試し読み 翡翠の姫は夢を見る

 

 平成の天皇陛下は御皇位を[退{しりぞ}]かれ、皇太子殿下がその後を継がれました。

 御皇位の継承には古代から連綿と受け継がれる、[勾玉{まがたま}]、鏡、剣の三種の神器が用いられ、年号も令和と改められました。

 そして――国の慶事と並べて書くのは[僭越{せんえつ}]なのですが――私の家族にとっても、今回の皇位の継承に伴って新しい生活が始まる事になりそうなのです。

 

「私とゲームをして下さい」

 淡い色彩のティーカップに、[華奢{きゃしゃ}]なスプーンで砂糖を落としながら姉が言いました。対面に座っている男性とは目を合わせずに。

 それは「お見合い」の席での事――いえ、仲人を立てて、お互いの[釣書{つりがき}]を交換して、という正式なものではありませんので、厳密にはお見合いとは違うのかもしれませんが、とにかく姉に男性が紹介される場。

 長い黒髪に、ほんの[僅{わず}]かの化粧。[萌{もえ}][葱{ぎ}][色{いろ}]が基調のチェック柄のチュニック。

 身内を[褒{ほ}]めるのもなんですが、こういう服装をすると、姉はとても[綺{き}][麗{れい}]で、何というのか気品のようなものすら感じられるのです。

「亡くなった祖父によると、うちの蔵の中にとても貴重な宝物があるのだそうです。[貴方{あなた}]にその宝物を探し出して欲しいんです」

 [上{じょう}][越{えつ}]市の小さな洋食のレストラン。クリーム色の机と椅子。統一感のある食器に、並べられたワインボトル。そこにいたのは姉――[衿角{えりすみ}][翠{みどり}]と、妹の私――[翡那{ひな}]。それに若い男性と、その男性の紹介者になる姉の上司。

 若い男性は、姉の職場の取引先の人。一目見て姉を気に入ったとかで、上司に頼み込んでこの席を用意してもらったのだといいます。お互いの[挨拶{あいさつ}]が済み、コース料理を食べ終えて、デザートに口をつけ――普通なら「後は、お若い二人で」とでもなる頃合い。

「それは[糸魚{いとい}][川{がわ}]の歴史に深くかかわり、この国の[礎{いしずえ}]になるような品だといいます」

「姉さん、それはちょっと」

 いくらなんでも[大{おお}][袈裟{げさ}]――そう言おうとした私の言葉を遮り、姉が続けます。 

「祖父は、様々な歴史の研究をしている人でした。その品は祖父の研究対象でもあったんです。ただ、それが何なのかは私達も知りません。知っているのは、うちの父だけなんです」

 こんな事を言って、大丈夫なのでしょうか?

 うちは[新潟{にいがた}]県糸魚川市の旧家ですが、名家などとは言えないごく一般的な家系。私には、我が家にそこまで価値のある品があるとは思えないのです。祖父の言葉は、相当、誇張されたものではないのでしょうか。

「次の皇位継承の際、自分の研究を発表して欲しい。それが祖父の生前の希望でした」

 姉が紅茶を[搔{か}]き回すたび、ティーカップにスプーンの当たる音がします。

「[婿{むこ}]を迎えるなら、モノの価値が分かる男にしろ。男と付き合うならば、蔵の中から、一番の宝を見つけ出せるような者ではなくてはダメだ――それが、祖父の口癖でした」

 一瞬視線を上げ、姉が男性にぎこちなく[微笑{ほほえ}]みました。

「もし、貴方がうちの蔵の中にある品の中から、一番の宝――祖父の研究していた品を選び出すことが出来たなら、私は貴方と結婚を前提としたお付き合いをさせて頂きます」

 そういった後、姉は大きく息をつき、何度も搔き回した紅茶に口をつけます。

 [傲慢{ごうまん}]な言い草。ただ、仕方がないとも思います。

 平静を装っていますが、姉はかなりの対人恐怖症。これだけの事を言うのにも、相当な緊張を[強{し}]いられている筈です。

 ゲームという形にすれば、相手と紹介した方の顔を潰さず交際を断る事ができる――姉にしては、まあ上出来ではないか。

 この時は、そう思いました。

 でも、後から考えると、この時、姉は[勿論{もちろん}]、私も男の人の心理というものを良く理解していなかったと言わざるを得ません。この『宝探し』は、その後、何年も続く我が家の騒ぎの原因になるものだったのです。

 

         *  *  *

 

 昔々、糸魚川の地に、見目麗しく、しかも賢い女神様がお住まいだったといいます。

 名前は[奴{ぬ}][奈{な}][川{かわ}]姫。

 彼女の[噂{うわさ}]を聞きつけた、建国の神、[大国主命{おおくにぬしのみこと}]が遠い国からこの地を訪れ、女神の住まいの外から情熱的な愛の歌を詠み、女神もまた[嫋{たお}]やかな歌で応じ、[二{ふた}][柱{はしら}]の神は結ばれた。物心つく頃から何度も聞かされた、美しき[古{いにしえ}]の物語。幼かった私も、胸をときめかせて時の[彼方{かなた}]の情景に思いを馳せたものです。

 でも、この物語に続きがある事は小さな頃は教えてもらえませんでした。成長して、歌の意味とその後の二柱の神の話を聞き、私の中の物語への[憧{しょう}][憬{けい}]は失われました。

 

[八{や}][千{ち}][矛{ほこ}]の神の[命{みこと}]は八島の国 [妻{つま}][枕{ま}]きかねて [遠遠{とうとう}]し [高志{こし}]の国に [賢{さか}]し[女{め}]を ありと聞かして [麗{くわ}]し[女{め}]を ありと聞こして さ[婚{よば}]いに あり立たし 婚いに あり通わせ 太刀が緒も いまだ解かねば [嬢子{おとめ}]の [寝{な]すや板戸を 押そぶらい 我が立たせれば 引こずらい 我が立たせれば 青山に[鵼{ぬえ}]は鳴きぬ さ野つ鳥 [雉{きざし}]はとよむ 庭つどり [鶏{かけ}]は鳴く [心痛{うたれ}]くも 鳴くなる鳥か この鳥も 打ち止めこせね いしとうや [天馳使{あまはせづか}]ひ 事の[語{こたり}][事{ごと}]も [是{こ}]をば

 

 八千矛の神とは、大国主命の事。これは、オオクニヌシが奴奈川姫に贈った歌。

 麗しい女性がいるという噂を聞いた「我」――オオクニヌシが遠い国からやってきて、旅装も解かないまま、乙女の家の板戸をゆさぶっても相手にされず立ちつくす。乙女から何の返事もないまま、朝を告げる鳥が鳴くのが腹が立つ。打ちたたいてやろうか。

 情熱的というよりは、短気で強引で粗暴。そう感じる私はおかしいのでしょうか。

 噂で聞いた美しい女性の家をやってきて家の戸を揺さぶるなど、まるでストーカーだと思うのですが。

 

[八{や}][千{ち}][矛{ほこ}]の 神の[命{みこと}]は ぬえ草の[女{め]にしあれば 我が心 [浦{うら}][渚{す}]の鳥ぞ 今こそは [我{わ}][鳥{どり}]にあらめ 後は [汝{な}][鳥{どり}]にあらむを [命{いのち}]は な[殺{し}]せたまひそ いしたふや [天馳使{あまはせづか}]ひ 事の [語{かたり}][言{ごと}]も[是{こ}]をば

青山に 日が隠らば ぬばたまの 夜は出でなむ 朝日の [笑{え}]み栄え来て [綱{たくずの}]の 白き[腕{ただむき}] [沫雪{あわゆき}]の 若やる胸を そだたき たたきまながり [真{ま}][玉{たま}][手{で}] 玉手さし[枕{ま}]き [百長{ももなが}]に [寝{い}]は[寝{な}]さむを あやに な恋い聞こし [八{や}][千{ち}][矛{ほこ}]の 神の命 事の [語{かたり}][言{ごと}]も [是{こ}]をば

 

 こちらは、ヌナガワヒメがオオクニヌシに返した歌。

 自分を風になびく草や水辺の鳥に例え、打ち[叩{たた}]いたりしないで。夜には貴方様をお迎えします。どうぞ笑いかけて下さい、と訴えています。[楮{こうぞ}]のように白い腕、淡雪のような胸。私の手を枕にして、脚を伸ばしてお休み下さい。そんなに強く恋い慕ってくださらないで。

 わがままな男の求めに抗う事が出来ず、へりくだり自分の可憐さをアピールして、少しでも被害を受けないようにしているか弱き女性。私には、この歌がそう受け取れます。

 神話には、女神のその後も伝えられています。

 オオクニヌシは、大変に女性にモテる神様。この他にも多くの女神を口説き落としているのです。大国主の元に嫁いだヌナガワヒメは、本妻の[須勢理毘売{すせりひめ}]に[苛{いじ}]められ、故郷に逃げ帰ってきたのだとか。

 どの時代にも、[我儘{わがまま}]な男に振り回され、傷つけられる女性はいる。

 私はそう思うのです。

 

         *  *  *

 

「ねえ、ゴミ、もっていくよ」

 屋内に向かって声を張り上げ、靴を履き、ゴミ袋を[摑{つか}]むと外に出ました。

 今日は週一回のプラスチックゴミの収集日。朝の八時までに集積場にゴミを出さなければなりません。

 私の実家――現在、父と姉が暮らす家は、戦前に建てられた築八十年ほどの木造家屋。

 [鎧{よろい}][張{ば}]りという作りで、外壁には腰くらいの高さまで横に長く板が張られています。そこから上は[漆喰{しっくい}]の壁。[瓦{かわら}][葺{ぶき}]の屋根。黒い柱と鎧壁の板とのコントラストが映えています。

 敷地内には、母屋に納屋、今は使われていない井戸。それに先祖伝来の品が納められた蔵。庭にはアオダモやナツツバキ、それに私が名前も知らぬ[灌木{かんぼく}]。

 友人を連れてくると驚かれます。『古民家みたいだ』と喜ぶ人もいます。

 ええ、そうです。見た目だけなら、しっとりと落ち着いた雰囲気で確かに悪くないのです。

 でも、実際に住むとなると、それはもう大変。

 ここ糸魚川市は日本海に面した町。

 夏はフェーン現象で極端に暑くなり、冬は寒くて積雪も相当なもの。この古い家屋は、夏場は温室の中ように蒸し暑くなり、冬は水道管が凍結するほど冷え込みます。他にも瓦が落ちたり、雪に圧迫されて窓が割れたり、壁にひびが入ったり、年に何度かはどこかしらが壊れ補修が必要になります。

 壁を塗る職人さんも、古い瓦を扱う業者さんも少なくなり、庭木の手入れも面倒。『手間も金もかかる』と父を嘆かせる家なのです。

 生垣の向こうで、お隣の[小母{おば}]さんがこちらに手を振ります。

 母が幼い頃に亡くなった為、私は祖父と父、姉、親戚と、この隣の小母さんの手を[煩{わずら}]わせて育ってきました。

「おはようございます」

「翡那ちゃん。夏休みはいつまで家にいるの」

「お盆過ぎ位までは」

 私の家系――衿角家は、かつて[越{えち}][後{ご}][国{こく}]糸魚川[藩{はん}]の商家だったといいます。

 刀剣や槍などの武器を藩に納める商いをしていて、往時には藩内のみならず、近隣の藩や[富{と}][山{やま}]方面にも刀剣を売り[捌{さば}]いていたとか。

 ただ、江戸時代も半ばを過ぎると、刀剣の需要は少なくなり、先祖の主な収入は[専{もっぱ}]ら刀を[砥{と}]ぐ事だったそう。明治の廃刀令の後は、糸魚川の街中で商店を営む傍ら、近辺の農家を廻り包丁などの刃物や、鎌や[鉈{なた}]、[鍬{くわ}]などの農具の手入れをして収入を得ていたといいます。

 勿論、歴史の本に載るような家ではありませんが、それでも、生前の祖父はこの家系をとても誇りにしていたのです。

 私達の祖父、衿角[福{ふく}][一{いち}][郎{ろう}]は元は中学校の校長。そして郷土史家でもありました。

 退職する以前から、地元の郷土史の研究会に所属して、地元の新聞や歴史関連の出版物に寄稿し、退職した後は図書館で歴史や自然、文化などの資料を[漁{あさ}]ったり、地域の子供会の父兄と協力して、小学生を集めて史跡を巡ったり博物館を訪ねたり、地域に自生している樹木を調べたり――そんな活動をしていました。

 祖父がこだわっていた分野は二つ。

 一つは江戸時代の糸魚川藩。もう一つは朝廷や天皇家の成立、特に古来より皇位が継承される際に用いられてきた勾玉、鏡、剣という三つの秘宝――三種の神器について。

 ただ、祖父は自分の研究の詳しい内容は、私達にも明かしてくれませんでした。

 その内容を知ってるのは、うちの父一人。

 私が知っているのは、それが蔵の中の「一番の宝物」についての研究であるという事と、父が祖父の希望に沿って、今回の皇位の継承にあわせて、もうすぐ、祖父の論文を郷土史の研究会の機関誌へ掲載することを依頼している事。それだけなのです。

 

         *  *  *

 

「翡那。久しぶり」

 ゴミを出し終えて家に戻る途中で、後ろから声をかけられました。振り返ると、そこに懐かしい顔がありました。

「[陸{りく}]。帰って来てたんだ」

 眼鏡をかけた柔和な顔。少しクセのある髪。薄い柄のシャツが似合っています。

 陸。[児{こ}][島{じま}]陸。遠縁の子で私達の[幼{おさな}][馴染{なじみ}]。私より二つ年上なので、来年には首都圏の大学を卒業する筈です。直接会うのは今年のお正月以来でしょうか。

「どう翡那。少しは女らしくなったかな」

「なったかなじゃなくてさぁ、そういう時は、お世辞でも綺麗になったねとか、大人ぽくなったねって言うもんじゃないの」

 いつも微笑みを含んでいる陸の口元が、さらに[綻 {ほころ}]びました。

「お土産があるけど」

 私の目の高さに、東京の銘菓の紙袋が掲げられました。

「姉さんなら家にいるよ」

「いや、翠さんだけではなくて、翡那にも、おじさんにもね」

「でも、一番の目的は姉さんでしょ」

「そりゃ、まあ、翠さんにも会いたいけど」

 幼馴染が視線を逸らし、眼鏡を指先で押し上げます。横を向いた頬に赤みが差しています。あいも変らず感情を隠せない奴じゃ。

「陸の方こそどうなの。少しは[逞{たくま}]しくなった?」

 子供の頃、陸はいつも小脇に本を抱え、暇さえあれば、それを読んでいたように記憶しています。勉強好きな[大人{おとな}]しい子――祖父のお気に入りで、我が家に来ては様々な事を教わっていました。

「さあ、どうだろう。でもまあ、合気道は続けているよ」

「良い事教えてあげようか――」

 逸らされていた視線が、こちらに向きます。

「姉さんね。[翡{ひ}][翠{すい}]の小石をまだ大事に持っているんだよ。陸が、ずっと前に姉さんにあげたやつ。紙に包んで、机の引き出しの一番上に入れていて、時々出して眺めて――」

「チガウ。チガウダロオーーー」

 私達の久しぶりの会話は、場違いな大声で途切れました。

「チガウ。話が違うじゃねえかァ」

 初めて見る男がこちらを[睨{にら}]んでいました。

 二十代の後半でしょうか。長い茶髪に荒れた肌。[色{いろ}][褪{あ}]せたダメージジーンズ。[皺{しわ}]だらけのシャツに化繊の大きなショルダーバッグ。どこかトカゲを連想させる顔。

 何よりも目つき。そう。この男の目は「オオクニヌシの目」です。

「彼氏がいるのかよ。それによぉ。髪が短い。切ったのかよ」

 トカゲ男が無遠慮に歩み寄ってきます。陸が私の前に立ちました。

「ネットで見たのと全然違う。全然、姫っぽくねえ。話と違うだろうが」

「あなた、色々と間違っていますよ」

 陸の背後から、私が口を開きます。

 

 

『翡翠の姫は夢を見る』

内容

翡翠の産地・新潟県糸魚川市に建つ、蔵のある旧家。
ここに住む姉妹の祖父は蔵に「宝がある」と言うが、宝がなんなのか姉妹には明かさないまま他界した。
そこで、美貌を備える姉の翠は「祖父の言う宝」が何かを当てた男性と交際することを宣言。
宝を見つけ出す男性は現れるのか? そして蔵に眠る宝とは……

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