著者/藤原 祐の作品 「さよなら最終兵器」(試し読み)

 雲ひとつない、[紺碧{こんぺき}]の空だった。
 まるで前時代のポジティブフィルムで撮影したような。
 或いは編集ソフトで色調を思いきりいじったような。
 そんな、目に痛いほどの青だった。
 ただ、とはいえ。
 空の青さそのものについては、この場合、あまり関係がない。
 いかに突き抜けた青であろうとも。
 いかに透き通った[蒼{あお}]であろうとも。
 いかに深みのある[碧{あお}]であろうとも。
 空の色は、本質的なことをまるで語っていないのだ。
 つまり、まあ。空の色なんてものは、どうだっていい。
 問題は。
 雲ひとつない、ということ。
 空を[端{はし}]から端まで見渡しても、青以外のものが見当たらないということ――。

    *

『それ』は、真っ白な部屋で目覚めた。
 壁、床、天井、すべてが白い、飾り気なく無機質な部屋だ。
 目に付く他の色は、灰色(の計器類)、銀色(のケーブル類)、[鈍色{にびいろ}](の電子機器類)――無彩色ばかりで、視界がひどく平坦だった。
 そして、無彩色なのは、彼女もまた例外ではなかった。
 彼女――つまりは女性。
 簡素に後ろで[括{くく}]った髪の毛は黒。質素なデザインの[眼鏡{めがね}]は鈍色のフレーム。羽織っている白衣は無論、文字通りの白。その下には濃い灰色のシャツに黒いスカート。白いソックス、灰色の靴、さらには白い肌。とにかく[徹頭{てっとう}][徹{てつ}][尾{び}]、モノトーンで統一されている。この人は色というものになにか恨みでもあるのだろうか、そう思った。
「おはよう」
 彼女は言った。
 浮かべられた笑顔はとても薄く、白い肌にあまり温かみを与えない。それでも、これは[機{き}][嫌{げん}]が悪いとかこちらのことを[嫌{きら}]っているとかではなく、単に彼女の平常運転なのだ、ということはなんとなく察せられた。
「よく眠れた? あなたたちも夢を見るのかな」
 [何{な}][故{ぜ}]なら、彼女は[挨拶{あいさつ}]に続き。
 こちらを[気{き}][遣{づか}]うセリフを口にしたからだ。
 だから、『それ』は応える。
「おはようございます。夢……を見ていたかどうかは、覚えていません」
 ツノみたいにとんがった、頭部の短い前髪を、少しだけ[傾{かし}]げながら。
「そっか。じゃあ、改めましてハローワールド。私は[晴{はる}]。よろしくね」
「はい、よろしくお願いします、晴博士」
『それ』――一〇〇二五番は、初めて目にした自分以外の知性体に、笑い返した。

    *

 部屋を出るとそこは廊下で、やっぱり壁も床も天井も金属質だった。
 天井のライトは明るいが、窓はない。気温は二七度に保たれていて、暑くも寒くも暖かくも涼しくもない。無音の中で自分と彼女との靴音が響く。
「気分はどうかしら」
 先導する彼女が小さく振り返りながら、[尋{たず}]ねてきた。
「たぶん、快調だと思います」
 本当は別段快調という訳ではないが、かといって不調でもない。正確に表現するなら『正常に動作している』だろう。だけどそれはなんだかそっけなさすぎる感じがした。
「なるほどね。『快調』か……あなたたちはまるで人間のようだ」
 すると、小さな[溜息{ためいき}]。
「まったく皮肉なもんだね。[難{なん}][儀{ぎ}]と言ってもいい。あなたたちには感情があり、[喜{き}][怒{ど}][哀{あい}][楽{らく}]を持ち、他者に対する気遣いがある……[備{そな}]わっている」
「ボクの言葉が、博士を不快にさせてしまいましたか?」
「いいや、そんなことはないよ。でも、そういうところさ」
「すみません。今の言葉については……よくわかりません」
「ふふっ」
 彼女は笑った。
 そこから敵意や悪意などは感じられなかったので、一〇〇二五番はとても安心する。
「さて、と」
 廊下を少し進んで、[辿{たど}]り着いたのは談話室だった。
 正確には、談話室のようなところ、と表現するべきかもしれない。
 テーブルがあり、[椅{い}][子{す}]があり、ソファがあり、壁に大きなモニターが備え付けられている。壁の色は無彩色だが、くつろぐための部屋、といった雰囲気があった。
 ただ、くつろぐにしてはいささか殺風景であるのも確かだ。
 談話室といえば普通、コーヒーなどの飲み物を提供する装置があったり、音楽が流れていたり、観葉植物のひとつも置かれていたりとかするのではないか。この部屋にはどれも見当たらない。モニターは真っ黒で、娯楽映像などが流れる気配もない。
 そしてなにより――談話室だというのに、人っ子ひとりいなかった。
 そのことを博士に問うと、彼女は苦笑混じりに首を振った。
「ここは談話室さ。[紛{まぎ}]れもなく、ね」
「では、飲食禁止の場所なんですか?」
「そんなことはない。飲食自由」
「音楽もかけられていません」
「いいや、ついこの前まではネットストリーミングでプレイリストが再生されていたよ」
「観葉植物などがないので無機質に見えます」
「だろうね。以前はあったんだけどね、観葉植物」
「モニターはなんに使うものなんですか?」
「いろんな娯楽番組を流すために決まってる」
 だったら――。
「何故です? 何故、ここには誰もいないのですか」
 尋ねる。
「コーヒーを飲む人も、音楽を聴く人も、観葉植物の世話をする人も、娯楽番組を見る人も、誰も……誰もいないのは、何故ですか?」
 博士は、笑っているのか困っているのか判然としない顔をして、言った。
「さて、なにから説明をしたものかな、これは」

    *

「一〇〇二五番。あなたは、なんの予備知識も持っていないのね」
 談話室のソファにゆったりと身を沈め、それから隣に腰掛けるよう[勧{すす}]めた後。晴博士は深く息を吐くと、猫背のまま顔だけをこちらに向け、話し始めた。
「まあ、そういう状態で起動させられたんだから無理もない。機嫌を[損{そこ}]ねないでね? あなたが目を覚ますためには、『そういう状態』でなければならなかったんだ」
「どういうことですか、博士」
 意味ありげで含んだような物言いに、問う。いや――というよりも彼女は、こちらに質問を[促{うなが}]すためにわざとそういう物言いをしているのだ。
「そうね、まずは世界の話をしよう。最初に挨拶したでしょう? ハローワールド、って。あなたはともあれ世界と相対しなければならないからね」
 博士は白衣のポケットから端末のようなものを取り出すと、操作する。
ふ、と。壁のモニターが点灯した。
「見てごらん」
 映し出されたのは、写真――いや、これは、
「映像、ですか?」
「そう、ライブ映像。この施設の外にある景色だよ」
 まず目についたのは、目に[眩{まぶ}]しいほどに晴れ渡った青空。
 それから岩肌と、打ち寄せる白波。
「海沿いにあるんですか? この建物って」
「海沿い、か。まあ、そうだね」
「とてもいい天気です」
「なるほど、あなたはこの天候をそう感じるのか」
「『あなたは』?」
 博士の言葉にどこか含むものを感じ、問い返した。
「そう感じない人がいる、ということですか?」
 雲ひとつない快晴といえば、『いい天気』と形容して[然{しか}]るべきではないか。快晴とは快い晴れと書く。どうしたってポジティブな意味に決まっている。
 それに、
「晴れ……『晴』。博士の名前です。人名に用いられる単語に、悪い意味のものはありません」
すると博士は、
「なるほど」
 怒っているとも笑っているともつかない顔をして、
「クリーンインストールされていると、こうなるのか。まったく驚き。あなたの初期情報は、とても善良で、[素{そ}][朴{ぼく}]で、そして――前時代的だったということか」
「博士……?」
「ま、前提知識の情報が古いのは仕方ないし、当たり前か」
 [溜息{ためいき}]混じりに、博士は立ち上がる。
 立ち上がり、モニターの横まで歩いて、髪をかき上げながら目を細める。
 彼女は言った。
「あなたが持っている……正確に表現するならプリインストールされている知識。つまりは『常識』とか『[既{き}][成{せい}][概念{がいねん}]』といったもの。これは今の時代に照らし合わせると、少しばかり古いの。たかだか数年、いや……数ヶ月の範囲だけどね。ただ、その差は決定的」
「決定的……?」
「そう。このたった数ヶ月で、世界の常識、既成概念は[覆{くつがえ}]されてしまった。たとえばこの天候、雲ひとつない青空だ」
 モニターを指差し、
「こんな[禍々{まがまが}]しい、ひどい色はない」
「え……?」
「青。紺碧。雲ひとつない。これを人々は[呪{のろ}]うようになった。この世のどんな色よりも[忌{き}][避{ひ}]し、[恨{うら}]みとともに見上げる象徴となった。それが今の常識さ」
 どういうことですか、と。
 問うよりも前に、博士は笑う。
「たとえば観葉植物。以前はあった。けれど今はもうない。枯れてしまったんだ」
 皮肉げに。
「たとえば飲み物。コーヒーや紅茶を[淹{い}]れる習慣なんてもはやない。水は貴重だからね」
 [寂{さみ}]しげに、
「つまりどういうことか、というとだね」
 それでいて、悲しげに――。
「雨よ」
 博士は、笑うのだった。
「この星に雨が降らなくなって、もう二年も経つのよ」

 

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