試し読み シャークロアシリーズ 炬島のパンドラシャーク第5歯

東日本某所 『スパニッシュレストラン・メドゥサ』

 

「そろそろ、フリオ達も流星を見てる頃かな?」
 テラス席の客にディナーを運び終えた後、店に入る前に空を仰ぐベルタ。
 昼間の雨が[嘘{うそ}]のように、現在は静かな夜空が広がっていた。
 日が落ちる頃合いまでの[土{ど}][砂{しゃ}][降{ぶ}]りで午後の集客は予想通り散々たるものだった。だが、現在は雨が上がった事もあっていつもと同程度の客入りとなり、この後は普段通り楽団とベルタによる生の演奏と歌唱のサービスが予定されていた。
「ここからでも見えるかな?」
 雨が[止{や}]んだとはいえまだ雲は幾分残っており、街の光に照らされた空は流星を見るには不適切であるように思える。
 繁華街などと比べれば[遙{はる}]かに良い条件で星空が見える海沿いなのだが、それでもベルタは、人工島に向かった弟を素直に[羨{うらや}]ましく感じていた。
 今頃は島そのものが位置を変えて、天体観測に最適な海域にいる事だろう。
 その上で島の[灯{あか}]りの大半を消しているのだから、星空を見上げるには最高のシチュエーションだと言っても良く、多くの人々の間でチケットの争奪戦となっていた。
 島の建設時の拠点となった縁からか、ベルタ達の住む町の小学校にはこうしたイベントの際は招待枠が設けられており、彼女の弟であるフリオは現在その恩恵に[与{あずか}]って人工島『[龍{りゅう}][宮{ぐう}]』に滞在している。
 続いてベルタは、海の方へと目を向けた。
「あれ? もう灯りを消してる? 少し早い気もするけど」
 普段は洋上で[煌々{こうこう}]と輝き、『[炬{ともしび}][島{じま}]』とも呼ばれている人工島。
 だが、現在の太平洋上には強い灯りは見えず、つい先刻まで見えていた島の形が[暗闇{くらやみ}]の中に飲み込まれてしまっていた。
「?」
 奇妙だとは思ったものの、自分が流星群観測の消灯時間を勘違いしていたのだろうと考え、店の方へと向き直る。
 この後は店内のステージで[女性歌い手{カンタオーラ}]としての仕事が待っているため、ベルタは気持ちを切り替えて着替えをしてこようと思っていたのだが――
 そこで、店内の違和感に気がついた。
「……?」
 店の中の何人かがスマートフォンを片手にざわついており、一様に海側の窓の方に目を向けている。
 その人の数はざわめきの広まりと共に増え始め、ついには店の中にいた客の大半が窓の方に[身体{からだ}]を傾けている状態だ。
「え……?」
 異様な光景に何か胸騒ぎを感じ取り、ベルタの足が止まる。
 すると、常連客の一人が血の気の[失{う}]せた顔で声をかけてきた。
「お、おい。ベルタちゃんさぁ、弟の、ほら、フリオ君? 今日……『龍宮』に行ってるの?」
「え? あ……はい」
「いや……気を強くもって見てくれよ? ほら、コレ」
 戸惑いながら答えたベルタに、常連客はさらに顔を青くしながら、手にしたスマートフォンの画面をベルタに見せる。
 その画面に映し出されていたものは――

 フリオが現在[逗{とう}][留{りゅう}]しているはずの人工島が武装集団に襲撃され、市長である[富士{ふじ}][桜{ざくら}][龍{りゅう}][華{か}]を含めた島の住人と観光客達が人質として[囚{とら}]われたというSNSの速報記事だった。

 

     ♪

 

人工島『龍宮』 市長室

 

「私だけ個室とは、[随分{ずいぶん}]とVIP待遇をしてくれるんだな」
「……」
 そんな皮肉を言う富士桜市長に対し、襲撃者のリーダーらしき女[傭兵{ようへい}]は沈黙を返す。
 富士桜龍華は現在、[謎{なぞ}]の襲撃者達によって市長室に監禁されていた。
 室内には襲撃者のリーダーらしき女傭兵が一人。
 入り口の外には見張りが二名立っており、室内の隅にも市長とリーダーの様子を監視する者が一人立っていた。
 何か荒事の気配があればすぐに襲撃者の仲間達が駆けつけるであろう状況の中――肝心の市長は、執務机の[端{はし}]に腰をかける形で、強化性プラスチックのハンドカフで両腕を背に拘束されている。
 両足は腕と比べて簡易的なテープで縛られているが、シルエットと龍華の放つ威圧感だけを見れば、『足を組んで机に座り、傭兵を見下ろしている行儀の悪い上位者』のような[佇{たたず}]まいとも言える構図だった。
「他の人質と[纏{まと}]めなかったのは、私に何か聞きたい事でもあるからか?」
 実際、[怯{おび}]える様子もなく、上からの目線で堂々と[尋{たず}]ねる市長。
 それに対し、リーダーと[思{おぼ}]しき女性傭兵は市長とは対照的な、静かな[水面{みなも}]を思わせる雰囲気で相手の威圧を受け流しつつ答えた。
「……お前は、人を動かす事で[脅{きょう}][威{い}]になるタイプと聞いた。人望もあるらしいからな。一緒にした人質を[唆{そそのか}]されたら面倒だ」
「私が皆を唆して、命を捨てるかたちで君達に襲いかからせるとでも? 君は私を宗教の教祖かアイドルだとでも思っているのか?」
 [呆{あき}]れたように言う市長。
 だが、傭兵の女性はやはり[淡々{たんたん}]とした調子で言葉を返した。
「民衆に支持されている最中の独裁者のようなものだろう」
「いずれ支持されなくなるような事は言わないで欲しいね」
「今回の件で観光客が無事で済めば、その地位は安泰だろう」
 遠回しに『大人しくしろ』という意図の言葉を告げる傭兵。
 だが、その言葉に皮肉や[嘲笑{ちょうしょう}]の色などは無く、ただ単純に自分の意図を伝えているだけのように受け取れた。
「……こちらは、『最初から市長はグルだった』という虚言を流す事もできるのを忘れるな」
「なるほど、市民の命、観光客の命、私の命、オマケに名誉や地位まで人質にするつもりか。だが、テロリストのそんな言葉を[易々{やすやす}]と信じるような連中なら、こちらからも願い下げだね」
 すると、それまでは市長の[眼{め}]を一切見ていなかった傭兵の女性が、そこで初めて視線を合わせながら口を開く。
「一つ言っておく」
 やはり声に[怒{いか}]りなどの感情は乗っていないが、それでも、これまでと比べるとある程度の力強い意志が[籠{こ}]められているように思える声で傭兵が言った。
「我々は、テロリストではない」
「テロリストは大抵そう言う」
「政治信条を基に動くのがテロリズムというものだろう。私達にそんな大層なものを期待しないでもらいたい」
「となると、あとは個人か政府、あるいは島の関連企業に対する[復{ふく}][讐{しゅう}]か。……いや、復讐でもないな、純粋に金目当て、あるいは誰かに雇われたか」
 相手を値踏みするように見ながら、己の推測を語る市長。
 傭兵は[暫{しば}]し考えたが、部下からの報告が来るまでの時間[潰{つぶ}]しか、あるいは市長の人となりを探ろうとしたのか、[敢{あ}]えてその挑発的な断定に言葉を返した。
「なぜ、そう思う?」
「復讐にしては取り纏め役の感情が薄すぎる。心を殺して復讐をする、というタイプの行動でもないな。私が[怨{うら}]みの対象ならば既に[拷問{ごうもん}]でも始めているだろうし、違うのならば復讐する相手を[貶{おとし}]める言葉を私に吐き出していてもおかしくない」
「目的のために情報を隠しているとは考えないのか」
「君はそういうタイプには見えない。だからカマをかけている」
 手を縛られたまま器用に肩を[竦{すく}]める市長。
 命の危機を本気で感じていないのか、それとも単なる虚勢なのか、傭兵はそれを判断すべく改めて市長の顔を見た。
 だが、そんな傭兵の女性に、市長は不敵な笑みを浮かべて問う。
「私からの自己紹介の必要はないと思うが、君の名前は?」
「言うと思うか?」
「ストックホルム症候群というものに憧れていてね。極限状態の中で私と仲良くなれば、裁判の時の印象が良くなるような証言をする事もやぶさかではない」
 本気なのか冗談なのか[解{わか}]らない事を言う市長だが、そこで一度目を細め、相手を試すような調子で言葉を続けた。
「どの道、交渉の窓口になる気があるのなら……名前ぐらいは知っていた方が円滑に物事が進むとは思わないか?」
「……イルヴァだ」
 思ったよりもアッサリと答えた襲撃者の女。
 恐らくは偽名であろうと思いつつも、まずは第一段階をクリアしたとばかりの笑みを浮かべてその名を告げた。
「ありがとう、イルヴァ。良好な関係を築ける事を祈るよ」
「……」
 沈黙するイルヴァを見て、富士桜龍華市長は考える。
 このイルヴァというテロリストは物静かな佇まいだが、油断や隙のようなものは[欠片{かけら}]も感じられない。[殺戮{さつりく}]のみを淡々とこなすプログラムを搭載した機械を相手取っているような、威圧感がないからこその寒気を覚えるタイプの人間だ。
 ――完全な雇われ者……といったところか。
 ――『ネブラ』が探りを入れてきたこのタイミング……雇い主は『ネブラ』か?
 ――いや、だとするとわざわざ人員を寄越す理由がない。
 ――ならば……『カリュブディス』。
 資金だけは無駄にあると言われているあの『互助会』ならば、犯罪だろうと[躊躇{ためら}]わない[類{たぐい}]の傭兵を雇う事もするだろう。
 仮にそうだとすれば、目的は[自{おの}]ずと絞られる。
 ――……無事でいろよ、[雫{しずく}]。
 ここからでは状況が分からぬ海洋研究所の方に意識を向けながら、市長は古くからの友人でもある研究者の名をそっと心中で[呟{つぶや}]いた。
 ――そして……できる事なら、早まるなよ。

 そこまで考えたところで、市長は現在の街の状況を思い返し、静かに[溜息{ためいき}]を吐き出した。

 ――この停電が地下にまで及んでいるとしたら……。
 ――もう、『箱』は開いてしまった後なのかもしれないな。

 

 

シャークロアシリーズ『炬島のパンドラシャーク第5歯』

各電子書籍ストアで7月26日より配信!

【続きはこちらからご購入ください BOOK☆WALKER】

【続きはこちらからご購入ください Amazon】

 

シャークロアシリーズ『炬島のパンドラシャーク』作品紹介サイトに戻る