著者/多宇部貞人の作品 「エリーとアキヴァのドージンシ」

 ──ある日世界は、突然思い出したのだ。

 魔法という神秘の力の存在を。神々や竜、妖精や巨人など、伝説の生き物たちの実在を。誰もが幼い日に思い描いたような、輝かしい幻想と冒険の日々が、夢物語ではなかったことを。

 ゲームに飽きたプレイヤーが、盤をひっくり返すような唐突さで。季節の変わり目に、衣服を着替えるような気軽さで。

 かくて世界は──

 

 

 シン・デュークで[総{そう}][武{ぶ}]線に乗り換え、チバ方面に向かって五分も武装列車に揺られると、すぐに周囲の風景はその様相を変える。強い精霊力によって繁茂した暴力的なまでの緑が、巨大なジャングルを形成している。緑の中を[貫{つらぬ}]くように、列車は走っていく。

 旧時代、人間の生活圏はもっと広かったと学校の授業では学んだけど、エリーにはとても想像できなかった。都市部を少しでも離れれば、凶暴なモンスターが闊歩する冒険地帯だというのに。

「──次は、アキハ・ヴァラ、アキハ・ヴァラです」

 人影もまばらな客席に腰を下ろし、[鎧{よろい}][戸{ど}]の隙間から流れていく緑を眺めているうちに車内放送が流れてきて、エリーの胸はドキッと高鳴った。

 いよいよだ。ついに[憧{あこが}]れの町、アキハ・ヴァラへとやってきた……。

「……くふ、ふふ、くふふ!」

 [意{い}][図{と}]せず笑みがこぼれる。ズレたメガネをぐっと押し上げ、手すりに立てかけてあった魔法のステッキを手に取って立ち上がった。

 ──アキハ・ヴァラ、通称アキヴァ。

 押し寄せる緑に呑み込まれかけたこの積層都市は、かつて魔法技術に[長{た}]けた古代の民オ・タクが造り上げたとされる。旧時代の遺物が多く眠っており、駅前には[一獲千金{いっかくせんきん}]を夢見る冒険者たちの集落が築かれているらしい。

 たまにモンスターの襲撃があったりするし治安もよくないので、絶対に近付くなと学校の先生は言っていた。だから、今日のことは誰にも秘密で計画した。

 エリーには、危険を[冒{おか}]してでも絶対に欲しいものがあるのだ。何かとストレスの多いエリーの人生に、[潤{うるお}]いを与えてくれるもの。他にこれといった趣味のないエリーにとって、唯一、心の支えと言っていいもの。

 ──ドージンシ[古{こ}][文{もん}][書{じょ}]群。

 オ・タクの民が生み出した文化の[極{きょく}][致{ち}]とされるその文書たちは、研究者や好事家たちの間でかなりの高値で取引されており、エリーのお小遣いではとても買えない。そもそも、エリーの好みの内容のものが市場に出回ることはまれだ。こうなったら、自分でアキヴァに行って買い付けるしかないと、エリーは思い立った……いや、思い詰めた。

 好みのドージンシを、心往くまで[堪能{たんのう}]したい! その想いだけを胸に、エリーは今、アキハ・ヴァラへと降り立ったのである。

「──さあさあ、アキヴァ名物のケヴァブだよ! 腹が減っては冒険はできぬ!」「オ・タク製レーザーブレード入荷! 早い者勝ちだよ!」「いざって時の回復ポーションあるよ! 今ならタピオカ増量中!」

 アキヴァの駅前は雑然としていた。[所{ところ}] [狭{せま}]しと露店が立ち並び、色とりどりの[幟{はた}]が風にはためいている。その間を、ゴーグルやプロテクターを装着したいかにも冒険者[然{ぜん}]とした者たちや、魔動式の乗り物が行き交う。吟遊詩人らしい一団が、楽器を弾いて歌を歌っている。

 想像していたより活気があって、エリーは[気{け}][圧{お}]された。しかし、[怖{おじ}][気{け}]づいているわけにはいかない。やたらとズレるメガネを押し上げ、帽子を[目{ま}][深{ぶか}]に被り直してから、[雑{ざっ}][踏{とう}]の中へと歩き出した。

「あのー、すみません……」

 適当にあたりをつけ、発掘されたアイテム類を売っているらしい露天商に声を掛けた。店員だろうパーカー姿の青年は、食い気味に身を乗り出してきた。

「らっしゃっせー! 何かお探しっすか? ウチは[品{しな}][揃{ぞろ}]えいいっすよ! これなんかどうっすか? 最古のアイドルグループ、AKV48のブロマイドで……」

「えっと、そういうのじゃなくて……ドージンシってあります?」

「あ、ありますあります、とれたてのヤツが!」

 青年が自慢げに言うので、今度はエリーが身を乗り出す番だった。

「ホントですか! やった!」

「どのジャンルをお探しっすか?」

 続けて[尋{たず}]ねられ、ウッと一瞬答えに詰まった。だが、ここまで来たんだし、今さら恥ずかしがっても仕方ない。大丈夫、身バレはしないはずだ……

「えっと、じょ、女性向けなんですけど」

「あ、あー……」

 青年のテンションが突然下がった。

「な、ななな、なんですか! ダメなんですか、女性向け読んだら! おかしいですか!」

「え? あ、いえ……今、女性向けは在庫がないんです。最近、女性向けが発掘される辺りに、オ・タクのゴーレムが出没するらしくて。そいつがメチャ強いらしくて、危なくて近寄れないそうなんですよ」

「あ、そうなんですか……」

 魔動式人形・ゴーレムの作成は、オ・タクの民が最も得意とする魔法技術だったと、授業で習ったことがある。オ・タクのゴーレムは、聖域の守護者として、今も冒険者たちの脅威となっているそうだ。

「三丁目あたりにデカいドージンシの地層があったらしいんすけど、ソイツのせいで行けないらしいっす……サーセン、ご期待に[沿{そ}]えないで」

 他意はなかったらしく、青年は申し訳なさそうに言った。

「い、いえあの、こっちこそ、すみません!」

「え、あ……はい」

 エリーはしどろもどろに返すと、そそくさとその場を後にした。早とちりで、かなりキョドってしまった。顔から火が出そうだ。

 ともあれ、貴重な情報を得られた。三丁目の辺りに、大きなドージンシ鉱脈があると。危険なゴーレムが出没する? それがどうした。引き返す選択肢はない。

 

 

 アキヴァ三丁目は、旧世代のビル群を貫いて[生{は}]えた無数の樹木が絡まり合い、自然の迷宮と化していた。青年が言っていたとおり、冒険者たちも敬遠しているのか、人の気配はまったくない。

 だから、何にも[遮{さえぎ}]られることなく、その恐ろしげな音はエリーの耳に届いた。

 ──ズシン、ズシン、ズシン!

 町全体を揺さぶるような震動に、物陰から恐る恐る[覗{のぞ}]いてみれば、かつては主幹道路だったらしい広い通路の真ん中で、巨大な金属の[塊{かたまり}]が不思議な動きをしていた。背丈はエリーの三倍くらいはあるくせに、その動作はやたらと[機{き}][敏{びん}]だ。

 ──ヴィン、ヴゥン、ヴィィン!

 動きに合わせて、[繁{はん}][茂{も}]する木々の[梢{こずえ}]のせいで薄暗い空間に、極彩色の[軌{き}][跡{せき}]が描き出される。片手に四本ずつ、計八本のレーザーブレードを、指の間に挟むようにして持っているのだ。

 間違いない、アレが噂のゴーレムだろう。隠れる気がまるでないところに、絶対強者の風格が感じられて、エリーは[身{み}][震{ぶる}]いした。

(す、凄い迫力……でもアレ、なにしてるの……?)

 エリーが[瓦{が}][礫{れき}]から更に身を乗り出してみると、キレのある動きと共にゴーレムが発する音声が聞こえてきた……

『ハーイ、ハーイ、ハイハイハイッ! あの子に[捧{ささ}]げるローマーンースッ!』

 これが、ある特殊な信仰を表明する文言だと、エリーは知っていた。

(はっ! アレは……ヲタ芸!)

 ──ヲタ芸。

 それは太古、オ・タクの民がアイドルと呼ばれる女神たちを奉じる際に踊ったという、伝説の踊りだ。アイドル信仰自体は現在もこの国に根強く残っており、ヲタ芸を受け継ぐ踊り手たちが存在する。彼らはドル・オタと呼ばれ、ヲタ芸の動きを取り入れた武術を身に着けた、強力な戦士たちだと言われている。

 ……と、ゴーレムがピタリと動きを止め、エリーを素早く向き直った。赤い[双{そう}][眸{ぼう}]が、凶星の[如{ごと}]き残像を残して。

『──オゥフ! 侵入者ハケーン! 修正されるね!』

 ヤバイ、見付かった!

 ゴーレムは両手のレーザーブレードを振り上げながら、凄い勢いで突進してくる──ズドドドドド!

「ひいっ⁉」

 エリーは悲鳴を上げて逃げかけたが、杖をぎゅっと両手で握り締めて踏ん張った。ドージンシはもうすぐそこだ。今ここで逃げたら、問題は何も解決しない。逃げてはいけないときが、人間にはある。そう……ドージンシが手に入りそうなときだ。

「まっ、魔力よ[奔{ほとばし}]れ、わ、我が敵を討て──マジックアローッ!」

 先手必勝! 短い呪文を唱え終わると、エリーの周囲に光り輝く魔力の矢が無数に浮かび上がった。この矢の本数は、使い手の内在魔力量に比例する。攻撃魔法の授業でも、エリーは優秀な成績を収める生徒だった。

「ごめんなさい、ゴーレムさん……いきますっ!」

 杖を振る動きに合わせて、魔力の矢がちりちりと空気を[焦{こ}]がしながら、一斉にゴーレムへと殺到した。一本一本が回転しており、破壊力が増している。分厚い城壁すら穴だらけにする、エリーの必殺魔法だ。

 派手な着弾音と炸裂音が連続して[轟{とどろ}]き、もうもうと上がる煙の向こうに、ゴーレムの巨体が消えた……

「は、はあ……やった?」

 エリーがそう呟いた瞬間、ボッと煙を引き連れて、ゴーレムが再び姿を現した。そのままの勢いで突進してくる。

『はいムダー! 残念! 死ね! 氏ねじゃなくて死ね!』

「ひいっ⁉」

 ゴーレムはまるで無傷だった。金属製のその全身に、赤黒く光る呪文が浮かび上がっているのを見て、エリーは全てを察した。対魔法装甲だ! 現代の魔法技術でも再現が難しいとされる、ロストテクノロジーだ。

 恐怖に[歪{ゆが}]むエリーの目に、レーザーブレードの描く極彩色の軌跡が映っていた。こんなの避けられっこない。体育の成績はEなのに!

 ──バチチチチッ!

 身の毛もよだつような音がして、自分は死んだと思った……でも、いつまでも痛みがやってこない?

 エリーが閉じていた目を恐る恐る開いてみれば、

「う、ぐぐぐ……!」

 見覚えのある青年が、頭上で両手を交差し、ゴーレムのブレードを受け止めていた。同じように両手に持った、八本のレーザーブレードで……

「ええっ! あ、あなた……店員さん!」

「さ、サーセン! お嬢さんなんか思い詰めた感じだったんで、ちょっと後つけさせてもらったんすけどぉ!」

『ウザイの増えて草ァ! 何人来ても無駄! ハーイハーイハイハイハイッ!』

 ──バチッバチッ、バチチッ! ブレードがぶつかり合うたびに、レーザーブレードが火花を散らす。息をもつかせぬ猛攻を、青年はどうにか[捌{さば}]いていた。

「ぐっ、うおっ、ふんっ!」

「ど、どうして……」

 ぺたんと地面に尻もちをついた姿勢のまま、エリーが純粋な疑問を[呟{つぶや}]くと、青年はパーカーの背中を向けたまま言った。

「お、オレも、ドルオタなんで……ぐっ! グッズが欲しいって気持ち、チョーわかるんすよね! お嬢さん、ドージンシ欲しいんすよね? だから力になりたいってゆーか……」

『ドージンシとかカスだから! アキヴァはアイドルの聖地だから! ニワカ乙!』

「そういう[排{はい}][他{た}][的{てき}]なの、どうなんすかね! オ・タクとして……ぐっ! あ、アイドルが好きなら、アイドルに恥ずかしくない行動をしましょうよ!」

『う、うるせー! しらねー!』

「ぐっ、う、うぐっ……!」

 恐るべき戦闘能力を備えたゴーレムを前に、青年は明らかに押されていた。そのパーカーにも、熱線による傷跡が増えていく。だが、気持ちでは負けていない……

 エリーは[唇{くちびる}]を結んで立ち上がった。パンプスの[踵{かかと}]が、路地にカツリと音を立てた。

「……店員さん、ごめんなさいっ、本当にありがとう!」

「い、いえ……グッ! ちょ、あの、これ、無理かも……サーセン、お嬢さん、先に逃げてほしいんすけど!」

『遅すぎワロタ! 次でトドメだから! ハーイハイハイ……ハイハイハイーッ!』

 ゴーレムの気迫がふくれ上がり、全力の連続攻撃を撃ち放とうとした寸前、エリーはメガネと帽子を脱ぎ捨てた。そして……

「ううん、逃げませんっ! だって、店員さんの気持ち、届いたから……だから私、歌いますっ!」

「……え?」

『え?』

 ふたりの動きがピタリと止まった。

 それは、着慣れない帽子と[伊{だ}][達{て}]メガネで、気弱なエリーが隠し続けていたこと。絶対に隠しとおしたかったこと。オ・タク趣味のことがもしバレたら、事務所になんて言われるかわからないから。

 つまり……エリーは、アイドルだ。

「それじゃ、聴いてください! 私たちの新曲……『恋のホメオスタシス』!」

 ステージに上がるときのため、頑張って作り上げた声を張り上げてエリーが歌い出せば、今の今まで戦っていたゴーレムと店員は、やがて横に並んで踊り始めた。その両目から、とめどない涙を流しながら……

「『ハーイ、ハイッ、ハイッハイッハイッ! あの子に捧げるローマーンースッ!』」

 純粋な熱を[帯{お}]びたその叫びは、人の気配のないアキヴァの路地に、どこまでも、どこまでも響き渡っていくのだった。

 

 

「──あ、あの……すみません、送ってもらっちゃって……」

 夕暮れ時を迎え、アキヴァの古代路地には、木々の梢を透かす西日が斜めに差し込んでいる。その中を疾走する魔道式バイクの後部座席で、エリーはひたすらに恐縮していた。向かい風に帽子が飛ばないように、片手で押さえながら。

「なに言ってるんすかぁ! これ自分にとってご褒美っすから!」

 運転している青年が、まだ興奮[冷{さ}]めやらぬ声で返す。

『そうそう、むしろ感謝! [拙{せっ}][者{しゃ}]をオ・タクの暗黒面から解き放ってくれて……マジ、あまりにも最高のバイブスだったから……』

 横を並走するゴーレムがしみじみと言う。その両手には、大量のドージンシが入ったビニール袋を提げている。

「あ、あはは……あの、おふたりとも、その……くれぐれも今日のことは、オフレコで……」

 エリーが微妙な笑みを浮かべて言えば、ふたりは首が千切れるほど頷いた。

「当たり前じゃないすか! アイドルのプライベートは他言無用っすよ!」

『常識だからそれ!』

「あ、あはは……」

「それで、次はどこ行くんすか! イケブクロっすか? いつでも言ってくださいよ!」

『いつ出発する? 拙者も同行する』

 なんだか、思わぬ仲間ができてしまったようだ。でも、悪い気はしなかった。今まで誰にも言えない趣味だったのに。

 オ・タク活動は秘密なものだが……やっぱり、誰かと一緒が楽しいのだ。