最優秀賞 著者/節兌見一 ベツ☆バラ! ~観光庁 神霊災害特別対策室 秋葉原支部~(試し読み)

 

  序章

「もしもし。高等部一年二組、[東{あずま}][風也{かぜなり}]っス。はい、おはようございます」
 遠くでパトカーのサイレンが聞こえる中、男子高校生が自宅リビングにてスマートフォン越しに話をしている。
 切れ長の鋭い瞳に、耳元が隠れる程度の淡い金髪。
 学ラン姿と相まってどことなくツッパった[風貌{ふうぼう}]だが、その目は部屋のテレビに映し出されたアニメへと[吸{す}]い[寄{よ}]せられている。
「今日、春休み補習が入ってたんスけど……はい、[本{ほん}][間{ま}]先生の数学っス。ただ、ちょっと時間通りに行くのが難しくなって……はい、また例の仕事で……」
 その時、テレビから、
「プリンセス☆ドラァァァイブッッッ!」
 大人気美少女アニメ『ドラグーン☆プリンセス』(通称『ドラプリ』)主人公の放つ必殺技が敵怪人に[叩{たた}]き込まれる音がした。
「グギャアアア……ッ!」
 ピッ。
 少年が手をかざすと、テレビの画面が停止する。
「……えっと、今のは何でもないです。テレビのCMか何かの音が入っちゃったみたいで……いや、うっかり深夜アニメの録画を流しっぱなしで電話してたとか、そういうんじゃないスから、コホン……」
 誤魔化しながら、窓の外を見やる。
 パトカーのサイレンに加えて、ヘリコプターのプロペラがまばらに空を叩く音がする。
 静かな朝の空気に、非日常の[喧騒{けんそう}]が入り混じり始めていた。
「いや、そんなに遅くは……なるべく早く片付けて学校に向かいますんで、先生にはその旨を伝えていただけると……はい、よろしくお願いします。失礼します」
 [律{りち}][儀{ぎ}]に頭を下げながら通話を打ち切ると、少年は頭を下げたまま長く息を[吐{は}]いた。
「はぁ~……よりにもよってこんなタイミングで出るなよなぁ」
 顔を上げるとイヤホンでスマートフォンと耳を[繫{つな}]ぎ、別の相手に電話を掛け直す。
 呼び出し音が耳に響く中、少年は部屋の電気を消し、ガス栓を確認する。
「電気よーし、ガスよーし、土曜だからゴミ捨ても問題無し、と……」
 通学カバンを背に負い、向かったのは玄関……ではなく、ベランダだ。
 少年が窓の外から手をかざすと、ガラスを挟んで窓の鍵がカチリと回転し、ロックされた。
「戸締りもよし。[征{い}]こうか、『アイゼンフィリア』」
 そのまま柵に手を掛け、足を掛け……
 ビル五階の高さから、飛び降りた。
 重力に引かれながら少年がその手をかざすと、学ランの袖から無数の白い帯が伸び、周囲のビルの外壁や街灯にへばりついて彼の[身体{からだ}]を支える。
 まるで[蜘蛛{くも}]の巣にかかった[蝶{ちょう}]のように、少年の身体が宙に浮く。
「よっと!」
 勢いを殺して[人{ひと}][気{け}]の無い道路に着地した少年は、そのままアスファルトを[蹴{け}]って街を[駆{か}]ける。
 車通りの少ない[柳{やなぎ}][原{はら}]通りを横切り、神田川沿いに佇む神社を横目に見やりながら風を切る。
 新幹線の高架下と神社の[狭{はざ}][間{ま}]から続く『[神{かん}][田{だ}]ふれあい橋』を踏みしめ、混乱の中心地へと向かった。

 目指す先は空想と現実の街『[秋{あき}][葉{は}][原{ばら}]』。
 アニメ、マンガ、ゲーム、アイドル、メイド、グルメ、ドージン……
 あらゆる幻想の詰まった[坩堝{るつぼ}]、特殊な信仰に形作られた観光街。
 [故{ゆえ}]に、そこではある特殊な『災害』が[頻{ひん}][発{ぱつ}]していた。

 走り続ける少年の耳元で、声がした。
『もしもし、もしもーし? 聞こえているかい、東くん?』
 男の声に気が付くと、少年はイヤホンを軽く手で[押{お}]さえた。
「お、ようやく繫がった。どもっス[鳥{とり}][居{い}]さん。今アキバに向かってる最中っスけど、状況はどうっスか?」
『うーん、あまり良くないかな。JR[総{そう}][武{ぶ}][線{せん}]が止められてしまったよ』
「電車が? 電線を切られたとかっスか?」
『いや、文字通り『電車が止められた』んだよ。真正面から、筋力で』
「はい? 筋力っスか?」
『そう、『[金{きん}][太{た}][郎{ろう}]』の仕業だよ。彼のおとぎ話は知ってるかい?』
「えっと……熊と[相撲{すもう}]とかするやつでしたっけ?」
『まあ、そんなところだ。本名『[坂{さか}][田{たの}][金{きん}][時{とき}]』。[源{みなもとの}][頼光{よりみつ}]に仕えて[妖怪{ようかい}]『[酒{しゅ}][呑{てん}][童{どう}][子{じ}]』を退治した[豪傑{ごうけつ}]さ。そんな彼が電車と相撲を取って、止めてしまった。並みの術師じゃあ手に負えない。僕たちの案件だ』
「了解っス。このまま接触するんで、通話したまんまでお願いしますよ」
『ああ、頼んだよ』
 橋を渡り切った少年は通行止めされた車道へと飛び出し、警察の敷いた封鎖線を飛び越えた。
「ちょっ、おい君! ここから先は立ち入り禁止……!」
 若い警察官が止めようとするが、
「ども、『ベツバラ』っス」
「ベ、ベツバラ……?」
 警官は[怪{け}][訝{げん}]そうに無線に問うた。
「もしもし、先輩? 『ベツバラ』って……何ですか?」
『ああ、『彼』が来たのか。彼はこの街の……』
 無線から聞こえる声を、ヘリコプターのプロペラ音が[遮{さえぎ}]る。
 二人の[遥{はる}]か頭上を、報道ヘリが通り過ぎていく。
「やばっ、もう行かないと」
 少年が頭上に向けて手を伸ばすと学ランの袖から包帯が伸び、道路の頭上を横切る高架橋に絡みついた。
「お、おい……っ!」
 警官が止める間もなく少年の身体が浮き上がった。
「と、飛んだァッ⁉」
「じゃ、行ってきますんで」
 驚く警官を遥か眼下に取り残し、少年はワイヤーアクションのような挙動で高架を飛び越え、林立するコンクリートジャングルの全容を視界に収めた。
 確かに、JR総武線『秋葉原』――『[御{お}][茶{ちゃ}]ノ[水{みず}]』駅間の線路で黄色い総武線の車両が停まっている。
 その先に……
「いたッ!」
 一転、空中で身を[翻{ひるがえ}]した少年は鉄橋へと着地し、声を張り上げた。
「『[観{かん}][光{こう}][庁{ちょう}][神霊災害特別対策室{しんれいさいがいとくべつたいさくしつ}]秋葉原支部』だ。動くなよ、金太郎!」
「んあ?」
 鉄橋の上で相撲取りのように[四股{しこ}]を踏んでいた巨漢が振り返る。
 赤い前掛けのような装束に『金』の文字、背には大きなマサカリを背負っている。
 後世に伝わっている『金太郎』のイメージそのものだ。
 故に、まだ『イメージ』から分離して間もない『生まれたて』だということが分かる。
「おとなしく投降しろ。今ならまだ、後から来る優しい[術{じゅつ}][師{し}]さん方に封印されるだけで済む」
「んあー?」
 しかし、金太郎は意味も分からない様子で四股を踏み、『[八{はっ}][卦{け}]よい』の構えを取った。
「はぁ……意思疎通できないタイプか。じゃあ、分かる様に言ってやるよ」
 少年は短く息を吐くと、ギロリと金太郎を[睨{にら}]みつけた。
「ふざけてんじゃねぇぞテメェ! 土曜の朝っぱらから事件なんか起こしてんじゃねぇ!」
 少年は[叫{さけ}]びながら通学カバンを線路[脇{わき}]に放った。
「こちとら補習に出ないと数学の単位がヤベーんだよ! ただでさえユーウツなんだから、深夜アニメの消化ぐらいさせろや!」
 そのまま、[怒{いか}]りに任せて金太郎に飛び掛かった。
「んああああ!」
 金太郎は巨大な体で少年の突撃を迎え撃ったが、
「[遅{おせ}]ぇ!」
 少年は金太郎の張り手を[躱{かわ}]すと、袖から伸びた包帯を金太郎の装束に絡ませる。
「んんんッ!」
 金太郎は力任せに包帯を引きちぎろうとするが、どれだけ力を[籠{こ}]めても、ただの布切れに過ぎない『それ』を引きちぎることができない。
「『アイゼンフィリアの[聖骸{せいがい}][布{ふ}]』。マサカリでも切れねぇよッ!」
 少年が身を翻すと、その動きに従って金太郎の身体が大きくよろけた。
 電車すら押し返す怪力を持つ金太郎だが、まわしを取られたら相撲では敗北。
 力を[発{はっ}][揮{き}]できず、あたふたと橋の上を左右する。
 そして、少年はその[隙{すき}]を突いた。
「どりゃああああああああ!」
 まるで意志を持っているかのように聖骸布がひとりでに持ち上がり、金太郎の巨体を橋の下へと投げ飛ばした。
「んああああああああ⁉」
 鉄橋から振り落とされた金太郎の絶叫が響いた数秒後、アスファルトに巨体が激突した衝撃が辺りを揺らした。
「ご……ごっつぁんです!」
 相撲に負けた絶望に身をよじり、金太郎は光の粒となって[霧{む}][散{さん}]した。

「ふぅー……生まれたて相手ならこんなもんか」
 少年は短く息を吐くと、スマートフォンの向こう側へと告げる。
「終わったっスよ、鳥居さん。封鎖、解いてもらって大丈夫っス」
『おお、早いね。ご苦労様、東くん』
 少年は通学カバンを回収しながらため息交じりにぼやく。
「それにしても、どうにかならないんっスか? アニメすら消化できなくなるんだったら、俺ぁもう生きてけませんよ。つーか、そもそも留年寸前なんスけど」
『まあまあ、そう言わずに。本日付けで僕たち『ベツバラ』にも新しい仲間が着任する予定だ。君の負担も劇的に減ることだろう』
「マジっスか?」
『もちろん。さっき京都を[発{た}]ったと連絡が来たから、昼過ぎには着くだろう。僕たちの仕事場を案内してあげてくれ』
「了解っス」
『ふむ。だが、その前に補習へ走りたまえ。学問のことまで『[神霊{しんれい}]』のせいにしてはいけないよ』
「へーい」
 通話を切ると、少年こと東風也は鉄橋の上から大通りに二分された街並みを見下ろす。
「仲間、か……」

 そこは、戦後の[闇市{やみいち}]から始まり、電気街として発展した街。
 そのアンダーグラウンドな過去を背景にサブカルチャーの温床となり、名物料理屋やオタクショップが増殖していつしか聖地と化した。
 そして、日本でも有数の観光地と化した幻想の街は、今や次の段階に突入している。
 人も神もそれ以外も。超常の力を持つ者たちが引かれせめぎ合う夢の街。
 ――神霊災害特異点『秋葉原』。
 これは、秋葉原の街を守るために戦う少年少女たちの、笑いあり涙ありバトルありの青春を[描{えが}]いた一大[叙{じょ}][事{じ}][詩{し}]である。

  第一話『ベツバラ』

「はぁ、えらい[賑{にぎ}]やかやなぁ」
 JR秋葉原駅電気街口改札前にて、和装に身を包んだ少女が小さく[呟{つぶや}]いた。
前髪を切り[揃{そろ}]えた黒髪のショートボブ。
その[帳{とばり}]から[覗{のぞ}]くのは猫を思わせる[人懐{ひとなつ}]こそうな[瞳{ひとみ}]。
『[可愛{かわい}]い』と『美しい』を半分半分に割り振ったような美少女だ。
その前を行き交うのは、アニメTシャツを着たオタクたち、中学生らしき一団、客引きのメイド、あちこち写真を撮って回る観光客……
「人、人、人。こないな場所に、ほんまに出るんやろか?」
 駅の出口からすぐそこのところでは、ゲームセンターの店員がマイクを片手に呼び込みをしている。クジがどうとか、コラボがどうとか、ワケの分からない情報が洪水のように頭に流れ込んでくる。
 少女は雑踏を見回した。
「遅いなぁ。来とるなら『気配』で分かりそうなもんやけど」
 少女が時計代わりにスマートフォンを見やって心の中で呟いた時、
「ねえキミ、それ何のコスプレ?」
 カメラを首から[提{さ}]げたオタクが少女に声を掛けた。
「……コスプレちゃう、仕事着や」
 少女はつれなく答えるが、確かに少女の装いは異彩を放っている。
 空のように澄んだ[藍色{あいいろ}]の[生地{きじ}]に、ところどころ月の満ち欠けを模した[意{い}][匠{しょう}]があしらわれた和服。アニメのキャラクター衣装と勘違いされてもおかしくはない。
「そんな目立つ格好で仕事着? 新しくできた和服メイドカフェとか?」
 オタクの言葉に、少女はくすりと笑みを浮かべた。
「ウチがメイドに見えはるん? [目{め}]ん[玉{たま}]引っこ抜いてカメラのレンズと入れ替えはったら?」
 少女の目は、笑っていない。
 その装束は『ある一族』への所属を示すトレンドマークなのだ。仮に京都の人間だったならば、少女の格好に気付いた時点で『話しかけよう』などという発想は捨てている。
ただ、コスプレイヤーを撮ることに命を[懸{か}]けるカメラ小僧には関係なかった。
「写真撮っていいすか?」
「今の流れで[頷{うなず}]くと思たんか?」
「えー、でも見られるために着てきてるんじゃないの? ここ、アキバだよ?」
 そう言って、カメラを向けた。
「……」
 少女は顔を笑みの形に保ちながら、[眉{み}][間{けん}]に[皺{しわ}]を寄せた。
「『[夜{や}][行{ぎょう}][院{いん}]』の[者{もん}]に向かってその口の[利{き}]き方。カタギやから言うて、あんまり調子に乗らはったら、痛い目見はりますよ?」
 左手に印を結び、冷ややかな目を向ける。
 京都人ならばこれで震え上がって引き下がる、ハズなのだが……
「おっ! 決めポーズありがとうございまーすっ!」
 パシャ、パシャ、パシャリ!
 [容{よう}][赦{しゃ}]なく響くシャッター音に、少女の顔から上辺だけの笑みすら消えた。
「『夜行院流』……」
 呟きながら手提げ[鞄{かばん}]の中身へ手を伸ばした、その時。
 ぞくり。
「ッ⁉」
 少女の背を[悪{お}][寒{かん}]が突き抜けた。
 骨肉を透かして心臓に氷柱をあてがわれたかのような侵食感に、思わず振り返る。
「誰やッ!」
 手の印を結び直して背後の何者かへと向けた[刹{せつ}][那{な}]、その腕に包帯が巻きついて動きを阻害し、少女も反射的に結んだ印の形を組み替え、二の矢を[番{つが}]えた。
 秒にも満たない、術師たちの『時間軸』での攻防。
 日常の秋葉原に、非日常と非日常が[交錯{こうさく}]した。
「良い反応だな。アンタが鳥居さんの言ってた、夜行院[暗{あ}][月{づき}]だな」
「!」
 少女改め、夜行院暗月はハッとして印を解いた。
 そこに立っていたのは、金髪に学ラン姿の男子高校生。
 ありふれている……とは言い[難{がた}]い。
 学ランの袖からは暗月を拘束するために包帯が伸び、その全身から発せられる気配にもこの世の者ならざる何かが色濃く混じっている。
「……あんさんが、『ベツバラ』の東風也はん?」
「そ。京都からはるばるご苦労さん」
 風也は、腕から伸びた包帯を[撫{な}]でた。
「落ち着け、『アイゼンフィリア』。彼女は俺たちの新しい仲間だ」
 風也の言葉に、暗月を拘束していた聖骸布は脱力して袖へと吸い込まれた。
 途端に、暗月の周囲に張り詰めていた緊張が解けていく。
 刹那の交錯など無かったかのように、風也は[暢{のん}][気{き}]にあくびした。
「待たせちまって悪かった。数学の補習が長引いちゃってさ。荷物はその鞄だけか?」
「他は近場のホテルに」
「そっか。じゃあ、仕事場を案内するわ」
「おおきに。話が早うて助かりますわ」
 暗月がふとさっきのカメラ小僧の方を見やると、彼はカメラを構えたまま[呆然{ぼうぜん}]と立ち[尽{つ}]くしている。
「い、今の構図、能力者同士の[対{たい}][峙{じ}]って感じでかっけぇ……! と、撮り逃した……ッ!」
 目をキラキラと輝かせて撮影準備をする姿は、少年のように[純{じゅん}][真{しん}][無垢{むく}]だった。
「もう一回! さっきのポーズ、もう一回お願いします!」
「……」
 カメラ小僧に背を向けながら、暗月は息を吐く。
「何なんや、この街の人間は……」
暗月は謎の敗北感を感じつつ、風也の後に続くのだった。

 

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