最優秀賞 著者/粗目雨 あめのおかげ

 どうやらやっと解ったのですが、僕は、人の形をしていません。いや、しているのですが、していないのです。大きな大きなねじくれきった木の幹をのぼって、その天辺にある原っぱの、キラキラ宝石みたいな湖で、僕の親友が教えてくれました。「君はきっと、雨なんだよ」と。

    *

 きゃあ、という声にたまげてしまって、手に持った鋏を落とした。足にぶつける所だ。
「いかがされましたか」
 すぐさまお客様の側へ駆けつけたのだけれど、本人はというと、ひいと小さな息を吸い、何も言わずに走り去ってしまった。その場には僕の仕立てた服が、ハンガーごと床に投げ置かれている。うんざりとした気分だ。初来店の客だった。

 僕は服が好きだ。皆、体の形が違うものだから、それぞれに合う服がいる。服は、体以外で体の形を表すものだと思う。僕はそれを殊の外好ましく思って、服を作っている。好きなものなので、乱暴に扱わないでほしい。
 服を拾って、同じようなノースリーブのものが幾つかあったろうと思い出しながら、工房に戻る。そうすると、木の床を踏む音が、僕の他にもう一つ有るのに気が付いた。
「店長さん、またうっかり開けてたね」
「クロトさん! いつおいでになられたんですか」
 常連客の意地悪な笑みを見て、ささくれた心がふいと消える。クロトさんはゴシック趣味のスラッとした紳士だ。僕の腕を気に入って何度も注文してくれる。今日も、上品な白髪とヒゲが格好ついていた。店舗側から手招きされ、慌てて「いらっしゃいませ」と付け加えカウンターへ向かう。
「この前に届けてくれたベストがあったね。あれの色違いで、深緑色の地に金の糸を使ったのが欲しくなったんだ。あとスラックスの方もたのむよ。少し痩せたんでね」
 承知しました、採寸いたしますと前置いた僕は、カウンターに寄りかかるクロトさんの手首に触れて店内の鏡を見た。そうすると、鏡の中の僕の姿が俄かに変質し、僕の作業服を身につけたクロトさんが現出する。
「はは、いつ見てもそっくりそのまま私だ。店長さんのところは採寸が楽でいい」
 ステッキを額に当てて笑うクロトさんはやはり上品だ。同じ姿に変身したって、僕はこうはいかない。それから一通り確認事項に触れて、紳士は颯爽とドアベルを鳴らし退店していった。ハハハハハ、という笑い声が、姿が見えなくなっても響いている気がする。いつも上機嫌で笑っているところは、僕も見習いたい。
 さて、日がまだ高い。まだまだ仕事があるぞ。意気込んで振り返り、工房の扉が全開になっているのをみて、ははあ、と納得する。またうっかり、開けていた。

 僕は、体に決まった形がない。女物を仕立てる時は女になるし、子供服なら子供になってみる。あの逃げていったお客は、僕が何気なく形を変えるところを見てしまったのだと思う。店舗と工房を繋げる扉を、開けていたので。
 気分を害しただろうか。可哀想に。ああ、いや、気持ち悪がられた僕もそれなりに可哀想なのだった。近頃みんな、僕の変身に慣れきっていたので、忘れていた。
 すう、と吸い込むと、甘やかな春の香りがする。蒸気機関車と、隣の宿屋の煮炊き。馬車の蹄。平和な音だ。肩を鳴らして伸びをした。
「マネすんじゃねーよ!」
「してねー、そっちがパクったんだろ」
「なんだと!」
 このとき僕は油断していて、店先を過ぎていった少年たちの会話にギクリと反応してしまった。未だに苦手な言葉は、これだけだ。『真似』。すっかり払拭したつもりで、やはり嫌な記憶はぶり返す。

−−−シスター! お願いします。今日も……。
−−−ええ、構いませんとも。オード、貸しておやりなさい。

 最後に住んでいた教会で、いつも僕は同じ歳の頃の少年に顔と姿を“貸して”もらっていた。少年オードは無口で何を考えているかわからなかったが、シスターに従順で指示されれば素直にこちらに手首を差し出す。それに触れて、やっと僕は深々と被ったフードをとることができた。鈍い金髪と面長の顔。骨ばった手。井戸で汲んだ水の面にオードの顔が映る。僕もオードも同じ教会の白い質素な服をきて、いかにも双子ですという見た目だった。
 朝の支度を済ませ、芝の上を歩きながらホッとしたものだ。別に手首を掴まなくたって、僕はオードの顔になることができた。だが、それは絶対にいけない。10以上の教会にたらい回しにされた僕が、やっと見つけた解決策だった。

 こうすると、おぞましいドッペルゲンガーから、ただの双子扱いになることができる。

 恐ろしいのはわかる。自分が過ごしていたはずの場所と、全く別の所で自分に会ったと聞かされた時の恐怖とか。目の前に同じ顔の人間が現れて、友達や家族に見分けてもらえなかった時の背筋凍る思いとか。もし、この自分じゃないものが自分の居場所を奪ったら?
 恐ろしいと人というのは攻撃的になる。温厚そうな詩人の姿になった時だって、横から飛びかかられて髪の毛を捕まれ、『この悪魔が!』と罵られた。普段彼が詠う繊細な詩からは想像もつかないくらいに、口汚く。彼の馴染みの派手な女性に絡まれていたのを、本人に見られたことも運が悪かったと思う。
 じゃあ他人の姿なんかにならずに、自分のままでいればいいと思うかもしれないが、そう上手くはいかない。昔から僕はどんな人にも化けられるが、唯一、自分の姿というものになれなかったのだ。というより、分からなかった。自分の顔や姿なんてものが本当にあるのか、疑わしかった。僕は他人の姿を写すしかできなくて、組み合わせて違う顔を作ったりなんてできない。だから、どうしても、『真似』になる。
 無理なのだ。『真似するな』と怒鳴られても、『私の姿になって何をするんだ』と責められても、理由なんかなかった。ボロボロに泣いて、「できないんです」「わからないんです」と言うしかなかった。怒った人々は僕が弱いことを知ると、余計に蹴りつけて執拗に追い立てた。フライパンや、皿、石も投げられたと思う。必死で逃げたので、何か硬いものが当たったとしかわからなかったけれど。
 過去会って、今は遠くにいる誰かの姿を借りて過ごしていたこともあったが、これもまた、難しい問題があった。「ああ、貴方、生きていたのね!」だなんて。馬車から飛び降りた妙齢の婦人に涙ながらに抱きつかれたとき、咄嗟に「似た髪色の別人」に姿を変え、謝罪を叫びながら逃げたのはハラハラする経験だった。
 そうやって色々トラブルが生まれるので、僕は自然に街よりも、森へいって一人になるのが好きになった。誰かの顔をしていたところで、森の木々たちは責め立ててこないし、餌をやった小鳥は僕のことを毎度見分けた。本当にすごいことだ。歩き方でわかるのだろうか?

「ごめんください」
 心が思い出の森へと飛びかけた時、ドアベルが鳴って、小さな女の子がおずおずと店内を覗き込んでいることに気づいた。
「あの。此処が、妖精さんの洋服やさんて、本当ですか」
 可愛らしい表現に笑みがこぼれる。ええ、そうですよと、膝を折って目線を合わせると、女の子は嬉しそうに店内に入って一生懸命に話し始めた。
 友達にこの店の話を聞いたこと。もうすぐママのお誕生日がくること。ママは、お祖母様から頂いた人形をとても大切にして、毎日お手入れしていること。
「それが、この子なの」
 赤い布張りの箱の中から出てきたのは、栗色のロングヘアをくるくるとお姫様のようにして、頬の赤く、関節のついた人形だ。全長は赤ん坊くらいだが、頭身は7歳くらいの少女に見える。
「もしかして、お母さんはこの子と同じ髪色なんでしょうか」
「そ! そうなの!」
 やはりそうか。これは、購入する時パーツを組み合わせて思い通りの見た目にできるタイプだ。ひと昔前まで特に流行っていた。店先に並んでいるのをよくよく目にしたものだ。懐かしい想いで品をあらためていると、緑色のドレスの裾、レースの白い部分に豪快なシミを見つけた。あ、と僕が言うと、女の子は心配そうに見上げてくる。けどここで、先んじて安心させる言葉はかけられない。ここは服屋で、女の子はお客様だ。再び膝を折って目線を合わせる。
「いかがいたしますか。修繕……服を直すか、新しくつくるか。ふた通りございますが」
 女の子はキュ、と口を結んでから、あたらしいお洋服をください、としかりと発する。立派なご依頼だ。焦った様子で小さなカバンから、それまた小さい巾着袋を出して、これで足りますか、と聞いてくれる。お父さんから借りた分と、自分のお小遣い全部だと言う。新調するには少しだけ足りなかったが、この覚悟に水を差すほど僕はお金に困っていない。
「承りました。採寸いたしますので、少々お待ちください」
 幼い女の子に僕の採寸シーンは刺激が強すぎる。少しの間工房に篭ろうと箱に人形を入れたとき、ちょんちょん、と作業服の裾を引っ張られる。
「ここでやらないの?」
「えっ」
 僕に、人形の採寸をここでやれと仰いますか。確かにできないこともないけど、大の大人が悲鳴をあげて逃げだすような”気持ち悪い”現象を見せることになる。さっきまで穏やかに話せていた子から恐怖の視線を浴びせられるのは、いくらなんでも居た堪れない。
「ベニカちゃんに聞いたの。妖精さん、“へんしん”できるんでしょ。見せて」
 妖精さんとは僕のことでありましたか。てっきり「妖精の服」の店と言われたのかと思っていた。いくらか女の子の目を見て、こわがらないでね、と念を押すと、とっても元気になんども頷いてくれた。
 おかしいな、お母さんの為に来たのかと思ったけど、もしやこっちが本命か。ため息。まあ事情を知っていて、本人が見たいというのだから仕方がない。人形に触れて、きゅるると姿を変える。いつもの体の膝くらいの身長になってしまった。カウンター上面がすっかり見えない。
 ここで僕は失敗に気が付いた。サイズの記録用紙がカウンターの上にあるじゃないか。しかし、こういう時の為に踏み台というものが存在するのだ。僕は人形の姿のままトコトコと店の端まで行き、必要な色々を引きずって運んでカウンターによじ登り、作業服のサイズの変化を記録した。その間、女の子はというと、それはもうキラキラとした瞳で、頬に両手を当てて此方をじいっと見つめ続けていた。いくらお客様と言えど、少しは手伝ってくれても良かったんじゃないだろうか。なんせ、体が人形サイズだったのだし。無駄にくたびれてしまった。

 人間以外にもなれると気が付いたのは、いつ頃だったろうか。そうだアレは、オードに姿を借りるのを始める、少し前のことだ。なけなしのお金でパンを買って、いつもの小鳥に分けてあげたとき、ふと思ったのだ。鳥にでもなって、空を飛んで木にとまって、こうやって誰かにパンくずをもらいながら生きていこうか、と。
 そうして人差し指で小鳥の額をひと撫ぜしたとき、僕はいつものようにぎゅるんと変質して、たぶん、鳥になった。たぶんというのは、其処が森だったので、鏡が見られなかったからだ。まさかそんなと僕はパニックに陥って、大層暴れた。パンくずをつついていた僕の友達も仰天してヂヂッと飛び立っていってしまったし、木の幹はガサついた巨人に見えるし、虫が落ち枝の下を這う様子はおぞましかった。自身が得体のしれないバケモノの癖して、体の何倍もある虫を目の前にしたら、簡単に僕の心は折れたのだ。腕を振り回しているつもりで、翼をバタバタをさせ、転げて、悲痛な鳴き声を上げた。人に戻ろうと強くイメージしてもできなくて、中途半端に飛び上がっては落ちて、枝のような足で必死に街を目指した。誰かになって咎められる街が嫌いだったのに、人の形を取り戻したくて仕方がなかった。はやく、人が見たい。ちゃんと見ることができれば、触ることができれば、戻れるはずだと。
 何が「戻れる」だろう。元の姿なんて、わかったものじゃないのに。それでもやっぱり、僕の心は人だったのだ。そういうこともあって、あれ以来よほど必要でないかぎり、人間以外にはならない。採寸は仕事なのでしょうがない。

 時計は午後3時を回る。お茶にでもしようか。注文記録を整理して、今日の仕事と分けて棚に入れる。工房で飲食するのは危ないので、カウンターの内側に小さな台を出し、紅茶の缶を開けた。いい香りだ。
 アオ君も、この紅茶が好きだったな。あの白い、大樹のてっぺんの家でふたりで住んでいたときは、よく「買って来て」とねだられた。僕の、一生で一番の親友だ。彼がいなかったら、こうして街で服屋をやろうなんて、思えなかった。
 僕が変身癖で痛い目を見て、悲しくて森でぶらぶらしていた時、声を掛けられたのが出会いだった。
「君、よくここにくるね?」
 そんなような第一声だったと思う。ひとりになりたくて森にくるのに、急に声がして驚いて、木の根につまずいて転んだのも覚えている。あはは、と愉快そうな笑いは聞こえるのに、本人が何処かに隠れていて、僕はちょっとイラっとした。
「誰だ。隠れてないで、出てきたらいい」
「いやだね。君だって隠れてるじゃない」
「はあ?」
 彼はかなりの減らず口で、出会った時からそれは変わらなかった。鬱々とした態度の人間にかける言葉じゃないだろうと今でも思うけれど、楽しそうに「だって、だってえ」と焦らしてから、こう放った。
「君の顔、別の人のでしょ」。
 最悪だ。本当に最悪にカッと熱くなった僕は、好きで他人の顔してるんじゃない、と怒鳴った。驚いた鳥が飛び立つのが聞こえた。
 わからないんだ僕には、自分の顔なんて知らないし、だからと言って新しくつくれないし、しょうがないから他人の顔でいるのに、本人には絶対に気味悪がられる。なんのつもりだって、有るはずのない魂胆を吐かせようとしてくるし、優しいはずの人が殴りかかってきたりする。もう嫌だ。こんな、姿なんてあるからいけないんだ。皆の目が潰れてしまえばいい。それなら僕がどんな姿でも関係ない、全然平気なのに。潰れてしまえばいい。見ないでほしい。見ないで、僕と関わってほしい。ひとりなんて嫌だ、さみしい、こわい、顔がほしい。ひとりなんていやだ。
 僕が地面を殴ったり草を千切ったりして、幼い子供のように泣き喚いているのを、彼は多分ずっと見ていた。それで、一頻り静まった頃に、それまた明るい声で「うんうん、わかる、わかるよ!」とか言うものだから、再び僕はイラっとした。何か文句をつけてやろうとキョロキョロして人影を探したが、何も見つからない。木々と草と、花ばかりだ。しばらくうろうろしてもダメで、諦めて切り株に座った時、ごめんね、でも隠れたままがいいんだ、と謝られた。
「だってさ、ボクも君に、姿を見られたくないし」
「どうして」
「絶対にこわがるから。ボクってね、人間じゃないんだよ」
 はく、と息を飲んだ僕はもう、「出てこい」とは言えなくなった。

 それから僕たちは、声だけで友情を育んだ。僕は猫がなついてきて可愛かった話とか、最近裁縫が好きになってきたんだということとかを話して、彼は彼で遠い国で流行っている物語を聞かせてくれた。何回か目の時に、いい加減名前を教えてよと言ったら、ちょっと黙った後に「無いんだ」と打ち明けてくれた。
「ボクって人間じゃ無いし、ひとりだし、呼んでくれる誰かもいないから、無いんだよね」
「寂しいこと、明るい声で言わないでよ……」
「そうだね」
「……ねえ、名前、つけてもいい?」
「そうだね!」
 変なのにしないでよ、と笑う声は心底楽しそうだった。なんでこんなに明るいんだろうってくらいに。そういう名前にしようと思って、2人で一生懸命考えた。好きな食べ物とか、物語の登場人物の名前を拝借しようかと盛り上がる。けれど結局、最後の方になんとなく聞いた、彼の好きな色からとって「アオ」になった。
「青っていいよね。空も青いし、湖も青いし、お高い鉱石だって青く光ってるんだよ。花だって鳥だって、青いのは皆に好かれる。あと、海も青い!」
「海か……よく想像できないんだよね」
「まさか。見たことないの、海」
 肯定したら、うわー、とアオ君は嬉しそうになって、どんなに海がすごいか語ってくれた。なんといっても広いらしい。湖の、ずうっと大きくなったやつだと僕は解釈している。そんなもんじゃない、と怒られたけど、知らないものは知らないのでしょうがない。ほぼほぼ教会に引きこもりだった僕だ。それも、内陸ばかり。それでも、海とか、青とか、ぼんやり想像できるのは嬉しかった。だってそれまで、彼の姿かたちというのを、全然掴めなかったから。アオ君、と呼べるようになってから、僕は爽やかな空を見ると彼を思い出して幸福になった。

 お菓子を作った時はアオ君の分まで持っていって、一緒に食べようと言った。本当を言うと、僕には下心があった。お菓子を食べるためなら彼が姿を表すんじゃないかと思ったのだ。期待むなしく、「そこに置いておいて! 後で食べる」と朗らかに拒否されたのだけど。ちなみに後日お菓子の出来栄えを興奮気味に褒め称えてくれたので、悲しい思い出にはなっていない。

 やがて僕はオードのいる教会に移った。森を通った先の街だったので、幸いにもアオ君に会いに行くときの距離は変わらない。そして、ふたりで話し合って捻りだした、「双子のフリ作戦」を監督係のシスターに打ち明けて、お許しを貰う。信頼してもらうため、毎日シスターと本人に許可を得にいくことを約束した。無断で使うから騒がれるんだよ、とは、アオ君の談だ。
 僕は、食すため生きるため以外の殺生をよしとしない、この国の神に守られている。どんなに気味悪がられても、悪魔だ呪いだと影で噂されても、教会の人たちは僕を殺すことはない。
おとなしくして、熱心に祈っていれば咎められない。オードの姿を借りるようになってから、それまで頻発していた僕のトラブルも減ってきて、周りの見る目も少しだけ鋭く無くなった。   オードは全然しゃべらないけれど、僕はなるべく礼儀正しくハキハキと喋るようにしていたので、本当に性格が違う双子のように見えてきたのかもしれない。裁縫上手の一等若い修道士にお願いしたら、服作りの師匠になってもくれた。
 よかった。僕はこうやって生きていけばよかったんだ。嬉しくて嬉しくて、それから連日教えて貰った技術に関して、然程理解もしていなさそうなアオ君に詳しく聞かせた。アオくんは、へえー、ふうん、なるほどねー、すごーい、と感情を込めずに相槌を打ってきたけど、はしゃぎっぱなしの僕には関係がなかった。さすがに飽きてきたのか、ついに「それよりこの間のお菓子持ってきてよ」と言われた日には、若干反省もした。それよりってなんだという気がしたけど、僕は快諾し、その翌日に、オードは死んだ。

「シスター! お願いします。今日も……」
「いけません。もう、ダメです。オードの姿にはならないでください」
「でも、僕、もうこの街ではオードの姿で……」
「いけません! なり替わる気なのでしょう! させない、絶対に」
 いつも落ち着いて上品なシスターが噛み付くように胸ぐらを掴んできて、僕のフードはぽろりと外れた。その時既に僕は、オードの姿に変わっていた。
 修道服たちの刺すような視線に耐えきれず、僕は教会からまろびでて、走って走って走り、森に蹲った。まだ昼前の明るい空だ。何故。夜の方がいい。僕の姿がよく見えないから。太陽は残酷だ。なぜ、光なんかある。ああ、せっかく。

 ああ、せっかく!

 あの場所にはおそらく、帰れない。今までの場所で追い出された時と、同じ感触だ。また違う教会に移されるのだろうか? また双子のフリを頼んで、少しだけ暮らしやすくなっても……きっと本人が傷ついた時、僕は過剰に憎まれる。なり替わろうとしているのか、殺そうというんだろうって。それに、移った先がこの森と近い保証なんてない。アオ君と会えなくなってしまう。そんな生活に意味があるのだろうか。
「あれ、来るのはやいじゃない」
 明るい声に、肩が跳ねる。お菓子は、と聞いてくる。そんなもの無い。察してほしい。しかし、そこを察したところで結局お菓子の話をするのがアオ君なので、どうしようもなかった。もっと言い方があるだろうと思うけれど、なんで泣いてるの、と言われたのでグズグズと鼻をすする隙間で、起こった全てを説明した。
 全部言い終えたとき、ザク、と木を傷つける音を聞いた。それは、何回か響いたけど、僕は膝に顔を埋めて黙っていた。しょうがないなあ、と呆れた声。
「ボクんちに、おいでよ」
 思わず振り返った僕が見たのは、木の幹に記された道しるべと、「辿っていってね」と書かれた紙だった。アオ君って文字書けたんだと、全く関係のないことに感心した。

 そこがあの、信じられないくらいの大樹の上にある、白い家だった。木の傷を辿って大樹にぶち当たった時は焦ったけれど、階段があると声がして、回り込んで見つけた。大樹や、その上にある原っぱや、湖にも驚いたけれど、何より家だ。アオ君の家。完全に、人間が暮らすような家だった。「絶対に怖がられる」と自信満々に断言していたアオ君だったから、もっとずっと、野生動物を混ぜてくっつけたような、変な姿なんじゃないかと想像していたのに。
 テーブルがあって、食器があって、寝床があって。まるっきり人間じゃないか。白くて暖かい日の射す、素敵な家だ。
「アオ君。アオ君はどんな姿なの。この家で暮らせてるんだよね?」
「うんうん。気になるよねぇ。でも今はお昼食べようよ。その辺にパンがあるから」
 どーぞどーぞとふざけた口調。相変わらず姿を見せてくれない。家まで招いておいて。自分の家で隠れて話すなんて、ちょっと面倒くさいんじゃないか? いい加減信用してほしい。僕は、アオ君がどんな姿だって、絶対に友達をやめないし、怖がらない。例え大きな虫みたいな形でも、アオ君だと知っていれば大丈夫だ。そんなの、わかってくれているんじゃないかと思っていた。寂しい気分だけど、腹が減っているのも本当だ。棚からみつけたパンを皿に乗せて、バターを借りた。
「今はね、悲しいだろうから、ちゃんと寝てね。それで、夜にまた話そうよ」
 何もかもそのとおりだ。僕は全部を捨ててきて疲れているし、目も頭も痛い。一人でもそもそ食べながら、寝床を借りるねと言ってみて、また疑問が湧いた。アオ君、本当にあのベッドで寝ているんだろうか。もしかしてここはただ食べ物を保管する場所で、アオ君自体はもっと野生的な生活をしてるのかもしれない。わからない。答えが出ない。もういい。食べたら寝よう。

 揺り起こされた。誰にって、アオ君にだ。ハッとして周囲を見たけど、もう既に部屋の中にはいない。チャンスだったのに。どれだけ素早いんだ。それとも僕が寝ぼけすぎているのか。
「ほら! 外に出てきてよ、綺麗だよ」
窓から声が聞こえたので乗り出してみると、もう既に空は星でいっぱいだった。紅や紺が混ざった生地に、金粉やスパンコールを散りばめたみたいに。急いで家から出ると、ちょうど湖面の際に白い小舟が止まっているのが見えた。楽しそうだ。湖にも星が映ってるから、きっと空を泳ぐみたいになるだろう。駆け寄ると、小舟の中に紙が置いてある。
『舟に乗って』
 アオ君、結構字が上手だ。従って乗り込むと、不思議と櫂が自分で動いて、船は岸から離れていく。ちょっと焦って、岸に向かって叫ぶ。
「おーい、アオ君! 乗らないの?」
「まだ気づかないの。乗ってるよ」
「えっ」
 目の前から声がする。ここは、湖の小舟の上だ。声の聞こえる範囲で、隠れる場所なんてない。右を見ても、左を見ても、上も下も。
「無いんだ」
 アオ君の声が喋る。
「どんな姿なの、って聞いたでしょ。ボクに、姿は無いんだよ。色も何も無い」
「…………」
 言葉が出なかった。色々想像していたけど、こんなの予想外だ。透明ってこと、と、やっとそれだけ言うことができた。
「そうだね。うん。そう……たぶんそう」
 珍しく自信がなさそうだ。アオ君自身も、確証がないらしい。幽霊なのかもしれないし、妖精なのかもしれない。自分がなんだかわからないので、調べようと方々旅している内に色々詳しくなってきたんだとか。それでも自分のことだけはイマイチわからない。けど、盗めばいいから食べるのには困らないよ、と底抜けに明るい声で喋る。盗むのはよくない。ブスくれていたら、笑われた。
「水みたいだ」
「なに?」
「透明だけど、ちゃんとアオ君はいる。水も、透明だけど、ちゃんとある」
 水みたいだ、ともう一度いった。おお、うまいね、と情緒の欠片もない感嘆が返ってくる。もうちょっと感動してよ。やだよ面倒くさい。僕たちは笑った。

「たぶんもうすぐだから、ちゃんと見てね」
 アオ君の言うことがわからなかったけれど、それはすぐにやってきた。さっきまで一面の星空だったのに、雲がどんどん覆ってきて、ぽつ、ぽつ、雨が降りはじめる。すぐにざーざー降りになった。高いところの天気は変わりやすいんだよ、と解説が入る。そんなことを言っている場合では無い、服が濡れてしまった。すぐに戻ろう、と言おうとして、言えなかった。

「どうかな? ボク、どんなかたち?」

 傘の形に雨が弾かれるのと同じだ。今、目の前で、雨は。おそらく、アオ君の形に弾かれている。それは、それは。
「人だ。人のかたちしてるよ。……アオ君」
「ほんと? やっぱり? そうだと思ってた!」
 やっほー、と一際大きく叫ぶアオ君は、腕をバタバタと動かしている。すごい。アオ君の声以外の部分がわかるなんて!
「すごい! すごいよ! うわあー」
 僕も叫んだ。思わず抱きついて、ぐえ、と苦しそうにされる。そこで、おや、と思う。アオ君、裸んぼさんなのではないだろうか。
「そりゃそうでしょ、隠す場所ないもん」
「ええっ! でも、冬とかどうするの、森だって裸足じゃ危ないし……」
「だいじょーぶだいじょーぶ! その辺強くなったんだよね、ボク」
 全然大丈夫ではない。そうだ。服をつくろう。急に創作意欲が湧いた僕は、早く戻れとアオ君を急かし、白い家に駆け戻った。

 タオルで体を拭いて、夕飯を食べて温まった。これで風邪を引いてしまったらもう仕方がないだろう。ベッドがふたつある部屋を選んで寝転がる。
「ね、いつかアオ君の顔がみたいな」
「そりゃ、ボクもさ」
 跳ね返ってきた声に吹き出した。確かにアオ君自身も、自分の顔が一体ぜんたいどんな具合か気になるだろう。さっき人の姿だと解ったところなのに、また知りたくなるなんて。贅沢で楽しい気持ちだ。おや、そういえば、僕も自分の顔はわからなかった。未だに顔はオードのままだ。アオ君と喋っていると、そういうつまらないことはすぐ忘れる。僕の変身癖なんて……。
「あ、」
 思いついた。これ、もしかしていい方法があるんじゃないか? 本当に、可能性だけしかないけれど。素早く布団から出てアオ君の寝ているだろうベッドのそばに行く。どうしたの、と聞かれるので、握手しようよ、と手を差し出した。お、いいね、と手を掴まれる。おそらく何も分かっていない。けど、それでいい。

 僕は、ぎゅるんとアオ君に変質した。息を飲むのが聞こえる。
「どうかな? アオ君、どんな顔してる?」
 数秒間、互いに何も言わなかった。アオ君が喋らないと、見た目としては僕はひとりぼっちだ。アオ君が明るく喋る意味がわかった。
「は……は……」
 ハンサム。アオ君が自分で言うので、僕はおかしくて、倒れるほど笑った。この家に鏡はないらしい。必要ないから。そんなことはない、今すぐ必要だ。僕だって「ハンサム。」なアオ君の顔を見てみたい。翌朝、ガラス窓をいい感じに反射して確認した顔は、ハンサムというよりも少年なんだか少女なんだかわからない、中性的な顔だった。

 あの日以来、ずっと僕は、アオ君の顔を借りている。誰ともかぶらない、僕の親友の顔。

 黒い髪に、青い目。白い肌。店内の鏡に映る姿は、相変わらず性別不明だ。そもそも性別なんかないかもしれない。なんといっても、僕もないし。どちらかというと、僕は、アオ君がどんなふうに笑うのか知りたかった。性別はなくても、笑い方はある。僕の顔は、僕の笑い方しかしないし、未だに不明だ。でもいつか、わかると思う。

 例えば姿なんかなくても、どんな風に動いたか伝わって、笑ったときには声がなくたってわかるような、そんな魔法みたいな、あの時の雨みたいな奇跡が。いつか、どこかの世界で、生まれるのだと思う。きっと、きっとアオ君は、そういう場所に、旅立った。

「すいません、こちら、『[雨{あめ}]の[青{あお}]』さんでよろしいでしょうか」
「ああ、はい。ご注文ですか?」
 僕は、馴染みのティーカップを置いて、努めて明るく接客に戻った。