試し読み 魔空士の翼 SkyMagica

プロローグ

 

「ミーリア! もっとスピード出ないのか⁉」
 隣にいる小柄な少女に向けて、[魔{ま}][空{くう}][士{し}]アミンは叫び声を上げる。
「出せるよ〜。[対魔障壁{シールド}]薄くなっちゃうけどね〜」
「構わん、全魔力をブースターに回せ。弾は俺が避ける!」
「後ろの[荷物{﹅﹅}]が[吐{は}]いちゃうかもよ?」
「大丈夫だ。[樽{たる}]に詰めこんであるから機体は汚れない」
「アハハ、せいぜい汚物に[溺{おぼ}]れて死んじゃわないことを祈りますか〜。了解、全魔力をブースターに!」
 ミーリアの光る両手が円形の魔導器に触れると同時、アミンの[身体{からだ}]に強烈な重力がのしかかった。さすが[不{ふ}][世{せい}][出{しゅつ}]の[魔包少女{エーテルキャット}]と自負しているだけのことはあって、その魔力は未だ底が知れない。
 これでもう少し性格にかわいげがあったら……などと思う暇もなく、アミンの魔空艇目がけ巡回艇からの魔弾が飛んできた。
「攻撃確認! 二発!」
「わかってる」
 アミンは力いっぱい[操{そう}][縦{じゅう}][桿{かん}]を倒し、海面目がけ急降下する。かと思えば急上昇。巡回艇から放たれた魔弾はあえなく[波{なみ}]しぶきに消えた。
「弾幕うっすいね〜。ろくなエーテルキャット積んでないとみた」
「それはいいが、わが頼もしきろくなエーテルキャット様よ。全然振り切れないんだが。お前全力出してんのか?」
「この[艇{ふね}]が悪い。あたしの魔力の半分も受け止め切れてないよ」
「……さいですか」
 [歯{は}][嚙{が}]みするアミン。改造しているとはいえ、確かに相棒である[漆{しっ}][黒{こく}]の魔空艇『バックパサー』は二世代も前の規格だ。対するはディーナ帝国の最新艇。性能で劣るのは認めざるを得ないところだった。
「めんどいな。もう[墜{お}]としちゃおうよアミン」
「却下。こうして『逃がし屋』を続けてられるのもこっちからはどの国も攻撃してないからだ。世界を敵に回せば空の居場所が消える」
「そしたらまた墜として墜として、空の[覇{は}][者{しゃ}]になっちゃえばいーじゃん」
「オトナの世界はそう甘くない。無駄話してないで集中しろ十一歳」
「また歳のこと言う〜。わかりましたよーっだ」
「次弾確認。揺れるぞ」
 右へ左へ艇を振り、アミンは巡回艇から発射される魔弾を巧みに[躱{かわ}]す。確かにミーリアの言う通り攻撃の手はぬるい。魔力供給源であるエーテルキャットが力不足なのか、はたまた本気で[撃{う}]ち墜とす気がないのか。
 後者の可能性もありえる。数え切れないほど繰り返してきた追いかけっこだ。その[度{たび}]に逃げ切ってきたアミンにうんざりして、職務[怠{たい}][慢{まん}]に[陥{おちい}]っているのかもしれない。
「あと200! キーライラの領空に入るよ!」
「ごくろうさん。あくびが出るほどのどかなフライトだったな」
「お金入ったんだからブースター増強してよ。そしたらもっとすごい景色見せたげるからさ〜」
「考えとく!」
 全速前進する艇の操縦桿を握りしめるアミン。ここまで来ればもう撃ってはこないだろう。
領空[侵{しん}][犯{ぱん}]ギリギリを攻めてくるような技術も胆力も、相手側にはないとみた。
 はたしてそれ以上の追撃は受けず、アミンのバックパサーはキーライラ王国の領空に突入する。次の瞬間ディーナ帝国の巡回艇は方向転換し、あっさりと引き返していった。
「にんむかんりょー」
「まだだ。ちゃんと荷物を降ろすところまでが逃がし屋の仕事」
「生きてると良いけどね〜」
「……ま、大丈夫だろう」
 操縦桿を傾け、城下町から離れた草原地帯を目指すアミン。中立を[謳{うた}]うキーライラ王国といっても、いや、だからこそ不審艇が人目についてしまうのはまずい。
「あの辺で良いか。ミーリア、着陸準備」
「いーんじゃない。りょーかい。ブースター転換よろ〜」
 バックパサーが減速し、静かに大地へ降り立つ。ミーリアの魔力制御は相変わらず完璧で、ほとんど揺れることもなく艇は静止した。並のエーテルキャットの仕事ではこうはいかない。
アミンとしては楽すぎて魔空士としての退屈さを覚える始末だった。
 アミンとミーリアは艇を降りた。
「ん〜。いい天気だねー」
 ぐっと伸びをするミーリア。狭い艇内から解放されて笑顔がこぼれる。金髪の髪をひと房に結わえたその横顔は美しく、水色の宝石のような瞳が無邪気に輝いている。一目見ただけならどこのご令嬢だと話題にもなろう。誰もその中身が全身凶器のような存在であるとは思うまい。
「さて、荷物の状態はどんなもんか」
 バックパサーの後ろに回り、アミンは貨物室の扉を開く。中には大振りの樽が一つだけ横たわっていた。載せた時は立てておいたのだが、やはり激しい旋回運動で転がってしまったらしい。
「開けるぞ。ミーリア、手伝ってくれ」
「やだなー。服汚れないかな」
「神様にでも祈ってろ」

 しぶしぶといった感じのミーリアと共に樽を転がし、草原の上で[蓋{ふた}]を開く。瞬間、酸っぱい臭いが辺りに立ちこめる……といったこともなく、アミンはほっと胸をなで下ろした。
「おえええええええええええ!」
 などと油断したのもつかの間、『荷物』は大地に[這{は}]い[出{で}]ると同時に盛大な[吐{と}][瀉{しゃ}][物{ぶつ}]を辺りに[撒{ま}]き[散{ち}]らした。
「あーもう。ここまで我慢したなら最後まで吐かないでよ」
 腰に手を当て、[呆{あき}]れ[顔{がお}]のミーリア。
「む、[無{む}][茶{ちゃ}]を言うな。なんという操縦をするのじゃ」
 キッと顔を[強{こわ}][張{ば}]らせ、本日の荷物ディーナ帝国の老貴族はアミンたちを[睨{にら}]みつける。名前も一応聞いたはずなのだが、長ったらしいので忘れてしまった。
「だから言ったろ。昼間の飛行は見つかる可能性が高いって」
「深夜料金ケチったおっさんが悪いんだよ〜」
 口を[揃{そろ}]えるアミンとミーリア。言葉通り、この老貴族にも亡命するなら夜中がお勧めだと事前に説明をしていた。しかし、この男は料金の安い、その代わり危険が[伴{ともな}]う昼間の逃避を所望したのだ。
「わ、わかっておるわ。だからこそ夜中の仕事では先に家族を運んでもらったんじゃろうが。
その時に[儂{わし}]も一緒に逃げるつもりじゃったが重量オーバーで飛べないと言ってきたのはそっちじゃろう」
「そうだったかミーリア」
「そうだったかもねアミン」
 バックパサーの貨物室は狭い。本来は戦闘機なので必要最低限しかモノを運ぶ機能を備えていないのだった。
「ま、なんにせよ逃げ切れたんだ。町までは送ってやれないが、[頑{がん}][張{ば}]って歩いて家族と感動の対面をはたしな」
「客を客だと思っておらんなお主。帝国にいたなら死罪を食らわせてやったものを」
「ざんねん。おっさんはもう貴族じゃなくてただのおっさんだよ〜」
 べーっと舌を出すミーリア。
「わかんねえな。なんであんたほどの大金持ちが何もかも捨ててキーライラに亡命を? しかも、ここのところそんな依頼ばっかりだ。こっちとしては[儲{もう}]かって助かっているが」
 アミンが[尋{たず}]ねると、老貴族は長いため息を[漏{も}]らしかぶりを振った。
「ディーナ帝国は危うい。今にもヴィブロ王国と戦争をおっぱじめるつもりじゃろう。大国と大国の衝突じゃ。儂らも戦火は[免{まぬが}]れまい。だから中立の立場を[貫{つらぬ}]くキーライラ王国に身を寄せるしかない。そう考えている者が儂らの他にもたくさんいるのじゃろうて」
 ネイア海という内海を[挟{はさ}]んで睨み合うディーナ帝国とヴィブロ王国。両者の関係がひりついているのは今に始まったことではないので、一触即発なのはアミンも理解していた。
 しかし。
「そんなにヤバいのか? 外から見てる分には一線を越えそうな雰囲気までは感じないが」
「金の流れを見ていればわかる。最近のディーナ帝国が兵器開発にかけている財量は[尋{じん}][常{じょう}]ではない。いよいよ帝国としてネイア海の覇権を握ろうとしているのは目に見えておる」
「確かに今日の巡回艇もやたら速かったしね〜。あれも最新型だよきっと」
「ふーん」
 生返事を返すアミン。どこの国にも属さぬ根無し草として生きているアミンにとっては、あまり興味のない話題ではあった。むしろ仕事が増えて好都合とさえ感じるくらいである。
「それでは、儂は行くぞ。命は守ってくれたのだから一応礼は言っておく。二度とお主には頼まんがな」
「逃がし屋なんて他にいないぞ。ま、せいぜいまたしっぽを巻く時が来ないよう祈ってな」
「余計なお世話じゃ」
 [捨{す}]て[台詞{ぜりふ}]を残し、老貴族は去っていった。
「戦争ねえ。なあミーリア。本当に起こると思うか?」
「しらなーい。でもま、ディーナの艇がどんどんいかつくなってるのは確かかもね。このままじゃ仕事にも影響出るんじゃない?」

 言葉とは裏腹に、[妙{みょう}]に[嬉{うれ}]しそうなミーリア。おおかた好戦的な血が騒いでいるのだろう。
「何が言いたい?」
「だからさー、ブースター買い換えようよブースター。スピードさえ出ればあたしの力でなんとでもなるって」
 普段なら聞き流していただろう。しかし、ふとアミンは漆黒の愛艇バックパサーを見上げる。
相変わらず美しいフォルムだが、古さは否定できなかった。
「ま、考えておこう」
「やった! 珍しく物わかりがいーじゃん!」
「まだ買うとは言ってない。考えるだけだ」
「えー。今回の依頼でお金結構入ったんでしょ〜」
「[美{う}][味{ま}]いモノを食わせてやるくらいにはな。さ、移動しよう。こんな何もないところに長居は無用だ」
「りょうかーい。[宴{うたげ}]だ宴〜」
 再びバックパサーに乗り込み、ミーリアの魔力を借りて艇を離陸させるアミン。キーライラ王国は西と東で睨み合うディーナ帝国とヴィブロ王国の真南に位置する小国で、中立を維持するためか人の流れに閉鎖的な国。アミンに居場所はなかった。寄りつくにはあの老貴族のように正規の亡命申請でもしないことには難しい。

 だからアミンがひと仕事を終えた時、向かう先はいつでも決まっている。
「しゅっぱーつ」
 ミーリアもそれを心得ているのでいちいち行き先を告げる必要もなかった。
「戦争、ねえ」
 再び[呟{つぶや}]くアミン。
「気になるの?」
「別に。やるなら勝手にやればいいさ。俺たちの生活に支障が出ないならな」
「だいじょーぶだよ。とばっちり食らうようなことがあっても、あたしとアミンのコンビならなんでもないさ」
「確かに、そーかもな」
 魔空艇が加速していく。日常の大半を空で過ごす魔空士とエーテルキャットを乗せて。

 

第一章

 

 ディーナ帝国領の南方、ネイア海に浮かぶ[岩{がん}][礁{しょう}]地帯に小さな孤島がある。
 普通の人間ならば絶対に近寄らない魔の海域と呼ばれる場所だった。なぜならそこは、長年[空{くう}][賊{ぞく}]たちの[根{ね}][城{じろ}]と化しているからだ。潜入して見つかったが最後、身ぐるみ[剝{は}]がされるだけでは事足りない悲劇が待ち構えているだろう。
 その島に、アミンとミーリアは悠々と降り立つ。
「おかえり、アミン。ミーリアも」
 [船渠{ドック}]で艇を降りると、[褐{かっ}][色{しょく}]の肌を持つ長身の女性に二人は迎えられた。彼女の名はロライマ。赤髪を乱暴に束ねたその見た目はいかにも[姉{あね}][御{ご}][肌{はだ}]といった感じで、えも言われぬ頼りがいに[溢{あふ}]れていた。それもそのはず、ロライマはこの海域の空賊たちを束ねる長を[務{つと}]めているのだった。
「すまないなロライマ。また世話になる」
「[謝{あやま}]ることなんてないって。アミンには借りがあるんだから」
 アミンたちが歓迎されるのにはわけがあった。数年前、一人の空賊を助けた縁で、情に厚いロライマから[寵{ちょう}][愛{あい}]というべきか、もしくは信頼を勝ち取ることができた。以来、根無し草として生きてきたアミンにとって唯一の宿り木と呼べる場所が、この空賊たちの根城になったのだ。
「やっほーロライマ。ねえ、なんかいいパーツ入ってない?」

「ミーリアも元気そうだね。パーツって、魔空艇の?」
「そうそう」
「この前の戦利品にヴィブロ製の新型がいくつかあったかな。魔弾砲とかブースターとか。欲しいの?」
「ブースター! やりぃ! 買った!」
「こらミーリア。勝手に決めるな」
「えー、いーじゃんか。必要投資だってば」
「アハハ。けっこうなブツだと思うよ。貴重品だから友情価格でもそれなりにもらうけどね。どうするアミン?」
「うーん。ロライマのお[墨{すみ}][付{つ}]きならなかなかのものなんだろうが……」
 迷うアミンに、ロライマは[顎{あご}]に手を添えながらこうつけ足す。
「確かに、艇速は上げておいた方がいいかもしれないね。ディーナもヴィブロも、魔空艇の開発を急激に進めているみたいだから」
「……やっぱり、戦争に備えてか?」
「おおかたそんなところだろう。ウチらの艇もなかなか歯が立たなくなってきてる。今のままじゃアミンも仕事がやりづらくなると思うよ」
「確かに、ミーリアの言う通り必要投資かもしれないな」

「オッケー、商談成立。バックパサーは格納庫に運ばせておくよ」
「すまない、頼んだ。いつもの寝床、使わせてもらう」
「ああ、好きにしな。……と、夜になったら酒場にも顔を出してもらえないかい?」
「初めからそのつもりだが、どうした。改まって」
「んー、後で話すよ。とりあえずゆっくり羽を休めておくれ」
 思わせぶりなロライマの口調は気になったが、丸一日不眠不休で『逃がし屋』の仕事を勤め上げ、さすがにアミンも疲れを感じていた。今は言われるままにしておこうと決める。
「わかった。ミーリア、行くぞ」
「ほーい。やっと寝れる」
 あくびを嚙み殺すミーリアを引き連れ、勝手知ったる道を進むアミン。途中で何度か空賊に声をかけられたが、どれも友好的なものでアミンたちを[疎{うと}]ましげにする声は聞こえてこなかった。略奪を[生{なり}][業{わい}]とする悪人たちではあるが、皆情に厚い。それは長たるロライマの影響が少なくないだろう。
「ちわ。また世話になるよ」
「アミンさんいらっしゃい。いつもの部屋を使ってくれ」
 宿屋替わりにさせてもらっている家屋に[辿{たど}]り[着{つ}]くなり、主に金貨一枚を差し出すアミン。
「金なんていいって言ってるのに」

「もらっといてくれ。貸し借りはなしにしておきたいんだ」
 無理矢理金を握らせ、階段を上り角部屋に入ると、簡素なベッドが置かれているだけの見慣れた風景が広がっていた。
「じゃあとりあえずおやすみ」
「おやす〜」
 ベッドに身体を投げだすと、当然のようにミーリアも毛布の中に入ってくる。性別は違えど、もはや家族も同然のミーリアなので別段緊張することもない。こうしてひとつの寝床を分け合うのは単なる日常に過ぎなかった。
 やがて二人は深い眠りに落ちていく。

    *

 

 目覚めると辺りはすっかり暗くなっていた。
「ん……。そろそろいい頃合いか。ほらミーリア、起きろ」
「ふわ〜。あとちょっと〜」
 アミンの腕にしがみついて目を閉じているミーリアを揺すってみるが、一向に放してくれる気配がない。やれやれとアミンは力いっぱい腕を引っこ抜いた。

「夕食抜きでいいのか? 俺は先に行くぞ」
「えーやだ〜。待ってよ〜」
 冷たく言い放つと、ミーリアも不満たらたらながらベッドから[這{は}]い出る。そのまま外に出ようとするのでアミンはミーリアの[奥{おく}][襟{えり}]を[摑{つか}]んで引き留めた。
「待て。寝ぐせついてる」
「あら、ごめんあそばせ」
 手ぐしでそっと髪を[撫{な}]でてやるアミン。ミーリアは気持ちよさそうにされるがまま[身体{からだ}]を預けてきた。こうして[毛{け}][繕{づくろ}]いされるのは好きらしい。[自{じ}][由{ゆう}][奔{ほん}][放{ぽう}]なところも含めてまさしく猫だなとアミンは思う。
「よし、行くぞ」
「お肉お肉〜」
「さて、高いものを頼む金が残ってるかね。散財しちまったからな」
「ケチくさいこと言わないでよ。貴族のじいさんからさんざんふんだくったくせに」
「人聞きが悪いな。ま、今日一日豪華なメシを食うくらいは大丈夫だろう」
「そうそう。[宵{よい}][越{ご}]しの金は持たないのが空賊の流儀」
「俺は空賊じゃない」
「空賊の根城なんだから空賊のやりかたに従うのがイキってやつでしょ」

「わかったわかった。好きなモノを食え」
「んふふ、そうこなくちゃ」
 他愛もない話をしながら、酒場への道筋を辿るアミンとミーリア。近づいてくるにしたがって[喧{けん}][噪{そう}]が耳に届いた。ならず者たちは早くも大騒ぎを始めているようだった。
 店に入ると、あいにく満席。しかし奥のテーブルからアミンたちを手招きする人影があった。ロライマだ。
「賊長、ごいっしょよろしいですか」
「アミンはいいけどミーリアはダメ」
 予想外の答えを返したのはロライマではなく、その隣に座っていた少女だった。短い髪と眼帯を身につけた中性的な顔立ちで、知らない者からすると少年に[見{み}][紛{まが}]う可能性が高い。
「なんだとリゼ。また泣かすぞ」
「ボクがいつミーリアに泣かされた! やっぱりお前は帰れ!」
 少女の名はリゼ。理由はわからないが、初めて出会った時からミーリアとは折り合いが悪くてしょっちゅうケンカをしている犬猿の仲だ。
「記憶喪失? 痛い目見ないと思い出さないかな〜?」
 ミーリアが両手を交差させ、バチバチと魔力を集中させる。エーテルキャットは魔空艇の動力として働けるのはもちろん、こうして直接的に魔法を発動することも可能だ。

 いや、むしろ魔法が使えるからこそエーテルキャットを務められるという方が正しいか。
「今日という今日はその生意気な態度を改めさせてやる。歳ならボクの方が上なんだからな!」
 リゼもまた拳を握り、手先に光を宿す。こちらは[紅{ぐ}][蓮{れん}]の炎を具現化した魔法だ。リゼも強い魔力を持ったエーテルキャットで、ロライマの相棒として名を[馳{は}]せている少女なのだった。
「やめな! それ以上[煩{うるさ}]くすると二人ともつまみ出すよ!」
 ドン、とロライマがテーブルを[叩{たた}]く。するとリゼもミーリアもビクリと背筋を伸ばし、魔力を霧散させた。さすがはならず者たちを束ねるだけあって重々しい迫力がある。
「ご、ごめんなさいロライマ様」
「そ、そんな怒んないでよ〜。軽い[挨{あい}][拶{さつ}]じゃん」
 作り笑いを浮かべて、ロライマの機嫌を[窺{うかが}]うエーテルキャットたち。どうもミーリアはアミンよりロライマの方を恐れている節がある。面目的に少し複雑な思いを感じるアミンだったが、せっかく静かになったのだからとここは[吞{の}]みこんでおくことにした。
「二人とも座って」
 [促{うなが}]され、腰かけるアミンとミーリア。テーブルには既にたくさんの豪華な食事が用意されていた。
「好きなだけ食べとくれ。今日は私のおごりだ」
「やった! ロライマ大好き!」

 言われるが早いか、骨付き肉を手に取りかぶりつくミーリア。
「[大{おお}][盤{ばん}][振{ぶ}]る[舞{ま}]いだな。いったいどうした」
「つまらない話につき合ってもらうお礼だと思ってくれ」
 ふと、真剣な顔を浮かべるロライマ。軽い[与{よ}][太{た}][話{ばなし}]ではないことはそれだけでわかる。
「これだけ歓迎されたら聞かないわけにもいかないな。なんだ?」
「アミン。あんた、『赤い[亡{ぼう}][霊{れい}]』って知ってるか?」
「赤い亡霊? いや、聞いたこともない」
「そうか。なら、ここからの話は他言無用で頼む。空賊の[面{メン}][子{ツ}]にも関わってくるから」
「面子、ねえ」
「戦争が始まりそうなことは、アミンもなんとなく気づいているんだよな」
「ああ、いろいろ聞かされてる。戦争になると空賊も商売あがったりか?」
「いや、そうでもないだろう。今まで通りヴィブロ王国の艇だけを[狙{ねら}]っていればな。どうもディーナ帝国は、私たちを利用している節がある」
「利用?」
「ヴィブロだけを襲っているなら、[略{りゃく}][奪{だつ}]行為にもお目こぼしってわけ。ディーナ帝国の利になるからな。でなけりゃこんな小島、一晩で滅ぼされちまう。それも気分の良い話じゃないが、この拠点を失うよりはマシだから」

 少し[自{じ}][嘲{ちょう}][気{ぎ}][味{み}]に笑うロライマ。空賊の長として、背に腹はかえられない部分もあるのだろう。
「てことは、戦争になっても空賊さんたちには関係ない話じゃないのか? それともディーナに[楯{たて}][突{つ}]く計画があるとか?」
「まさか。と言いたいところなんだが……」
 ロライマが語尾を濁す。
「おいおい、本気か? ディーナ帝国領に居を構えて無事でいられてるのはヴィブロ狩りを専門でやってきたからだって、自分が言ったばかりだろ」
「そうなんだが、実はここ最近、ディーナ領でウチの艇がいくつも墜とされてる」
「ディーナ領で?」
「ああ。幸い人死には出てないんだが」
「誰も死んでない? 墜とされてるのにか?」
「それも不思議な話さ。みんな[上{う}][手{ま}]いこと[尾{び}][翼{よく}]にだけ弾を食らって[不{ふ}][時{じ}][着{ちゃく}]。狙い澄ましたようにね」
 尾翼だけを攻撃し、人死にを出さずに空賊を[撃{げき}][墜{つい}]する。並大抵の技術では実現不可能なことだった。
「……話が吞み込めないな」
「こっちも混乱してる。それで、逃げ帰ってきた仲間たちがみんな口を揃えて言うのさ。真っ赤な魔空艇一機に付け狙われて墜とされたって」
「真っ赤……それが『赤い亡霊』ってわけか」
「そういうこと」
「ディーナの艇。そう考えるしかないよな」
「ディーナ帝国領内で単独飛行してるわけだからね。もしかしたらアミン、あんたみたいな根無し草が私らを挑発しているって可能性も考えたけど、知らないんだよな?」
「ああ。すまないがそんな[輩{やから}]聞いたこともない」
 そもそもアミンのようにどの国にも属さず『個人事業』を営んでいる魔空艇など、少なくともネイア海域では[噂{うわさ}]にも出ない。アミンにとっては寝耳に水の話だった。
「そうか。まあそうだろうと思ったけど」
 ロライマの顔がよりいっそう険しくなる。不穏な空気を感じてアミンは静かに問うた。
「報復する気か?」
「空賊にも面子があるからね。やられっぱなしで放っておくわけにもいかない」
「でも、ディーナの艇なんだろう? だとしたら……」
「[虎{とら}]の尾を踏む可能性もある」
「やめとけ。どう考えても得にならない」
「仲間たちの怒りが爆発寸前まで来ている。今は私の声がギリギリ届いているけど、この先どうなるかわからない。[大{たい}][挙{きょ}]して[討{とう}][伐{ばつ}]に出るって話が後を絶たない」
「それはマズいだろう。ディーナ領で派手に暴れたら、せっかくのお目こぼしもご[破{は}][算{さん}]だ」
「ああ、マズいね。だから、私とリゼだけでやろうかと思ってる」
「やるって、墜としに行くってことか。それも感心しないな。長のあんたがやられたらどうする?」
「なんだとアミン! ボクとロライマ様が負けるって言うのか!」
 それまで黙々と食事を進めていたリゼが、肉汁で汚れた口元を[歪{ゆが}]めいきり立った。
「ロライマはともかく、リゼの魔力じゃ怪しいもんだね」
「このガキ……!」
 ミーリアが火に油を注ぎ、リゼは再び拳に炎を宿す。
「やめな、リゼ。事実、勝算があるとは言えない」
「ロライマ様⁉」
「リゼの魔力のせいじゃない。墜とされたウチの仲間は[腕{うで}][利{き}]きばかりだった。なのにそれを正確に尾翼だけ貫いたって言うなら、魔空艇の性能自体が段違いな可能性が高い。私の艇で勝負になるかどうか」
「そう割り切って考えられるなら、尚さら止めろ。俺の口から言うような話じゃないが、あん
たには立場がある。王は軽率に動かしちゃいけない。鉄則だろ」

「だから困っているのさ。なあ、アミン。どうするのがいいと思う?」
「回りくどい言い方するね〜」
 食べ終えた肉の骨をプラプラ振りながら、呆れ声を出したのはミーリアだった。
「はっきりこう言えば良いじゃん。アミンに面白い仕事があるって」
「………………」
 ロライマは黙った。その沈黙が答えそのものなのだろう。
「俺に行けと?」
「そうは言わない。……ミーリアの言葉が的を射ている。商売の話として聞いてもらいたかったんだ。どうだい、アミン。不審艇狩りに興味はないかい? 報酬は弾むよ。そうだ、なんなら今装着しているブースターも、タダでプレゼントしてやってもいい」
「やるやる! やりぃ、大もうけじゃん!」
「ミーリア、勝手に返事するな」
「なに、迷ってるの? あたしとアミンなら楽勝だって」
「問題はそこじゃない。相手がディーナ帝国の艇だった場合、たとえ墜とせたとしてこっちも仕事がやりづらくなる」
「……だろうね。だから[無{む}][理{り}][強{じ}]いはしない。[断{ことわ}]られても[恨{うら}]みっこなしだよ。そこは保証する」
「………………美味い食事をありがとう、ロライマ」

 言葉とは裏腹にほとんど皿に手をつけないまま、アミンは立ち上がるとそのまま酒場を出ていく。
 潮の香りがする夜風がアミンの身体を包んだ。[岩{がん}][礁{しょう}]に守られているせいか、辺りの海域や住んでる人間の荒々しさからは考えられないほどこの島は穏やかな空気に満ちている。
「ねーアミン待ってよー。まだ食べてる途中だったのに!」
 ミーリアが右手に抱きついてきた。構わずそのままアミンは歩き続ける。
「やらないの?」
「何が?」
「ロライマの話に決まってるじゃん。お金儲けのチャンスだよ」
「今の生活が崩れる[分{ぶん}][岐{き}][点{てん}]かもしれない」
 淡々と返事すると、ミーリアはほんの少し[眉{まゆ}]をひそめた。
「アミンさ、本当は人を殺すの[嫌{いや}]がってるんじゃないの? だってあの日からもうずっと
「あの日、お前と一緒に殺しまくったから今生きてるんだろ」
「そうだよ。あの日があって、アミンは魔空士になって、あたしはエーテルキャットになった。人も殺した。今さら平和主義なんて虫が良いよ」
「平和主義なんて大層なモノはかかげてない。あるのは打算だけだ」
「……どこ行くの? 宿はこっちじゃないでしょ?」

 ミーリアを無視してアミンは黙々と歩を進めた。向かった先はバックパサーの待つ格納庫だった。
「アミンさん、ちっす」
 中に入ると、アミンに気付いた整備士が振り返って空賊特有の敬礼を向けてくる。
「遅くまでご苦労さん。[換{かん}][装{そう}]、終わったのか?」
「へへ、もういつでも飛べますよ」
 自慢げな空賊の肩をポンと叩き、金貨一枚を賞与として手渡すアミン。
 ブースターを見る。以前のより一回り大きく、いかにも出力が高そうな見た目をしていた。
「そうか、ありがとう。……ところで、『赤い亡霊』とやらが出る空域、知ってるか?」
「アミン!」
「もちろんでさあ。アレには[一{ひと}][泡{あわ}]吹かせてやらないとってみんな息巻いてますから!」
 アミンは整備士から情報を仕入れ、地図に赤丸をつける。
「ミーリア、飛ぶぞ」
「もっちろん! んふふ!」
 そのまま整備士に別れを告げ、アミンとミーリアはバックパサーに乗りこんだ。
「さすがはアミン! なんだかんだ言ってほっとけないんじゃん」
「高そうなブースターだ。もう一働きしないと[懐{ふところ}]が[寂{さび}]しくなる」

「素直じゃないなあ。この島が好きだから護りたいって言った方がかっこいいのに」
「わざわざ貸しは作らない。対価として労働力を提供するだけだ」
「はいはい。それでいーよもう。とにかくしゅっぱつしんこ〜!」
 ミーリアが魔導器に手を触れると、艇の内部機器が淡く光りを放つ。ゆっくりと格納庫を出てから、ブースターを転換させ垂直に浮上するバックパサー。

 格納庫の近くで、整備士の男がいつまでも手を振ってアミンたちを見送っていた。

 

    *

 

「速い速い〜♪」
 島を離れてから、全速力で風を切るバックパサー。加速時に感じた重力の強さで、艇の速度が格段に増したことをアミンも実感できた。
「嬉しいのはわかるが魔力のムダ使いはよせ、戦闘中にバテられたら困るぞ」
「これくらいであたしがバテるわけないじゃーん!」
 [窘{なだ}]めても無駄だとわかりつつ、苦言を[呈{てい}]するアミン。結果、やはり無駄に終わったが。
「しかしこの地図、本当に合ってるのか? こんなところ何もないぞ」
 示されていたのは、ディーナの帝都から南東に外れた山岳地帯だった。ここで艇を襲う『赤い亡霊』とやらの意図がわからないし、そもそも空賊たちもなぜこんなところを飛行していたのか。
「あ〜、なんか聞いたことあるよ。その辺りで空賊の連中が[賭{か}]けレースしてるって」
「そうなのか。……なら、赤い亡霊さんははっきりと空賊狙いで戦闘を仕かけてたってことになるな」
「そうなりそうだね〜」
 ますます意図がわからなくなるアミン。ロライマに言わせれば、空賊とディーナ帝国は[歪{いびつ}]な共生関係を保ってきていたはずなのだが。
「まあ、細かいことを気にしても今さらか」
「そ〜そ〜。まずはこのスピード感を楽しもうよ!」
 すっかり上機嫌のミーリア。事実、艇の強化は予想以上に上手くいったようだ。ヴィブロ王国製のブースターという話だったが、あちらの軍備力もディーナと同等に[侮{あなど}]れない。
 やはり、戦争が起こる前触れか。
「本業の方もこれから忙しくなりそうだな」
「逃がし屋? これだけスピード出るなららくしょーでしょ」
 そうかもしれない。むしろ心配すべきは、控える『副業』の結果の方か。赤い亡霊、いったいどれほどの相手なのだろう。目標地点まではまだしばらくかかりそうだが、アミンは今のうちに気を引きしめておく。
 艇を飛ばすことしばし。ネイア海域を抜け、ディーナ領の大陸上空までやってきた。ここからはいっそう、巡回艇にも気をつけなければならない。赤い亡霊と一戦交える前に追いかけっこが始まってしまったら始末に困る。
「ミーリア、高度上げるぞ。それから探知魔法の発動頼む」
「慎重だねぇ。ま、いーけど」
 バックパサーが雲に吸いこまれる。ミーリアが魔導波を飛ばしてくれているのでバッタリ他の艇と[鉢{はち}][合{あ}]わせになる前に機影は確認できる。ならばこうして雲の中を進むのが最も安全な策となるだろう。
 白い闇の中、バックパサーは一直線に目標地点を目指す。時刻は深夜に突入していた。
「赤い亡霊さんは年中無休なのかな」
「あたしが知るわけないじゃん。……[慌{あわ}]てて飛び出さないでもっと情報仕入れてくればよかったのに」
「反省している」
「いても立ってもいられなかったんでしょ。わかってるわかってる」
「そんなんじゃないって言ってるだろ。なかなか出てこなかったら、しばらく持久戦になるな」
「それもヒマだな〜。パパッと登場してくれるといいんだけど」

 無駄話を重ねているうちに、目標地点が近づいてきた。
「よし、高度を下げてみよう」
「はいよ〜」
 操縦桿を倒し、雲の下に降りるアミン。辺りには細長い岩山がいくつもそびえ立っており、低高度での飛行はそれなりに気を使わねばならない地形だった。
「なるほど。命知らずたちがレースに明け暮れるにはもってこいなコースだな」
「あたしたちにとっては障害物競争にもならないけどね………………ん、アミン!」
「よかったなミーリア。『夜釣り』を楽しむ時間はなさそうだ」
 ミーリアの魔導波が、猛スピードでこちらに近づいてくる機影を[捕{ほ}][捉{そく}]する。アミンの目の前に設置された探知図にも、魔空艇を示す点がはっきりと映し出された。
「あと300速い、もう来る! 魔弾確認! 十六発!」
「派手な歓迎だ!」
 艇を左に旋回させ、弾幕から機体を[逸{そ}]らすアミン。その真横を一直線に、細長い出で立ちの魔空艇が走り抜けていく。
 月明かりに照らされたその色は、[眼{め}]の[醒{さ}]めるような真紅
 間違いない、『赤い亡霊』だ。
「夜遅くまでご苦労なことで!」

 横倒しになった機体を水平に立て直し、赤い亡霊の背後を狙うアミンたち。しかしその距離はなかなか縮まらない。
「速度は同等か。間違いなくディーナの最新艇だな!」
「アミン、反転した! 正面から来る気だよ!」
「前方シールド展開! 同時に誘導弾! 何発撃てる⁉」
「三十五億!」
 こんな時によく冗談が飛ばせるなと呆れるやら感心するやらのアミン。ミーリアの声色は[嬉{き}][々{き}]と[潤{うるお}]っており、久しぶりの戦闘に胸を躍らせているのが伝わってきた。
 夜空が[煌{こう}][々{こう}]と光る。両方の機体から、幾多の魔弾が放出された。
 その数、十二対十二。連射性能もほぼ互角と見てよさそうだ。それ即ち、相手もミーリア級のエーテルキャットを[搭{とう}][乗{じょう}]させているという意味になる。
 既にアミンは[悟{さと}]らされた。この勝負、[一{ひと}][筋{すじ}][縄{なわ}]では決着しない。
「三十四億ウン千万足りないぞ子猫ちゃん!」
「敵さんのも誘導弾だ! バック取られるよ!」
「無視かよ!」
 もはやミーリアも冗談を飛ばしている余裕がないのだろう。アミンは短く叫ぶに[留{とど}]めて迫りくる弾幕をひとまず躱してやり過ごす。再び脇を抜けていく赤い機体。

「ブースター全開!」
「後方シールドは⁉」
「いらん、避ける!」
「信じてるからね〜!」
 一度は回避した十二の魔弾が、磁力に引かれるようにバックパサーの後ろを追尾してくる。
対処法は二つ。シールドで防ぐか、振り切って[凌{しの}]ぐか。前者は得策ではないと直感するアミン。
シールドに着弾するとその度にミーリアが魔力を大きく消費する。長期戦が予想される中、エーテルキャット頼りの局面はなるべく少なくしたいところだ。
「前見てる⁉ 岩山に突っこむよ⁉」
「好都合じゃないか」
 アミンは巧みに操縦桿をうねらせ、切り立った[崖{がけ}]の間をスルスルと抜けていく。その度に敵機から放たれた誘導弾が山肌に着弾し、その数を減らしていった。
「あと三発……二……一……! ひゅう〜! さすがアミン、やるじゃーん」
 全弾を岩山に衝突させ、誘導弾を振り切ったアミン。すかさず高度を上げてすれ違った赤い亡霊の[捜{そう}][索{さく}]を開始する。
「こっちの誘導弾が当たってると良いんだけどな」
「すぐ襲ってこないところを見るとその可能性もありそうだね」

 [刹{せつ}][那{な}]の沈黙が訪れた。切り返してくると思われた赤い機体は、アミンたちの視界に映らない。
「ミーリア、索敵」
「りょーか……えっ⁉」
 ミーリアが魔導波を飛ばした瞬間、アミンの身の毛がよだつ。探知図に映し出された点は、バックパサーとまったく同位置。つまり
「上だ! 上から来るよっ!」
「ブースター全開!」
 赤い機体がはるか上空から急降下してくる。[咄{とっ}][嗟{さ}]に全速力で艇を飛ばしたアミンは、間一髪で降り注ぐ魔弾を回避する。
 しかし敵の猛攻は休むことを知らない。機体を水平に立て直しつつバックパサーの背後に迫り、魔弾の雨あられを発射。
「今度は速射弾かっ!」
 粒子の細かい弾幕は追尾性能こそないものの、その数と速度で誘導弾に勝る。近距離から発射されれば避けるのは至難の業だった。
「ヤバい、完全に後ろ取られた!」
「わかってる、[捻{ひね}]りこむぞ!」
 アミンは機体を急上昇させる。そのまま一回転する勢いで艇首を持ち上げたその瞬間、

「ミーリア、右ブースター停止!」
「がってん!」
 片方の動力のみを[断{た}]った。するとバックパサーはきりもみ状に落下。重力に全てを預け大地
へと突進していく。
「点火!」
 そして再び両方のブースターに魔力を注ぐことで水平飛行へと戻る。エーテルキャットとの呼吸が一瞬でもずれれば大事故は免れない大技だった。
「今度はこっちの番……なっ⁉」
 自由落下により逆に背後を奪えたと思った矢先、目の前に赤い機体がないことに気づいて[愕{がく}][然{ぜん}]とするアミン。
「アミン、まだ後ろだっ!」
「バカな、まさか捻りこみに捻りこみを被せてきたのか⁉」
 赤い機体は変わらず背後にいた。つまり、アミンたちがとった軌道とまったく同じ動きを重ねてきたということだろう。そして再度の速射弾。無尽蔵の魔力にも、その技術にも舌を巻かざるを得ないアミンだった。
「しんじらんない! どーすんの⁉」
 絶叫するミーリア。まだなんとか速射弾は躱すことができているものの、その精度がどんどん正確になっていることを肌で感じる。着弾してしまうのも時間の問題に思えた。
「正攻法だとジリ貧だな……! ミーリア、『スカンク』やるぞ!」
「マジで⁉ あれやるとさすがのあたしもしばらくはヘロヘロだよ⁉」
「一発に賭ける。後方シールド展開!」
「どうなっても知らないからね!」
 やけくそ気味に叫びながらもミーリアは指示に従ってくれた。それを確認してアミンは旋回を止め、真っ直ぐにバックパサーを走らせる。当然、背後は敵の速射弾の[餌{え}][食{じき}]に。
「にゃうっ!」
 機体に衝撃が走るたび、魔力を奪われたミーリアの顔が歪む。シールドで受け止めきれる弾数は無限ではない。ミーリアの魔力が尽きればそれまでだ。
 十、二十と敵の弾幕が艇を捕らえる。ここぞと艇間の距離を詰めてくる赤い機体。一気にシールドを破るつもりだ。
「も〜限界!」
「よく[堪{こら}]えた!」
 バン、とことさら強い衝撃音がバックパサー内に響く。ミーリアのシールドが破られた[証{あかし}]だった。
 これでもはや、ミーリアの魔力は[半{﹅}][分{﹅}][し{﹅}][か{﹅}][残{﹅}][っ{﹅}][て{﹅}][い{﹅}[な{﹅}][い{﹅}]。

「いくぞ! 後方に散弾! 全力で撃て!」
「とびっきりのやつを食らえ!」
 残る半分は、最後の攻撃のために温存していた。
 青白い光が[轟{ごう}][音{おん}]と共に拡散し、敵機を広範囲に吞み込む。
「着弾確認! よくやったミーリア!」
 赤い機体からの攻撃が止んだのを確認し、拳を突き合わせるアミンとミーリア。
「墜ちた?」
「墜ちたろう、あれを至近で食らったんだ。だが、一応確認しにいかないとな」
 引き返し、着弾地点まで戻ろうとするアミン。艇のスピードは非情に緩やかだった。もはやミーリアは飛行状態を保つだけで精一杯なのだろう。
「このままじゃ帰れないな。どこかで休んでいくしかないか」
「野営の道具持ってくるべきだったね〜」
「ああ。まさか奥の手まで披露させられることになるとは思わなかった」
 アミンとミーリアが苦笑し合う。
 その時だった。
 ドスン!
 バックパサーの上部に衝撃が走る。

「な、なんだ⁉」
「赤い亡霊だ! まだ墜ちてない!」
 見上げれば、ボロボロになりもくもくと煙を上げながらも[辛{かろ}]うじて飛行を続ける赤い機体の姿が。
 しかも、[満{まん}][身{しん}][創{そう}][痍{い}]の『亡霊』からは未だ攻撃の意思が伝わってくる。
「しつこすぎだろ! 何する気だ⁉」
「見たまんまだよ、体当たり! こいつ、巻き添えであたしたちのことも墜とすつもりだ!」
 慌てて操縦桿を持ち上げるアミン。しかし、こちらの動力も弱く、上に覆い被さった赤い機体は微動だにしない。それどころかその重量に負けてどんどん互いの高度が下がっていく。
「ミーリア、踏ん張れないか⁉」
「踏ん張ってるよ! 踏ん張ってこれが限界!」
「仕方ない! このまま不時着する! 機体制御だけなんとか頼む!」
「言われなくてもやるけどもうこれ以上ホント何にも出ないぞ!」
「俺も頑張る、お前も頑張れ!」
 操縦桿を握り、なんとかバランスだけは保ち続けるよう奮闘するアミン。ガクン、ガクンと高度を落としていく折り重なった二艇。地面はもう間近に迫っていた。
「墜ちるぞ! こっちこい!」

「わわっ⁉」
 大地と衝突する寸前、アミンはミーリアを抱きかかえその[華{きゃ}][奢{しゃ}]な身体を包んだ。胴体着陸した艇に火花が散り、敵機の重量で上部がボコリと[潰{つぶ}]れる。
「「止まれ〜!」」
 砂地を滑り続けるバックパサーと赤い亡霊。目の前に大きな崖が迫ってくる。あそこに落ちたらもはやこれまで。
「…………止まっ、た?」
 と、いうギリギリのところで、なんとか滑走速度が落ちて艇に静寂が訪れた。
「助かった……」
 ほっと胸をなで下ろす二人。しばし抱き合って生の感触を味わってから、外に飛び出る。
「うわぁ」
 愛機バックパサーはひどい有様だった。機体の上半分はへしゃげているし、胴体着陸した時の衝撃でだろう、左の[翼{つばさ}]が完全に折れ曲がっていた。
「もう飛べないな、こりゃ」
「言うまでもなく、ね」
 顔を見合わせ、ため息を漏らす二人。しばしの間、アミンもミーリアも言葉を失って立ち尽くすことしかできなかった。

 タッ。
 その沈黙を破ったのは、同じく見るも[無{む}][惨{ざん}]な姿になり果てた『赤い亡霊』から人が飛び出てくる音だった。
「……!」
 身構えるアミンとミーリア。
「亡霊とご対面か」
「ほ、本当に人間じゃないってことないよね?」
「どうかな。あの執念、ただ事じゃなかったし」
 警戒しつつ見つめていると、闇の中にシルエットが浮きぼりになってくる。
「女? エーテルキャットか?」
 [目{ま}][深{ぶか}]にフードを被っているが、その曲線的でか細い体つきは明らかに男性のものではない。
「それにしちゃデカいよ」
 いっぽうで、ミーリアの言う通りエーテルキャットにしては成熟しすぎているように見えた。魔空艇を動かせるほど強い魔力を発揮できるのは幼い少女に限られる、というのが常識となっているのだが。
 しばし、距離を開けた[対{たい}][峙{じ}]が続く。まだ襲いかかってくる意志があるかもしれないので、アミンとしては[迂{う}][闊{かつ}]に動けない。

 口火を切ったのはミーリアだった。
「ったく、こら! あたしたちの艇こんなにしちゃってどういうつもりさ! べんしょーしろべんしょー!」
 どうやら相手が人間らしいとわかったのもあってか、強気に食ってかかりながら女に近づいていくミーリア。アミンはまだ緊張感を保ちつつ、いざという時ミーリアを守れるようにその後ろを追う。
「……ごめんなさい」
「え?」
 女の口から発せられたのは意外な一言だった。さっきまでの攻撃性からは考えられない、本気で[詫{わ}]びを告げるかのような響きだ。
「謝るくらいならここまでしなくてよかったんじゃないか?」
「……………………」
 アミンの問いには沈黙が返ってきた。
「単刀直入に[訊{き}]こう。目的は何だ、『赤い亡霊』さん?」
「赤い亡霊?」
「あんたのことを、空賊たちがそう呼んでる。ここで何機も空賊を墜としてきただろう?」
「……ごめんなさい」

 どうにも[埒{らち}]があかない。アミンは改めて間近から女を観察する。
 恐らくは、未成年。目元が確認できないが、十七歳のアミンと同じ程度の年齢だろう。
「ま、あんたの艇を墜としたのは俺たちも同じだがな」
「そうね。やっと現れてくれた」
「やっと?」
「私を墜としてくれる人間を、ずっと待っていた」
「薄気味悪いヤツだな……」
 ミーリアが一歩後ずさる。やはり亡霊なのではないかと疑い始めたのかもしれない。
「意味がわからないんだが」
「……ごめんなさい」
 アミンは頭を[搔{か}]く。なんとなく想い描いていた犯人像と目の前の女との不調和に、ひたすら混乱させられるばかりだった。
「こんな所で艇を失って、あんたはこれからどうするつもりだ?」
「歩いて帰るわ、帝都に」
「帰るってことは、あんたやっぱりディーナの軍人か何かか?」
「違う。軍人じゃない」
「じゃあなんで、こんなに高性能な魔空艇を?」

「………………」
「まただんまりか」
「いい加減にしろよな。せめて顔くらい見せろっつーの」
「っ⁉」
 うんざり顔でミーリアがフードを引っぱろうとした瞬間、女は今までにない素早さでその手を払いのける。にわかに緊張感が辺りに立ちこめた。
「よほど顔を見られたくないのか? 別にどこかへ突き出そうなんて思ってないぞ」
「いや突き出そうよアミン。こいつにバックパサー壊されちゃったんだぞ。出るとこ出てべんしょーしてもらわないと! 艇がなきゃ商売あがったりだよ!」
「先に壊したのはこっちだけどな」
「……艇が、欲しい?」
 ふと女の声色に、少し生気が宿ったような気がした。
「欲しいというか、生きていく上で必要ではある」
「なら、ついてきて。……弁償は無理かもしれないけど、代わりの艇ならあげられる」
「代わり?」
 顔を見合わせるアミンたち。ミーリアはこいつなに言ってんだとばかりの呆れ顔だ。
「あのね、バックパサーはそんじょそこらの艇じゃないの。さっき戦ってわかったでしょ?」

「ええ、よくわかった。だから、大丈夫。きっと[貴方{あなた}]たちなら……気に入ると思うわ」
「もっとすごい艇だって言いたいのか」
「とにかく、帝都までついてきて。貴方たちも、ここから他に行く場所なんてないでしょう? 
街なら帝都が一番近いわ」
「近いって言ってもアシがなきゃ相当な距離だろう」
「そうね、歩いて三日……いえ、急げば二日でなんとか」
「そんなに歩きたくないよバカ」
「じゃあ、どうする?」
 どうしようもなかった。悔しいがこの女の言う通り、とりあえず人里に辿り着かないことにはどこにも行くあてがない。
「帝都まで来てくれれば、代わりの艇を用意する。約束する。だから、ついてきて」
「……どうする、アミン?」
「残念ながら[選{せん}][択{たく}][肢{し}]がない。艇の話は置いておくとしても、俺たちがここから自力で向かえる場所は帝都しかない。それに、道案内も必要だ」
「なら、決まりね。行きましょう」
 歩きだす女。その後をしぶしぶついていこうとしたアミンだったが、ふと大事なことを思い出す。

「そうだ。待て。あんた、あの赤い艇の魔空士か?」
「そうだけど、何を今さら?」
「いや。だったら、エーテルキャットは?」
 魔空艇は二人で動かすもの。魔空士だけでは魔力の補充がままならない。
「いない」
「いない……つまり」
 死んでしまったということだろうか。
「あの艇は、私一人で動かしていた」
「な、バカを言え⁉」
 その返事はあまりにも予想外すぎてにわかには信じがたいものだった。
「一人で魔力供給しながら、操縦もやってたって言いたいわけ⁉ そんな話聞いたことない!」
 ミーリアも目を[剝{む}]いて女の発言を否定しにかかる。仮にそれだけの魔力を持ち合わせていたとしても、人間の反射神経で魔力供給と操縦を同時にこなすことなど不可能なはずだ。
「エーテルキャットが死んだのを隠してるんじゃないのか?」
「ああ、そんな心配をしてくれていたの。優しいのね」
 その発想はなかったとばかりに、手を合わせる女。
「いいわ。[噓{うそ}]だと思うなら艇を調べてみて。それですっきりするでしょう?」

「………………」
 アミンとミーリアはうなずき合い、[残{ざん}][骸{がい}]と化した赤い機体に近づいていく。
「アミン、これ……」
 中を[覗{のぞ}]いただけで、女の言葉に噓がないことがわかってしまった。なぜならそもそも、この艇にはエーテルキャットの座席がない。操縦席に魔導器が備えつけられた、完全に一人乗り仕様なのである。
「ますます何者なんだ、あんた……」
 操縦席から顔を戻し、アミンは問う。女は貨物室を漁っているところだった。
「毛布と、いくらばかりか食べものがあったわ。ありがとう。艇に戻ってみて良かった」
 質問には答えず、フードの奥で[微笑{ほほえ}]みを浮かべる女。
「アミン、やっぱこいつ亡霊だよきっと……」
 そう信じたくなるミーリアの気持ちは痛いほどわかった。だが、やはりどう見ても目の前の
女は実在する人間だ。
「さあ、今度こそ行きましょう」
 先導して足を踏みだす女。最初に対峙した時に比べれば明らかに口数が増えている。この女
は女でまた、アミンたちに対し緊張感を抱いていたのだろうか。
「なあ。あんた、名前は?」

「…………サーシャ」
「意外と普通だな、亡霊にしては」
「だから、亡霊って何? まあ、いいけど。あなたは?」
「アミン。こっちはミーリア」
「わかった。これからよろしくね、アミン」
 握手を求められたので、しぶしぶ応えた。ちゃんと触れる。やはり、実体のある人間だ。
「それに、ミーリアも」
「がるるる」
 差し出された手をぴしゃりとはね除けるミーリア。普段なら怒るところだが、今はあまり窘める気にもなれなかった。

 

 

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