠回りになっちゃいますよ?」

「いいんだ。メシを食う前に、やっとかないといけないことがある」

 

 

 

 学園の敷地は広大なため、常に無人のスポットがいくつか存在する。

 俺はその内の一つである中庭にやってきて立ち止まった。

「そろそろ出てきたらどうだ?」

 さっきからこそこそと後をつけてきている人間に俺はそう告げる。

 すると、陰から一人の少女が出てきた。先程の転校生だ。名前は……確か久遠寺[朱{あか}][璃{り}]。

「転校生か。一体何の用だ?」

 久遠寺の顔には明らかに敵意が浮かんでいる。少なくとも[一{ひと}][目{め}][惚{ぼ}]れからの告白などではないようだ。

「クラスの子に聞いたわ。あなたが九鬼峡哉ね」

 俺の一メートルほど前で立ち止まった久遠寺は、その形の良い眉を[歪{ゆが}]ませ俺を睨みつけてきた。

「それがどうかしたか?」

 平静を装いながらも、俺は内心『またか』と[毒{どく}]づく。このパターンは何度も経験してる。どうせ次にくる言葉は―――

「汚らわしい。妖怪を使って妖怪を退治しているなんて。あなたも私たちと同じ祓魔師なんて信じられない」

 ……ほらな。

『汚らわしい』、『信じられない』、『どうかしている』、『おかしい』、『狂っている』、『正気とは思えない』、『恐ろしい』。この手のやつはみな九鬼一族のことをそう罵る。

 まあ今となっては慣れたものだが、それでもやはり言われて良い気持ちはしない。

「私たち祓魔師は妖怪を滅するのが仕事。力を借りるなんてもってのほかだわ」

 妖怪の力を借りる。俺たち九鬼一族は、代々そうやって妖怪を退治してきた。

 妖怪を使い、妖怪を倒す。九鬼一族の戦闘能力は祓魔師の中でも飛び抜けていたが、その方法から元々他の一族には忌み嫌われてきた。

 先代の努力もあり、最近は比較的良好な関係を築けているが、こいつのように嫌悪感を露わにする同業者はまだいる。

 さてどうするか。無視して立ち去ることもできるが……。

 俺が思案に暮れていると、それまで怖いほど静かに久遠寺の話を聞いていた凪が動いた。

 一瞬で久遠寺の目の前に迫り、その首筋に手刀を突きつける。良く見ると手に妖力を混ぜた風を纏わせていた。―――本気で殺る気だ。

「妖怪への侮辱は許しても、峡哉様の侮辱は許しませんよ。撤回してください。そうすれば殺しはしません」

 突然の凪からの攻撃に冷や汗を流す久遠寺。だが一瞬で余裕を取り戻すと、小声で何か唱え始める。

 次の瞬間、久遠寺と凪の間に小さな魔法円が出現したかと思うと、そこから真っ赤な炎が勢いよく立ち昇った。

「ッ!?」

 凪は[咄{とっ}][嗟{さ}]に後ろに飛びのくが、制服の一部は既に焼け焦げている。

「妖怪のしつけもしっかり済ませてるみたいね。大した従順さだわ」

 凪から距離を取ることに成功した久遠寺は、今度は両太もものホルダーから二丁のリボルバー式の拳銃を取り出した。

 その拳銃の銃身は真紅に輝いており、全体に高価そうな金の装飾まで施してあった。武器に使うのは[勿体{もったい}]ないほどの[逸品{いっぴん}]だ。

「……少し[舐{な}]めていたようですね」

 凪が今度は体中に風を纏わせ始めた。久遠寺もそれに合わせて銃口を向ける。……今度はどっちとも全力ってわけか。

 そろそろ止めないと[不味{まず}]い。俺は凪と久遠寺の間に割って入った。

「止めろ、凪。あと久遠寺も銃を下ろしてくれ」

 緊迫した空気の中、俺が間に割り込むと凪が泣きそうな顔で俺に訴えてきた。

「でも峡哉様! こいつは峡哉様のことを何にも知らない癖にあんなこと言って……!」

「でもじゃない。身内同士での私闘は禁じられてるだろ」

 凪はまだなにか言いたそうな顔をしていたが、やがて全身に纏っていた風をかき消した。

 俺がひとまず安心していると、後ろから久遠寺の不満そうな声がしてくる。

「私を無視して妖怪とイチャつくなんていい度胸ね。その妖怪が戦意をなくそうと、私はやめる気はないわ」

 今度はこっちか……。

「俺や妖怪が嫌いなのは分かる。だがここで戦うのは止めろ。他の人間に迷惑がかかる。それに、俺たちにもう戦う意思はない。一方的な殺しがしたいと言うなら止めはしないが」

「な、なによそれ……」

 俺の『一方的な殺し』という言葉が効いたのか、久遠寺はしぶしぶ銃を下ろした。

 これで一安心……と思ったが、久遠寺はまだ俺を睨み続けている。

「私のママはね、妖怪に殺されたの。十年前に、ここ日本で」

 なるほど。こいつも十年前の百鬼夜行で親を亡くしたのか。九遠寺の言葉を聞いて、俺は心の中で一人納得した。

 祓魔師という仕事柄、妖怪に家族を殺されるなんてことはざらである。だが多いからと言って、気持ちに区切りをつけられるかは別の話だ。妖怪には無害なものもいるが、家族を殺されて妖怪自体を憎むようになる祓魔師は少なくない。

 だが一口に妖怪といっても千差万別だ。それは俺たち人間と同じ。ある人間が悪いやつだったからといって、そいつと同じ人種、同じ性別のやつがまた悪いやつとは限らない。

 まあ、そんな話をしても彼らは納得しないだろう。俺だって凪みたいな妖怪に会っていなければ、さっきのような考えは持たなかったはずだ。

 だから俺は何を言われても言い返さないし、反対に自分の考えを変えることもない。

 この議論に正解なんてない。どこまでいっても平行線のままなのだから。『人間と妖怪が仲良く』。そんなことができれば世話ないが、[所詮{しょせん}][絵{え}][空事{そらごと}]だ。

 善良な妖怪のことは分かるやつだけ分かっていれば良いし、そんな俺の考えを他人に無理に理解してもらおうとは思わない。

 ましてやこいつみたいに母親を殺されているならなおさらだ。

「お前の事情は理解した。だが俺にはどうすることもできない。悪いな」

 俺は一人で勝手に話を打ち切ると、背を向けてその場を離れようとした。

 話が平行線なら、関わらない方がお互いの為だ。

 だがそこで、思わぬアナウンスが入る。

 『九鬼峡哉一級、倉橋飛鳥二級、久遠寺朱璃二級、至急理事長室まできてください。繰り返します―――』

 ……? 理事長が俺たち三人に一体何の用だ?

「九鬼峡哉一級……」

 俺があれこれ理由を考えていると、久遠寺が鳩が[豆鉄砲{まめでっぽう}]を食らったような顔をして俺のフルネームをご丁寧に役職付きで[呟{つぶや}]いた。

「なんだ?」

「あなた……一級祓魔官なの?」

 どうやら俺が一級なのが信じられないらしい。

「一応な」

「そんな、ありえない! 十代の一級なんて、世界でも片手で数えられるほどしか……」

「その片手で数えられる内の一人が俺なんだよ」

「……」

 まだ納得いっていない様子の久遠寺。無理もない。プロの陰陽師は一番上の特級から一級、二級、三級と四つの階級があるが、日本に約三万人いる陰陽師の九十九%が三級だ。一級に至っては合計で二十人にも満たない。

「悪いが先に行くぞ」

 俺は理事長室に向かおうとする。すると目の前に久遠寺が立ち[塞{ふさ}]がった。

 「私はあなたを認めない。借り物の力で調子に乗らないで」

 言いたいことだけを言い、足早に立ち去る久遠寺。それを見て俺は声をかける。

 「理事長室はそっちじゃないぞ」

 立ち止まった久遠寺はまた俺を一睨みすると、今度こそ理事長室に向かっていった。

 

 

 

 凪を先に帰し理事長室に入ると、そこには飛鳥と、無事に[辿{たど}]り着いたらしい久遠寺がいた。

「良く来てくれた、九鬼一級。座りたまえ」

 着席を勧めてきたこの中年の男性は倉橋[宋厳{そうげん}]。この学園の理事長だ。

 倉橋家の頭領で、飛鳥の父親でもある。

 名は体を表すとはよく言ったもので、厳格さが服を着て歩いているような人間だ。

「いえ、自分は立ったままで結構です」

 ソファに腰かけている飛鳥と久遠寺を横目に俺はそう答える。

 あのやり取りの後、平気な顔をして久遠寺の隣に座れる気がしない。

「話とはなんですか? 理事長」

「突然だが、君たちには例の吸血鬼を討伐してもらいたい」

 薄い資料を一部手渡される。俺は眉を顰めた。

「その件は倉橋預かりのはずでは?」

「そうだ。だが、事情が変わった」

 事情、ね。だが納得いかないこともある。

「……何故このメンバーなんですか?」

 久遠寺が仏頂面で[訊{たず}]ねる。俺の[台詞{せりふ}]取りやがって。

 まあ聞きたいことは同じだからここは黙っといてやるが。

「まず久遠寺二級、君に関しては言うまでもないだろうが本人たっての希望だからだ」

「本人たっての希望?」

 俺の疑問を受け、理事長は久遠寺を見つめた。すると、しばらくの沈黙の後久遠寺は溜息と共に話し始める。

「十年前、百鬼夜行の発生で日本に帰還したママは吸血鬼に殺された。ママを殺した吸血鬼はそれ以降ずっと現れなかったけど、最近になってまた活動を始めた。だからわざわざバチカンから日本まできたの。復讐するためにね」

 十年前の百鬼夜行……先週読んだ資料に載っていたのは、こいつの母親の話だったのか。

「……お前の母親を殺した吸血鬼と今回の吸血鬼が同じ個体だと断定する証拠はあるのか?」

「ない。だけど確率は高いわ。吸血鬼が日本にいること自体珍しいんだから」

 確かにな。

 俺は納得した……がこの任務を引き受けるかどうかは別の話だ。

「理事長。申し訳ありませんが、この任務は他の一級を当たってください」

「何か問題でも?」

 俺は久遠寺を目で示す。

「こいつが九鬼家を嫌ってるからです。さっきも[喧{けん}][嘩{か}]売られましたし」

「そ、そうです。彼の力を借りるくらいなら、私一人でやります」

 久遠寺も利害が一致しているため援護射撃をしてくる。

 ある程度事情を把握できたのか、理事長は少し困ったような顔をした。

「君たちの事情は分かった。だが、残念ながらメンバーを変更することはできない。これは命令だ」

 ……個人的な感情なんてどうでもいいから文句言わずに仕事しろってことか。

 まあ、問題は俺よりこいつの方だが……。

 俺は横目で久遠寺の様子を確認する。

「もう一度言いますが、私一人で十分です。それでは」

 勝手に話を終わらせて理事長室から退室してしまった久遠寺。彼女が出て行ったのを確認した後、俺は溜息を吐く。

「理事長。何故久遠寺をこの任務に加えたんですか? 本人の希望といっても、二級が吸血鬼に挑むなんて、死にに行くようなものです」

「当然、私も強く止めた。だが彼女は決して納得しなかった。たとえ形の上で任務から外しても、彼女は一人で吸血鬼を倒しに行くだろう。峡哉、悪いが彼女を頼んだ」

 俺は再度大きな溜息を吐き、仕方なく受け取った資料に目を落とす。何故か不自然に薄く、数枚しかない。疑問に思ったが取りあえず読んでみることにした。

「……理事長。これはどういうことですか?」

「これ、とは?」

「今の時点で吸血鬼の拠点すら分かってないのはどういうことですか? あなたたち倉橋家が調べれば一瞬でしょう?」

 妖怪には[顕在{けんざい}][化{か}]と[非{ひ}][在{ざい}][化{か}]という能力がある。顕在化時は人に感知される代わりに、この世のものに関与することができ、非在化時はこの世のものに関与できない代わりに、人には感知できなくなる。

 倉橋家は遺物を触媒にして、式神を使い非在化時の妖怪の位置を調べることができる。あまり詳しくないが、吸血鬼みたいなメジャーな妖怪の遺物は日本にもいくつかあるはずだ。

「それについては私が説明しましょう」

 そこで飛鳥が口を[挟{はさ}]んでくる。

「我々倉橋家は二人目の[犠{ぎ}][牲{せい}]者が出た時点で吸血鬼の捜索を開始しました。……ですが何故か、吸血鬼の反応がないんです」

「反応がないだと? つまり……今回の妖怪は吸血鬼じゃないってことか?」

「それはない。吸血鬼以外の吸血種で、二級を殺せるような妖怪はいない。それに、目撃情報のどれもが吸血鬼の特徴と一致している」

 俺の意見を一刀両断する理事長。

「……どちらにしろ、倉橋家にも居場所が分からないなら俺にもどうしようもありませんよ。知っての通り、俺は戦闘特化型の祓魔師ですし」

「お前は今まで、他の祓魔師が解決できなかった任務をいくつも解決してきた。今回もお前ならこの任務を解決に導いてくれる。私はそう確信している」

 期待してもらうのは嬉しいがそれは過大評価だ。だが理事長は一度決断したことを絶対に曲げない。俺は観念すると、ほとんど役に立つ情報が載ってない資料を机に置いた。

「分かりました。やるだけ頑張ってみますよ」

「ありがとう。引き受けてくれると信じていた」

 全く嬉しくない信頼を受け、俺は逃げるように理事長室を後にした。……今回は色々と厄介な任務になりそうだ。

 

 

 

「それで? どうするつもりですか? 峡哉くん」

 理事長室を一緒に出てしばらくすると、そう飛鳥が訊ねてきた。

「久遠寺より先に吸血鬼を見つけて殺す。二級が単独で挑んでも結果は見えてる」

「九鬼一族を嫌っている彼女のこと、随分と心配しているんですね。お優しいことで。まさか惚れたとか?」

「ちげーよ。あいつは一応バチカンからの客人だ。死なせるわけにはいかないだろ」

「……峡哉くんは巨乳好き、と」

 スマホを取り出し書き込みを始める飛鳥。

「メモるなメモるな」

「いえ。メモってませんが」

「じゃあ何してるんだよ」

「陰陽寮公式サイトにある峡哉君のプロフィールを更新しただけです」

「アホか!」

 飛鳥からスマホを強奪すると、画面はホームのままだった。良かった。流石に冗談か……。

「……まあ、私や凪という超絶美少女が近くにいながら全く反応を示さない峡哉くんに限って、惚れた[腫{は}]れたはありえない話ですね」

「ついに超絶を付け始めたな」

「事実ですから。それで? 具体的にこれからどうするつもりですか?」

「取りあえずあいつのところに行ってくる」

 

 

 

 陰陽寮の敷地には数多くの施設が存在するが、その内の一つが陰陽寮技術情報院だ。

 陰陽寮のありとあらゆる資料の保管や、新しい陰陽術の開発をしている。

 飛鳥と別れた後、寄り道をしてからそこを訪ねた俺は、広大な技術情報院の奥へ奥へと進んでいった。

 セキュリティが厳しく途中いくつもドアロックシステムがあったが、一級のライセンスをかざし進んでいく。

 十分ほど歩き辿り着いたのは、比較的小さめの資料室だった。古い紙の匂いと共に、紅茶の良い香りが漂ってくる。

 俺はそれに釣られるがまま、資料室の一角に歩を進めた。

「よお」

 資料室の片隅にある小部屋にいたのは、黒髪の小柄な少女だった。少女は俺の姿を認めると、その猫のような目をいたずらっぽく細める。

「やあ峡哉。そろそろくる頃だと思っていたよ」

 彼女の名前は[白沢{しろさわ}][知{ち}][識{しき}]。ここ技術情報院の特別顧問だ。

 俺たちと同い年だが祓魔師ではない。知り合ったときから技術情報院で働いていた、 [謎{なぞ}]の多い友人だ。

「そろそろくる頃だと思ってた? どういうことだ?」

「例の吸血鬼の件。担当の倉橋家はどうやら随分苦戦しているようだ。だから、そろそろ峡哉に回ってくる頃だと思ってね。なんせキミは、厄介な事件の解決に定評がある。どうだい? 図星かい?」

「ご名答。なら[土産{みやげ}]に買ってきたこれは何か分かるか? 名探偵?」

 俺は手に下げた袋を持ち上げてみせる。

「そんなの推理するまでもないよ。この[芳{ほう}][醇{じゅん}]なクリームの香りはアンリのショートケーキだ。ボクの好物のね」

「正解だ」

 ケーキが入った箱を手渡すと、知識はいそいそとそれを皿に移し始めた。ちゃんと俺の分も用意してくれているようだ。

「今回の吸血鬼、倉橋家が未だに居所を突き止めてないのは知ってるな」

 知識が早速ケーキを食べだしたので、俺も食べながら話を始める。

「[勿論{もちろん}]。正直、居場所すら分からないというのはかなり珍しいケースだね。キミはこの事実をどう解釈する?」

 アドバイスをもらいにきたのに、逆に質問をされてしまう。

「可能性としては二つ考えられる。一つは仲間の妖怪が吸血鬼を妖術で隠している可能性だ。倉橋家の目を[欺{あざむ}]ける妖怪も少なからずいるからな」

「そうだね。ボクも今のところその可能性が高いと思っているよ」

「そうか? 俺はこの仮説に関してはどうも[腑{ふ}]に落ちない」

「腑に落ちない? 何故?」

「吸血鬼は基本的に異常なまでにプライドが高いやつばかりだ。人間から逃げ隠れするやつなんて聞いたことがない」

「それは確かに……。でも、臆病者の吸血鬼がいたっていいだろう?」

 正直それに関しては否定できない。変わり者の吸血鬼がいたということで片付けられる話だ。

「それじゃあ、もう一つの可能性は?」

「そもそも今回のターゲットが吸血鬼ではない、という可能性だ」

 俺の言葉に、知識は理事長と同じく微妙な反応を見せる。

「それも少し無理があるんじゃないかな。吸血鬼以外の吸血種の妖怪が二級を殺せるとは思えない」

「そうだな。だが……他の吸血種の妖怪が二級を殺せるレベルまで強くなったと考えればどうだ?」

「強くなった……ね」

 形の良い[顎{あご}]に指を置き、何やら思案に暮れる知識。

「今日はお前に妖怪が力を増す条件を聞きにきた」

「妖怪が急激に力を増すのはいくつかパターンがある。主要なのは、多くの人に恐れられること。多くの人に崇められること。そして最後に―――格上を食べることだ」

 ……格上を食べる、か。

「真相が何であれ、今は結論を出すには情報が足りない。また何か分かったらきてよ」

「了解」

 丁度ケーキを食べ終えたので俺は席を立つ。だがそこで、知識が何故か俺の腕を摑んで引き留めた。

「分かっていると思うけど、吸血鬼は手強い。くれぐれも気をつけてね」

「はっ。お前こそ分かってるだろ? 俺はそう簡単にやられたりしない」

「君の実力を疑っているわけじゃないさ。ただ……」

 知識が言わんとしていることを十分理解していた俺は、安心させるように頭にポンと手を置く。

「自分の体のことは自分が一番分かってる。じゃあまたな」

 

あやかしアンプリファイアー 陰陽師と妖怪の仲が悪いわけ

内容

妖怪を使い妖怪退治をする九鬼一族の末裔『九鬼峡哉』。
そんな彼の元へ、陰陽師の少女『久遠寺朱璃』が現れる。
彼女には妖怪に母親を殺された過去があり、妖怪を強く憎んでいた。
妖怪と共に戦う峡哉と妖怪を憎む朱璃。正反対の二人がコンビを組んで凶悪な敵に立ち向かう!

 

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