著者/成田良悟の作品 「RAIN ON THE RAINBOW。あるいは、【スクープ! 電子の秘境の奥に伝説のバーチャルYouTuberアメノセイを見た! その時、探究者に襲いかかる衝撃の真実とは!】」

まえがき

※注意! 注意! 単品でもかろうじて楽しめるように努力はしておりますが、これまでのアメノセイ小説&イラスト部門、並びに『きみがVtuberになるまで』を御覧になった上で、尚かつアメノセイの今までの動画を見返しながらお読み頂くとより一層お楽しみ頂けるかもしれません。また、各章タイトルに使われている楽曲名は、曲名などから想起されるイメージや歌詞に登場する単語を拝借しているだけで、実際の歌の内容と小説のストーリーとは何一つ関係ない事をあらかじめ明記させて頂きます。多分。おそらく。

 

 

 

1『アメノセイは自己紹介ができない。あるいは、Clock』

 

 「記憶を見つめて……」  
     「心の中に自分の手の平を思い浮かべて下さい」

 「その指に触れて……」
     「イメージして下さい」

 「時よりも深く……深い底に……」 
     「あなたの心は沈んでいきます」

 「瞬くにつれて……」    
     「止まっていたあなたの心は過去に[遡{さかのぼ}]ります」

 「また時を止めて……」   
     「あなたの旅路の始まりを、ゆっくりと思い出して下さい」

 

                  ∞

 

 遠い過去を見つめる私の中に、一つの記憶が[蘇{よみがえ}]った。

 そう、これは、私がアメノセイの姿を追い始めた時の記憶だ。

 

 彼、あるいは彼女を初めて見かけたのは、[何時{いつ}]の事だったろうか。

 数年前のようにも思えるし、つい昨日の事のようにも感じられる。

 

 ただ、何をしようとした時か――というのだけは、ハッキリと思い出せる。

 あれは、私がいつものように駅に向かい、いつものようにホームに立った時の事だ。

 

(――あ、行けそうだ)

 

 そう思ってしまった。

 どこに行くか?

 ここで、普段仕事に行くのとは反対方向行きの車両に乗って、海にでも逃避行……というのであれば少しは浪漫チックな青春小説になったのかもしれないが、残念ながら、もっと近くて面白みの無い場所だ。

 特急電車が通り過ぎる15秒前。

 ホームとホームの間に広がる、段差の底の線路へと。

 勘違いして欲しくないのは、私はその時、世の中に絶望していたわけではないという事だ。

 将来設計もあったし、まだ読みたい小説の続きもあった。昼休み中に社員食堂の中に流れているテレビドラマの続きも普通に気に掛かるし、旅行に行きたい場所もある。

 だが、私は知らなかった。

 自分の命を絶つという事は一大事だが、時にはこんな、『なんとなく』という感覚で破滅の歩が進む事もあるのだと。

 死ぬと決意したわけではなく、自分の命の重さを考えるわけでもなく、ただ、『今電車に[轢{ひ}]かれたらゆっくりと休めそうだ』と、『遅刻覚悟で二度寝するか』程度の考えで、私はホームの最前列から脚を動かし始めたのだ。

 [強{し}]いていうなら、私は大分疲れていたのかもしれない。

 仕事が忙しかったのか私生活の問題か、あるいはその両方かは既に思い出せないし、今となってはどうでも良いのだが――確かに、その時の私は寝不足も相まって、相当にくたびれていたという事は否定しきれない。

 普段の私は命がひとつしかなく大事なものであり、電車に飛び込んだりしたらどれだけ多くの人に迷惑が掛かるかも解っている。だが、本当に疲れている時は、そんな事は頭の中から抜け落ちる。インフルエンザの熱に浮かされて、[朦{もう}][朧{ろう}]とした中で観る悪夢。そこから苦しみだけを抜いたような[曖{あい}] [昧{まい}]な状態……というのが一番近いだろうか。

 つまり、私は起きたまま夢の中に居たようなものなのだ。

 だから、死のうとした事についての説教や同情はとりあえず横に置いて頂きたい。

 どちらにせよ、私はこうして生きているし、列車が止まって通勤が[滞{とどこお}]った人々の怒りを買う事も無かったのだから。

 

 特急電車の影が見えた。

 

 時は満ちた。

 後は踏み出すだけ。

 

 周囲の群衆の[溜息{ためいき}]や[咳{せき}] [払{ばら}]いが風となって背中を押す。

 そうら、3、2、1――――

 

 

 だが、ゼロの瞬間が来る事はなかった。

 ホームの縁、白線の外側に向かう私の歩みを止めたのは――

 すぐ斜め後ろから響いて来た、不思議な調子の声だった。

 

『これを観てる皆さんは、僕と友達になってくれますか?』

 

 若い女の子の声のようにも聞こえるし、少年の声のようにも思える引き締まった高音。

 突然響いてきた声に驚いて振り返ると、そこでは高校生と思しき同じ制服の男女が会話をしているのが見えた。

「危ない危ない。イヤホン外れちゃったよ」

「[YouTube{つべ}]見てたの?」

「そうそう、新しい子。アメノセイって名前で――――」

 私を[挽{ひ}]き[潰{つぶ}]す[筈{はず}]だった特急電車が通り過ぎ、轟音が高校生達の会話を[掻{か}]き消していく。

 呆然としていた私は、そこで正気を取り戻した。

 きっかけは、恐怖。

 自分が今死のうとしていた事に、やはり『なんとなく』気付き――恐怖が疲れと眠気を吹き飛ばした事で、一気に頭が覚醒したのだ。

 覚醒すればする程に、自分が死の一歩手前だったという事実をより深く噛みしめる結果となり、喉の奥から胃液と心臓が飛び出しそうな衝撃が私の脳味噌を更に強く覚醒させる。

 恐怖のデフレスパイラルだ。

 何をやっているんだ私は、脳味噌がゆらりゆれている気分だ。

 自殺しかけるとか何を考えているんだ、死ねよ私、いや死にたくない! 絶対に!

 そうだ、死にたくない。

 私はまだ生きていたい、実際に死にかけてそれを強く実感した。

 実感が深まる度に、「それなのに、何故あんな事をしようとしたのだろうか?」と焦り、呼吸が段々と荒くなる。

 胸が苦しく、暫くは何もできなかった。

 何気ない駅のホームを見ている筈なのに、どこまでも遠く景色が揺れる。

 鈍行電車が止まり、横に居た高校生達は動かない私に首を傾げながら列車の中へと消え、そのまま発車の合図と共に私の元から去って行った。

 ああ、ああ。

 この時にあの子達を追いかけて電車に乗り込み、動画の詳細さえ聞いておけば!

 私はここまで苦しむ事は無かったのに!

 

 これが、私とアメノセイの出会いだった。

 

 もっとも、アメノセイは私の事など知る筈も無いのだが。

 

                 ∞

 

2『メッセージってどうやって送ればいいんだろう? あるいは、砂の惑星』

 

 不思議な事に――

 アメノセイという固有名詞はハッキリと頭に残っていたのだが、ネットで検索をかけてみても、それらしき人物に辿り着く事はなかった。

 

 あの高校生達の身内が上げたクローズドサークルの動画だったのだろうか?

 いや、それにしては他人行儀な話し方であり、アイドルの新人について語るような言い草だったように思える。

 しかし、解らないとなると尚更に気になってくる。

 届かないと解るからこそ、更に手を伸ばしたくなるのだ。

 とはいえ、実際何も解らず、私は完全に詰んでいた。

 ただ一言、メッセージを送りたいだけなのに、どうやって送れば良いのか解らない。

 大した望みじゃない、気持ちを一つ伝えたいだけなのに。

 私の命をこちら側に引き留めてくれてありがとう、と。

 

 先頃大手出版社と合併したエンターテイメント企業と縁があり、その立場を利用して色々と調べてみてもアメノセイの情報は全く入ってこない。

 そこで[知己{ちき}]となった研究者は人工知能か何かの開発をしており、大量に生産したAIを潰し合わせるシミュレートをしているそうだ。潰し合いの結果、いつも最もゲスな性格のAIが残ると嘆いていた。

 [酷{ひど}]い時代だ。

 AIすら足の引っ張り合いとは。

 東京砂漠とは良く言ったものだが、インターネットで世界が繋がる今、砂漠は世界中に広がっているようなものだ。言うなれば自分は砂の惑星を[彷徨{さまよ}]う旅人といったところだが、[渇{かわ}]きに[囚{とら}]われたままならば、せめてアメノセイの声をもう一度聞いて[癒{いや}]されたい。

 たった一声聞いただけだが、二度と聞けないかもしれないと思うと、無性にもう一度聞きたくなる。男とも女とも取れる声だという事は覚えているが、何しろ聞こえたのはただの一言だけだ。

 だが、その一言は正に恵みの雨のようなものだったのだろう。

 最初から渇き続けていたのなら、何も気付かぬまま砂と化して終わりだったのかもしれない。

 けれども、私は一粒の雨を浴びてしまった。

 一度その味を覚えてしまえば、[潤{うるお}]いを求めて歩き続けるしかないのだ。

 

 財布の中身を見る。

 預金も合わせれば、お金にはまだ余裕がある筈だ、と考えた。

 この時の私は、電車に飛び込もうとした時とは別の形でどうかしていたのだろう。

 どんな手を使ってでも、アメノセイを探し出すという決意をしていた。

 今思えば、当時の私は新興宗教に入れ込み、浄財と称して金を浪費する信者にも見える。

 信者と書いて[儲{もう}]かると読むとは良く言うが、金を払う事で解決するなら全財産だって惜しくはない。

 運命とやらに導かれる事があるのなら、天空の城にだって行ってやろうじゃないか。

 そう決意していたが、決意と手持ちの財産があるだけで、全くのノープランだった。

 

 まるで、先の見えない砂嵐の中を歩いているかのようだ。

 それでも私は、前に進むしかなかったのである。

 心残りを、消す為に。

 

                  ∞

 

3、『アメノセイ占い上半期。あるいは、シャルル』

 

「シャルルの法則、という物を御存知ですか?」

 

 目の前の占い師が、口を開くなりそんな事を言った。

 最初に私がお金を使ったものは、街で評判の占い師。

 いきなりオカルト頼りか、と笑われそうだが、金を惜しまぬと決意した直後に目に飛び込んできたのだから仕方が無い。

 どこか東洋の国の民族衣装のようなものを着た占い師は、山神の生まれ変わりという触れ込みであったが、確かに何かオーラのような物を感じさせる……気がした。

 だが、その口から出て来たのは、その雰囲気とはまるで違う、一つの科学法則の名前だった。

「気体の体積は高温になるにつれ膨張するというあれです」

 確かに学校で習ったような記憶がある。

 話を聞くところによると、アメノセイから、五つの魂を感じるとの事だ。

 [傭兵{ようへい}]や王子、科学者など様々な魂が熱の低下と共に収縮し、一つの新たな魂となってこの世界に根付いた物に違いないと。

「本体は、角のように見えるハネた髪の部分です」

 なるほど、アメノセイには少なくとも髪の毛はあるらしい……と[頷{うなず}]きはしたが、私が求めていたのはアメノセイの居場所であって成り立ちや本体が何処かという話ではない。

 どこにいけばその角、いやさアメノセイと会えるのかと尋ねて見ると、占い師はそこで再びシャルルの法則を持ち出し、抽象的な事を言いだした。

「あなたがアメノセイという幻想に熱を抱けば抱く程、その想いと、追い求める影は膨張していく。気を付けて下さいね。心は世界です。膨張を続ければやがて常識の壁を打ち破り、異なる世界と混ざり合う事となるでしょう。世界は膨らんだアメノセイという概念に満たされるかもしれませんが、膨らんだ分だけ希薄となったその姿を目に捕らえる事は困難になります」

 どういう事なのか良く解らなかったが、『探すなら冷静になれ』という事だろうと私は勝手に納得していた。

 とはいえ、冷静に探しても見つからなかったのだから仕方がない。

 そう思った私を窘めるように、占い師が続けた。

「愛を[謳{うた}]って雲の上に昇るのは構いませんが、ゆめゆめお忘れ無きように。あなたが想いを馳せる人が地上にいたままならば、互いの距離が開いてしまうだけなのですから」

 なんだか煙に巻かれたような気がしたが、不思議と満足感はあった。

 

 アメノセイが雨の精という意味ならば、いずれまた、雲の上であえるのだろうから。

 そんな言葉遊びを思い浮かべるだけで、不思議と距離が近づけた気がしたのだ。

 

                                  ∞

 

4、『怪談。あるいは、ハイドアンド・シーク』

 

 

 まあ、それは[錯覚{さっかく}]だったのだが。

 

 実際のところ、占いではアメノセイの概念的な意味を感じ取る事はできても、その正体やどこに行けば会えるのかを探る事はできなかった。

 更に金を叩いて探偵を雇ってみた結果、『海辺の街でそんな噂を聞いた』という情報を聞き、追加調査の報告を待たずに私は家を飛び出した。

 

 [噂{うわさ}]を求め続けて辿り着いたのは、海辺の大きな水族館。

 突然『アメノセイという名前に心当たりはないか』と尋ねて回る私に水族館の職員達は[怪訝{けげん}]な顔をして首を振ったが、休憩中のイルカ調教師が、[穏{おだ}]やかに微笑みながら話をしてくれた。

 聞く所によると、アメノセイは確かに雨に[纏{まつ}]わる者なのだと言う。

 雨が大地を洗い流した後、最後は海に辿り着く。

 そこに、彼、あるいは彼女は存在しているのだという。

 空に戻れず、[囚{とら}]われ続けているのだと。

 地獄にも行けず天国にも行けず、その海の中で永遠に[彷徨{さまよ}]い続ける魂。

 その魂を捕らえたモノが火の精霊を怖れる為、火の気の無い海の檻に閉じ込めているのだと。

 

 占いよりも遥かにオカルティックな話になってきた。

 そう思った私に、イルカ調教師が微笑む。

 いいえ、オカルトではなくメルヒェンですよ、と。

 調教師と[戯{たわむ}]れているイルカ達も微笑んでいた気がした。

 しかし、その囚われた魂がアメノセイだと言うのだろうか。

 だとすれば、あの高校生達の動画はどういう事なのだろう?

 というか、そもそも何故あなたがそんな事を知っているのか、と尋ねると、イルカ調教師はやはり微笑みながら答えた。

 イルカ達が教えてくれた。

                   あるいは、深き深き住民達が、と。

 

 冷たい風が、背後から吹き付ける。

 振り返ると、そこは海だった。

 水族館であった筈の場所が、いつの間にか古びた豪華客船のデッキへと変貌している。

 船の内部に続く扉や、操舵室と思しき場所の窓という窓の奥が、深い深い暗闇に閉ざされているのが見えた。

 居る。

 光を全て呑み込むかのような漆黒の穴。

 だが、その奥にいる無数の何かからの視線を、息づかいを、確かに私は感じ取った。

 暗闇の奥底に潜むモノの正体を知れば、私は私でなくなるだろう。

 それこそ、あの暗闇の奥に引き摺り込まれ永遠に何かに弄ばれるような気さえした。

 電車に飛び込みかけた自分に気付いた瞬間の恐怖が蘇り、あっさりとそのラインを飛び越えた怖気が私を壊そうとした瞬間――

 イルカのキュイ、という鳴き声が耳に届く。

 

 気付けば、私は水族館の中にいた。

「お気を付け下さい。囚われの魂に[固執{こしつ}]すれば、あなたもまた[獄吏{ごくり}]である古びた者に見入られる事になるかもしれませんから」

 微笑むイルカ調教師の言葉が、幻の続きのように私の心を揺らめかせる。

 

 釈然としないまま、私は水族館を後にした。

 結局イルカ調教師にはぐらかされた挙げ句に妙な幻覚を見ただけで、アメノセイがどこに居るのかは解らない。

 恐怖を覚えた私は、あれ以上会話を続ける事ができなかった。

 いや、海辺に近づく事すら、本能が拒否している。

 夕暮れ空の下で赤く染まる海を見ながら、ふと考えた。

 アメノセイが私の前から存在を隠すのは、[意図{いと}]的なのではないだろうかと。

 あるいは、大いなる存在的な『何か』が、深く深く深い場所に彼、あるいは彼女を隠してしまっているのだとしたら?

 どちらにせよ、これは終わりの見えないかくれんぼだ。

 皮肉を心中で[溢{こぼ}]し、苦笑しながら再び海を見ると――

 ほんの一瞬だけ、水面の全てが先刻見た幻のような暗闇へと変化していた、ような、気がしたのだが……。

 瞬きをした次の瞬間に、海は元の色に戻っており、私は錯覚だと[安堵{あんど}]した。

 その[刹那{せつな}]――

 

 もういいかい。

    まあだだよ。

 

 私の内側と海の奥底から、同時にそんな声が響いた気がした。

 自分の心が叫んだのは『もういいかい』か、あるいは海からの問い掛けへの答えとなる『まあだだよ』なのか、それは私にも解らない。

 探しているのは私なのか、あるいは私が探されている側なのだろうか。

 アメノセイが私を探しているのなら嬉しいが、それ以外の『何か』だとしたら……?

 

 私は考えないようにして、海辺の街を後にした。

 

                  ∞

 

5、『親友の子供の結婚式でスピーチをする。あるいは、[心{こころ}] [做{な}]し』

 

「俺達の子供が将来結婚をしたら、スピーチをしてくれないか」

 冗談交じりでそんな話をしてくる親友の声を聞き、私はやっと現実に戻って来たという実感に包まれる。

 隣にいるのは、同じ高校に通っていた、もう一人の親友である女性だ。

 自分の親友であるその二人が結婚してから、もう何年になるだろうか。

 待望の子供が生まれたという連絡を聞きつけ、お祝いもかねて食事をしていた時にそんな話を切り出されたのだ。

 正直、ホッとしていた。

 海辺の街で見た恐ろしい幻覚の事は忘れよう。

 きっと、占い師に言われた事が頭の中に残っていて、水族館で聞いた奇妙な話と相まって白昼夢を見たのだ。

 そう割り切りながら、私は目の前の二人と談笑を続けた後、夜になって別れを[告{つ}]げた

 

 解散した後、私は一人で家路につきながら、ふと思い出した。

 高校の頃、黒の学ランとセーラー服を着ていた二人の姿を思い出し、あの頃の自分が皆と[健{すこ}]やかに笑っていた事を。

 そうだ、私はあの頃、普通に笑えていたじゃないか。

 生きる事に疲れていて、そんな事も忘れていた。

 アメノセイと出会えれば当時と同じように笑えるかと思ったが、逆なのではないか?

 礼を言う事など諦め、アメノセイへの[執着{しゅうちゃく}]を全て投げ捨てれば良いのではないか。

 そうすれば、目の前の親友達のように笑って生きられるのではないだろうか?

 親友二人の間に生まれたばかりの子供は、やがてすくすくと育つだろう。

 アメノセイの事など知らずとも、生きていける筈だ。

 逆に私は、探し求めても苦しむだけなような気がする。叫んだとしても、藻掻いだとしても、結局アメノセイという存在がこちらに振り向く事はない気がする。

 そうだ、アメノセイの事は忘れて生きよう。

 アメノセイがアイドルなのかYouTuberなのか、あるいはただの目立ちたがりで動画を上げた学生なのかは知らないが、今さらあっても期待外れだとがっかりしてしまうかもしれない。そうしたら相手にも悪いだろう。

 私の心の中で[肥大{ひだい}]した『アメノセイ』という存在など、結局どこにも存在していないのだ。

 だが、既に私の熱で温められ、膨張していた『世界』はそれを許してくれなかった。

 

「それはね、ここにあるよ」

 

 そんな声と共に――

 一本の矢が、私の胸を貫いた。

 

                  ∞

 

6、『矢文は刺さると痛い。あるいは、恋愛裁判』

 

 胸の痛みに蹲った後、顔を上げるとそこは裁判所だった。

 テレビドラマや漫画でよく見かける、あのままの[法廷{ほうてい}]だ。

 気付けば、自分の胸に刺さった筈の矢は消えていたが――法廷の外側では、大量の矢に射られた者達が、[呻{うめ}]きも苦しみもせず、淡々とした調子でこちらの様子を[窺{うかが}]っている。

 わけが解らなかった。

 これは夢なのか?

 だとしたらどこからが夢だ?

 親友の二人に子供が生まれた所からか?

 あるいは、もっと前から……?

「裁判長、被告には[酌量{しゃくりょう}]の[余地{よち}]があります。何故なら被告は、まだ自分の置かれた状況すらまともに理解しておりません。ここが夢なのか現実なのかも把握しておらず、到底まともな心理状態ではない……と言えるでしょう。つまり、被告が胸に抱いているアメノセイへの想いが恋愛感情に昇華する事はないでしょう」

 朗々とした声がした方に目を向けると、弓を持った天使らしき存在が私を弁護する言葉を並べ立てている。

 どうやら私を射たのはあの天使らしい。私を射貫いておいて弁護するとはどういうわけだと思ったが、味方と見ても良いのだろうか。

 すると、やはりキューピッドのような格好をした検事が挙手をする。

「異議あり。被告は気付いていないフリをしているだけです。現に、被告は到底それらしくない格好をしている我々を見て『弁護士』と『検事』だと認識している。被告はアメノセイという存在に一方的に恋い焦がれながらも、自分と向き合う事を良しとせず、付き合ってもいない、出会ってすらいないアメノセイを手ひどく振ろうとしたのは明白であります」

 こちらを見ながら言う言葉にギョッっとした。

 確かに、弁護の言葉を述べていた天使はともかく、キューピッドの格好をした人間を、何故一目で……何か喋り始める前に『検事だ』と思ったのだろうか?

 弁護士と検事だけではない。よく見ると、裁判長もキューピッドの格好をしていたのだが、やはり私はそこに強い疑問を抱いてはいなかった。

 疑問を抱かなかった事に疑問を抱く。

 そんな奇妙な疑念を抱いた私が状況を掴みきるよりも先に、裁判長がコンコンと木槌を叩き、交通違反の罰金刑もかくやというスピードで判決が下された。

『被告は、アメノセイという存在を己の中で不当に膨らませる事で希薄化し、この世界の中から消滅させようとしている。あまつさえ被告本人がそのアメノセイを忘れ去ろうというのは、これはもはや殺人にも等しい行為と判じざるをえない』

 

 相手が何を言っているのかさっぱり解らぬまま、私は否定の言葉を叫ぼうとしていた。

 待ってくれ。ちょっと魔が差しただけなんだ。

 そう、私にとってはアメノセイがすべて――

 ……すべて、なのか?

 自分で口にしかけて、想像以上に自分の中で『アメノセイ』が肥大している事に気付く。

 この時点で、私は既にアメノセイ以外の事が考えられなくなっていた。

 ただ一言だけ声を聞いた存在が、いつの間にか仕事の事や将来の事よりも優先される程に、私の中で大きな存在となってしまっていたのだ。

 だが、何故? どうして?

 そんな疑問に囚われている内に、裁判長の言葉の続きが吐き出される。

 

『[有罪{ギルティ}]』

 

 再び木槌の音が響き、足下の床が開く。

 そこに現れた暗闇に向かって、私はまっすぐに落ちていく。

 海沿いの街で見た、あの光の届かぬ暗闇だ。

 奧に何かがいる。

 『それ』は落下しつつある私の足を[掴{つか}]み、そして――

 

                  ∞

 

7、『突然のハプニング。あるいは、フィクサー』

 

 落下しながら、恐怖に包まれた私は妙な事を考えていた。

 これはやはり夢なのではないか。[寧{むし}]ろ夢であって欲しいと。

 アメノセイの事ばかり考えていたから、こんな夢を見ているに違いない。

 彼、あるいは彼女に関する今日までの記憶を全部消し去れば、もっと楽に眠れるのではないだろうか?

 だが、もうそれができる段階は過ぎている。

 海に行ったあたりから、私はこれまでの生活を放り出してしまった。

 普通に生きていく身代わりが欲しい。そうすれば、代わりに本体である私はアメノセイに全てを[捧{ささ}]げる事ができるのに。

 ……捧げる。

 捧げる、か。

 そうだ、その通りだ。

 やはりあの裁判は間違っている。

 私のこの気持ちは、断じて恋愛感情ではない。

 寧ろ、何か大いなる力を崇める、『信仰』という形に近い――――

 そう考えた瞬間、暗闇の中で巨大な何かが私の全身を包み、そのまま勢い良く私という存在を握り潰した。

 

                 ∞

 

 目が醒めると、私はどこかの研究室らしき場所の中にいた。

 二度目の目覚めだ。

 裁判所の次は研究所という事は、やはり私は夢を見ているに違いない。

 白い壁と天井、医療機器とも計測機器とも取れる装置の数々。

 弓矢で撃たれた結果、集中治療室にでも入っていたのだろうかと思ったが、手術台にゴムベルトで縛られているあたり、何かの実験体にされているというイメージがしっくりくる。

 胸の痛みはない。

 やはりあの矢に刺された事自体が夢だったのだろうか?

 いや、待て、だとしたら親友達と話して別れた私は、いつの間に寝たのだろう……。

 そんな事を考えていると、視界の奧で数人の研究者らしき男達が会話をしているのが聞こえて来た。

 

   「――貴重なサンプル」  「これは我々の扱ってきたカテゴリとは――」

        「渉ってきたのか?」  「過去、いや、未来――」

  「これもセイ……観察対象01の影響か?」 「[雨野{あめの}]の奴の資料にはなんと――」

 

 今、セイ、と言わなかったか?

 アメノの奴?

 どういう事だ?

 こいつらはアメノセイを知っているのか?

 もしかしてアメノセイは何らかの極秘機関が生み出した人工生命体か何かなのだろうか。

 ……だとしたら高校生が見ていた動画に出てくるのはおかしな事になるが……。

 

「脳の一部を摘出してみるのは――」

 「いや、それは最終的な手段だ、今はまず、痛みにどのような反応をするかを――」

 

 [物騒{ぶっそう}]な事を言いだした。

 私の事だとするならば、どうやら自分に人権はないらしい。

 抗議しようとするが、声がでない。

 麻酔のようなものでも打たれているのだろうか? 意識はハッキリしているし眼球も動かせるのに、声を出す事が一切できない。

 

     「サウンドチームから預かった音声データがある」

  「扱いは慎重にしろ。絶対に我々の耳には入らないようにするんだ」

 

 研究者達が私の頭にヘッドホンを被せる。

 周囲に音漏れしない事を徹底したような、不思議なデザインの不思議なヘッドホンだ。

 おい待て、なんで研究者の周りに銃を持った[厳{いか}]つい男達が待機している。

 音を聞いたら私は怪物にでもなるのか? そんな馬鹿な。

 そして、何かの音楽が私の[鼓膜{こまく}]を[揺{ゆ}]らし――

 気付けば私は、目から涙を[溢{あふ}]れさせていた。

 歌詞が頭に入ってくるよりも先に、『声』が私の頭を打ち付ける。

 少年とも少女とも断言できない、美しく引き締まった高音。

 聞くだけで頭に安らぎが満ち、同時に、『ああ、あの日の声は幻覚ではなかった』と私の人生を肯定された気がした。

 親や友人、教師や上司からの肯定ではない。

 もっと大きな『何か』から自分の全てを認められたような気になり、大いなる『感謝』が私の[双眸{そうぼう}]から溢れ出した。

 

「涙を流しているぞ」 「一度音を止めろ」

 

 おい、やめろ、止めるな! アメノセイの声を止めるな!

 ああ、ああ、止まってしまった……。聞こえなくなってしまった……。

 

   「これまでにない反応だ」  「やはり、別の次元から――」

 「だが、セイ……実験対象01は既に我々が[迂闊{うかつ}]に手を出せる[範疇{はんちゅう}]にはない」

    「グラミー賞候補か」  「何故あんな事に……」 

  「こうなるまでに確保できなかったのか」

「確かに[失踪{しっそう}]したとなれば社会的な影響はあるが、国家の方を動かせばなんとでも――」

  「いや、アレは既に信者とでも言うべき存在を多数生み出している」

「大国の官僚の中にも実験対象01の崇拝者がいると……」

     「雨野の件もある」   「我々の内部も信用できない」

 「やはり、あの『歌声』の影響か?」  「それを調べる事が我々の使命――」

 

 何やら話が大きくなってきた。

 国家? 崇拝?

 なるほど、見えて来たぞ。

 アメノセイとは、何か国家機密のようなものに絡んでいる存在らしい。

 あのイルカ調教師は脱走した研究者か何かで、都市伝説や怪談のように偽装して(本人はメルヒェンと言っていたが)他者にアメノセイの存在を伝えようとしていたに違いない。

 あのメルヒェンストーリーが[暗喩{あんゆ}]だとすれば、暗闇は正に国家の暗部だ。

 いや、崇拝や信仰という単語からすると、もっと話が大きい可能性がある。

 私だけではない、きっと、他の誰かにとってもアメノセイは心の拠り所、自分の命の全てと成り果てているのだろう。

 ああ、[羨{うらや}]ましく[妬{ねた}]ましい。

 私よりも先に、そいつらはアメノセイの事を知っていたのだ!

 だが、関係ない。

 仮にアメノセイが、既に他の誰かのモノであるというのならば。

 アメノセイが誰か他人の為の神や救世主のような者だと言うのならば――

 誰かからそれを奪う側に回ってでも、私はアメノセイを手に入れてみせる。

 そうだ、きっと私の方が、アメノセイを――

 

 次の瞬間、研究所の壁が突然爆発し、研究者達が派手に吹き飛ばされた。

 なんだなんだ⁉︎

 眼球を動かして爆発のあった方を見ると、崩れた壁の後ろからアメリカンポリスが銃を構えて叫んでいた。

 

「警察だ! 全員動くな!」

 

 世界観がまた壊れた。

 どうなってるんだ、本当に。

 やはり夢なのか?

 いやしかし、夢だとするとさっき聞いたアメノセイの声が生々し過ぎる。

 困惑する私の前で、アメリカンポリスは革ベルトの拘束を解き、私の身体を解放してくれた。

 まあ、救われるなら何でもいい。

 そう思っていた私の手に、アメリカンポリスが[手錠{てじょう}]をかける。

 

「アメノセイ[拉致{らち}]監禁容疑で逮捕する!」

 

 逮捕されたのは、私の方だった。

 もう好きにしてくれ。

 

                   ∞

 

8、『黒歴史発掘! ボクの考えた最強の主人公! あるいは、お茶目機能』

 

 警察署に連行された私は、そのまま拘置所の独房に閉じ込められた。

 拘置所? いや拘置所なのか?

 そもそも裁判所の中で逮捕されるとはどういう事だ。順番が逆だろう。

 しかし、アメリカにも拘置所はあるのだろうか。そもそも拘置所と刑務所の違いはなんだ?

 学校の授業で聞いた事があるような気もするが、確信はもてない。

 何も解らない上に、やけに薄暗い部屋だ。

 本当に日本の独房なのか?

 せめてまともな明かりぐらいはあって欲しいが、これではまるで塔の地下に幽閉されている[囚{とら}]われの王子か姫君だ。

 出してくれ、私は無実だ、と叫んでみるが、返答はない。

 まるで悪夢を見ているようだ。

 いや、実際ここは夢の中なのか? 

 状況の繋がりに、徐々に脈絡が無くなりつつある。

 そもそも、ここはなんなんだ。

 本当に独房なのか?

 周りを見渡してみると、やはりそこには誰も――

「何か食べる? どら焼きしかないけど」

 居た。

 部屋の暗がりの一部にぬいぐるみが散乱しており、その中心に置かれた椅子の上にちょこんと子供が座っている。

 どうやら、少なくとも『独房』というのは間違いだったようだ。

 ここは何処なのか聞いてみると、子供は首を傾けながらこちらを見つめて口を開く。

「どこだろうね。解らないなら、君が好きに決めればいいと思うよ」

 何やら大人びた雰囲気を纏いながら、子供のような声色で意味深な言葉が吐き出された。

「ここにはもう何もない。ここに迷い込んだ君のような存在が見たい物だけを世界の中に浮かび上がらせるシステムだけが残ってる。僕も、君の深層意識が生み出した幻想の一つだろうね」

 妙な事を言いだした。

 ……。

 なるほど、つまり……やはりこれは私の見ている夢なのか?

 夢の世界だとするならば、その根幹は確かに私の深層意識だろう。

 とすると、さっきの裁判もアメリカンポリスも、私の心の奥底の欲望が生み出したものだとでも言うのだろうか。

 このぬいぐるみに囲まれた子供は、わざわざそれを説明する為に現れたのか?

 世界構築システムに、そんなお茶目な機能があるものだろうか。

 いや、待て。

 夢だとするなら、どこから私は夢を見ていたのだろう?

 そもそも、私は何処で何をしていたのだろう……。

 記憶が曖昧になっている事に気づき、急に空恐ろしくなった。

 呼吸の仕方まで忘れてしまったような感覚に囚われ、無理矢理肺を膨らませて息を大きく吸い込み、[噎{む}]せる。

 咳き込みながら冷や汗を流し、混乱する頭を落ち着けるべく、必死になって記憶の糸をたぐり寄せた。

 忘れてはならない大事な記憶は、確かに覚えている。

 アメノセイ。

 私を生かしてくれて、今、私が歩み続ける原動力となっている人物の名前だ。

 だが、同時に怖くもある。

 ここまで必死になって探して、今や私の根幹ともなっているその固有名詞の人物が、もしも世に名を残す極悪人だったとしたら?

 本当にあの動画一本でしか喋っていない学生で、ただの一般人だったとしたら?

 後者が悪いわけではないが、その場合、自分が積み上げてきた行動と釣り合いが取れないのではないだろうか。

 いや、『釣り合い』などを考えるような俗な気持ちでアメノセイの影を追ってきたわけではない、決してそういうわけではないのだが――

「気に入らない結果なら、上書きしちゃえば?」

 こちらの心を読んだかのように、椅子の上の子供が言った。

「最強の主人公を考える中学生みたいに、自分の中の最強のアメノセイを考えればいいんだよ。ここはそういう場所だし、アレはそういうものだから」

 何を言っているんだ? それも世界のシステムという奴か?

「君が望むアメノセイを心に浮かべられない限り、『可能性』は拡散し続ける。シュレディンガーの猫が二択の枠を超え、選択肢は無限に拡散していくよ。選ぶ事を放棄したら、それは何も無いのと同じだね」

 待ってくれ。

 私は答えを知りたいんだ。アメノセイの正体を知りたいんだ。

 それなのに、どうして私がアメノセイの正体を決める立場になっているんだ?

 教えてくれ、一体、私の身に何が起こっているんだ?

 そう尋ねようとしたのだが、子供は気だるげに自分の言葉を[紡{つむ}]ぐのみだった。

「ほら、宇宙が広がるよ」

 私の背後を指しながら紡がれたその言葉に釣られるように、ゆっくりと振り返ると――

 部屋の暗闇は、無限に拡がる星の海へと変化していた。

 

                 ∞

 

9、『流星チャレンジ。あるいは、流星』

 

 気付けば、私は宇宙の中心に投げ出されていた。

 いや、宇宙の中心というものがどういうものなのかは知らないが、上下左右前後、全方位が星空であり地面もないとなれば、宇宙の中心に自分が立っていると表現しても構わないではないか。今ならば地動説を唱えた昔の人達の気持ちが解らないでもない。常に周りに星空があるのならば、地球を中心に宇宙が回っていると考えるのも無理からぬ事だろう。

 そんな事を考えて現実逃避をするが、状況は当然変わらない。

 だが、呼吸が苦しいという事はなく、身体が破裂して即死するという事もない。

 実際には宇宙空間で身体が破裂する事はなく、数秒間真空状態に曝露されて生還した宇宙飛行士もいると聞いた事はあるが、その情報は恐らく、今の私の状況を説明する材料にはならないだろう。

 これも私の夢……夢なのか?

 私の想像力というか、脳味噌の限界を超えている光景な気がするのだが――

 脳味噌をフル回転させようとするも、まず理性が状況に追いつかない。

 宇宙の冷たさに凍えそうだ。

 だが、身体が凍り付く様子はない。

 ただ、心だけがひたすら寒い。

 先ほどの子供の姿はもう見えない。

 足場もなくフワフワと[漂{ただよ}]い続けている……と思うのだが、重量がないせいか、今一つ「フワフワ」しているという感覚が身体に伝わってこない。

 感覚もなく、喋る相手もおらず、ただ孤独だけが私の周りに拡がっていた。

 

 

 ――――――

 

 ――――――

 

 ――――――

 

 それから、どれほどの時が経ったのだろう。

 数十秒か、数分か、数時間か、数年か。

 だが、意味の無い話だ。

 何しろ、私の身体も含めて何一つ状況に変化がないのだから、時間が経過していようが止まっていようがその差に意味は[欠片{かけら}]もない。

 社会の中で過ごしていれば変化が無くとも時間は重要なのだが、その社会がここにはない。

 私だけで完結している世界。

 いや、こんなものが世界などと喚べるのだろうか?

 留置所らしき場所で出会った子供の言葉が、私の心に[蘇{よみがえ}]る。

 

 ――「君が望むアメノセイを心に浮かべられない限り、『可能性』は拡散し続ける」

 

 拡散しきった結果がこの宇宙空間であるというのならば、私がアメノセイを望めば宇宙は集約するという事なのだろうか。

 とはいえ、私にはもう何も思い浮かばない。

 ああ、拡散した『可能性』を近づいて観る事さえできれば、私はそれを選ぶだけで良いのに。

 

 しかしながら――あの星の一つ一つがアメノセイだとしたら、なんと美しく壮大な話だろう。

 だが、そんな浪漫チックな事を考えようが、やはり私の心は凍り付いたままだ。

 星の明かりは遠すぎて、その熱は私に届かない。

 地球のような星があったとしても、私の視力では大地の模様すら解らない。

 私がどこかの星に向かって落下できれば良いのだが、手足をばたつかせようと状況は何も変わらなかった。

 

 待ち続けよう。

 私にできる事は、ただそれだけだ。

 いつか流星が夜空を駆け抜ける時に、その輝きを観て何か物語を生み出そう。

 流星に願いをかけるしかない。

 星に願いを。

 意味合いは何やら違う気がするが、流れる間に三回思いを刻み込もう。

 

 ああ、早く、早く流れ落ちてくれ、私の元に。

 この身を焼き砕いてくれても構わない。

 アメノセイの姿を最後に目に焼き付けられるならば、私の命などどうなっても構わない。

 凍り付くような永遠の孤独と較べれば、熱に焼かれながら消えさる方が幾分マシだ。

 何も照らされていない僕の夜を、眩く照らし壊して欲しい。

 この身体ごと、この苦しみごと。

 気付けば私は、何かを叫んでいた。

 自分でも何を言っているのか理解していなかったが、恐らくは魂の叫びだったのだろう。

 

 すると、その叫びに呼応するかのように、『宇宙』が唐突に[蠢{うごめ}]きだす。

 星空から、あるいは、私の内側から――

 私を呼ぶ誰かのコエが、響いた気がした。

 あるいは、それは歌、のようなものだったのかもしれない。

 

 あれはこの宇宙が壊れるコエだったのか。

 それとも、世界が新たに生まれたコエだったのか。

  星空が[微睡{まどろ}]み、瞬きが互いに溶け合っていく。

 それはやがて一つの川となって、言葉と生命の塊が私の身体に押し寄せる。

 コエの濁流。

 セイの奔流。

 それはまさしく流れ続ける一つの世界だ。

 私はその世界の一部になるのか、あるいはただの傍観者に過ぎないのか。

 流星の光に包まれた私には、もう解らない。

 

 何も、何も――――――――――

 

                 ∞

 

10、『アメノセイズブートキャンプ。あるいは、FANTASTIC』

 

 目が醒めた。

 ……普通に目が醒めた。

 意識がある。

 私の身体は、自我は、世界は、確かにここに存在している。

 やはり夢だったのか?

 

「アーメノ」

 

 ――?

 

「セイッ!」

 

 落ち着いて考える間もなく、私の身体は後方に吹き飛んでいた。

 流星の激突にしては威力が弱く、布団から跳ね上がるという感じでもない。

 自転車か何かに跳ねられたような衝撃を全身に受けながら、私は木板の床の上をゴロゴロと転がった。

 天井を見上げる。

 つまりここは屋内であり、宇宙空間から解放されたという事だ。いや、宇宙から屋内に来たのを解放というべきだろうか? 解放というより内包されたという方がいいかもしれない。

 だが、そんな言葉遊びに興じている暇はない。

 少なくとも、私の真上に拡がるのは見覚えのある天井ではなかった。

 痛む身体を起こしながら観ると、そこには映画に出てくるような功夫服を纏った若者と、その左右に立つ赤と黄色の黒子衣装を纏った男達がいた。

 いや、赤と黄色なのに黒子というのもおかしいが、実際に黒子の衣装を派手な紋様の色で染め上げた感じなのだから仕方が無い。正直、かっこいい。

 こちらが倒れるのを見ながらも、功夫服の若者は離れた場所で構える。

 周りで見ていた門下生と思しき者達が、一斉に声をあげる。

 

『アーメノ セイッ!』

 

 それに併せ、正拳突きを撃ち放つ功夫服の若者。

「セイッ!」

 ……。

 随分と、頭の悪い空間に来てしまった気がする。

 さっきの宇宙空間でのシリアスな空気を返して欲しい。

 いや宇宙空間なのに空気というのは[可笑{おか}]しいかもしれないが、夢だろうと異世界転移紀行だろうと少しは統一性を持たせようとは思わないのか。

 責任者はどこだ。

 私の前に出てこい。説明をしろ。

 ……とは言え、出てくる筈もない。

 敢えてこの状況に責任者がいるのだとすれば、それは紛れもなく私だろう。

 自分でアメノセイが何者かを選べなかったのだから。

 そうだ、流星に身を任せた結果、私はここに……。

 

 ……。

 

 ここ……? 

 

 アメノセイ……が……何者か……?

 ……いや、何を言ってるんだ、私は。

 アメノセイはうちの道場の伝統のかけ声だろう。

 参ったな、何を寝ぼけているんだ私は。

 転がった私は、殴られたと思しき胸のあたりを見る。

 見ると、私は道着のようなものを着ていた。

 ああ、そうか、そうだった。

 どうやら私は、先輩との組み手の最中に意識が飛んでいたらしい。

                ――……。

 先ほどのかけ声と共に殴られ、正気に戻ったという事だろう。

                ――……ん?

 いや待て、何かおかしい気がする。

 おかしい気がするが……。まあ、いいだろう。

 そんな事を考えている暇はない。

 組み手を見学している後輩達が、早く立てと檄の言葉を送ってくる。

 私は先輩と相対する形で構え直し、互いの拳が届く距離までゆっくりと間合いを詰めた。

 お互いの攻撃が届く『[圏{けん}]』が触れ合う。

 同時に、門下生達がかけ声をあげた。

 

『アーメノ!』

 

「セイッ!」

 私はそう叫びながら、自然と正拳突きを繰り出していた。

               ――これでいいのか?

 拳を撃ち放ちつつ、再び疑問が頭をよぎる。

               ――私は何をしている?

               ――これでいいのか?

 先輩との組み手を続けながら、頭の中には疑念が絶えず浮かび続けた。

 おいおい、何故こんな事を考えているんだ。まだ夢から覚めていないのか?

 殴られたショックで頭がこんがらがったったった……たたた⁉︎ 

 そんな事を考える暇すら与えてくれない先輩の猛攻。

 今は何も考えるな!

 もっと早く回れ、回れ、回れ、私の手足。

 今はただ、この先輩と拳を[酌{く}]み交わしながら、踊れ、踊れ、踊れ……。

 私は陶酔のようなテンションで先輩の攻撃を紙一重で躱し続けたが、最後には強めの一撃を食らってしまい、そのまま組み手は先輩の勝利となった。

 

 

 ――先輩は、どうして武術を始めたんですか?

 [鍛錬{たんれん}]の終了後――そう尋ねた私に、更衣室に向かう先輩は爽やかに笑いながら答えた。

「武術って、型が決まるとかっこよくないですか?」

 なるほど、シンプルな理由だ。

 かっこいいというのは重要な事だ。

 だが、私はなんでこの武術をやっているのか、いまだに答えは見いだせない。

 妙な宇宙空間の夢を見たのは、そんな自分の情けなさから逃避だったのだろうか。

 ……宇宙に行く前も、何かしていた気がするが……。

 思い出せない。

 まあ、夢の詳細を思い出せないというのはよくある事だ。

 そう、あれは夢。

 厳しい鍛錬中の現実逃避なんてよくある事さ……。

 夢を見ていたんだ。

 鍛錬はもう終わった。

 次の道場稽古の日までは辛い事もないし、何も変わらない毎日が始まる。

 そうだ、多分、これからも。

 ずっと、ずっと。

 

 一人での帰り道。

 私は何気なく、道端にあったサントリーの自動販売機から『やさしい麦茶』を買った。

 勢い良く呷って喉を潤し、道場の鍛錬で失った水分とミネラルを身体の中に取り戻す。

 優しい味わいが後から舌の上に染み渡り、爽やかな風味が口の中を潤した。

 ああ、頭がスッキリしてきた。

 

 そんな私に、隣から声をかけてくる者がいた。

 

「あなたの夢――なんだったんですか?」

 

                 ∞

 

11、『そういうとこやぞ。あるいは、ヒッチコック』

 

「え?」

 私の横に立っていたのは、白い服に水色のラインを走らせた可愛らしい服を着ている一人の少女だった。

 少女、というには、どこか大人びた空気を纏っており、私よりもずっと年上のようにも感じられる。具体的に言うなら120才ぐらい行ってそうな……。

 いやいや、私は何を言ってるんだろう……まだ頭が混乱しているのか?

 年齢不詳の彼女は、サントリーの自販機から南アルプスの天然水を買うと、それを手に持ちながら再び私に声を掛けてきた。

「このまま生きていて、良いのですか?」

 突然何を言っているのだろう。

 妙な人だと笑い飛ばせれば良かったのだが、その不思議な雰囲気を持った彼女の言葉は、不思議と聞き流す事ができなかった。

 私の心の奥底から、『聞き流してはいけない』という警報音のようなものが鳴り響いている気がしたからだ。

 一体何の話ですか、と、震える声で私は問い掛ける。

 だが、帰って来たのは、やはりどこか要領を掴ませない答えだった。

 柔らかい微笑みを浮かべる、白い服の少女。

「わたくしは、ただのゲストですから。あなたの世界をどうこうする権利はないのです」

 その言葉は軽やかな調子で、しかし圧倒的な重みを持ってこちらの心を抉ってくる。

「せいぜいできる事は、人生相談ぐらいですね」

 人生、相談?

「あなたの人生についての相談ですわ。まだ、ここはあなたの世界ですから」

 何を言っているのか、やはり何一つ理解できない。

               ――嘘だ。

 私の世界? なんの話だ? 世界は世界じゃないか。誰のものでもない。

               ――私は、理解している。

 肯定も否定もできずに固まっている私に、白い服の少女は穏やかな声で言葉を紡ぎ続けた。

「あなたが望む世界の形は、まだ決まってはおりません。ヒッチコック映画のようなサスペンスを望むのか、あるいは、何も起こらない平穏な日常を望むのか、それはあなたの自由です」

 ヒッチコックは知っている。

 だが、私はサスペンスなんて望んだりはしない。

               ――そうだろうか。

 私はこれでいい。今のままでいいんだ。

               ――本当に、そうか?

「ただ……あなたはまだ、何も見つけられないまま流されているようでしたから。それでは、アメノセイくんがあまりにも不憫……だと思いまして」

 流される、まま?

 アメノセイくんが不憫?

 うちの道場の掛け声になぜ「くん」付けを?

 疑問を口に出す間もなく、彼女は言葉を続ける。

「こんなに綺麗な青空ですから。ずっとそれを見続けていたい……と思うのも、無理はないかもしれませんけれど」

 彼女は空を仰ぎながらそう言うと、自らの日傘をクルクルと回しつつ、道の先へと消えて行ってしまった。

 ……なんだったんだろう、今の人は。

 なんだか、責められているといよりも『試されている』という感じがした。

              ――寧ろ、責められるべきだった。

 だが、どうして私が何かを試されなくてはならない?

              ――解っている筈だ。

 仮に、私がどんな世界を望もうが自由じゃないか。

 青空だけが見たいのは[我儘{わがまま}]だとでも言うのだろうか。

 

「うん、我が儘だよね」

 私の心を読んだかのように、背後から声がかけられた。

 するとそこには――消え去った白い服の女性と入れ替わるように、傘を被った若者が一人立っていた。

 白服の女性が被っていた日傘とは違う、雨の日の為の傘だ。

 

「そういうところだよ。君がまだ『アメノセイ』を見つけられない理由は」

 

 私がその言葉の意味を理解するよりも先に――

 快晴の日差しに照らされていた筈の世界を、激しい豪雨が包み込んだ。

 

                 ∞

 

12、『Raindrop、そして、深海少女』

 

 何故、突然雨が……?

 今しがたまで、空には雲一つ無かった筈だ。

 豪雨に[晒{さら}]され、私の身体は[濡{ぬ}]れ[鼠{ねずみ}]となるが、不思議と不快感は感じなかった。

 確かに不思議ではあるが、そんな事よりも、目の前の傘を被った若者の言葉の方が気になる。

 いや、寧ろ、雨が降り始める前から雨傘を開いていたのだ。この雨の謎についても知っているのではないだろうか?

 尋ねてみたいが、この雨音では私の声など届かないだろう。

 

 そう思ったのだが――

 こちらの考えを見透かすかのように、相手は口を開いた。

「これが本来の『君の世界』の空模様さ。さっきまでは太陽の象徴みたいなお客さんが来てたからね。それに引っ張られていたんだよ」

 空気の中に染み渡るような声。

 豪雨の音は物凄いのに、若者の中性的な声は、まるで頭の中に直接響くかのようにハッキリと聞こえて来る。

「そして、ボクが君を我が儘だと言った理由だけれど――単に、視点と価値観の問題だよ。青空が[悍{おぞ}]ましい色として映る世界もあるという事さ。もちろん青空が尊いという価値観がある以上、我が儘ではあるけれど、我が儘を悪とは言わないよ。他人を助けたいという願いだって、突き詰めてしまえば一種の我が儘だからね」

 解らないな。

 いったい、私に何を伝えたいんだ?

「人によっては、いや……世界によっては、この灰色の空と雨が何よりの救いになる事もあるって事さ」

 そんなのは当たり前だ。

 だから、こうして……私は望んだ。

 平穏な世界を……。安心して暮らせる世界……。

 いや……考えなくても済む世界……を……?

 何を……考え……。

 アメノセイ……アメノセイ……。

 ああ、そうだ……アメノセイ、アメノセイが……常に自分の側に……自分の物に……。

 手に入らないなら……手に入る形に封じてしてしまえばいいと……。

「その結果が、さっきの武術のかけ声? 誰でも口にできる言葉という形に存在を定着させれば、空気と同じように好きな時に好きなだけ自分のものにできるから? まあ、否定はしないけれど、それは君にとって[妥協{だきょう}]じゃないのかい?」

 うるさい。

 仕方が無いじゃないか。

 手を伸ばしても届かないなら、ただの文字列にしてしまえばいい。

 そうだ、私は「アメノセイ」という固有名詞しか知らないのだ。なら、ただのかけ声として設定しても構わないじゃないか。設定は上書きしてしまえばいいと、独房で出会った子供も言っていたじゃあないか。

「固有名詞だけ? 本当かな? 君がこれまで歩んできたのは、ただの幻想? 偽物の物語に過ぎないのかな?」

 試すような声が、雨音を掻き消すようにこちらに届く。

 声……。

 ああ、そうだ。

 名前だけではない。

 声だ、コエを私は何度も聞いている。

 宇宙の中で、研究所の中で、そして私を死の縁で引き留めたあの声を。

 どうして忘れていたのだ。

 雨が。

 雨が降り続ける。

 記憶のモヤを洗い流すかのように、私の身体を冷たい雨が流れ落ちていく。

  そうだ、宇宙に投げ出される前、私は旅をしてきた。

 アメノセイを探す旅を。

 あの時の熱意を、アメノセイを自分だけのものにしてやるという欲望を、本物のアメノセイと出会う事への怖れを、私はどうして忘れていた?

 命を救ってくれた事に対する純粋な感謝を、私はどうして忘れていたのだ?

 いつしか足元に水が溜まっており、その水位は見る見るうちに上昇していく。

 あっという間に視界が水に閉ざされ、私は突然襲いかかった水圧の[檻{おり}]に閉じ込められ、身動き一つ取れなくなる。

 宇宙空間と違い、手足をばたつかせる事すらできないが――不思議と呼吸が出来ているのは同様だった。

「早くボクを見つけておくれよ。[ボク{君}]の世界が、歪に成長してしまう前に」

 若者が傘をクルリと回転させたかと思うと、その周囲に空気の泡が渦となって舞い上がり――そのまま、若者の姿は海の中の泡となって消えてしまった。

 

 いつしか、光も消えていた。

 どうやら、私はいつの間にか海にまで流されていたようだ。

 身動きが取れぬまま、深く深く沈んでいく感覚がある。

 ここに到って、何故わざわざ沈むのか。

 この世界が私の心が生み出した風景だというのならば、いったいどこまでどん底に沈んでいるのだマイハート。

 ところが――

 次の瞬間、暗い暗い水底に、光が灯り始めた。

 同時に、身体を包む水圧が幾分軽減されたように感じられる。

 戸惑いつつも、一番近い光に眼を向けると――その空間には、[眩{まばゆ}]いばかりの【世界】が内包されているのが解った。

 

 ツインテールの美少女が歌っているのが見え、海水を震わせる声がこちらにまで届く。

 アメノセイとは違う声だが、透き通るような美しい声だ。

 深海の中で歌うその姿はまるで人魚のようだが、足はあるし、引き替えに声も失ってはいない。ならば、あの歌姫は一体何者なのか。

 いや、彼女だけではない。

 よく見ると、あちらこちらに浮かんでいる光の中に、それぞれ別の存在が映し出されている。

 なんだろう、ここは。

 海中都市?

 いや、一つ一つの光の中には、紛れもなく【世界】が拡がっている。

 宇宙空間で見た星々と同じだ。

 あの時と較べると、距離が近くなったとみるべきか……?

 だが、どうにも星空とは違う気がする。

 あの時は、星の一つ一つが『アメノセイ』の可能性のように感じられた。

 留置所の子供の言葉を信じるなら、おそらくその感覚は正しいのだろう。

 だが、今の感覚は……海の底に開いた【窓】から、まったく別の世界を覗いているような感覚だ。

 私は戸惑いながらも、水中に響く『声』の数々に耳を傾ける。

 もしかしたら、『アメノセイ』の声が聞こえてくるかもしれないと信じて。

 

 

 それから、どれほど海底を漂っただろうか。

 深く深く沈んだ先で、私はついに『アメノセイ』らしき声を鼓膜に[捉{とら}]えた。

 水圧に負けず、手足を必死にばたつかせてなんとかその声に近づこうとする。

 見えた。

 あの明かりだ。

 何故か周囲から『アメノ屋! アメノ屋!』『千駄ヶ谷!』『[近江{おおみ}]や! いや大宮!』などという[歌舞伎{かぶき}]の合いの手のような声が聞こえて来るが、私は無視して更に近づく事にした。

 だが――

 もう少しで光の中の世界がのぞき込めそうだという所まで接近した瞬間、合いの手の声が聞こえてきた暗闇から――一斉に、視線を向けられたような気がした。

 光を全て呑み込むかのような漆黒の闇。

 その奥にいる無数の何かからの視線を、息づかいを、確かに私は覚えていた。

 

 イルカの調教師と話した時に見た、あの船の幻覚。

 今から思えばあれは幻覚ではなかったのではないかとも思えるが――

 とにかく、あの時の船の窓から感じたのと同じ『視線』が私の理性に襲いかかる。

 恐怖の値を計測するまでもない。

 私の心は成す[術{すべ}]もなく[蹂躙{じゅうりん}]され、正気を深海に散らす事になるであろうと確信したその瞬間――

 なにか丸い生物のようなものが私の腕を軽く[咥{くわ}]え、そのまま身体を光から遠ざけるようにこの身体を運び始めたではないか。

 なんだなんだ? 一体何が起こっている⁉︎

 光から距離を取ると、やがて視線は感じなくなる。

 助かった……のだろうか?

 私は混乱と恐怖に包まれながらも、必死に心を落ち着かせ、自分を無理矢理引っ張って運んでくれた『何か』に目を向ける。

 それは、青白い光を放つ、『0』と『1』の数列で構成された球体の何かだった。 

 更に言うならば、その上に誰かが乗っている。

 中性的な存在……というか、そもそも人かどうかも解らない。

 外見は人なのだが、どこか不思議な雰囲気を感じさせる。

 肩には半透明の[猛禽{もうきん}]類が乗っており、プリマドレスとアイドル衣装を合わせたような[煌{きら}]びやかな格好に身を包んでいる。

 よく見ると、その人型の周囲にも『0』と『1』の数列が蠢いており、時折ノイズのような形で姿が霞むようにも見えた。

 まるで、ここだけ深海とは[乖離{かいり}]された別の空間であるかのような……。

 いや……そもそもの疑問ではあるが、ここは海なのだろうか?

「海だよ? ただし、海は海でも電子の海さ」

 こちらの心を読むかのような言葉。

 私の前に立つ者達は、そういえば不思議とこちらの心を読んでいるような気がする。

 その疑問も読み取ったのか、目の前の不思議な存在は、中性的な声で言った。

「まあ、ボクの場合は、君の心にハッキングしてる感じかな」

 ハッキング。

 そういえば電子の海と言っていたような……。

 ならば、今までみた光の中の世界も、バーチャルか何かのような存在なのだろうか?

「おっと、説明の手間が省けるね。……いや、自分でも世界の在り方を理解しはじめてるのかな? まあいいや。それより、あの光には近づかない方がいいよ。光ってはいるけれど、あれは実質底なしの暗闇みたいなものだから」

 そう言って、アメノセイの声が聞こえてきた光に目を向ける謎の存在。

「あれは、同じアメノセイでも君とは完全に別の世界の存在だよ。なにしろ古い[旧{ふる}]い神様のプロデュースだ。手を出さない方がいい」

 旧い神様。

 気になるキーワードが出て来たが、それよりも君は一体何者なのか。

 そう尋ねると、あっさりとした調子で『それ』は答えた。

「ボクはまあ、コンピューターウイルスみたいなものかな」

 電子の海に潜む、コンピューターウイルス。

 君がウイルスなら、私はなんだ?

「君はただのバグさ。見つかったら修正される。本当は君は管理者側の存在の筈なんだけれど……色々と、曖昧な状態になってるみたいだね」

 修正。

 あまりよろしくない事をされるのだという事は、雰囲気で理解した。

「面白いバグになれば消去されないと思うよ。買い切りゲームのアイテム増殖バグみたいなね。オンラインなら修正されちゃうだろうけど」

 気休めにもならない事を言ったウイルスは、そのまま私の手を引き、水面へと上昇を始める。

「ここは、本来君がいるべき場所じゃあない。君は電子の海の外で、君の立場からアメノセイを見つける必要があるんだからね」

 私の、立場から?

「可能性は一度収束しかけたのに、君が無意識のうちに[日和{ひよ}]ったせいでまた拡散を始めたよ。拡がりきる前に集めないと、今度こそ君は暗闇に溶けて沈む事になる」

 ああ、そうか。

 私を呑み込んだあの流星は、一つのチャンスだったのだろう。

 アメノセイに、きっと私は届きかけていたのだ。

 手を伸ばせば届きそうだったのに、私が憶病だったせいで波に攫われてしまった。

 なら、この自称コンピューターウイルスとやらは、どうして私を助けてくれるのだろうか?

「その答えも、君が探さなきゃ意味がないでしょ?」

 あっさりと言い放ち、上へ上へと私の身体を勢い良く引き上げる。

 水面の明かりが見えた。

 雨は止んでいるようだ。眩い太陽の光が散乱している。

 私は引き上げられるだけではなく、自然と手足をばたつかせ、自力で浮かび上がるべく

 

 何かを、何かを掴みかけている気がする。

 だからこそ、私は藻掻いた。

 一刻も早く、浮かび上がらなければならない。

 気付けば、自称ウイルスの姿は消えていた。

 だが、関係ない。

 自分の手で、私は水面に向かって泳ぎ続ける。

 

 この海を出て、今一度――星の海へと飛び立つ為に。

 

                 ∞

 

13、『[懺悔{ざんげ}]室。あるいは、エクスキューショナー』

 

 本当の事を知る事で、世界は何を孕むというのか。

 私には解らない。

 だが、私は真実を掴まなければならない。

 そこに正しさがあろうがなかろうが、それが私の存在する意味なのだから。

 私は自分の中に生まれた『アメノセイを探す』という使命感を完全に取り戻し、水面から勢い良く跳び上がった。

 まるでトビウオのように、私の身体が水面から高く舞い上がる。

 人間離れした動きだという自覚はあるが、不思議と混乱はない。

 今の自分ならばこのぐらい飛べるという自覚はあった。

 私は自由になったのだ。今こそ、この自由を最大限に行使し、アメノセイの正体を――

「申し訳ありません。また、一緒に来て頂けますか?」

 再び水面に落下するより前に、私は天使に腕を掴まれた。

 幼馴染みとの食事会の帰りに私に弓を放った、あの天使だ。

 今、そういう流れじゃなかったのでは⁉︎

 もっと、こう……シリアスな流れだったというか……!

 そもそも、君の出番はもう終わった筈だろう⁉︎

 

 

 私が運ばれたのは、近くにあった港街だ。

 だが、やはり夢か妄想の側の世界なのだろうと思えたのは――

 その島の住人達が、鮮やかな赤や青、緑の肌に角を生やした、[御伽{おとぎ}] [噺{ばなし}]に出てくるような鬼達だったからだ。

 鬼の島……鬼ヶ島かここは。

 まあ、今さら鬼が出て来たところで驚かない。御伽噺と較べてやけにフレンドリーで、天使に連行される私に「ダイジョウブか?」と気遣うような声をかけてきてくれる。

 引き連れられたまま周囲にいる鬼の人達に話を聞くと、近くにある鬼の島出身の鬼達が多く住んでおり、その島では何代か前の鬼の姫が『トモダチ』という言葉を皆に教えた結果、人間との交流を積極的に行うようになったとの事だ。

 なるほど、確かに自分の見知った建築様式とは少し違うが、少し都心から離れた港街という雰囲気はある。

 ならば、裁判所の一つや二つあるのだろう。

 またあのヘンテコな裁判の繰り返しか……と溜息を吐いた私だったが――

 天使によって最終的に運ばれたのは、裁判所ではなく教会だった。

 宗教には詳しくないが、映画でよく見かけるような懺悔室の中に叩き込まれ、天使はその外で私が逃げ出さないように入口を塞いでいた。

「汝の罪をここに告白しなさい」

 そんな声が、懺悔室の窓の向こう側――恐らくは神父か牧師がいるであろうスペースから聞こえて来る。

 罪の告白。

 一体何を告白すれば良いのだろう。

 そもそも、ここで懺悔をすれば、神様は許してくれるのだろうか。

 仮に神様の前で有罪だとされてしまったら、そのまま断罪されるのだろうか。

 私の罪……? 

 罪とはなんだ?

 普通の観点でいえば、疲労が溜まっていたのが原因とは言え、自ら死を選ぼうとした事だろうか? あるいは、アメノセイという存在を独占しようとしたことか、その為に武術のかけ声という形に存在をねじ曲げてしまった事だろうか……。

 だが、私が現在進行形で行っている最大の罪は――

 アメノセイを、まだ見つけられていない事だろう。

 これまで出会った人達の話を総合するに、アメノセイは無限の可能性を持っており、私の意志のようなものがキーとなるか……あるいは観測する事で状態が確定するシュレディンガーの猫のようなものなのだろうか。

 だからこそ、私はこれからきちんと『アメノセイ』と向き合う事で罪を贖い――――

 

「判決はまだですか。断罪の刃の準備はできていますよ?」

 

 懺悔室の後ろのカーテンが開き、死神の鎌を持った死刑執行人(?)がひょっこり顔を覗かせた。天使はどうやら仕事を終えたようで、教会の隅で手紙の束をいそいそと整理している。

 空気を読んで欲しい。そもそもここは裁判所ではないのに判決もなにもないではないか。

 しかも、斬撃の刃といいながら分厚いナタにしか見えない刃物を手にしている。

 懺悔室だと思ったら、こいつはとんだ斬撃室だ。

「そう言わずに、全部吐き出しちゃいましょうよ。[穢{けが}]れを絞りに絞って、いっそ悪魔みたいになっちゃって下さい。私が洗いざらい断罪して全て終わらせてあげますから」

 天使の代わりに現れた死刑執行人が、何やら怖い事を言いだした。

 このままでは、判決やらなにやらを待たずに、独断でこちらを処断しかねない。

 なんとかして逃げなければと思案していると、カーテンの向こうから声が響いた。

「待て」

 そして、私の懺悔を聞こうとしていた神父、あるいは牧師が顔を出したのだが――その服装は、神父とも牧師とも程遠いものだった。

「あ、あなたは……」

 死刑執行人の声に、驚愕の響きが混じる。

 それは小さな王冠を頭に乗せ、気品のある旧い欧州貴族風の装束を身に纏った若者だった。

 一目で高貴な存在なのだろうと解るその若者が現れた事で、場の空気が一変する。

 

「王子!」

「姫!」

「王子様だ!」

「姫様!」

 教会の中にいた人間や鬼、私を連れて来た天使までもが口々に驚きの声を漏らした。

 ――え、どっち? それとも、姫も王子呼びするのが自然な形の国?

 男なのか女なのか解らぬまま、教会の参拝者達や天使が一斉に[膝{ひざ}]をついて[畏{かしこ}]まる。

 この世界では、天使よりも王子や姫の方が偉いのだろうか?

 確か、さっきの鬼の人達が『近くにある鬼の島の姫が、トモダチという概念を伝えた』と言っていたが、そのお姫様の縁者か何かだろうか。確かにチョンと突き出た髪の毛がツノのように見えなくもない。

 そんなどうでも良い事を気にしている内に、王子、あるいは姫と呼ばれた若者が私の前にまで歩み寄ってきた。

「懺悔は本来神が聞くもの。君の懺悔を元に裁くわけにはいかないが、これまでの君の行動を[鑑{かんが}]み、敢えて私が一人の『トモダチ』として君を[裁{さば}]こう」

 王族の裁き。

 初対面の私を友を扱うかのように丁寧に扱ってくれるのは嬉しいのだが、権力者による直接の裁きと言われると、なんとなく裁判所の裁きよりも厳しくなりそうな予感がする。

 一方で、[恩赦{おんしゃ}]を与えてくれそうなイメージもあるが、私の心は不安の方が[勝{まさ}]っていた。

「君の罪は、『まだ気付いていない』という事そのものだ」

 気付いていない?

 一体、何に?

 自分の罪に、という事だろうか?

 それとも、まだ何か根本的な事を見落としているのか……?

 私の疑問には答えず、高貴なる存在は淡々とした調子で私に一つの[沙汰{さた}]を下した。

 

「君を妄想世界追放の刑とする。現実に戻って、己を見つめ直すがいい」

 

                 ∞

 

14、『アメノセイ占い下半期。あるいは、レッツゴー! [陰陽師{おんみょうじ}]』

 

 それは果たして、恩赦だったのか厳しい沙汰だったのか。

 今となっては、もう何も解らない。

 

 ベッドから目が醒めた今――

 果たしてあれが、本当に夢だったのかどうかさえ。

 

 

 ともあれ、私は日常に戻って来た。

 いつも通りの朝食を食べ、いつも通りの生活を送る。

 まるで狐につままれたような気分だ。

 ……本当に私は、戻って来れたのだろうか?

 確認する為に、結婚報告をしてくれた幼馴染み達にメールを送ってみる。

 すると、『スピーチよろしくな』という返事が来たので、恐らくあの喫茶店での会話は現実にあったと見るべきだろう。だが……どこから夢に迷い込んだのか、それが全く解らなかった。

 夢というにはあまりにも生々しく、いまだに記憶にハッキリと残っている。

 尋常ではない体験をした、というのは確かだ。

 念の為に病院で色々と見て貰ったが、健康そのものという事で、疲れによるものだろうと言われるだけだった。

 友人知人に相談しても『疲れているんじゃないか?』と心配され、アメノセイが見つからないというのも、そもそも最初に聞いた名前を聞き間違えているだけだろうと言われた。

 しかし……それだけは有り得ない、という確信がある。

 アメノセイ。アメノセイ。

 その響きが聞き間違いだとはどうしても思えないのだ。

 あるいは、あの電車に私が飛び込みかけた時すらも夢の中だったとでも言うのだろうか?

 だが、妄想だとしてもあまりにも脈絡がなさ過ぎるのではないか?

 夢ならば脈絡がなくてもわかる。だが、あそこまでハッキリとした[明晰夢{めいせきむ}]を見るからには、何かしら全てがつながっているのでは?

 あの懺悔室で『裁判長』ではなく『王様』が出て来たという事には、何かしら意味があるのではないだろうか?

 このままモヤモヤとした人生を送るぐらいなら、いっそ妄想の世界に生きた方が本当の人生を[謳歌{おうか}]していると言えるのではなかろうか。

 だが、時折出会うあの『[虚無{きょむ}]』が怖い。

 弓で撃たれるのも、逮捕されるのも、死刑執行人も怖い。

 王様の沙汰とやらに逆らってまた『あちら側』に戻ったりしたら、今度こそ死刑にでもされてしまうかもしれない。

 ギロチンにかけられる自分を想像し、『そういえば、寧ろギロチンが多用されたフランスでは王族に対してもその刃が落ちたのだなぁ』、などと歴史と処刑器具の悲哀を感じながら道を歩いていると、気付けば私は最初に訪れた『山の神』を名乗る占い師の元へと足を運んでいた。

 そう、こうなれば神頼みだろうと繰り返しだろうと知った事か。

 同じ事の繰り返しでも、2周目ならば新たな発見があるかもしれない。

 私はそう決意し、占い師のビルに赴いたのだが――

 どうやら期間限定のブースだったようで、既に占いコーナーは無くなっていた。

 代わりに、ビルの一画に次のような看板がかけられている。

 

【陰陽・モノノケ・困った時はこちらまで! 

  すぐに呼ぶべき陰陽師――[五{ご}] [里{り}] [乃{の}] [温{う}] [羅{ら}] [麻{ま}] [呂{ろ}]】

 

 陰陽師。

 これはまた、占い師と同じ方向性のようで雰囲気が違うものが出て来た。

 だが、これはチャンスなのでは?

 あの虚無めいた暗闇の怪物や謎の天使などに対処するには、占い師よりも陰陽師の力の方が対抗できそうなイメージがある。

 アレらが果たしてモノノケや妖怪とカテゴライズして良いものなのかは[甚{はなは}]だ疑問ではあるが、何もしないよりはマシだろう。

 私はポジティブに考え、自分の心の[靄{もや}]を払うべく、そのブースの中に一歩足を踏み入れた。

 

 ゴリラ。

 

 そこに居たのは、陰陽師の装束に身を包んだ一頭のゴリラだった。

 ゴリラのような厳つい顔、という意味ではない。

 文字通り、本物のゴリラだ。森の賢人、ドラミングマイスター。

 いや、その圧倒的な雰囲気と紳士的な[佇{たたず}]まいから、動物扱いするのは[躊躇{とまど}]われる。

 一頭というより一人の、いやさ一角の陰陽師がそこに堂々と[鎮座{ちんざ}]していた。

 しかし、やはり完全にゴリラだ。

 筋肉はゴリラ。瞳もゴリラ。森の紳士はゴリラのパワー。

「迷える御方よ、遠路[遙々{はるばる}]よくぞ参られました」

 だが、あまりにもゴリラであるその陰陽師が朗々として日本語を語り始めた事で、私は自分が再び何らかの異界に足を踏み入れたと確信したのだが――

 ゴリラの陰陽師は、まっとうな事を言いだした。

「陰陽とは元来欲望を叶えるものではございません。陰陽五行思想を元にした[除災{じょさい}]、[厄除{やくよ}]けを旨とする地相学や[暦学{れきがく}]が、平安の陰陽寮において道教と交わる事で成熟した深遠なる学問にございます。皆々様の暮らしに近いところでは、[暦{こよみ}]における立春や立夏、土用の[丑{うし}]の日にひのえうま……なといった所にその流れを[視{み}]る事ができましょう」

 ゴリラの口から語られる言葉は、まるで私に陰陽道というものを伝える講師であるかのように私の心に響き渡る。

 いけない。喋るゴリラ相手だから私の奇妙な体験もすんなりと話せるだろうと思っていたが、これはかなり切り出しづらい。

 だが、立ち止まるわけにもいかない。

 私は恐る恐る、これまでの体験を眼前のゴリラへと語り始めた。

 

 

 全てを聞き終えたゴリラは、神妙な顔をして私に告げる。

「お話は理解致しました。まさにあなたが歩んでいるのは陰陽の道、光と闇が交わる境目というものです。ですが、陰陽道における陰と陽とは、善悪二元論とは全く異なるもの……元来、そこに正邪の区別はございません。全ては陰陽入り交じった[混沌{こんとん}]から生まれ[出{い}]で、[森羅万象{しんらばんしょう}]あらゆるものに光と闇はあるのです。故に、闇を[怖{おそ}]れる事なかれ、現実も夢も、どちらの世界もあなたを構成する要素なのです。かのアメノセイなる者は妖異であるやもしれぬし、自然の申し子かもしれませぬ。[敢{あ}]えて言うならば、その未知なる存在に対して抱く不安、恐怖、そして生まれ出でる欲望こそが、あなたの閉ざされた心の闇に救う悪鬼悪霊と言えましょうや。悪霊退散悪霊退散。[道満{どうまん}] [晴明{せいまん}]道満晴明……」

 つまり、私はどうすればいいのでしょうか。

 そう尋ねると、陰陽師は神妙な顔のまま[告{つ}]げた。

「アメノセイはまさに陰陽・五行、全ての素を身に宿した混沌の[塊{かたまり}]。あなたが今まで見て来た世界は、その[何{いず}]れもが正しくアメノセイを構成する要素であり、同時にアメノセイを否定する要素でもある。私どもの世界においても、アメノセイと呼ばれる[安倍{あべの}] [晴明{せいめい}]ゆかりの[式神{しきがみ}]の存在が泡のように浮かび上がる事もありますが、あなたの目の前で同じ相を見せるとは限りません」

 

「それでも、あなたが真実のアメノセイを求めるというのであれば――ただ、お待ちなさい。追うのではなく、自らの生の地盤を固めながらお待ちなさい。待ち続ければ、裏庭にいた青き鳥のごとく、アメノセイは確固たる存在としてあなたの前に浮かび上がる事でしょう」

 

                 ∞

 

15、『――――――あるいは、雨声ユニバース。』

 

 陰陽師にそう言われた私は、言われた通りに、ただ普通に日常を過ごし続けた。

 喋るゴリラの陰陽師に言われた通りにするというのが『普通の日常』と言うべきなのかどうかは迷ったものの、私はいつしか自分の生活に追われ、一年、二年と経つうちに次第にアメノセイの事を考えなくなり始めた。

 

 

 いったい、どれほどの時が[経{た}]っただろうか。

 年号が変わるという特別なゴールデンウィークを迎えた私は、雨音を聞きながら、一人家のソファでまどろんでいた。

 雨の音が聞こえる。

 しとしとと降り注ぐ雨は次第にその音を強め、ざあざあ、ゴウゴウと音を強めていく。

 雨音は、激しくなろうが落ち着こうが、透明な声となって微睡みの中の私の心に響き渡る。

 まるで、深い海の中に潜り込んだような気分だ。

 私はただ、待ち続ける。

 ……?

 私は、何を待っているんだったかな……。

 

【――国の首相は、戦時における運用を見越した新型兵器の開発について――】

 

 テレビの中では、今日も[陰鬱{いんうつ}]なニュースが流れている。

 せっかくのゴールデンウィークなのに、雨のせいであまり出歩く気になれない。

 ……。

 雨のせい。

 雨のせい、か。

 久しぶりに、アメノセイの事を思いだした。

 ああ、だが、それ以上の感情は起こらない。

 全ては微睡みの中に呑み込まれていく。

 記憶が消えていく。

 あの長い旅も、様々な出会いも、恐怖も、興奮も、研究所らしき場所で歌声を聞いた時のあの感動さえも、全て私の心の水底へと沈み、流され、落ちていく。

 それもこれも、すべては雨のせい……

 

   ――「●●さん」

 

 どこかから、コエが聞こえる。

 

          ――「●●さん」

 

 あの時――宇宙空間で聞こえて来た、あのコエに似ている気がする。

 [別{わか}]れのコエ。出会いのコエ。

 断末魔の[嘆{なげ}]きにして、[産声{うぶごえ}]の歓喜。

 ……。

 止めてくれ、私はもう、日常に戻るんだ。

 今さら引き戻さないでくれ。

 いったい、私をどうしたいんだ?

 

 ……。

 いや、違う。

 私が、どうしたいんだ……?

 

 ゆっくりと起き上がり、私は微睡みに足を取られながらコエのする方へと向かった。

「●●さん、速達です」

 玄関の扉を開くと、そこにはまだ若い配達人がずぶ濡れになって立っていた。

 しかしその顔は……ま、まさか、あの時の天使⁉︎ そういえば、教会の中で何か手紙を準備していたような……⁉︎

 [焦{あせ}]る私に、郵便配達人は淡々と手紙を渡してくる。

 差出人は、どこかの病院の名前が書いてある。

 ズキリ、と、頭が痛む。

 なんだろう。どこかで聞いた覚えがあるような……。

 

 顔をあげると、郵便屋は消えていた。

 不思議に思うも、今はそれどころではない。

 私は何かに取り憑かれたように、心臓の鼓動を早めながらその手紙の封を開いた。

 そして、そこに書かれていたのは――――。

 

【治療日程のお知らせについて】

 

「え? ……え? あ……」

 何かが、何かが[湧{わ}]き上がる。

 心の奥底から。

 その文字列を見ただけで――失った何が、私の心にポッカリと空いた穴から――。

 

                 ∞

 

16、『ドーナツホール。そして、あいでん・あいどんのう』

 

――「……これは形式上聞くだけなので、もし違っていたら聞き流して頂きたいのですが――」

――「あなたがその『アメノセイ』を追い求め始める前後に、自殺を考えられた事はありませんか?」

――「記憶除去手術……やはり、受けた記録がありますね」

――「なに、貴方が受けたのは、まだ国に禁止される前の話です。違法性はありません」

――「全てを思い出せば、また[後悔{ざんげ}]するかもしれません、思い悩むかもしれません」

――「ですが、死のう、などとは思わないで下さい」

 

――「ええ、ええ。すべて、雨のせいにすれば宜しいのですよ」

 

 

――「記憶を見つめて……」

     「心の中に自分の手の平を思い浮かべて下さい」

――「その指に触れて……」

     「イメージして下さい」

――「時よりも深く……深い底に……」

     「あなたの心は沈んでいきます」

――「瞬くにつれて……」

     「止まっていたあなたの心は過去に遡ります」

――「また時を止めて……」

     「あなたの旅路の始まりを、ゆっくりと思い出して下さい」

 

 

「そう……それが、あなたが忘れていた『全て』です」

 

 気付くと、私は清潔感のある診察室の中にいた。

 目の前にいるのは、一人の医師。

「どうですか、今回は、どこまで思い出せましたか?」

 そう、だ。

 思い出した。

 何もかも。

 私は、ここに定期検診に来て……。

 そこで、催眠療法で、消した記憶をなんとか引き出そうと……。

 私は、今見えた物の全てを語った。

 すると、医者は落ち込むでも喜ぶでもなく、淡々と所見について教えてくれた。

 

「少しずつですが、記憶が戻って来ていますね。ナノマシンの抑制剤が効いているのかもしれません。元より、ナノマシンで消された記憶も、脳の何れかの部分に保存されているのではないかという学説はありましたが……それがフィードバックされる事で治療となる、という事があるのかもしれません。いえ、あくまで学説段階ですので治療として私が口にする事ではないのですが……希望はある、と思って頂いて結構です」

 

 記憶除去手術。

 ナノマシンと脳神経科学の発達により生まれた、トラウマや嫌な記憶などを脳の中から除去するという画期的な技術。

 だが、それには後から発覚した[重篤{じゅうとく}]な副作用があった。

 手術を受けてトラウマを消し、新たな一歩を踏み出した人々が――やがて心を壊し、自殺を[量{はか}]る様になり始めたのだ。

 国によって禁止されたその手術、今では闇医者の間で横行しているらしいが――私は、国によって禁止される前に受けた患者の一人であり、現在は自殺を防ぐ為に『失った記憶を取り戻す』為の様々な治療を[試{こころ}]みているところだ。

 

「脳というのは、一部が器質的に損傷をしても周辺の組織がその部分の機能を補います。それと同じ事が記憶にも起こると考えられていますが――禁止前の術式では、ナノマシンの力によってその作用を阻害していました。今、あなたに行っている治療は、そのナノマシンの機能を逆に抑制する事で、脳の記憶の自己修復を[促{うなが}]そうとしている形となります。ここまでは、思い出して頂けましたか?」

 私が頷くと、医者は更に解説の言葉を続けて行く。

「途中で夢のような記憶が混じっているのは、そのフィードバック時の混乱によるものでしょうね。時折出てくる『虚無からの視線』と呼ぶような存在は、記憶を消去した事によって生まれた脳内の空白領域に対する脳全体の反応を、脳が視覚的な疑似記憶として処理したものかもしれません。深海の光景や宇宙の光景、天使や鬼なども、あなたがかつて見た物語などから、貴方の失われた記憶を補修しようとして生み出されたパッチワークのようなものでしょうね」

 話は……納得できる気がします。

 ですが、先生。

 それならば……それならば、私の思い出した記憶は、どこからどこまでが現実だったのでしょうか?

 そう尋ねた私に、先生は言った。

「あなたのご友人が結婚する、という話ですが……具体的に、どのような名前の方々でしょう? 必要があれば、こちらの方でお調べしますが」

 

 ああ、そうだ、あいつらの思い出を基準にして……。

 は……あれ?

 え、あれ? ちょっと待って、ちょっと待って下さい、先生。

 覚えている筈なんです。あいつらは、だって、子供の頃から……。

「落ち着いて下さい。ゆっくりと、説明してください。その、あなたに結婚式のスピーチを頼んできたという御友人達は、どのような顔をしていましたか?」

 顔?

 顔は、そんなの……。

 ああ、そうだ。思い出せる。

 良かった、ハッキリと思い出せるぞ。

 学生の頃から同じ顔だ。二人とも、同じ顔……だ……?

 セーラー服と学ランを身に纏った、記憶の中の私の友人達。

 だが、その二人の顔を思い出すと……双子でもないのに、二人は全く同じ顔をしていた。

 黒髪で中性的な顔をしていて、髪型は、ツノにも見えるくせっ毛が……。

 ……。

 …………。

 私の思考は、そこで一度停止した。

 そこに追い打ちを掛けるように、医者の声が響く。

「あなたが最初に出会ったという高校生達、どのような顔をしていましたか」

 ああ、あの時振り返った学生達は……そうだ、今風のブレザー服を[纏{まと}]った男女の二人は……黒髪で、中性的な顔で、ツノにも見えるくせっ毛……。

「あなたに道を示した占い師は、どのような顔をしていましたか?」

 あの、山の神を名乗った占い師は……黒髪で、中性的な顔で……。

「あなたが海辺で出会ったイルカの調教師は、どのような顔をしていましたか?」

 水族館で私に怪談を語ったあの調教師は……黒髪で……中性的な……。

「あなたを裁判所に連行した天使は? あなたを逮捕した警官は? 留置所で出会ったという孤独な子供は? あなたの武術道場の先輩はいかがですか?」

 黒髪……ツノのようなくせっ毛……。

「あなたの前でサントリーの飲料を買った女性は――」

 あれは……違う人でした。

「……? まあいいでしょう。貴方に[示唆{しさ}]的な事を言った傘を差した女性は、貴方が出会ったというコンピューターウイルスや、海の中の歌姫達は[如何{いかが}]です?」

 歌姫は……違う気がしますが……他の二人は……同じ顔を……。

 ああ、そうだ。

 私を裁いた王族の人間も、私に手紙を届けた郵便屋も、私の記憶の旅の中で何度も何度も何度も私の世界を『調整』してきたのは……全て、同じ顔をしていたじゃあないか。

「そう、貴方に生活を安定させるように告げた陰陽師は、どのような顔をしていましたか!」

 あ、それはゴリラでした。

「⁉︎」

 ……うん、はい。間違い無く、一角のゴリラでした。

「そ、そうですか……」

 100%、ゴリラでした。

 まごうこと無き、ゴリラでした。

「な、なるほど。一旦休憩としましょう」

 

 控え室に戻ってきた私は、絶望的な気持ちになっていた。

 もう、今の私にとっては、あの旅は無かったにも[等{ひと}]しい。

 全て、私の脳内で都合のいいように『補われた』記憶だっただなんて……。

 旅路で出会った人々を思い出してみる

 もう一回、いや、何回繰り返したところで、思い出すのはその顔だ。

 出てくるのは、いつも……いつも同じ顔だ。

 

 ――少しは統一性を持たせようとは思わないのか。

 私はかつて、奇妙な世界の中で誰かにそう突っ込んだ事がある。

 だが、それは私の勘違いだった。

 あった、統一性はあったのだ。

 全て、今の私に辿り着く為に、消された記憶を埋める為に寄せ集められた、私の過去のツギハギだったのだろう。

 ああ、天使の弓矢で胸を射貫かれたのも、何らかの示唆だったに違いない。

 メッセージは[矢文{やぶみ}]となって、ずっと私に刺さり続けていた。

 だが、私はその意味に気付く事ができなかったのだ。

 刺さった場所が――私の心の中心が、ドーナツの穴のように空洞だったからに違いない。

 私自身は、確かに世界の中心であったのだ。

 それなのに、自分の姿を見失って、宇宙の孤独と一体化していたのだろう。

 

 本当に、私の治療は進んでいるのだろうか?

 失った記憶を妄想で[補{おぎな}]って、何か変わるというのだろうか?

 私はそれ以上考える事を放棄し、ぼんやりと控え室に置かれたテレビを眺めていた。

 画面の中では、二次元と現実の間のような不思議な美少女が美しい声で歌っている。

 私の妄想が造り出した、中性的なくせっ毛の子ではない。まったくの別人である事が、これが現実なのだろうと確信させる。

 気を[紛{まぎ}]らわせようとスマートフォンで調べてみると、どうやら彼女は『バーチャルYouTuber』というものらしい。

 そうか。

 今はそういう時代なのか。

 記憶を無くして彷徨っている間に、そんな所まで時代は進んでしまったのか。

 未来的で魅力的な服装を纏ったそのキャラクターは、何やら自分が今度出るテレビ番組の宣伝をしているようだ。

 

 しがつついたちさんち……と読むのだろうか?

 

 そんな事を考えていた私は、ふと思いついた事がある。

 そうだ、あの電車に飛び込む直前に聞いた声……。

 あれは、YouTuberだとばかり思っていたが、もしかしたら、あのキャラクターと同じようなバーチャルYouTuberという奴だったのではないか?

 ああ、なるほど、現実では会えないわけ……

 

 ……。

 ……?

 いや、待て。

 結局、アメノセイとは誰なんだ?

 

 何故、あそこからなんだ?

 どうして、催眠療法の起源を……『アメノセイ』という単語を私が聞いた所から始めた?

 私が削除した記憶とはなんだ? 

 アメノセイは、実在しているのか?

 それとも、アメノセイとやらも、私の脳が、失った記憶を補おうとして生み出した存在の一つなのだろうか……?

 

「やめておきなさい」

 背後から響いた声に振り返ると、そこにはいつの間にか私の主治医の先生が立っていた。

「見たく無い物を見る事になりますよ」

 違う、見なくちゃいけないんです先生。

 それが、宇宙の始まりと終わりを同時に見た私の義務であり、深海に囚われた魂を救い出す為に必要な裁判であり王命なのであって、私は滅びた世界を救わなければならないんです今度こそ今度こそ、私は兵器ではなく――――

「混乱していますね。テレビを消しましょう」

 映像が消え、真っ暗になった画面に私の顔が映った。

 そこに映し出されていたのは――中性的な顔立ちに、くせっ毛が特徴的な顔だった。

 

 ああ、そうだ。

 そうだったのか!

 私が、いや、ボクこそが!

 ボクの名前は、アメノセイ――――

 

 叫びかけたボクの肩に、医者の先生がブスリと注射器の針を突き刺した。

 何かが身体の中に入ってきて――ボクの意識は曖昧になっていく。

 最後に、医者の声が頭に響いた

「もう限界か……いや、あるいは……完璧に治療が終わった、というべきかもしれない」

 暗闇に落ちる直前、医者の先生は寂しげに笑いながら、ただ、言葉を――――

「そろそろ、本当に真実を知る時が来たのかもしれないね」

 

                 ∞

 

17、『もう一人じゃない! あるいは、右肩の[蝶{ちょう}]』

 

 不協和音が、ずっと響いていた。

 

 私の、ボクの名前は、アメノセイ……

 暗闇を漂いながら、そんな事を考える。

 宇宙空間ではない。深海でもない。

 光の息吹も生命の気配も感じない、本当にただの暗闇だ。

 そんな中を漂うボクの耳に、再び不協和音が響き[渉{わた}]る。

 人の声を[模{かたど}]り、意味を成してボクの心を掻{か}]きむしる不協和音だ。

「境界線を越えてしまった君、いや、もはや『私』と言うべきかな?」

 それは、ボクを治療していた、あの医者の先生の声だった。

「始まりは[些細{ささい}]な事だったのに、死ぬ程後悔する[羽目{はめ}]になったね。いや、実際に死にかけたわけだが」

 何を言っているんだ? 

 ボクは、アメノセイ……アメノセイだ……。

 生まれたばかりの……バーチャルユーチューバーで……。

 最終兵器で……旧い神様の奴隷で……昔は五人の別の人間で……。

 

「違う違う違う、それは全て、『他の』アメノセイだ。君ではない」

 

「君は、何人ものアメノセイを見てきただろう? いくつもの、アメノセイが息づく世界を見てきただろう? それを支配するのは[傲慢{ごうまん}]というものだ」

 

「そもそも……君は――アメノセイではないくせに」

 

 ……。

 ……ああ、そうだ。

 これ以上は……無理だ。

 自分で自分を……[誤{ご}] [魔{ま}] [化{か}]せない。

 汚せない……あの、無限に拡がるアメノセイを……。

 私なんかのエゴで……穢すわけには……

 私は、ただ……

 自分がアメノセイになれると勘違いしていた……ただの、[紛{まが}]い物だ。

 

「サントリーの少女にゴリラ……か。なるほど、他の者も含めて、どうやらコラボをし過ぎたらしいねえ。アメノセイが他者と繋がった事で、私の閉じた世界はこじ開けられてしまった。もう、私は私自身を誤魔化せなくなった。それはもちろん、アメノセイにとっては良いことなのだがね」

 

 医者の声は、私の口から吐き出されていた。

 

「そうか……過去がなくとも、記憶が無くとも、無限に正体が変化する存在であろうとも……。アメノセイは、もう、孤独ではないという事か」

 

 注射を打たれた右肩のあたりが[疼{うず}]いている気がする。

 

「おめでとう、私。さようなら、私」

 

 なにか、蝶が肩の上で舞っているかのような……。

 

「どうやら、この[病棟{世界}]から[退院する{目覚める}]時が来たようだ」

 もう、先生の声は不協和音ではなくなっていた。

 今、私の心の声と、完全に調和したのだから。

 その声ももはや聞こえる事はなく、入れ替わるように、世界が光に包まれ――――

 

 

18『アメノセイ、そして、レインメーカー』

 

 右肩のあたりから、音が聞こえる。

 そちらに視線を動かすと、身体中がギチギチと軋んだ。

 時間をかけてようやく顔を右に傾けると、小さなテーブルの上にノートパソコンが置かれており、中性的な顔立ちのVTuberが漫談を繰り広げていた。

 ああ、知っている。

 私は、このVTuberの名前を知っている。

 アメノセイ。

 [ⅡⅤ{トゥー・ファイブ}]という会社に所属している、売り出し中のキャラクターだ。

 私の所属しているN高校で人気を[博{はく}]しており――

 

 ……私は、声が似ているのを良い事に……アメノセイになりすまそうとしたんだ。

 

「え……⁉︎ ●●さん⁉︎」

 

 ゆっくりと身体を起こした私の耳に、聞き慣れない声が響く。

 眼鏡にお下げ髪の、アメノセイとは全く違う顔をした、普通の看護師さんだ。

「目を醒ましたんですか⁉︎ 今、先生をお呼びしますから、無理に動かないで下さい!」

 

 それから先生の診察を受ける。

 [勿論{もちろん}]、夢の中の先生とは別人だ。

 あの先生の顔も、今思えばVTuberの一人にソックリだったような気がする。

 

 医者の先生の話が終わった所で、病室に母さんが飛び込んできた。

「●●! ああ、良かった……やっと、やっと目を醒ましたのね! 一週間よ! あんた、一週間も目を醒まさなかったのよう!」

 母さんは泣きながら私の肩をペシペシと叩き、看護師に[慌{あわ}]ててて止められている。

 それでも母さんは落ち着かず、半べそを掻きながら私に説教をした。

「あんた本当にバカだよう! アニメのキャラクターのフリしてる事がバレて、恥ずかしがって逃げて電車にぶつかるだなんて!」

 いや、アメノセイはアニメのキャラというのともちょっと違うんだけど……まあいいや、その説明を今の母にして通じるとは思えない。

「でも、良かった……生きててくれて本当に良かった!」

 泣きながら抱きついてくる母に申し訳ないと思いながら、私は自分の状況を認識して[気恥{きは}]ずかしさを覚えていた。

 

 私はアメノセイになりきろうとして、声が似ているのを良い事に、アメノセイに似たモデルを造り上げ、『アメノセイ非公式動画』を勝手に動画サイトに上げ続けていたのだ。

 それも、権利者削除されないように、マイナーな動画サイトを選び……時には学校の中で、『こんな動画があるよ』と自ら噂を広めたりして。

 だが、ある日それがバレた。

 駅の改札口を通り過ぎた所で、友人に「なあ……この偽アメノセイ、お前じゃね?」と言われ、恥ずかしさのあまり逃走したのだ。

 そして、もういっそ死にたいと思ったところで足を滑らせ、侵入してきた電車の側面に飛び込んでしまったのである。

 私の意識はそこで[途絶{とだ}]えたわけだが、幸いにして、それは私の夢に出て来たような特急電車ではなく、駅に止まりかけて減速していた電車であった為に一命はとりとめ、意識不明の状態で一週間生死の境を彷徨っていたそうだ。

 脳味噌自体には損傷は無かったものの、様々な要因が絡んで意識が戻らないのだろうと推測され、個室で治療を続けながら意識が回復するのを待っていた……との事らしい。

 横に置かれていたノートパソコンはというと、私の友人達が、『なりすますぐらいだから、きっとアメノセイが好きに違いない』と、ずっとアメノセイの曲が聴けるように看護師さんに管理をお願いしていたそうだ。

 個室の中で延々とアメノセイの再生リストを繰り返す。

 いや、なりすましがバレて恥ずかしくて逃げた直後にそれは逆に嫌がらせなのではないか?

 そりゃあ脳の機能は正常なのに目を醒ましたくもなくなる!

 とも思ったが、どうにも嫌味などではなく善意からの行動だったようで、私は『善意って怖いな』と思いながら一応感謝はする事にした。

 

 

「いやー、しかし良かった良かった。お前が目を醒まさなかったら、俺が罪悪感で潰れちまう所だったよ」

 翌日、私が偽アメノセイだと指摘した友人が御見舞いにやってきた。

 いけしゃあしゃあと笑顔で来られるあたり、大した面の皮だと思う。いや、なりすましをやっていた私が言える[台詞{せりふ}]ではないのだけれど。

 クラスで[嘲笑{ちょうしょう}]の的になっているのかと思いきや、代わる代わる御見舞いに来た友人達の話だと、私は「ばかだなあ」と言われつつも、「技術が凄い」と褒められてもいるのだそうだ。

 あまり嬉しくはない。

 アメノセイが高校で人気だとは言ったが、本当にアメノセイを一番好きだったのは私だという自信がある。

 プロの作家やイラストレーターが書いたアメノセイ小説もイラストも全て読み込んだし、配信動画も繰り返し繰り返し観ていた。

 一般公募されていたアメノセイ小説企画に投稿しようと思って[密{ひそ}]かに書きためていたのだが、どうやら意識不明の間に〆切が過ぎ去っていたらしい。

 

 ああ、大好きな『アメノセイ』の正体を想像して、自分だけのアメノセイを造り出すチャンスだったのに。

 自業自得で全てをふいにしたのだから仕方が無い。

 落ち込んでいる私に、暢気{のんき}]な調子で同級生が言った。

「そうそう、今、凄い人気の動画があるんだよ? VTuberの」

 もうVTuberはこりごりだよ。

 そう言ってジャンプしながら黒い枠に囲まれたい気分だったが、私も面の皮が相当に厚いのか、どんなキャラクターなのだろうと気になってしまった。

 そわそわしている私に、同級生が自分のスマホを見せながら言った。

「ああ、ほら、出て来た出て来た」

 通信OKの個室で本当に良かったと思いつつ、私はストリーミングの映像に目を通す。

 

『――初めましてじゃないけど、初めまして! [早乙女{さおとめ}] [由那{ゆな}]ですっ!』

 

 そこには、どこか[初々{ういうい}]しさが残りつつも、とても動画[映{ば}]えする声のVTuberが映し出されていた。

 そして、その短い動画を見て、私は理解した。

 これは――ラブレターだ。

 同じ学校の[石井{いしい}]という子に告白するためだけに、この子はVTuberになったのだ。

 何故? どうして?

 直接告白した方が早いのに?

 理由が気になるが、当然この動画の中に答えは無い。

 同時に、『疑問』は『興味』へと変わり、私の中でこの新しいVTuberへの可能性が広がり始める。

 そして――それは同時に、私自身の可能性が拡がる事も意味していた。

「ねえ」

 私は、見舞いに来てくれた同級生に尋ねかけた。

「ん? どうしたよ」

「私さ……VTuberになろうと思う」

 それを聞いた友人は、首を[傾{かし}]げながら言った。

「いや、もうなってたろ、アメノセイになりきって……」

「偽物じゃなくて、新しいVTuberになりたい」

 友人は[暫{しばら}]くきょとんとしていたが――

「ま、お前ならできるんじゃねえの。あの時だって、俺、お前のこと凄えなって褒めようとして声をかけたんだからよ」

 肩を[竦{すく}]めながら笑うと、手にしていたスマートフォンをヒラヒラと私の前で振って見せた。

 

「なんなら、今からでもこのスマホでなれんべよ? 今は便利だからな」

 

 私は病室のベッドからゆっくりと立ち上がり、スマートフォンのアプリのキャラメイク画面を弄りながら――ふと、空を見上げる。

 雨雲の合間から太陽と青空が覗く、全てが入り交じった光景だ。

 

 ――まさにあなたが歩んでいるのは陰陽の道、光と闇が交わる境目というものです。

 ――森羅万象あらゆるものに、光と闇はあるのです。

 

 陰陽師の服を着たゴリラが、雨雲の合間で笑った気がした。

 そこは太陽にかけてサントリーのあの子が来るべきなのではとも思ったが、ゴリラさんも凄い人(?)なので不服はない。

 ああ、私はもう大丈夫だ。

 たとえここがまだ夢の中だと言われようと、もう迷いはない。

 アメノセイの正体を探るためではなく、アメノセイと並ぶ為に私は歩み始める。

 そして――いつの日か、アメノセイと同じ画面の中で歌う為に。

 さっきの動画の少女のように――アメノセイに、自分の想いをぶつける為に。

 

 全てが雨のせいだと言うのなら、私は新しい雨の音を引き出そう。

 雨のコエを、もっともっと世界の中に広げる為に。

 アメノセイに会う事で、アメノセイに私の影響を与えてみせる。

 それもある意味、私の思い描くアメノセイ、と言えるのではないだろうか。

 

『某国で[秘密裏{ひみつり}]に行われていた人型兵器の開発は、「一〇〇二五」と名乗る団体の告発によって[頓挫{とんざ}]する結果となり――』

『話題沸騰の歌姫は、グラミー賞を見事に受賞し――』

 

 付けっぱなしにしていたラジオから、良く解らないが、何やら明るそうなニュースが次々と響いてくる。

 

 時は満ちた。

 後は踏み出すだけ。

 

 数多の歌声が、風となって背中を押す。

 

 そうれ、3、2、1――――――

 

                                     完

    *

 

【あとがき】

 

 どうも、初めましての方は初めまして。

 [成田{なりた}] [良悟{りょうご}]と申します。

 

 他の皆さんが書き終わった珠玉の作品の数々読ませて頂いた後に書き始めた上に、途中で色々あって〆切を大幅にオーバーしてしまいました……。本当に申し訳ございません。

 

 前書きにも書かせて頂きましたが、他の作家さん・イラストレーターさんの作成なされた各作品、並びにアメノセイの今までの動画、オリジナル曲、カバー曲、コラボなどを元に執筆させて頂きました。各楽曲、特にカバー曲に関しては、歌詞内の単語・フレーズ等を許諾案件にならない程度にネタとして組み込ませて頂いておりますが、曲に対しての考察や思想・批評などは全く込められておりませんので御理解頂ければ幸いです。歌詞をそのまま長く使っている曲に関しては許諾について申請する形となると思いますのでそこはⅡⅤさんにお任せしております。ありがとうございます……ⅡⅤさん……‼︎

 また、最後までお読みになって頂けた方にはお解りと思いますが、イラストや小説ネタに関しても、直接それぞれの作品の世界観を[弄{いじ}]るものではなく、あくまで独立した世界観ですので御理解頂ければ幸いです!

 この作品を造る原動力となった各小説、各イラスト、各楽曲を造った方々、並びに、アメノセイさんを初めとするVTuberの皆さん、本当にありがとうございました……‼︎

 

 ⅡⅤさんでは現在、【[虫籠{むしかご}]の[錠前{じょうまえ}]】というWOWOWさんのテレビドラマ、並びにcomicoさんでのスピンオフコミックの企画を進めさせて頂いております。

 電撃文庫の【Fate/strangeFake】【バッカーノ!】【デュラララ‼︎】などを初めとする小説群、講談社さんの【クロハと虹介】、スクウェア・エニックスさんの【デッドマウント・デスプレイ】と言った漫画原作、集英社さんの【BLEACH】のノベライズなど、様々な方面で仕事させて頂いております。

 ありがたい事に数多く仕事させて貰っておりますので、詳細は

https://twofive-iiv.jp/creators/ryohgonarita/

 のⅡⅤさんのページにて御確認頂ければ幸いです……!

 

 それでは、ここまでお付き合い頂きありがとうございました!

 今後ともⅡⅤさんとアメノセイ氏共々、宜しくお願いします……‼︎

 

                          成田良悟