特別短編 妖しきご縁がありますように 特別短編「天狐の初恋」

 昔から、欲しいと思ったものは何が何でも手に入れてきた。
 珍しい食べ物、きらびやかな装身具、広い縄張り。ひとたび欲したならば、自分のものにしなければ気が済まない。誰が牙を剥こうと、身にあふれるほどの莫大な霊力でねじ伏せられないことなどなかった――つい、この前までは。
「おい[九{く}][曜{よう}]。お前ェ、ちょいと神様になれ」
 突然訪ねて来た天狗がそう言い放ったのは、瀕死の状態から何とか起き上がれるようになった頃だった。
「うちの縄張りの近くで祭神が逃げ出した社があってな。空にしとくのも面倒くせェし」
「……何故、俺が」
 あからさまに不機嫌な色が混じったが、天狗は一向気にした風もない。
「そこの祭神はお前ェと同じ天狐だ。同族だから相性もよかろうよ」
「ふざけるな、誰が神などやるか」
 天狗など追い払ってやりたいが、身動きするだけで体中が軋むように痛む。その痛みが更に不快感を掻き立てる。そうしたこちらの心を読んでいるかのように、天狗はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべて長い煙管を咥えた。
「そう言わずにやれよ、良い養生になる。何しろ手ひどく痛めつけられたからなあ――この俺に」
 まだ生々しい心の傷を容赦なく抉られて、思わずギリギリと歯が鳴った。
 そうなのだ。いまだかつてないほど傷つき、霊力の大半を失ってこんな風にねぐらにこもっているのは――つい先日、この性悪な大天狗にこてんぱんにやられたからだった。
「さんざん好き勝手やってる暴れ天狐に灸をすえるつもりで出向いたが、やれ強ェ強ェ。手加減どころか、こっちがやられるかと思ったぜ」
 かっかっか、と笑う天狗には傷ひとつなく、それがまた余計に腹立たしい。けれどそれとは別に、生まれて初めて自分と同等以上の相手に出会ったことで、倦んでいた心が少し沸き立ってもいる。
 どちらにしろ、いつもとは違う心持ちでいることは確かだった。
「神は退屈だが、人間から霊力を回収できるからな。傷の治りも早いだろうぜ」
「……俺は神の修行など積んでおらぬ。祭神など務まらんぞ」
「そんなこたァ百も承知だ。何もずっとやれってんじゃねえ、逃げ出した原因をどうにかするまで用心棒を務めろって話だよ」
「用心棒?」
「あァよ。その社には化け物が出るんだ」
 天狗曰く、その化け物は道端に座って通行人をじっと眺めているらしい。そして目当ての者が通りかかるとぼそりと呟くのだそうだ。
「そいつはあやかしを見つけるとな、額に大きな角があるだの背中の羽がでかいだの、ニタニタ笑いながら正体を言い当ててくるらしい」
「それは――」
 とにかく人間が多くなった今の時代、あやかしの多くは姿を変え、人に紛れて生活している。化け術はごく簡単であるがゆえに精度は高く、あやかし同士であってもよほど霊力が高くなければ正体を見破れることはまずない。
「ということはその化け物、俺やお前と同等の力を持ったあやかしということか。面白い」
「あやかしじゃねえ、その化け物は人間だ」
 あっさりと返された言葉に面食らって瞬く。
「人間? なぜ人間などが化け術を見通せる」
「そいつはおそらく[見鬼眼{けんきがん}]の持ち主だな」
「見鬼眼とはなんだ」
「九曜は知らねェか。時たまいるんだ、あやかしの術を見破れる眼を持った人間ってのが。生まれつき霊力が高ェせいらしい」
「……そんな人間がいるのか」
 欲しいな。
 ちり、と胸が焦げる。慣れ親しんだ衝動が身体の痛みを凌駕し、気づくと立ち上がっていた。
「ま、正体を見破って何をしてくるわけでもねェらしいんだがな。けど人に紛れて生きてる奴らにとっちゃ震え上がるほど恐ろしいらしい。何とか退治して欲しいって泣きつかれて――」
「いいだろう、神の真似事をやってやる。その代わり、見鬼眼とやらは俺がもらうぞ」
 人間は霊力の使い方など知らない。あふれんばかりの霊力など宝の持ち腐れだ。ならば自分がもらってやろう。
「化け物退治までやってくれるなァいいが、見鬼眼なんかどうすんだ。連れて帰って飼うのか?」
「それほど霊力にあふれているならば、食らえばさぞかし滋養になろう」
 今まで人を食うなど興味はなかったが、今の自分には霊力が足りない。渡りに船だ。
「ま、どうとでも好きにしな。よろしく頼むぜ、九曜」
 ねぐらを出て行こうとして、かけられた言葉に振り返る。
「さっきから気になっていたが、その『九曜』というのはなんだ」
「お前ェの名だよ。名前がないと不便だからな、俺がつけてやったぞ」
 得意げな顔に一瞬言葉を失う。
「……勝手につけるな。名前なんか必要ない」
「うるせェ、負けた奴が逆らうんじゃねェ。お前は今から九曜だ、この[鞍{くら}][馬{ま}][御{み}][嶽{たけ}]がそう決めた」
 この天狗はいつか必ず叩きのめす。
 そう心に誓いながら、九曜はねぐらを後にした。

 押し付けられた神の役割には、すぐにうんざりした。
 とにかく始終、参拝客の声がうるさくて仕方がない。きちんと神の修行を積んだ神ならば、心からの切なる訴えとそうでないものを選別できるらしいが、神もどきにすぎない九曜にそんな芸当は不可能だ。どうやらこの神社の祭神は縁結びを得手としていたらしく、誰が好きだの彼と結ばれたいだの愚にもつかない訴えを聞き流せるようになるまで三日かかった。
「縁結びなど俺に出来るものか、馬鹿馬鹿しい」
 九曜はずっとひとりだ。親兄弟がいるかどうかなど気にしたこともないし、仲間が欲しいと思ったこともない。妻も子も欲しくはないから、縁を求めて祈りを捧げる参拝客のことなどまったく理解できなかった。
 ただ、彼らが祈れば微弱な霊力が社を通じて流れ込んでくる。それだけが唯一、この神社にかりそめの神ならぬ用心棒として居座っている利点ではあった。
(神様、かみさま。どうかお願いします、お友達をください!)
 あくびをかみ殺していると、ひときわ大きな声が響いてきて九曜は顔をしかめた。
「来たな、化け物」
 祈りの声の大きさは霊力に比例する。だから、噂の化け物の声はすぐにそれと知れた。
 社を抜け出して鳥居の上に立つ。眼下には一心不乱に手を合わせる小さな後ろ姿があった。
 「化け物」はまだ幼い子どもだった。初めて見た時は少し驚いたものだ。冷やかしに来た天狗曰く、普段は近くの学校に通っているらしい。神社の祭神が化け物の様子を探るために念入りに化けて学校へ潜り込んだが、正体をあっさり看破されて慌てて逃げ出したのだそうだ。
「その辺のあやかしならともかく、神の修行を積んだ天狐の術まで見破るたァ相当強力な眼を持ってやがる。俺やお前ェの正体も見通すかもしれんぜ」
 耳にこびりついた不快な笑い声を振り払い、全身を軽く動かしてみた。痛みはほぼない。
 身体の回復も兼ねてしばらくのんびりしていたが、いい加減に飽き飽きだ。さっさと見鬼眼を食らって終わりにしよう。
(神様、かみさま。お願いです。私にお友達ができますように)
 それにしても本当にうるさい。しかも、いつも同じ願い事だ。飽きもせず真剣に祈っている。それほどまでに必死に縋る神を自分自身が追い払ってしまったなど、知りもせず。
――こいつのどこが怖いものか。哀れで、愚かな生き物だ。
 ふと、生き物が欲しくなったのは初めてだということに気づいた。今まで手に入れてきたものと違って、これは生きて動いている。
 ならば、自分を見た時にこの生き物はどんな反応をするのだろうか。
 そんな気紛れを起こし、鋭い爪を引っ込めると人間の子どもへと姿を変えた。同じ年ごろの方が警戒心も薄まるだろう。
「お前の声はうるさいな。耳がもげそうだ」
 鳥居の上から声をかけると、化け物は弾かれたように振り向いた。ぽかんとこちらを見上げる大きな黒い眼が今にも零れ落ちそうだ。
「お前だろ、見鬼眼の娘って」
 鳥居を蹴って目の前に降り立つと、化け物は眼をそらした。見るからに怯えて身をすくめる仕草は、天狗の語る「ニヤニヤしながら正体を言い当てて来る化け物」とは程遠い。こいつに怯えて逃げ出したというこの社の祭神は、よほどの間抜けに違いない。
 本当に、こんな脆弱で愚鈍な生き物が自分の姿まで見通せるのだろうか?
「あやかしの正体が見破れるんだろう? お……僕の本当の姿も見えているのか」
 相手を怖がらせないよう、口調もつくろう。そんな風に気を使ってやったのに、化け物は俯いてしまった。軽い苛立ちを覚え、近寄って覗き込む。
「おい、聞こえてるか?」
 苛立ちがにじんでしまったのか、化け物はハッと顔を上げた。そのとたんに鼻をくすぐった甘やかな匂いに、今になって気づいた。
――こいつ、女か。
 だからどうということもない。ないのだが、先ほどよりも強く胸がざわめいた。今までにない感触だが、不思議と心地よい。
 ただ、怯えているような瞳の色だけが気に障った。
 今にも食われそうなことを悟っているのだろうか。存外に聡いのかもしれない。
「わ、私のこと……怖くないの?」
「はあ?」
 全くそんなことはなかった。どころか、こちらが怯えているのでは、と心配しているらしい。
 馬鹿馬鹿しすぎて思わず笑ってしまう。
「怖いわけあるか。いいから、お前の眼に僕がどう映っているか、答えろ」
 促すと、化け物はごくんと喉を鳴らしてこちらをまっすぐに見つめた。黒々と深い瞳に視線が吸い寄せられる。
 まるで夜を掬い取ったようだ、と思った瞬間――不意に稲妻のような衝撃が全身を貫いた。
「なっ……?」
 咄嗟に攻撃を受けたのかと思ったが、怪我も痛みはない。ただ、胸の奥が燃えるように熱くなり、正体のわからない衝動が込み上げてくる。けれど、決して不快ではない。
 よく分からないが、どうやらこの激烈な変化は悪いものではなさそうだ。そう結論付けた時、化け物がおずおずと口を開いた。
「……きれいな尻尾と耳だね。ふかふかしてる……あなた、狐?」
 本当にこちらの正体を言い当てたことに、少し驚いた。
「ふうん、ホントに見えているんだな。……お前、名は?」
「てまり。……[福{ふく}][来{ら}]てまり」
 どうして自分は見鬼眼の名など聞いてしまったのだろう。分からないが、「てまり」という響は耳に心地よかった。
「てまり、か。ふうん」
 名を口にすると、化け物――てまりは瞬いた。花がほころぶような笑みが浮かぶと、そのあたりがさっと明るくなったような気がした。
「あの……あなたは?」
「お……僕は、この神社の主だ」
「主……もしかして、神様ってこと?」
「ああ」
 違う。自分は神社の主ではないし、ましてや神などではない。それなのに、手放しの笑顔に見惚れて気づいたらそう答えていた。
「わあっ……!」
 てまりは頬を真っ赤にして満面の笑顔になった。何がそんなに嬉しいのか分からないが、手放しに嬉しそうなその顔からどうしても目が離せない。
「じゃあ、神様は私のお友達になってくれるために来たんだね!」
 なんでそうなる。
 思わず顔をしかめたこちらの様子に気づきもせず、てまりは「神様がお願いをかなえてくれる」と無邪気にはしゃいでいる。
「そんなわけあるか。僕はただ、あやかしが見えるヘンな奴を見に来ただけだ。――お前は人間なんだから、その辺にいる人間の子どもと友達になればいいだろ」
 呆れながら言うと、きらきら輝いていた顔がさっと暗くなった。どころか、黒々とした瞳が見る間に潤んだかと思うと、大粒の涙が容赦なく零れ出してぎょっとした。
「お、おい……いきなり泣くな」
 自分でも思いがけないほど狼狽えた声に当惑する。
 何だこれは。さっきからどうも調子が狂う、自分はいったいどうしてしまったのか。まったくもって、らしくない。こんなところをあの天狗にでも見られたら……。
「だって……誰も仲良くしてくれないんだもん。みんな私のこと気味悪い、ヘンな奴だって……先生も私のせいでいなくなっちゃった」
 例の、学校に潜り込んで正体を見破られた間抜けな祭神のことだろうか。
 てまりはしゃがみ込んで顔を覆った。指の間からぽろぽろと涙がこぼれるのを見ると、さっきと真逆で腹の底が氷の塊を飲み込んだように冷たく重くなる。
「お友達、欲しい。誰か、一緒にいてよ……」
 泣き声とともに弱々しい呟きが漏れた。それは切なくて、哀れで――無性に腹が立った。
 なんだこいつは。本当に何なんだ。もう、うんざりだ。
 衝動のままに伸ばした手は、無防備なうなじを掻き切る代わりに小さな頭にそっと置かれた。
「ああもう、分かった。……僕が一緒にいてやる」
「えっ?」
 柔らかで温かな感触が伝わる手から、じわりと霊力が流れ込んでくる。まるで甘い蜜を少しずつ舐めているようで、悪くない。
 天狗が「飼うのか?」と言っていたことを思い出す。
 そうだ、食らうよりそっちの方が良い。
「お前があんまり哀れだから、僕が飼ってやる。――だから、泣くな」
 ひとたび自分のものだと決めたなら、涙一滴までも自分のものだ。
「お――僕は九曜。今日からお前のご主人様だ。よく覚えておけよ」
 こちらを見上げる顔が、ぱあっと輝いた。次の瞬間、勢いよく飛びつかれる。
「うわっ……!」
 咄嗟に柔らかな身体を抱きとめると、触れ合っている部分から濃厚な霊力が一気に流れ込んできた。思わずくらりとめまいがする。
「九曜! いい名前だね! ねえ、くーちゃんって呼んでいい?」
「ダメだ」
 反射的に否定したけれど、耳に注がれる声音すら心地よい。じっとしていられないほど全身が疼くのに、このままずっとこうしていたい。
 今まで感じたことのない衝動の源が見鬼眼の娘――てまりであることは間違いなかった。
「くーちゃん、ありがとう。くーちゃんがここの神様で、本当に良かったあ……!」
――そう言って嬉しそうに帰っていったてまりを見送ったあとで、九曜はすぐさま天狗のねぐらにおしかけた。
「何だなんだ、殺気立って。再戦の申し込みか?」
「違う」
 にやにや笑いを浮かべる天狗に苛立ちながら、短く用件を告げる。
「あの社の正式な神になりたい。どうしたらいい?」
「ああ? 自由気ままが信条の無法狐が、どうした風の吹き回しだ」
 こちらを揶揄するような言い回しにむかっ腹が立ったが、何とか抑え込む。
 間抜けな祭神にのこのこ戻ってこられる前に、神社を自分のものにしなければならない。
 黙って睨んでいると、天狗はにやにや笑いを引っ込めて顎を撫でて頷いた。
「本気かよ。なら、偏屈だが格の高い龍神を紹介してやる。ただし修行はしち面倒くせェぞ」
「構わない」
「ま、神格自体は問題ねえだろうから、あとは神としての礼儀作法だな。口調から振舞いから、しっかり叩きこまれてこい」
「――感謝する」
「おゥ、殊勝なこった」
 踵を返した背に、天狗の声がかかった。
「なあ九曜。お前ェ、見鬼眼食わなかったのか」
「食うわけがないだろう。食ったらなくなる」
 黒々とした大きな瞳も、くるくると表情が変わる様子も、なくすなどとんでもないことだ。
「てまりは俺のものだ。他の誰も手を出すことは許さん」
「てまり……それァ、見鬼眼の名か?」
 天狗の言葉に応えることなく、九曜はその場を後にした。
 早く、早く。一刻も早く、あの神社の正式な主となる。てまりが「自分を助けてくれた優しい神様」に心を開いているなら、それを真実にしてしまうまでだ。
 欲しいものは何が何でも手に入れる。あの無防備な笑顔も、明るい笑い声も、全幅の信頼も――あの小さな化け物の何もかも、全てを己のものにしたい。
 その身を突き動かす激しい衝動の名も知らぬまま、稲妻のごとく天狐は空を駆けていく。

 ――開け放したままの戸を眺め、天狗はカラカラと笑った。
「いやはや、さすがは縁結びの神社。あの悪たれ天狐にまでご利益があるたァ……俺も今度、せがれの縁でも祈りに行ってみるとするか」

 

 

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