試し読み シャークロアシリーズ 炬島のパンドラシャーク第9歯

 己の[身体{からだ}]の一部が裂ける感覚が、『彼』の全身を包み込んだ。
 衝撃が身体の中を駆け抜け、幾重にも増幅されては衝撃同士が[交錯{こうさく}]し、ただひたすらに暴れ巡る。
『彼』はその衝撃が駆け抜けた[刹{せつ}][那{な}]、己の存在が消失したという感覚に[吞{の}]み込まれた。

 [喪失{そうしつ}]。

 暗転。

 そして、[虚無{ヴォイド}]へと[堕{お}]ちていく。

     ♪

人工島『[龍{りゅう}][宮{ぐう}]』 市長室

「また爆発か。これは……研究所の方だな」
 遠くから[鈍{にぶ}]く響く爆音に[嫌{いや}]な予感を覚え、市長である[富士{ふじ}][桜{ざくら}][龍{りゅう}][華{か}]は[眉{まゆ}]を[顰{ひそ}]める。
 それに答えたのは、先刻まで放送設備から流れていた[巫山戯{ふざけ}]た調子のアナウンスと同じ声だった。
「大丈夫大丈夫。この段階で人質爆殺しちゃうほど、うちの連中は短気じゃないよ」
「なら、なんの為の爆破だ? アナウンス役の君がここに居るという事は、人質への示威行動というわけではなさそうだが」
「さてねえ、市長さんに話してもいいのかなあ、どうかなあ? どう思う?」
 パンクファッション的な目隠しで[双眸{そうぼう}]を覆い隠している襲撃者の女は、イルヴァの代わりの見張りとして市長に相対している。
 そんな年若い――[下手{へた}]をしたら少女と言っても良い年頃の[傭兵{ようへい}]に対し、市長はどこか尊大さすら感じる笑みを浮かべて言った。
「私は話してもいいと思うがね。いや[寧{むし}]ろ話すべきだ。君達のボスにはそっけない反応をされてしまったが、君となら仲良くなれそうな予感がしているよ」
「余裕だねえ。カッコイイ大人のお姉さんって感じ? それとも私が子供っぽいから[舐{な}]められちゃってるのかなぁ?」
「私は相手が子供という理由では軽く見ない。天才は年若かろうが器量に富み、[凡{ぼん}][愚{ぐ}]は100年生きようと[蒙昧{もうまい}]なままだ。才に恵まれずとも、努力家ならば子供だろうと並々ならぬ経験を積み上げるものだ」
「私が天才か努力家だと思ってるなら、そりゃ見込み違いだよ? そういうのは天才な上に努力家なイルヴァの[姐{あね}][御{ご}]に言ってあげてよ」
 眼前の少女は会話に乗っては来るが、挑発や[褒{ほ}]めそやしに乗る口ではなさそうだ。
 そう判断した市長は、相手を[探{さぐ}]るために別の話題に切り替える。
「しかし君は……声は放送で聞いたのと同じだから連中のお仲間とは分かる。分かるが、[随分{ずいぶん}]と[奴{やつ}]らの中じゃ浮いた[格好{かっこう}]をしているな」
 まるでパンクロック系のライブに訪れた観客のような格好をしているその襲撃者を、市長はどこか興味深げに[眺{なが}]めていた。
「そうそう、聞いてよ! 昼までは私も[野暮{やぼ}]ったい服着てたんだけどさあ、姐御達ったらさぁ、あんな[衣{きぬ}][擦{ず}]れが[五月蠅{うるさ}]い服のままちょっとお[洒{しゃ}][落{れ}]なレストランに入るんだよ? 信じられる? 姐御はきっと何着ても似合ってるんだろうからいいけど」
「私が聞きたかったのは君がそんな格好をしている理由であって、お仲間への[愚痴{ぐち}]ではないのだがな」
 苦笑しながら市長が言うと、
「ああ! ごめんごめん! 私は観光客と一緒に船で来た口だよー。ちゃんと高値で流星観測のチケット買ったんだからねー? 褒めて褒めて?」
「ああ、なるほど」
 見た目はまだ未成年ではないかと思える年頃だが、手には減音器付きの拳銃をぶらつかせており、目隠しをしているにもかかわらず周囲の状況を抜け目なく把握している様子だった。
 ――動きにくそうな格好だから簡単に組み伏せられる……などとは思わない方がいいな。
 相手の立ち振る舞いは全て擬態。
 必要とあらば笑いながらこちらを殺す事ができる、目の前の少女はそういう存在だと市長は本能的に理解していた。
 そんな油断のならない相手を前に、市長は両腕を拘束されたまま肩を[竦{すく}]める。
「君らは色々な場所に散らばっている……という事か。うちの職員には内通者などいないと思いたいがね」
「……さっきから気になってたけど、市長さんあんまり怖がってないよね? 心臓の鼓動、全然変わってないじゃん」
「まあ、銃を突きつけられるのは一度や二度ではないからな。他人の命もかかっているのに落ち着き払っているのは[些{いささ}]か体面が悪いかもしれないが」
 [自{じ}][嘲{ちょう}]気味に言う市長に、襲撃者の少女は不思議そうに言う。
「その割には、さっきの爆発の時だけ、ちょっと心音乱れたよね?」
「……耳がいいんだな。[座{ざ}]{頭{とう}]の凄腕剣豪だ」
「イヒっ! それ言われるの何年ぶりだろ! 故郷にいた頃以来だよ!」
「ほう、君の故郷はどこだ?」
 個人情報を話す[筈{はず}]もないと思いながら尋ねる市長だったが、目の前の少女は楽しげに笑って言葉を紡ぎ出した。
「もしかして、私のこと探ろうとしちゃってる? いいよ、私の名前は[野{の}][槌{づち}][狐{こ}][景{かげ}]。[歳{とし}]は多分18になるかならないかぐらい。名前を警察に言ったって[無駄{むだ}]だよ。『橋』でつけた名前だから、こっちの名前は戸籍登録されてないんだよね」
 そこまで聞いて、市長は軽く[溜息{ためいき}]を吐き出した。
「なるほど。[越{えっ}][佐{さ}][大橋{おおはし}]で本来の名を捨てた口か」
 越佐大橋というのは、この『龍宮』の前身とも言える、[新潟県{にいがたけん}]の北西部に浮かぶ人工島だ。
 橋と名がついているのは、元々本土と[佐渡{さど}]島の間に架ける橋の中継地点として建造された場所という事に起因している。
 運用前に様々な社会的要因が重なって放棄された人工島は、佐渡島や本土からは隔離状態となり、結果として不法入居者達の住まう無法地帯となっていた。
「皮肉な話だな。打ち捨てられた人工島から来た人間が、完成した人工島を襲撃するとは」
「ああ、別にここに[恨{うら}]みや[妬{ねた}]みがあるわけじゃないよ? ま、あそこから来たのは私ともう一人だけだけどさ。うちの組織って、世界中のそういうとこでくすぶってたようなろくでなしの集まりなんだよ。だから、家族を探してきて説得させるとかそういうの多分無理だよ?」
「説得でどうこうなる規模の事件ではないだろう」
 話が大きく[逸{そ}]れかけた所で、狐景がニヘラと笑いながら筋を戻す。
「で? 結局さっきの爆発で[焦{あせ}]った理由ってなに?」
「随分と[拘{こだわ}]るな。仲間が返り討ちにあったんじゃないかと心配か?」
「そんな心配はしてないよ。イルヴァの姐御はまず返り討ちになんかされないし、他の奴は九割がたどうでもいいしね。ただ、市長さんが心配してるのは研究所の人達なのか、それともそこで研究してる『何か』なのかが気になってさあ」
 ケラケラと笑いながら、核心をつく物言いをする狐景。
 彼女の問いを聞いた市長はそこで目を伏せ、[暫{しば}]し考え込んだ後に口を開いた。
「お前達に銃を向けられる以上に[動揺{どうよう}]していたとするならば……私はそれだけ怖れているのだろうな。割り切ったつもりだったが、根源的な恐怖に[抗{あらが}]うのは中々に難しいという事か」
「?」
「分かるだろう? 私は怖れているんだよ。ああ、君達をじゃないぞ」
 自嘲気味な笑みを浮かべながら、何かを[憐{あわれ}]れむように天井を仰ぐ。
「君達が下手に刺激した結果……」

「パンドラの箱が、完全に開いてしまうんじゃないかとね」

 

 

シャークロアシリーズ『炬島のパンドラシャーク第9歯』

各電子書籍ストアで11月25日より配信!

【続きはこちらからご購入ください BOOK☆WALKER】

【続きはこちらからご購入ください Amazon】

 

シャークロアシリーズ『炬島のパンドラシャーク』作品紹介サイトに戻る