試し読み 傷口はきみの姿をしている

プロローグ

「終わりは始まり」と言うけれど、だったら僕の[それ{・・}]は、いまから約二年前――中学三年の冬のことだろうと思う。

 そもそも、その『終わりを迎えた事柄』は何が始まりだったかと考えると、なかなか結論が出せない。しかしその『終わり』は明確に終わりであって、同時に新たな始まりだったと断言できる。
 有り[体{てい}]に言えば、その『終わり』によって僕たちは――僕たちの人生は、完全に壊れてしまった。

 僕たちの壊れた世界の始まりだった。

『終わり』が起きた原因は、きっと[誰{だれ}]にもない。
 ただの不運だったと頭ではわかっているのに、実は自分のせいなんじゃないかと考えてしまうことがある。理由は明白だ。

 僕は、彼女を利用していた。

 それは合意の上でのことで、もっと言えば、彼女から提案してきたことだった。だから彼女を利用している間、僕は何の罪悪感も抱かず、むしろ持ちつ持たれつだと思っていた。
 けれど真実、僕たちの関係はこの上なく不純かつ不誠実で、僕は彼女よりずっと最低なやつだった。
 それを自覚したのは『終わり』を迎えた後のこと。
 あれだけ彼女を利用しておきながら、僕は。

 僕にとって彼女が何の利用価値もなかったことを悟って失望し、そんな自分に絶望したのである。

 

 

第一章

 インターフォンを押して、応答を待たずにドアノブに手をかける。[鍵{かぎ}]は開いていて、僕はいつものように[躊躇{ためら}]いなく中へと入った。
 足元に視線を落とせば、[革靴{ローファー}]は二足あった。つまり僕のいとこたちは、誰もまだ家を出ていない。
 時刻は午前七時三十二分。徒歩通学の僕たちはまだ余裕があるけれど、バスのほうはそろそろ出発しないと間に合わない。[狙{ねら}]ったとおりの時間だ。
 これまたいつものように無言で上がり込み、廊下を進む。
 キッチンを[覗{のぞ}]くと、少し[焦{あせ}]った様子でエプロンを脱いでいる最中の背中が目に入った。[身{み}][支{じ}][度{たく}]はすでに済んでいるらしい。[桜庭{さくらば}]女子高校の制服を着ているし、セミロングの黒髪もちゃんと整えてある。
「ゆか[姉{ねえ}]、おはよう」
 僕の本日における第一声に、彼女――[綾坂{あやさか}][紫理{ゆかり}]はすぐに振り返り、脱いだエプロンをフックに引っかけつつ笑顔を返した。
「おはよう、ハルちゃん。[七桜{なお}]ちゃんは――」
「ああ、うん、起こしてくるよ。ゆか姉はそろそろ出ないとマズいでしょ。後は僕がやっとくから」
 すると、紫理は申し訳なさそうな、少し切なそうな顔になった。
「いつもごめんね。七桜ちゃん……もう高校生になったんだから、そろそろ朝ごはんも一緒に食べられるようになってくれたらいいのに」
「あいつの寝起きの悪さは筋金入りだからね。[諦{あきら}]めたほうがいいかも」
 苦笑してみせれば、紫理も仕方ないなぁと言いたげに笑う。
 それから彼女は、カウンターに三つ並べてあったランチバッグのひとつを取った。
「じゃあ、行ってきます。夕飯、何かリクエストあったらメッセージ送って」
「了解。お弁当、今日もありがとう」
 紫理は綾坂家の[炊{すい}][事{じ}]を一手に[担{にな}]っているのだけれど、両親が仕事で滅多に帰ってこない僕の分の弁当、さらに夕食まで、毎日つくってくれている。僕も料理はそれなりにできるものの、彼女の腕のほうがずっと上だ。
 紫理は僕の言葉に微笑を返して、くるりと[踵{きびす}]を返す。しかし部屋から出る直前、不意にまたこちらを振り返って、きらりと[瞳{ひとみ}]を輝かせた。
「あ、でも、もし七桜ちゃんと外で食べるなら[遠慮{えんりょ}]なく――」
「ないよ。いいから、もう行きなよ。遅刻するよ」
 顔に苦いものが[滲{にじ}]みそうになるのを[堪{こら}]えながら言うと、紫理はやっと満足した様子で出ていった。
 ドアが閉まる音と同時に、キープしていた微笑を解く。
 ……早々にカロリーを消費してしまった。
 あいつが寝起きの悪いフリをしている理由はいくつか思い当たるけれど、そのうちのひとつは[これ{・・}]だろうと、僕は[密{ひそ}]かに思っている。

「[ユウ{・・}]。起きろ」
 ノックを省略して部屋に入り、こんもりしている[布{ふ}][ 団{とん}]を全部一気にめくる。
 現れたのは、窓から差し込む朝日に目を細めているものの、すでに頭は完全に[覚{かく}][醒{せい}]している様子の[従弟{いとこ}]――綾坂[悠一郎{ゆういちろう}]である。
 高校一年生にしてはやや幼い印象の、甘やかでかわいらしい顔立ち。やや長めの髪は布団に
潜っていたせいでひどく乱れているけれど、軽く[梳{す}]けばすぐに整うくらいにサラサラだ。体格は[華奢{きゃしゃ}]で小柄。中一の頃から着ているパジャマはともかく、真新しい制服はまだ全体的にぶかぶかしている。
 悠一郎は渋る素振りもなく起き上がると、ちょっと高めの少年らしい声で「おはよう」と言って、それから少しだけ警戒するような目つきになった。
「姉さんはもう行った?」
「行ったよ。そろそろ朝ごはんを一緒に食べたいって」
「うん、少し前に部屋に来たときも言ってた。まぁ無理だけどね。朝から疲れるのは嫌だし」
 淡泊に[一{いっ}][蹴{しゅう}]して、悠一郎はもぞもぞと制服に着替えはじめる。
 今日は平日。当然ながらこれから向かうのは学校なので、悠一郎の身支度は、ものの五分ほどでほぼ完了した。
 いつだったか「学校行ってる間は化粧をしなくていいのが何よりラク」と言っていたのを思い出す。と同時に、僕は悠一郎に渡すものがあったことに気がついた。
 部屋から出ていこうとする悠一郎に待ったをかけ、バッグから、金のリボンで口を縛しばったピンク色の袋を取り出す。中に入っているのはお遣いを頼まれていた、とあるブランドのリップクリームと香水だ。
 中身を確認した悠一郎は、それを机の上に置いて、今度こそ部屋を出た。僕もその後に続く。
「ありがとうハル[兄{にい}]。両方とも、そろそろ切れそうだったんだ。……使うのはオレなんだから、オレが自分で買いに行くべきなんだけど」
 僕を使いっ走りにするのは申し訳ないと思っているけれど、ただでさえ嫌々、仕方なしに使っているものを自分の足で買いに行くのはどうしても気が進まない――という本音を表情に滲ませる悠一郎に、僕は軽く手を振った。
「気にしなくていいよ。べつに苦じゃないし」
 [噓{うそ}]ではない。女性向けの店に男ひとりで入ることも、そこで化粧品を買うことも、とくに抵抗は感じない。
 ただ――この[期{ご}]に及んであんなものを買う必要がある理由を思うと、胃がひっくり返ったような気持ちの悪さに襲われるだけだ。
 そんな僕の複雑な心境を知ってか知らずか、悠一郎は階段を下りながら、少しからかうような口調で言った。
「あの袋。プレゼント用って言ったの?」
「……言ってはいないけど、そう[訊{き}]かれたから」
「否定しなかったんだ」
「まぁ、間違ってはいないし」
「でも絶対、[恋人{カノジョ}]にって思われただろうね」
 悠一郎の口調に[咎{とが}]めるような響きはない。袋がピンクだったことについても、とくに何も言わなかった。
 僕たちにとってピンクは、七桜を象徴する色だ。
 だから悠一郎は、ピンクをひどく嫌っている。
 しかし『[妹{・}]』[でいる間{・・・・}]は、大嫌いなその色を身につけなくてはいけない。
 僕はそんな境遇にある[従弟{いとこ}]を[不{ふ}][憫{びん}]に思う反面、密かに魅せられていた。
 ――僕は、女子が苦手だ。
 具体的にどこが苦手かと言うと、女子特有の振る舞いや気質、思考回路など。とくに受けつけないのは、女子が[醸{かも} ]し出す『恋をしている気配』だ。
 女子ひとりひとりを[嫌{けん}][悪{お}]しているわけではないし、性別だけで大勢をひと[括{くく}]りにして嫌うのは良くないことだとわかっているけれど、[理由{わけ}]あって、どうにも直せずにいる。
 ただその一方で、『特別』に思える相手がほしいと、いつの頃からか――女子が苦手になる前から望んでいる。
『特別』。
 誰より大切だと心から思えて、信頼できて、一緒にいると心が安らぐような、かけがえのないひと。[強{し}]いてひと言で言うなら、恋人とか、相方とか、パートナーとか……そんな存在だ。
 ……以前は「それはきっと女の子だろう」と、[漠然{ばくぜん}]と、そして当然のように思っていた。しかし女子が苦手になってしまったことで、その思い込みは改められた。
 いまの僕が求めるのは、より中性的で、振る舞いに性別を感じさせないひと。そのうえで『特別』だと思えるのなら、本来の性別は[些{さ}][細{さい}]な問題だ。
 そこへいくと、悠一郎はかなり[それ{・・}]に近かった。
 大切なのは言うまでもないとして――悠一郎はもとより、一見すると女の子と間違えるような、中性的な容姿をしている。そんな彼が『妹』として女性モノの服を着れば、もはやひと目で男とは看破できない。
 けれど声や語調、ふとした[瞬{しゅん}][間{かん}]に浮かべる表情は、確かに男だ。
 つまり、いまの悠一郎の在り方は、僕にとってとても理想的なのである。
 ――でも、そんな僕の胸の[裡{うち}]を本人に知られるわけには、絶対にいかない。
「ハル兄、行くよ?」
 ハッと我に返る。気づけば僕は玄関の手前まで来ていた。
 悠一郎はすでに準備万端の格好で外に出て、ぼんやり突っ立っている僕を待っている。僕は慌てて[靴{くつ}]を[履{は}]いた。

 

 東校舎の二階、一年生のフロアに着いたところで悠一郎と別れ、僕は三階にある二年四組の教室に向かう。
 中に入ってすぐに「おはよう」と誰に言うでもなく声を張ると、先に登校していたクラスメイトたちがおのおの[挨{あい}][拶{さつ}]を返してくれる。
 その中に暗い[響{ひび}]きはひとつもなく、今日も平和だと思いつつ自分の席に腰を下ろしたところで、クラスメイトのひとり――去年も同じクラスだった[辻本{つじもと}]が、いままで話していた友人たちの輪からこちらを振り返った。
「なぁ[卯{う}][月{づき}]、来るとき、すごい美少女見なかった?」
「美少女?」
 唐突な質問に、僕はぽかんとする。
 すると、辻本の向かい側に立っていた男子が、詳しい説明をしてくれた。
「辻本がさ、さっき職員室に行ったら、途中ですっげぇ美少女に会ったんだって」
 二度目の『美少女』という単語に、この学校でもとくに容姿が整っていることで有名な、同学年の女子三人が[咄{とっ}][嗟{さ}]に思い浮かぶ。
 しかしそのうちの誰かなら、具体的な名前が出てくるはずだ。ということは……。
 思い直した僕は、興味を引かれた素振りをしつつ返した。
「へぇ。三年生? それとも新入生かな」
「いやそれが、リボンの色は緑だったんだと。てことは、同じ学年ってことだろ? なのに、初めて見る顔だったって言うんだよ」
「二年で、初めて見る美少女……?」
 少し引っかかる話だった。
 とりあえず、その美少女に心当たりはない。僕が首を[傾{かし}]げてみせると、どうやらそれが援護になったらしく、こちらの様子を[窺{うかが}]っていた輪の中の女子たちが、「本当にそんな子いたの?」「カノジョほしすぎて幻覚見たんじゃない?」などと口々に辻本をいじりだす。
「いやいや、マジでいたんだって!」
 と彼が主張すれば、またも女子たちが[怪{け}][訝{げん}]そうな反応を見せた。
「えー。でも二年生なんでしょ? なら、いままで見たことない顔っておかしくない?」
「転校生とか?」
「こんな時期に転校? しかも高校で?」
 一層[胡{う}][乱{ろん}]な口調で放たれたそのセリフは、僕の内心を代弁した。
 いまは四月の下旬。新年度一発目の自己紹介はもちろん、部活の勧誘期間さえ終わり、新しい環境にみんな[馴染{なじ}]みはじめた頃である。
 そんな時期に転校生が来るというのはなんだか奇妙だし、しかもそれが『すごい美少女』というのは、ますます現実味が薄い。
 まさか幻覚だとは思わないけれど、辻本の言葉をすんなり[鵜呑{うの}]みにする気にはなれなかった。
 単に、みんながその存在を[把{は}][握{あく}]してなかったとか……いやでも、そんなに容姿の整った子なら、[噂{うわさ}]にさえならないものか? 噂やブームに[疎{うと}]い僕が知らないのはともかく、辻本やその友人たちまで知らないなんて、ちょっと考えられない。
 さっきも頭に浮かんだけれど、この学校で美少女と評される生徒は、現在の二年生に三人いる。そして彼女たちは全員、ほとんどの生徒に顔を知られている。僕でも知っているくらいだ。というのも、去年の文化祭で開催されたファッションショーに、全員モデルとして出演していたのである。
 その三人の誰でもない『美少女』となると――。
「もしかして……」
 突然誰かに耳打ちされた。
 吐息が耳にかかった瞬間、全身が[粟{あわ}][立{だ}]つ。[喉{のど}]が引き[攣{つ}]る。
 反射的に体を引きつつ声のした方を見れば、ひとりの女子が目を丸くしていた。名前は確か……[牧{まき}][野{の}]さん。どうにも昔から、ひとの名前を覚えるのが苦手だ。
「ごめん、びっくりさせちゃった?」
 悪びれているようでいて、どこか面白がっているような、恥じらっているようなセリフ。
「あ……いや。こっちこそごめん。いま、なんて?」
 内臓がぐるりと回ったような気持ちの悪さに襲われる。それを押し隠して訊き直すと、牧野さんは少し言い出しにくそうにしつつも、小声で言った。
「もしかして、卯月くんもああいう話、興味あるの?」
「ああいうって、どういう?」
「その……美少女とか、そういう」
 牧野さんは落ち着かない様子でもじもじと言い[淀{よど}]んだ後、窺うような目で[呟{つぶや}]く。
 ……なるほど。
 僕は視線を巡らせ、周囲の男子の様子を確認した。辻本から離れた位置にいる男子たちも、多くは『美少女』という単語に反応しているらしかった。ちらちらと辻本の方を見ているやつや、何人か女優の名前を挙げて「せっかくならそういうタイプがいい」などと期待を口にしているやつもいる。
 牧野さんは「卯月くんも」と言った。つまり、どうやら僕も他の男子同様、新たな美少女出現の可能性にそわそわしているものと思われたらしい。
「うーん……」
 苦笑してみせる。心外とまでは言わないけれど、あり得ないなと思った。
「どんな子だろうとは思うけど、美少女かどうかはそんなに……かな」
「そうなの? 外見より中身派?」
「…………」
 意地でも恋愛的な話にしたいのだろうか。正直やめてほしい。
 どうにか角が立たず、かつ噓にはならない無難な返しを考える。しかし、なかなか[閃{ひらめ}]かない。
 上げた口角を保ちつつ頭を悩ませていると、タイミングのいいことに、始業五分前を告げるチャイムが響き渡った。
 牧野さんは「どんな子だろうね」という言葉を残して、自分の席に戻っていった。
 [謎{なぞ}]の美少女。その正体は、確かに気になる。
 しかし、わざわざ捜し回る気にはならない。せいぜい何かの用事で職員室に行ったついでに、最近転校してきた生徒がいるかどうか訊くくらいだ。いると言われればそこまで。いないと言われたら――まぁ、そのときはそのときだ。
 何にせよ、[大事{おおごと}]になるような話でもないだろう。
 そんなふうに考えていると、やがて担任の[内{うち}][田{だ}]先生が現れた。
 本鈴とほぼ同時に『起立・礼・着席』が終わる。教室がしんと静まり返ったところで、先生はまずこう言った。
「今日からこのクラスに新しい生徒が増えます」
 直後、始業前以上のざわめきが教室内を満たした。辻本を見れば、「ほらやっぱり」と言いたげな様子で周囲に目配せをしている。
「静かに!」と先生が[一喝{いっかつ}]する。再び教室に静けさが戻ったものの、雰囲気は一変したままだった。みんなそわそわしているのが肌でわかる。
 先生はひとつ[咳{せき}][払{ばら}]いをすると、黒板横のドアに向かって「じゃあ入って」と言った。
 ガラッとドアが開く。
 すでに完成されつつあるコミュニティに[半{はん}][端{ぱ}]な時期から飛び込むことへの不安や気恥ずかしさといった感情がまったく窺えないその勢いに面食らったのも[束{つか}]の間。
 僕は、[物{もの}][怖{お}]じしない足取りで黒板の前に立ち、先生に[促{うなが}]されるよりも早く、低めの声で素っ気ない挨拶をしたその少女に、目を奪われた。
「[鷹宮螢{たかみやけい}]。……よろしく」
 辻本の言葉どおり、容姿は抜群に良かった。おそらく、さっき思い浮かべた三人の美少女よりも整っている。系統で言うなら、『[可愛{かわい}]い』よりも『美人』なタイプだ。
 スレンダーな体型。身長は見たところ百六十センチ後半。腰の位置が高く、スカートからすらりと伸びる黒タイツに包まれた脚が目を引く。髪は腰に届きそうなほどで、真っ[直{す}]ぐ[艶{つや}]やかで毛先も[揃{そろ}]っている。しかし[大人{おとな}]しそうという感じはしない。
 それはたぶん、彼女の目のせいだ。
 瞳自体は大きいが、目尻はやや吊り上がり気味で、全体的に鋭さがある。長い[睫{まつ}][毛{げ}]に縁取られていて、それが『目つきがキツい』という印象をより一層強めている気がする。
 そして何より――こちらを品定めするような、しかし期待はまるでしていないと言いたげな冷たい視線。
 制服は規範どおりの着こなしで、化粧をしている様子もない。筋の通った高い鼻、薄い[唇{くちびる}]、細く整った[眉{まゆ}]、シャープな[輪郭{りんかく}]と白い肌。彼女の容姿を構成するパーツのひとつひとつを見てみれば、それらの大半は間違いなく『控えめ』や『[清{せい}][楚{そ}]』といったイメージを導き出す。
 なのに、目だけがそれを裏切っているのだ。『[素{す}]』が[剝{む}]き出しとでも言えばいいのか、なんというか……取り[繕{つくろ}]う様子がない。冷徹で、無遠慮で、恐れ知らずな性質が透けているような印象。
 そんな目で[凝{ぎょう}][視{し}]されているせいか、普通なら[沸{わ}]き立つはずのクラスメイトたちは、誰も口を開かない。
 僕はと言えば、つい、感嘆の声をこぼしてしまいそうになった。
 [一{ひと}][目{め}][惚{ぼ}]れとは少し違う。正確に言うなら――期待したのだ。
 彼女は、普通の女子とは違うかもしれないと。
「あー……えっと」
 クラスは居心地の悪い沈黙に支配されている。それをなんとかしようと思ったのだろう、先生が鷹宮さんに、もう少し何か言うよう促した。
 鷹宮さんはちらりと横目で先生を[一瞥{いちべつ}]し、それから気のない口調で言った。
「……よろしくって言ったけど、ボクは、深く関わる相手は自分で選ぶことにしてる」
 周囲の気配がまた変わった。
『ボク』という一人称に反応したひともいれば、たとえ社交辞令でも、ないよりはマシだった歩み寄りの発言をいきなり[撤回{てっかい}]したことに顔をしかめたひともいる。
 このクラスにおいて『鷹宮螢は異分子だ』という認識が早々に固まりつつあることに、本人は気づいているのか[否{いな}]か。彼女はさらに続けた。
「だから、わざわざ気を遣って話しかけてこなくていいよ。そうじゃないならべつだけど。そういうことで、改めて」
 [よろしく{・・・・}]――と。
 先ほどと同じ、しかし意味するところはまるっきり違うセリフで締め括った鷹宮さんは、先生に自分の席を尋ね、さっさとそこに腰を下ろした。
 ……みんな、彼女を肩越しに見つめている。僕も彼女を見るのをやめられなかった。
 胸がドキドキする。
 いま、きっと僕以上に、鷹宮さんに好感を抱いているやつはいない。そう思った。
 しかし同時に、不安も覚えた。
 僕はいままでのこのクラスの雰囲気が気に入っていた。穏やかで、相手によって話す[頻{ひん}][度{ど}]の[偏{かたよ}]りはあれど[派{は}][閥{ばつ}]はなく、仲間内での敵意や悪意が見られず、全員が全員と分け[隔{へだ}]てなく交流できる、平和な雰囲気。
 進級に伴うクラス替えから一ヶ月ほどしか[経{た}]っていないので「まだ地金が出ていないだけだ」と言われてしまえばそれまでだけれど、出るにしてももう少し時間がかかる――はずだったのだ。
 それが、鷹宮さんが現れたことで確実に早まったように思う。
 ひょっとしたら、すでに[鍍金{メッキ}]は[剝{は}]がれはじめているかもしれない。
 少なくともこのまま放っておけば、鷹宮さんはクラスの穏やかな雰囲気を破壊するだろうという確信めいた予感が僕にはあった。
 彼女がクラスメイトたちを相手に何をするのか、あまり具体的な想像はつかないけれど――きっと何気なく、そして[躊{ちゅう}][躇{ちょ}]なく壊す気がする。
 何が嫌かと言えば、クラスに険悪なムードが漂うことはもちろんだけれど、鷹宮さんが、たとえ[自{じ}][業{ごう}][自{じ}][得{とく}]だとしても、大勢の敵意の的にされるのが嫌だった。
 みんな仲良くしてほしいとは言わない。けれどせめて、『互いに必要のないときは干渉しない』程度に収まってほしい。
 そのために、何か僕にできることはないだろうか――なんて、もっともらしいことを考えてみるけれど。
 それもまったくの噓ではないものの、それ以上に僕は、鷹宮さんと個人的にお近づきになりたいと思っていた。
 ある程度親しくなって、彼女が本当に期待どおりの『普通の女子ではない子』なのか確かめたい。……が、あの拒絶宣言めいた自己紹介を聞いた後で『簡単にお近づきになれる』と思えるほど、僕は自分のコミュニケーション能力に自信はない。現時点では会話すらちゃんとしてもらえるか不安なくらいだ。
 けれど怖がっていてもどうにもならないし、諦めがつく気もしない。
 さっきの鷹宮さんの自己紹介を思い出す。
 あれを聞くに、本気で鷹宮さんを知りたいと思って声をかけるのなら、そこまで[素{す}][気{げ}]なくはされないのではなかろうか。
 ただ、当たり[障{さわ}]りのないことばかり訊いたところで、淡々とした答えをもらって「はい終わり」になりそうな予感もビシバシする。推測するに、『関心には関心で返す』というコミュニケーションにおける一種の作法を、鷹宮さんはおそらくしない。
 ならば一発で鷹宮さんが僕に興味を持ってくれるような話題を――と思っても、彼女がどんなことに関心を示すのか、さっぱり見当がつかない。
「少し観察してからのほうが賢明かな……」
 あんなことを言われた後で、率先して鷹宮さんに話しかけようというクラスメイトが、僕以外に果たしているだろうか。
 ……たぶんいる。「馴れ合いを好まないといっても、転入したてのときにクラスメイトからフレンドリーに声をかけられて、いきなり不快になったりはしないだろう」と考えるような、気のいいやつが。
 ――予想は当たった。
 朝のホームルームが終わった直後。鷹宮さんに接近した一番手は、このクラスの中心的な人物のひとり、[茅吹{かやぶき}]さんだった。
「鷹宮さん。カラオケか、ボウリングって好き?」
 クラスメイトたちが密かに好奇の視線を注ぐ中、茅吹さんは名前を名乗った後、そんなことを尋ねた。
 カラオケかボウリングと聞いて、少し前に、クラスの[親睦会{しんぼくかい}]をやろうという話が持ち上がっていたことを僕は思い出す。
 計画は茅吹さんと彼女の友だちの女子数人が主になって進めていたもので、二年四組のメンバー全員の参加が前提に考えられていた。いつかの休み時間中に、参加できなさそうなひとは事
前に申告してくれと言っていたのを覚えている。
 人のいい笑顔で返答を待つ茅吹さん。
 しかし鷹宮さんは、彼女を一瞥しただけですぐに興味なさそうに視線を[逸{そ}]らし、
「興味ないな」
 と、投げやりな口調で言った。
 話はおしまいとばかりに口を閉ざす彼女に、茅吹さんは一瞬表情を引き攣らせたものの、まるで聞こえなかったかのようにさらりとそれを無視した。
「近いうちにクラスで親睦会をやるの。ゴールデンウィークにみんなでカラオケかボウリングに行くことになってるんだけど、鷹宮さんの歓迎会も兼ねようかって話になって。鷹宮さんだけ仲間外れにするのは悪いし……」
 茅吹さんはいったん言葉を切って、ちらりと、自分の様子を遠巻きに見ている友人たちに視線を投げた。茅吹さんの友人たちは、どことなく硬い笑みで浅い[頷{うなず}]きを返す。実際はあまり乗り気ではないという本心が透けていた。歓迎の心より、『鷹宮さんだけ仲間外れにするのは悪い』という言葉のほうが本当なのだろう。
「それに、こんな微妙な時期に転校してきたんじゃ、クラスに馴染みにくいでしょ?」
 茅吹さんが鷹宮さんに向き直る。その瞬間、茅吹さんの顔に笑みが戻った。
「いい機会だしさ、鷹宮さんも頑張ってみんなと打ち解けて――」
「あのさ」
 少し不機嫌な響きを含んだ声が、茅吹さんの話を[遮{さえぎ}]る。
 鷹宮さんは先ほどとは違う、どこか圧力を感じさせる目で茅吹さんを見た。
「キミは、ボクが周りに溶け込む手助けをしようとするみたいに振る舞ってるけど、それはボクを気遣ってのことじゃないよね。ポーズが取れたなら、さっさと引き下がってくれないかな」
「……は?」
 何を言われたのかわからなかったのだろう、茅吹さんはぽかんと口を開けた。
 周囲のクラスメイトたちも、鷹宮さんの言った意味を[摑{つか}]みあぐねて眉をひそめる。
 ただ――おそらく全員が、鷹宮さんの言葉がいい意味合いのものではないことは感じ取っていた。
「キミ、ボクのこと嫌いでしょ」
 淡々とした口調で鷹宮さんは言う。
「最初から新参者を[邪険{じゃけん}]にして、周りから悪く思われるのを避けたいんだ。キミってたぶん、『誰にでも気さくに接する思い[遣{や}]りのある子』みたいなイメージで通してるんだろうね。じゃなきゃ二年生になってまでクラス全員での親睦会なんて企画しないし、ましてやそれに、本心じゃ良く思ってないやつを、わざわざ自分から誘いに来たりしない」
 それが図星だったかは[定{さだ}]かではないけれど、茅吹さんは、
「……何それ。わたしが本当は、自分を良く見せたいだけの嫌なやつだって言いたいの?」
 と、明らかに気分を害された様子で言い返した。
 不穏な空気が漂いはじめる。
 なんでもないふうを[装{よそお}]って聞き耳を立てていたクラスメイトたちは、いまやそれを隠そうとせず、ひそひそと[囁{ささや}]きあっている。
 いきなり茅吹さんを[侮{ぶ}][辱{じょく}]するようなことを言い放った鷹宮さんを非難する声。それに混じって、茅吹さんの本性を疑う呟きがいくつか。
 本人の耳にも、それは入ったらしい。茅吹さんはさっと視線を巡らせた後、険しい目で鷹宮さんを[睨{にら}]んだ。
 しかし鷹宮さんの表情は変わらない。
「べつに嫌なやつとは言ってないし、思ってないよ。いまのは[答え合わせ{・・・・・}]っていうか、キミに感じた違和感の正体を確かめただけ」
 涼しい顔でそう言った後、彼女はつまらなそうにそっぽを向いた。
「たださ、ちょっとしつこいよ。キミはボクを親睦会に誘って、断られた。それで充分だったはずでしょ。さっきも言ったけど、ボクは、深く関わる相手は自分で選ぶ。ボクにとってキミは、物足りなさすぎる」
 ……鷹宮さんの言いたいことが、大体わかった。
 でも『物足りない』って、何がだ?
「ちょっと、そんな言い方ってなくない?」
 そう声を張り上げたのは、茅吹さんではなく、その友人である女子のひとりだった。
 露骨に[苛{いら}][立{だ}]った表情で鷹宮さんに詰め寄り、彼女の机を[叩{たた}]く。
 高圧的な音が響き、周囲の何人かがびくっと身を[竦{すく}]ませた。僕もドキッとして、つい体が[強{こわ}][張{ば}]る。けれどやはり、鷹宮さんは動じない。黙ったまま、[億劫{おっくう}]そうな視線だけをその女子に注ぐ。
「茅吹さんは親切で誘ったのに、なんでそんなこと言うの? 鷹宮さんさ、半端な時期に転入してきたからって、自分は周りとは違って特別とか、そんなふうに思ってない?」
 それは違うだろう、と反射的に思った。
 鷹宮さんの言葉が真実なら『茅吹さんは親切で誘った』という認識がまず間違っている。少なくとも、鷹宮さんの認識ではそうだ。
 茅吹さんの本心をここで[暴{あば}]く必要はなかったけれど、それはしつこくされたことへの意趣返し――いや『答え合わせ』か。
 茅吹さんの振る舞い――建前と本音、体裁と真意とにあるズレから生じて滲み出た違和感。その正体を確認して、親睦会に誘うことが単なるポーズであるという確信を強める意図があったのだろう。
 鷹宮さんが自分を特別だと思っているかはわからないけれど……悪気はたぶん、ない。茅吹さんに対する淡泊な態度と、茅吹さんを「嫌なやつとは言ってないし思ってない」と言ったことから推測できる。
 しかし、言い方がまずかったのは確かだ。あれじゃ角が立ちまくっている。
 周囲をよく見れば、女子全員の目が険しい。明らかにみんな、鷹宮さんを快く思っていない。いつの間にか教室内の雰囲気は完全に『女子の世界』になっており、男子はほとんどが「これはヤバいぞ」といった面持ちで事の成り行きを神妙に見守っている。
「ちょっと、聞いてる?」
 [詰問{きつもん}]から数秒、鷹宮さんが何の反応も示さないことに[痺{しび}]れを切らして、女子が催促するようにまた机を叩いた。
 バンバン、という音に鷹宮さんの眉がぴくりと跳ねる。そして、
「……うるさいな」
「な――」
「――鷹宮さん!」
 茅吹さんの目が怒りに染まったと思った直後、気づけば僕は立ち上がって、鋭く叫んでいた。
 弾みで倒れた[椅子{いす}]が派手な音を響かせ、にわかに沸き立ちかけていた場が、水を打ったように静まり返る。
 クラス全員の視線が僕に集まる。茅吹さん、そして鷹宮さんも、目を[瞠{みは}]っていた。
「あ……」
 鷹宮さんの瞳にほんの少しだけ僕への関心が浮かんでいることに気づいた瞬間、胸の奥で何かが[膨{ふく}]れ上がり、それは僕から思慮を奪い取って、僕の体を勝手に動かした。
「ごめん、ちょっと来て」
 倒れた椅子を無視して鷹宮さんのもとに一直線に歩み寄り、返答を待たずにその細い手首を摑んで、教室の外へと引っぱっていく。抵抗はまったくされなかった。
「えっ、ちょっと」という誰かの声を背に廊下に出ると、自然と歩く速度が上がる。途中でチャイムが聞こえた気がしたけれど、それも無視して歩き続ける。
 やがて[人{ひと}][気{け}]のない階段の前まで来たあたりで、
「このあたりでいいんじゃない」
 と、鷹宮さんが呟いた。
 その一言で、僕はハッと我に返る。同時に鷹宮さんの肌に触れているという実感が[湧{わ}]いてきて、慌てて手を離した。
「あ、ご、ごめん。突然こんな……」
「べつに。で、ボクに何か用?」
 溝が深まるばかりの口論を見咎められたとは、少しも考えていないようだった。あくまで僕が鷹宮さんに個人的な用があると思っているらしい。
 僕は少し[逡{しゅん}][巡{じゅん}]した後、言った。
「……鷹宮さん、さっき茅吹さんに『物足りない』って言ったよね。あれってどういう意味?」
 クラスメイトと話すときはもう少し気を遣ってほしい――というようなことを言おうと思っていたのに、いざ僕の口から出てきたのは、まったく違うセリフだった。
 教室から強引に連れ出して、授業までサボって訊くことではさすがにない。すぐに撤回しようとした僕は、しかし、鷹宮さんの表情にあった退屈そうな色が薄れたことに気がついて思い[留{とど}]まった。
「ああ、それ。だってあのひと、ありきたりだったから」
「ありきたり……?」
「内心じゃボクを『好きになれない、面倒くさい相手』だと思ってて、本当は関わりたくないって思ってるけど、周りが持ってる自分のいいイメージを崩さないために仕方なく好意的に接す
る――っていうスタンスがさ」
「……なるほど」
 確かに、自分のイメージや円滑な人間関係を保つために、好きではない相手にも好意的に接するひとは多い。ありきたりと言われればその通りだ。
 上辺だけの態度に不快感を覚えるのではなく、その意外性のなさに落胆するというのは、なかなか独特な感性だけれど、わからなくもない。
「そんな、ちょっと見ただけでわかっちゃう程度のものしかないひとなんて、どうでもいい」
「――え?」
 [吐{は}]き捨てるような鷹宮さんのセリフに、僕は目を[瞬{しばたた}]いた。
 何か、僕は彼女について、大きな思い違いをしている気がする。
 しかし何をどう誤解しているのか、はっきりと摑めない。
 どうにかそれを把握して確認したいと思い必死に頭を働かせるが、思考がまとまる前に、鷹宮さんは踵を返した。
「話がこれだけなら、ボクは戻るよ。キミもそうしたほうがいいんじゃない」
「あっ……、……うん」
 咄嗟に引き留めそうになるけれど、言葉が出てこず、頷く。
 鷹宮さんは僕の返答を待たずにさっさと歩き出していて、僕は少し距離を空けたままその後を追った。
 薄々わかってはいたけれど、彼女は[生{き}][真{ま}][面{じ}][目{め}]な性分ではないようで、足取りに焦りは見られない。自然と僕の歩みもゆっくりになって、まだ話をする時間はあると感じながらも、結局彼女にかける言葉が思いつかないまま、僕たちは教室に着いてしまった。

 

 せっかくの話ができる機会に肝心なことを言いそびれてしまったけれど、本格的にまずい状況になるまで、まだ多少の[猶{ゆう}][予{よ}]はあるだろう。
 ――などという楽観は、予想よりずっと早く[木{こ}]っ[端{ぱ}][微{み}][塵{じん}]になった。
 四限目の授業が終わり、本来なら放課後の次に和やかな時間となるはずの昼休みに、第二回戦のゴングは鳴らされた。
 四限の授業は現代社会で、グループ課題だった。……この時点で、僕は事前に、どういう事態が起こるか、薄々察しがついていた。
 端的に言って、鷹宮さんはまたトラブルを起こした。
 具体的に何を言ったかやったかは知らないけれど――授業中に一度、彼女が入ったグループから苛立った声が上がった。そこから言い争いに発展こそしなかったものの、不穏な空気は残留し、チャイムが鳴って教師が姿を消してからが本番だった。
 いま、鷹宮さんの目の前には女子がふたり立っている。一方は[威{い}][圧{あつ}]するように鷹宮さんに詰め寄り、もうひとりは少し後ろで気まずそうな表情を浮かべている。そのすぐ近くに座っている男子も何人か、彼女を胡乱な目で睨んでいた。全部で五人。鷹宮さんと同じ班で作業をしていたひとたちだ。
「あのさ鷹宮さん。やめてくれない? ああいうの」
 眼前に立つ女子にそう言われて、鷹宮さんは、
「……そうだね。確かに、授業中に言うことじゃなかった」
 意外なことに、素直に自分の非を認めた。
 おや? と、僕だけでなく、周囲も目を瞠る。
 このまま円満に和解してくれるかな、という淡い期待が胸に湧く。けれど案の定、鷹宮さんの言葉はさらに続いた。
「でも、間違ってはないでしょ」
「何が」
「[キミが{・・・}]」
 鷹宮さんの視線が後方の女子を[射{い}][貫{ぬ}]き、
「[この子を{・・・・}]」
 人差し指が近くの女子を指し示す。
「[本当は嫌ってる{・・・・・・・}]、っていうの」
 瞬間、二人の女子の顔色がさっと変わる。とくに[顕著{けんちょ}]だったのは後ろの子のほうで、明らかに[狼狽{ろうばい}]していた。
 僕も、その子ほどではないだろうけれど、さすがに内心が顔に出てしまった。
 鷹宮さん、そんなことを言ったのか。さすがにそれはアウトだ。当たっていようと的外れだろうと、言われた側は十中八九キレる。
 というか、これで二回目。撤回するどころか、わざわざ繰り返してしまった。一度目は水に流してくれたとしても、二度目となったら――。
 僕の悪い予想は的中した。鷹宮さんの言葉から一拍置いて、甲高い怒声が教室内の空気を振動させた。
「はああ⁉ いい加減にしてよ。今日転校してきたばっかで、あたしやミクのこと、ろくに知らないくせに、何テキトーなこと言ってんの⁉」
「適当じゃないよ。少し観察すればわかる。むしろ、ボクよりずっと長くあの子とつき合ってるはずのキミは、なんで気づいてないの? ――キミも、はっきり言ったらいいのに」
「えっ」
 唐突に水を向けられた後方の女子――ミクと呼ばれた子は、びくっと肩を跳ねさせた。[下{へ}][手{た}]をすれば泣き出してしまうんじゃないかと思うほど、その表情は不安に[歪{ゆが}]んでいる。
 けれど、鷹宮さんは[容赦{ようしゃ}]がない。
「少し見ればわかるくらい、押し隠すのに無理があるなら」
「ちがっ……違うよ。そんなんじゃ――」
「いっそやめたらいいと思うけど」
「違うってば! わたしはべつに、サヤのこと嫌いなんかじゃ……ちゃんと好きだよ」
「…………」
 [頑{かたく}]なに否定するミクさんを、鷹宮さんは[猛禽類{もうきんるい}]を思わせる鋭い目で凝視する。
 ミクさんとサヤさんが理解不能なものを見るような目を自分に向けているのを[歯{し}][牙{が}]にもかけず、本心を底の底まで探るかのようにミクさんを無言で見つめ続けた鷹宮さんは、やがて興が[醒{さ}]めたというように短く息を[吐{つ}]いた。
「……いいや。キミのもたいしたことなさそうだし」
 ――まただ。
 茅吹さんを『物足りない』と評したときと同じ色が、いまの鷹宮さんの表情にも浮かんでいる。
 一体彼女は、どんなものを望んでいるのだろう。
 もっと複雑なゴシップが好みなんだろうか? でも、他人の秘密やトラブルに[嬉{き}][々{き}]として食いつくようなイメージはいまのところない。そう[捉{とら}]えるには無感動というか、楽しもうとしている素振りが見られない。
 それに、さっきもいまも――相手の本心を暴くとき、鷹宮さんは『やりたくてやっている』というよりも、『そうするのが自然だからやっている』と表現したほうがしっくりくるような態度だった。がっかりした様子はあるので、好奇心がまったくないわけではないのだろうけれど……。
 鷹宮さんのお[眼鏡{めがね}]に[適{かな}]うものがどんなものか。そしてそれに出会ったとき、これまで退屈そうな顔ばかりの彼女がどんな振る舞いをするのか――気になる。
 ハラハラしながら状況を見守っていたはずが、うっかり下心混じりの興味に思考の[舵{かじ}]を取られてしまった僕は、
「はぁ?」
 という、サヤさんの[嚙{か}]みつく声で目が覚めた。
「何ひとりで勝手に納得して終わりにしようとしてるわけ? こっちは全然よくないんですけど」
 低い声で威圧するサヤさんに、鷹宮さんはどこか[呆{ほう}]けた様子の億劫そうな瞳を向ける。サヤさんも、その色に気づいたらしかった。さらに募る苛立ちに目の下をひくつかせながら、それでも感情を押し殺した声で言う。
「意味わかんないこと言って、あたしたちのこと引っかき回してさぁ。なんか言うべきことがあるでしょ」
 はっきりとは言わずとも、謝罪を要求しているのだと[傍{はた}][目{め}]にもすぐにわかった。[妥{だ}][当{とう}]な展開だと思う。なのに、
「とくにないよ」
「――っ、この……!」
 もう[駄{だ}][目{め}]だ、と僕は瞬間的に悟った。サヤさんの[形{ぎょう}][相{そう}]が一層歪み、彼女の手がさっと[虚{こ}][空{くう}]を払うように振り上げられる。
 その初動を視界に捉えたとほぼ同時、僕は駆け出し、横合いから躊躇うことなく、サヤさんの腕を摑んで止めた。
 ぎょっとした顔でサヤさんが僕を振り向く。思いのほか顔と顔の距離が近いことにドギマギしつつ視線を横へ流せば、さっきまで身構えていた鷹宮さんも、意外そうな顔で僕を見ていた。
「ちょっと、何⁉」
「駄目だよ、それは」
「……は?」
 サヤさんの驚きに見開かれた目が、[軽蔑{けいべつ}]の色を[孕{はら}]んだものに変化した。
 思い切り睨まれて、さすがに[怯{ひる}]む。
 サヤさんは見るからに「正義の味方気取りか?」とでも言いたげで、僕は二の句が継げなくなった。
 暴力はいけない、などと[宣{のたま}]うつもりはなかった。正論にしても、言葉でひとを傷つけるのを静観しておいて言えたことじゃない。しかし、だったらなぜ止めたのかと問われると、それ以外の適切なセリフが浮かばない。
 考えている余裕がなかったとはいえ、軽率だった。次に何と言うべきか、口をもごもごさせて悩んでいるうち、サヤさんが不快感を[露{あら}]わに僕の手を振りほどいた。
「いい加減はなしてよ。手汗すごいんだけど。なんなの?」
「……さすがに、暴力はまずいよ」
 結局言ってしまった。
 案の定、サヤさんは苛立った様子で言い返してくる。
「あたしが悪いわけ? 話聞いてなかった? ていうか、なんで卯月くんが止めに入ってくるの」
「それは……つい。話は聞いてたよ。怒るのは当然だと思う。でも叩くのは……やっぱりまずいよ。言葉よりよっぽど問題になるし」
「…………」
 できるだけ穏やかな口調で言ったのがよかったのか、サヤさんは不服そうにしながらも、宙に留めていた腕を完全に下ろした。それからもう一度鷹宮さんをぎろりと[睨{ね}]めつけて「ふん」と鼻を鳴らし、踵を返す。
「ミク、購買行こ」
「う、うん」
 二人が教室から姿を消したことで、緊張していた周囲の雰囲気がようやく緩む。奇妙な静けさが薄れ、やがて昼休みらしい[喧騒{けんそう}]が空間を満たす。
 僕も、なんとか大事にならずに済んでほっと胸を[撫{な}]で下ろす。それから、ちょっと恩着せがましいかなと思いつつ、鷹宮さんに声をかけた。
「えっと……大丈夫だった?」
「うん。キミが止めたしね。でも、わざわざ止めに入ってこなくても平気だったよ、あれくらい」
「そ、そっか。ごめん、余計だったかな」
「そうは言わないけど」
 会話はそこで途切れた。
 鷹宮さんはあっさり僕への関心を失い、バッグから昼食が入っているらしいコンビニの袋を出しはじめる。
 [名残{なごり}]惜しいけれど、まだ彼女の興味を引けるような材料は手持ちにない。
 適当な話題を振ってでも会話を続けたいのをぐっと堪え、大人しく自分の席に戻ろうと体を横に向けた――そのとき。
「あっ」
「っ!」
 いつからそこにいたのか、突然視界に入った――それもかなり近い距離にいた女子の姿に、僕は思わず息を詰めて[仰{の}]け[反{ぞ}]った。
 対する相手も、僕が急に振り返ったせいか目を丸くして、僕に向かって伸ばしかけていたらしい手を引っ込める。
 後ずさりしそうになる足に力を込めて踏み[止{とど}]まる。跳ね上がった心臓が[早鐘{はやがね}]を打つけれど、胸を押さえることはしない。僕はすぐに微笑をつくり、
「どうかした?」
 と尋ねた。
 彼女の名前が咄嗟に思い出せない。ただ、顔に見覚えはある。ということは、おそらく去年も同じクラスだった――そうだ、[柳{やなぎ}]さんだ。
 名前がわかると、つられて記憶も[朧{おぼろ}][気{げ}]ながら[蘇{よみが}]えってくる。一年次のクラスメイトの中では比較的、話す機会の多かった子だ。[大抵{たいてい}]は彼女のほうから他愛のない雑談を振ってきて、僕はそれに[相槌{あいづち}]を打ち、時折投げられる質問に答えるという[塩梅{あんばい}]だった。
 柳さんは僕に訊かれて、ぱっといつもの明るい表情になった。
「あ、うん。卯月くんを呼んでほしいって頼まれたの」
「え、誰に?」
「綾坂くんっていう一年の子」
 その答えに、僕は慌てて時計を見遣った。
 十二時四十三分――いつもならとっくに一年の教室に悠一郎を迎えに行って、屋上か中庭でお昼を食べている時間だ。
 昼休みは五十分。時間自体はまだ充分残っているけれど、何の連絡もなく待たせるのに十三分は長い。
 僕は柳さんに「ありがとう」と告げて、急いでランチバッグを取りに走ろうとする。
 しかし、
「あの子、卯月くんの知り合いなんだよね。部活の後輩?」
 と、柳さんが僕を引き留めた。
 無視して立ち去るのは印象が悪い。仕方なく僕は足を止めて、答えた。
「ううん、[従弟{いとこ}]なんだ」
「へぇ! すっごいかわいい子だね。声かけられたときびっくりしちゃった。ねぇ、卯月くんって確か、演劇部に入ってるんでしょ」
「え、ああ、うん。そうだよ。あの――」
「あの見た目で演劇部じゃないなんて、もったいないね。そういえば去年は卯月くん、劇に出てなかったよね。裏方だったの? 今年はどう?」
 もう行くね、と言おうとした僕を遮って、柳さんはなおも話を続ける。しかも興味の対象が、なぜか悠一郎から僕にすり替わっている。
 柳さんが僕に質問をするたびに上体を少し前のめりにするせいか、僕も彼女も移動していない
のに、距離がじわじわ近づいてきているような錯覚もある。そのたびに僕は身構えてしまい、呼吸が乱れる。
「……っ」
 手に汗が滲む。[鳩尾{みぞおち}]のあたりが気持ち悪い。口の中が[乾{かわ}]く。
 柳さんの浮かべている表情、その印象に、僕は覚えがある。これは『自分はあなたに関心を持っている』とアピールするときの目つきだ。
「ごめん、もう行かないと。じゃあ」
 早口気味に言って、僕は返答を待たずに柳さんの[脇{わき}]をすり抜けた。
 ……声に焦りが出てしまった気がする。それに、言い出すまでに数秒の間が空いてしまった。
 踏み込まれるのが嫌で逃げたとバレていないことを祈りつつ出入り口へ行くと、すぐ近くで悠一郎が、どこか皮肉っぽい微笑を浮かべて待っていた。僕が[傍{そば}]に立っても、視線は教室の中に向いたままだ。
「ごめん、待たせた。……どうかした?」
「いや……あのひと、ハル兄にずいぶん[絡{から}]んでたなと思って」
「ああ、柳さんのこと? お前の顔がいいから、演劇部の後輩かって訊かれたんだよ」
 柳さんの[本命{・・}]がそれじゃないだろうことは、言わないでおく。
 とはいえ――『すっごいかわいい』という彼女の悠一郎の容姿に対する評価は、さっきは雑に流したけれど、正しいと思う。
 悠一郎をまじまじと見つめてみる。
 小柄な細身に、中性的で整ったつくりの童顔。いまは化粧をしていない、男子用の制服を着た平凡な装いではあるものの、それでも素材の良さは充分わかる。
 悠一郎は演劇部員ではないけれど、演劇部に入ったなら、間違いなく主演候補になる。少なくともメインの役には選ばれるはずだ。役者としてステージに立つ悠一郎。きっとどんな衣装でも似合うだろうし、演技力も並以上にある。ともすれば、先輩よりも人気の役者になるかもしれない。
 ちょっと見てみたい気もするけれど……それでもし女性の役に[抜擢{ばってき}]されたら、僕は心穏やかじゃいられないだろう。せめて学校にいる間は、悠一郎の女装姿を見たくない。あれを見ていると、とても複雑な心境になる。
「今日はどこで食べる?」
「んー。ちょっと風があるし、中庭かな」
「了解」
 じゃあ行こうか、と返そうとしたとき、僕の方を向いたばかりだった悠一郎の視線が、再び教室の中に移った。
 なんだろう。まだ柳さんが気になるのだろうかと思い、さっき自分たちがいた場所を振り返る――と。
 鷹宮さんと、ばっちり目が合った。
「えっ」
 彼女は体ごとこちらを振り返って、僕をじっと見つめていた。心なしか、その[眼{まな}][差{ざ}]しは妙に真剣な気がした。
 予想外のことに、つい混乱する。
 なんでこっちを見てるんだ? さっきは――少なくとも柳さんに声をかけられる前までは、僕に興味なんて微塵もない様子だったのに。ひょっとして、柳さんとの話の中に、彼女の関心を引くような何かがあった? でもたいしたことは言っていないはず……あ、もしかして僕じゃなくて悠一郎を見てるのか? ……いや、鷹宮さんは確かに僕を見ている。悠一郎じゃない。……なんで?
「ハル兄、お[腹{なか}][空{す}]いた」
 悠一郎が僕のブレザーの[裾{すそ}]を軽く引っ張る。
 鷹宮さんが僕から視線を外す気配は一向にない。僕のほうからこの奇妙な時間を終わらせてしまうのは惜しいけれど、かといっていつまでも見つめ合っているわけにはいかず、僕は悠一郎に視線を戻した。
「ああ、ごめん。じゃあ行こう」
 戻ってきてから「何か用だった?」と訊いたら、鷹宮さんは答えてくれるだろうか。
 僕に興味があるのはいまこのときだけで、少し間が空いたらパッと消えてしまうんじゃないだろうか。そうなら切ないけれど、一番あり得そうな気がする。
 千載一遇のチャンスを逃したかもしれないと内心肩を落としつつ、僕はようやく中庭に向かって歩き出した。

 

「ねぇ、キミって同性愛者なの?」
「へっ⁉」
 突然背後から投げかけられた、あまりにも突飛な質問に、つい[素{す}]っ[頓{とん}][狂{きょう}]な声を上げてしまったのは、悠一郎との昼食を終えて教室に戻る途中――二階と三階を結ぶ階段の踊り場でのことだった。
 声の主は鷹宮さんだった。
 いつから僕の後ろにいたのかと驚く。しかも近くには彼女以外誰もいないようで、声も足音もしない。もしかして、ふたりきりになる瞬間を狙って、僕の後をつけていたのだろうか。
 というか――同性愛者だって?
「それとも、女性恐怖症?」
 なんでそんなことを訊くの? と、苦笑しつつ尋ね返そうとした僕は、後に続いたその指摘に思わず息を呑んだ。
 鷹宮さんの例の眼差しのせいだろうか。[上{う}][手{ま}]く表情が取り繕えない。
「……どうして、そう思うの」
 緊張を隠し切れていない僕の問いかけに、鷹宮さんは心なしか熱がこもった調子で答えた。
「まず、四限目のグループ制作のとき。
 キミはボクとべつのグループだったけど席は近かったから、よく見えたし、聞こえたよ。キミ、男子と話すときは普通なのに、女子が相手のときは[随分{ずいぶん}]緊張してるみたいだった。それに、自分からは女子に声をかけないようにしてたでしょ。視線もできるかぎり逸らしてた。まぁそれだけなら、ただ[初{う}][心{ぶ}]なだけかと思ったけど……。
 ボクを叩こうとしたあいつを止めた、あのとき。
 キミはパッと見冷静だったけど、あいつの腕を摑んでる手が震えてたし、手汗もかいてた。一言目を言った後あたりからかな、少し顔色も悪くなった。女子に免疫がないからだっていうなら、もっと違う反応になるはずだ。
 それから、キミを呼びに来たあの女子に絡まれてたとき。こっちのほうが露骨だったな。わざわざ説明する必要もないくらい。
 ここまででボクは、キミは女子が苦手なんだろうと思った。とくに、自分に好意的な女子が。
 でも、そうなると引っかかることがあった。だから一応、違う可能性も考えたんだ。
 ……で。[従弟{いとこ}]だっていう一年生と、教室の前で話して、中庭で一緒にお昼を食べるキミを見ていて、閃いた。
 キミは女子がただ嫌いなんじゃなくて、男が好きなんじゃないかって」
「――うん?」
 関心を持たれていないと思っていたのに、気づかないところでこんなにも詳細に観察されていたなんて……と、[嬉{うれ}]しさ半分、[戦慄{せんりつ}]半分で鷹宮さんの話を聞いていた僕は、最後の一歩手前で目を丸くし――そして締めの部分で、つい眉をひそめた。
「ちょっと待って。なんでそこでいきなり『男が好き』ってなるの。ていうか、中庭でって……鷹宮さん、あそこにいたの? どうして」
「キミを観察するためさ。キミの[従弟{いとこ}]に対する態度は、明らかに他とは違ってた。身内だからかと思ったけど、どうもそれだけじゃなさそうに見えたんだ」
 心臓が不規則に跳ねた。
 見抜かれているのかと一瞬身構えて、しかしすぐに思い直す。……なるほど、先が読めた。大丈夫だ、[そういうことならごまかし{・・・・・・・・・・・・}]がきく。
 ひとまずは安心していいとわかって、こっそりと深く息を[吐{は}]く。
 それでもまだバクバクとうるさい[心{む}][臓{ね}]を押さえたいのをぐっと堪えて、僕は言った。
「……もしかして、僕のユウ――[従弟{いとこ}]への態度が妙に甘いから、僕が同性好きで、[従弟{いとこ}]が[片想{かたおも}]い相手なんじゃないかって推測したの?」
 自分が悠一郎に甘いという自覚はあった。他人から指摘されたことも何度かある。
「違うの?」
 肯定を省略して、鷹宮さんは切りつけるように問いかけてくる。その瞬間、彼女の目の色が変わったような気がした。
 その変化が何を意味するのかわからず少し面食らったものの、僕はできるだけはっきりと、
「違うよ」
 と返した。
「僕は同性が好きなわけじゃないし、[だから当然{・・・・・}] 、[従弟{いとこ}]に片想いしてもいないよ。女子が苦手っていうのは当たってるけどね。でもそれも、恐怖症ってほどのものじゃないよ。ただ、ちょっと――苦手なんだ」
「……ふうん……」
 納得してくれたのか否か、いまいち判然としない反応。
 ぼろが出る瞬間を見逃すまいとしているのか、鷹宮さんの猛禽類を[彷彿{ほうふつ}]とさせる目が僕をじっと見つめてくる。
 ここで下手にアクションを起こしたら、いまの言葉に混ぜた[ささやかな欺瞞の仕掛け{・・・・・・・・・・・}]に気づかれてしまうかもしれない。僕は[瞬{まばた}]きの回数まで気を遣い、平静を装ってみせた。
 互いの視線が絡み合うこと数秒。鷹宮さんは、
「そうなんだ」
 と言って――笑った。
 その、不意に彼女が見せた初めての笑顔に、僕は思わず目を見開く。
 嬉しそうな、と素直に形容するにはどこか背筋がぞくりとする――[喩{たと}]えるなら、挑み[甲{が}][斐{い}]のある[標的{ターゲット}]を見つけたハンターめいた雰囲気のある笑みだったけれど、僕は嫌な予感以上に、彼女が自分に本気で興味を持ってくれたという確信をその表情に抱いて、胸が躍った。
「面白いね、キミ」
 鷹宮さんは僕のことをそう評した。
「キミ、名前何て言ったっけ」
「卯月[遥臣{はるおみ}]」
「そっか。じゃあハル」
 いきなり僕にあだ名をつけた彼女は、さっき言っていた『まだ引っかかること』について切り込んできた。
「女子が苦手って言ったけど、ボクが[例外{・・}]みたいなのはどうして?」
「それは」
 浮かれ気分のままにうっかり口を滑らせそうになったすんでのところで、ハッとする。
 直感的に、慎重に言葉を選ぶべきだと思った。下手なことを言えば、僕が密かに抱えている事情が暴かれかねない、という冷静な思考が後から追いついてくる。
 しかし無理にごまかそうとするのも悪手だ。自分が噓の苦手な正直者だとは思わないけれど、きっと鷹宮さんのほうが[上{うわ}][手{て}]だろう。
 僕はひとつ咳払いをして、必要以上でない、かつ噓にならないラインを探りつつ言葉を[紡{つむ}]いだ。
「鷹宮さんは、その……こう言ったら失礼かもしれないけど、あんまり女の子らしくない感じだったから。男っぽいってわけじゃないけど、他の女子とは全然違うような――あっ、もちろん、
いい意味でね」
 そこで鷹宮さんはひとつ相槌を打つと、わずかに目を細めた。
「だから?」
「え?」
「女子っぽくないボクに対して、ハルは何を思ったの?」
「----」
 彼女はたぶん、返ってくる答えに当たりがついている。
 最初から、僕が鷹宮さんに抱いている感情がある程度予想できていて、しかしあえて訊いてきたのだと、僕はようやく悟った。
 おそらく、まだ測られているのだ。僕の程度――興味深さが、どれほどのものか。
「鷹宮さんなら……」
 好きになれるかもしれないと期待した、とは言いたくなかった。
 それじゃあ[以前とたいして変わらない{・・・・・・・・・・・・}]。ただ自覚して、正直になっただけだ。むしろ、そのほうが[質{たち}]が悪いかもしれない。
 だから僕は、
「鷹宮さんが相手なら、ちゃんと人柄を見られると思ったんだ。女子だからってだけで敬遠したりしないで……ちゃんと」
「――なるほどね」
 僕の答えに、鷹宮さんはまた、どこか含みのあるような笑みを見せた。
 信じてくれたのかは定かではないけれど、少なくとも失望はされなかったらしい。鷹宮さんは、今度は自然な笑顔を浮かべて、僕に片手を差し出した。
 自信ありげに――まるで契約を持ちかける、[蠱{こ}][惑{わく}][的{てき}]な悪魔のように。
「友だちになろうよ、ハル」
「えっ?」
「キミはボクと[仲良く{・・・}]なりたいんでしょ? ボクはキミのことをもっと知りたい。
 どうしてそんなに女子が苦手なのか。その苦手意識が、相手が自分に好意的だと一層強まる理由は何なのか。
 [従弟{いとこ} ]を見つめる表情が妙に甘いのは一体なんでなのか。
 それから、ボクみたいな[例外{・・}]相手に、ハルが[本当は何を望んでいるのか{・・・・・・・・・・・・}]。
 ――すっごく、興味あるな」
「……っ」
 思わず[生唾{なまつば}]を飲み込む。
 僕はこのとき初めて、鷹宮さんが怖いと思った。
 [他{ひ}][人{と}]の[繊細{せんさい}]な部分に土足で踏み込むことに、あまりに躊躇いがないから――ではない。
 僕がこの差し出された手を取ろうと取るまいと。
 彼女はきっと、いま挙げた気がかりのすべてを――[現{い}][在{ま}]の僕の核とも言える部分を、たいして時間をかけずに暴き立ててしまうだろうと直感したからだ。現時点ですでに、かなり危ういところに目をつけられている。
 ……もしすべてを暴かれたら、僕はどうなるのだろう。
 これまで隠し続けてきた何もかもを、鷹宮さんに暴かれてしまったとして。それを知るのが彼女ひとりだけで収まるなら、まだいい。でももし、大勢のひとが聞いている状況で暴露された
ら――そこに悠一郎や紫理がいたりしたら。
 想像しただけで[目{め}][眩{まい}]がして、[吐{は}]き[気{け}]がこみ上げてくる。
 僕は僕のことを、誰にも知られたくない。
 知られてしまうのが怖い――そのはずなのに。
「……友だちになったら、きみの傍にいてもいいの?」
「もちろん。ずっと傍にいてよ、ハル」
「…………」
 ……おそるおそる、片腕を持ち上げる。
 スローモーションのようにのろのろと伸びる僕の手を、鷹宮さんは強引に取ったりしなかった。僕が自分から彼女の手に触れるまで、じっと待っていた。
 そっと包むように鷹宮さんの手を取ると、何倍も強い力で握り返される。
「これからよろしくね、ハル」
 もう逃げられないよと告げるようなその握手とは裏腹に、鷹宮さんは嬉しそうに笑った。
 対して僕は、我ながらお[愛{あい}][想{そ}]とも好意の表れともつかないような、ただ、心の奥底にある[仄暗{ほのぐら}]い何かが少しだけ混じった気はする、[曖昧{あいまい}]な微笑を返した。

 

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