人工島『[龍{りゅう}][宮{ぐう}]』 中央区画
「どうなってる……聞いていた規模の消灯とは違うな……」
数日前にラウラと[雫{しずく}]の過去について話していた研究員――クワメナ・ジャメは、周囲の人々の間に混乱が広まっていくのを感じながら呟いた。
「これでは、消灯というより停電だ」
故郷であるナイジェリアを離れ、世界各地を渡り歩いた後に『[龍{りゅう}][宮{ぐう}]』の研究員として採用されたクワメナは、研究所でも雫の同期にあたる古株だ。
己の業務を早めに終わらせた彼は、故郷で見た星空と比べて郷愁に[浸{ひた}]ろうと予約したテラスの席に向かっていたのだが、まだ時間前だというのに明かりが消え、道の中央で大勢の観光客達と共に立ち往生する形となっている。
「研究所は大丈夫か? 所長は島外に出ている筈だが……」
携帯に目を向けるが、圏外となっていた。
恐らく、停電により基地局の電波も一時的に途絶えている状態なのだろう。
「やれやれ、こうなってくると衛星通信が恋しくなるな」
周囲の視認に対して星明かりと携帯電話のライトだけが頼りである現在、クワメナは慎重に歩を進めて研究所のある方角に向かう事にした。
そして、観光ルートではない為に人の気配が少ない通りに差し掛かった所で、クワメナは前方からフラフラと歩み寄ってくる影に気付く。
「あ、く、クワメナ主任!」
怯えながら背後を気にしていた女性研究者は、そう言うとその場に崩れ落ちながら[嗚{お}][咽{えつ}]を[漏{も}]らし始めた。
「お、おい、どうしたんだ? 何があった!?」
ただ事ではないと感じ取ったクワメナは、自らもしゃがみ込んで研究者と視線を合わせる。
「わ、私、私は、雫さんを裏切って……で、でも、まだみんな捕まってて、私、後ろから[撃{う}]たれるんじゃないかって怖くて、あ、ああぁああぁあああぁあぁ!」
混乱しているのか、思い浮かんだ言葉を次から次へと[吐{は}]き[出{だ}]している部下だが、それだけでクワメナは『ただ事ではない何かが起こっている』と察する事ができた。
そして、遠目に見える研究所も[暗闇{くらやみ}]に包まれているのを確認し、[掌{てのひら}]に汗を[滲{にじ}]ませる。
「まずいな……」
襲撃者や停電の事よりも先に、その結果が意味する事態を予測して。
「解放されたのか……? 『ヴォイド』の系譜が」
♪
研究所 地上区画
無線機のバイブレーション機能により着信に気付いた副官のバンダナをした男は、『博士の確保にしてはヤケに早いな』と思いつつ、無線の通話をオンにする。
すると、ノイズキャンセリングされたイヤホンから響く男の悲鳴が副官の[鼓{こ}][膜{まく}]を激しく震わせた。
『べ、ベルトランさん! サメ……サメです! ゾルフが……サメに食われました!』
「あぁ……?」
襲撃者達の副官――ベルトラン・ラブレーは[眉{まゆ}]を[顰{ひそ}]め、相手の無線機の奥から聞こえて来る複数名の怒声を耳にする。
確かに、ゾルフと呼ばれた男の声はその中に混じっていなかった。
常に酒で[喉{のど}]が焼けているような声は[欠片{かけら}]も拾えず、代わりに他のメンバーの『[畜{ちく}][生{しょう}]、どこに消えた!』『殺していいのか!?』『今ベルトランさんに指示を[仰{あお}]いでる! [黙{だま}]ってろ!』といった言葉がベルトランの頭を[揺{ゆ}]らす。
「……おい、待て。食われたのは……まあ、今はいい。それより〝サメ〟て言ったか?」
『は、はい! 頭に変な[鎧{よろい}]みてえなパーツを付けた……どでかいサメです! [下手{へた}]な車よりでかく、ゾルフがあっという間に[?{か}]み[砕{くだ}]かれて……』
仲間の[凄惨{せいさん}]な死に様を聞かされたベルトランは、研究フロアの隅へと移動して会話を続けた。
「落ち着け。サメはどうしてる?」
『水に[潜{もぐ}]っちまって……今どこにいるのか……。あ、ああ、そうだ! 半分床に乗り上がってゾルフを食いやがったんです! いつまた出てくるか……』
明らかにパニックを起こしている部下の声を、ベルトランは冷静に分析する。
――こいつは、仕事で何度も銃撃戦を経験してる。
――隣で仲間の頭が吹き飛ばされた時でもここまで[焦{あせ}]っちゃいなかった。
――ボスには遠く及ばないとはいえ、それなりに[肝{きも}]が[据{す}]わった[傭兵{ようへい}]をここまでビビらせるもんがいたって事かよ。
そして、即座にその正体に思い至り――ベルトランは[額{ひたい}]に巻いていたバンダナをグイ、と引き下げ、己の口元を隠す形につけかえる。
バンダナの下に浮かべた、これまでで最も[嬉{うれ}]しそうな[笑{え}]みを他者に[悟{さと}]られぬように。
――危ねぇ危ねぇ、仲間が死んじまったってのに、笑いが止まらねえや。
ベルトランはニイ、と目を細めながら、部下に対して言葉を[紡{つむ}]ぐ。
「生きてるんだな? そのサメは」
『え? は、はい、撃ち殺そうとしたんすけど、すぐに水ん中に……』
「そいつは、ボーナスだ」
『ぼ、ボーナス?』
戸惑う部下に、できるだけ[淡々{たんたん}]とした調子で伝えるように努めるベルトラン。
「通りすがりのサメがそんなナリをしてるたぁ思えねえ。間違いなく『ターゲット』の一部だ。当然、例の博士とデータが主目的だが……もしも、『生の資料』があるなら、そいつも買い取ってくれる[手{て}][筈{はず}]になってる。生きた個体なら1000万ドルって話だったが、そんなサイズじゃお持ち帰りは無理だ。殺すのは構わねえ」
ここで欲を[搔{か}]いて『なんとしても生け捕りにしろ』と命じるような男ならば、ベルトランは副官の位置にまで上り詰めてはいないだろう。
彼は欲深い男だが、不可能なラインの見極めがしっかり出来るからこそ、リーダーであるイルヴァと並んで荒くれ者達の上に立つ事ができているのだ。
無論、それを裏打ちする実力も持ち合わせている。
だからこそ――ベルトランは仲間を食い殺したばかりのそのサメを、『殺す』事が不可能だとは考えなかった。
「手段は問わねえが、なるべく原型が残る殺し方で始末しろ。映画みたいに爆弾食わせてボカン、じゃグラム幾らで買い[叩{たた}]かれるだけだ。ヒレや歯でも10万ドル単位、脳[味噌{みそ}]や内臓の一部なら50万ドルから値を付けるって話だ」
『マジですかい、[旦{だん}][那{な}]』
「おいおい、金の話した途端に冷静になるんじゃねえよ。」
[呆{あき}]れたように苦笑しながら、ベルトランは皮肉の言葉を口にする。
「金を見ないまま食われちまった、ゾルフの[奴{やつ}]が[可{か}][哀想{わいそう}]だろ?」
♪
海洋直結区画
リズミカルにリズミカルに、仲間の[身体{からだ}]がサメの巨大な[顎{あご}]に砕き呑まれる。
[咀{そ}][嚼{しゃく}][音{おん}]が悲鳴を吞み込み、沈黙が訪れると同時にサメの巨体が海中に消えた。
そんな数分前の光景を思い出しながら、残り四人となった傭兵達は水から離れた場所に散開する。
先刻のあのサメの動きを[目{ま}]の[当{あ}]たりにして、わざわざ水辺に近づく愚者はいない。
さりとて、悲鳴を上げて逃げ出す程に憶病でもない。
ある者は上司の指示に従う為。
ある者は仲間の[仇{かたき}]を討つ為。
ある者は純粋に金目当てで。
それぞれの理由を胸に[抱{いだ}]きながら、傭兵達は明かりに照らされた海面に警戒の[眼{め}]とアサルトライフルの銃口を向けている。
「いいか! 水辺には近づくな! [所詮{しょせん}]は魚だ、空を飛んでくるわけじゃない! 金属の[隙{すき}][間{ま}]……口の中にありったけの弾丸をぶち込んでやれ!」
警戒しつつ水面を見るが、部分的に復旧した照明は想像以上に明るく、穏やかに揺れる水面をギラギラと照らして水中の視認を困難にしていた。
そのまま一分ほど経過したが、水面に動きはない。
「なあ」
「なんだ」
緊張した[面{おも}][持{も}]ちのまま、傭兵達が言葉を交わす。
「さっきのイカ……あれ、偶然か?」
「……何が言いたい」
ゾルフが食われたのは、彼が水辺にまで降りた事が原因だ。
だが、そもそも水辺に近寄った理由は、水面より飛び出してきたイカに絡み付かれ、ナイフを取り落とした事にある。
「意図的にやったんじゃないかって思ってよ……」
「ふざけてるのか? サメとイカが打ち合わせして、作戦通りにゾルフを挑発したってのか?」
「そうは言ってねえよ! ただ、イカをこっちに飛び出すように追い立てたのは、あのサメなんじゃねえかって……」
「ゾルフを挑発する為にか? 魚にそんな脳味噌があってたまるか」
鼻で笑う傭兵だが、彼もまた、不気味な雰囲気は感じていた。
仮にゾルフが狙われたのだとしたら、大声で[喋{しゃべ}]っていたからだろう。
頭の中でそう推測した所で、傭兵はふと思う。
――いや……サメってそもそも、耳あるのか?
生物学的知識の無い自分が考えても意味の無い事だろうと判断し、[自{じ}][嘲{ちょう}]気味に首を振ったその瞬間――
水面が突然[爆{は}]ぜ、散開した傭兵達のうち半数を激しい[水{みず}][飛沫{しぶき}]が包み込んだ。
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